2015年11月30日 (月) 14時37分

おにゆり様。 御無沙汰致して申し訳ない。
のっぴきならぬ事情で、休んでおりました。

御察しの如く、私の休業理由は、胃癌への罹患です。
然し、このまま休んでいても、埒は開かないので…と、
ヤオラ 起き上った次第です。

今、こうして書けるのも、多くの同志の激励の賜物です





2015年11月30日 (月) 16時19分

実は、いろいろとあった。
その筆頭が、『中○副圏長』の御逝去である。

その次が、「Т副本」の心筋梗塞での闘病。
「N副本」の御逝去。(これは急逝)


そして、ワシの罹癌とそれに関する身辺の急変であろう。

しかし。
何と言っても、その事に纏わる組織の激励じゃ。

何度も書くが…、『激励』に勝るものはないョ。
それを、強く感じる。





2015年12月01日 (火) 16時29分

おにゆり様・諸兄様。ありがとうございます。

この、全身副作用に悶絶する私奴に、暖かい御言葉。
感激です。

さて、私じゃが…。
その後の たった一年で、急転直下と全てが変わった。

然し。
とある組織の「常勝長」が、私を見兼ねたのかどうか。
「風景」に繫いで下さった。(…だから、滞っている礼も言えたんじゃが)

とまれ。完結まで「風景」は書きたいと思うておる。
こうなれば、ワシの寿命と、「忘れ得ぬ風景」との『兎と亀』じゃ。

…と言うわけで…。  おにゆりさん、たのむよ!





2015年12月02日 (水) 10時00分

『聖教歌壇』実母の投稿

『週に一度 子にメールする約束の 元気な証 いかに示さん』
上記は、平成27年9月23日の「聖教歌壇」の、入選作品である。
この句の投稿者は母。
私は早速電話を入れ、 彼女はさかんに照れている。

母は… 因みに八十六歳である。(此の度、任用に受かった)
その息子の私は、七十歳。  つまり、母十六歳の時の子である。

「風聞」じゃが…。ワシを身籠った時、彼女は 腹を叩いて泣いたそうじゃ。
無理はない。十六じゃものナァ。

そんなワシは、『何もしてやれない』と、御本尊だけは、御受けさせた。


親子で、いろいろな「宿業」に翻弄された人生であったが。
それでもよいと、思うておる。
『御本尊を素直に御受けする』これに越した人生はない。  

私の「胃癌」は、「ステージ4」であって、
下手をすれば、母より先に逝くかもしれん…が。  
それも、今では、よいと、考えている。





2015年12月03日 (木) 04時50分

平成27年の3月12日遂に私は(我慢の限界を迎えて)入院した。
それは、(素人愚壮の)病・軽視の「現実への冒瀆」であった。
その証拠に…。    即・私は「手術台の重篤患者」として、
「死線を四日間」も漂っている。

この時に、私を襲った「完全に失われた記憶」に、私は恐怖する。

手術室から集中治療室(ICU)へ。
そして、集中治療室から一般個室へ。
一般個室から、一般大部屋へ。
この当初の、四日間。 私は何処へ行って居たのだらうか。


ただ、かすかに残された記憶では。
手術室の在り処が、「遠く・長浜」であったり。
仕切のカーテンを、突然 押しのけて…。
ロシア軍と北朝鮮軍の正規兵が、戦車で乱入したり、

とにかく、幻覚に恐怖の叫びをあげていた。

そうした、4月29日 私は「覇気」を完璧に抜かれて退院する。
その退院の日から、計5回の「抗癌剤治療」に対峙しておる。

いやはや…。
参ったよ。 (否さ! 生きている事に 参ってはいないよ)





2015年12月03日 (木) 05時23分

そんな私の、約五十日の入院にも、温情の見舞が多々あった。
この人達の細目は避けるが、感謝は「私」が死ぬまで続くだろう。

そんな中で、ガソリンスタンドの会長だけは、書かねばならん。

「氏」は昭和九年生まれで、今年、八十一歳であられる。
私が、氏のスタンドで初めて燃料をいれたのが、昭和四十七年。

それからの御つき合いを、単なる「顧客」として見ておられない。
そんなところが、私には解るので、筆頭・申し上げた。

もう御一人居る。

その人が「とある組織の常勝長」である。
彼の暖かい御存在は、
「私の女房」をして『白ゆり長』への新規受諾の決心を促した。

幹部カードに、嬉々として向かう様子に、涙が止まらん。

とまれ。  もう一度、スタートする。





2015年12月04日 (金) 10時50分

義妹の癌が重篤で、かつ末期である。
これは当時の(二年前)の義妹の余命を言う。

最近は、点滴の後にも必ず顕れる高熱にも、参っている。
↑ これが、姉である「老妻」の、最近の言じゃ。


義妹。罹患して早や二年。この肝臓癌は確実に義妹を、蝕んでいる。
…にもかかわらず、義妹は、私の癌の方を 強く気に掛ける。
(かく言うワシも、自分の胃癌よりも、義妹の肝臓癌完治を祈っておる)


