2012年05月30日 (水) 17時31分

『中興入道御消息』1331~1335p 
勝利の経典『御書』に学ぶ…本抄の白眉は 1332p-7行目 ~ 1333p-7行目 である。
時代背景⇒弘安2年(1279年)己卯11月30日  身延発  
対告衆⇒身延を訪れていた『中興入道の妻女』
対告衆の夫⇒『中興入道』 『中興入道』の父親が『中興次郎入道』である。     

 以下は対告衆への称賛部分 1334p
【 御前は又(中興入道の)嫁なり・(中略)・故入道殿のあとを継ぎ
 国主(北条時宗)も御用いなき法華経を(信じている・のみならず)
・法華経の行者を養わせ給いて・(毎年、身延までの遠路に「夫」を送り出している、
又幼くして逝去した娘の供養も続けている 】

日蓮大聖人を見て【ゆえある人にや  1333p 】と直感した中興次郎入道の炯眼   
(日蓮大聖人の存在の真意を見抜いた人⇒北条時頼〔915p〕 一谷入道〔1315p 1329p〕)

佐渡で『日蓮大聖人』を守り抜いた帰依者⇒阿仏房夫妻と子息・国府入道夫妻・
中興入道夫妻と父・是日尼 1335p
帰依はしていないが『日蓮大聖人』を守り抜いた人々⇒松野六郎左衛門と一族郎党
・一谷入道夫妻
 
『大白蓮華』本文の抜粋      

池田名誉会長は叫ぶ!『究極は宿命転換である』そして『いよいよ、これからだ』である!
『広宣流布』とは何か。『善性の触発』とは何か。        
『広宣流布』とは人と人との友情と信頼と尊敬の広がりである。
『同苦』とは何か。『激励』とは何か。人間はどこまで『同苦』できるのか。
  『同苦』とは『願兼於業』である。

2011年○月度の『Ⅰ水滸会』の教材は『中興入道消息』である。と、
上記の如くの編集は「愚壮」の任務であった。
『S前総県長』との呼吸も宜しく、万端の準備も『少し時期が早すぎるか…』と、
全く問題の無い ○月の10日すぎである。
『初代K市のⅠ圏長 昨夜御逝去・今夕 通夜式』という驚愕の訃報が かすかに聞こえた。

『かすかに聞こえた』とは、正式の訃報が『愚壮』には届かなかったという事実であった。
(悲報第一報を「愚壮」に もたらした『T支部長』にも、直接の報は無かったとか)
『初代 Ⅰ 圏長』といえば、あの昭和54年4月に御勇退になられた『生涯の恩師』を…
翌55年3月9日。六百余名の同志を引き連れて『東京の学会本部』に求めた「関西屈指」の
直弟子であられる。

亦。「愚壮」こそ、その『初代 Ⅰ 圏長』鎮座地域の『支部長』を任じた人間である。
『その「愚壮」に「訃報」どころか、通夜式・告別式の時間帯を知らせないとは何事か』
…と、逆上した。

「中○副圏長」と言う人が居る。
入会以来。私が何かと御世話をかけている人である。
怒りに震える私は、この「中○副圏長」のところへ飛んで行く。

「中○副圏長」は、シラッとこう言った。「俺のところへも、知らせは無いよ」
「…しかしなあ。 俺は、直接の知らせは無くても 知った時点で「通夜」に参列したよ…」
「…それが、『同志』というもんだ」

私は、この「中○副圏長」の一言に、忘れていたものを『思い出した』
「被害者根性」丸出しの私自身に、ホトホト嫌気が差した瞬間であった。

ともあれ。『初代 Ⅰ 圏長』の御逝去は、一つの時代の「句読点」を打ったのである。
平成23年○月10日 享年80歳であられた。





 2012年05月31日 (木) 09時30分

下記は「聖教新聞 2012年1月24日付の(2月度御書講義)」の講義文抜粋である。
その記事の最右辺 最下段の文章に 
「賢王ですから、その(折伏の事)担い手は在家です。」とある。
【 以下 】
在家の人々が愚王すなわち仏法を理解しない勢力と戦いながら妙法を弘めていくことが
化儀の折伏なのです。
それでは、末法において現実の社会に妙法を弘通してきた在家とは何かといえば
事実に照らして、それは創価学会以外にありません(中略)
この御文は、創価学会の仏法上の意義云云(後略)」

抜粋部の要約とは⇒『賢王』⇔『在家』⇔『創価学会』となる。
概論として⇒『観心本尊抄』そのものが創価学会の存在意義の御聖訓としている。

   ここで『開目抄』を拝読する。
【日本の諸人(一闡堤の一切衆生)は爪上の土か 日蓮は十方の土か よくよく思惟あるべし 
賢王の世には道理かつべし 愚主(愚王)の世に 非道・先 を(押)すべし 】『開目抄上 195P』
通解・「日本の総ての人々が爪上の土(悪世に於ける稀少の正法弘持(ぐじ)の者)なのか、
経典を身読して数々の大難を起している『日蓮大聖人』が十方の土(掃いて棄てるほど、
どこにでも存在する愚者)なのか、
私の門下を名乗る者は、深く思索しなさい。

このような対比(一切衆生が「爪上の土」⇔『日蓮大聖人』が十方の土)の解答は、
考えなくても理解できるであろう。

世が「善(よ)き為政者・賢王」の時代には、釈尊の仏記の通り
「仏法の道理・教範」は通用するが、
反対に「為政者」が諸悪の根源を知ろうとしない『末法』の世では、
   「非道・邪(よこしま)な思想」が真っ先に押し出て来るのである。

【 大集経二十八に云く「若し国王(賢王・為政者)有って 
我が法の滅せんことを見て捨てて擁護(おうご)せずんば
無量世に於て 施戒慧(正法を供養し持戒し一切の法に達観する事)を修すとも
悉(ことごと)く皆 滅失し 其の国に三種の不祥の事を出(いだ)さん 】『守護国家論 59P』
通解・大集経にはこう説いている「もしも国王・為政者が「仏法」の衰退・「思想」の混乱を
見捨てて擁護しなければ(仮に、その賢王が反省して)未来永劫の生死の間、
その正法を供養し持戒し一切の法に達観する事を続けても、
賢王の国土に所有する全ての人材・資産は瓦壊し、国家には三災が惹起して、
不幸の事態に陥るであろう」

『日蓮大聖人』の御聖訓の、どこをどう解釈したら『賢王即在家』となるのか、
バカバカしくて涙が止まらん。 (以下。破折する)
『日蓮大聖人』の御記述にある「賢王」とは、最善・最悪(正法への認識の正誤)に
達観した為政者を示唆するものである。
つまり、「為政者」の善悪(正法の認識度)が庶民の幸不幸を左右するのである。
「賢王」即「在家の門下」を示すものではない。

聖教新聞 2012年1月24日の2月度御書講義で言う⇒「賢王即在家」は僻見である。
不変の原点の「長(庶民のリーダー)の一念」を、ある意味 遠回しで否定する事で
「自語相違」である。

「長(庶民のリーダー)の一念」の『長』とは「庶民(普遍的視野層)から派生した長」で
あり「賢王⇔為政者⇔上層階級」ではない。

【 …一句をも 人にかた(語)らん人は 如来の使と見えたり、
貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし 】『椎地四郎殿御書 1448P 9行目』
上記の「御聖訓」【貴辺 ※すでに俗なり(王ではない) 善男子の人なるべし】を、
一体全体 何と拝読しているのか伺いたいものである。

※すでにとは⇒元々という意味である。
強く言えば⇒『日蓮大聖人』は四郎に『あなたは元々、出家して法理を学んでいないのに
奥義に迫っている』との讃嘆だ。

∴強調の為の記述   
是(ここ)で再度強く確認をしておくのは『賢王・愚王』の御記述の深義であろう。

先ず。『一文一句でも(正法・正義を)語る人』とは即「如来の使い」
つまり『仏』の派遣した使者なのである。(戸田先生の御指導)
それに対し、『賢王・愚王(為政者)』の如きは
所詮いつの世も「二乗(声聞・縁覚)の人」でしかなく、『法華経の行者』ではない。
真の『法華経の行者』とは庶民の範疇で、遠くは神四郎・弥五郎・弥六郎。
近くは「三代の歴代会長」である。

「賢王即在家」という僻見・曲解(拡がり過ぎた論旨)が「一見正論・正体は愚論」と、
筆者が破折するのは是(ここ)に有るのである。 
『御書』に在る『王者』(鷲と鯱で譬喩されている門下の振舞の事)とは、
『忍難弘通』の名声なき庶民を指すのであって「為政者」の類ではない。

本抄(観心本尊抄の講義範囲の御聖訓)の「賢王・愚王」の真意は
その為政者が『正法』を見る目(炯眼か否か)の尺度の分類だ。
つまり、『正法』を『正法』として認める「為政者」を賢王と顕わし、
『法』の善悪を見抜けぬ「為政者」を愚王と御記述されているのである。

要は、そのような「ヨタ」を『550万部発行』の聖教新聞に掲載して、
無数の同志を狂わすのが黙認出来ないのである。
「賢王即在家」…。  どこにそのような『日蓮仏法』を捻じ曲げる如き記述があるのか、
御指摘願いたいものである。

『御書 上野殿御返事 1560P』には、
武家の棟梁である「源氏と平家」でさえ『番犬』と言い放たれているではないか。

【 日本国の武士の中に 「源平二家」と申して 
『王(朝廷・帝)』の門守(もんまもり)の犬 二疋(二匹)候 】

緩枷にしてはいけない原点(源流)故に、『数数見擯出』等の御身読の事実は、
隠蔽するべきではないのである





 2012年05月31日 (木) 19時41分

平成24年2月11日 この日の聖教新聞第二面に『正史』の記述があった。
『創価班・大学校入卒式』での「渡辺委員長」の発言が『正史中の正史』であるので
抜粋して賞嘆する。

(以下 抜粋文) 【 本年、1月6日が「創価班、師弟誓願の日」に決定しました(中略)
この「1・6」は、51年(昭和26年)に、23歳の池田先生が
恩師・戸田先生から公私にわたる一切の後事を託された日でありました。 】
(以上 聖教新聞抜粋)

『師弟不二』の誠を再確認する「熱文」を目の当たりにした「愚壮」は、
上記の文章が『正史』の極みである事に感涙した。

『愚壮』が甚(いた)く感嘆した「渡辺委員長」の『正視眼』である。    
この淵源となった、昭和26年1月6日の実際の出来事を記述する。

以下抜粋(ママ)・『若き指導者は勝った 第6回 第二代会長 3 2009年1月13日(実配)』
【 1月6日の土曜日、師(戸田城聖)の自宅に呼ばれた。
大蔵省に提出する書類を整理するためだったが、戸田と妻のほかは、だれもいない。
(中略)心労から戸田の頬はこけていた。
(戸田は)万一の場合、学会のことも、事業のことも、家族のことも引き受けてくれないか、
と頭を下げた。
弟子は、すでに一生を師匠の捧げる覚悟ができていることを述べ、
大楠公の楠木正成、正行親子に、二人を重ね合せた。(中略)

しばらくあとの日記に、(池田先生は)こう記した。
「師弟ノ道ヲ、学会永遠ニ、留メオクコト」  】以上抜粋
この記述に続く文面にも、思わず身を引き締める箇所があるが、
『池田先生の格調高き誓願』を、「愚壮」如きが所感を述べて汚すべきではない。





 2012年06月01日 (金) 04時46分

平成11年の今朝。『ケンちゃん』は憤死した。 
訃報は、現在は宮崎県に在住である『Y支部長(当時)』から聞く。
昭和47年秋。当地に流れ着いた「愚壮」を、度々のその御訪問で私を組織の中に誘い…
今の「愚壮」の礎を造って下さった人であった。

この「49歳」での早逝は、当時の諸事の中でも特筆の衝撃であった。
その頃、東京から還られていた「名物部長」と「愚壮」とが、余人を入れずに
「枕経」を奉行した事さえ…
今。微かなる『色褪せ』もなく、万事鮮明に蘇っている。

「早梅雨」の蒸し暑き早朝…。と   悲劇はよみがえる。
『嗚呼… あれから既に、13年の時が流れたのか…』と、 
私は今も「同志」を念(おも)うのである。

合掌   南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経   南無妙法蓮華経





 2012年06月01日 (金) 09時56分

※愚壮の思い・『御書』について。   
以下を、このように何度も書く意味は、強く確認しておきたい事がある為である。 

先ず御述作されたのは『日蓮大聖人』である。      
御記述内容の分類では(但し、便宜上の連番で、順不同)

①『論文(法理の根幹書)』 ②『日蓮大聖人即末法御本仏の告知状』 
③『法嗣の相承書』 ④『国家への質問状』 ⑤『弟子への訓戒書』
⑥『日蓮大聖人御自身の振舞状』 ⑦『御指導の書(指南書)』
⑧『供養への礼状』 ⑨『門下の質問への返書』 ⑩『門下への近況報告書』等々である。

この内、後世に残さなければいけない『重抄』とされるものは、(保管者の意思で)書写をした。
つまり…「これは遺す可(べ)き」という「書簡」のみ書写(今でいうコピー)をして、
その最も誤りの無い・誤字皆無の正本を、家宝として厳重に保管をした(時代写しという)。

特に、『血脈抄(百六箇抄)』・『本因妙抄』等、
宗門・門外不出の『御書』は厳格に護持されてきた。
(…と断言出来ない悲しさは余談として…)

しかるに…『十大部』を含む殆んどの『御書』は、
主に「門下(対告衆)」宛に送付されたのが実際であった。
(つまり…殆んどの『御書』は、書写・時代写しが不可能という厳しい現実に思い当たれ)

「散逸」という、最も忌むべき事態が多発したのは、「保管者」の杜撰さにもよるが…
重要性を具(つぶさ)に伝え得なかった
※『直弟子(僧分)』の怠慢の方が、厳しく指弾・指摘されよう。

この事(※『直弟子(僧分)』の怠慢)を、
『第59世:堀日亨上人猊下』がその「序」で訴えられているのである。
『御書』の「散逸」に関して、あまりクドクドと書きたくないのでこのくらいにする。 
このくらいにするが…
最も重要な事を書いて、確かめておく。

『御書』とは、
『対告衆』に対して与えられたもの⇒その性格上『全国各地に散らばっている文献』なのである。
故に『編纂・編集』が大難事なのだ。
であれば、尚の事。この『新編・御書全集』編纂・編集という重大事に、
御生涯の薀蓄の全てを傾けられた『第59世:堀日亨上人猊下』への報恩を忘れてはならぬのだ。

私達が今。常にいつでも『御書』を繙けるのは、
これ総て。『第59世:堀日亨上人猊下』の全国御踏破・御走破の御成果・御研鑚の賜物である。
その上で、絶対に言える事は『第59世:堀日亨上人猊下』の御生涯の薀蓄・御研究に対する
『巨大なる熱請』だ。

この人こそ、この『巨大なる熱請』の『仏勅の巨人』こそ、
『戸田城聖第二代創価学会会長』である。
「戸田先生」は、その編纂事業の全ての「財務」にあたられた。  
…それは、「巨費」でもっても表現できぬ。

更に『膨大な校正作業』への没頭であった。 
それが「学会の全英知」の集約である。

温暖の「伊豆・新田」での『第59世:堀日亨上人猊下
・戸田城聖第二代創価学会会長』の談笑の奥には…
余人の絶対迫れぬ『大偉業達成』の歓喜であろう…と思う。

『御書』とは、何者にも量り得ない「重厚」と・
誰にも迫れない「迷路の如き」達観が実在するのだ。

この『一事』を。 いかなる時、いかなる設定。 否。 総ての活動の根底にも、
厳然と中央に据えて欲しいのである。
考えられる全ての『多様の現実』にも…である。  
決めて、「現実(リアルの現象)」に流されてはいけない。

この最後の一瞬の「勝利」の為に『唱題・南無妙法蓮華経』の力用を、
繰り返し言われているのだ。

ところで…話は全く変わるが。 
最近に本格的に立ち上がった(…と言えば、失礼かもしれぬが)青年が居る。
『氏』・昭和46年6月1日に御誕生といえば、満41歳を迎えられた人である。

青年は、そう遠くなき日に『母』を失われた。            
不治の病であられた。と聞いている。
この「故・御母堂」の膨大なる手記が、今「愚壮」の手元に在る。  
いつか近日。御遺族の御了解を得て記述する。


それは何故か。 遠き日・早逝の『ケンちゃん』が、土壇場で叫んだ「声無き声」と…
その『御母堂』の声が、見事に重なるからである。   …それだけである。





 2012年06月01日 (金) 20時02分
『忘れ得ぬ風景』は「戯作」である… という割には、
その内容に真実味がある…のか、無いのか。
『種種御振舞御書(佐渡抄)』の長文といい、

『御書』誕生の秘話といい、「色を脚した」ものではなかろう。

ま。「他人様」がどのように申されても、そのような事は、どうでもよい。

どうでもよい…といえば、 誠に「どうでもよい」事であるが、 今夕。「抜糸」をした。
担当の医師が、「これほど深い傷も 又、珍しい」といいつつ「糸」を抜く。
そういえば、縫合の時  傍に居た長男と長女が『お母さん、見たらあかんよ』と言うとった。

特に長女は、深く反省して沈むワシを捉まえて…

『お父さん。鼻が捲れ上がって 歯茎が外から見えていた』と言う。
慰めの言葉も無く、恐ろしい形状を得々と説明する長女には、

既に「女らしさ」というものがない。…と落ち込んだが。
やっと「抜糸」に漕ぎつけた。 

酒は飲めん・タバコも吸う気にならん。 それよりも「風呂」に入れんから臭くて仕方がない。
こころなし、近くに寄らない「老妻」にさえ、むやみに腹が立つ。  

「抜糸」直前のワシの顔は、どこから見ても「ネズミオヤジ」だ。との説明に、

『身も世も無く、笑い転げる』人が居る。
『踏んだり・蹴ったり』とは、今の愚壮である。と思えば宜しい。

ところで…嬉しい話がある。 それは、来週の日曜日の『座談会』に御招聘いただいた事である。
『B長さん』が、『御書もやれ』と仰る。  これは倍増に嬉しいのです。





 2012年06月03日 (日) 07時28分

『酒も旨くないので寝る!』と強く心に決めているところに、『Hさん』が来られた。
結論をいうと、 都合二時間程、話が弾んでしまった。
彼は、私の一番最初の御推薦の「地区部長」さんである。

若干、健康の面で問題を抱えて居られたが、持ち前の強き御意志で難関をも突破された。
が、しかし。 そんな「最高学府出」の優駿も、愛妻の重い御病苦には「音(ね)」を挙げかけた。

同志の中でも、彼は「人一倍」の御努力家であり、「生真面目」である。とは、皆が知る。
( 因みに…氏は『Ⅰ水滸会』のメンバーでもあられるが、これはこの際 余談である )

「地区部長・最初の推薦」といっても、その推薦者なんぞは「K市」を捨てた「ネズミオトコ」である。
『何故、私に…』という卑屈な問いに、氏は言った。   
「愚壮」でなければいけないので…と続けられた 「目前の 我がブロック座談会に参加せよ」。

私は歓喜して御招聘を受ける。 御自宅に帰られる「後姿」が街路の角を曲がるまで見送った時。
既に「眠気」は去っている…と。 重複する事を厭わずに『御書』を繙いていた。

『祈祷抄』講義   大白蓮華2012年6月度座談会教材 『新編・御書全集』1344P 
1272年(文永9年) 最蓮房の質問への返書  (在・佐渡)
特徴 『御署名』 ⇒ 本朝沙門 日  蓮 撰

今回の講義部分 ⇒ 『法華経の行者(私達・総ての者)』の祈りは必ず叶う。
【 大地は ささば はづるるとも 虚空(おおぞら)を つなぐ者は ありとも・
潮の みちひ(満干)ぬ事は ありとも 日は西より出づるとも・
法華経の行者の 祈りの かな(叶)はぬ事は あるべからず 】 1352P

☆【 大地は指(ささ)ば・はづるとも  春は・花は・さかずとも 】『開目抄下 225P』

☆【 大地は ささば・はづ(外)るとも・日月は地に堕ち給うとも・
しを(潮)は みちひ(満干)ぬ世はありとも・花はなつ(夏)にならずとも・
南無妙法蓮華経と申す女人の・をも(思)う子に・あわずという事は なし 】

『上野殿尼御前御返事 1576P』

『祈祷経送状』 1357Pには こう顕されています。
【 其れに付いても 法華経の行者は信心に退転なく 身に詐親なく・一切「法華経」に
其の身を任せて 金言(仏語)の如く修行せば、慥(たしか)に 後生は申すに及ばず
今生も 息災延命にして 勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可(べ)きなり 】

つまり。一切の例外なく、「広宣流布」を根本にする祈りは「叶う」という事である。
○ 然し「叶う」為には条件がある。⇒ 自身を『法華経の行者』としての「分類」の中に置く事だ。
こうある ⇒【 但 法華経をもつて いの(祈)らむ祈は 必ず祈となるべし 】 本抄 1344-2行目

( 自身の事を祈るのは「信者」 広宣流布の事を祈るのは「行者」という

牧口先生の箴言・指導を踏まえつつ。)

