2004/11/02(火) 06:56


一昨日の日曜日の午後一時の受験者勉強会。
10分前に着座の私は、題目を上げつつ受験者を待っていた。

すぐに後ろに座った人がある。  気配に振り返ると「Hさん」であった。
B長の彼には兄貴が居る。 兄さんは「副B長」で、彼も又、受験者。
「兄弟揃っての御書の研鑽」と、真剣に学ぶ姿に接する時。 こちらが襟、正す。
支部の宝の草創の壮年「Wさん」を筆頭に「老兵氏」「たばこ屋氏」等。同席し学んだ。

勉強会終了の15時、東地区の「Uさん」来宅。
彼女は御高齢であるのに 支部一番の美人で 支部一番のオシャレ。
この日は「愚壮よ、私の友人『鹿児島出身さん』の折伏に同道、応援せよ」と、彼女は定刻に来宅された。

『鹿児島出身さん』は65歳で 長年看護師(婦)として活躍してきた。
彼女には事情があって、今は10歳の孫君と二人だけの生活であった。
現役引退の初老の女性が、まさに「女手ひとつ」での「愛孫君」との生活。
わたしは、過ぎし日の自分自身。「悲劇の祖母」と「少年 愚壮」との奮闘を、瞬間思い起こした。

「お茶をどうぞ」と和気あいあいの対話は世間話の範疇で、核心の話題になるや強く拒否をされる。
「学会は香典を持ち去る」との 使い古しの大デマまでが飛び出してくるほど、彼女は揺れる。

「この孫が一人前になるまでは 死ぬことも出来ない」と言う彼女。
その言葉を 一番理解し、一番同苦の私。  昔日の祖母がここに居る。
思わず語ってしまった私の過去と現在に、確かに彼女は反応するが 一歩。踏み越えず。

「もう外が暗くなったね」と3時間を越す対話に席を立つ。
「孫の好きな少年野球 どうか紹介してください」「入会は断っておいて勝手を言いますが」とは彼女。
「ご安心ください。いい指導者(コーチ)に連絡しますよ」とわたしは約束を申した。
3時間の対話の中で何度も出てきた孫希望の少年野球。 私の長男がお世話になった「名コーチ」に電話を入れた。

「愚壮さん。電話しましたよ。11月3日の練習試合には見学に見えます。ちゃんと面倒見ます」は。「名コーチ氏」
「おばあちゃんと、見にいらっしゃい、と言いました」とも言ってくださる。 電光石火の御返信であった。

オシャレ婦人部さんとの「折伏行」 今日の入会にはならぬとも、祖母さんの琴線には触れている。
「愚壮さん。長時間ありがとう」とオシャレさんと別れたわたしの足取りは軽く、心 爽やかであった。
「さあ、19時の御書学。 頑張るぞ」と、家路に着いた。 ・・と。日曜日の風景であった。



2004/11/02(火) 10:42

このたびの震災と今夏の噴火。 衷心より お見舞いを申し上げます。
冬の到来。今年ほど「遅くであれ」と願う日はありません。

さて、関西ですが・・ 由良川、円山川、出石川決壊。 恐ろしき事態となっております。
連日、大型バスが列を成して ボランティアの若人が現地に在ります。(バス代 無料です)
この地も 冬、豪雪です。  時間との闘いの善意の汗は、尊く美しいのです。

中越の地におかれましても、どうぞ無事故での救援活動でありますよう 祈ります。

妻。ご心配をいただき 心から感謝申し上げます。
「一進一退」が病状で 「前三後一」が振る舞いです。彼女は素晴らしい「地区婦人部長」です。



2004/11/03(水) 06:54


中越地震の被災地の子供たちに「おもちゃ」届く。
東京 練馬の子供たちの贈り物。  避難所に沸く歓声。
被災地の子達は 「おもちゃ」を通して多くを学んだことでしょう。

苦境に立ったときの激励ほど 嬉しいものは無い。 
励まされた子供たちは、「激励の意義」を 無意識の心の中に蓄積させていく。
辛い経験の分だけ「他人を思う優しさ」を積み重ねることが出来る。

艱難は成長への布石であるかもしれぬ。   
「苦難の人」は「苦難の人」を見捨てることは無い。 

被災地の子供たちと練馬の少年たちを結んだ「おもちゃ」。
大事に大事に 語り継がれていく事を 私は信じている。

やや、冷気を感じる晴天の今朝も 長男たちは元気に走り去る。
「運転中の携帯電話 使こたら あかんで」と言うにも答えずに走り去った。




2004/11/03(水) 13:13

御礼。
長期に渉る愚稿「忘れ得ぬ風景」を 御支えいただき 心から御礼を申し上げます。
ありがとう御座いました。

折節の思い出を 駄筆に託しましたが。 「風景」は見えましたでせうか。
文章から訴える物とて何も無い。見えるは、わたしの愚才のみで・・ 恥じ入っております。

投稿のその都度。 激励を下さった皆様を思い起こしつつ、ご繁栄を祈りつつ・・と。書きました。
全国の津々浦々にて今日も闘う「愚直の壮年部」の皆様の 元気が出れば・・と。書きました。

この上は。皆様の固有の「忘れ得ぬ風景」が、いやまし、重厚の歴史となる事を祈りつつの御礼と致します。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward.

    管理人様。読者様。     2004.11.3    愚壮頓首。





2004/11/04(木) 11:37

今夕。 未弘教であった地区の入会がある。
新任の「白ゆり長さん(女子部卒業 一年生)」 突破口を開かれる。

「地区部長」の悩みは大きかった。
「地区婦人部長」の喜びは 想像を超える。

昨日の午後 初代「圏婦人部長」(わが市と先生を繋いだ人)来訪された。
「用事は 愚壮さんにです」 

わたしは即答する「地区2や3ではありません。全Bで完遂します」と言う。
初代婦人部長「それでこそ 愚壮なり(趣意)」と豪傑の笑いであった。
巨魁が動いた翌日の突破口。  幹部が動けば動くほど「師弟のモーター」は唸りを上げる。

「課題は完結する!」とは、前任「県総合長」の雄叫び(2003年)である。

「忘れ得ぬ風景」V   もう暫らく「掲示板」を汚すが お許し願いたい。
完結への道程。  わたしは「燃え 走る」を、書き続けたい。




2004/11/05(金) 05:38

皆さん。  いつも、ありがとう。   一生懸命 書きます。

すでに出発準備 完了です。  外はまだ闇。南西仰角度には 二惑星が饗宴中。
 月天が真上の やや南。蒼く光る当地です。

今日の現場は あの「煮え湯氏」の現場。  爾後も順調に工事は進みます。




2004/11/06(土) 05:53

晴天の昼下がり 一台のTAXは数奇な運命を乗せてくる。

愚連隊愚壮宅に降り立った23歳の痩身蒼白の乙女は、その時すでに 自身の退路を絶っていた。
昭和44年の今日。11月6日の衝撃の風景である。      その時のわたしは24歳であった。

「35年にもなるのか」  今朝の私の感慨の深さは 仏前にご本尊を見つめ続けさせた。

「同じことがもし。百回繰り返したとしても 私は あの日の私の行動をば 出来得ない」
「何故 学会を裏切り親を捨て友人を捨てて  家を飛び出したのか」は
 今日の日を迎えるたびに 言う妻の正論である。

