2014年01月04日 (土) 08時34分 2014年02月01日 (土) 08時42分 大きな会合や、折々の特定の研修会などで、著名なゲストを招く。 唯…、念の為にいえば。著名人とは、決めて有名人ではなく 「強信の弟子群」の中に居る。 その夜の「K氏」も、その「著名人たるゲスト」であった。 会合名は「県・壮年部研修会」(於・K文化会館)である。 愚壮が「地区部長」及び「支部長」を拝命していた時代(…と言っても 大昔ではないが) なぜか「配車」という任務に着任する事が多かった。 例えば…「S全国副教学部長」や「T精神科女医」「K女優」等々と、人皆知る人である。 (この「配車任務」には後日譚があって…「あいつは時間が正確だったから…」と、それのみじゃが) ******************************************************************* そんな中に「K氏」も居た。 『「K氏」とは、屈指の池田門下である…』と、 その夜の私の緊張も…今は懐かしい。 扨。 その夜の会合が終った。 三々五々と帰宅される「壮年諸氏」のその顔が輝いていた。 やがて… 森閑となった会館正面に、私は愛車を回した。 既に、時刻は深夜に近い。 御自宅までの後席の「K氏」は、存外と沈黙の中にあられたが…。 突然(実際に そうであった)「K氏」が云われた言葉が、私の心に電撃が走った。 それが、以下である。 『…愚壮さん。私はいつもこう念(おも)うのですが…』 『…創価学会は「貧乏人と病人の集まりなんだ」という事こそ、真の誇りです』 『 何も無い、何の取り柄も無い…。 これが「創価学会」の誇りなんです 』 「名聞名利のみを追う人」「蔵の財に拘る人」には、自己の「使命」を見逃がす「隙」がある。 …ともすれば、その事(煩悩即菩提⇒生死を離れる事)を忘れてはいないか。と煩悶した。 故に…あの夜の車内での出来事は、私の偉大なる「忘れ得ぬ風景」なのである。 ******************************************************************* 今般。 『おにゆり様』から戴いた「風景」は… その「K氏」よりの一様 「富岳(富士山)」である。 今から大凡(オオヨソ)772年前 『日蓮大聖人(当時は蓮長)』は「富士山」を仰がれた。 この時、初めて「富士山」を仰がれた『日蓮大聖人』は、「おぉ!富士の山」と叫ばれた。 その日から9年後の、1253年(建長5年3月)に、再び「蓮長」は富士を仰ぎ、こう叫んだ。 『富士の山… 不死の山…!』と。 ( 湊 邦三師 御著作抜粋 ) ******************************************************************* 『富士山』とは、我が国の象徴たる「独立峰」である。 その広大無比の裾野には、万人を圧倒させる威厳さえある。 つまり…「生死を備えている」と感歎している。 捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 いずこにか 富士の高嶺を 知らざるか 競うて来たれ 速やかに …とは、戸田城聖先生作詞に依る『同志の歌』の一節だ。 この『富士』に…。 今 忘れ去った「何か」が秘められている。 恐々多謝 2014年02月02日 (日) 11時28分 『追記・富士山』 下記は「富士山」に関する御聖訓である、 是非 御拜読願いたい。 『新編・御書全集』抜粋 聖愚問答抄上・486P 百六箇抄・867P 産湯相承事・878P 879P 日女御前御返事・1245P 身延相承書・1600P 富士一跡門徒存知の事・1607P 五人所破抄・1613P ******************************************************************* この『富士の山』に…。 今 「忘れ去った何か」が秘められている。とは(今 拜読された)此の事である。 そして ⇒ 「忘れ去った何か」とは、 御金言に「ダイレクト」に迫る、各々諸賢の御書拜読の根幹姿勢のみにあり…。 その「根幹の姿勢」とは下記以外には存在しないのだ。 その基本姿勢とは! 『新池御書 1443p 』14~15行目の御聖訓。就中、16行目の御金言だ。 それが… 【 信を以って入る事を得 己が智分に非ず 】である。 【 己が智分に非ず 】……この原点を骨格としなければ、全てが虚妄である。 【 己が智分に非ず 】の【 智分 】とは、取りも直さず「私見で言わない」という事である。 …そうでなければ。 『日蓮大聖人』直結の「正統の御正師(僧)」や…。 「創価三代の師匠(俗)」の御箴言・御指導が虚妄になり… 就中。 「K氏」の呻き(創価学会とは貧乏と病人の集団である ・ 概意)が嘘になる。 然らば…。 この真実の「呻き」を 『日蓮大聖人』はその多編の御指導・御記述の中で どう顕されているのか。 【 苦をば苦とさとり 楽をば楽とひらき 苦楽ともに思い合せて (御本尊に強く唱題せよ!とされた後) いよいよ強盛の信力を いたし給へ 】と、強く述べられておられる。 上記 『四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)』 1143P つまり…。 「一幅の富士山の俯瞰写真」に秘められた、強烈な「メッセージ」とは 「汝自身の力で屹立せよ!」という事なのだ。 これが「K氏」の真正の「メッセージ」である、と共に。 『おにゆり様』の強き「メッセージ」でもある。 Once again I taike my life into account for moving forward. であるから 『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』のである。 愚壮謹曰 2014年02月03日 (月) 19時31分 前回の愚壮奴の下記表現で、「我意を得たり」と糠喜びする御仁に追記しておく。 >> 『日蓮大聖人』直結の「正統の御正師(僧)」や…。 ↑この文言は、云うて悪いが現今の「日蓮正宗:大石寺(宗門)」の僧俗モドキを指してはいない。 ( 誠に勿体無い事じゃが、列記させて頂ければ ) ワシの言う「正統の御正師(僧)」とは、以下に代表される御僧侶である。 『日蓮大聖人』『日興上人』『日目上人』『日有上人』『日寛上人』『日霑上人』『日亨上人』だ。 ソレハソウト 【現今の「日蓮正宗:大石寺(宗門)」の僧俗モドキ】とは、実に「至言」である…と ワシが「ウマイ事 書きよるわい…」自分で自分を褒めておる位、現今の『宗門』は出来が悪い。 では、どう 「出来が悪い」のか。 下記は、もう随分以前の「忘れ得ぬ風景」じゃが、臆面も無く再掲する。 2003年10月23日(木)08:00 投稿者:愚壮 (創価仏法研鑽掲示板 抜粋) ( 愚壮の実妹の折伏風景の再描の為、小野不一様の掲示板の引用をしております ) ……そんな強い彼女も 歯が立たなかった苦難があった。 他人を頼らぬ妹が 初めて見せた挫折の姿に 壁の高さが見える。 愚壮は言う「心配御無用 俺を見ろ、絶対揺るがぬ法がある」と。 積年の兄の祈りに妹うなずく。大歓声の部拠点に「名物部長」の大泣き嬉し。 いそいそと又、晴れ晴れと着きし寺院の玄関に「継命」なる書籍あり。 ひとりの仏子の誉れの門出、講(講員の事)も祝ってくれるだろう。 僧の導師で始まる(御受戒の)儀式、おもいもかけぬ暴挙を受く。 四、五人の講員が宝前にかけあがり、箒、ハタキで掃除をはじめた。 激怒の愚壮と 絶望蒼白のいもうと。 無惨、地獄図。 「K部長」は今も言う、しみじみ言う「あれが 正体だったんですねえ」 これが「今の宗門」の正体である。 (邪宗たる所以が、ココに在る) 従って、本日の「新・人間革命(№5247号)」に書かれている事は、紛れもない事実である。 つまり… 「日顕」から宗門は、如実に「極悪」に変身したのである。 …そういう事じゃ。 ( 尚。 「K部長」が登場されているので、この記述の背景は「昭和57年頃」と思う ) 2014年02月05日 (水) 20時48分 【 当世・日本国に第一に富める者は 日蓮なるべし… (そのいわれは…)命は法華経に たてまつ(奉)り (…それ故に…)名をば 後代に留(とどむ)べし、 】 上記が「T支部長」が持参された色紙(壮年部総会参加記念)の『御聖訓』の一節であった。 「これは… 『開目抄 下』にある御金言の前半ではないか!」とは、その時の私の叫びだ。 …その前に。 「T支部長」とは、愚壮の後任の支部長であって、いかにも温和しく、優雅に見える人じゃ。 この「優雅支部長」。 トシはワシよりも、かなり御若い… が、長く「創価班」で鍛えぬいた人。言わば「絵に描いたやうな創価人」でもある。 その「優雅支部長」が、こう言った。 「愚壮さん。 『御金言の前半』って、どういう意味ですか?」 ******************************************************************* 「御聖訓」に「前半と後半」というような、フザケタ分類法が 一体…ある訳などない。 …と。 クダンの「優雅支部長」は、顔で仰(おっしゃ)る。 「ボケタレメ!」とは決して言わない愚壮は、続きの言葉を飲み込んだ。…が 誠に残念ながら、今回のこの、色紙の『御聖訓』に「後半」は確実に存在する。 ******************************************************************* 【 当世・日本国に第一に富める者は 日蓮なるべし 命は法華経に たてまつり 名をば 後代に留(とどむ)べし、 大海の主となれば 諸(もろもろ)の河神・皆したがう 須弥山の王に 諸の山神 したが(従)はあざるべしや、 法華経の六難九易を弁(わきま)うれば 一切経 よ(読)まざるに したがうべし 】 『 開目抄下 』 223P 2~4行目 私所持の『御書』には、 上記の御文証の前後に カギ括弧がある。 ( 御書自体に、こういったメモの類は良くないが… ) その『御文証』から鉛筆で欄外にまで線が引いてあって、こう書いてある。 「我こそは 王者なり!」と…。 そう。この『御金言』は、 【当世・日本国に第一に富める者 ~ 名をば 後代に留(とどむ)べし、 】 …が 一括りである。 きめて「色紙」の如く分断すべき『御教示』ではない。 いやいや。 まだある。 実はこの『御聖訓』は、おなじページの16行目に直結して、初めて「一つの強烈な意味」を持つ。 それが 【 日蓮と いゐし者は 去年(こぞ)九月十二日 子丑(ねうし)の時に頸 はねられぬ 】である。 凡夫の御姿は、あくまでも「見た目」なんだ…と 「16行目」は語っている。 これ ここが『人本尊開顕の書・開目抄』…つまり『末法御本仏』の眼目である。 …と内心で思ったが、 「優雅支部長」には、そんな理屈は通じまい。 「愚壮さん。 『御金言の前半』って、どういう意味ですか?」という言葉を遮って… 「支部長 わざわざ御持ち戴いて 有難う御座います」と、こう言って彼と別れた。 2014年02月09日 (日) 09時51分 【 『常勝関西』という桂冠をも含めた関西の「公明党(国政での連携与党・公党)」と、 その支持者である「宗教団体」及び「当該宗教者」とも闘う… (本人の談話) 】 上記 【 】で閉じた部分は、今朝(2014年2月9日)のTVでの「報道」である。 その前に、『橋下 徹氏』本人(昭和44年6月生れ)の「公式見解」を下記する。 【 公明が法定協での区割り案の絞り込みに反対したことを「約束違反」と非難。 「宗教の前に人の道がある」と 強い口調で創価学会が支持基盤となっている公明への怒りをぶちまけた。】 上記は、現時点での「橋下 徹氏」45歳の真意である…。と これは「断言」してもよいだろう。 扨…。その『常勝関西』という冠詞じゃが。 『若き指導者は勝った』 第7回の中に、関連された記述があるので抜粋する。 ******************************************************************* 『時代と背景』欄よりの抜粋。 【 恩師の事業が軌道に乗り、組織の第一線に(池田青年が)躍り出た。 蒲田では 月201世帯の弘教を指揮し、当時の限界を破った (中略) 】 つまり…。 【 最下位クラスに低迷していた支部も A級支部に押し上げた。 】のである。 上記の記述は「伝統の2月」と、後世に語り継がれた『史実』で、時は昭和27年(1952年)2月。 実は、この同じ時に、もう一つの大きな・大事な流れが起っておる。 それが 『昭和27年2月1日 白木義一郎が大阪支部初代支部長』に就任した事である。 正確には「大阪支部長心得」という役職名であった。 これが今に曰う 『常勝関西』胎動の日である。( 以上 『時代と背景』より抜粋 ) 関西の草創学会員は、この『常勝関西』の不動の構築に、師弟共戦され、死身弘法された。 それが、昭和27年2月からである。 つまるところ、 昭和27年とは…。 前述の「橋下 徹氏」が生まれる【17年】も已前の事だ。 『戸田城聖第二代創価学会会長』の箴言を引用するまでもなく。 「貧乏人と病人の巣窟」とさえ揶揄され、卑下された「関西」に、その篤信の熱意を注がれ、 その「大衆の嘲笑の源」である『貧乏と病人』の存在を『学会の誇り』とまで昇華された。 これが『常勝関西』の原点である。 これ(『常勝関西』)を、「弱冠の徒輩」である「橋下 徹氏」が潰すと言うのだ。 特定の現存団体の、その実名を論(あげつら)っての「論法」は、 決めて「公人たる橋下 徹氏」が吐くべき言葉ではない。 《 ウサギも 三年弄(なぶ)れば 食いつく 》 とは「祖母」が私に教えた諺じゃが。 真正の師弟に「噛み付く」と、大いなる後悔に、悔やみ懺悔する日がくる。という事か。 赤子を「ネンネコ」に背負って「折伏」に励む御婦人に向かって罵声を浴びせる人が居る。 「お前のとこの貧乏が良くなったら、信心してやる!」…と言い。 「これは オマケや」と、その御婦人に「塩」をかけた。 この上記の実話を、今に「よみがえらせた」のが…。 「橋下 徹氏」の【 『常勝関西』を潰す (大意)】発言である。 2014年03月02日 (日) 12時06分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ① (大白蓮華のページに倣(ともな)って関連の御聖訓の引用をする。) 大白蓮華 28P 17~18行目 ↓ 【 御書を拜すると、日蓮大聖人が門下の質問を大切にされたことが… 】 云云と書かれている。 「これは門下が、教学上の ※質問 をする事・そのもの」の重要性を 『強く示唆された』 御教示である。 ① 『辧殿御消息 1223P』には、こうある。 ↓ 【 不審 有らば 諍論(じょうろん)無く書き付けて 一日進らしむべし。 】 ② 『教行証御書 1282P』には、こうある。 ↓ 【 随問而答(ずいもんにとう)の法門 申す可(べ)し、 】 ③ 『阿仏房御書 1304P』には、こうある。 ↓ 【 一御文に云く(中略)、此の法門 ゆゆしき大事なり… 】 ↑ この上記の文意は「非常に大事な ※質問 です」という意味である。 更に「法門への ※質問」の重要性を強調する御教示は、以下と続いていく。 ↓ ④ 『阿仏房尼御前御返事 1307P(関連御聖訓⇒1308P)』には、こうある。 ↓ 【 御文に云く 謗法の浅深軽重に於ては 罪報如何(いかが)なりや云云 】 上記の【 御文 】とは 「日蓮大聖人に対する 千日尼の『法門への ※質問』の事である。 千日尼は女人の身でありながら、 「日蓮大聖人」に『謗法の浅深軽重への罪報』に関する「※質問」を、手紙に託した。 それを読まれた「大聖人」は、 法華経の法理の急所である「法華経への謗法厳誡」の依文を述べられた上で、 御返書の最後(1308P 13~14行目)で、下記の如きの御金言を顕されている。 ↓ 即ち 【 其の義趣(ぎしゅ⇔法理の急所)を問うは 是れ即ち難しと為す 】であり。 続いて 【 法華経の義理(法義と法理)を問う人は・かた(難)しと (経文に)説かれて候 】と 最高の御賛辞を「対告衆の千日尼御前」に対して、御記述になられている。 之をして是を念(おも)うに…。 『知ったかぶり』を一切排して、素直な心で師匠に「法理の真意の開陳」を請い願っていく…。 これが、今回の『勝利の経典『御書』に学ぶ』の骨格ではなかろうか。 それが本来の「師弟不二」(犯してはならない部分)を、正しく継承していく事なのである。 ( …この「犯し難き部分」を利用して、巧みに私言を弄する「自称・最高幹部」をも見抜かねばならんのは「師弟不二」の必須じゃ ) 例えば…今回の『日妙聖人御書』の骨子でもある「女人成仏」に関して、前述の千日尼御前は下記の※質問をしている。 ⑤ 『千日尼御前御返事 1309P 2~3行目』 ↓ 【 女人の罪障は・いかが (女人の罪障が深い事は漠然と知っているが…)と存じ候へども (日頃「日蓮大聖人様」から伺っている)御法門に「法華経は女人の成仏を・さき(眼目)とするぞ」と候いしを 万事は・たのみ(深く信じて) まいらせ候いて等 云云。 】…と、 真摯な※質問をしている事が記述されている。 当然。 この「※質問」に対しても師匠である「日蓮大聖人」は、 一切の「手抜き」をせず「全力」で『女人成仏』の大事を説かれる。 更に…。 最も重要な『血脈相承』についても、その解答(正論)を引き出したのも「師匠への※質問」である。 ⑥ 『生死一大事血脈抄 1338P 3行目』 (対告衆⇒最蓮房) 【 殊に 生死一大事の血脈相承の御尋ね 先代未聞の事なり 貴貴 】 そして…。 この「教学上(法理)の※質問」への讃歎の『御聖訓』は頂点となる。 ( 大白蓮華 28P 最終行から 29P 1行目 ↓) 【 先 法華経につけて御不審をたてて 其趣を御尋ね候事 ありがたき大善根にて候、 】 上記は ⑦『妙法尼御前御返事 1402P 冒頭』の御聖訓である。 「日蓮大聖人」が、 一人の門下の「素朴な※質問」を 『同抄 1402P 3行目』では 下記の如く御褒めになられている。 【 末法の けふ(今日)このごろ(此の頃) 法華経の一句一偈の いはれ(理由・正史)をも尋ね問う人は ありがたし 】 今回の『勝利の経典『御書』に学ぶ』は…。 大白蓮華 28P(僅か1ページ)の「※質問」に関する事柄に関しても、 『御書』を御引用申せば この紙量である。 次回は「対告衆・日妙聖人(日妙尼)」を若干掘り下げてみたい。 ① 完 2014年03月09日 (日) 08時55分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ② (大白蓮華のページに倣(ともな)って関連の御聖訓の引用をする。) 大白蓮華2014年3月号 29Pの本文 ↓ 【 (日蓮大聖人の御在世に)鎌倉から遠く佐渡の地まで大聖人のもとへ… 】とある。 書けば「これだけ」であるが…。 この「これだけ」の中に。 『誠の日蓮仏法・誠の創価仏法』の根幹がある。 その「信心の根幹」を貫き徹(とう)した「女人」こそ『日妙尼』なのだ。 そこで、この本抄『日妙聖人御書』の対告衆である「一女人・日妙尼の生き様」を「別抄」に迫りたい。 ******************************************************************** 大白蓮華 30Pの上段に 【 うつつ(現)ならざる不思議なり 】という御記述の引用がある。 これは 『乙御前御消息 1220P 3行目』の引用であるが… 実は、この前後の御記述に 『日妙尼』に「聖人」を冠した真意がある。 この『日蓮大聖人』が吐露された「真意」とは、一体 何処にあるのか。 『真意の序章』とは ↓ 【 女人は夫を魂(たましい)とす・夫なければ 女人 魂なし 】 (御書 1219P 17行目)である。 この【 夫なければ 】という御記述。 これは「寡婦(かふ)」を指している。 つまり ⇒(夫とは死別・離別した身でありながら、その後「後添」を求めずに『師を求める女人』) である。 ※ ( 日妙尼(日妙聖人)の場合は「離別」 1217P 13行目 ) 『日蓮大聖人』の『真意の序章』は 更に続いてゆく…。 【 此の世に 夫ある女人すら 世の中 渡りがたふ(難とう)みえて候に、 魂(この場合は夫を指す)もなくして世を渡らせ給うが・ 魂(夫・再掲)ある女人にも すぐ(勝)れて 心中 かいがいしく おはする上・ (中略) 人に勝れて おはする女人なり 】…。 であるから、尚更 【 うつつ(現)ならざる不思議なり (再掲)】なのである…と御記述なのだ。 ******************************************************************** だから ↓ 【 其の上 いまのまうで(今回の佐渡への来訪の事) 又 申すばかりなし 】1220P 3~4行目 なのであり、更に ↓ 大白蓮華 30P(下段)4~5行目 「 前例のない女性門下の求道心を賞賛 」なのである。 本抄の真意とは…「法(師匠)を唯々求める弟子(門下)の生き様そのもの」を言う事… つまり…。いつの世になろうが、その「真理」を求め往かねばならんと言う事なのだ。 僅か3,600文字前後の短編の御記述である『日妙聖人御書』 しかし。 この御記述には規範とすべき御教示が輝いている。 続く 2014年03月09日 (日) 12時39分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ③ 『贖命の弘法』(死身弘法)の先駆者の列記 贖命(しょくみょう)とは文字の通り「命を贖う事」であり、弘法とは「法華経」。所謂「正法」である。 本抄『日妙聖人御書』では、この上記を冒頭に列挙して「日妙尼自身」の求道を讃えられた。 その『贖命の弘法』(死身弘法)の先駆者の列記とは ↓ 楽法梵志・釈迦菩薩(菩薩時の釈尊)・雪山童子・薬王菩薩・不軽菩薩 等々だ。 **************************************************************************** …が。 『日蓮大聖人』が、上記にて顕された弘教の先駆者の業績も 『 これは「正史」ではあるが… 然し。 時には適っていない 』と御記述されている。 【 取捨 宜しきを得て 一向にすべからず 】 1216P 9行目 上記は「章安大師」(唐・天台宗 第5祖)の嚼論引用である。 これが 「時に適応していない事象を用いてはいけない」…という事であろう。 が然し。 御聖訓に列挙された『死身弘法』の先駆者達(本抄・1213P~1215P) を「全否定」されていない事は、これを忘れてはいけない。 それが ⇒ 大白蓮華 31P(上段)の 「ここで一点、確認をしておく」という記述である。 その上で、大白蓮華 31P (下段)の 「戸田城聖先生」の『今』という事柄を拜さねばならぬ。 **************************************************************************** 「戸田先生」の曰う『今』とは、「今 要る物を得る事」「今 やらなければいけない事」を… 敢然と実践しゆく事である。 これが 【 取捨 宜しきを得て 一向にすべからず 】 1216P 9行目である。 いや。 もっと究極の「御金言」が実在するので、その部分を顕そう。 【 仏に やすやす(易々)となる事の候ぞ・をしへ(教え)まいらせ候はん、 (中略) 仏に なりやすき事は 別のやう候はず、 (中略) 二つなき物を 人にあたへ(与え)・ 命のたゆる(絶える)人の 施(贖⇔あがない)に あふ(遭う)がごとし 】 上記 『上野殿御返事 1574P 2~5行目』 仏法の根幹は須(すべから)く、その行住坐臥(行躯そのもの)が『適時而已』である事だ。 それのみが「何の為」に直結している事を、芥子粒も忘れてはいかん。 ( 「何の為」 ⇒ 大白蓮華 31P (下段) 21行目 ) **************************************************************************** (が然し。 御聖訓に列挙された『死身弘法』の先駆者達(本抄・1213P~1215P) を「全否定」されていない事は、これを忘れてはいけない。)とは今回の再掲じゃが…。 この ⇒ 『「全否定」されていない事』の文証を示唆しておく。 ↓ 【 いまだきかず 女人の仏法をもと(求)めて 千里の路をわけし事を 】1216P 13行目 幼子(乙姫)の手をひいての「師匠」を渇仰する行脚である。 「誰ぞ忘るるや」である。 ③ 完 2014年03月15日 (土) 08時55分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ④ ********************************************************************** 【 うつつ(現)ならざる不思議なり … 】 『乙御前御消息 1220P 3行目』 上記(大白蓮華30P ・上段)は『日蓮大聖人』の心奥の叫び(…の一部)である。 【 佐渡の島まで流されしかば 問い訪(とぶら)う人も なかりしに・ 女人の御身として・かたがた御志(微動なき行住坐臥の求道心)ありし上・ 我と来り給いし事 うつつならざる不思議なり 】『乙御前御消息 1220P 2~3行目』 上記が『日蓮大聖人』の偽らざる心境の吐露であられた。 尚。【我と来り給いし事】とは、『この日蓮を師匠と定め、求めて佐渡まで来た事』と拜す。 そのやうな本抄 『日妙聖人御書』が顕された「1272年」(文永9年)の時代背景とは… 健脚の壮年武人でさえ、道中の多難を簡単に予想される世相である。 一体「何故」に『日妙尼』は「幼き乙御前」の手を引いて、遠路『師匠・日蓮大聖人』を求めたか。 そも何故か。 抑(そもそも) 『何の為』の行動なのか。 大白蓮華 31P 下段 にある、『「何のため」という原点が大事』の【何】とは何か。 ********************************************************************** 『正史の継承』 「正しい歴史を、正しく後世に伝える」 つまり『正史の継承』が、謂う「何の為」の【何】である。 逆に云えば… 『正史の継承の人』となる事の為のみに、日妙尼は遠路、師匠を求めたのだ。 その『正史の継承』の実践の人に対峙して、「諸悪・諸難」は先を争って畢(ことごと)く立ち阻む。 「畢く」とは、一切の手抜き無く・目溢し無く・例外なく…と、諸悪・諸難は立ち阻む事だ。 たとえば… 「この人は絶対に欠くべからざる人」に、ある日「短命を保障する」病魔が襲った時。 さらに、この「絶対に欠くべからざる人々」が連続して消滅の危機に晒される時。 また 今まで同志として尊敬していた人の、突然の「信じられなき本性」を見る時。 ↑こんな事態に陥った時。 決めて私達は「現実から逃げて、事態を回避」しないであろう。 大白蓮華の文章を写すのみでよいものを、稚拙なる筆者(愚壮)の想いを書いた。 …が、然し。 この本意は 『諸悪・諸難に遭遇した時こそ、逃げない事』を云いたいのである。 それを、この『日妙聖人御書』から学びたいからである。 ********************************************************************** 『諸悪・諸難』と言えども 之こそ『願兼於業』なり。 だから『我深敬汝等・不敢軽慢・所以者何・汝等皆行菩薩道・当得作仏』なのである。 ↑ 大白蓮華 33P …が。 是れとても 『十界互具』の広大無辺な法理から俯瞰すれば物足らぬ。 なぜ「二十四文字の法華経」でも言い足りないのか。 答えは一つ。 「正法とは時代の変遷に応じて、その姿を変える」からである。 では、どう「変わったのか」 ********************************************************************** 『妙法』とは【何】ぞや。 なぜ『南無妙法蓮華経(末法始顕の妙法蓮華経に帰命する事)』が究極なのか。 大白蓮華 34~35Pには「諸仏の結論」としての『妙法』の有態(ありてい)が書かれてある。 ④ 完 2014年03月16日 (日) 08時19分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ⑤ ********************************************************************** 『妙法』とは【何】ぞや。 なぜ『南無妙法蓮華経(末法始顕の妙法蓮華経に帰命する事)』が究極なのか。 