『法華経(御本尊)に対して祈る人⇒(法華経の行者)』を、

舎利弗や迦葉等の「一切の二乗界の仏」は護る。
どころか…その『法華経の行者』の一切の「苦」をも、

千二百・万二千の二乗界の仏達が総じて受け持つ。1344-45~行目

とどめを指すように 『日蓮大聖人』は、こう述べられている。↓
【 一切二乗界 『法華経の行者』を まほ(護)り給はん事は 疑あるべからず、
あやし(下劣・下衆(げす))の畜生なんども 恩をば報ずる事に候ぞかし、】1345-1~2行目
とした後。仏達(一切二乗界)の成仏を、実現させたのは 他ならぬ『法華経の行者』であったのだ。
だから…『法華経の行者』の祈りが、全部叶うように 今度は二乗界の仏達が動くのだ。 
『諸天善神が動く』とは、この事をいうのである。 1345-12行目

【 法華経の行者をば 諸天・善神・守護すべきよし 属累品にして誓状をたて給い 】
とは この事である。  『四条金吾殿御返事 1192-3~4行目』

簡単明瞭といえば、これほど解り易い『御聖訓』はない。

然し。本抄『祈祷抄』の深さは底が無い。     超々・難解であるという事である。
先ず『対告衆』の最蓮房自体の生き様や、価値観や、求道心の根幹などを、
師匠の『日蓮大聖人』がどう捉えていたかである。
(最蓮房が師匠『日蓮大聖人』をどう捉えていたかではない)

その為にも、以下の暗示的な御記述を先ず注目して頂きたい。
それが『最蓮房御返事 1340P』の冒頭の

【 夕ざり(薄暮~夕闇の迫る時刻)は 相構え相構えて御入り候へ 】
『日蓮大聖人』を慕いに慕って、日夜連日の訪問を繰り返す『最蓮房』に対して、

細部への御指導であった。

直弟子の多くが『流罪地・佐渡』への同道を許されなかった中での

「僧形・最蓮房」の連日の(弟子への)懇請に、
「貴殿こそ在在諸仏土常与師倶生を身読の如くの人で、

(私の弟子となられた事は)素晴らしい事だ」1342P 8~10行目とされる。

そんな私(日蓮大聖人)の揺るがぬ『師弟不二』の証明として…と。

最も重要極まる御聖訓を述べられるのである。↓
【 何となくとも 貴辺に去る二月の比(ころ・頃)より 大事の法門を教え奉(たてまつ)りぬ、
結句は卯月八日・夜半・寅の時(刻)に 妙法の本円戒を以て 受職灌頂(授戒)せしめ奉る者なり
此(こ)の受職を得るの人 争(いかで)か現在なりとも 妙覚の仏を成ぜざるらん】 1342P 15~16行目

誠に恐るべき御記述である。
『日蓮大聖人』は「最蓮房」に対して、

『日蓮仏法の後継たる契約』の『授戒』⇒『受職灌頂』を実施されたのだ。

※此の「本門授戒」の実際は『日蓮大聖人門下』では「最蓮房」一人のみである。
というから『恐るべき』…というのだ。
 ↑これは『富士日興上人詳伝(下)聖教文庫 194~195Pに詳細されておられるので、

是非とも拝読されたい。

その上で『祈祷抄』を「繙き」「拝読」していくのなら、概ね『正読』と申すものである。

その『正しい読み方』を左右する急所とは ⇒ 私こそ『法華経の行者』なり!という「確信」だ。





 2012年06月03日 (日) 07時54分

ところで…嬉しい話がある。 それは、来週の日曜日の『座談会』に御招聘いただいた事である。
『B長さん』が、『御書もやれ』と仰る。  これは倍増に嬉しいのです。

「愚壮」でなければいけないので…と続けられた 「目前の 我がブロック座談会に参加せよ」。
私は歓喜して御招聘を受ける。  御自宅に帰られる「後姿」が街路の角を曲がるまで見送った時。
既に「眠気」は去っている…と。 重複する事を厭わずに『御書』を繙いていた。

上の二段の記述は10日(日)の座談会。 下の三段は9日(土)の座談会。
この二箇所からの御招聘に、私の歓喜は『坩堝』なのです。  為念愚壮





 2012年06月04日 (月) 05時37分

『Ⅰ水滸会』  その後の経過が霞んで見える…と。記述を続ける。

御紹介の如く、『S前総県長』を中心にした『Ⅰ水滸会』は、2010年11月7日に第一回を開催している。
式次第の片鱗も、既に御紹介申したが…
『式次第』等は、二・三の次と、参加者は『S前総県長』の講義を求めた。

続行中の「リハビリ」の関係で、『S前総県長』は経机の左側、最前列の「安楽椅子」に在る。
『T支部長』導師の朝の勤行は、研ぎ澄まされた日本刀の如くの「一閃」であった。

しわぶきのない会場に「司会者」が屹立し、『瀧の詩』が厳かである。

やがて…『S前総県長』の講義となる。
『氏』には、大きな癖があった。 それが「自分自身」での「大納得・大確信」の『御自身への叫び』であった。
参加の人に混じって、「ソッ」とした風情で、 ごく少数の御婦人部の姿が覗える頃、講義は佳境となる。

下記は、そのような『Ⅰ水滸会』の、最後(突然中断された)の「講義骨子」である。
勝利の経典 『御書』に学ぶ   池田名誉会長講義 大白蓮華 12月号  コピー : 注意

『日女御前御返事(御本尊相貌抄) 1243P~1245P』 約2,000文字 
御述作地⇒身延    御述作年月日⇒建治3年(1277年)8月23日
対告衆⇒『日女御前』の事 ⇒ 池上宗仲の妻女・松野後家尼御前の娘(二説あり)

   ⇒身分・財力の豊かな婦人・信心強盛の人 
本抄の次年・弘安元年(1278年)6月25日に顕された『日女御前御返事 1245P~1250P』では甚深・難解の御書を賜る。
その中で『日蓮大聖人』は「日女御前」の事を【法華経の命を継ぐ人(趣意) 1250P】と称えられている。約4,500文字
 
【 抑(そもそも) 此(こ)の御本尊は ~~ 諸仏 すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり 】
上記の御書本文冒頭 (1243P 1~9行目迄) の重要部を学ぶ。云云。

上記を最後に、『Ⅰ水滸会』は急遽の中断となった。

では、その『S前総県長』は、如何されておるのか…
又。次の『Ⅰ水滸会』を待ち焦がれている『十七人の猛者達』はどうしているのか。

いや。それよりも… 本『Ⅰ水滸会』を企画した二人は、果たして悩んでいるのか。
『Ⅰ水滸会』を企画・実行に漕ぎつけた二人(『T支部長・愚壮』)は、苦しんでいるのか…
そこが、最も大事な一点である。     ここに、急所たる事象がある。





 2012年06月05日 (火) 05時02
『Ⅰ水滸会』 Ⅱ
上記・『日女御前御返事(御本尊相貌抄) 1243P~1245P』が2011年12月4日である。
これが、第9回である、という事は…「母体」の日程の大綱に合せて、連続の開催ではない。
第一回の、2010年11月7日で、上記が第9回とは、途中の開催が順月(毎月の実施)ではなかったという事である。

そんな(連続開催でない)会合が、急遽の中断とは、全く「納得」なんぞ出来る訳がない。…
という程、十七名の猛者達が皆 待ちに待った『Ⅰ水滸会』ではあった。
そのような2011年12月5日。 一人の『訃報』が世間に聞こえた。
勢い、この人の生前の振舞にも『悲喜賛否』交々(こもごも)の話題が持ち上がった。
が…既に「鬼籍の人」である。

ただ一点いえば…
「絶対負けない」とされた闘いが負けた時、この(鬼籍の)人はマスコミのマイクにこう言ってのけた。
『敗軍の将 兵を語らず…』と。

これは「将」が優秀であったが   「兵」の未熟・誤算ゆえに、戦いに負けたのである。
しかし『優秀な将』たる私は、「兵」のせいで敗れた戦いの総括をして、「兵」を責めない。
つまり。『闘いの敗因は、兵にある』

この際言うが…。   「兵」とは。    交流に・F活動にと、必死で戦った「健気の人の群」の事だ。
こんな根底で、無垢の庶民を「内心」で見下げていた。   そういう事なんだ。と、猛者は言う。





 2012年06月06日 (水) 04時37分

平成23年12月11日15:10頃、 私は『S前総県長』宅へ赴いた。
用件は、最も重要と思われる記述文を御届けする事であった。  

『最も重要と思われる記述文』 それが…。
『日亨上人著作:御書&序』の「本文とその現代語訳の全文」
及び  『戸田城聖先生・発刊の辞』(原文)である。
(『日亨上人:御書の序』の現代語訳全文と、 『戸田城聖先生・発刊の辞』(原文)の一部は『風景』に記述済)
『S前総県長』はあいにく不在であった。  私は、その分厚い原稿を奥様に御預けし、帰路についた。

そして、3日を経た平成23年12月13日。『S前総県長』から、上記の三通の文章に対する返礼メール届いた。

云く 【 あなたは 凄い人だったのですね。 今まで解らなくて 許して下さい 】であった。
その時の率直なる「愚壮」の心境は…『S前総県長』には悪いが、真逆である。

『S前総県長』!愚壮は貴方との出会いの日から、『愚壮』となったのです。
それ以外。私が「愚壮」に成る設定は皆無でありました。    私はこう叫んだのである。

どうも私は、物事を解りにくく言う癖がある。 そこで、もっと簡単に言うならば…
『S前総県長』に初めてお会いして、「人が変った」ように『第59世:堀日亨上人猊下』の序文の拝読に向かう。
『S前総県長』と『第59世:堀日亨上人猊下の御書・序文』との接点は、説明に何百年もかかるが…
『S前総県長』 貴方はそういう暗示を備えた人であったのである。

但。暗示を暗示と気付く人は、先ず殆んど居ないと断言できた。
とにかく。『S前総県長』とは、そういう変な(言い方が見つからない)人であった。

『S前総県長』との出会いの日とは、昭和56年の「名物部長」率いる男子部『折伏方面制覇』だ。
あの時の『鬼の方面青年部書記長』の「S氏」が、今の『S前総県長』であり…。  
又 当時。『熊本県学生部』出身の「S氏」が、現今の『S前総県長』である。  

この時、『T支部長(当時・男子部大B長⇒32歳)』 『愚壮(当時・男子部副大B長⇒36歳)』

かくして…『Ⅰ水滸会』の突然急遽の中断を、最も苦しみ悩んだのが、この二人であった。
(これは、内緒話であるが… 急遽の中断は今も続いている。    が… 
遮二無二の持続も叶わぬ 諸般の事情も、是は無くはない)

これは、上記に深く関連する事であるが…。
今日。本日(6月5日午後・於 公園)。くだんの『T支部長』に実際に話した。
『Ⅰ水滸会』…いつまでも「中断」は、チト困るのではないか。…と。
これには『T支部長』も、即答ならず 困っていた。
『どうしたものか…』 二人の悩みは、当分続きそうである。





 2012年06月06日 (水) 10時20分  

2012年(平成24年)6月6日は『牧口常三郎創価学会初代会長』の生誕の日である。
「聖教新聞」連載の『新・人間革命』に於いて、「牧口先生」に関する御記述が開始されたのが…
本年の5月21日であった。  ワシなんぞが「大事であるから保存しておけ」と言ったものである。

『牧口先生』の御生誕は、明治4年である、という事は「太陽暦」が一般に起用される壱年半前となる。
したがって、この『御生誕の6月6日』を、「旧暦」と但し書きをしておられるのだ。
すこし余計な事かも知れんが…   6月6日が新暦では「7・3」となる。とは、 誠に不思議ではある。

以下。大きく割愛した概略で恐縮するが…、
『新・人間革命』では「虐げられた守子(子守の子供にも容赦なき差別)」を、大きなテーマとし。
その「虐げられた庶民の子供」を最大に守護する事を、生涯の指針とした『巨人・牧口先生』を細描している。

感動のエピソードが、幾重にも綴られる中で、輪郭が見え出す物がある。 それが『正法』である。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が着目した『未曾有の方程式』とは、『日蓮仏法』への直射であった。
この、都合五~六回に分筆された『牧口常三郎論』が、
最近では滅多にない「保存文章」だと決め付けた所以がここに在る。

『牧口先生』は柏崎県刈羽郡荒浜村で御生誕とある。
この地は『日蓮大聖人』が「竜の口法難」直後、「依智」経由で着かれた『寺泊』(寺泊御書 951P)に至近である。 

又。『日蓮大聖人』が、この地(寺泊)に到着されたのが1271年(文永8年)であられ。
『牧口先生』の御生誕が、その「六百年後」の1871年である。
こういう部分を、やれ「偶然」だの・「たまさか」だの…と、言っている様では『森羅万象』をナメきっておる。

『戸田城聖第二代創価学会会長』『池田大作創価学会第三代会長』に比べて(くらべる如きではないが)
若干、情報の少ないきらいの『牧口常三郎創価学会初代会長』が、ここにきて「巨大」なる御姿・御存在となる。

故に「愚壮」は声高に訴えるのである。 
「牧口先生の事は、特段。謹んで勉学・研究・保存せと。」…と。

『牧口常三郎創価学会初代会長』の総ての御足跡を真摯に学ぶ中でのみ、
『師匠』及び『師匠の師匠』が、俄然浮上する。
極言すれば、『牧口常三郎創価学会初代会長』を学ばない「師弟論」は『煙』の如きで、
何の値打ちも、意義も…ましてや説得力も無いのである…と、決めて『学べ!』。
…それが 『創価学会』である。





 2012年06月07日 (木) 04時39分

牧口先生の少年期の記述には、【 養父のもとで働く事になった(彼は)成績優秀であった(ので)
周囲から才能を惜しまれ、進学を勧められたは、家庭の事情がそれを許さなかった。】 とある。
牧口少年も又。働く為、食い扶持を得る為に生きていたのである。

その「牧口少年」が、小樽警察署で給仕をしながら。勉学に励めるように状況が好転している。
直後記載の「北海道尋常師範学校」第一種生入学に至っては、卓抜を放置しない『救い・糺眼』を見る。

牧口先生が「北海道尋常師範学校」を卒業されて、教職に就く事自体が『創価学会』の胎動と見てよい。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が決められているが如く、牧口先生の人生そのものが「昇華」されていく。

その代表が『人生地理学』の出版である。 この概要に関しては『新・人間革命』を参照されるとして…
筆者には、『人生地理学』とは『地湧(涌)の菩薩の義』に直結してならない。

とまれ。「牧口先生」は自署『『人生地理学』を引っ下げて、上京している。
この頃、福井県の海辺の街『大聖寺』で、戸田先生が御生誕されている。

牧口先生が、東京・本所「三笠尋常小学校」の校長に就任したのは、1920年(大正9年)である。
『新・人間革命』には書かれていないが…この年の4月24日「戸田先生」は夕張から東京に飛んでいる。
つまり『牧口・戸田』という、稀有の師弟がこの地で邂逅していたのである。
『創価学会』の産声は、『東京・本所』であったのだ。

後の『牧口常三郎創価学会初代会長』をして、「価値論」と『日蓮仏法』との融合こそ『彼の全人生』と言える。
それが…今回(2012年5月21日からの五・六回)の『新・人間革命』の記述である。
ゆえに、もう一度言っておく。  保存するように…。


扨(さて)も。人生とは辛く儚く短いものである。
以下の御訃報は、昨日(2012年6月6日)の事であった。
『ヒゲの殿下』と万人に親しまれた『三笠宮寛仁(ともひと)親王』が御薨去となられた。享年66歳という御若さであられる。
この際。誤解を招く「語呂合わせ」は絶対に不適当であるが、『三笠』とは…実に由緒の正しい語句である。





 2012年06月08日 (金) 05時56分

秘話『忘れ得ぬ風景』
2008年10月27日付の投稿は、爾後約4年の空白『風景』の締めである。 それが以下だ。

(  2008年10月27日 (月) 11時06分
今年の夏が、特段に「猛暑」等ではない…と。 私は納得していた。
『どうやら ワシの方にガタが来ている』 これなら納得であった。(中略)
そんな「風景」は、面白くもなんでもないじゃろうが…
ワシの生涯では此の「風景」。きっと上位にランクと思うのである。
以上。  長文。且つ駄文であったが、
是非とも、御読み戴きたい。と、書きました。  愚壮遺す  )

最後尾の「愚壮遺す」は… 
『この投稿が最後になるかも知れない』という危機感が、無意識のうちに『遺す…』を使ったのであろう。

これ(上記の投稿)が、2008年10月27日 (月) 11時06分であった…。   

しかし、この投稿文章が発表されたのは2010年11月09日である。
〈 愚壮さま  遅くなりました  2008年10月27日の稿 風景に載せました 
 お約束の「書き続ける」を お待ちしています  2010年11月09日 (火) 23時57分 〉

『風景』全体を、命懸けで護られた『一人の人』は…最後になるかもしれない原稿を「二年間」も保持された。
実際同時に、多くの同志の暖かき御激励に触れているが。 私にとって、この「二年間」の御信頼以上の感謝はない。
これは、只事ではないのである。 
つまり…(もし復帰して、今後も投稿を続けるのであれば)
「絶対に、文章全体の責任性・正確性を死守しなければならない」のだ。
「表現が違うようだが、言っている事は「本筋」で間違っていない」これは…多様な価値観の中では「大難事」である。

その煩悶を打ち消すが如くの…  「寒風の中の毅然」を、愚壮は見る。
それが、私の逡巡を「蹴散らした」のである (以下)

〈 2009年11月02日 (月) 22時09分
突如としての寒波到来に 桜を仰ぐ
木々の揺れる中で
その桜は紅葉し 強風を受け流す (以下 略)〉

2008年10月27日の投稿は、予めの予測でも、起こり得る事への期待でもない。
『何故、氏(『初代 K市 I 圏長』)は非常時に、私宅に来られたのか』 
この一点が、話の本筋を露呈させたのである。…と。 これは、今も思っている。

極言はこうである。『師弟』とは「順風満帆」の時は、放っておいても生きている。
問題は『瀕死の中の貫徹』である。





 2012年06月08日 (金) 19時19分

≫「表現が違うようだが、言っている事は「本筋」で間違っていない」
≫せめて、最低上記の事くらいは、守り貫く可(べ)きである。


もう一度(もう一度だけ)確認しておく。
『初代 K市 I 圏長』は、あの炎暑の中。何故『愚壮宅』に来られたのか。
氏の周辺には当時。多くの『壮年幹部』が実在していた筈である。
が…しかし。『初代 K市 I 圏長』は既に『鬼籍』に入られている。 確かめも侭ならぬ。


当時の愚壮の特筆は『絶対に曲がった事・理屈に反する事』を梃子でも認めない事であった。
梃子(テコ)でも駄目。とは、誰が来ても『駄目なものは駄目』という事だ。
…これが『愚壮』こと私を、コチコチに凝り固めた「オッサン」にした。
「オッサン」の癖は、口を開けば『謗法厳戒』である。
この『謗法厳戒』なんぞは、総本家の宗門でさえ、トックの大昔に忘れ去った『宗門(宗教)の根幹』である。

閑話休題 。
『T支部長』とは、20代の真ん中くらいからのつきあいで…『忘れ得ぬ風景』にも何度も顔を出す。 
「愚壮」にとってこの人は、つまり「刎頚・竹馬」の括りでも通用する『同志』である。

この『T支部長』が、職場の近くの公園で言った。
「4日(月)の「県」の地区部長会に『Y氏 (O長)』が担当幹部で入った」
『Y氏(O長)』 若き「次代の人材」として確たる幹部である。 ※(O長)の「O」とは地名を言っている。

他の人の 『Y氏 (O長)』の「評価」。    これには、全く興味はない。
但し。私の評価は良好とは言えぬ。
それは…随分以前の※『K長』辺りから、柔らかいのか硬いのかが不明の人である故だ。
※『K長』⇒これも地名。現在のK市
私が地区部長時代の頃。座談会の担当を要請したが、 非常に手続きの煩雑な「幹部」で困った経緯がある。

この『Y氏 (O長)』の不運さは、
「絶対に負けた事のない戦い」を、衝撃の敗戦に追い込んだ時(2009年8月)の「長」であった事である。

「『絶対不敗』を虚言にした責任者が、あの屈辱から三年も経ない時期の会合に、御登場かね?」
とは、その時の『T支部長』の会合の話への、皮肉たっぷりの『愚壮』の言い分であった。

私は続けた。「さしずめ話は、過日(2年9ヶ月前)のあの「法戦・敗戦」の総括に及ばれ、謝罪された事であろう」

『T支部長』は即答された。「そのような愁傷な言葉など、ある訳も無い」…。
つまりは、誰一人として、重い責任など「負おうとしない」どころか…深く反省して噛み締めていない。

…あの時、深く苦しまれていたのは『池田先生』御一人のみであった…とは、
周りの、その類(たぐい)の御偉方の言動で 容易に見当が付くのである。
否。これが『創価学会の大幹部達』の実態・不抜の構図だ。と言い切るから…
皆はワシの事を、やれ『幹部批判』だの 『学会批判』だのと、出来損ないの鸚鵡のように垂れ流す。

しかし。言っておく…。  この事を含めて、「無垢・無辜」の草創の同志の方々は見ておられる。
健気なる『学会員さん』の御諸賢の皆様が、ジッと『師匠の御振舞』と「貴様らの付け焼き刃」を見ているのである。
伊達や酔狂での「草創⇔長期間」ではない。  つまり…インチキ幹部は見透かされているのだ。 