彼女は、 罹患の冬に 自分自身が拝命している役職を降りた。
「部員さんに御迷惑をかけたくない」 これが唯一の理由じゃった。
…が。
本当は『地区婦人部長』という職責に疵をつけたくなかったのじゃろう。

その事を 微(かす)かに感じた故。
ワシは、自分の病よりも、彼女の完治を祈っておる。

この仏法の『祈念』は、あらゆる願いも同時に叶うが、
ワシは、義妹の完治を 優先して祈っておる。


この土曜日も、彼女は「笑顔いっぱい」で来るじゃろう。
だからこそ、ワシは祈るのじゃ。





2015年12月06日 (日) 12時59分

御書の30Pに、萎言(ゆうげん)という言葉がある。
その項には、通解の更に通解で、こうある。

「莠(はぐさ)は稷(きび)に似た悪草」とある。
はたして、どういう悪草か… と、思索する。

この、「思索する事」が殆んどの御書講義者に抜けておる。
大白蓮華の鵜飲みだから、そうなるんじゃが…。 困ったもんじゃ。

正解は「莠を不信と読み、稷を有信と読む」である。

もっと正解をいえば、不信の篤信も、紛然として判り難いという事である。

更に正解は、この「紛然」を、見破れ!という事じゃ。



御書の更なる凄さは、
この事を、「立正安国論」(佐前の重抄)に書かれた事である。

こう拝すれば…。 概ね正解である。





2015年12月24日 (木) 13時07分

大白(一月号)59Pの『御書』の件だが、どうも面白くない。

そもそも『御書』御自体への考えが、まちがっとる。
『この仰せのとおりだ!』『この御聖訓は、私に戴いたものだ!』
と、感謝して拝読せよ。とは…  戸田先生の御指導じゃ。


正座にしても そうじゃが…。何かが違っておるぞ。



2015年12月25日 (金) 13時31分

☆『弟子』は本物か。
平成27年10月23日(金)の聖教新聞(三面)に山口指導の記述がある。
(山口指導とは 昭和31年10月9日からの「若き指導者・池田先生」の折伏闘争の事である)

その三段目の32行目~38行目の「 」の記述に、とんでもない誤記がある。
つまり ↓ である。
「吉田松陰だけが偉大であったのではない、
弟子もまた、偉かったから、吉田松陰の名が世に出たんです。
戸田先生が、どんなに偉大でも、
弟子のわれわれが しっかりしなければ、なんにもならない」

↑ この「もっともらしい」文章には実は、とんでもない『洗脳・誤謬』が隠匿されておる。
それが、「戸田先生が、どんなに偉大でも…」である。

言うに殊(事)欠いて 『戸田先生が、どんなに偉大でも…』とは何事か。
では・「池田先生が、何(いか)に偉大でも、私たちが悪ければ駄目なのか」

『ヨタ』も、休み休み言え!
『御書』をキチンと拜読し直せ、!

戸田城聖第二代創価学会会長を貶(おとし)めて、一体、どういう積りだ。
聞いてみたいものである





2015年12月26日 (土) 11時19分

大白 2,016年 №795号 座談会御書講義

『諸法実相抄』 抜粋



背景と大意の拝読の前に 是非とも書くべき事がある。

それが、日蓮大聖人御自身の「出世の本懐」である。

じつは、この「出世の本懐は諸法実相である」という、驚くべき御記述は、

今回の御書講義『諸法実相』を説く為に、態々説き起こされた中にあった。



それが以下である。

【 今経は出世の本懐・一切衆生 ~ 全くなきなり 】である。

この御聖訓が『一句万了の一言』である!と。結論を言われている。



要は 『万法(総ての生命)の元々の生き様(当体)が、すべて妙法である事を、

『諸法実相』といい、この事が又。「妙法」の総括なんだ。という。

又。さらに 傍証として『戸田先生御記述』の「発刊の辞」を拝読されたい。





『背景と大意の拝読』

本抄「諸法実相抄」の対告衆 ⇒ 最蓮房日浄

最蓮房は「日蓮大聖人」の弟子で、唯一「御受職灌頂(受戒)」を受けた。





又。 『諸法実相』そのものの形態を『虚空会の儀式』で象徴されている。

1,030P 15行目~1,031P 5行目 曾谷入道殿許御書。



その上で、【 私(日蓮大聖人)こそ・上行再誕である 】と宣せられている。↓

【 百六箇抄(血脈抄) 854P 】  【 寂日房御書 903P 】

【 右衛門太夫殿御返事 1,102P 全文 】

【 頼基陳状 1,161P 】  【 諸法実相抄 1,359P 】  

【 五人所破抄 1,611P 】  …他



本文拝読 (大白 56P)