大白蓮華 34P 『妙理』(衆生本有の妙理) 一切衆生の最深に、元来から具わる「仏界(仏性)」 その「仏界」を顕現させる唯一の方途こそ『南無妙法蓮華経』である。 …と結論し、潔く実践する事であり…。 これが『日蓮仏法』の根幹であり、残余は「枝葉」であると悟る事。 ↑ これが… 謂うところの 『妙理』(衆生本有の妙理)である。 ********************************************************************** 【 妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは よみがへる義なり (中略) 法華経は 死せる者をも治するが故に 妙といふ釈なり 】『法華経題目抄 947P 2~9行目』 倩(つらつ)ら思い起すまでもなく、上記の「御金言」に私達は立ち上がった。 それは何故か。 …それは、行住坐臥の『妙法(南無妙法蓮華経)』こそ、万薬と知ったからだ。 では、何処で どのようにして 『生きゆく為の根幹(煩悩即菩提)』を知ったのか。 「常に根幹に置け」と、私達が確かに教わった『御書』は、 一体 どなたの御編纂で、現今に蘇えったのか。 亦。 どなたの御篤請が、それ(再編纂)を促したのか。 …と問いたい。 ********************************************************************** 再び、妙に関する『御祖書⇒『日蓮大聖人』の全ての御記述文献(いわゆる御書)』を繙く。 曰く 【 抑(そもそも) 妙とは 何という心ぞや 只 我が一念の心・不思議なる処を 妙とは云うなり 不思議とは 心も及ばず 語も及ばず と云う事なり (中略) 而(しか)も 有無に徧(へん)して中道一実の妙体にして不思議なるを 妙とは 名くるなり、 此の 妙なる心を 名けて 法とも云うなり、(中略) 此の旨を深く信じて 南無妙法蓮華経と唱へば 一生成仏 更に疑あるべからず (中略) 努努(ゆめゆめ)不審を なすべからず 】『一生成仏抄 384P 6~14行目』 亦曰く 【 天台大師の血脈相承の最要の法は 妙法の一言なり 】 ↑ 『立正観抄 531P 18行目』 【 妙法蓮華経の妙の一字は (中略) 「能(よ)く毒を変じて薬と為す」云云 】 ↑ 『道場神守護事 979P 12~13行目』 更に 女性門下の「千日尼御前」には、下記の『御聖訓』を述べておられる。 【 十方の仏と申すは (中略) 皆 悉(ことごと)く 法華経の妙の一字より出生し給へり 】 『千日尼御前御返事 1315P 2~6行目』 「妙心尼御前」には以下の『御教示』をされておられる。 【 又 此の妙の文字は 月なり 日なり 星なり かがみなり 衣なり 食なり 花なり 大地なり 大海なり、 一切の功徳を合せて 妙の一字 と ならせ給う、 又は 如意宝珠の たまなり 】 『妙心尼御前御返事 1484P 11~13行目』 更に更に 「上野殿後家尼」には 煩悩即菩提の急所が窺える。 【 逆即是順の法華経なればなり・これ 妙の一字の功徳なり。 】 ↑ 『上野殿後家尼御返事 1505P~1506P』 つまり…。 『妙法』とは。 『南無妙法蓮華経』が「無二の究極」なのである。 ⑤ 完 2014年03月22日 (土) 08時56分 日亨上人『御書』序 原文 聖祖建宗七百年を記念する報恩行として 昨年(昭和26年)の六月に創価学会で御書全集刊行の美挙が決定せられ、 其の編纂を 予に是非とも引き受けてくれとの事であった、 以下 ☆印が「通解文」である。 ☆日亨上人『御書』序 現代語(通解) 日蓮大聖人の立宗宣言から、七百年を記念する報恩事業として 昨年(昭和26年・1951年)の6月に創価学会で御書全集刊行の壮挙が決定され、 其の編纂を 私に是非とも引き受けてくれとの事であった。 其れは予が 富士門下の長老でもあり 学究でもあるからであろうが、 兎も角 世寿は八十六で法臘(ほうろう)が六十六であり 入道以来 ※孜孜(しし)として一日も巻軸を離さぬ勉強家であることを 学者並に見込まれたものと見ゆる、 ※孜孜(しし)⇒熱心に励む事 ☆其れは当時の私が、日興上人門下の長老でもあり、 宗史を学び尽した研究者であるからであると思うが、 どちらにしても 兎も角、年齢は86歳で、出家して66年である。 仏道に入って以来、仏法の法理と正邪、及び古文の解読を学び続けている事を見て、 私を学者の様に思っているのであろう。 実は資性暗愚(しせいあんぐ)で如何(いかん)する事も出来ぬ、 やっと人様の真似ぐらいでは迚(とて)も斯(こ)の大任に当るの器でない、 宜しく御辞退申して 他の学匠に委ねるのが賢策であるのに 無謀にも悦んで此れを受託したのは吾ながら不覚であったが、 ☆本当は素質が暗く愚かで、どうにもならない。 やっと他人の真似事ぐらいでは、 とても御書編纂のような難解な事が出来る才能など無い。と、 そのような理由を付けて丁寧にお断りし、他の学僧に委ねるのが最良策であるのに 無謀にも歓喜・快諾したのは、※吾ながら不覚であったが、 ( ↑ この独特の書風に、師の豪放磊落さが如実に顕れている。 ) 実は、この事(快諾した理由)には、 御書編纂の事業を受けるべきの事情があった。 (その快諾した理由・事情を述べると…以下である) 御開山日興上人に五・十大部の御撰定があり 又長編の御筆集が現存して居(お)るが ※所縁(しょえん)を写録されたもので聖祖の全編では無い、 ※所縁(しょえん)⇒ ゆかり・縁故関係を指す。 ☆御開山日興上人が、御書の五大部と十大部の御決定をされた。 (興尊が決定されたのが、75歳前後の最熟達期であろうならば、1320年頃となる) ①本尊問答抄 ②唱法華題目抄 ③立正安国論 ④開目抄 ⑤観心本尊抄 ⑥法華取要抄 ⑦撰時抄 ⑧報恩抄 ⑨四信五品抄 ⑩下山御消息 ↑上記は十大部 又、その他の長編の御聖訓が家宝として厳伝されているが、 それぞれの門下の縁故関係に限定された家伝や写本されて伝えられたもので、 必ずしも日蓮大聖人の全編の御正筆では無い。 ※爾来五百年 ※斯業(しぎょう ⇒日蓮仏法の根幹)に精進するの名師出(い)でず 漸(ようや)く近古になって細草談林の化主で 又 大石本山の学頭であった 『久遠院 日騰上人』が始めて新定祖書の目録だけを作り ※祖書 ※拾遺(しゅうい)の編輯(へんしゅう)もあったが 全編ではない、 ※斯業(しぎょう)⇒御書の編纂作業 ※祖書⇒『日蓮大聖人』の全ての御記述文献 ※拾遺(しゅうい)⇒漏れや欠落を拾い集める事 ☆日興上人が、 御書の散逸や遺棄・漉返し(すきかえし)を強く御警告されてから、※約500年。 ( ↑ 概略 1333年~1833年の500年間の事) 御正筆の編纂に没頭する学僧が宗門の中で出現しなかったが、 ( ↑ 500年間「御書」補完の正師が出現しなかった「宗門の基本的体質」が如実である ) ようやく江戸時代後期(1840年前後)になって、 千葉の細草談(檀)林(ほそくさ だんりん ⇔ 日蓮派の学僧養成塾)の塾長で 又 日蓮正宗総本山:富士大石寺(宗門)の学頭でもあった 『久遠院 日騰上人』という学僧が始めて、改めて新しく収集すべき御正筆の目録だけを作り、 散逸された御正筆・御書の編纂を試みたが、御書全編には至つていない。 更に 本化文集六十六巻を製して門下を労して版下に清書させたが 不孝にして版行が出来なかったのみで無い 写伝者すら無く本書が転転として 大正の大震火災(1923年9月1日)で横浜で※烏有(うゆう)に帰したのは 護持者の※疎浪(そろう)を咎めても追付かぬ残念千万の事である、 ※烏有(うゆう)に帰す⇒その(当該の)災いで全て無くなる事 ※疎浪(そろう)⇒扱いがいいかげんな事 ☆その後、日蓮大聖人御書集・66巻を作製し、 学僧学徒に督励して校正原稿の完成直近にまで漕ぎつけたが、 不孝にして印刷出版が出来なかったのみならず、 引き続いて継承して、校正や出版に臨む者さえも見つからず、 この重要な原版が転々として、関東大震災(1923年9月1日)で被災し、 横浜で一切が灰燼に帰したのは、 護持すべき責任者の、日蓮大聖人の御聖訓に対する杜撰さや、 重要性の認識の欠如を、今更糾弾し、強く咎めても追付かない、 ※慙愧の事件である。 ( ↑ ※ 富士日興上人詳伝では『宗門の瑕瑾』とさえ断定されている ) ( ↑ 後年「日顕」如きの輩が跳梁する、宗門自体の杜撰・漫然・惰性である) 日騰師の後輩 妙道院『日霑上人』は 予が師匠であるが、 騰師の新定祖書目録を修補して本祖文集四十四巻 同続集十二巻を集成し 其れが後に 久留米の霑妙寺に蔵(おさ)めてあったが 何時しか欠本と為ったのを 補充を命ぜられて完本とし 今は吾が雪山文庫に在る、 ☆妙道院『日霑上人』(第52世法主・細草談(檀)林 第89代塾長)は私の師匠である。 その日霑上人が、先輩の「日騰」の御書目録に強度の修復・補完をして、 日蓮大聖人御正筆集44巻 同じく続編12巻を集成した。 その後 この御書集は、久留米の霑妙寺(日亨上人得度の寺院)に蔵(おさ)めてあったが いつしか再び散逸し落丁しつつあったのを 復元と修補と充実を(師:日霑上人から)命ぜられ、 完成の御書として、今は私の雪山文庫(伊豆畑毛・雪山荘)に在るのである。 予 暗愚で迚(とて)も現代の寺院生活は覚束ないので 大正四年から 性に合わぬ万務を放下(ほうげ)して 本山の一隅に閉居し、学究生活に入ってから 同(大正)八・九年の頃に 東京人で 『妙道居士:田井惣太郎氏』の発願で 時の学頭『慈鑑院:日柱上人』を通して 御書編纂の企てがあった、 日柱上人は 其の主任を 自分に嘱(まか)せられたが 慮学を恥じて固く辞退した、 ☆私は元来、諸事に暗く性格も愚昧なので、 とても現代の寺院に篭(こも)った生活では満足できないので、 大正4年から 性に合わない僧侶(宗務寧身)の生活を願い下げして、 総本山大石寺の隅(現在の雪山坊)を拠点として、 学究生活(東大史料編纂所・全国寺院踏査・古文書研究)に入っていた。 