私にしても そうではないか。
「厚田こそが原点」と言うが、 あの35年前の、今日の日が無ければ。 「19歳の私の厚田」は空転する。

なにが そうさせたのか  なにに 誘なわれたのか   人智 及ばず。
私たち夫婦の歴史は拙ないかもしれないが。 私たちが選んだ「法」は 輝き続けている。


今日も晴天である 漆黒の中天の月は 昨日の朝よりも すこし 東に寄っておられる。
「南東の二惑星の饗宴」は 「上下を入れ替わる」と、金星が下に回っている。

一段と冷気増す朝は  地震と洪水の罹災地の皆様を思う。
「思うばかりで 何一つ出来ぬ・・」を恥じつつ 思う。




2004/11/08(月) 05:57

新潟中越地震の土砂崩れで ひとり車内に取り残されておられた「真優ちゃん」。

昨日の午後 御遺体 15日ぶりに御帰還。
暗くて怖かったであられたろう。 寒くて辛かったであられたろう。
一人ぼっちで 寂しくてあられたろう。  

今はただ。 ひと時も速く。母の胸に飛び込まれん事を深く深く祈ります。




2004/11/09(火) 18:33

「煮え湯氏」の現場。長男が苦笑いで「親父。この現場の初日 覚えてる?」と言う。
「9月14日や」「何時 終わるんやろか」  とんでもない現場である。
「ワシの家が 四軒建つがな・・」と、デカイ家である。

わたしも長く この稼業をやっとるが 居宅でのこの規模は初見である。
「銭。有るとこには 唸っとるわい」との独り言に「ほんまでんな」と煮え湯が言う。

帰路、二つ切池を右折して 桃山台を東進するが沿道 豪邸のオンパレードであるわい。

岸辺の隧道を抜け 阪急を渡って「新幹線鳥飼基地」で「中央環状線」に乗る。
長男の運転は年の割には慎重で、ワシとは似ておらん。 

こうして「親子鷹」で走る時。  私は一番 幸せを噛み締める。
最近は膝の調子も良くなった様である。  「ありがたい」と思っている。

今日は「支部ダイヤモンド会議」と、もひとつの21時からが有る。
学会活動は実に不思議で。  続けば 体調が上昇する。  いや、マジ。そうである。
・・・と。今から錆を落として 勇躍参加する。    秒刻みである。



2004/11/10(水) 05:55

北寄りの風 やや強し。
戸外に出て仰ぐ暗黒の南東の空を 三惑星が一列に並んでいる。

木星・月・金星の饗宴に見惚れる間にも 2階リビングの窓明かりに妻の影 せわしく動いている。
5時45分までには「愛妻弁当」が降りてくる。

昨夜の「圏支部長会」 圏の猛者・猛女全員結集。  「11・18」までに「B1」を!を誓う。
帰宅の車内の「老兵氏」は 「こうなったら、俺もやる」と助手席で吐露する。

「B1やB2では あかんのじゃ」と いつも私は言う。
「一家で一世帯や。誰かが決めるではないんや。まず、自分がやるんや」これが自説である。
わたしは、この自説を曲げた事は一度も無い。  「今しか無い」が基盤である。

「明日も同じ日が来る、は 勘違いの典型じゃよ」と正直 思っておる。
今夜から「関西総会」の日までの2週間 連夜の唱題会はスタートする。

拙宅が本領発揮の瞬間である。  完全防音。少々では外には響かんわい。




2004/11/11(木) 06:11

雨、降り始む。  安眠を土足で踏みにじる如き暴走バイクが遠くに聞こえる。

昨夜からの支部唱題会。 30分の短時間ではあっても「呼吸」は合う。
壮4 婦9 男1。 たった14名のスタートであっても、その牽引力は万波を呼ぶ。

左の脇の「支部婦人部長」の聞きなれたリズム良き声。
21時の終了に「ありがとうございます」と振り返る。 「О県長」在り。

「明日から支部での唱題会です」と、わたしは一昨日の支部長会で「ゾーン長」に報告をしている。
その横の「О県長」は、『私にも聞こえましたので』と。拠点に来てくださる。

私が38歳の時、「圏男」であった「О氏」  
50以上も有る支部のひとつが、「今夜から皆で祈る」を小耳にしただけで来る。
「少人数でも充分牽引する」の意味がここに在る。

帰路の「県長」の自転車を見送りつつ「勇気」の更なる充満をハッキリと感ず。

軒を接しての木造住宅の密集が路地を迷路とする「我が支部」
「人口密度 日本一」と新聞に載ったのは昔日なれど、雑然の片鱗は今も不変である。

事情が大きすぎて「ヒッソリと住んでいます」との人の多い「我が支部」でもある。
こうして始まった「唱題会」は、そんな「薄幸のヒッソリの人」の為に在る、と。わたしは言う。

学会に助けてもらったのに、「薄幸を無視」では 申し訳がたつまい、と祈る。
私達の「支部歌」の曲名を思い出して頂きたい。 それこそ・・「幸の足音」ではないか。




2004/11/11(木) 06:20

>> 壮4 婦9 男1。 たった14名のスタート。

誉れの「我が最強の女子部」は、もう、とっくの昔から「本部一本」で祈っておる。
襟を正すくらいの その健気。    絶対に信用できる「女子部」である。

「総県女」も「県女」も「圏女」も  お若いのに 労苦を知る人である。・・を付記する。




2004/11/11(木) 06:55

今日しか書けぬ記述がある。

「文永元年 11月11日」は、小松原の法難。 これは御存知のとおりである。

裂断の家系の私にも「先祖」はおる。  
昭和24・5年頃まで、たしか「曾祖母」が生きておった。
この人は祖父の「母」であって、どんな経緯があっての同居かは 知らない。

「中風」で床を離れぬまま他界をしておるのは「我が家の過去帳」が語っている。

1865年生まれは、江戸時代の事で 生きておれば「139歳」は余計な事。

ただの偶然でも、「曾祖母」は面白いので「独り言」を書く。(祖母の口伝)
この「曾祖母」は女学校を出ているのが自慢であった。
色白で長身で美人で意地悪で・・始末が悪かったとか。
「下の世話」をする祖母に やっと「すまないですねえ」と礼を言ったのは死の直前とか。

祖母は言う「お前(愚壮)を可愛がった」  しかし・・ 記憶。ほとんど有りませぬ。
その「ヒィー バアー」が死んだのが 昭和25年11月11日。

面白い偶然は、ここからである。
「曾祖母」逝去。 昭和25年11月11日。享年85。 俗名「小松」
ま、これだけの事じゃ。




2004/11/11(木) 19:19

拙宅は御存知の方が知る如く 玄関と事務所の二つの入り口が表通りに面しておる。
「支部婦人部長」は必ず 玄関から来訪されるのは当然です。
のに、先程は事務所のドアから来た。

「ん?」と出る。    
ニコニコ顔の彼女が「ハイ!」と私に手渡す物がある。
「キット・カット」の名が付いたチョコレート。

わしは。所以を知っておるので「きっと勝つぞ」と即答した。
「うん。勝つからね」と、今度はこれも即答で返ってくる。

今夜は二人の友人との対話がある。  
真心は必ず通ずる。 「答。出します」と婦人部長に申し上げた。

地区2やB1では話にはならぬ。と。 今夜も走りぬく。



2004/11/15(月) 00:51

こういう時間の書き込みは 初めてであるが・・・・・。

今日の12時間唱題会は、拠点が揺らぐ程の一日となる。
ふたりの友人が御本尊に辿り着く顛末の細描は筆力不足で、もどかしいほど書けない。

「地区2」を やっと達成することが出来た。   今夜はこれを書いて もう休むが。
「醍醐味の興奮」醒めやらぬわい。   

おふたりの「御安置」は 粛々と勤める事が出来たが。お蔭で未体験の この時間である。
明日の朝の「寝過ごし」が心配である・・と、書いて床に着く。


14 名前:愚壮 投稿日: 2004/11/16(火) 08:58
紀宮さまの御婚約内定。 この爽やかなニュースは 昨今の暗き世相に一条の光明であった。
この「皇室の慶事」が内外に公式発表されようとする時 新潟に惨事が起きる。