…と書く愚壮は…  「今日は機嫌が悪いから言う」のではなく。
言わなければ、「ノサバル」から言っておるのだ。





 2012年06月09日 (土) 06時26分

『跳梁跋扈』という言葉がある。
一体 何者が、我理を申し通して「跳梁」し、黙殺しても「跋扈」するのか。
この輩を指して、「己心の魔」と一括して言い当てている。

「己心の魔」は、ソロリと御出現などせず「跳梁」する。
いわば、所在が定着していない。 まったく「跳梁」であり『蚤』である。
否。『蚤』では、当の「蚤」に申し訳ない。…と、  付けた名前が『魑魅魍魎』である。

結句はこうだ。
『魑も・魅も・魍でも・魎でも』皆是れ、「己心發」の産物であり、性善者の突然変異なのである。

『日蓮大聖人』の抹殺を、本気で画策した人物の類似は、近代には存在しないのか。
答えは『厳然と存在する』である。

では 誰か。
それは言えない。 言い当てれば、必ず最悪の展開になるからである。

否。もっと…。  事は深くて複雑である。
例えば…『キング博士』は最悪を言い当てた直後、暗殺された。
『ガンジー』とて同じ枠内である。     

誠に残念であるが… 
「殺戮」による「あらゆる諸活動」への終止符ほど、簡単で効果的で能率的なものはない。
…と。 歴史の暗部は、あの独特の濁声(ダミゴエ)で語り残そうとしているのだ。

『正』と『邪』との闘いである            …所詮。
であるから、『正しい側の内に生息する悪』を指摘・指弾しているのだ。

『理想』は、言い放すのみの「無責任」に安住している。
そのうえで、「正鵠を射る(無責任への指摘)」の論者を     巧みに疎外しゆくのである。
何故か。 そのほうが、断然 居心地が良いからである。

『居心地』の良否を求める組織の末路は、『崩壊』が確実に襲い来る。
『創価学会』とは、正史を紡ぐ通過点にある組織である。  後世(こうせい)を慮(おもんぱか)れ。
「真の伝持の人」たるの「使命」は、 『これでよいのか』と、再度我が身を「糺す」事である。


今日。 その『父君』との永別に、甚深の達観の同志(盟友)の書を拝す。
引用は直近なれども、結論は高潔遠望なり。 これぞ『創価』である。

閑話休題。
昨夜。『H氏(B長さん)』が来宅されて、こう言われた。
「明日(9日)の座談会。宜しくお願い致します」

私は言う。
B長さん。わざわざの御連絡、勿体無い事です。
その用件は、電話で『明日の夜、座談会に来い』で充分です。と申し上げた。

B長さんは言われた。
『それは、愚壮さんはそれで良いけど、こっちが駄目です』

慇懃無礼  そうです。「慇懃」すぎるは 「無礼」なのです。
                    …正論です。





 2012年06月09日 (土) 10時45分

『謗法厳戒』は鉄則である。
大白2011年3月号「上野殿御返事」(勝利の経典「御書」に学ぶ、第26回 抜粋)
謗法呵責は、人間の可能性を閉ざす諸宗に向けられているが、
法華経以外のすべてを「直ちに謗法と断ずる」ものでない、とある。
逆に、直ちに謗法とすれば、
僅かながらでも残されている「可能性」をも否定することにつながる。
(※ここで言う「可能性」とは、元々無智・元品の無明から出たもので、性善である事だ。)
(それとも ここに言う「可能性」とは、先祖伝来の宗教を「謗法である」と『嘘』をついてくれた
学会員さんに対して、目出度く入会する「可能性」なのか…。 これは嬉しくない )

法華経以外のすべてを「直ちに謗法」と断じた側も、謗法となり、独善の塊になる。
(※法華経の中に『随方毘尼』という方程式が確在する事を認識し、踏まえた上で言っても。
この隙間を縫って 『師匠が外道をも認めている』 と言うが如きの「ヨタ」が蛆虫よろしく涌くのだ。)


学会の宗教革命の基準は「人間のための宗教」の実現。民衆の幸福を目指す宗教の復権で、
これを基調とし、平和・文化・教育の運動にも高めて実証を示して来た。
(※ 人間の幸福を目指す宗教の復権の為に選んだものが『謗法厳戒』の破棄(弛緩か?)である事か。
「人間のための宗教」と称して、盲説をブチ撒いて来た「似非宗教家」を、私は「謗法」と呼んでいる。 )

主体者は学会で、依拠とするものが法華経、いや、末法では御書にほかならない。
(御書が御書としての体裁を整える為に、いかに膨大な資料として『経典』が繙かれたかは既に御存知)

が、仮に御書、御書と一方的に主張しても、
(この御記述は、一見、事有る毎(ごと)に『御書』に言及する論法を推奨しているようで、
実は、最も激しく『御書』そのものを卑下しているものである)

思想性や哲理性で相互認識、理解を持たない限り、議論は空理空論に陥る。
( 上記は、目晦(くら)ましの論法で、言いたい事は『(三つ目の)一方通行への警鐘』であろう
しかし、併せて言っておきたい。   ネットでの『対話(相互認識)』は「貧困の思想の炙り出し」に落着し
揚げ句の果ては『空理空論』と対手を罵倒するからだ。 )


ゆえに、社会に開かれたコミュニケーションの「基準」が必要となる。
正論の発信とあくなき対話の展開、現実相での実証を目指すのが、
学会の、人間のための理念に基づく行動。その行動基準は、日蓮仏法の大哲理に揺るぎなく根ざしている。
( 上記の為に、『日蓮仏法』の集大成でなければならない『御書』の更なる「超克」を期す。
余計な事だが    誰が、『創価学会』を ここまで潰したのか…と、嘆きながらの記述である。 )

最後に、諸悪の根源たる『念仏・弥陀』の誑惑に関する「断簡」を紹介する。

【 同時に二仏に亘るか 将(は)た又 一方は妄語なるか
近来 念仏者 天下を誑惑するか、早早 御存知有る可きか。 (後略) 】 
『石本日仲聖人御返事  1454P』   (断簡





 2012年06月10日 (日) 07時28分

【 ※経文に我が身・普合せり 御勘気を かほれ(蒙)ば・いよいよ悦びをますべし
例せば小乗の菩薩の未断惑なるが 願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども
父母等の地獄に堕ちて 大苦を・うくるを見て かた(形)のごとく 其の業を造って
願って地獄に堕ちて苦(くるしむ)に 同じ苦(同苦)に代れるを悦びとするがごとし、
此れも又 かく(※印の一連の御記述の事)のごとし
当時の責(せめ・苦の実態)は た(耐)うべくも・なけれども
未来の悪道を 脱すらんと・をもえば 悦びなり。 】『開目抄上 203P』

【 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦を受くるは 悉(ことごと)く是 如来一人の苦なり」等云云、
日蓮云く 一切衆生の同一苦(同苦)は 悉(ことごと)く是 日蓮一人の苦と申すべし。 】
『諌暁八幡抄 587P』

【 第十六 我亦為世父(がやくいせぶ)の事
【 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦を受くるは 悉(ことごと)く是 如来一人の苦なり」等云云、
日蓮云く 一切衆生の同一苦(同苦)は 悉(ことごと)く是 日蓮一人の苦と申すべし。 】
『 御義口伝下 758P』

【 尼ごぜんの御所労の御事  我身一身の上(正しく同苦)と をもい候へば
昼夜に 天に申し候なり、 】 『富木殿御返事 978P』

【 いかなる事も 出来 候はば 是(これ)へ御わ(亘)たり あるべし 見奉らん・
山中にて 共に(同苦の極限) うえ(餓)死に し(仕)候はん 】『乙御前御消息 1222P』

『法華経本門』の「同苦」に比類する物がないという御聖訓がある。
それが ⇒ 「治部房の祖母」への御書とされる『盂蘭盆御書 1427~1430P』である。
【 全文の通解 ⇒ 例えば ⇒ 浄名経(維摩経・ゆいまきょう・小乗経を痛烈に破折した大乗仏法)にても
目連は「貧道の母」を済度できなかった事をあげて、
『法華経』以外の「諸経」で祈るところの、一切衆生救済が「不可能」と説く。
かの『平清盛(太政大臣)』さえ、如何ともならなかった「法門」が『法華経以外の仏法』である。
この事を ⇒ 『悪の中の大悪』と断言されている。  以上⇒『盂蘭盆御書』

逆に拝せば ↓ 
『法華経(御本尊)以外の「爾前の諸法」に、寸毫の活路(悪法にも良い部分があると言う事)を…
認めたり、求めたりする者は 最早。『日蓮仏法』の末裔でもなんでもない。
これは。『法華講』『日顕宗』『日蓮正宗総本山:富士大石寺(宗門)』『創価学会』等々という、
一連の『日蓮仏法』の範疇・分類から、自分自身の離脱を確定した重大なる事実である。
勿論。『創価学会員』を名乗る事などは、『自ら否定している、大明白の事である』

ある人々が (これは誰にも平等に…) ある人々の『苦悩』を、自分の「苦」として「悩む」
そして、「苦悩」の中に「打算・計算・演出」がない限り、彼と共に苦悩して往く。(とことん行く)
これが「同苦」である。   しかし、是れでも尚。漠然の域は脱していない。

何故「漠然」か…。   
異議もあろうが言う。  それは、『願兼於業』が抜け落ちておる。
『仏法』・就中『創価学会』とは、 その部分を強調し実践してきたのではなかったか。

今。それさえも、消えつつある…と。申しておるのだ。





 2012年06月10日 (日) 16時06分

『同志誹謗』とは、卑近な例だが『飲酒運転』である… そう 『一発アウト』なのじゃ!

【 譬喩品の十四誹謗も不信を以(もっ)て 体と為すせり  今の念仏門は…
不信と云い 誹謗と云い 争(いかで)か 入阿鼻獄の句を遁(のが)れんや 】
『 念仏無間地獄抄 97P 』  引き続きの御記述を書す。
【 其の上 浄土宗には 現在の父たる教主釈尊を捨て 他人たる阿弥陀仏を信ずる故に
五逆罪の咎(とが)に依って 必ず無間地獄に堕つ可(べ)きなり、 】
「同志誹謗・十四誹謗」は「念仏者」が常に行う得意技なんだ。だから『謗法厳戒』なのだ。という事。

【 夫(そ)れ 以(おもんみ)れば 法華経第四の法師品に云く
「若し悪人有って 不善の心を以(もっ)て 一劫の中に於て常に仏を毀罵(きめ)せん
其の罪 尚 軽し
若し人 一つの悪言を以(もっ)て 在家・出家の 法華経を読誦する者を毀呰(きし)せん
其の罪 甚だ重し」 】  『法蓮抄 1040P』

【 末代の法華経の行者を 怨(あだ)める者は 何(いか)なる地獄に堕つるや、
答えて云く 法華経の第二に云く 「経を読誦し書持すること有らん者を見て
軽賤憎嫉(きょうせん・ぞうしつ)して結恨(けっこん・うらみきめる)を懐かん 乃至
其の人 命終して阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫 尽きなば 復(また) 死し
展転して 無数劫に至らん」等云云、  『法蓮抄 1042P』

【 …夜廻りの殿原は・ひとりも・たのもしき事は なけれども・
法華経の故に 屋敷を取られたる人々なり、常にむつ(眤・昵懇)ばせ給うべし、
(中略)吾方(故有りの、あの方たち)の人人をば 少少の事をば・みず きかず あるべし】
上記は「法華経」故 『日蓮大聖人』の門下故に、家・屋敷を没収されてしまった「同志」にも、
一切の差別的な言動(同志誹謗)を強く禁じた御聖訓である。 『四条金吾殿御返事 1169P』

【 …鎌倉の えがら(荏柄)夜廻りの殿原には すぎじ、 いかに 心に あはぬ事ありとも
・かたらひ給え  】 『 崇峻天皇御書 1172P』

【 又 法華経をば 経の如く持つ人人も・法華経の行者を 或は貪瞋癡(どんじんち)により
或は世間の事により 或は・しなじな(品品)の ふるまひ(振舞)によって憎む人あり、
此(これ)は法華経を信ずれども信ずる功徳なし かへりて 罰(ばつ)をかほるなり 】
『 日女御前御返事 1247P 』

【  「若しは在家にてもあれ 出家にてもあれ、 法華経を持ち 説く者を…
一言にても毀る事あらば 其の罪 多き事、釈迦仏を一劫の間…
直ちに毀り奉る罪には勝れたり」 と見えたり、 或は(この事を)
「若実若不実(にゃくじつ・にゃくふじつ⇔本当であれ・嘘であれ)」とも説かれたり、

之れを以(もっ)て 之れを思ふに 
忘れても法華経を持つ者をば 互に毀る べからざるか、
其故(そのゆえ)は 法華経を持つ者は 必ず皆 仏なり
仏を毀(そし)りては 罪を得るなり。 】 『 松野殿御返事 1382P』

『御書』は絶対だ。 これに異論など ある訳がない。
上記抜粋は、そんな『御書』御記述の、ホンの一部である。 

あ。 言っとくが、『同志誹謗』とは、「行住坐臥」に亘っての警鐘。
特別の減免処置・減刑処置なんぞは、悪いが無いよ。





 2012年06月11日 (月) 06時04分

『演繹と帰納』
『日蓮大聖人』の仏法は、「帰納法」で拝す…
先輩が御教え下さった、この言葉は。  聞いた瞬間から「心」に刻印された。

生まれつきの粗雑・薄学で、ともかく「学問」に一切、縁の無かった私は、
当然。上記『演繹と帰納』の本意を知らない。

唯。『演繹』は ⇒ 物事・事象の沿革を、始点から順次に説き。
『帰納』は ⇒ 先ず。その提起する事の、結論を言ってしまう。
…と。 甚だ「非弱」な覚え方で、こんにちまで来たが。

しかし。 この潰れかけた「脳味噌」にさえ、ハッキリと残っておるのが『帰納』だ。
これは確か…「戸田先生」が こう言われた中に在った。
『仏法・就中  「日蓮大聖人」の仏法は、 先ず「結論」を言ってしまう事だ』
『これは、「帰納法」と言って、全哲学の二大形態のひとつだ』
概ね、この様であった…。

そこで、恥も外聞もなく、その通りに『御書』を拝した。
これは勿論。「愚壮」だけの秘密で、皆には言わず。内緒で行った。

教材は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』の巻末である。(いずれも 254~255P)

【 (ゆえに…)仏・大慈悲を起こし 五字(妙法蓮華経⇔御本尊)の内に此(こ)の珠を裏(つつ)み
末代(五番目の五百年以降時代の一切衆生)幼稚の頸に懸け さしめ給う、
(上行・安立行・浄行・無辺行の)四大菩薩の 此(こ)の人を 守護し給わん 】

↑…という事は、こう言い切っても過言ではない。
【 「智人は起(物事の発端・縁起)を知り 蛇は自ら蛇を 識(し)る」等云云、
天 晴れぬれば 地 明かなり 法華を識(し)る者は 世法を得可(べ)きか。 】

↑…と。 当然の進捗で『帰納』されている。

それでは、何故、必然と。そうなっていくのか。 (『御書』の展開の凄さが、ここにある)

それは。こういう事が、そうさせるのだ。↓
【 此(こ)の時 地涌千界出現して 
本門の釈尊を脇士と為す一閻浮堤第一の本尊 此(こ)の国に立つ可し
月氏(インド) 震旦(しんたん)に未だ此(こ)の本尊 有(ましま)さず 】

上記一連の究極の御記述に、『…だから …何の為』という骨組の論旨がある。
「…なぁるほど…」と、御書を閉じる。

一生涯で、何万キロと遊弋する『鮪』に向かって…
「田植」だけの時期に、溝から溝へ必死に泳ぐ如きの「愚壮鮒」が物を言う。
誠に、御笑いであるが、聞いて頂きたい。      と、記述した。





 2012年06月11日 (月) 09時52分

『落とし穴』
これの規模(大きさ)は、戦車をスッポリ落とせる物から、小さなケダモノの罠まで…種種雑多だが。
事。『仏法』に関する「落とし穴」は、これは笑い事ではない。

何故。「笑っている場合ではない」のか、というと。
「仏法の落とし穴」に限って、自身が『既に自分は堕ちている…』という認識がないから困るのだ。

その危険性を顕されているのが『御書』である。
ここに言う「危険性」とは、皆が共通に『堕ちる資格』の所持者である…という、幅の広さだ。
「…皆が堕ちる」 これは、聞き捨てならぬ…と。 『御書を繙く』

【 止観に云く 「若し信無きは  ※高く聖境に推して 己が智分に非ずとす、
若し 智無きは 増上慢を起し 己れ仏に均(ひと)しと謂う」等云云、 】
上記の通解は、要らんじゃろう   『 開目抄下 226P』 
唯 言えば。 (※高く聖境に推して)とは、『ある高説を展開するには、
その(説く人の)境涯からして讃嘆・推挙すべきである…と。謙虚であれ』とする。

今少し難度の高い『落とし穴』を学びたい。
【 (宗派毎の雑多の本尊を示した後の問い)何ぞ天台宗に 独り法華経を本尊とするや、
答う 彼等は仏を本尊とするに 是は 経を本尊とす 其の義あるべし、
問う 其の義 如何  仏と経と いずれか勝れたるや、
答えて云く 本尊とは 勝れたるを用うべし、(中略)仏家にも又 釈迦を以(もっ)て本尊とすべし。
※問うて云く 然らば汝云 何ぞ釈迦を以(もっ)て本尊とせずして 法華経の題目を本尊とするや。
答う 上(かみ・先述)に挙ぐるところの経釈(経典の解釈)を見給え(この釈は)私の義には あらず
釈尊と天台とは 法華経を本尊と定め給へり、 】
だから、私(日蓮大聖人)も本尊を法華経(題目)なのだ。との御金言である。『本尊問答抄 366P』


以下は『堂々の切り返しである』(『落とし穴』関連)
【 …疑って云く  法華経の行者を あだ(怨)む者は頭破作七分と とかれて候に・
日蓮房を そし(毀)れども頭も われ(割)ぬは日蓮房は法華経の行者には あらざるか 
…と申すは道理なりと をぼへ(覚える・認識する)候は いかん、
答えて云く 日蓮を法華経の行者にてなし と申さば…】と「邪僧」の名前を実際に挙げて
痛烈に「破折」されている。   『 種種御振舞御書(佐渡抄) 924P』

「邪僧」の名前 ⇒ 法然(念仏) 弘法・善無畏・慈覚(真言)

『落とし穴』の表現は、あまり感心出来ない?  ふん。 何とでも言え。
日がな一日 仏門に居た『宗門』の大半が、この『落とし穴』をも見抜けなかった。
『出家』が上品で『在家』が下輩。 この感覚が拭いきれなかったのは、一体誰じゃ。

『法衣(衣)の権威』に、一瞬でも寄りかかった「創価学会」の反省は否定しないが、
能天気に、別世界の幻を追い求めた『宗門』の百害は一利とて見出せぬ。

少なくとも、『訳の解らぬ御託』を速(すみやか)に廃して、宗教家らしく振舞え。
「時間切れ目前」が、まだ解せぬのか…と。 嘆いている。


話題は変わるが。
最近の私は、ずっと「京都」だ。
「京都」というところは、さすがに「寺社・仏閣の天地」とあって、凄い規模の物量である。
その中で 『西本願寺』の正面を毎日走る。
この『本願寺』の正面には、概意こうある
「あの大震災の総ての被災の皆様の、一日もの復旧・復興を祈ります」

全ての人々と同じく 「愚壮」もまったく同じ苦悩であります。
どうぞ、国を挙げての「復旧・復興」でありますように、  祈ります。

(次回も『落とし穴』である)





 2012年06月11日 (月) 16時50分

≫ この『本願寺』の正面には、概意こうある


早速、確かめたら『被災の皆様の苦しみに寄り添って…』とあった。
まったく言われる通りである。
「日本国全体」で寄り添うべきだ。





 2012年06月12日 (火) 05時12分

『落とし穴』Ⅱ
【 (問者⇔客 業を煮やして言う)…問うて云く 汝(日蓮大聖人の事)が義の如きは
我が法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭(てんぺんちよう)等あり  と、
(例えば…経文を引用して)⇒ 法華経の第八に云く「頭破れて七分と作(な)らん」と、
法華経の第五に云く「若し人 悪(にく)み罵(ののし)れば 口則(すなわ)ち閉塞す」等云云、
如何ぞ数年が間・罵(のる)とも 怨(あだむ)とも 其の義なきや、】 ←ここが『落とし穴』の真骨頂 

『日蓮大聖人』の反問・切り替えし(破折)は、 「あくまでも冷静」の中に、有無を言わせぬ冷厳がある。
【 答う 反詰(はんきつ)して云く 不軽菩薩を毀呰(きし)し 罵詈(めり)し 打擲せし人は
口閉頭破(こうへい・ずは)ありけるか 如何、 】

然し問者は…。それでも未だ、たたみ掛ける様に、こう続ける。 
【 問う 然れば 経文に相違する事 如何 】↓通解文
(不軽菩薩を毀呰・罵詈・打擲した人の、口閉頭破なきは 経文に反するのではないか)

そこで再び『日蓮大聖人』は 深き法理を説かれる。
【 答う 法華経を怨(あだむ)人に二人(二種類のパターン)あり、
一人は先生(せんじょう・元々)に善根ありて 今生に縁を求めて菩提心を発(おこ)して
仏になるべき者は 或は口閉ぢ 或は頭破る、