そのような大正8年(1919年)か9年(1920年)の頃に、 東京の法華講の『妙道居士:田井惣太郎氏』が発願し、 時の学頭『慈鑑院:日柱上人(第58世法主)』を通介して 再び御書編纂の企画があったのである。 日柱上人(後の第58世法主)は、其の御書編纂作業の責任者に、 私を指名されたが、御書編纂という難事には肌が合わず固辞した。 此れと粗(ほぼ)同年に 東京人の『素啓居士:三谷六郎氏』が 山内(大石寺内)に在坊せし『慈豊房:日明』と共に来たりて (御書)全集編纂の主任を懇請されたが 俄(にわか)に之に応ずるの蛮勇は起らぬ、 其の代りに私蔵の材料は此れを提供するに吝(やぶさ)かでないとしたから 慈豊房は ※夜を以て日に続(つ)ぎ研鑚に力(つと)めて 予も大(おおい)に資料を傾けたが 素啓居士は思いあきらめず 幾度か懇請を続けられた、 ※夜を以て日に続(つ)ぎ ⇒ 止暇断眠の様である事。 ☆この同じ頃に、東京の法華講『素啓居士:三谷六郎氏』が、 大石寺塔中に住まいする『慈豊房:日明』と二人で来訪されて、 御書編纂作業の責任者を(再再度、私に)丁寧に要請されたが、 情に絆(ほだ)されて、此(こ)の事を安易に承諾するという 向こう見ずの考え(蛮勇)は、起らなかった。 が、然し。自身が今まで研究して蒐集した全資料は、 御書編纂の為に提供する事を「吝かでない」と承知したから、 『慈豊房:日明』は、夜の目も寝ずに研鑚に励まれた。 私も又、最大に持てる資料を提出していたが、 法華講の『三谷六郎氏』は思いあきらめず (慈豊房の御書編纂作業とは別に)何度も丁寧な要請を私に続けられた。 慈豊房が信濃(新潟県)より東京に転じて 昭和四年に『御書新集』発行の事を聞いて 一たびは驚き 一たびは喜んだ、 其れは 数年の間 斯業(しぎょう)の消息を耳にしなかったのと 此の困難な事を成し遂げた事であった、 ☆『慈豊房:日明』がその後、赴任先の新潟県より東京に転勤し、 昭和4年(1929年)に『御書新集』発行の事を聞いて、 私は当初、大いに驚き 大いに喜んだ。 その訳は(昭和4年・1929年までの)数年の間、 御書編纂の重要事の顛末・経緯を耳にしなかったのとあわせて、 (慈豊房:日明が)此の困難な事を成し遂げた事への歓喜であった。 早速取り寄せて見ると 其の成果の予期に大(おおい)に反したのに驚愕した、 思うに 予 非器(ひき)なりとも 親しく参加して居たならば 此の悔いなかりしかと ※慙恨(ざんこん)茲(ここ)に年を久しうした処に 豈 図らんや 創価学会会長『戸田城聖氏』の※熱請に値はんとは、 ※慙恨(ざんこん)⇒悔やんでも悔やみ切れない事。 『御書』の編纂事業そのものが、如何に難事であるかという事である。 ※熱請⇒『戸田会長』が御書全集の編纂を『日亨上人』に強く要請した事。 ☆早速取り寄せて見ると、其の編纂され完成された御書の内容が、 私が予(あらかじ)め期待した事と、大いに隔っている事に驚き、愕然としたのである。 思えば、 私がいかに非力であったとしても、要請の当初から参画して居たら、 こんな事にはならなかったと、今更※悔やんでも悔やみ切れない思いで、 後悔の何年かを忸怩(じくじ)と思い続けていたところに、 考えもしていなかった 創価学会会長『戸田城聖氏』の御書編纂への篤い信心の要請に遭遇するとは ※ 上記の御文章が、『御書』の編纂事業そのものが、如何に難事であるかを物語るのである。 茲(ここ)に 漫(みだり)に此の大任を受諾(じゅたく)したのは 全く已上(いじょう)の遠因があったからであり、 且又(かつまた) ※去来(きょらい)と云えば 老駑(ろうど)を鞭(むちう)ってくれる 義侠の学匠(がくしょう)の必ずあるべきを予期し ※ 去来⇒常に脳裡をかすめる事・いつも思う事 ☆戸田城聖氏からの御書編纂の偉業を冒頭述べたように歓喜・快諾したのは (何度もの御書編纂の挫折を目撃した)遠因があったからであった。 更に言い重ねれば、 日頃常々思っていたが、私が老体でこの偉業を開始すれば、 必ずその補佐を買って出る義侠の学僧が、これも必ず存在する筈と思ったからである。 幸(さいわい)に東上して ある会合の折に参加を懇請したが 何れも繁多の常務の外(ほか)に 同 ※記念出版に特務を負わせられたりとの事で 不孝にして一人の同志をも得ず 止むなくば 万一 途中失敗の補助たるべき仁すら突嗟(とっさ)に見当たらず、 此時(このとき)已(すで)に 年末まで微(わずか)に六ヶ月で 地方の学匠(がくしょう)に交渉するの余日も無く百方 計尽きて ※記念出版⇒立宗七百年記念『御書』出版の事 ☆そんな時、幸便に上京し、ある会合の折に参加を懇請してみたが (掛け合ったどの僧も)何れも多忙の自寺院生活を言いながら、 暗に… この『創価学会版:新編 御書全集』の編纂出版事業に「※拘束」されるのを厭(いと)い、 ※拘束 ⇒ 「御書編纂という特務」を負わせられると思う事 不孝にして一人の学僧僧侶も編纂助力の手を挙げない。 難事中の難事である編纂事業そのものが、若しも途中で憂慮すべき事態の発生の時、 それを支える宗門内の人材すら突嗟(とっさ)に見当たらず、 しかも、この時点で残された時間(昭和26年・1951年末まで)は 微かに6ヶ月で、 全国の学者に助力要請の日も無く、御書編纂の望みは絶たれてしまった。 偏(ひとえ)に仏天の冥助を仰ぎ 僅に一二の学徒に 淨写を助けしめて歳末に成稿(じょうこう)せしは 全く冥加(みょうが)に依るものと感泣する、 事ここに至つては只々、御本仏と諸天善神の冥益と助力を仰ぎ 極、少数の学僧所化に 御聖訓の転写を助けさせて、 その年の歳末に総てが完稿した事実には、 全くの御本仏・御本尊の大功徳に依るものと、感極まって涙が止まらない。 殊に 学会の教学部に於いて 大挙校正に当り 世務(せむ)を割きて長日 長途を往復せられた事 及び 略伝年表まで作成された事は 望外の※僥倖(ぎょうこう)であった、 ※僥倖(ぎょうこう)⇒思いがけない幸運 ☆殊に特筆は、 創価学会の教学部の爽々たる青年達が、大挙して校正の任に就き、 世間日常の勤務を割愛して、幾日間も伊豆や静岡と東京を往復せられた事。 亦。御書付録に、略伝年表まで作成された事は、 望みもしない思いがけない素晴らしい事で、 未来の教学の為にも幸運であった。 但し 編纂の成果に※麁浪(そろう⇒麁⇒粗い)なきや 将(はた)して本仏の冥慮に協(かな)ふべきや否や※恐懼(きょうく)する所であるが、 敢(あえ)て老身の※廃朽(はいこう)に託して 其の責任を回避するものではない。 【日亨上人の究極の確信部分である】 昭和二十七年(1952年)四月の初め 伊豆畑毛の雪山荘にて 『日亨老僧』識す ※麁浪(そろう)⇒麁(あら)い・粗い事 ※恐懼(きょうく)⇒恐れ・かしこまる事 ※廃朽(はいこう)⇒廃(すた)れ朽(く)ちる事 ☆私の本音・本意は、 今回の御書編纂の内容に、漏れや粗いところがないか、 御本仏の御意志や御理念に合うか否か、 恐れ多く懼(かしこ)まる心境であるが。 それでも敢て私は強く断言をする。 それは ( この御書全集の内容に万が一瑕瑾が有っても ↓ ) 老身の混乱を、その間違いの理由にして、責任全体から逃げたりする事はない。 ↑【日亨上人の究極の確信部分である】 昭和27年(1952年)4月の初め 伊豆畑毛の雪山荘にて 『日亨老僧』が書き残す ************************************************************************** ※ 上記が『新編・御書全集』(私達が最も親しんでいる「御書」の事)の冒頭の『序』である。 通解(現代語訳)は、浅学を恐れずに「筆者」が行った。 (難語は大辞林を参考とした) 『日蓮仏法』を、特に『御書』の真実の顛末を真剣に学ぶのなら―。 この『序』の御文を精読すべきである。 『御本尊』に「南無」し奉り、『御本尊』に対して真剣に祈る者なら―。 この『序』の御文を精読すべきである。 つまり―。 私が。 「最近の創価学会教学部」の、行き過ぎた「洗脳的我田引水論調」に辯駁する訳は茲にある。 而(しこう)して… たれも―。 私(筆者)のこの「精読・咀嚼の重要性への指摘」に関して、異議などあるまい。 2013-0216 筆者・愚壮 (御書『日妙聖人御書』⑥は続けます) 2014年03月29日 (土) 12時40分 御書を繙く・勝利の経典『御書』に学ぶ・第61回『日妙聖人御書』 2014年平成26年3月号「大白蓮華」 池田名誉会長御書講義抜粋 ⑥ ******************************************************************* 前回の締めくくりは、『妙の一字』への結論である。 つまり『三大秘法の南無妙法蓮華経』こそが「無二の究極」である…という事である。 ここで、大白蓮華 34P (上段~下段)の文言で、この事を思索しておく。 この事とは⇒(『三大秘法の南無妙法蓮華経』こそが「無二の究極」である…という事だ) 【 一切の生きとし生けるものの中に、尊極な生命が具わっている。 誰人も「仏」と同じ生命を持ち、 一切を育む慈悲と、人々の闇を照らす智慧と、 無明と戦いゆく勇気を持っている。 (中略) 】とある。 これは、「一切の生命に最勝の仏性が厳然と存在する」が、『妙法』以外では顕現しない。 …という断言である。 言い変えれば…。 