被災地の避難所の罹災の幼児に 自らの膝を折りつつ抱きしめられた「皇后陛下」の映像。
不安の人々を激励する「皇后さまの御心」に 御長女紀宮さまは婚約内定に舞い上がる事はない。
「母。皇后さま」が『皇室は祈りでありたい』と申されているとか・・(読売新聞:編集手帳子)
紀宮さまは「ある大切なことに 心を寄せつづけること・・」と述べられたと言う(同上:編集手帳子)

読売新聞編集子は次の言葉で結んでいる。
『被災地の人々からは、ご婚約を祝福し、末永い幸せを祈る言葉が寄せられている。』
『ときに祈り、ときに祈られる。・・・・』
わたしは今朝、この「編集子」の簡素深淵の記事に接して感動と確信を新たにしている。

今日の「名字の言」は言う。 「愛することは 行動すること」
本物の人間の価値は 行動の中にしか光輝することはない。

頑なな老女は言う「愚壮さん。わたしは学会には入会しない」と・・・。
『貴女ひとりが孫の為に 命と身体を削っている』と申す。
ふと、越し方を振り返った時に、「もう一度 あの同じ労苦が 明日からも続くのか」と、沈む。
『貴女は 強い。 しかし、本音はどうなのか。  孫の寝息の深夜の貴女も強いのか』と言う。
ふっと、揺らいだ老母。   わたしは彼女を見捨てることは決して無いのである。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward.



2004/11/16(火) 14:46

つい、今しがた お得意先の社長が帰られた。
新規の物件の図面は 香里園での「壁構造」である。
「とんでもない単価で、これでは職人さんの生活の保障も儘ならない」
深く同意の社長の言葉である。   どうだい。御偉い政治家の先生よ、聞いとるかい。

「関西には人情が無い」とは業界の声無き声である。 まこと、関西は堕ちている。
さぞかし ゼネコン。笑いが止まらぬことでありましょう。は、書いても無駄じゃ。
「19日の夕刻までに 見積もり完了して下さい」と、帰られた。

その「堕ちた関西」で、 わたしたちは「広布に走る」と、元気である。
7日も14日の日曜日も。  仏前に陣取った愚壮は強烈に祈っている。

地区婦人部長の妻から電話が入った「今から 友人を連れて行きます」
我が事務所は「ねんごろ室」でもが、用途正しくこうして使う時もある。

「たばこ屋ノブちゃん」「老兵は去らず」と私が時たま使うのも ここである。
上記の三人が密かに悪行を練るこの部屋であるが、さすがに最近は「悪の結託」は無い。

「この人も幸せにしたい」と、今。すべての婦人部は張り詰めている。
『今から 友人を連れて行きます』に なんとしても決着を期す。
「強力(ごうりき)」を頼まれた時の愚壮ほど「良い男」は無い、と。わたしは今、事務所で待っている。




2004/11/17(水) 08:21

新 人間革命 「羽ばたき」三十三。

昭和40年10月4日の聖教新聞に掲載された「正本堂」
その威風堂々の姿は「飛翔の白鳳」「白鶴の威容」と、胸 熱くなる。
赤誠の数値「35,064,305,882」は、誰がなんと言おうが事実で不滅。

躯体の北側に確か、66mの最高点があったと記憶をしている「白鳳の勇姿:正本堂」

私が初めて「大石が原」の寺を訪れたのは昭和45年の寒い時節であった。
槌音高き建設工事はたけなわで、 「ああ、この工事に参画したいものだ」と思っていた。

「円融閣」の巨柱が轟音に倒壊する瞬間のわたしの憤怒は頂点に達しているし、今も同じ。
赤誠の巨費に不参加の無念さも、私の胸中に今も澱として蓄積されておる。

「正本堂」の基礎部分があまりにも強固で有る為、「顕」等は「根絶やしの破壊」を断念した。
後世の世界遺産を破壊した「顕一味」の暴挙は、やがて、峻烈なる根断の裁きの「白州」に晒される。

「宗規に違背」「僧への侮辱」等等と。いかなる御託を吐こうが「善男善女の赤誠破壊の大罪」は消えぬ。
なぜかならば。この「善男善女」には「顕」の命綱の「法華講の供養分」も「寺族分」も含むからである。

あの「円融閣」の巨柱が轟音に倒壊する瞬間に、実は「顕一族」の微々たる福徳も滅亡の辻に導入している。
ま、見ていればいい。  歴史は完璧に事実を遺し伝える。   楽しみでワクワクする。




2004/11/17(水) 08:33

どうも噂によると・・かの名建築の跡に「安普請の掘っ立て小屋」が在る。

私自身。躯体業を三代に亘っての「家業」否、「命業」で、その技は卓抜である。
そのわたしが言う。  場所こそ同じでも 両者の比較など「もってのほか」
笑止千万で。  話にもなんにもならんわい。

全国に来館の賑わいの「会館群」を、どう説明する気か。   
・・・・白州の裁き」は既に 閉廷直前じゃわい。




2004/11/18(木) 07:02

20:30分からの短時間の支部唱題会は続く。
直前まで「ブロック座談会」が拙宅で開催されているので、引き続きの法座となる。

左隣の「N支部婦人部長」の的確なテンポの題目は彼女自身の篤信を見事に示している。
そんな正の地区幹部以上の30分の唱題会。   余事混ざる事なき懸命の祈念は瞬間の30分となる。

「13ブロックの完遂」が使命である・・と。正の地区幹部以上の唱題は「一筋のピアノ線」の如し。
21時に終了し「毎晩、ありがとうございます」と、振り返る視線に「新任 白ゆり長」在り。
「一筋のピアノ線」にいつも以上の緊張を今夜は感じていたが・・  それが新任の彼女の強き祈りであったのか。

「N支部婦人部長」は優しい笑顔で「白ゆり」を胸に抱く。
「嬉しい報告を 先生にしましょうね」     仏間の「三代会長」見守る中の感動である。

やがて定刻迫る。  21:30分「Y本部長宅・支部長唱題会」に拙宅を出る。 
寒さ、ここに来て急速の夜道 「私の自転車、電気が点かない・・」は支部婦人部長。 
同道の愚壮は「なんの、わしが居るから心配無用じゃ」と ときには前に、横に、と。伴走する。

21日20時が最終。 わたしは今日の午後、お二人の人と対話をする。
おひとりは前述の「老祖母さん」  いまひとりは はじめての方である。

ともあれ 闘いは今、沸点にある。  「汝、今を勝て。 ならば明日が開く」と走り往く。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward. である。




2004/11/18(木) 08:03

平成11年も残暑が厳しかった。
そんな蒸し暑い午後「N支部婦人部長(当時は地区婦人部長)」が我が家に飛び込んで来た。
「Tさん宅。新聞がそのまま取り込まれていない」  
よくある変哲なき風景に「僅かな異変」を直感した「婦人部長」 感動のドラマ。幕開く。