【 いかにも今度 ~ とは是なり 】

※解説 ⇒ 本文2行目 ⇒ 【 とをし 】 ⇒ 貫き通す



主意 ⇒ 『 末法にして妙法の五字を弘通(広宣流布)する者の男女は問わぬ、

それは、「広宣流布する者 即 地涌の本義」であるからだ。 








2016年01月02日 (土) 06時12分

義妹が、この正月に夫君と御子息を伴って来宅下すった。
夫君は「禁煙成就」の成果と御一緒に、御子息は、外出用暖套御持参と。
…これも毎回の、うれしい 情尽くしでこちらが暖かくなる。

然し。何といっても「義妹御自身」の「ヤマイとの闘争精神」には、
これは、掛値なしに 圧倒されておる。

たのしい懇談と、味わい深い会食は…。名古屋の末っ子家族の参加もあって、
ひさしぶりの、意義ある一夜となった。

ワシは少し先に寝ませていただいたが、有り難い事ではある。




2016年01月04日 (月) 05時36分

今年の「三が日」が、例年と明かに違う風情で時を刻んで行った。
元日の義妹の御一家の来宅に端を発した風景は、
その後、三日間に亘って「総勢14名」。
意義を変えたて、
わたしの脳裏に、刻まれていった。

爾の時の「嬌声」が、いろいろな意味をもって今も響いている。
いや、『残響として、鳴り渡っている』といったほうが解りやすい。

「三日間の時空の恩恵」は、それでも残ってみせる…。と
今も「老脳」を賑わしてはいるが、
「残響と現実の違いくらい。
今未だ解っておるワイ。」…と、 やおら、布団をでる。


『О常勝長』の その強力な御助力を交えて、
「今日から、又。抗癌治療諸々が始まるぞ」と、
我が身を、鞭打ちながらじゃから、偉いではないか…。




2016年01月04日 (月) 18時26分

昼前であったか…『I支部長』が来宅された。
なんせの「重病」で、激励の御訪問も、こちらが恐縮するが…。
用事があれば、こちらから御伺いしますとも言う状態ではないので困る。

いやなに。元々「こちらから伺います」の人生であったので…。という事だ。

その『支部長』の用件はこうである。

『後続の壮年の為に、御書の講義をせよ』 という事である。
私は、この『支部長』の御提案に、我れを忘れて飛び付いた。

『健康状態はどうか?』に…、
「この際、副作用(抗癌剤の)は、何ともない」と言い切った。

この「カラダ」は、御本尊の為にある。とは言わなかったが
素直に、そう思っておる。





2016年01月06日 (水) 04時36分

それは一昨日の夜中である。
突然の発熱(37.7度)で往生した。

元々平熱の低いワシは、上記の数値は天文学的で、
「死ぬか」と思った。

兎に角、「時間が時間である」…と、悶えつつ朝を迎えた。
早々に『О常勝長』の御尽力で「事なき」を得たが…、
油断は「命とり」になる。

桑原・桑原である。





2016年01月07日 (木) 12時40

沖浦氏への(…というか、からというか)遣り取りがあったので 書く

沖浦さん。 投稿者:愚壮 投稿日:2013年 9月28日(土)09時40分53秒  

> 649 沖氏投稿 2013/09/15(日) 07:04:52
> 愚壮さん、おはようございます。
> 貴方が寛師がお好きならそれはそれで良いと思います。
> 私はあれは習い損ないと思います。


> 816  沖氏投稿 : 2013/09/27(金) 05:58:14
> 私は、浅井先生でも、顕師でも如師でも、来て下さるなら喜んでもてなし致します。
> 一切衆生のお一人ですので、信じる宗派で差別を致しません。
> これでも創価の末席におりますもので・・・


************************************************************

【勝利の経典『御書』に学ぶ】(2013年10月号 №767)を繙けば、
【 又 だんなと師と をもひあひて候へども
大法を小法をもつて・をかして としひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、
我が身も・だんなも・ほろび候なり 】 『四条金吾殿御返事(八風抄)』1151P 抜粋
上は御貴殿が最も讃歎する「四条金吾殿(中務三郎左衛門尉頼基)」への『御記述』である。