「各人が、必然常備の『仏性(仏界)』を顕わすには、『南無妙法蓮華経』しか無い」という事である。 『無明と戦いゆく勇気』 ここでいう無明とは、「元品の無明」という事である。 この「無明」と戦うのだから、只事ではない。 なぜかならば…。 『元品の無明』とは、『仏性』の最大の怨敵であるからだ。 つまり、 『日蓮仏法』の最大の敵が⇒「個々に具わる、元品の無明」なのだ。 『御書』を繙くと、この「元品の無明」に関する御記述が多く拜せられる。 ******************************************************************* 例えば 『祈祷抄 1349P』では、 「元品の無明」こそ『謗法の大石』と謂われている。 同 『祈祷抄 1346P』では、 「元品の無明」即『第六天魔王』と、これは究極の御文証である。 (『第六天魔王』⇒他化自在天王(波旬)欲界の王・三障四魔の天子魔・仏道の成就を妨げ賺(すか)す) これらの大敵と戦う時の「武装」が ⇒ 『妙』である。 つまり 『妙法の力用(妙理)』(衆生本有の妙理)の最大の昇華・顕現法は ↓ ↑ 唯一『南無妙法蓮華経』と唱うる事なのだ。 ******************************************************************* 『如我等無畏(にょがとうむい)』 我等が大敵(仏敵・成仏させまいとする力)と戦う時の為に、 『妙』と『法』の二文字で「武装」する以外、その済度の術は閉ざされているのか。 否。 そうではない… とするのが『如我等無畏』という仏語・仏意である。 大白蓮華 36P (下段)では、「如我等無畏こそ仏の願い」であると断言されている。 「仏の願い」とは、則(すなわ)ち 『十方諸仏の誓願』と言い切れよう。 ******************************************************************* 【一切衆生を 我が如く (全てに於て)等しくして 異なること無からしめん】 なるほど… これなら安心と、 たれもが一旦は感じる… が。 そうではない。 つまり、 『如我等無畏』自体こそ、「爾前の釈尊」の仏説でしかない。 この事を、大白蓮華 37Pでは、「肯定」しつつ 硬く「否定」している。 「釈尊自身」と同等にはなれない。とも聞こえる裏に、断固とした意図がある。 結論はこうである ⇒ あくまでも 『如我等無畏』とは本果妙(久遠実成の仏語)である。 【 日本国の一切衆生を 我が成仏せしめんと云う所の願 併(しかしなが)ら 如我昔所願なり (中略) 如我昔所願は本因妙 如我等無畏は本果妙(久遠実成の教主・釈尊)なり 】 『御義口伝上 720P ・ 第六 如我等無畏 如我昔所願の事』 大白蓮華 37P には伏字がまだある。 それが ⇒ 【適時而已】なのだ。 ******************************************************************* 更に大白蓮華 38P (下段) 9~16行目では 敢然と「釈尊の所願」を否定している。 実は… この「否定の根幹」が、 『日蓮仏法』の根幹でもある。 大白蓮華 40P (下段)に、 その部分(日蓮仏法の根幹とする部分)の記述の一端がある。 「 大聖人が賞讃されているのは、命懸けの行動をしたということだけではなく 」とある。 つまり。 「『贖命の弘法』(死身弘法)がなければ、『日蓮仏法』が今日(こんにち)には輝かない。」 いや。 まだある。 それが ⇒ 「同じ心」。 『激励』であり『同苦』である。 本抄『日妙聖人御書』の最後の部分に、こう顕されている。 1217P 10~11行目 【 相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、 山海はるかに・へだて 山は峨峨(がが)・海は濤濤・風雨・時に したがふ事なし、 山賊・海賊・充満せり、宿宿と(泊)まり・とまり・ 民の心・虎のごとし・犬のごとし 】 上記などは、「同苦の心」が無ければ絶対に顕わせない事を拜するべきである。 『日妙聖人御書』 完 2014年03月30日 (日) 09時29分 『諫暁八幡抄』 1280年(弘安3年)12月 御執筆 聖寿59歳 於・身延 『新編・御書全集』 576P~589P 約11,700文字 2014年4月 座談会御書教材 (同月号 773号 大白蓮華 46P~51P 参照) ******************************************************************** 先ず書いておく。 大白蓮華 2014年4月号には本講義の「主題」を『折伏こそ慈悲の表れ』としている。 …が。 残念ながら… 本抄御著作の背景は、そのやうな「生易しい」ものではない。 確かに、今回の御講義部分(折伏)は『日蓮仏法』の根幹(法華折伏・破権門理)ではあるが、 事。『諫暁八幡抄』に至っては、この「折伏行」を凌駕(超克)する真意がある。 特に、『新編・御書全集』の冒頭に、『日蓮大聖人・御直筆』が掲示されておる所以。 亦。 その「御正筆」の在所等々…。 深い意味を感じとらねば「烏合の輩」のままとなる。 ******************************************************************** 扨。 本抄『諫暁八幡抄』である。 武家社会の勃興を先鞭した「鎌倉幕府」は、その卓抜した経験と知識を駆使している。 「駆使した目的」とは…。 「上一人から下万人」への統率であった。 『万民・衆生への(見てくれの)庇護』には当然、圧迫や弾圧も在れば、懐柔もある…と邁進した。 …がやがて。 「魚も頭から腐る」「腐敗した指導者は、その腐臭に気付かない」を地のママに、 「幕府」は急速に(諸々の経文で暗示したとおり)没落してゆく。 その 『鎌倉幕府の没落』を、より顕著に示したのが ↓ ↑ 『下克上事件(承久の乱)』と『日蓮大聖人(末法御本仏)への大弾圧』であった。 …やがて。 『未萌を知る』とは、「夭孼」をも含んでいる…と。 「扶桑国」は滅亡の危機へ走る。 ******************************************************************** 「八幡大菩薩は天子(帝)である!」(和漢王代記 608P)を「反故」にした鎌倉幕府。 『末法の御本仏・日蓮大聖人』を死罪に追いやった鎌倉幕府。 この上記の「二つの暴挙」を、漫然と見逃しかけた『八幡大菩薩』。 殊程然様に、である。 …事態は火急であった。 ******************************************************************** それは『日蓮大聖人』が発迹顕本(示同凡夫の御姿のママ)の寸前であった。 【 いかに八幡大菩薩は まこと(実)の神か! 】 『種種御振舞御書(佐渡抄) 912P 18行目』 上記の叱咤に、安眠貪りし「八幡大菩薩」は、 恐らくや覚醒し、 この日から九年後、社(鶴岡八幡宮)を焼滅(弘安3年11月14日)させて、去るのである。 この「焼亡(弘安3年11月14日)」を知られた『日蓮大聖人』が文机に向かわれた。 それが ⇒ 『諫暁八幡抄』である。 ******************************************************************** 『日蓮大聖人』は何故 八幡大菩薩を諫め暁されたのか…。 「八幡大菩薩」に対して、直接に言わねばならない事とは。 いや。 言われなければならない 八幡大菩薩の「使命」とは…。 ここを知らなければ、『諫暁八幡抄』が『諫暁八幡抄』でなくなるのだ。 『八幡大菩薩の使命』 それを如実に示された『御書』がある。 ******************************************************************** 【 八幡大菩薩をば (中略) 其れ 実には釈迦仏にて おはしまし候ぞ、 其の故は (中略) 石体の銘と申す事あり、 (中略) 一つの石われて二つになる、 一つの石には八幡と申す二字あり、 (残る もう)一つの石の銘には 「昔 霊鷲山に於て妙法蓮華経を説き 今 正宮の中に在りて 大菩薩と示現す」云云、 是れ (八幡を)釈迦仏と申す 第一の証文なり 】 『四条金吾許御文 1195P 6~11行目』 是れを以て 是れを思うに…。 本抄『諫暁八幡抄』は ① 八幡の怠慢を戒める為 であり ② 八幡を諫暁する事は、一重に「全民衆」への慈悲心の為 である。 ① ② ⇒ 「御書辞典」引用 最後に、 大白蓮華 48P 本文にふれておく。 【 …一切衆生の口に入れんと はげむ 計りなり 】 と御教示である。 この 【 はげむ 計り 】 の 【 はげむ 】 とは、 『日蓮大聖人の所願』 『日蓮大聖人の誓願』で、断じてそれ以外ではない。 完 2014年04月17日 (木) 17時44分 あれは 本年(2014年)の「ひなまつり」の日(月曜日)だった。 私の車は、毎日渡る復路の「新木津川橋」へ久御山町側からさしかかった。 「橋が流失して(上津島屋橋)、この(三月)十日すぎで半年か…」 「『流れ橋』は何時復旧するんやろ…」 その日も、そんな事を想いながら「430M」のR・1のバイパス橋に進入した。 ところが…。 その日の風景は、あきらかに今迄の『風景』と違っていた。 つまり「三月三日」に… 水色の小型ユンボが入っていたのが見えたのだ。 「今日が トッ掛かりや!」…と、車のスピードを落としはしなかったが…。 この日を待ち望んでいたのには間違いない。 