一人は先生(せんじょう・元々)に謗人なり(※ 此(こ)の人を「未生怨」といい「日顕」である)
(未生怨の人は)今生にも謗じ 生生に無間地獄の業を成就せる者あり
是は のれ(罵)ども 口則(すなわ)ち閉塞せず、
(この以下の御聖訓を 正しく咀嚼せよ)⇒ 譬えば 獄に入って死罪に定まる者は
獄の中にて 何(いか)なる僻事あれども 死罪を行うまでにて 別の失(とが)なし、
ゆり(免・免罪)ぬべき者は 獄中にて僻事(悪事)あれば・これをいましむるが如し 】

本抄は、この直後で完了しているが、問者の「発心」の言葉は、いかにも深い。
【 問うて云く 此(こ)の事 第一の大事なり 委細に承るべし… 】『 法蓮抄 1054P』

『落とし穴』は更に続く…。





 2012年06月12日 (火) 06時08分

『落とし穴』Ⅲ
「即身成仏」は唯 法華経に限る」…。  
この根幹中の根幹に 難癖をつけたのが『真言宗(大日経・金剛頂経)』であった。
どこから挑んでも「法華経」には勝てない。と、悟った「問者」は、時空の限定部分を持ち出す。
【 求めて云く 慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり…(伝教:西暦806年比叡山延暦寺建立)
(それにひきかえ) 汝(日蓮大聖人の事)は四百余年の年紀をへだてたり 如何 】

次下・答えて云く 【 師の口より伝うる人】からの六行は(煩雑を厭うて全文不記)非常に重要である。
つまり…
[ 師匠の口伝を誤りなく後世に伝えたのか。
…であれば、何故 伝教の宗風(天台)が、慈覚によって「真言臭」に成り下がったのか ]
これが、本抄のこの部分(6行間)の急所である。
諸兄等は、どう読まれているのか。「愚壮」が聞きたいものである。

本抄結びの、【 遅々せさせ給いて 日蓮をうらみさせ給うなよ 】を、軽く読み流しては いけない。
以上 『 妙一女御返事 1258P』 抜粋





 2012年06月12日 (火) 19時35分

『西本願寺』の被災者への想い…。 これは誰もが同じである。
然し。『法理』を云云する時は、 誠に残念であるが、「念仏系・浄土宗系」では根本的に堕獄である。
【 専修念仏の行は 諸宗衰微の基なり 】とは『念仏無間地獄抄 101P』の御記述である。

『日蓮大聖人』は、その『御書』に於いて 「念仏」に対して峻烈に「破折」をされている。
一部を抜粋して、『念仏宗』の害毒を確認してみる。
これは、ひとえに『謗法厳戒』が何故『日蓮仏法』の最右翼かを学ぶ為である。

【 三昧発得(さんまい・ほっとく ⇒ 自身の静観を完成した僧)の行者・
生身の弥陀仏と あが(崇)むる善導和尚・五種の雑行を立てて
法華経をば千中無一とて 千人持(たも)つとも一人も仏に なるべからずと立てたり、
(中略)善導の言と 法華経の文と 実に以(もっ)て 天地雲泥せり 何(いず)れに付くべきや
就中 其の(念仏の)道理を思うに 諸仏衆経の怨敵・聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり、
経文の如くならば争(いかで)か無間(地獄)を免(まぬか)るべきや。 】『聖愚問答抄上 481P』

【 今の世を見るに 正法一純に弘まる国か 邪法の興盛する国か 勘(かんが)ふべし、
然るを 浄土宗の法然は 念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ 善導は法華経を雑行と名(なず)け
剰(あまっさ)え千中無一とて千人信ずとも 一人得道の者 あるべからずと書けり 】
『聖愚問答抄下 495P』

ここで確認すると。
『千中無一』と、最も口汚く『法華経』を誹謗しているのが「専修念仏」である。

【 父母の面(顔)を ふ(踏)み  天子(帝⇔天皇)の頂(御頭)を ふ(踏)むがごとくなる者
・国中に充満して 上下の師と なれり 】 『瑞相御書 1142P』

【 日蓮・涅槃経の三十二と三十六を開き見るに 
(念仏・浄土とは⇒)誹謗正法の一闡堤常没の大魚と名けたり 】『 浄蓮房御書 1433P』

兎に角、言い切れる事は…。  『念仏』と冠する物・語句には、ろくな物が無いのだ。





 2012年06月13日 (水) 05時17分

『念仏』の事 (順不同)
【 浄土門は 春 沙(いさご・砂)を田に蒔いて 秋 米を求め
天月(実際の月)を捨てて 水に(写る・虚像の)月を求るに似たり 】
『題目弥陀名号勝劣事 112~113P』


【 当世に父母を殺す人よりも 謀叛を をこす人よりも (中略)
然公(法然の事)が 念仏を さえず(囀)る人人は・をそろしく候なり。】
『 十章抄 1275P』


【 南無阿弥陀仏を 無間地獄の業なりと申し候ゆへに・食に石を たひ(炊)たる様に・
がんせき(巌石)に馬のはね(跳)たるやうに・渡りに・大風(この場合は逆風)の吹き来たるやうに
じゅらく(聚落・村落)に大火のつきたるやうに・(中略)をどろ(驚)き・そね(嫉)み・ねたみ候 】
『 中興入道消息 1332P』


【 然るに今世にして 法華経は機(衆生の機根)に叶はずと云い
うとめて西方浄土にて 法華経を さとるべし と云はん者は 阿弥陀の浄土にても
法華経を さとるべからず 十方の浄土にも生るべからず、
法華経に背く咎(とが)重きが故に 永く地獄に堕つべしと見えたり、
其人命終入阿鼻獄(ごじんみょうじゅ・にゅうあびごく)と云へるは是なり。】
『 法華初心成仏抄 553P』


上記は『御書』に於ける「念仏破折」の、極々一部である。(多すぎて書けん)
ここに来て、『念仏を冠する諸事』に帰依するが如きは、『獅子身中の虫』であり。
『師敵対』という、永遠の不名誉を被(こうむ)る事であろう。    為念





 2012年06月13日 (水) 05時41分

『贈! ブラジル広布の母へ』
シルビア・E・サイトウ女史  1983年(昭和58年) 4月28日 逝去  享年57歳

【 多くの月日を送り 読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空(大空)にも余りぬべし 】
『 通解:これまでの多くの月日の間、日夜読誦実践している所の 妙法の功徳は
大空にも 余っているであろう 』   【 四条金吾殿御返事 1194P 】

上記は『池田先生』が贈られた『御書』の一節である。 彼女の生き様とは『御聖訓』のままである。
立宗宣言から、七百参拾年目の時の御逝去であった





 2012年06月13日 (水) 09時49分

『ブラジル広布の母』の誉れも高き、シルビア・E・サイトウ女史に触れた。
そこで、『日蓮仏法(法華経)と女性』に(恐る恐る)言及する。
…何故、恐(おそ)るるのか。  それは、言い間違えると トンでもない事になるからである。
然し。 猛然と『恐(おそ)れず』挑戦する。  (但し 抜粋文は全部『御聖訓』引用であるので念の為)

そこで。これこそ『創価の女性なり』と断言の『御書』を拝読して、
出来るだけ叱られぬ様にしよう…と、「愚壮」は、どこまでも姑息である。

【 女人の御身・男にも をくれ(遅れるとは、全福運への遅れ・差別の事:爾前の骨子である)
親類をも・はなれ 一二人ある・娘も はかばかしからず(二人の娘も病弱であったりで、低調である事)
便りなき上(活発な母子の対話も途絶え勝ちで)・
法門の故に 人にもあだまれさせ給ふ女人、(学会婦人部である為だけの理由で疎外されている事実は)
さながら不軽菩薩の如し、(さしずめ、あらゆる人の仏性を尊んだ『不軽菩薩』の生き様を見る思いである)】

もう一度、通解文を連続して記述する…  はたして、『創価の御婦人』としての根幹がはっきりと見えてくる。
『 通解⇒ 貴女は御自身。御主人と死別されました。  更に、法華経ゆえに、親族にも疎まれ、
娘さん(一人は乙御前)も まだ若く孤立した様な立場の上。日蓮の弟子である故に、他人にも罵られている。
これは、全く『不軽菩薩の行体』の実践である。 』 【 妙法比丘尼御前御返事 1419P 】

本抄で見逃せない『御記述』は、【 同抄 1420P 】の…。
【 彼の比丘尼の御名(みな)を 一切衆生喜見仏と申すは(中略)
今の 妙法尼御前の名にて候べし 】である。


又。「貴女は、このような不安定な世相の中で、一人の幼子を健気に御育てになっている、 
その上。頼りとする御主人も、思いの外で、既に離別して久しい時がたっている。
そんな女人が、「鎌倉」から「佐渡」への、私(日蓮大聖人)を訪れる事は『不軽菩薩』の義である。」
この御賞賛の「対告衆」は『日妙聖人御書 1216~1217P 』である。

前述の『妙法比丘尼御前』といい、この『日妙聖人』といい… 『創価学会婦人部』である。(キッパリ)

では… 『日蓮大聖人』は『御書』に於いて、「女人」をどう捉えられているのか、学びたい。





 2012年06月13日 (水) 10時03分

抜粋し、記述した筆者が読み返して『紛れておる』ので再度書きます。
  
『妙法尼御前御返事』も『日妙聖人御書』も、等しく言えるのは。
両編とも『不軽菩薩』を以(もっ)て御賞賛されている事実です。

これが、最も重要な部分と思います





 2012年06月13日 (水) 18時52分

『新編・御書全集』の975~976Pに、【 富木尼御前御返事 】と言う御書がある。
本抄は建治2年(1276年)3月27日。身延発の御書である。
対告衆は「富木常忍」の妻女・『富木尼御前』だ。

尚。この年の同月16日 『日蓮大聖人』の師匠・道善房が逝去したが。(大石寺 過去帳)
本件には関係ないので、記述のみしておく。

扨(さて)。 本抄 表向きの御聖訓は…
【 をとこ(夫)の しわざは め(婦人・嫁)のちからなり 】である。 975P 1~2行目
通解は(あまり乗り気になれんが…) 「夫・主人・男の実力は、影の存在である「御夫人」に依る」である。
上記の『御金言』は、あまりにも有名で…皆がしょっちゅう言うておるので『面白くない』

が、然し。 本抄の白眉は実は、違う部分に有ったのである。
それが…【 又又 これより 百千万億倍 たへがたき(耐え難き)事 ども(⇒等) いで来るべし】である。
上記は(976P 4行目)の御文証である。この内容は、非常に重大・且つ 深刻であって、表記も危ぶまれる。

何故『重大・深刻』か。 本当は書きたくないが…恐れずに「記述」する。 それが(同ページの2~4行目)である。
【 これ・ひとへに 失(とが)もなくて 日本国」の一切衆生の父母となる『法華経の行者・日蓮』を
ゆへ(謂・理由)もなく 或はの(罵)り 或は打ち 或は こうじ(街路)をわたし(公開引き回し等)、
ものに くる(狂)いしか 十羅刹のせめを かほ(被)りて なれ(結果を見)る事なり 】
「日蓮大聖人を国を挙げての「迫害・弾圧」は、好む好まざるに拘わらず、国全体に総罰となるのだ」

私が「白眉」と指摘した一連の御記述 ↓
【 又又 これより 百千万億倍 たへがたき(耐え難き)事 ども(⇒等) いで来るべし】
とは(恐ろしい事であるが…)唯一の『○被○国』への警鐘ではないのか。
又。そのような『破壊的受難』も、敢えてその時「婦人」の潜在的非暴力思考を『主題』とするなら避けられた。
故に『日蓮大聖人』は【 をとこ(夫)の しわざは め(婦人・嫁)のちからなり 】と、言い切られた。

それが…(975P 2~3行目の)
【 けぶり(煙)をみれば火をみる あめ(雨)をみれば りう(竜)をみる 
をとこ(男・夫)をみれば め(御婦人)をみる 】と言う事なのではないのか。

これは「ワシ」たる者 相当「ヨイショ」しているのか…それとも『御書』をしっかり読んだのか。
総評は任せる。





 2012年06月14日 (木) 05時01分

≫ これは「ワシ」たる者 相当「ヨイショ」しているのか…
言うて置くが…性格は、御婦人に対して『ヨイショ』する人間ではない。

然し。現実に  御婦人に「ヨイショ」を しなければいけない時も、まま多い。
そういう「ヨイショの事柄」を、関西弁では『けった くそわるい』という。
詳しく書くと…『けった くそわるい』とは  『蹴った糞 悪い』と書くが、これは非常に下品である。

閑話休題 
私達が過去学んだ中に、御婦人が『日蓮仏法』の流布に対して、まともに阻止してきた『歴史』が現存する。
記憶に鮮明なのが(中には記憶にさえ、跡形なく消え失せた人も居ろうが)…『権力者の女房達』であった。
これらは、絶対に「忘れて・書き落として」はいけない(正史を学ぶ上での)急所中の急所である。
(御書に関する『御婦人』の件は、引き続き細描する)

その『日蓮仏法』を阻止してきた『同類項』が、現在の学会組織に「息を潜めて棲息する」と言うと。
今まで静聴していた連中が「待ってたホイ」と、『やれ 組織批判だ』『それ 幹部批判だ』と騒ぎ立てる。

『獅子身中虫(日蓮時代と同類の魔)』とは、死にかけの「瀕死の手負いの獅子」に存在しない。
『獅子身中虫』は、健全強健に見える「獅子」にこそ「巣食う」のである。
『巨大な創価の組織』の底部に、本来の使命と全く異質の生き物が蠢いている。これが「魔」だ。

この「魔」は、最近になって、時々 その「存在の片鱗」を(皆に気付かれずに)覗かせておる。
…と。「愚壮」はここまで『判じ物』の如く「魔」を言っておるが…やはり、キッチリと書いておく。

彼の「七百年祭」で、『神本仏迹論』という邪義を唱えた「小笠原慈聞」という「正宗僧侶」が居た。
この人間は『日蓮仏法』に正対する「神本仏迹論」をして、宗門内を攪拌した。…のみならず。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が獄死を遂げられる「起爆剤」も、慈聞の邪説に依る。
ここで…「小笠原慈聞」は『創価学会』の仇敵である。…は、言い過ぎか。

『仇敵』は過言として百歩も千歩も譲っても、「慈聞」の事を『不許』とする人は多い。
そんな慈聞が言った言葉に…『そんな事…そういう事(神本仏迹の事)も、これは あるんじゃ」である。
冗談ではない。 そのような「言いくるめ」が、通じるとでも思ったのであろうか。

これと同じ構図の「言いくるめ」が起った。 (当然、この事実は既に記述したが。もう一度書いておく)
それが⇒ 2011年8月12日(金)の聖教新聞方面版の左上の『8.14』の意義である。

云く…『広宣流布の大拠点は大阪・関西だと「戸田先生」に教えたのは「池田先生」である』
この上記の記述は「Y関西婦人部長」の御高説である。   全くの出鱈目。 目から火が出る噴飯だ。

ここに、実物の戸田先生の『日記部分』がある。 それが1919年3月18日 (戸田先生 19歳)の記述である。 下記↓
☆ 地の利にある。(中略) よろしく座を『阪神』とすべし。阪神の地これ商工の中心…
上記1919年とは、大正7年である。  この頃に、若き戸田先生は『関西・阪神』の重要性に言及されていたのである。

☆ 中央、中央、我が事業を起こす前に見るべきの地は『大阪』か『神戸』ではあるまいか。これが同年の4月。
(上記二編は  青娥書房発行・『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』より抜粋)

『事程左様』に、組織内での安穏の持続のみを願う「生命」を、私は『魔』と指摘する。
最初に戻って…  「蹴った糞が悪い」なら、『踏んだ糞は 尚 悪い』 と、話は「脱線」しておる。





 2012年06月14日 (木) 18時30分

「女性が成仏する?」  「そのような事は、信じられない」…これが『爾前の教え』である。
当然といえば「当然」…。 そんな程度の事が『世の中の常識』で、「女人とは言うが、人ではない」 
という事は、女人が正面に出る等。 「正邪真贋」に亘って あるわけない。と、 これが普通であった。
これは「迹仏たちの言う世相」で、誰の責任でもない。  極、自然の事なのだ。
これは、当の女性にとっては『℃壺』(特許文言借用)であるに違いない


そのような『時代順応正視眼』で歴史を繙けば…「熱原法難」に女人が介在した事なんぞは絶対に無い事で、
解りやすく言えば、とんでもない『ヨタ』…。つまり「御涙頂戴の浪花節的・歪脾談」である。

富士日興上人詳伝では『堀日亨上人』が、以下の如く嘆かれておる。
【 左京阿(阿闍梨)日教が、何かで聞きかじりたる誤伝を(中略)…累(わずら)いをなして…
特殊の美談 (『熱原の法難で殉教した中に、女人の存在があった』 )として贔屓(ひいき)の引き倒しで… 】

まァ。然し      これは、この場面では「余談」となる。
『 鎌倉時代 』とは、そんな生優しい、おセンチな背景の国家ではない。

『こうなると、女人は一切駄目なのかと、正直。落ち込む』のも人情である。 
…ところが、然し。 『日蓮大聖人』は『御書』で、こう御記述になっておられる。
天照太神の事で、こうある。  
【 問う (我が国で)神の次第(順位の事) 如何、 】
【 答う 天照太神を一の座と為し 八幡大菩薩を第二の座と為す 
是より 已下(いか)の神は 三千二百三十二社なり 】 『 真言七重勝劣事 133P 』
これで、どうやら「女人」の復権は、『神⇔帝』の分野では、まんざらでもなさそうだ。
…そういえば「戯歌」に、こうある。
【 日之本は 天(あま)の岩戸の昔より 女(おんな)無しでは 夜も明けぬ国 】(ウロ憶え也)


そこで、真面目に『御書』を繙こうと念(おも)う。
【 …女人は垢穢(くえ・あかでけがれている)にして 是れ法器に非ずと 
小乗権経の意を以て離ぜられ候いしかば… 文殊が竜女成仏の有無の現証は
 今 仏前にして見え候べしと仰せられ候しに、】 『 女人成仏抄 472P 14~16行目 』
「通解 ⇒ 女性は身心共に穢れておるので、本来『成仏』を望むの器ではない。
これは「小乗経」本筋の理念で、既に良い方向に変革されているにもかかわらず、(殆んどの衆生達は)
文殊師利菩薩が八才の竜女が蛇身のママ 『成仏』した事を指摘するまで、信用をしない。」

【 案に たが(違)はず八歳の竜女蛇身を あらためずして 仏前に参詣し
価(あたい・値打ち)直(ちょく・そく・ただちに)
三千大千世界と説かれて候、如意宝樹を 仏に奉りしに、
仏 悦(よろこ)んで是れを請取り給いしかば
此(こ)の時 智積菩薩(ちしゃくぼさつ)も舎利弗も不審を開き
女人成仏の路を ふみわけ候、 】    『 女人成仏抄 472P 16~18行目 』
「通解 ⇒ (衆生達は)想像した通り 
「八歳の竜女が蛇身のママで成仏した」を信じる事は無かった。
然し『仏』は「今世の全仏果は、八歳竜女成仏のように、直ちに結果と現出する」と断言し
「『正法』に依る祈りは、一念三千に仏果を影響させる事などは、意の向くままである」
「また。(直ちに叶う事)に対する、私(仏)の保証は絶対に間違いない」と言って憚らなかった。
「それを聞いた「智積菩薩(ちしゃくぼさつ)」や舎利弗も、
仏の大確信に接して、『女人成仏』という未曾有の誓願の実現を確信した。 」

『法華経』(御本尊)への祈りに不可能は無いのだ。 これが数多の「仏弟子」の確信である。
『女人成仏』  この画期的な革命が『法華経』の真骨頂なのである。





 2012年06月14日 (木) 20時04分

≫ 『女人成仏』  この画期的な革命が『法華経』の真骨頂なのである

竜女が蛇身の姿を改めずして、その「法華経」で『即身成仏』した。
これは、考えられない事・想像も出来ない出来事である。  
又それ以上に。数多(あまた)の「女人」にとって…覚醒・驚異の事である。

八歳の「蛇女」が成仏した?
この噂は、即(たちま)ちのうちに『女性』の間に知れ渡り、多くの羨望を生んだ。

「摩詞波闍波堤比丘尼(まかはじゃはだいびくに)」とは、釈尊の姨母(おば)であるが。
この人が先ず。八歳の竜女の即身成仏を見て『発心』した。
即(たちま)ちにして、「法華経」に帰依した彼女は、『勧持品』で成仏を勝ち取る。
後は「将棋(ドミノ)倒し」で、当時の才媛達が 我れ先に、『即身成仏』の大仏果を得るのである。

残念ながら…この『女人即身成仏』には、最もオゾマシイ者までが混じっている。
それが『十羅刹女』である。

『羅刹』とは別称を悪鬼といい、男女の『羅刹』が存在する。 
好物は「人間」の生き血と、「人間」の生肉である。つまり「人肉のユッケ」だ。
この『羅刹』に目を付けられたら、   言うて悪いが「最早最後」である。

絶対に逃げ果(おお)せない…  何故か。
それは『羅刹』は、猛烈なる速さで地を駆ける。
それだけではない… 『羅刹』は、空も飛ぶ事が出来るのだ。
今晩の夢に…仮に『羅刹』は出てくるとしたら。 悪いが「諦めて頂こう」
…と言う位、大変な者までが『成仏』したのである。 困ると言えば、困る。