「Tさん」は壮年部であるが一切の会合で、誰も彼を見た事が無い。
地区部長のわたしも、だいぶん前に自転車で走る彼を見たのみで、 取り付く島。無し。

密集の「忘れられた壮年部」を地区婦人部長は忘れてはいなかったのである。
「新聞の取り込みなど 私もチョクチョクやります」に「ちゃうねん。おかしいねん」

数時間後の「Tさん宅」に市議と市の保健士と地区同志と救急車が混在となる。
「身寄りの親族。不明」とは、あわてて引っ張り出した「カード」が語る。
「親族不在時は地区部長が親族である」と、わたしが同乗し搬送となる。

医師、初見にてわたしにこう言う「急ぎ、この人の親戚を探し出せ」
全智全霊での奇跡の捜索で 鹿児島県在住の「たったひとりの叔父」発見をする。
この「叔父」  病床の「Tさん」に一声掛けて甥の存命を断念される。

すでに市議とわたしは葬儀の準備にかかっている。
「Tさん」の家主も「接点を失う」と、わたしに付き纏う。

『Tさんの御両親は まだ、そう老いてはいないはず』との一縷の希望に私は留守宅に居た。
名も知らぬ「羽虫」這う異臭の室内の埃まみれの仏壇の御本尊に唱題を申した時。視線に御位牌在り。
昭和63年2月29日寂。とある。  享年64。 は御母堂様であった。
いや、それよりもわたしは「閏年」を示す「ご逝去の日」に着目をしていた。

やがて「故 母上」の地元の婦人部長を見事に探し出している。
「お母さんは、信心の素晴らしい人でした。 惜しい人でした」と申される。
「亡き母」と「重篤のTさん」が 目に見えぬ空間でつながったこの時。奇跡起きる。

昨夜の「我が地区の紅ブロック座談会」  「Tさん」参加される。
「本当なら、今頃は七回忌。 不思議ともなんとも・・」と私は言う。
「御本尊様に 助けて頂きました」  この彼の言葉を超える言葉は無い。

身寄りの無い彼は昨年、「透析回路」の手術で入院している。
入院時に必要の保証人の欄に わたしは、何のためらいも無く押印している。
「ひとつの消えかけた命は、名も無き一婦人の炯眼に救われる」不動の事実である。

その時の M市議の奔走には感謝の言葉も無い・・・を、付記しておく。




2004/11/18(木) 08:19

「Tさん」を讃える涙と拍手。  これぞ「座談会」である。
地区部長渾身の「御書講義」のあと、わたしは「Tさん」に語る。

「Tさん。 あなたは『三千界の珍宝』以上を得たんや。
この次の座談会も その次の座談会も  何にも言わんでええんや。
だまって座ってるだけでええんや。  あんたの存在が そのまま御本尊の凄さなんや」

「ぼくも そない思てます」「もっと、ちゃんと会合に出てきます」
会場の少数の参加者の感動は そのまま、支部唱題会の陣列に漂流している。
芳香さえ感じる「陣中」である。   勝たなければ申し訳が立つまい。




2004/11/18(木) 09:02

京都郊外に「老いの坂」との峠がある。 洛中から山陰への「国道9号線」であるが・・
この隘路は今は往時の痕跡は、整備された高速道路の陰影に歴史を秘めつつ沈黙する。

閑話休題。 「老いの坂」とは、わたしは残58日で 還暦となる。
云わば今年の11・18は そういう意味では 自身である感慨がある。
「今年は チト 意味が深い」と、「11・18」に相応しき記述を遺しておきたい。
それが >>18 >>19 >>20 であります。

「Tさん」のご紹介を何処で申すか。  随分に悩んだが 今日で良いと、思っています




2004/11/18(木) 19:12

「奇跡のTさん」は一旦逝去と申しても過言ではなかったのです。

集中治療室の彼の「顎内」(口の中全体)に異物が詰まっている姿は 恐ろしくさえありました。

「亡母様」の地元(徳島)を探し当て 当時の婦人部長に辿り着いた時刻。彼の幕が降り始めていたのです。
「こちら(徳島)からも お題目をおくる」間一髪の時限での激励 これ程の感激はありませんでした。
故郷徳島と大阪。  所を二分した「殺してなるものか」との必死の祈りはご本尊に届きました。  

黄泉の「亡母様」は 12年ぶりに会う変わり果てた一人息子に愕然とされた事と信じます。
おそらく「まだ速い」と、突き放されたのでしょう・・
「Tさん」は生死の淵で、今生あらん限りの勇気で「蘇生」されました。

信じられぬ。と言えば 叱られるかもしれませんが「信じられぬ」が真意でした。

ひとりの「地区婦人部長」の「偉大な感覚」   まことに厳正な「力用」です。
「生き返ったぞ!」との電話に。 鹿児島の「叔父様」の受話器の奥のオラビ声が いまも耳朶に残るのです。

多くの同志の眼前での「奇跡の蘇生劇」   正真正銘「忘れ得ぬ風景」なのです。



2004/11/19(金) 19:39

昨夜の支部唱題会。激しい雨の中にもかかわらず 全地区。打ち揃う。

「老兵は去らず地区部長」は地区座談会を闘った余韻に燃えての参加である。
その座談会に担当幹部で指揮を執られた「県幹部」も列座の唱題会であった。

「県幹部」のお宅はかなりの距離であるし、私よりもかなりの年嵩であられる。
降雨の中、夜道の自転車の帰路を「遅い時間まで申し訳ありません」と見送った。

少々の打ち合わせに もう一度仏間に戻る時、「Y本部長」来宅される。
「愚壮さん。おめでとうございます」と。一冊の密封の書籍を差し出された。

『天空の舞』   美装の写真集。   
「愚壮さん。おめでとう」と、本部長は繰り返し言い「全部 ご存知です」と言う。
筆には表現できぬ感動がこみ上げた。

富士・日天・月天・雲・丘・空・木々・風・光 そして道と人と海。
その一枚一枚に 明らかに師匠の語り口の「抒情詩」が「光彩の風景」を荘厳する。

ちいさな和紙の短冊が ハラリと、膝に落ちた。
『 謹呈  感謝    師匠花押印』   

 もう一度わたしは。 写真集を最初から凝視しす。 
 更け行く夜雨、一段と強まっていたが、感動が醒めることはなかった。




2004/11/20(土) 05:58

早朝の事務所に いつからか暖房が入っている。

私の背後には 車庫に接する大きな窓がある。
フト、なにかの気配に振り返ると 聖教のステンレス棚に動く影がある。
抜き足で表に回ってみると「近所のノラ猫」
「この野郎!」と箒で追い回したが その瞬間には筋向いの路地に消えていた。

3号のハリスの「伊勢尼」に竹輪でも付けておけば 必ず奴を確保し「処刑」出来る。
「お父さん。 やったらあかんよ!」と妻が私に釘を刺すので いまだに「ノラ公」は来る。
整頓の道具に小便をするので  わたしが今度見つけたら 執行する。(捕獲できればじゃが・・)

猫をあきらめ「さて・・星が出ていない」と空を見上げること5・6秒で星が見え出す。
都会の星空とは そんなもんである。  「降るような星空」は都会では無理じゃ。
南東の「二惑星」は 大分に離れだした。    6時。  出発である。




2004/11/21(日) 08:32

年配のご婦人が出題の御書を50回も読んでの挑戦とか。
現役の大学院生が「御書根本」の闘いに肉薄する・・・と、エリートの殻を脱ぐ。

我が支部の「Mさん」は組織では「B長さん」で、ご家庭では大黒柱。
夜通しの長距離運転の勤務で 今朝方帰宅されている。
「短時間の爆睡」で試験に臨まれるとか・・・。「長男も受験します」とは 白ゆり奥様。