(日蓮大聖人御指摘の 『弟子檀那と師匠』への「正しい御指南」を基軸として)
上記にいう「だんな」とは弟子であり、「師」とは『師匠・牧口先生・戸田先生・池田先生』である。

更に 〔大法を小法をもつて・をかして〕とは、「正法」を「邪家の法・邪法」で「犯して」であり、
〔としひさしき人人〕とは、『御聖訓』を長年曲解し続けて尚 「王道への研鑽を怠る人々」である。
そういう人々の「祈り(呪詛と表現する)」は叶うどころか、返って「師弟不二」をも滅ぼすのだ。

ところが御貴殿は、顕正会の「浅○」や、宗門の「顕や如」を讃歎し、更にその口で、
(勿体無くも)『第26世:日寛上人』を 「> 私はあれは習い損ないと思います。」と言い切る。

私は「浅識」だが、『日蓮大聖人・日興上人・日寛上人』を堅軸とする「正道」を揶揄した事はない。
当然。その『日蓮大聖人・日興上人・日寛上人』の隷下に在るべき「創価学会」を誇っておる。

『末法御本仏・開山上人』への「御尊崇」は当然として、
「中興の祖・第26世:日寛上人」の御深義を「届かぬまでも学ぶ…」。これが「創価学会員」の真骨頂だ。

御貴殿が往年、肉薄され公演された「熱原の法難」
御承知の如く、かの法難こそ「一閻浮堤総与御本尊」御現出の直因であった。
私(愚壮)如きが言わずとも、これこそ『日蓮仏法のイロハのイ』である。

登山(総本山参詣)の折り「御影堂」裏側に赴き、「神四郎・弥五郎・弥六郎」の墓前に「広布」を誓った。
…その「誓い」とは、そも『何の為』であったのか。
ひとつひとつは、書くに「紙面」が不足しているが、「水魚の思い・異体同心」が根幹であった。
いや。 「水魚の思い・異体同心」が根幹であると教わった。
…閑話休題。

扨  この「根幹の大法難・熱原事件」の本筋で、深く関連されたのが「上野郷の地頭・南条家」であった。
つまり、 「熱原の法難」に関連した 多くの人々に対して、「楔」の如く食込んでいかれたのが「南条家」だ。
「熱原の神四郎・弥五郎・弥六郎」と『日蓮仏法の根幹』は、個別に語る「歴史」ではない…。これが真相である。

(多くは言わんが)その「南条家直系」の御僧こそ 「第26世:日寛上人」である。
その「日寛上人を習い損ない」と卑下申し上げる。
アマッサエ その『第26世:日寛上人』を蔑ろにする「同じ口」で   
( > これでも創価の末席におる。) とは…
『支離滅裂・自語相違』の極みであるので、慎んでいただきたい。





2016年01月08日 (金) 13時36分

少し遅くなったが、御参考になれば幸甚。

世界を照らす『大要の仏法』 池田先生御講義 抜粋
2,016年 大白28P №795号

学会の指針とは ↓
一  一家和楽の信心
二  幸福をつかむ信心
三  難を乗り越える信心
四  健康長寿に信心
五  絶対勝利の信心
である。
これは、昭和26年の「戸田先生・創価学会会長就任式」を機に表された「三指針」と、
昭和36年年頭に、池田先生が追記された二指針とを指すが…。
元より、後の二項目は、内容からして「永遠の指針」とは成り難い。
…とは、「産まれながらに不具の人」と、「負けたまま死ぬ人」との存在である。
このふた通りは、なにびとも絶対に否定できないからである。

扨(さて)。 此(ここ)で曰う『テーマ』とはなにか。
かけがえのないテーマとは『永遠の成長家族』を指すのか。
大白 30P 本文拝読
【 一切は・をやに随(したが)うべき にてこそ候へども・
仏になる道は  (自らの信念に)随わぬが孝養の本(もと)にて候か 】
↑ 兄弟抄 1,085P 7~8g
【仏になる道】とは、「出家」という事で、 「子が親」の出家の要請にに随わぬが孝養の本道だという。
…と、いうと。 かけがえのないテーマとは『永遠の成長家族』が指針ではない。

つまりは、『難を乗り越える信心』が、第一義ではないのか。
……と綴って行くと、家族や家庭をも、否定しかねない。
そこで…【 一切は・をやに随(したが)うべき にてこそ候へども…】
仏法の真意は、そこにはないという事なのである。

それでは「仏法の本来の真意」はどこか。↓
大白 31P 下段 9g 「釈尊が 父・浄飯王(じょうぼんのう)の心に随わず出家した」
↑ が「上品」の親への孝養である。