…以上の記述が『女人成仏抄 473P 4~7行目』である。
あとは、明日の早朝に続けようと思います。





 2012年06月15日 (金) 05時14分

【 口に南無妙法蓮華経と唱え奉る女人は 
在世の竜女・憍曇弥(きょうどんみ)・耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)の如くに・
やすやすと仏になるべし という経文なり 】 『 法華初心成仏抄 554P 11~12行目』
(憍曇弥(きょうどんみ)⇒釈尊の姨母(おば)「摩詞波闍波堤比丘尼の事」)
(耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)⇒『出家』前の釈尊の妻女)  いずれも境涯の高い女人。

【 法華経は女人の御ためには 暗きに・ともしび(燈)・海に船・おそろしき所には・
まほ(守)りと・なるべきよし・ちか(誓)はせ給へり 】 『 乙御前御消息 1220P 4~5行目 』

【 弥陀念仏は女人 たす(助)くるの法にあらず 必ず地獄に堕ち給うべし 】
『千日尼御前御返事 1312P  8~9行目 』

【 彼(か)の女人仏(女人成仏)に成らせ給わん事 疑いなし 】『松野殿御返事 1390P 1行目』

【 此(こ)の法華経の「薬王品」に 女人の往生(成仏)をゆるされ候ぬる事 又 不思議に候 】
『 薬王品得意抄 1503P 7行目 』


『女性』として生を受けて、究極の『王道・正法』の中に『真の師匠』を求め抜く。
『御書』に示された「先達の女人」を見る通りの、その共通点は『師弟不二』である。

『創価の婦人』たる実像が上記とすれば、
筆者の目には(実名は控えるが)「虚像」も見え隠れしておる。
これは、この。ワシの「眼力」が間違っている事を偏に願い・祈る者である。

「非力」であり、宿命に泣くばかりの『女人』を、心底から勇気付けたのが『日蓮大聖人』と
その直結の『三代の歴代会長』である。 その事を忘れ去ってはいけない。
先月号「巻頭言」にて『池田先生』が…。
何故「五障三従【女人の持つ本源的な失(とが)】」に言及されたのか。賢明に思索するべし。





 2012年06月15日 (金) 10時23分

≫ 五障三従【女人の持つ本源的な失(とが)】
実は…この事(『女人』とは元々こうである)とした事が、重要なのである。  

『爾前』の経典が流布している時代。
つまり『衆生の機根』も『聖者の格式』も低い(言い換えれば累積された罪障が少ない)時代は、
「煩雑」の教範や複雑な規範はかえって紛れるから…。と、簡素であったかもしれない。
いや、「煩雑」かどうかの比較さえも「不必要」ではなかったか。
はるか彼方の時には、訳の解らん「不気味」な存在そのものが無かった。
つまり…存在も無いものへの「対処」など、 考える前に「不必要」なのだ。

それとも、全くの逆であって、圧倒的な数の「戒律」で「衆生」の素行を縛っていたのかもしれない。
それは恰(あたか)も。 現今、膨大に新規に存在する「雑菌・ウイルス」に似ている。

いずれにしても、世相の機根が「シンプル」であればあるほど、目指す「対比範囲」も勢い狭まるだろう。
( 目指す「対比範囲」とは、『女人』から強力な発言権を取り去る事 )
『女人』が、男性に依る浅い検討(突発的本能)で疎外されたのも、そこに理由がある。

『女人』が先天的に備えている「多様性」は、『権謀術数』の男性社会では邪魔である。
女性特有の「深き機微」や「絶対に飽きない持続」は、『子育て』のみに発揮すればよい。
『女人』を彼方へ押しやる、主な訳は、『繊細すぎて埒が開かない』事であった。

…と。 いろいろ記述したが、
とまれ『爾前経』は、あらゆる手段を駆使して『女人』の可能性を閉じ込めた。

一般に、『釈尊』滅後の二千年を「白法」と意義付ける。 『御書』では、釈尊入滅は紀元前951年である。
【 而(しか)るに 仏・御入滅ありては 既に二千二百二十七年なり 】 
上記は、弘安元年の御述作  『 妙法比丘尼御返事 1407P』抜粋
(仏教国:タイでは 釈尊入滅は紀元前544年(2012年現在))

『日蓮大聖人』の御生誕は1222年であるので、釈迦入滅から2173年の月日が流れておる。
これは、『末法』に突入して、173年が経過した事になる。

『日蓮大聖人』の最大の御存在意義は、これは順位に悩むが『立宗宣言』と言っても破門とはならん。
『末法の法華経』とは『南無妙法蓮華経の御本尊』である。 これは「不動」である。
つまり、本来の『女人成仏』は、
『日蓮大聖人 32歳』の折の『立宗宣言』⇒(建長5年4月28日)から、有効になるのだ。

『女性』が、いかに暗闇の生息を強要されていたのか。
本当の『女人成仏』とは、ここからの「歴史」を読まねばならん。

「永い間の偏見を、よく辛抱した」と、御慰めを申したいが…。 それにしても。
とんでもない、勘違いをして「高見(高い視線)」の御婦人が散見するのは何とかならんのか。
中には「男性」を「屁」とも思っとらん『御婦人』も居るのである。
ワシが逃避した「N市」にも、再環した「K市」にも、この手の御婦人が居るが、
困った『勘違い御仁』で…、   見る度に、嘔(反)吐が出る。(吐き気がする事)

本当の『創価の婦人』は、このような低俗なる「御存在」では絶対に有り得ない。
『宿命・宿業にも、健気(けなげ)に闘い続ける人』『徹底的の同苦・激励の人』こそ、
誠の『御婦人部』であり『法華経の行者』である。  これは強く言っておく。





 2012年06月15日 (金) 18時46分

『五障三従』とは。( 『法華初心成仏抄 554P』に詳しいので御参照を乞う )
「女性」の持つ五つの障り⇒その主題は『不成仏(成仏できない)』である。
『五障』 ①梵天王  ②帝釈   ③魔王  ④転輪聖王  ⑤仏身  (これには、なれない)
『三従』 ①父母   ②夫   ③子                     (これに、従がう) 
【 女人を指して(中略)五障三従と申して
三つ したがふ事有って 五つの障(さわ)りあり 】 『 主師親御書 389P 』

【 女人には五障三従の罪深しと申す、其れは内典には五障を明し 外典には三従を教えたり 】
『 女人成仏抄  472P 』

【 女人をば鬼と よ(読)めるにこそ侍(はべ)れ、
又 女人には五障三従と云う事有るが故に 罪深しと見えたり 】『法華初心成仏抄 554P』

【 …五障の雲 厚うして 三従の・きずな(絆・紲)に・つな(繋)がれ給へる女人なんどの御身として
法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに 限りなく候 】『月水御書 1199~1200P』

【 其の上 女人は 五障三従と申して 世間出世に嫌われ 一代の聖教に捨てられ畢(おわ)んぬ 】
『 善無畏抄 1235P 』

『女人』というだけで、これだけの障りがある。
という事は、その中で『妙法』を「身・口・意」で貫く事が いかに大難事か。

『ありのままの自分自身が 尊極なる妙法の当体であることに歓喜して…』
大白蓮華5月号の『巻頭言』の御指導は、「ズバリ」この事なのである。

『師と共に人々を救いゆく 地湧(涌)の菩薩』とは「同苦溢れる・単己の菩薩」なのだ。
そう自覚し、そう実践する事が『世界一の創価学会の婦人部』なのである。





 2012年06月15日 (金) 19時12分
『単己の菩薩』とは「眷属」を引き連れない『菩薩』の総称である。
呼び名は『単己の菩薩』であるが、歴(れっき)とした『地湧(涌)の菩薩』である。





 2012年06月15日 (金) 19時39分
忘れ得ぬ風景が、此処に来て『御書講義』の様相を呈しておる…。
悪い事ではないのだが、読者諸氏には 「…何じゃい。又、御書かよ」とは言わないまでも…
案外、近いのではないか。    そこで、最近の座談会点描を申し上げる。

この九日(土)の午後19:30 『栄光B』の座談会に喜々と参加をした。
例の「愚壮最初推薦の地区部長さん」の座談会であった。
『設営』の「紫陽花」が、見事に咲き誇る会場は、少人数でも賑やかである。
『御書講義』は「祈祷抄」である。  今まで、何度も何度も学んだ御聖訓である…と。
「地区部長さん」の講義は熱気を帯びている。

座談会とは「一家和楽」の展示会だ。  「何が有っても、堂々と朗らかに」
こんな決意が『最高なんだなァー』と、笑顔が弾ける座談会であった。

翌日十日(日)は、13:30分の開場であった。
やはり『設営』は「紫陽花」    談合の疑いがある。と、皆は言う。
この座談会は「立錐の余地なし」と混雑していた。

「N市」からは「副支部長さん」 「H市」からは二人の青年が「交流」での御参加である。
ここの「B長さん」は、『御書も「愚壮」がやるように』との仰せで、私は元気よく「講義」を実施した。

その後の話は、『新・人間革命』から「牧口先生の特集」を、これも強き確信で訴えた。
大成功の二つの座談会。   やはり何と言っても、基本は座談会である。





 2012年06月15日 (金) 20時26分

『獅子身中虫』に最も関連しているのが『単己の菩薩』である。
『六万恒河沙』とは、御存知の通り「地湧(涌)の菩薩」の数である。
「無数」といっても良いのが『六万恒河沙』 つまり六万のガンジス河の砂の数である。

この一人一人の地湧(涌)の菩薩にも、個性がある。
勿論、男も居れば女人も存在する。否。「中性」も居るかも知れない。

この『地湧(涌)の菩薩』には、共通点が有る。
それが『屹立』つまり「仁王立ち・一人立ち」である。介助・合力などは不要なのだ。
「敵」は「周りが全部・敵」である。これは『地湧(涌)の菩薩』の宿命だ。
助っ人も無ければ、味方も居ない。

そんな中での奮戦が『地湧(涌)の菩薩』の地湧たる所以である。

『獅子身中虫』   これは強健の獅子に喰らい附く。
間違っても「死にかけ」の獅子には寄生しない。
獣(けだもの)の死体から、「ダニ・蚤」が先を争って退避するのは、その事だ。
「虱(シラミ)」の集(たか)る人間の寿命は、全く心配不要。とは、その事である。

扨(さて)。  『獅子』が『単己の菩薩』の如く闘う時。
敵である『獅子身中虫』は群を成す。
つまり…『魔』・『奪命魔』は、闘う闘士に取りつくのである。
『走るから髪は揺らぐ』とは、この事だ。

『平穏の中に、勝利は無い』とは、この事なんだ。
『絶対に負けない!』とは、この事の裏打ちなのである。




 2012年06月16日 (土) 06時05分

『女人成仏』へ向かって猛然と闘う。
この時「地涌千界に住する菩薩」も闘う…? 「誰の為に?」
そうです。『地湧(涌)の菩薩』は貴女の為に、満身創痍で闘います。
『何(誰)と?』        貴女の敵人・貴女にとっての『魔・獅子身中虫』と闘います。
それが、『単己の地湧(涌)の菩薩』たる実像です。

ここで確認すれば…『獅子身中虫』も、実は「貴女」に内在する者なのです。

【 獅子身中の虫の 自ら師子を食うが如し 】 『 二乗作仏事 594P』です。
すこし穿(うが)って言えば、 『獅子身中虫』とは自分の留まり木の枝を切り落とすのです。
これは、まったく「道理」に悖(もと)らない事。というものです。


下記は、少し長文ですが。是非とも頭に入れて欲しい御金言ですので記述します。
【 …我が未来に於て 与(日蓮大聖人御自身を指す文言)が仏法を破らん為に
一切衆生の 元品の大石(無明)・大六天の魔王・獅子身中の蝗蟲(いなむし)と成って
名を 日蓮に仮りて 本迹一致と云う邪義を申し出して 多(々)の衆生を
当(まさ)に 悪道に引くべし 】 『 本因妙抄 873P 』  これは根幹です。
上記は、聞いた事 あるでしょう? 近くにも棲息していますから…。

【 悪人は如来の正法を破り難し 仏弟子等・必ず仏法を破るべし 
獅子身中の虫の師子を食(はむ) 等云云、
大果報の人(創価の女人)をば 他の敵 やぶりがたし 
親しみより破るべし 】 『 佐渡御書 957P 』 
自分を食い破るのは、他ならぬ「自分」なのです。

【  師子身中の虫・師子をくらう、仏教をば外道は やぶりがたし 
内道の内(仏法の中・範疇)に事いできたりて(教義に対する紛糾が起きて)
仏道を失うべし (これは)仏の遺言なり 】 『 法門申さるべき様の事 1271P 』

【 さど(佐渡)の国にても そらみげうそ(虚御教書)を 三度まで つくりて候しぞ、
(中略)木のしたなる(下⇒内部に巣食う)むし(虫)の木をくら(喰)ひ たお(倒・たう)し 
師子の中のむし(虫)の師子を食らい うしなふやうに… 】『窪尼御前御返事 1478P』

上記数編の『御書』  対告衆を確認するのも、又。別の方面からの「研鑚」となります。

ともあれ・「これは、勝てないかもしれない…」 こう思った時、既に負けている。
『獅子身中虫』と雖も・羅刹と同等…「我が信心を 試す存在だ」と腹を決めて闘え。
「負ける道理は、皆無である」故に。





 2012年06月16日 (土) 08時46分

『獅子身中虫』を述べるとき、必ず連動するのが 『獅子奮迅之力』と『獅子吼』である。
『王者』をも抹殺し頓死させる者。とは『獅子身中之虫』である。
『勝負』とは、両者が同時に作用する(立ち上がる)事を指すのだ。
この時。『獅子吼』を忘れ去った『王者』は 勝てない。  とする。
逆に今度は…『獅子身中之虫』とて 『獅子吼』しつつ闘う『王者』には勝てない。

「獅子」が一たび吼えると、余の獣は震え上がり、仮死(死んだ振り)さえ演ずる。
ここで結論。     『日蓮仏法』とは『獅子吼』である。  是れが根幹である。
此(こ)の『獅子吼』の前には、生きる全ての者が沈黙し、逃避し、死んだ振りさえする。

【 眠れる師子に 手をつくれば 大いに吼ゆ 】 『 開目抄下 233P 』とは、それである。

逆説は、こう言っている。   (先ず 通解文 )
「 若しも悪を見聞しても、放置してそれを攻めなければ 当然『獅子吼』でもなんでもない 」
これ(悪の放置)は「懈怠懶惰(けたいらんだ)」以外の何者でもなく、話にならない。と言う。
【 是くの如く 種種に法を説くも 然も故(なお) 師子吼を作(な)すことを能(あた)わず
非法の悪人を降伏することを 能(あた)わず、(中略)当(まさ)に知るべし 是の輩は
懈怠懶惰(けたいらんだ)なり 能(よ)く戒を持(たも)ち 浄行を守護すと雖も
当(まさ)に知るべし 是の人は 能(よ)く為す所 無からん、】 『 開目抄下 235~236P 』
※⇒つまり「悪の放置」は、実の蓋も無いのだ。

ここで『御義口伝』から、「作 師子吼」を抽出する。
【 第五 作師子吼の事 】 『 御義口伝上 748P 』である。
本文 ⇒ 【 御義口伝に云く 師子吼とは仏の説なり 説法とは法華
別しては 南無妙法蓮華経なり、
[師]とは師匠 授くる所の妙法      [子]とは弟子 受くる所に妙法・
[吼]とは師弟共に唱うる所の音声なり [作]とは おこすと読むなり 】とある。

『師子身中の虫・獅子吼・作師子吼・獅子奮迅之力』は総て『師弟不二』からの派生である。
上記が解決すれば、最早「宿命」に泣く事も霧散する。
『日蓮仏法』『創価仏法』が『師弟』からのみ入れる所以が、実は此処に在る。

【 いよいよ(弥)・をづる(恐れる)心ね(心根・心境)すがた(恐れた振舞)・をはすべからず、
(中略)  がうじゃう(強盛)に はがみ(歯ぎしり・歯を噛み締め)をして たゆむ(弛)心なかれ
(中略)  すこ(少)しも・を(畏)づる心なかれ 】 『 兄弟抄 1084P 』
愈々(いよいよ)・土壇場・背後を絶つ… ここから奇跡と思える逆転劇が幕を上げる。
本抄を拝読する時  「池上兄弟」の大歓喜・巌の如き大決意が窺われるではないか。

【 仏の説法をば 師子吼と申す 乃至(← 中略と同意) 法華経は師子吼の第一歩なり 】
『 四条金吾殿御返事 1122P 』

是の段の結びは『獅子奮迅之力』に付きるであろう。
【 師子王は 前三後一 と申して・
あり(蟻)の子を取(獲)らんとするにも 又 たけ(猛・猛獣)きものを取(獲)らんとする時も・
いきをひ(勢い)を出す事は・ただ をな(同)じき事なり 】 『 経王殿御返事 1124P 』
【 日蓮守護たる処の御本尊を・したた(認)め参らせ候事も 師子王に・をと(劣)るべからず、
経に云く 「獅子奮迅之力」とは 是なり 】 『 経王殿御返事 1124P 』

上記に言う『前三後一』とは「贖命の闘い」の異名であろう。
何としても、何が起っても…生命で拝読すべき御聖訓である。





 :2012年06月16日 (土) 09時48分

隣接「T・O支部」の『N支部長』からメールがあった。

『種種御振舞御書(別名:佐渡抄)』
この御聖訓は御存知の如く「大白蓮華・『勝利の経典:御書を学ぶ』の4・5・6月号の教材だ。
私の不注意の切創の件もあって、隣接「T・O支部」の『壮年塾(御書勉強会)』の講師が代わっていた。

代役の『N支部長』は、最高学府を卒業された秀才で『三世諸仏総勘文教相廃立』を講義は抜群だ。
その『支部長』からのメールは、「6月度の御書講義は、お前がやれ」
これは…完璧なる約束違反で「往生」しておる。

愚癡ではないが…。
本抄の講義は非常に長編で、『池田先生』の御講義も分割されていた通りである。
私が携わった「本抄の講義原本」も、案に相違せず、長編となった。(5月29日 投稿済)

そこで、「メゲないで、再び勉強するが」 なるほど、非常に重い『御書』である。

ところで…と、考えた。 「何故。今。 種種御振舞御書(佐渡抄)なのだ」…と。
この「時と所」に関知しない『何故』という感覚は、無意味ではない。

『何故』 『何の為』とは、なにも若者の専売ではない。
ワシの如き「老人」も、こうして常に考えを巡らせておる。

『なんでやねん…』




 2012年06月16日 (土) 17時03分

『師子吼(獅子吼)』を学んだ。  『師子吼』とは主に『末法御本仏』の御振舞に感じて曰う。
では、『弟子』はどうあるべきか。 手当たり次第に同志と思われる人を糞糟(クソカス)に言う事か。
これは、たぶん違う。     
では、何でもかんでも「功徳だ 功徳だ」と吹聴する戯(たわ)け事か。
…それも違うのか。   

当り前だわな。 全々違うんだよ。         そんな事に『弟子道』はない。
『弟子』は、 『師匠の振舞』から、本来の為す可(べ)き事を的確に伝承する事だ。
実践だけでは『猴猿(こうえん⇒猿)』でも行う…と。 伝承・伝持する者である。

【 日蓮が御免(佐渡流罪の即刻中止)を蒙らんと欲するの事を
色に出す弟子は 不孝の者なり 】 『 真言諸宗違目 139P』
『弟子』を貫く事は、普通の価値観では追従不可能である。

外典賢聖に「顔回(顔淵・がんえん)」という人が居た。この人は、彼の『孔子』の弟子であるが。
これが、『師・孔子』より先に逝く。 この時、師匠の『孔子』はこう言ったと伝わる。
「嗚呼・天、我れを滅ぼせり…」 然し。こう嘆いたのは師匠の『孔子』である。
『師匠と弟子』という観点から、『日蓮大聖人』はこう御記述になっている。
【 而(しか)りりといえども 過去未来を知らざれば父母・主君・師匠の
後世をも たすけず 不知恩の者なり 】 『 開目抄上 186~187P 』
尚。『「顔回(顔淵・がんえん)」の、又。違う故事は『 日女御前御返事 1243P』にある。

『弟子』と、いままで勘違いしていた人が居るが…その人への御記述は、非常に厳しい。
【 (貴女は) 今まで『唱題』など唱えていないではないか。 と、いう事は 最早。
『日蓮』の弟子でもなんでもない。 (向後、私との対面を望むなら)
よくよく 本心の在り様を申しなさい 】 『 大尼御前御返事 908P 』と、ある。

『弟子』への御記述で最も厳しい『御書』が、本抄である。
この御文面を拝読して、恐ろしいまでの「厳しさ」を感ずるものである。
【 小蒙古の人・大日本の寄せ来るの事、我が門弟(弟子)並びに檀那等の中に
若し 他人に向い 将又(はたまた)自ら言語に及ぶ可からず、
若し此の旨に 違背せば ※門弟を離す(破門)べき等の由・存知せる所なり、
此(こ)の旨を以(もっ)て 人人に示す可(べ)く候なり。 】『 小蒙古御書(全文) 1248P 』

【  …(前部を略す)妙楽・伝教の聖言に随って
善無畏・慈覚の凡言を用ゆること勿(なか)れ、予が門家等 深く此(こ)の由を存ぜよ、
今生に人(他人の言・風聞)を恐れて 後生に悪果を招く事勿(なか)れ 】『 大田殿許御書 1005P 』