「Hさん兄弟」は兄貴が「副B長」で 弟が「B長」
「あいつには負けない」と周囲の心配を跳ね除ける。

わたしは「試験官」として、学会伝統の教学試験の無事故の遂行の一翼に連なる。

今朝の「名字の言子」は 昨今の拝金・享楽主義の輩の跋扈を「蔑すむことなく嘆く」
「生老病死」とは、なるほど なに人たりとも避けられぬ厳しき必然の現実である。

無垢の少女を殺戮の後。御遺体を陵辱し 御遺影を慟哭悲嘆の「母」に押し付ける。
世相は遂に 堕落し尽くしている。 
そういえば・・ 焦点揺らぎつつの険しき視線の若者の多きに わたしは嘆く。

そんな「寒々とした風景」にも 対峙出来る「法」がある・・と。10時から唱題会を指揮す。
昨夜は23時に「支部婦人部長」から電話があった。「いままで闘った」 最敬礼以外 術 無し。




2004/11/21(日) 09:17

我が支部の我が地区に 90歳の「超人のご婦人」が居る。
通算「一億六千万の題目」のこの人は すでに「風景U」でご紹介した。

この「超人」が今。 折伏に燃えて闘ってらっしゃる。  まあ、 惚れ惚れとする。
その「超人」が娘の如き我が妻と電話で話す。  勿論、内容は聞こえはせぬが語感。息吹満つ。

「よっしゃ〜 今日、決めるんやで〜」と 地区婦人部長の妻 叫ぶ。
どこから挑んでみても 勝ち目のない「超人」を励ますとは・・・学会は恐ろしい所じゃ。

朝飯が異常に遅いと二階に上がった上記の風景に 私は黙って階下へ降りて表に出る。

「群生の蘭」と「糸杉」と「水槽」と「カエル」
捜せども捜せども「カエル」は定位置には不在・・「どこへ行きよったんやろか」
「水槽」の水藻は倍ほどに増殖しておる。 「メダカ」元気いっぱいじゃが ワシは空腹じゃ。




2004/11/21(日) 11:37

今朝の出陣『弁殿御消息』を拝読す。 1225p

己心の「ひるがえり」 これは紛れるので発見に遅れる「事、成就の堰」である。
わたしの留守は「老兵は去らず氏」「たばこ屋ノブちゃん」が拠点を守る。

本日の拠点唱題会。13時からは祈りが「弘教」から「全員合格」に変わる。
いずれにせよ、ただ。ひたぶるに祈る。 「なずきを砕きて 祈る」




2004/11/21(日) 15:55

我が会館での受験参加者 330余名(壮婦のみ)でありました。
特筆は3名の「代読代筆受験」  まことに頭が下がります。

地元会館での受験は その遅刻者が1・2名で、 無事故 大成功でありました。
「今日の天気のように 爽やかに受験していただく」とは、総括の決意です。

私の担当は「総勢42名」の「先駆の間」  定刻20分前には全員が揃われました。
ご婦人32名。壮年10名。   その老若の真剣な受験姿勢に 場内の空気は冴え渡る。

30分経過時点で「問題解答用紙」を試験官に手渡して退席の人 2名のみ。
最後の最後まで 「日頃の研鑽」の有終を飾るべく挑戦される。  感激の任務でした。

以上。  真剣勝負を垣間見し所感であります。




2004/11/22(月) 06:47

>>我が支部の我が地区に 90歳の通算「一億六千万の題目」の「超人のご婦人」が居る。


厳正無事故での「教学試験官」の任務を終えた愚壮は 第二駐車場へ走る。
目指すは支部拠点、 会館南側の屋外喫煙場所にも寄らずに拠点に向かう。
支部拠点では「超人」筆頭に支部の婦人部の皆様が「ワシの帰りを待っている」と走る。

上記は昨日の午後の風景である。
「ただいま!」との仏間には三名のご婦人が唱題をあげておられた。
中心者の「南地区 地区婦人部長」は「アキちゃん地区リーダー」のお母さん。
「支部婦人部長は県婦人部長と東地区に入っています」と振り向きつつ報告してくださる。

東地区とは 「京美人のUさん」の応援である。  「座を温める事なく闘う」とは「リーダーの異名」だ。
最小の人数が拠点を守りつつ 無事故と勝利を祈りつつの「拠点唱題会」とは、 離散集合を際限なく繰り返していく事だ。

「県婦」と「支部婦」が拠点に帰って来た時は もうすでに16時前であった。
「県婦人部長」は拠点に入られるや、ピアノの脇の定位置の「90歳の超人」に正座 激励をする。
そのときも唱題は続いているが「県婦と超人同座の拠点。めったにない」と急遽の懇談会を提案申す。
これも、滅多にないタイミングで「老兵は去らず氏」がミカンの差し入れであった。

お若い県婦人部長と90歳の超人との会話の車座の中に愚壮在り。
「超人」は言う。 「18時に友人を自宅に招いている」「愚壮よ 来るべし」

思えば今回の闘いで、わたしは幾人の友人との対話に心血を注いでいる。
この「超人のご婦人」の友人との対話が おそらくこの折伏戦の有終となる・・と、気合を入れていた。




2004/11/23(火) 16:43

>> 我が支部の我が地区に 90歳の通算「一億六千万の題目」の「超人のご婦人」が居る。


この人が筆舌に尽くしがたき苦難を いかに乗り越えられたか・・は。
圏でも県でもない。総県の端々の「骨のある同志」なら 皆が知るのである。

その御高齢を感じさせぬ素早き身のこなしは、どうかすれば こちらが負ける。
太平洋戦争に出征したきり還らぬご主人には 一粒の「忘れ形見」がある。
それは 重度の障害を持つご子息であられた。 想像を絶する労苦を「形見」は押し付けた。

「指折り数えられぬほど『自死』を試みた」とは 彼女の邂逅だ。
「関西文化会館」で池田先生から直接の激励に彼女の今日の原点がある。

原点とは『祈りとして 叶わぬは無い』『折伏の闘女たれ』であった。
その日から50星霜。 「折伏の鉾を収める日、一度として無い」と言い切る。

その「超人」が『愚壮よ、わたしの折伏に同道し 決着を付けよ』と申される。
これこそが、私の誉れで勲章だ。

見積もりに追われる今しがた。「コンコン」と事務所を叩く人がある。
「どうぞ〜」と招じ入れれば 「超人」であられた。  「ハイ。愚壮さん。ぜんざい」

彼女所属のブロック座談会は 必ず昼間に「超人宅」と、これは決めてある。
「ご高齢でもあるし 万が一にも事故は避けたい」と 必ずそうしてきた。
「超人宅B座」には実は、もう一つの恒例があるが、 これは秘密である。

B座毎に「参加者全員に行き渡る真心のぜんざい」が、その秘密じゃ。
会合での飲食を厳禁しておるのは 絶対に護るべき会則であるので。 秘密である。

座談会でしか味わえぬ「最高のぜんざい」を「先日は遅くまでありがとう」と置く。
今、彼女は「餅も付けてある。奥さんに暖めてもらってね」と言われて帰られました。
ワシは嬉しくて 泣けて 泣けて 仕事にならんのである。 
「Y本部長」へ。  彼女には何処から行っても 勝てやしませんね。