昭和28年にか架橋された『流れ橋』が、今回二十回目の流失である事とか、 その流失の殆んどが、台風に依る増水である事なんぞは 知る術もないが…。 地元の人々にとっては、生活に密着している分、その復活は「何より」であろう。 とまれ。 完全に破壊してしまった「二脚」の木造橋げたも(少々時間は費やしたが)復活した。 とくに…。 久御山町側の数基の「コンクリート製の橋脚」にかかる床板工は苦労されたろう。 そんな昨日(4月16日)。 遠目、「工事関係者ではない人」が渡っている。 公称「365M」の『流れ橋』は見事 開通したのだ。 八幡市と久御山町の「架橋工事関係者」への敬意と同時に、私は強く以下を云う。 【 …仮に、「本年も来るであろう」 台風に流失しようとも『流れ橋』は懲りないだろう。 】 否。絶対に【 『流れ橋』は再び。その優雅な全景を見せて呉れるだろう。 】と念(おも)った。 2014年04月26日 (土) 16時45分 勝利の経典『御書』に学ぶ 大白蓮華 2014年5月号(№774号) 『生死一大事血脈抄』 聖寿51歳 御述作年月日 文永9年(1272年)2月11日 (この628年後の同月同日、戸田会長御生誕) 御述作地 ⇒ 佐渡塚原 対告衆 ⇒ 最蓮房 ( 亦。本抄御述作の前日 『草木成仏口決 1338~9P』を顕され、同・最蓮房に与えられている ) ******************************************************************** 先ず。本抄『生死一大事血脈抄』の根幹たる御聖訓を確認する。 ① 【 夫(そ)れ 生死一大事血脈とは 所謂(いわゆる) 妙法蓮華経 是(これ)なり、 】 本抄冒頭 ② 【 相構え相構えて 強盛の大信力を致して 南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ 生死一大事の血脈 此れより外に全く求むること なかれ (中略) 信心の血脈なくんば 法華経(御本尊)を持(たも)つとも 無益なり 】 1338P 8~10行目 究極を論ずれば ↓ 『信心の実(まこと)の血脈は、南無妙法蓮華経の御本尊に、異体同心(水魚の思いを成して) 且つ。臨終正念と「自分に与えられた使命に着目する事」を祈るのみに存在する』という事である。 つまり 「日常の総ての振舞・表現の根底に、この基盤(先ず御本尊)が存する事」 である。 大白蓮華 29Pに、こうある。 「広布の師弟は、久遠の妙法の光に包まれながら、三世の生死を※永遠に共に生きるのです。 共に苦楽を分かち合い、共に戦い、共に苦難の山を越え、そして共に勝利するのです。」 ただし…。 上記の※部分に【各々(弟子)の本地のままに…】と曰うのが、真実の師弟の姿ではある。 この【 本地のまま ⇔ 桜梅桃杏 】を抜いてしまうと『生死一大事血脈抄』が、完成しないのだ。 ******************************************************************** 大白蓮華 30P (下段)には、こうある。 創価学会は永遠に「師弟不二の信心」と「異体同心の信心」で勝負する。 上記はそのまま 直近直下(大白蓮華30P)の欄外の最後の四行に直結する。 曰く 【 生死一大事血脈という成仏の要諦に関する法門への質問に対する回答 】 大白蓮華 31~32P 掲載の本文全文を拜読する。 【 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく ~ 城者として城を破るが如し 】 この御聖訓には、「生死一大事血脈抄」の大事が顕されている。 つまり 『私は日蓮大聖人の弟子である』と言うのならば、一切の自他彼此の心を廃して、 異体同心に『御本尊』に祈る事なのである。 【所詮 是なり】なのである。 では、『何』を祈るのか…。 「広宣流布」を祈るのか…? 「先ず広宣流布を祈る」? そうではあるまい。 『日蓮仏法』の根幹(生死一大事の血脈)は、 ズバリ「臨終正念」 つまり生死を悟る事にある。 【所詮 是なり】との御教示は、一切の差別を廃して生死即涅槃と悟るにある。 その事を悟れば、「広宣流布(法華折伏・破権門理の完結)」も「叶うかもしれない」 つまり 【 若し 然らば 広宣流布の大願を 叶うべき者か 】なのである。 そうなのだ。 「広宣流布の完結」とは、「生死一大事の血脈の信心」に付随する一つにすぎない。 本文を続けると… 【 剰(あまっさ)え 日蓮が弟子(と、自ら呼称する者)の中に 異体異心の者 之有れば 例せば 城者として城を破るが如し 】 【 日蓮が弟子の中に異体異心の者… 】これが腐る程居る。 何故か。 「異体異心」とは、各々に例外なく内在する「無明:悪」である。 亦。 この「悪の部分」であるが… これは、誠に残念ながら「無くす事」は出来ない。 なぜかならば…。 これこそ「十界互具」という 欠かすべからざる『大原理』であるからだ。 では。 「悪性」は野放しなのか。 残念ながら… 解答は「野放しではない」 …それが『祈り』である。 1242P 参照 ******************************************************************** 扨 大白蓮華である。 大白蓮華 31P (上段) 8行目 『中心軸』 「 日蓮大聖人に直結する師弟の中心軸がすべての根幹。 」 『日蓮大聖人』の弟子檀那に格差を設けてはいけない。 人は 即ち「人」として、一切 差別を犯してはいけない…とは、「生死一大事血脈抄」の根幹だ。 【 然れば (中略) 全く 差別無しと解(さと)りて… 】と、あるではないのか。 繰返すが…。 【所詮 是なり】との御教示は、一切の差別を廃して…とある。 従って「中心軸」という文言は造語であり、断固「不要」である。 何故「不要」か…。 決めて 『日蓮大聖人』の弟子は、特定され人選された「人」ではない。 大白蓮華 31P (上段) 11行目 『万人』 折伏する人も、折伏される人も 須(すべか)らく『万人』なのである。 結句。中心軸ではないのが 『日蓮大聖人』と、その直弟子(創価三代会長を含む)の真意である。 その意味からも ⇒ 大白蓮華 31P (下段) 10行目の 広布の師匠と「同じ心」 の『広布の師匠』とは 『日蓮大聖人』唯 御一人である。 大白蓮華 32P (下段) 14行目 『日蓮が一門』 「 日蓮大聖人直結の「日蓮が一門」 」 これこそ正しい記述である。 つまり。 「弟子」とは 『一門』であり 決めて「個人」ではない。 敢えて言えば、『御本尊に南無妙法蓮華経と祈る人』全員が「弟子」である。 当然それには、 『日蓮大聖人』の御心を基本と「仰敬」する事に他ならない。 その原点からも…。 大白蓮華 34P (上段) 2行目は「正鵠」である。 ↓ 『 師弟ノ道ヲ、 学会永遠ニ 留メオクコト 』 これは「三代の歴代会長」の叫びでもある。 ******************************************************************** 大白蓮華 34P (上段) 20行目 インド独立の父 マハトマ・ガンジー。 『日蓮仏法』を讃歎する時、上記のような「外道の箴言」等を 引用すべきではない。 これは 同(下段)の「和合僧=サンガ」も同列であり、書くべきではない。 大白蓮華 35P (下段) 19行目 「 この和合僧を破壊することは… 」 上記は、現今の「日蓮正宗自身」の破壊である。 『日顕宗の振舞い』そのものだ。 大白蓮華 36P (下段) 最終行 ~ 大白蓮華 37P (上段) 12行目 この部分は、総て「正論」である。 ******************************************************************** 大白蓮華 37P (下段) 最終行 「日蓮が一門」は、一人ももれなく、…。 この『一人ももれなく』を、現在の創価学会は忘れている。 ( まぁ 『烙印を捺す』のがお好きな幹部達が多い事 誠 「噴飯」だよ ) 大白蓮華 40P (下段) 最終行 ~ 41P (上段) 1行目 万人成仏の妙法を 世界に広宣流布(途上ではあるが)、 一体、誰か。 ↑ 少なくとも「宗門」ではない。 茲に『創価学会』の真の姿がある。 大白蓮華 41P (上段) 5~7行目 『 自らも困難と戦いながら、悩める友の心に寄り添い、 粘り強く、生きる勇気と生命力を呼び覚ます対話を重ねてきたのは 誰か。 』 ↑ これこそも又。 真の『創価学会』の存在価値の『雄』である。 大白蓮華 41P (下段) 4~6行目 『 あの満々たる確信と励ましを送り続けてきたのは (中略) 同志の方々です 』 ↑ 同志はそうだった。 然し「一部の幹部」はどうか…。 さぞかし「インチキ」も多いだろう。 大白蓮華 41P (下段) 19行目 『創価学会仏』 これは確かに「戸田先生」は言われたが…あくまでも戸田先生の「予見」である。 つまり「末法の今時」は、『日蓮大聖人御一人』が御本仏である。 従って、「創価学会仏」は 「仏敵」に隙を提供しているも同じである。 大白蓮華 42P (上段) 「戸田城聖第二代創価学会会長」の詩。 『 妙法の 広布の旅は遠けれど 共に励まし 共々に往かなむ 』 上記の御詩を補強する 「あな嬉し…」が在ったが…。 これを死語にしたのは、「宗門」だ。 大白蓮華 43P 1行目 『 前途に いかなる嵐があろうとも 』 「嵐」はある。 大白蓮華 9行目 『 麗しい「異体同心」の民衆の団結 』 これは…。 「正しい僧」と「正しい俗」との『異体同心』こそが実現しなければ、 誠の「功徳 」などは絶無である。 …という事は。 