本抄の最後の御聖訓を、何と捉えるか。 『日蓮仏法』の門下として、直視できるや否や。
誠に甚深の御金言である。
【 (前部を略す)一見の後・秘して 他見ある可からず 口外(他に話す事)も詮なし 】
『 三大秘法禀承事 1023P 』

非常に興味の涌く御記述が、以下である。 諸賢は何(いか)かに拝するや。
【 我が弟子等の出家は 主上・上皇の師と為らん  
在家は左右の臣下に列(つら)ならん 】 『 諸人御返事  1284P 』

『日蓮仏法』に於ける「弟子」の振舞こそ、最大の命脈である。
『御書』に御記述の「弟子」に関する論文は、無尽蔵である。
この勉学には、生涯の時空を費やしても、埋めきるには至らない。





 2012年06月17日 (日) 07時23分

『弟子道』 ⇒ いつから私達は、「弟子」を名乗る事(時)を許されたのでしょうか?
…こうも、その瞬間(弟子になった時)を限定されては…困るのか。困らないのか。
「あなたが、本当に弟子になったと言える瞬間を 説明して下さい」

そう言って迫られた時。 あなたは(自分も納得出来る)明快な答えが出せるか、否か。

そのような時…。  どこが「原点・源流」かを把握したい時。
仏法でいう、『適時而已』⇒「(すべて)時に依る可し」と言う「大原則」が、顕れて来ます。
物事の「原点」を語る時に外せない「骨子」とは…、全部『道理』に添っている事なのです。

【 譬(たと)へば 秋の終りに種子を下し 田畠を かえ(排⇒耕)さんに 
稲米(とうまい)をう(得)ること かた(難)し 】 『 開目抄下 236P 』

【  夫(そ)れ 仏法を学せん法は 先ず 時を ならうべし 】『撰時抄 256P』
「何をか 云わんや…」である。   『先ず、時。』である、という事です。

【  あたか(恰)も これ 大海の しを(潮)の 時を たが(違)へざるがごとし 】 
『 撰時抄 265P 』

【 譬(たと)へば 春の薬は秋の薬とならず 設(たと)い なれども 春夏のごとくならず 】
『 治病大小権実違目 996P 』 物事・処方箋の瞬間から決定しているのです。

【 外典の賢人すら時を待つ 郭公(ほととぎす・かっこう)と申す鳥は卯月五月に限る 】
『 呵責謗法滅罪抄 1128P 』 「郭公(ほととぎす・かっこう)への譬喩は絶妙です」

【 月はいみじ(巧み)けれども秋に あらざれば光を惜む・花は目(芽)出たけれども
春に あらざれば さ(咲)かず、一切 時による事なり 】『妙密上人御消息 1238P』

【 (前部を略す)折伏無きに非ず 各(おのおの)一端(全体の一部)を挙げて
時に適う而已(のみ)】 『 開目抄下 235P 』

【 天台の云く「適時而已」等云云、 仏法は時に よるべし 】『開目抄下 237P』

【 雪山童子は半偈のために身をなげ 常啼(じょうたい)菩薩は身をうり
善財童子は火に入り 楽法梵士(ぎょうぼうぼんじ)は皮をはぐ 薬王菩薩は臂をやく
不軽菩薩は杖木を かうむり 師子尊者は頭をはねられ 堤婆菩薩は外道にころさる、
此等は いかなりける時ぞやと勘(かんが)うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ
章安大師は「取捨宜きを得て 一向(頑なに一つに拘(こだわ)る事)にすべからず」としるされ、
法華経は一法なれども 機(機根)にしたがひ 時によりて 其の行(行体)万差なるべし 】
『 種種御振舞御書(佐渡抄) 910P 』 

【 (前部を略す)一には時来らず 二には機なし 三には譲(ゆず)られ給はざる故なり、 】
『 治病大小権実違目 996P 』

【 一には自身堪(た)えざるが故に 二には所被の機無きが故に 三には仏より譲り与えざるが故に
四には時来らざるが故なり 】 『 曾谷入道殿許御書 1028P 』

【 是は 時の然らしむる故なり 】 『 四条金吾殿御返事 1194P 』
この御記述は、「何故、私(日蓮大聖人)が 『天台大師や伝教大師』を越えて
「法華経弘通」故の諸難を受けるのか。 この自問自答の直後の文言。
これは全て、「末法本仏たる適時而已」であるとの御金言の事だ。

【 (前部を略す)付属なきが故に・時のいまだ・いたらざる故に・
仏の久遠の弟子にあらざる故に 】 『 諸法実相抄  1358P 』 
上記は、最も私達が学んだ御金言の一節であろう。

『適時而已』…。     語彙が重なるが、甚だ深い。つまり、甚深である。





 2012年06月18日 (月) 05時41分

やはり…。 次に書くなら『報恩』だ。  今日(2012年6月17日)の聖教新聞を読んで、そう感じた。

宗教全般が、皆に最も求める事は何か。 又逆に、一体何を皆に教えたいのか。
…それが『恩』。 感謝に報いる思い。 ではないか。 


【 此(こ)の功徳を以(もっ)て 父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候 】
『 本尊問答抄  374P 』  「御本尊への報恩が、すべてを包含する」

【 さど(佐渡)の国と申し これ(身延の事)と申し 下人一人つけられて候は・
いつの世にか わすれ候べき、此(こ)の恩は・かへりて・つか(仕)へたてまつり候べし 】
『 妙一尼御前御消息 1254P 』


次下(つぎしも)の御記述は、『感情なき畜生すら恩を報ずる…』という示唆である。
【 川獺(せんだつ・かわうそ)祭魚のこころざし・林烏(りん・カラス)父祖の食を通ず
鳩鴿(きゅうご・ハト)三枝の礼あり  行雁(こうがん)連(つら)を乱(みだ)らず・
羔羊(こうよう・ヒツジ)蹄(うずくまり・ひずめ)て乳を飲む・
賤しき畜生すら 礼を知ること 是くの如し、何(いかん)ぞ人倫に於て
其の礼 なからんやと あそばされたり 取意、 】『新池御書 1444P』

『報恩』  恩とは報うべき…  報うてこそ「恩」が成り立つ。
若干、時間がないので、 明日に譲る。





 2012年06月18日 (月) 09時14分

前回。時間の都合で、「簡素にした部分」の詳細を記述しておく。(御存知の人の多きを承知で記述す)

【 ①川獺(せんだつ⇒かわうそ)祭魚のこころざし・②林烏(りんう)父祖(ふそ)の食を通ず
③・鳩鴿(きゅうごう⇒はと)三枝の礼あり④行雁(こうがん) 連(つら)を乱(みだ)らず・
⑤羔羊(こうよう⇒子羊)踞(うずくま)りて乳を飲む 】   『 新池御書 1444 P 』

①  カワウソさえ、正月(旬)には「魚」の供養をする。
②  カラスは、自分を育ててくれた「親」や、その又「親」のために「エサ」を運ぶ。
③  鳩でさえ、親鳥の3本下の枝(三枝の礼)にとまる。
④  雁は、先頭を飛ぶ「リーダー」を追い越さない。
※戸田先生の『雁(かりがね)行進の否定』は、安易な人材推薦の話で、別次元だ。
⑤  「子羊」さえ、親から乳を飲む時は踞(うずくま)り「膝」を折る。
上記は全て『報恩』の持つ意義・重要性を御教示されている『御聖訓』である。  


【  夫(そ)れ老狐(ろうこ)は塚をあとにせず    
白亀は毛宝(もうほう⇒古代中国の武将)が 恩を ほう(報)ず  】『報恩抄 293P 』
上記は『報恩』の核心の御記述である。これは…あまりにも有名な 『報恩抄』の冒頭文だ。
『塚をあとにせず』…とは、自分の育った巣穴に対して、
粗末に軽んじない、後足で砂を蹴らない、永劫に疎(うと)んじない事。
又。白亀(はっき⇒年老いた亀)の故事は…
昔「毛宝」に助けてもらった亀が、「毛宝」の最大の危機を救った話である。

この「白亀(はっき⇒年老いた亀)」に関して、『日蓮大聖人』は別の『御書』で
【 亀魚(かめ)すら 恩を報ずる事あり 何(いか)に況(いわん)や人倫をや 】 
と、憤慨の気色で御記述になっておられる。 『 善無畏三蔵抄 888P 』

この 『報恩抄』の冒頭文を「再掲」する。
【 (前部を略す)…畜生すら かくのごとし いわうや人倫をや 】
『日蓮大聖人』の叫びは、 『畜生すら (このように) 恩を知るのではないのか!』である。
『日蓮大聖人』の叫びは、 『人間として、「不知恩」は最悪・最低ではないのか!』である。

五・十大部にも属する『報恩抄』は、(これも御存知の通り)「通・別」の二義を説かれている。
ここで「義」の詳細に触れると「紛れる」ので、大意を申して置くと。
『通』 ⇒ 「四恩を報ず」であり。    『別』 ⇒ 師恩への報謝である。

又。『報恩抄』の主題は…  以下である。
【  日蓮が慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は 万年の外・ 
未来までも ながる(流布)べし 日本国の一切衆生の盲目を 
ひらける功徳あり、無間地獄の道を ふさ(塞)ぎぬ 】 『 報恩抄 329P 』

決めて『報恩抄』に係わる事が、『恩』への肉迫ではない。
そこで、『御書』に於ける『恩』を探ってみる。

先ず。若干「難解な恩」に迫ってみる。
【 内典(仏説全般)には 恩を棄て 無為(の位・一切万象に影響されない境地)に入るは 
真実の恩を報ずる者なりと 仏 定め給いぬ 】『 下山御消息 364P』
(この【 無為の位 】を、「宗門」では『出家』と定義した。)

『恩義』という言葉の深さを、『御書の御聖訓』で充分に味わって欲しいものである。

【 我等が父母・世尊は主師親の三徳を備えて 一切の仏に擯出せられたる我等を
唯我一人・能為救護と はげませ給ふ、其の『恩』 大海よりも深し
其の『恩』 大地よりも厚し 其の『恩』 虚空よりも広し、(中略)
(其の仏恩に報いる為) (自分の)身の血肉を無量劫・仏前に 山の如く積み
大海の如く 湛(たと)ふとも 此(こ)の仏の一分の『御恩』も報じ尽くしがたし 】
『 善無畏三蔵抄 886P 』

『御書全篇是報恩也』とは「愚壮」の造語であるが、『御書 即 報恩』は正解である。
以下。次回





 2012年06月19日 (火) 04時00分

『日蓮大聖人』御自身が「報恩」を決意された時の御心境は、どのようなものか…。
これは「凡夫」には、量り知れない事である。
然し『御書』の御記述には、その事が端的に示されている。(重大な部分は、『』で囲んだ)
【 本より(言わずもがな・当初から…)学問し候し事は、
『仏教を  きは(極)めて 仏になり』 恩ある人をも たすけんと思ふ 】
上は『 佐渡御勘気抄 891P 冒頭文 』  これは説明不要である。


『恩』と ひと口で言うが、その最深部は、一体何処にあるのか。又、何処に向う可(べ)きなのか。
この、ひと口で表現出来る『恩』への解剖は、一筋縄では どうにもならない。
【 父母を知るも 師の恩なり  
黒白(正誤・表裏・正邪・正否・真贋・勝敗・雌雄(しゆう)…etc)を弁(わきも)うも 釈尊の恩なり 】
つまり、得々と・堂々と「誤謬」を垂れる※輩は、『報恩』部分が抜け落ちているのだ。
( ※『輩』 ⇒ 黒・白をも弁(わきまえ)ずに 『ヨタ』を吐く奴は、「不知恩」である。という事 )
又。『ヨタ』とは、過去の発言を「紛れて翻す事」である…   納得されるかな…。

訳の判らん「俗世の常識」を、『鬼の首』の如く吹聴し、一切の「省み」が無い。
吐き並べる「御託」は、一見正論・再検証の暁は…何処から斬っても『世迷い事』である。
…これが上記の「御聖訓」の御指導(通解)である。
それが 『 一谷入道御書 1327P 』である。

更に申せば。 
更に申せば とは、 もっと別の、もっと深い『報恩』に関する御金言を拝読せよという事だ。 

それが。   『上野殿御消息』(四徳四恩抄)の全文である。 1526~1528P
これの「身・口・意」での咀嚼は、『人間革命』の直道である。
『人間革命の直道』とは。      
『御書』を拝読している時に『感動・感謝・報恩』の『涙』に咽ぶ事である。 

これが…  真実の叫びである。





 2012年06月19日 (火) 17時02分

『四大声聞』の領解文では、
世尊の『大恩』それ自体が「稀有」であり、
その巨大なる『恩』に「報ずる事」は、(深すぎて)不可能  (能〔あた〕わじ)としている。
『 開目抄上 204~205P 』

扨(さて)。  
『恩義』という事を学ぶ上で、絶対に避けては通れぬ『御書』が在る…。

それが『四恩抄』である。

弘長元年(1262年)正月16日  聖寿41歳の御述作であられた。    
対告衆 ⇒ 工藤吉隆(小松原の法難で大聖人を護り討ち死にをした)

御述作地:伊豆(流罪地)        別名『伊豆御勘気抄』  約3,600文字の短簡
※小松原の法難の詳細 
『南条兵衛七郎殿御書 1498P 』  小松原の法難の意義 『上野殿御返事 1555P 』

本抄の大骨格は『報恩』である。            
それは『報恩』こそ人間本来の目指す『本源』であるからだ。

『恩』を知り(知恩) 『恩』に報いる(報恩)            
これこそが、人間が人間らしく生き行く為の「根本」。
☆『人間』が永劫に正しく前進しゆく原動力は『報恩』である。

『四恩抄』 の他に 
『報恩抄  293P』『本尊問答抄  374P』『妙一尼御前御消息  1254P』『新池御書  1444P』
上記は全て『報恩』の持つ意義・重要性を御教示されている『御聖訓』である。(一部・御書名が重複)

【 仏法を習う身には 必ず四恩を報ずるべきに候か、
四恩とは(中略) 一には 一切衆生の恩
一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願い 発(おこ)し難し、 
又 悪人 無くして 菩薩に留難を なさずば 
いかでか 功徳をば増長せしめ候べき 】  『四恩抄 937P』

『 仏法を習う身には 必ず四恩を報ずるべきに候か 』 
 この御文証こそ「本抄」の急所である。

四恩とは  ↓ 以下を指す。
①一切衆生の恩  ②父母の恩  ③国主(王)の恩  ④三宝(仏・法・僧)の恩

①(一切衆生)に報いるとは、
滅後悪世で万人を救済するという崇高な「使命(衆生無辺誓願度)」を果たせる恩だ。

②  母に関する御聖訓は 
 233P 733P 929~30P 933~4P 1131P   ☆1398P 1481P 1490P
『開目抄下』  『御義口伝上』  『光日房御書』 『光日上人御返事』 『呵責謗法滅罪抄』 
☆『刑部左衛門尉女房御返事』  『窪尼御前御返事』  『三沢抄』 

②  父に関する御聖訓は ⇒ 858P 1033P 1481P  ☆1532P 1557P
『百六箇抄』 『曾谷入道等許御書』 『窪尼御前御返事』☆『南条殿御返事』 『上野殿御返事』

③国主(王)の恩に関しては⇒大白蓮華 47P (上段)
『国主の迫害によって、仏果(道)を得(極め)る』とする。
『日蓮大聖人』と門下への「迫害」は『御書』により明らかであり、
その『難』ゆえに、『宿命転換』出来得たのも事実だ。

又。国主(王)の恩を、『帝(みかど)』に限定すれば…。
※『紫宸殿御本尊』の意義がある。 しかし… これは、紛れるので割愛する。
紫宸殿御本尊⇒紫宸殿(天皇の居所・帝の内裏)に奉掲すべき御本尊の事。 
 ※ 紫宸殿⇒『本尊問答抄 372P 』
 
『報恩』(恩に報いる行為・恩を刻み込む姿勢)こそ、
自己の狭い料簡を乗り越える『跳躍台』である。
ここで言う『跳躍台』とは正に、『人間革命』そのものと捉えてよい。

逆に「狭い料簡」の人間とは『不知恩』の事なのである。 
『報恩』に相反して、厳しく誡められているのが『不知恩』だ 

つまり『不知恩』とは「利己主義」。これを『自利』と切る。
「自利」とは「不知恩」 「不知恩」とは「利己主義」 
「利己主義」とは「異体同心の否定」 
「異体同心の否定」は『同志誹謗』と『師敵対』に直結している。

これでは『人間革命』など、「夢」の又「夢」である。 
ましてや『折伏弘教』など「何億年」掛っても出来ない。

④の『三宝(仏・法・僧)』への『恩』
これは。 最も基本であり、中枢であり、難解であるので。
次回とする。





 2012年06月19日 (火) 19時34

『三宝(仏・法・僧)の恩』
『日寛上人』の六巻抄の中の『当流行事抄』にはこうある。
仏宝 ⇒ 久遠元初自受用身報身如来即日蓮大聖人
(例えば『第59世:堀日亨上人猊下』は、「六巻抄・当流行事抄」の御註解に於て、
自受用身に関して「ホシ(自)イママニウケ(受)モチ(用)ユルミ(身)」とされる。
(が、しかし。 これ以上の細部への検証は、煩雑すぎよう。)
法宝 ⇒ 本門の本尊即南無妙法蓮華経
僧宝 ⇒ 日蓮大聖人血脈付法の開山上人『白蓮阿闍梨日興』
としている。

『御書』に於ける『三宝(仏宝・法宝・僧宝)』への「恩」は、もっと凄い。
…というか…『難解』すぎる。  『四恩抄 938P』
【 (前部を略す)…残る所の四十年の寿命を留め置きて… 】
(本来「釈尊」は百二十歳の寿命であったが…一応、八十歳で入滅し、
残りを全ての衆生の為に『恩』として与え置いた。…)

それに続く『御聖訓』には。
世界中の海の水を「硯(スズリ)」の水とし、世界中の植物を焼いて墨汁とする。
…だけではない。 世界中の獣の毛で筆を作って。地球上の全大地に…
『仏(釈尊)』への『報恩の謝辞』を書いても、 未だ足らない。という。

こうなると。  『恩』の深さ等は天文学的で、生きている間には量れない。

更に、この『御聖訓』には、 『この三宝への「報恩」で、一番重要なものが『僧』への恩』という。
【 僧の恩を いはば(言及すれば) 仏宝 法宝は 必ず 僧によりて住す 】938Pとある。

これを拝して、「未だ『僧への恩』を否定する気か!」と、叫ぶものである。
【 然れば 僧の恩を報じ難し 】938P を、一体。どのように拝するのか伺いたい。

但し。声を惜しまず叫んでおく。
ここでいう『僧宝』の御資格を有する『正僧』『聖僧』とは、恐れ多くも。
『御本仏・日蓮大聖人』を除いて 『日興上人』『日目上人』『日有上人』
『日寛上人』『日霑上人』『日亨上人』に代表されるのである。

『三宝への報恩』及び『聖僧』たる意義・等々は次回で記述する。  
特筆『日寛上人』に対する「三代歴代会長」の絶対姿勢等々も、又。次回に譲る。


唯一言える事がある。   「三代歴代会長」は、紛れも無く私達の「師匠」である。
この『三代の歴代会長』は『卓抜で不動」である。と言っても、異議はなかろう…
否。 一切の反論は無い筈である。 
「第26世:日寛上人」を指して、よもや「偽者」とホザク『師敵対』の輩は居るまいと確信する。





 2012年06月19日 (火) 20時25分

ところで…『独り言』じゃ。
話は『御書』に関してである。
「句読点」や「中点」等は、名詞が和字(かな)で連続している為の判読を容易にする為、
後世で書き添えられたものである。(第59世:堀日亨上人猊下の御努力)
又。『御書本文』の御記述順序も、きっちりと「分類」されており。
特に、御門下への『消息文』等は、『日蓮大聖人』の御事跡に沿ったものである。
上記の四行に関して、『御書』に詳しいので、御読み頂きたい。

近々。ネット等で(例えば)『満月城 岡山』(だったかな…)等。
『御書』の検索が、非常に便利であって。   大きな助力となっている。

然し この(例えば)『満月城』。語記方法に於いては。 
⇒『・』(中点と呼ぶ)等が省略されている。  (他の同種が、どうかは知らない。)

勢い。そのままの「貼り付け」が、当然 非常に便利である。
が、ともあれ。【 全文の「コピー」「貼り付け」は、どうも有り難くない】とは、ジジィのヒガミか。 

私が『御書御本文』の引用に及ぶ時は、一字一字 キーを打つ。
その為、時間は掛かる (…それでも、誤植が発生するのには閉口する)

ま  。『御書』の御引用に、便利な「ツール」の御使用も結構じゃが…
散見する『丸写し』は、あまり感心できたものではない。
せめて、「中点」や「句読点」や『特別な御文証』への「通解」位は実施せよ。

ママの丸写し等…「猿でも出来る」
但し… これは『満月城 岡山』様に言ってるのではない。





 2012年06月20日 (水) 05時07分

蓮祖大聖人滅後383年目に御出現された「御正師」の存在が在る。  
(日寛上人⇒南条兵衛七郎直系の子孫)
後の『第26世:日寛上人(1665-1726)』である。 
この『寛師』の御出現で、汚れた宗史の軟風・己義・邪義は一挙に打ち払われたのだ。

所以(いわゆる)『中興の祖』の御出現である。 
( 『中興』という文言は、一旦崩れた正法を、正道に戻す事をいう )  