2004/11/23(火) 19:32

「先生が参加された」
大成功 大盛況 大歓喜の「関西総会」である。

『Y本部長』は電話口に言う。「今日のために俺たちは闘ったんや」

関西総会の淵源は、あの断腸の会長辞任の年。1979年の11月。と「関西広布史」
「さあ!今再び関西から次の10年を開こう!」と拳を突き上げた日からの四半世紀。

この時間、おそらくは電話で、メールで 参加者の歓喜は全関西に燎原の火となる。

つい先日まで、題目の渦に揺れていた拙宅仏間には、今。静寂の気 漂う。
整然と荘厳された仏前に 心を定めて端座し、深々と祈ろう。  
私は今。こう決意する。



2004/11/24(水) 05:47

長男の結婚式を一週間後に控えた平成8年の今日。
わたし個人の「お守り様」を戴いた。 
この日は同時に巣立ち行く長男にも「御形木様」の御貸与があった。
若き二人の「晴れの門出」を祝うが如きの晴天の会館の張り詰めた空気。「忘れ得ぬ」。

「寝小便垂れ」の「スズメバチ U」は「伸人」と言う。名付けは当然愚壮である。
この「ノブ」の誕生日も又。平成12年の今日じゃ。

昨日妻が、「これ、高かった・・」と 洒落たスニーカーを私に見せたのは「誕生祝」だ。
「ジイジ。あんがと」と晩飯時に「伸人」がわたしに電話をよこしたのは その事であった。

この「ノブ」の「寝小便(夜ばれ垂れ)」は 「も少し続くぞ」と、わたしはママに予言する。
その訳は、奴は昼間遊んでいても「我が尿意」にも気付かずにおる。
「こら!小便やろ!」とわたしが喚起しなければ 濡れてから「チンチン」を出す。
「豪放磊落なのか 腑抜けなのか」との周囲の心痛を何処吹く風、と。「ノブ」は泰然自若である。

ともあれ・・・そういう日である 今日は・・・。

「私自身のお守り御本尊」といえば 都議選の闘いには必ず懐中に鎮座されておる。

と、云えば・・。一昨日の夜の「Y本部長宅」の支部長会での日程確認の時、既に「都議選」の文言が登場する。
来年の「鯉のぼり」の頃には、愚壮の思いは「東京」にあろう。 歴戦連戦「望む所」じゃ。




2004/11/24(水) 17:26

「煮え湯氏」の現場は まだ続く。
「どないなっとんねん」「土間スラブ 来月になりますわ」話にならん。

年内に上棟式の段取りは動かさないとは「施主」の意向であるとか。
「どないすんねん」と こっちが心配になる・・と、ぼやきつつ今、帰宅。

「強靭ママ」が自転車の前側に「伸人」を乗せてピンポーンと来る。
玄関から出る妻よりも早く表に出た。「お誕生日 おめでとう」に ニタリと笑う。

「ありがとうは!」とママにしばかれて「あんがと」と履いている「祝いのスニーカー」を見せる。 
これが妻には、一番嬉しい瞬間である。 「ノブ」はその点は まこと、よく心得ておる。

突然「今朝も お漏らし してんな?」と言うママに 「うん」と言いよる。
ワシは マジ。 心配になってきておる。
「どっちに似たんや」に ハハハ・・と高笑いするママ。
「アカン・・このママに似たんや・・」と落胆するが。  ま、平和で なによりではある。

「予約のケーキ。取りに行きます」と「強靭ママ」は駅のほうに走り行く。
ポコポコと三人の「福子」をもうけたママを、 「偉い奴や」と見送った。





2004/11/25(木) 06:34

教学は「剣豪の修行」と言い替えられています。
憶えるから忘れるのです。 「血肉」にすれば忘れ様がありません。
それは恰も、人は自分の誕生日や血液型は忘れません。

それでも言える事は、「学んだ事実」です。
何処まで行っても「合否」は二の次です。   よくやった。


「楽観主義」との言葉が有ります。  
野放図からの「楽観」と 確信からの「楽観」
この二者の隔たりは 宇宙値です。  大きく雄大な「女子部」になれ。 エールです。




2004/11/25(木) 07:09

奈良での小学生女児殺害事件。

やりきれなく悲しい。 この国の人心は どうなってしまうのか。
「八つ裂き」でも 報復には程遠い。 「目には目」でも 悲しみは埋まらない。

おかあさんは「メール」と「貼付映像」を見た瞬間「助けて!」と叫び昏倒される。
極悪 人非人の犯人(犯獣が正しい)の贖罪の道は永遠に閉ざすべきである。

もしも、同じ事が近辺に在る時。  自分なら耐えられるのか。突き詰めて考えよ。
悲しすぎる事件の報道に追い討ちを掛ける如きの模倣犯行の続発。 
正に「悪鬼入其身」である。   事件のおぞましき顛末の白日を意図する悪誌も同類だ。




2004/11/25(木) 07:49

今朝の読売新聞の「編集手帳」は「殺意への膨張の道程と過程」を こう嘆く。
ごくありふれた親の小言が 殺人に安易に結びつく世相を  こう嘆く。

(前略)・・・振り回す詭弁にも、形ばかりの低頭にも、人から人に伝わる体温がある。
胸の中にぽつんとひとつ、
殺意を起動させるスイッチの押しボタンが置かれているような、
「寒々とした風景」が やりきれない。 』   御意である。

揺ぎ無き幸福への直道は報恩の振る舞いにこそ開門される。
麻の中の蓬が 何時しか真っ直ぐに天を目指すが如く「善知識」は自己を練磨する。
短文の「寸鉄」は上記を示している。   

創価の拡大が「寒々した風景」を「感動の風景」へと塗り替えるのである。
「一瞬で一新する」 初代会長の大確信を見逃してはいまいか。 自問である。




2004/11/25(木) 12:28

「こうすれば どうなるのか」
明らかに変則の自我の膨張に 何故 歯止めを掛けられないのか。

「今、やろうとしている事が 何を招くのか」   なぜ想像してみない。

この獣は なにを想像して「愛(いと)いけない少女」の御遺体から 歯を抜くのか。
金輪際 絶対に許すことの無い「鬼畜の所業」である。 胸と喉が痛くて 言葉が出ないのです。

御遺体に更に傷を為す。   怒りで震えを止める事が出来ないのです。

穏やかな田園風景が今も残る「富雄」 生駒山地を西方にゆったりとした風情の地です。
どう想像しても、信じられない事件です。



2004/11/25(木) 17:52

「寝小便垂れ」の「スズメバチ U」は「伸人」と言う。
これの兄貴が「寛人」は ヒロトと読む  私の命名は お察しの如し。

ヒロは目から鼻に抜ける頭脳の子であるが「泣き虫で スケベ」と、これも完璧ではない。
今日は事務所に「ヒロが来たぞ」と、ノックでわかる。
 
「オラ、ひろ。 よう来たのー」に「お相撲 見てるん」と対話をしてくる。「ノブ」にはこれが無い。
「今年も おすもう勝ってんで」と保育園の表彰状を「ジイジにあげる」と持って来た。

『すもうたいかい がんばったでしょう』
あなたは、まいにち あさごはんをしっかりたべ よくがんばったので 7かい かちました。
これからも、いっぱいがんばろう。ドスコイ!  へいせい16ねん11がつ25にち