『日蓮大聖人』をば別格として…。 日興上人・日目上人・日寛上人・日亨上人に代表される 「正法血脈踏襲の御僧侶」こそ重要だ。 結論は ⇒ 『正しい僧俗』の異体同心の祈りこそ、本抄の根幹である。 『生死一大事血脈抄』 完 2014年04月29日 (火) 18時04分 2014年4月27日(日)夕刻。 私は「中○副圏長」を訪ねた。 用件は二つであった。 *********************************************** 「中○副圏長」いえば…拙著「忘れ得ぬ風景」に最も登場する人である。 「箸が倒れた…」と、 私は「氏」を訪ねているが その日の「用件の一つ」も、はたして そうであった。 実は… 先々週の「聖教新聞」に人事が公開されたが、 そこに私は、「中○副圏長」の名前を見た。 「ん? 移動?」あの「中○副圏長」が移動? 『「K市・生え抜き」とは副圏長の事ではないのですか?』 『「K市」から貴方を除く事は、歴史の分断になるのではないですか?』 こう言って食い下がる愚壮に「中○副圏長」は言う。 「いや。 俺が移動を頼んだんや」 『嘘言うたらアカン!』とは直接言えないが、それは「嘘」だと思う。 …やがて話は終わった。 『ホナ帰ります…』という私に、「中○副圏長」はこう言った。 「(この度の移動の件で)俺ンとこへ来たんは、お前だけや」 あとにもさきにも…誰も来ない。とは 実にフザケタ話ではある。 閑話休題。 「中○副圏長」は、もう一言 こう申された。 「お前 三大秘法禀承事 拜しとるか…」 『さ・三大秘法禀承事!』と絶口し…帰宅後 慌てて拜読したのだ。 2014年04月29日 (火) 18時07分 『三大秘法禀承事(三大秘法抄)』 弘安四年(1281年)4月8日 聖寿60歳 対告衆 ⇒ 太田(左衛門尉)乗明 ・ 鎌倉幕府問注所の役人(同僚⇒富木常忍) ******************************************************************** 本抄の形式 問答形式である。 本抄の大意 (創価学会版御書辞典抜粋) 大聖人入滅後の為に、三大秘法の法門を説き明かした。 本法は独一本門の肝要で、全御書中でも三大秘法を総括して御記述された重書である。 それは 「上行菩薩のみ・末法のみ・寿量品のみ・等々の他、本法の体と相貌が明かされている。 ( 凡人たる我が言えば、恐れ多いが、深く深く研鑽し、学び重ねるべき御書である) ******************************************************************** 『根 幹』 ① 【 但 専(もっぱ)ら 本門寿量の一品に限りて 出離生死の要法なり 】 1022P 2~3行目 釈尊滅後2,000年を経た今時末法は、一切衆生の機根が著しく低下し(謗法一闡堤思想の遍満) 法華経・就中、後半(15品~28品)の第16番目の「寿量品」でなければ、衆生を救えない時であると喝破した。 これは、釈尊仏法の機根と、その法理の一致を指しているに他ならない(機法相応 1021P 15行目)。 …だから当然。末法の今時は、爾前経や迹門では「一切衆生の全ての苦」を救えないと断言している。 ******************************************************************** 『根 幹』 ② 【 汝 強(あなが)ちに 之を問う聞て後 堅く信を取る可(べ)きなり 】 1022P 5行目 上記の「根幹 ① ⇒ 寿量品に限って出離生死の要法だ!」を聞いた問者はまだ理解できない、 そこで問者は 「いや、釈尊滅後の正法・像法・末法(三時)に於いての代表格仏菩薩は、 その資格に応じて適正に配属されている」として、更に続ける。 「貴方(答者・日蓮大聖人)がいう、末法濁悪の衆生済度は寿量品に限る、というのは 見た事も聞いた事もない、 そこで乞う。 貴方のいう「寿量に限る」の顕文を示して欲しい…と。 そういって食い下がる問者に、「答者である日蓮大聖人」は云う。 それが ↑(根幹 ②)である。 【 汝 強(あなが)ちに 之を問う聞て後 堅く信を取る可(べ)きなり 】 …つまり「聞くからには、信に重きを置いて 文句を言わずに実践しろよ」…と言う事だ。 ******************************************************************** 然し…、 問者の疑問も、 これは無理は無い。 なぜかといえば、 問者自身。「寿量品の文底秘沈も三大秘法の本尊も」 想像も及ばぬ事なのだ。 そこで問者は、(本抄の根幹たる)三大秘法とは 一体「何ぞや」と肝心を問うのだ。 【 三大秘法 其の「体」 如何 】 1022P 7行目 問者の感心な所は、 この重大な質問の際に見せた 謙虚な姿勢である。 それが⇒【 私に難勢(なんせい)を加う可からず 】 1022P 7行目 であろう。 【私に難勢を加う可からず】とは、「決して私的な言い掛りではありません」という事だ。 この問者の謙虚さを見た『日蓮大聖人』は、こう言う。 【 予が己心の大事 之に如かず 】 1022P 8行目 ↓ 「 私の言う、末法の法門の最も重要な部分で 他に並んで是に匹敵する物もないが 」 【 汝が志 無二なれば 少し之を云わん 】 1022P 8行目 ↓ 「 貴殿(問者)の心根や態度が 前向き且つ謙虚であるので、この根幹の大事を言おう 」 …と。 【 三大秘法禀承事 】の最大の秘法を開陳するのだ。 ******************************************************************** それが 『 三 大 秘 法 』 である。 三大秘法とは 本門の本尊・戒檀・題目であり。 唯一末法に流布する法理を指している。 この三大秘法を、『日蓮大聖人』は、その御述作【 法華取要抄 336P 3~4行目 】で…↓ 【 正像(時代)に 之(三大秘法の事)を弘通せば 小乗・権大乗・迹門の法門・一時に滅尽す可(べ)きなり 】 と御教示されている事を鑑みるに、『日蓮仏法』の根幹である。と断言出来る。 『本 尊』 扨。 『三大秘法禀承事』に戻る。 『日蓮大聖人』が本抄で【 汝が志 無二なれば 少し之を云わん 】とされた最初は『本尊』である。 この「南無妙法蓮華経の本尊」は…。 五百塵点劫の当初(そのかみ)よりの本有無作三身(法報応の三身)の当体である。とされる。 つまり本尊は、元々(五百塵点劫当初)の釈尊の当体。否!釈尊已前からの根本である…。 従って、それが在世の「法華経」に来て、本門・寿量品に唯一秘沈されているのだ…と説かれる。 但し元来。 あくまでも 「秘沈」であり。 「不伝」(言い伝えない)…とする。 【 諸宗は 本尊に まどえり 】 『開目抄上 215P 1行目』とは、けだし この事であろう。 ******************************************************************** 『題 目』 本抄(三大秘法禀承事)では次に、『三種類の題目』を御教示になられている。 『三種類の題目』とは、「正法・像法・末法」それぞれの題目を指す。 ① 正法時代の『題目』 「自行の題目」 この①は、天親(世親)菩薩・竜樹菩薩等が「自行の為のみ」に唱えたとする。 ② 像法時代の『題目』 「理行の題目」「内鑒冷然の題目」 この②は、南岳大師や天台大師等が「自行の題目」として唱えたが、題目の持つ力用は知悉していた。 ③ 末法時代の『題目』 「自行化他の題目」 『日蓮大聖人』の説く「題目」は、「下種仏法の根幹・折伏の南無妙法蓮華経」なのである。 【 自行化他に亘りて 南無妙法蓮華経なり 】 1022P 14行目 とは、この事である。 【 五重玄の五字なり 】とは、 天台大師の説いた『法華経経題そのものの解釈』で、 釈名・弁体・明宗・論用・判教。の五重である。 ******************************************************************** 『戒 檀』 この「戒檀」の持つ意義には、特に甚々である。 【 時を待つ可(べ)きのみ 】という御記述に、我等後世門下の一人として思沈せざるを得ぬ。 本抄の「 1022P 15行目~18行目 」までは特に。我々末弟の曲解を、最も恐れねばならぬ。 唯 【 王法 仏法に冥じ 仏法 王法に合して 王臣一同 云云 】の御文は…。 『王仏冥合』という、決して「空論」としてはならぬ御教示であろう。 ******************************************************************** 最後に…。 『日蓮大聖人』直々の獅子吼を記述する。 【 此の三大秘法は 二千余年の当初(そのかみ)・地湧千界の上首として 日蓮 慥(たし)かに 教主大覚世尊より口決相承せしなり 】 1023P 5~6行目 【 今 日蓮が時に感じて 此の法門 広宣流布するなり 】 1023P 10~11行目 『日蓮大聖人』御自身が 【 広宣流布するなり 】と断言なされている。 之を以(もっ)て 是れを念(おも)うに 「広宣流布は末弟に遺されし偉業」ではない。 なぜかならば…。 『日蓮大聖人御自身』がこう云われているのだ。 『広宣流布するなり!』 と。 完 |
忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 続きます・・・
背景画像は友岡雅也さまに、ご提供頂きました。感謝♪
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