扨(さて)。『六巻抄御講義』の「序文」である。
六巻抄とは、正式には以下の「六巻」の論文を言う。
それが  ①三重秘伝抄 ②文底秘沈抄 ③依義判文抄 
④末法相応抄 ⑤当流行事抄 ⑥当家三衣抄の『全六巻』である。

日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、
化儀の広宣流布の未来に流れ通わしめんがため
全魂をこめて著された破邪顕正の書である。

即(すなわ)ち、六巻抄全体は、当時の邪義を摧破(砕き破る)した「破邪の書」であり、
正像の仏法と、末法摘時の大仏法を峻別し、日蓮大聖人の御書の真意を知らしむ、
顕正の書である。(中略)

当時の『池田先生』をして ⇒ 『彼の天台、伝教が釈尊の正統を顕揚したのに
幾千倍勝る大偉業であると共に、未来永劫にわたる源遠長流の
教学の大基盤であると信ずる。』とは、 一切の予断を排した『池田先生』自体の心である。

更に「序文」は格調高く続いている。
『戸田前会長も、常々『教学は日寛上人の時代に帰れ』と申されていた。
事実、学会教学の不滅の伝統は、
日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない。(中略)

六巻抄は いわば仏法哲学の精髄である。
これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、責任であることを訴えたい。

(中略)   もはや、一宗門の六巻抄にあらずして、
万人の六巻抄となりつつあることを銘記されたい。  (後略)
昭和四十四年三月十六日   創価学会会長    池田大作

『戸田城聖第二代創価学会会長』
『池田大作創価学会第三代会長』
が、併記された『六巻抄』への「帰依の御心」を、我等は継承せねばならぬ。
それが『創価の弟子道』であるからだ。

巻末に、『戸田城聖第二代創価学会会長』の「宗門観」の参考となる御記述を再掲する。
(これは現今の「顕・如に見る」 ひん曲がった「宗門」を指す物ではない。念の為…)
【 (本文はカタカナ表記) 去年、堀米先生を謗った罰をつくづく懺悔しておると話して下さい。
「法の師を謗りし罪を懺悔しつつ、永劫の過去を現身に見る」と言っておりますと。】
青娥書房「若き日の手記・獄中記」抜粋





 2012年06月20日 (水) 09時33分

蓮祖大聖人滅後383年目に御出現された「御正師」の存在が在る。  
(日寛上人⇒南条兵衛七郎直系の子孫)
この人が   『第26世:日寛上人(1665-1726)』である。 
この『寛師』の御出現で、汚れた宗史の軟風・己義・邪義は一挙に打ち払われたのだ。
所以(いわゆる)『中興の祖』の御出現である。   有名な著書は『六巻抄』である。 
( 『中興』という文言は、一旦崩れた正法を、正道に戻す事をいう )  

扨(さて)。『六巻抄御講義』の「序文」である。
六巻抄とは、正式には以下の「六巻」の論文を言う。
それが  ①三重秘伝抄 ②文底秘沈抄 ③依義判文抄 
④末法相応抄 ⑤当流行事抄 ⑥当家三衣抄の『全六巻』である。

『日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、
化儀の広宣流布の未来に流れ通わしめんがため
全魂をこめて著された破邪顕正の書である』。

『即(すなわ)ち、六巻抄全体は、当時の邪義を摧破(砕き破る)した「破邪の書」であり、
正像の仏法と、末法摘時の大仏法を峻別し、日蓮大聖人の御書の真意を知らしむ、
顕正の書である。(中略)』

当時の『池田先生』をして ⇒ 『彼の天台、伝教が釈尊の正統を顕揚したのに
幾千倍勝る大偉業であると共に、未来永劫にわたる源遠長流の
教学の大基盤であると信ずる。』とは、 
一切の予断を排した『池田先生』自体の誠心である。

更に「序文」は格調高く続いていく…。
『戸田前会長も、常々『教学は日寛上人の時代に帰れ』と申されていた。』
『事実、学会教学の不滅の伝統は、
日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない。(中略)』

『六巻抄は いわば仏法哲学の精髄である。
これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、責任であることを訴えたい。』

『(中略)   もはや、一宗門の六巻抄にあらずして、
万人の六巻抄となりつつあることを銘記されたい。  (後略)』
昭和四十四年三月十六日   創価学会会長    池田大作

『戸田城聖第二代創価学会会長』
『池田大作創価学会第三代会長』
が、併記された『六巻抄』への「帰依の御心」を、我等は継承せねばならぬ。
それが『創価の弟子道』であるからだ。

巻末に、『戸田城聖第二代創価学会会長』の「宗門観」の参考となる御記述を再掲する。
( これは現今の「顕・如に見る」 ひん曲がった「宗門」を指す物ではない。念の為… )
【 (本文はカタカナ表記) 去年、堀米先生を謗った罰をつくづく懺悔しておると話して下さい。
「法の師を謗りし罪を懺悔しつつ、永劫の過去を現身に見る」と言っておりますと。】
青娥書房「若き日の手記・獄中記」重複抜粋


今・何故『六巻抄』に言及するのか。
それは『第26世:日寛上人』御自身の実像に肉迫するが為である。

六巻抄の中に『依義判文抄』という重書がある。
これへの『第59世:堀日亨上人猊下』の註解文を拝読するに、以下とある。
【 依義判文 】 
或る義を依拠とし標準として 次第に他の文を判断する事である。 という。
つまり『義に依って、文の真理を判ずる事』である。

『大聖滅後』四百年という時空の経過は、正否に亘って『法理』をも巻き込んだ。
これを如実に語るのが、「法主」の出張・交替…つまり「権威」の輪番である。

厳密に考えれば、
この辺りから『一切衆生・衆生無辺誓願度』という「大原則」さえ色褪せた。
『宗祖』が「命懸け」で伝えようとした「基盤」が忘れられかけた宗風である。


まあ、そう硬い事を言わずにいえば…『中興の祖』と言われる『日寛上人』が、
二十六番目の「嗣法」という事実は、厳然であり。
少なくとも「二十人と少々」は脱線した、も「逆算」の真実(史実)である。

弛みきった『箍(たが)』を、『第26世:日寛上人』が締め直したのは間違いない。

『三重秘伝抄』(日寛上人・著)の本文を抜粋する。
【 ※今謂(いわ)く 前来の諸説は 皆是れ 文上なり、
不相伝の輩 焉(いずくん)ぞ 文底を知らんや、
若し文底を知らずんば 何ぞ「蓮祖」の門人と称せんや。】
「我れこそは、真の池田門下生と言う輩こそ、臭い者である」
と指弾されている文言である。      何とか言ってみろ。

『 ※今謂く 』 ⇒ を特別に「日亨上人」が御講義になっている。
( 今謂(いわ)く ⇒ 本師(釈尊)上来(元々)の憶説(処説)を排除して
蓮祖正伝の実義を述べたもう事 )である。
これを「深く通解」すると。
「釈尊」の通説も『日蓮大聖人』の口伝に裏打されて、初めて『実義』となる。

更に、その「深義」(三重秘伝抄)を『日寛上人』が御記述される。
これが、誠の「血脈」である。(とは、言い過ぎか)

次回も『日寛上人』に迫りたい。





 2012年06月21日 (木) 05時12分


扨(さて)。 『日寛上人』
『演繹と帰納』の両方で評価しても、
『第26世:日寛上人』は中興の祖であり「稀代」の名僧である。
その上で、私が断言するのは。 
『日寛上人』を卑下する輩は、『日蓮大聖人』の弟子ではないと言う事だ。

『日寛上人』を申す以前に、是非。記述しておきたい事がある。

非常に不孝な事であるが、『日蓮正宗:大石寺』と『創価学会』が袂を別った。
一方は『破門された』と言い。      一方は『己義を立てた』と言う。
この時。最も苦しんだのが『法華講員・学会員』であった。

その後、両者の 恥も外聞も捨てた「詰(なじり)り合い」は『我田引水』の羅列である。
『草創の学会員さん』の、隠れた顰蹙を買ったのも、又 この『我田引水』部分であるのだ。

ここでは、一例のみ『我田引水』の実例を挙げて、
この『創宗戦争』が、全く実益のない歴史上の愚行である事の 指摘だけしておく。

2011年10月12日(水) 第17441号の『聖教新聞』の社説。
以下抜粋 【  (中略)そして、日興上人の精神を継承したはずの日興門流も 
今では完全に「葬式仏教」と化している。(後略)】

『創価学会教学部』が、日興上人を否定する瞬間の記述が上記である。 
まったくもって、冗談ではない…何をほざくのか。
「創価学会教学部」が『日興上人』を否定する。
これは『師敵対』の極致であり、「三代の歴代会長」への冒涜である。

「愚壮自身」の実体験の中に、『総本山・大石寺」での『風景』がある。
これは、確か…「大化城」の近くであったと記憶する。(記憶は確定ではない)

ここに在った「蓮池」の事が、『四信五品抄』の講義レコードに紹介されていた。
この「戸田先生」の御講義が、筆者の印象に深く残った原因は、どこにあったのか。

その後、実際の『池』を訪れた「愚壮」に目に飛び込んできた「歌碑」があった。
それは…      夢か幻か…、こうあった。
『 あな嬉し   とわ(永遠)の故郷  大石寺 』

『池』のほとりに立ち止まり、生涯の安楽を、この「歌碑」に認めた幾多の人々。
この人々の…『深奥からの安逸』を消し去ったのは、 一体誰だ。

もう、二度と帰らぬ『失われた時』を求めて…
今、私は。 『六巻抄』を再び繙いた。

そうした私の目に、一句の語句の解説が飛び込んだ。
その「語句」は…一冊の『六巻抄講義』の最後のページにあった。

【 皎然 】とだけあった。当然あるべき(読み)もない…。
下部の「語句の解説」には、こうある。
『 あきらかの意。 目の前に明らかであること。 』とあった。

私は思った。
この『創宗戦争』は、このままでは、未来永劫に続くであろうが…。
【 皎然 】としている事は、山ほど有る。
いつか何時の日か、「発足の初心」に戻らなければ。
総てが「死ぬ」。

その「死ぬ」中に、『日蓮大聖人』も『日興上人』も『日寛上人』も『日亨上人』も。
厳然。 含まれて居られるのである。

それが謂う処の…多寡の論理では無い事象の根幹である。『聖愚問答抄下 493P』





 2012年06月21日 (木) 17時14分

余話
ところで…。 
私は今。『日寛上人』を称えるが為にのみ繙く 一書がある。
一書とは『六巻抄講義』集である。
この『六巻抄講義』集を拝読していて、突然に思い起こした事がある。

それは過日。 この『風景』にて…である。
いつものように、甚だ「舌っ足らず」の御託を並べる「愚壮」に横槍が入った。
「横槍」の内容は的確で、  私はいっぺんに『横槍の人』が嫌いになった。

この際。 「嫌い」が冗談で…      「的確」が急所であった。

私のいう『謗法厳戒』は、これは正論である。
その上で、あるべき流れは…これは、ある。

『氏』が私を諌めた「文言」は、   前出の(あるべき流れ)で、正論である。
正直私は、「氏は、よくここまで読んでいる」と感動をしたのである。
(これは、決めて…ヨイショではない)

然しながら言っておきたい。   氏「引用」の文章に。(…と喧嘩を売るのではない)
非常に類似した記述文がある。  それが、
この『講義の巻』の、 147~148P。 これは当時の『創価学会教学部』の記述だ。
(違っておったら、言い訳に「汗」をかくので、(セコイが)書名は伏せる。

この文章。当然『池田先生・監修』の範疇ではあるが、 記述は『創価学会教学部』だ。
記述内容の持つ意味は大きい。     つまり、私はここで  『教学部』に言って置く。
意義が深そうであっても、      「誤解」の余地ある構文は控えねばならん。
それは何故か… 全責任が『池田先生』に向うからである。

因みに…この『横槍・正論の人』は、御若いのに(…と、勝手に決めてる)尊敬できる人である。
愚壮・拜





 2012年06月21日 (木) 18時18分

若干 横道に外れた…と。 『日寛上人』の話を戻す。
先ず。 『橋を問う』という急所から「講義」は始まる。 本文は
【 (前部を略す)苟(いやし)くも糟糠(そうこう)を執し ※橋を問う 何の益あらん 】

糟糠(そうこう) ⇒ 酒のカス・米のヌカ ⇒ 最も劣ったもの。
※橋を問う ⇒ 文言に拘泥(こだわって)奥底の思想・哲理・本質を読み取ろうとしない事。

須(すべから)く…。     文章を翫(もてあそ)ぶ「輩」の陥りそうな指摘である。
こういう部分から『講義を始める事』に、『日寛上人』御自身の、急所を飲み込まれた凄さがある。
『 一を聞いて 十を悟れ 』 とは、確か。『御書』に存在している。
【 一をもつて万を察せよ 庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり 】
『 報恩抄 295P 』

【 一は万が母と いへり 】 『 聖愚問答抄下 498P 』
【 母は唯・一なるべし 】 『 妙密上人御消息 1237P 』

『日寛上人』が、先ず「橋を問う」如きの愚かな進行に終止符を打たれたのである。
その上での「急所」が以下である。
※「橋を問う」如きの愚かな進行…とは  『両者が、相反する事を示すのではなく』
理に走り原典を離れる事・文章の枝葉に拘泥する事の「二極端」の誤謬を排している。

もう既に、この「一点」から、『宗・創』は『日寛教学』身読しておらず、話にならない。
誰かが『教学は日寛上人の時代に帰れ』等と、声高に請売りする値打ちもない。

よくよく 反省して頂きたい。
…と言っても、これは『戸田城聖第二代創価学会会長』を指しているのではない。

何度も繰り返すが。
『牧口先生・戸田先生・池田先生』は私達にとって、「稀有」の『師匠』である。





 2012年06月22日 (金) 05時03分

『日寛上人』が、其の『本門戒壇本尊』の元意に、直ちに当てはめられたのが、
※「応受持斯経」の文。就中。『受持』の二字である。
「受持」する事自体が『本門戒壇本尊』で、そこから総てが出発する。

※「応受持斯経」の文。と言われても、何の事やら、さっぱり解らん…と人は言う。

少し挿むが…元々『六巻抄』自体が全て「漢文表記(漢文体)」である。
これを後世の研究家が、
当該研究家の対告衆の素地に合わせて「訓み下した」書物である。

そこで前出の「応受持斯経」を「訓み下した」形態に変換表記する。
『 応(まさ)に斯(こ)の経を受持する事が即本門戒壇の意義 』と読む。
(他にも いろいろの読み方があり、漢文の専門家の訳文に期待するが)
概ね、上記の読み方が「日興上人(開山上人)」の本意である。


何故。この「講義書」の内容を言うのに、ここから入ったのか…。
それは、『日寛上人』が単独で「己義」の「本尊論」を展開などされてなく。
あくまでも、日興上人(開山上人)の所説を御踏襲されているからである。

『日寛上人』書写の御本尊に対する、甚だしい「悩乱」の解釈は論外なれど。
看過しての「其の侭」は。 決めて『宗・創』の「魔への屈服」である。

『事。御本尊』である。    黙殺宜しき筈がない。





 2012年06月23日 (土) 06時53分

『六巻抄』とは「六巻」に顕されている『日寛上人』の重書である。
(「中興の祖」と謂われる・エキスが「本編」のどこを摂っても、我が身に附く)

こう簡単に考えたのが『六巻抄』を教材に選んだ理由の一つ。
もうひとつは、『日寛上人』を(諺 ⇒ 盲目・蛇に怖じず)と「こき下ろす」輩への警鐘だ。

『日寛上人の六巻抄』 就中「依義判文抄」を選んだ理由は、上記に依るものである。
然し…。 『講義書』を繙いて、ものの二日とせぬ内に、私は大きく後悔した。
…と。 その「難解」な構図に、悲鳴をあげたのだ。


その「講義」は、冒頭に下記を言って始まっている。↓
【 義に依って文を判ずる 】 この場合の「義」とは、『日蓮大聖人』の三大秘法の仏法である。
「文」とは 釈迦の説いた「法華経二十八品」の文である。

つまり…『依義判文抄』という題号の真意は。
『日蓮大聖人』の仏法に「依って」 法華経の「文を判じる事」ととし、更に。
『三大秘法』が「法華経が(元々・顕わそうとした)法体そのものである」とする。

この辺(あた)りから、「隙間だらけ」の愚壮の脳味噌の限界を露呈してくるが…
引き続いての「講義文」に遭遇して、「恥も外聞もなく・悲鳴するの」である。

それが、以下に続ける「講義文」である。
【 この事 ⇒即(すなわ)ち『依義判文抄』という題号の真意・
ひいては『依義判文抄全体』の持つ「底意」とは  】
『日蓮大聖人』が建立された三大秘法の仏法が、
『日蓮大聖人』御自身をして「勝手」に造ったものではなく、
釈迦も知り、ひいては「一切の仏」も知っていた事を
知らしめる・宣言する・決言する「書」である事。という。

私は、ふかく反省した。
「しまった。これ(『日寛上人』の『六巻抄』)に言及してはいけなかったのだ」


そんな事で悩むな。という声までが私を責めているやうな今朝。
『池田先生』は『 寂日房御書  902~903P 』を捉えてくださった。

「水を得た 魚」とは、こう云う心境の「言葉」である。と 私は歓喜した。

【 夫(そ)れ人身を うくる事は  まれ(稀)なるなり、
已(すで)に まれなる人身を うけたり
又 あひがたきは仏法・  是も又 あへり、 】と更に御金言は続く。

【 同じ仏法の中にも 「法華経の題目」に あひ たてまつ(奉)る
結句 「題目の行者」となれり、
まことに まことに  過去十万億の諸仏を 供養する者なり  】 

この「通解」は、深く言えば(ママであるが)下記である。
『 人と生れて、御本尊に会う事は 過去世の深い「宿縁」である。
「広布」を怠るな。 「信心」を怠るな。 』 という事である。

…という事は、今 私が繙く『依義判文抄・講義集』に登場する御聖訓も、
当(まさ)に・『寂日房御書』そのものではないのか。

『依義判文抄』の真骨頂は、多編の中の『寂日房御書』であり…
その中でも、特筆の『神力品 第二十一』である。

ここに来て… 殆んど 微(かす)かではあるが、
『依義判文抄』が遠くに見え始めたのである。

それにしても……と。 私は心底にと、 こう想う。
『日寛上人』とは、誠に凄絶の「御示現」であったのだ。

中興の祖『第26世:日寛上人』の御生誕は1665年(日蓮大聖人滅後383年)
その御遷化は1726年(日蓮大聖人滅後444年)享年61歳である。

江戸時代(1600~1867)の中間点は享保18年(1733年)で、
「日寛上人」は、まさに江戸時代中期の法嗣であられた。

『享保(きょうほう)時代』とは、
(諸説があれども・概ね…)1716年6月22日から1736年4月28日までの20年間を指す。
尚。 その時の江戸幕府の将軍は『第八代:徳川吉宗』であった。

常々「戸田先生」が叫ばれた事実とは。
『教学は日寛上人の時代に帰れ!』であったが。
これは…「宗門」に『本物の法嗣・日寛上人』が出現されたからである。

『日蓮仏法』の、原点である「鎌倉時代」は130年間(1203~1333)続いた。
又。その中間点は弘長5年(1268年)であり、最初の蒙古牒状が届いた時であった。

弘長5年(1268年)といえば…。
この3年後に『竜の口法難』が起る時期であり、
この時の鎌倉幕府の執権も亦『第八代:北条時宗』であった。

この「二つの第八代」…。 読者諸賢諸氏は、『偶然』と片付けるのか。





 2012年06月24日 (日) 07時09分

我れ真の弟子なり』と言って一歩も退かない人が多く居る。
これと、全く同じ様に、「私こそ釈迦の誠の弟子である」と、常時 明言した人々が居る。

『釈尊』が最も近き世に。「如我等無畏(にょがとうむい)」という決意を抱いて、
今世に、皆の識(し)る出現の体現をされ、「方便としての涅槃」の直前に「二十八品」を説く。
これは、皆が知る「釈尊に依る 近代仏法開闢の風景」である。

『釈尊』は…。  この「法華経」の十六番目に来て『如来寿量品』を説かれる。
ここに初めて、「地湧千界の諸菩薩群」が大地を割って登場する。
その数たるや……。 「無数」である。

これを見た、「迹化の諸菩薩」は…
今までの「長時の空間」(永い時間)に亘って、「釈尊の弟子」を自認してきた自信を押し出した。

然し…『釈尊』は、いとも簡単に、こう言う。
「あなた達(迹化の菩薩達)」は、私の「今世(つい最近)」の弟子にすぎない。
それに引き換え、ここに居る『地湧(涌)の菩薩』達は、気の遠くなる以前から…
「末法広宣流布」を、誓い・願い・自認した『六万恒河沙』に及ぶ「菩薩群」なのだ。

これを聞いた「迹化の菩薩達」は大きに驚く。その有名な言辞を ⇒ 『驚天動地』と言うのだ。

『法華経・如来寿量品』で出現した「地湧(涌)の菩薩」が、
『法華経・神力品』で、具体的な「時期⇒末法」や「行為⇒破折・折伏」を自らに課す。

然し。この「一連」の流れ、   実は…。
『釈尊己心の法華経』や、天台・伝教等の「理の論述」には示されていた…が「輪郭」のみである。
(実際は釈迦が「ケチ」で言わないのではなく、「一切衆生の機根」が「至つていない事」を言う)