この表彰状は昨年のも同じ文句で、事務所のドアに大事に貼ってある。
面白いのは「四股名」で それぞれの園児が自分で決めるそうな。

四股名は、ど真ん中に こう書いてある。 しこな 『 さ お だ け 』

ワシでは まず、浮かばない四股名である。  
柔軟な思考はこの年頃の子供たちの奥深いところじゃ。

自由奔放。伸び伸びと子は育てていくべきである。
どのような事が有ろうが、子に当たってはいかん。   
体罰も考えものである。

ましてや 虐待などは絶対 いかん・・と、長男をしばきまくった事を反省する。




2004/11/25(木) 18:23

支部運営会議は今夜。 本年の締めくくりの大事な会合である。於、愚壮宅。

統監  圏総会  支部幹部会(ハッピープラザ) 座談会  地域部  支部討議

無事故で仲良く強烈に走り来た本年である。  もう一度呼吸を整える 陣列を整える。

本幹同中は十日〜十二日に開催される。 ともあれ。 無事故での運営を期す。




2004/11/26(金) 05:40

今日の「寸鉄」

『教学試験で学んだ大確信から 弘教が広がる!
  受験の皆さまは 生命の大博士。』

『仏法は「現当二世」だ。
 過去の功績を鼻にかければ停滞・慢心だ。 戒めよ。』

「寸鉄 人を刺す」 きっちりと読まねばならん。




2004/11/26(金) 06:54

政府税制調査会の答申はこうだ
「経済情勢が著しく好転している」     どこが「好転」だ。「節穴奴」

「所得税の定率減税廃止・消費税の増税」の姿が「答申」のすぐ後ろに顔を出している。

市井のドブ板の路地裏には「来た験しの無い」与野党の為政者よ。
貴様らの目は 節穴だ。      どこが「好転」だ。

今から7年前。深手の日本丸は一旦「立ち上がる」  否 『立ち上がりかける』
この時「盲目の無能の為政者」は ご丁寧に消費税を引き上げる。
「料亭で懐にした一億円」をも忘れる御仁。 「庶民など。眼中に無いわな」

手間賃にまで「手形決済」が罷り通る弱肉朝食の昨今。 
切り下げの単価に「含 消費税」と留止めを刺す現実。
さらに、支払いは40日後。留止めの留止めを刺す。    職人さんも人間だ。

「何処に目を付けているのかね、お偉い政治家先生よ」・・・と言っても、屁とも思うまい。
「庶民の味方は 選挙の時だけかい」・・・と言っても、元々庶民は眼中には無く 返事も出来まい。

湯水と消える巨額の税金。「予算は使い切れ」とは「生産の労苦不知の役人論理」 
いつしか響く軍靴の音は 不忘の悲惨の筈・・・「人道復興支援は国内のみ」でいい。

諸外国に「札びら」を切りつつ、国内は「弱者いじめ」 たいした「お国」だぜ。
今朝の一般紙。  ついつい、上記の愚痴がでる記事が満載である。



2004/11/26(金) 07:52

愚痴U
遅い朝食は実に困る。
空腹の書き込みは笑えぬミスを誘発する。

>>弱肉朝食は強食じゃわな。(滝汗)

在。事務所のこの時間帯は 存外ゆったりです。

通勤地獄を体験したことの無い私ですが。
今現在「もみくちゃの車内の同志」には申し訳なく思っています。

「おとうさ〜ん」と、 もうすぐ声がかかる筈です。




2004/11/26(金) 12:28

「お母さん 教学 合格しました」

これは、今朝の次女からの電話とか。今頃妻が言う。
「即 言えよ」
「お父さん 忙しそうに ご飯食べてたから」「・・・」

ともかく、おめでとう「泉ちゃん」
御書の研鑽は「底なし沼」です。
三世を普遍に俯瞰する所以がここにあるが・・
どんどん磨くべし。   愛する泉へ。     父さんより。




2004/11/26(金) 17:34

志ある政治家は。あなた。 言うて悪いが一匹も存在せん。
政治家に推された当初は愁傷だが バッジを付けた途端に腐りだす。

日頃、「庶民庶民」と言う奴に限って危ないもんじゃ。
高級車の後席に座ったら どうも初心を忘れてしまいよる。

よう、政治家のお偉い先生よ。車のドアくらい 自分で開けんかい。

「あ〜あ。 いっぺん 面と向かって言うてみたい」
『無理 無理 奴等の頭は 今夜の赤坂の料亭に飛んでおり申す』

「あ、左様でしたな。 こりゃ、期待するほうが馬鹿でやんす」

血税なんて思っていたら か〜ちゃん。 あれほどはブクブク太れんです。
「わしゃ。全く 信用しとらんけん」・・・と。よっぽどの御立腹の愚壮です。




2004/11/26(金) 17:46

ブクブク太れんです。を、お読みになった政治家先生は明日から「スポーツクラブ」

「これは、したり。 外見だけでも痩せておこう」
ワシなんぞは政治家先生。 働いて働いて「明日が食えるか」と痩せていく。

「一番苦しい所に 駆けつける」 これ。どうなったんじゃ。

ま。このくらいで やめとこ。    折角の「忘れ得ぬ風景」が汚れるわい。




2004/11/27(土) 05:51

明日 女房実家の長兄(義兄)の御長男の結婚式。

披露宴の進行表の親族代表あいさつに「新郎叔父」のわたしが居る。
「お父さん。ほんまに今度は 変なこと言うたらあかんねんで」は妻じゃ。
「ヘヘン」 数多い親族のしかも「外婿の叔父」の私への大役、無難になんか喋れるかい。

ともあれ、親孝行で優しい青年は 生涯の伴侶を得る。 うれしく。めでたい。




2004/11/27(土) 05:56

今日の現場は午前中に「泉尾」を完了させて「豊中・煮え湯氏」へ走る。

「愛妻弁当」が降りてきたので 今から行ってきます。




2004/11/27(土) 19:23

「豊中・煮え湯氏」の現場。 
「こうも段差が多いと前に進みまへんなあ」と監督さん。嘆きまくる。

テレビのC・Mで壮大な邸宅の映像の会社の設計には「煮え湯監督」の悲鳴である。
段差も広さも「誰が住むねん」と、楽しくて職人冥利につきます。

先程である。
明日の義兄殿の長男の結婚式の段取りの確認に電話をしたが。「まいった まいった」と、義兄さん。
「そら、兄さん 年に二回も結婚式をやったら 参るわさ」
「明日は、喜んで行かしてもらいます」に、甲高い声の義兄は「よろしゅうたのんます」

新郎側の親族代表の祝辞は最大の光栄。 
女房に「この際じゃ、少々の出費は華を添えるワイ。有るだけ包め」と言う。
「そんなに あれへん」・・現実リアルな御返事が来る。「・・無いのも事実じゃ」

とんでもない来賓と 目を剥く媒酌人。 台本なしのヒラメキの祝辞は一世一代の大舞台である。
「この挙式を たれが一番喜んでいるのか。草創の「老祖母」か 亡き祖父か」

遠き遠き日。 半信半疑で御本尊を抱き帰り、営々と粛々と師を求め 創価の道を歩みつつ。
一族の全ての人に 御本尊を継承された偉人が 在不在。 最高の歓喜であられるのは不動じゃ。

晴れがましき「華燭の宴」となるには。 かの偉人の「生命のメッセージ」こそが要る。
御高齢ゆえ。 御自宅の御本尊に感謝の祈りの人も 明日は居る。
ワシは。  それを伝える心算でいる。   「ありきたり」では申し訳が立ったん。