『孝養』とは本当に【 一切は・をやに随(したが)うべき…】なのか。
これを・どう拝するのか。
【 法華経のかたきになる親に随いて 一乗の行者なる兄(宗仲)をすてば
親の孝養となりなんや 】 兵衛志殿御返事 1,091P 5~6g

それでは、以下の三編はどう拝すのか。
【 例せば 父母の殺す人は 何(いか)なる大善根をなせども
~ 父母なれども殺しぬれば大悪 還って大善根となり候 】治部房御返事 1,426P 9~10g

【 父母の仰せを背けば 不孝の罪に堕ちて 天に捨てられ 】 治部房御返事 1,425 4g

【 若き夫妻等が 夫が妻を愛し 女は夫をいとおしむ程に
・父母のゆくへ(行方)をしらず 】 一谷入道御書 10~11g

つまり「親」と雖も その幸福追求の存在の根本は、子の成就ではないのか。
もう、こうなると   何が究極の和楽なのか解らない。

大白蓮華(31P)で、『孝養か信仰の二者択一ではない』とは、そういう事なのだ。
つまり、穿(うが)って言えば、『和楽が最終目的ではない』のである。

次のテーマは、実は。短いが…。『和楽』よりも難しい。
それが、「真実に信仰が好きになれるか」と、いうことである。
大白蓮華(32P)に、興味深い話が、紹介されている。

じつは、『若き指導者は勝った』という池田先生の指導集で、こうある。
(池田先生の談話・抜粋) 【宗教は、懲々である。】  
上記は短文であるが、当時の池田先生の言葉である。

又。これに匹敵する辛辣な言葉も、残ってある。
(池田先生は)  創価学会入会後も、こうおもっていた。
【 何とか自らの運命(創価学会員である事)から、免れないものかと、
一年間ほど悩み、あらがっている。】  「人間革命  漣(さざなみ)の章 抜粋」

ここで、対告衆を訪ねて見る。

大白蓮華 33P  (上段) 本文拝読
【 光日上人は子を思うあまりに 法華経の行者と成り給ふ、
~ 御対面 いかに うれしかるべき・いかに うれしかるべき 】 (934P)

①【 其の故は子の肉は母の肉母の骨は子の骨なり、松栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく 】 
↑ 光日房御書 934P
本文にある ①【母と子倶に 霊山浄土へ参り給うべし 】が、そういう事である。

扨(さて)。 問題の光日尼に、もう一歩 話は迫る。
対告衆の光日尼は「日蓮大聖人」と同郷であった。
その故かどうか、「日蓮大聖人」は光日尼に『堕獄の様相』までも送っている。

【 無間地獄の先相に七処に悪瘡出生して玉体しづかならず 】
上記は、『光日房御書 930P 16~17行目』である。
要するに、光日尼の如き「猛者」にまでも、急所の激励を欠かさない。
誠。  「真の師匠」を彷彿させるではないか。

つまり、「光日尼」は、私(大聖人)の母だはないか…。
否! 釈迦そのものではないか。と、讃されている。
↑ 【種種御振舞御書(佐渡抄) 925P 最終行】

信心全般の『猛者』といえば、忘れてはならぬ人が居る。
それが、南条親子であろう。

これから、その親子の、子の方への御書本文の通解を拝読する。
【 (父の)故 上野(南条兵衛七郎)殿こそ、色(男らしさ)ある お(を)とこと 人は申せしに
その御子である「時光」であれば。益々の「駿逸」でありましょう。
正に、藍より尚 青く。 水より尚「すざしい」氷の如きだ、感動している。 】

つまり、こうである。
「孝子」が後を継ぐのは、親の「最高の喜び」である。 「上野殿御返事  1566P」

では「女子」はどうか。
安心しなさい。「女は 子を出生す ~ 諸法を出生せり」である。
↑ 御講聞書 841P

私の御書講義は、これで終わる。  (この後 幹部指導)





2016年01月09日 (土) 14時00分

母は云う。私は貴方を、酉の年の酉の日の酉の刻に産み落とした。
「産み落とした」とは、なにも「産婆が手を滑らした」という意味では無い…。


どうやら、私を「ひって」七十年の月日が流れたのは、事実じゃ。
その母が。電話でコウ云う。

「Aさん、体、どうでっか… なんとかあんたの体と、かわりたい」
ワシの『胃がん』を慮っての発言じゃろうが、軟らかく断る。

それは、…。
いつも、涙声を悟られんやうに、苦労をしながら やっとる。
しんどいことじゃ。

愚壮誕生。1,945年 1月10日。 古稀である









忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 続きます・・・

 








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