ところが…事実は冷酷である。
『釈尊自身』が予言した「白法隠没」が、遂に到来する。
「況滅度後・況滅度後」と、あれほど「鸚鵡」のように恐れた時代が来たのである。

『一切衆生』の機根は最下限の「底辺」まで堕ち。
「第六天魔王」は「此の世の春」と『奪命』の限りを尽くし(血塗られ)ていく。

既に、世界中が…。
『最も信じていた者が、実は、最悪の「奪命魔」であった』…という世相になっている。

『日蓮大聖人』が、最も恐れられ、最も闘われたのが、(上記の…)末法であった。
『最も闘われた』事とは ⇒ 最終の『悟達』の結果に「顕された三大秘法」の『大御本尊』である。
この『三大秘法の御本尊』即『南無妙法蓮華経』即『末法御本仏』が、『未曾有の法理』である。

これを「懇切」に順記され尽くしたのが ⇒ 『六巻抄』である。
つまり…『日寛上人』の御存在が「宗・創の要(かなめ)・扇の芯」なのである。

『御書』・『日寛上人』と出れば…次に控えて居るのは「地湧(涌)の菩薩」と決まっておる。





 2012年06月24日 (日) 08時12分

≫ 「第六天魔王」は「此の世の春」と『奪命』の限りを尽くし(血塗られ)ていく。

「念仏無間地獄抄」を繙くまでもなく、「地獄」の様相は『人々の悪業の積み重ね』を自重させた。
「顕謗法抄」を繙くまでもなく、「地獄」の様相は『人々の悪業の積み重ね』を自重させた。
「如何なる妖艶美人」も、その死体を三日も放置すれば「蛆(ウジ)」が沸く。
…上記の警告等、「どこ吹く風」と、聞く耳をも持たない。

どのような「最高に秀でた人間」も、最初と最後の「各五・六年間」位は(個人差は有れ)手間もかかる。
と、諭(さと)しても…上記の「納得出来る仕組み」等、『屁』ほども気に止めない。
『なんせ、やる事がいっぱいあって… アア 忙しい・忙しい…と、「皆」死期に向って街角を走り抜ける』

人々は「己の主義思想」を貫く為に、『人間』を簡単に「謀(たばか)」る。
「謀(たばか)」る事・「謀(たばか)」られる事で…… 何千万の人々が抹殺されてきた。
それが、動かぬ「歴史・正史」である。

何も、今。ここで改めて…『拷問の事実』を語るまでもない。
然し。 現実は、「主義・主張」「人種」「宗教」に依って、人々は殺されて来た。
これは、絶対に動かない「事実」である。

「その場で殺す」「死(公)刑に処す」「無期に拘束する」「毒を盛る」「便槽に落し込める」「割礼を施す」
「拷問にかける」「私刑で殺す」「抹殺する」「陵辱する」…等々、これはオゾマシイ程、一部である。

『日蓮大聖人』が何度も御示唆された…『死は一定』という真意は、
「命」自体が持つ「不思議」なる「貴重」さ・「稀有」さ・である。
又。その「使命」(何に命を贖い 使い終わるのか)という事である。

「死んで三日もすれば、人々の記憶からも消えていく」儚(はかな)き今世であれば…
『愚」にも附かない ・ 『屁』にも劣る類の事はもうやめようよ。
どこかの「宰相」が、こう言った ⇒ 『ノー・サイドにしましょう。もう…』
主義主張に拘泥せず、イイ言葉だとは思わんかね。

優曇華の如き「人界」の現実を、どうか「性善」に全(まっとう)して頂きたい。

こう 念(おも)う   昨今である。

ところで…。 今日。
『O・T支部・壮年塾』である。  教材は『種種御振舞御書(佐渡抄)』後半。
講師は「拙」。   ずっと悩んでおるが…「質問形式」の方が、楽しく学べるのかナ。





 2012年06月25日 (月) 05時46分

日曜日の昼前の一時間。恒例の『支部壮年塾』を行っている。
「今日。私は仕事なので『壮年塾』に参加出来ないが…」と、「N支部長」からは何度も確認があった。
定刻の十分前。四階建の「四階・拠点」に向った。

「拠点」の街路を挟んだ北側は「H小学校」
私は、その「グランド」を   立ち止まって、暫く眺めていた。
それは…昔日の、ヤンチャな「愛孫達」の勧声が聞こえたような気がしたからである…。

目指す「拠点(M田宅)」は、閑静な陽光の中にある。
『若干・四階までの階段。これは、少々こたえる…』と思うワシの、身体がなまっておる。

「四者」の「支部唱題会」の締め括りの「幹部」による談話の中。ワシは音も無く「会場」に滑り込んだ。

目聡い「担当の壮年幹部」は、同志の群れの「最後列」に身を潜める私に声を掛けた。
「愚壮さん。この後の『御書勉強会』…」 よろしくたのむと、こう申された。


「本日。N支部長が欠席されております」と、切り出した私は。
「今日の『御書勉強会』は、講義ではなく、「共に切磋琢磨すると言う意義を込めて…」と。
『御書に関するディスカッション』にしたいと、御提案した。

参加者各位の『御了解』を得た私は、御用意いただいた「小机」の前に在る。
『机』の上に…『御書』『大白蓮華』『眼鏡』『腕時計』を並べた私は…
最後に、今日の為に造った『種種御振舞御書(佐渡抄)』の冊子を開き、こう申しあげる。
『いつも、このような「高い場所」を与えて頂き、誠に恐縮です』
『それでは…今回の『勝利の経典』  共々に学んでいきましょう』


「睨み付けるが如き」の各参加者さんの視線の中。
『御書』に対する「畏敬の念」は、いやまし高まってゆく気概あり。
上記は。   一つの、「トアル支部」での『御書学習会』の『風景』である…。

この『御書学習会』で見えるものがある。とすれば… 『真摯に唯ひたすら』の空気である。
私は、思う。  『こうでなければ、御書学習ではない』…と。





 2012年06月25日 (月) 19時43分

『日寛上人』に関しての論評は 甚(はなはだ)甚深であり、元より「愚壮」如きの出番ではない。
然し。余りにも『愚弄・恣(ほしいまま)』では、それを垂れた御本人の為にも宜しくない。

そこで、難解な注釈は『博学のM氏』に任せるとして、「これ以上は無い」という『講義』を書き写す。
( 『御講義』といっても、全文ではない  ごく一部である )
但し…言っとくが。  是れは「池田先生」の『御講義』である事を、最初に言っておく。

その前に、 『日蓮仏法』の数多(あまた)の「法理」の中で、主軸となる部分がある。
それが『宗教全般が所持する規範:五綱』である。

何故『宗教全般』か。    その解答は「全ての聖職者」に聴聞すれば「ケリ」がつく。
どういう事かと言えば…「全ての聖職者」は白々と こう言うのである。
「我が宗派にも、当然   教・機・時・国・教法流布の先後という 五綱は存在する」…と。

(上記なんぞは 全くの戯れ事で、眉唾ではあるが    しかし )
是くの如くの『ヨタ』に、目クジラ(?)をたてるようでは 『際限なきヨタ』にも対処は不可能である。
ここで問題にしているのは。 『日蓮仏法の五綱』である。
是れへの『真意』は、『御書』を経なければ絶対に咀嚼出来ない。 是れは「断言」である。

『釈尊』が声高に決意された「一大事」は『如我等無畏(にょがとうむい)』である。(通解:略)
然らば 『日蓮大聖人』が、死殃(しおう・頓死の禍)を御覚悟の上での『御決意』は何か。
それが 『衆生無辺誓願度(しゅじょう・むへん・せいがんど)』である。(通解:略)

『日蓮大聖人』御自ら、その為に 殆んど想像できる あらゆる『難』に向われた。
  ※  言っておく⇒ 「あらゆる『難』に耐えられた」ではなく『向われた』のだ。

説話にあるやうな、「スジャータの差し出した乳粥」を飲んだのではない。

『日蓮大聖人』が言われた「対告衆」とは、『一切衆生』であった。
御自身を『脾民・賎民』と意義された所以が、この『一切衆生の機(機根)』にあったのだ。

『一切衆生の機根』を「我と同等」に引き上げる… これが『日蓮大聖人』の悲願である。
得度直後の清澄寺で「虚空蔵菩薩」に御誓われたのは、実は『衆生無辺誓願度』に他ならない。

誠に遺憾であるが…御存知の如く『日興上人(開山上人)』滅後の直後。「宗門」は一旦死ぬ。
※『御書』を根幹とする『日蓮仏法の門下』は、「日亨上人」御記述の『新編・御書全集:序』を読め。

「全日蓮門下が知る可(べ)き宗旨」とは、「ここを外しては成立しない事実」を肝に命ずる事がある。
「ここを外しては成立しない事実」とは⇒『中興の祖:日寛上人』の御存在である。

『日寛上人』が最も「真ん中」で拜読した「法理」とは何か。
それが『末法広宣流布』に欠くべからざる『五綱』である。

ここで云う「五綱」は、前文の如く…五綱の どれ一つも「皎然たる根幹」である。
就中。二つ目の『機根』は、一切の民衆に対する『日蓮大聖人』の願望であった。
【 仏果に至らしめる機根(機縁) 】とは、『日寛上人』が『御聖訓』のママに達した結論だ。

『日蓮大聖人』が『曾谷入道殿許御書(太田抄)』で括目されたのは ↓
【 仏法では「機を知る」事を重要視した 】という「衆生」に対する大慈悲であった。
『日寛上人』が上記の御金言を…「文に互顕あり」とダイレクトに「機根」を直射された。
これだけを拜しても…凡智には量れぬ「達観・炯眼」である。

これを手始めに、「御講義」は延々と続くが…ワシの如くの浅識では追付かん。
(実は…記述自体が「追付かない」のだが…)


もう一度、強調しておく。 「中興の祖」とは『日寛上人』である。
上記の御講義の総ては、『池田大作創価学会第三代会長(当時)』の御記述である。
※ 抜粋⇒『依義判文抄・講義』

更に重ねて申し上げる。 私は『御聖訓』の記述に及ぶ際は、絶対「コピー」等は無い。
『・』(中点)一つにまで、『新編・御書全集』を繙き、そのママ記述する。(故に疲れる…)





 2012年06月26日 (火) 06時17分

『機根』について、若干の確認と「論旨」の補強が疎(おろそ)かなる部分に言えば。
(以下 ⇒ 短文抜粋の通解)
【 機根とは「一切衆生」の生命の奥底に、多様・雑多(雨後の筍の如き)の思想の、
一体・何を求めているのか。 例えば…数多の「仏教」の、どの教えなら受け入れるのか。 
自ら(一切衆生)の求道(講義では「幸福指向」というが)の「傾向性」を、それぞれの「機根」という。
『機根⇔素地』と喝破する具体性の「総論」が ⇒ 『機根(機)を知る』という事の主軸である 】

云う【 仏教は摂受・折伏 時に よ(依)る可し 】『佐渡御書 957P』は…
「一切衆生」が自分の置かれている「厳然たる「時(じ)」を弁えない「無明」を指摘する部分である。
『賢王・愚王』が、それぞれに席捲する「時」に、「摂・折」の二道(時)をも知らない事への警鐘だ。

本抄(佐渡御書)のかかる御聖訓(摂・折は「時」にこそ全て)の主題は、次下への「大綱」である。
「次下の大綱」とは⇒【 明珠と牛驢の二乳を(も)弁えざる 】にある如く、11行の『時(じ)』の事だ。

『佐渡御書』は、諸賢御存知の如く。
『牧口常三郎創価学会初代会長』座右の重書である。
「恩師:池田先生」は、事ある毎(ごと)の機会を捉えて、本抄を御講義くださった。
その珠玉の文中にも、彼(か)の「切り文」は厳しく自他 誡められた。
【 日蓮は(中略)棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり 】『佐渡御書 957P』を、何と拜すのか。

『佐渡御書』は、御自ら『佐渡流罪』の中の「我」をさて置き。 
在鎌の門下の生死安否のみを 強く案じられた『日蓮大聖人・真骨頂』の抄である。
この時期の『大聖人』の、最も代表される御気概は『機根』ではなく『時(じ)』であられた。

それでも尚。強靭の『大慈悲』の発露は、重ね重ねと厳しく側近を戒め、弟子檀那を慰撫された。
【 (前部を略す)蛍火が日月を わら(嗃)ひ 蟻塚が華山(古代中国五名山の一)を下し…
井江(細い澪)が河海を あな(侮)ずり 烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)を わら(嗃)ふ 】
とは、是れである。 『 佐渡御書 961P 』

私達同志は、『同じ師』を仰ぐ者である。
決めて「同志誹謗」を排し、「己義・己理」を排し、「心の財」を積まねばならん。
間違っても、比類の『王道』を毀罵(きめ)し、且・曲解してはならない。
この事は、『死んでも厳守』しなければ弟子ではない。

『御書・御金言』に、「極楽寺良観」への辛辣なる譬喩(この際・譬喩ではなく直言か…)がある。

「極楽寺良観は生仏」とは『妙法比丘尼御返事 1416P』の引用であるが、これで「良観」の実態の総てではいない。
実は『極楽寺良観』の正体とは 放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)なのである。これは近代「宗門」にそっくりだ。
上記『放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)』の事は 『下山御消息 350P』に詳しい。 
又。「宗門」とは「日顕」である事に、誰も異論はあるまい。

(尚。極楽寺良観の実態は 多くの御書で御記述されている)




 2012年06月26日 (火) 19時35分

本日。私の地域に「大白蓮華 No,751   2012年7月号」が届いた。
早速。「池田先生」の御講義のページを開いた。 (大白蓮華 38P )

『四条金吾殿御返事』(別名・石虎(李広)将軍御書)である。
本抄は(人に依って感想・観想に違いはあるが)、愚壮は「男の中の男」の『御書』と心得る。
…ってな事を平気で口走るから  『御婦人部』から徹底的に敬遠されるのだが…
とまれ。 「確信する・信じきる」事が、如何(いか)に凄いか。という『御書』である。

又。「 必仮心固 神守即強 御書 」という別名もある。
これは「摩詞止観」の抜粋経文であり、読んで字の如くの『御文証』でもある。
【 必ず心の固きに 仮(よ)って 神の守り即(すなわ)ち強し 】1186P 
( 大白蓮華 39P  (上段)の太字 )⇒『絶対の確信に立つ事』である。

これを、もっと突っ込んで言えば、『絶対の確信に立つ事』とは『絶対に勝つ』という事だ。
更に言えば、『絶対に勝つ』とは『地涌の菩薩』そのものの意義でもある。
『地涌の菩薩』の意義とは、『人間革命』をしていく事への異名である。
( 大白蓮華 39P 太字の後の9行 就中・「戸田先生」の御指導 )

それでは、『絶対の確信に立つ事』とは どういう事を指すのか。 それが。↓
『 怯(ひる)まない・焦らない・恐れない・逃げない 』とする。
その為の「智慧の湧現」を、『人間革命』というのだ。( 大白蓮華 40P  (上段) 10~11行目 )

少々戻るが…冒頭に飛び込んできたのが  『石に立つ(貫通)矢の例(ためし)あり』である。
( 大白蓮華 38P  (上段) 17~18行目 )  

※『李広(石虎)将軍』の故事をすこし述べておく (皆は、とっくに知っているじゃろうが…)。
( 「岩」を、母を食い殺した「虎」と信じた将軍の射た矢が、羽ブクラまで貫いた事。) 
これは、「岩」を「虎」と信じきった『強固な確信』が、矢の貫通を招いた故事であり…
『虎と信じ切った心の堅固さが、岩を射抜いた』という「一念」の譬喩である。
『石虎(李広)将軍』への言及・御指導は(愚壮の勝手な解釈だが…)
『日蓮大聖人』に対する「四条金吾」の「心の強さ・固さ」を述べられていると思う。

本抄『四条金吾殿御返事』の骨子とは…
「頼基自身」の最大の苦境の中でも、「大聖人所在地」の身延に泊り込んで、
『日蓮大聖人』に迫り来る老病を懸命に治療した頼基の献身。
又。 「登山」の折りに携えた、数多(あまた)の御供養への礼状でもある。

文面から拜するに…『日蓮大聖人』及び弟子僧たちの「日常」の逼迫が、具(つぶさ)に読み取れる。
その程度も、「単なる「逼迫」如きではない」つまり「尋常ではない」と、拜読の度「涙」を流すのである。
正に 『人の人としての振舞』そのものである。 ( 大白蓮華 41P  (上段) 14行目 )

絶対に泣き言を言わない…と言えば 「俗言」で恐縮するが、本文で『御心境』を吐露されている。
【 而(しか)るに 日蓮は 他人に こと(異)なる上 】 1185P 6行目
「他人に こと(異)なる」の「文上」は、極限の不自由な生活を(幕府・権力に)強制されている事だが。
「文底」は『末法・御本仏』としての無量の使命・『一切衆生衆生無辺誓願度』への「願兼於業」である。

更に 【 就中 今年は 疫癘飢渇(えきれい・けかち)に(中略)身に当りて 所労 大事になりて 】
特段、本年になって…「痩せ病・腹の気(下痢)」が急悪し(中略)身心ともに、その疲労は極限なのだ。
上記の(通解を含めた)御記述は、『日蓮大聖人』の御体調が最終局面に至つている事を示している。
↑ 1185P 6~7行目

そのような中での「真心」からの金吾の訪問であった。
【 命 たす(助)かり候は 】貴殿(頼基)の身体に「釈尊」が入って、私(大聖人)の窮地を救ったのだ。
1185P 10行目        本抄を拜した「四条金吾」の大歓喜は、想像に難くない。

そんな健気の「中務左衛門尉頼基」に対して、『大聖人』の御記述は続いていく。
『師匠・日蓮大聖人』の御配慮・御慈悲には、誠。際限が無い。
【 是より後は… 】と、御自身の激しかろう「飢餓」をも省みない御文証が、それである。
【 是より後は…おぼろげならずば 御渡り あるべからず 】 1185P 14行目
「おぼろげならずば」とは、超火急の用件以外は、身延に来てはいけない。と言う。

『日蓮大聖人』の「中務左衛門尉頼基」への慈悲は、更に続いていく…。
【 返(かえ)す返(がえ)す 今度(このたび)の道(往復の道中)は・
あまりに(心から非常に・本当に)・おぼつかなく候いつるなり(心配した次第です) 】
どこまでも、弟子の安否のみを心に掛けている御記述である。 1185P 最終行
『創価学会の三代の歴代会長』の御心境そのものであるから、愚壮は涙を流すのだ。
『師匠は、常に弟子を念(おも)う』のである。 これは『池田先生』の我々への「心」に通じるのである。

この後 (1185P 最終行から 1186P 冒頭まで )
「決めて 油断を廃して 万全の備えを!」と御指導されている。  
この『油断を廃せ』関連は、 下記御聖訓を参照されたし。
【 主君耳入此法門免与同罪事 1133P 最終付近行 】
【 四条金吾殿御返事 1164P 最終行 】 【 四条金吾殿御書 1175P 11行目以降 】

そして。最後の御金言は『面談・対面の重要性』である。

【 委(くわし)く 紙には尽し がた(難)し 】 ⇒これは、本抄の結びの言辞だ。
例えば…「本来は、もっと詳しく申したいが、紙面(紙は当時の貴重品)にも限りがあり、
伝えたい事も、全部は言い顕せないので、『対話⇔面談』が望ましい」という事であろう。

『日蓮大聖人』の弟子檀那中への慮りが彷彿する。
( 但し・下記記述の中には、対告衆によっては『法論』等への心構えも含まれている )
『建長寺道隆への御状 173P』 『強仁状御返事 185P』 『土木殿御返事 964P』 
『法華行者(値)逢難事 967P』 『道場神守護事 979P』 『太田入道殿御返事 1012P』 

『太田左衛門尉御返事 1017P』 『兵衛志殿御返事 1099P』  『☆四条金吾殿御返事 1186P』
『日妙聖人御書 1217P』  『棧敷女房御返事 1232P』   『御輿振御書 1264P』 

『新池御書 1444P』 『南条兵衛七郎殿御書 1498P』 『上野殿御返事 1551P』  
『九郎太郎殿御返事 1554P』 『上野殿御返事 1559P』 『上野殿御返事 1564P』
『上野殿御返事 1566P』 『上野殿母御前御返事 1573P』 『上野殿御返事 1575P』 『白米一俵御書 1597P』

尚。大白蓮華の御指導は、適宜に拜して頂きたい。  『愚壮敬具』





 2012年06月27日 (水) 06時25分

昨夜  『忘れ得ぬ風景』を全篇読み返す。
昔日の『風景』が、「あの時・あの一瞬が」ものの見事に復元され、私に迫り来る。
『嗚呼、よくぞ…遺して下さった』と、深き感慨・感謝の中 夜は更けていく。

然し…と、感じた事がある。
『…歓喜と勢いが、今の愚壮とは隔世だ…』


『これでは、いかん…』 これではいけないという直感は、当っていよう。
「ワシも、老けたか…」と、雀躍の聖教誌面に 珍しく素直な私を見た。

伏線は…これは在る。
昨日の『京都』への走行中、『ジュンちゃん』との電話での会話があった。
彼は言う 「あの…昔の気迫が影を潜めている」…と。

多いに反省し、大いに奮起す。
『父の日』に彼から頂いた「一輪」の造花が「開け放った車窓の風」に揺れている。
私は再び、こう誓った。
『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』…と。









忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 続きます・・・

  




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