2004/11/29(月) 18:57

結婚式の写真が(持参のカメラの分)が早速出来上がってきた。

厳粛に御本尊向かい 親族一同による仏前の挙式。 しわぶき一つ無き祈りであった。
花嫁の白無垢が その厳粛に大輪と咲き誇る。華麗 優美である。

親族集合写真は 騒然である 「多すぎて全員が入らない」とプロが困惑であった。

13:00。披露宴の金屏風に新郎新婦 媒酌御夫妻 打ち揃う時カメラ黒山となる。
感動が 涙を誘い 爆笑渦巻かせ 時として静寂を為す。  

「末法無戒」と、禁句連発の手荒い友人の祝福に 花嫁の母上の感涙あり。
聞けば、お父上を無念にも早くに亡くされ 「母上」女手一つで今日の勝利を勝ち取られた。

高砂の座。鳳凰の如き優雅なる花嫁を遠く見るに 「母娘」での艱難の面影 皆無。

圧巻は新郎新婦共通の恩師からの「実書き肉筆のメッセージ」であった。
「関西総会」の余韻すら漂う式場の 総数百数十名歓声となる。

定刻を大きく過ぎた「饗宴」は、花嫁の「母」への手記を読む時 数度目の感動の波 頂点。
新郎から義母へ 新婦から又義父母へ 一輪の花が胸に舞う。

感動の帰路「あいつは とんでもない実証を自分の手で勝ち取った」と長男は言う。
「そのとうり! それ以上の言葉で 今日の感動は言い表せぬ」とわたしは叫んだ。

昨日の万波の感動。 未だ収まらず・・・・と。写真を見ている。
今日のこの書き込みは 実際の万分の一も書けてはいない  劣筆愚文 情けない。




2004/11/29(月) 19:10

結婚写真余話。
「俺の髪、こんなに白髪が混じってしまっているのか」と妻に言う。
「そやで おとうさん  写真で見たら びっくりするやろ?」

私と長男は「滅多にない」と、式場の「宴」を背景に 並んで撮った。
礼服の正装の撮り手は妻。  
私よりはるかに長身の「明人」の笑顔に 私への「いたわり」を感ず。
「俺は いい息子に恵まれている」と、心底思いながら写真見る。 余話である。




2004/11/30(火) 05:12

天無風 漆黒に目を凝らす事しばし・・徐々に星星が降りだす。
 真北に向かって上空を仰ぐ。 すぐの左に煌々白光の「月天」が居られる。
 つい先日までの「まん丸お月様」は新月に向かっている。

今朝 北天を仰ぐのは他でもない 
北海道で昨朝 地震があった・・「無事を祈ろう」と思わずの行動である。
と、もうひとつ。 あの感動の「華燭の新出発」のふたりの新婚旅行が北海道。

この「忘れ得ぬ風景」に限って。 北海道は特筆、深き感慨がある・・・と、書く。




2004/11/30(火) 06:12

「星降る夜」と書く時 必ず脳裏に浮かぶのが北海道である。

昭和39年の「R・C・T」連隊戦闘団演習。
三日三晩の この濃密な演習は射場以外での実射を含むほどであった。
例えば・・川が在るとライフル銃を頭上の捧げて「渡河」をする。
例えば・・幕舎や個人用テントを張らずに夜を通す。

一期後輩に「平井一士」が居た。 一歳年長の後輩は「関西出身」と、馬が合う。
この昭和39年の秋の演習の一夜。 平井と私は丘陵をやや下った斜面に居た。
「両名はここに在って 側防に備えよ」寝ずに見張れ。との命令である。

復唱も凛々しく斜面に陣取った二人は完全武装であった。 
大丘陵の稜線をやや下った斜面。すぐに背嚢とライフルを放うり出して ゴロリと寝転んだ。

草の斜面に寝転ぶや。見たことの無い「満天の星空」が視界の全てに降り注いでいた。
「オ〜ウ!」と、思わず叫ぶ程の無数の星空であった。 この感動は未だ失せない。

「はよ、大阪へ帰りたいな〜」としか話題のない二人には もう演習の事など眼中には無い。
はるかなる下から「乾いた音がかすかに響いてくる」と、わたしは身体を起こした。

満天の星空の島松の演習場の丘陵。 はるか下。 はるか遠く。一列の宝石の如く列車が往く。
「あれ(千歳線)に乗れば 祖母の待つ大阪にいけるんや」と 19歳の僕は泣く。

あの夜の満天の星空と 遠く去り行く列車の窓明かり。 
「厚田の波濤の感動」に巡り会う直前のこの風景。 私は今も 忘れる事は無い。




2004/11/30(火) 06:41

明日は長男「明人」と強靭ママ「香織」の結婚記念日である。
三人の「愛孫」は ここでも何度も書きすぎている・・は、余談。

>>上記では19歳の星降る北の天地を書いた。 
何度も恐縮だが、その夜の感動 昨日の如し。

「名字の言」は過日にこう書く。「地球は秒速30キロ。時速10万7500キロで
公転」
>>上記が19歳で >>今が59歳。
  時空の移ろいは瞬時である。

「苦をば苦と悟り 楽をば楽と開く」「願兼於業」 
万象これ仏法である。  稀有の師匠は「喜寿」を迎えられる。各々勝って祝うべし。




2004/12/01(水) 06:54

聖教新聞に連載されている「新・人間革命」法悟空 著。
「羽ばたき」の章。

古今、歴史の事実を歪曲し続けた愚行は、やがての真相の解剖台に乗る。
それは、極秘資料であったり押収文書であったり個人の日記であったりする。
「曲げた正義を完璧に抹消する」とは、曲げた側の必須である筈、が。流出してくる。
これこそが 「悪い事は出来ない」とは俗世間での庶民の知る重厚の教訓である。

「真を偽」として 「無いことを有る」として 「正本堂」を灰塵としたのが「顕」だ。
猿智恵の老臭の「顕」は実にいろいろと「世紀に遺こる難癖」をぶち上げて破壊を実行する。

「師弟の道」を最も重要視し 先師を踏襲する世界が、洋の東西「出家」であった筈。
「顕」には「先師 日達法主」を師匠とする聖職者原点の息吹など 毛ほども無い。

かの有名な「たるべき・・」との慶讃文は「二重の限定形」で「茶々」を入れる隙間が無い。のに入れる。
ここ数日の「新・人間革命」を客観的に読んでしても 「地震で倒壊の危険性」など 有るわけも無い。

「顕」とその一族は今。「新・人間革命」の連載に 恐れ慄く。
「極秘資料はもっと後世に出てほしいのに・・」と、今又 講員への「重複の嘘」を考えている。

ともあれ。その歴代三代の「巨大な赤誠」があってこそ「歴史に残る名建築」は姿を現したのである。
「名も無き庶民の熱請」とは 「正道かつ王道」の「師弟の道の踏襲」にしか存続の意義も息吹も無い。

『轟音の中 倒壊し逝く「円融閣」に 私の憤怒は頂点を為す』を わたしは生涯 貫く。
と、同時に。あの妙壇上部の中央の「リング」を解体した時点で「宗門」は命終した。
所以は「古今、無垢の庶民の誠を陵辱した勢力は 歴史が厳正に処断する」  不動の原則である。




2004/12/01(水) 07:12

「リング」が啼いている。  
「白鶴の飛翔」を(自らは浮遊しながら)支えきった「リング」
破砕機の先端が我が身に触れたとき「リング」は泣く。  末世を泣く。




2004/12/01(水) 08:17

地図に残る仕事とは、某スーパーゼネコンのC・Mであるが。

建築物は「巨大であれば名建築」とは言えない。
規模でもなければ外観でもない。ましてや。価格に於いてをや。
要は「落慶への懇請」と「その使命」である。竣工を熱望したのは。まさに「稗の飯」である。

「使途用途」とは入魂の使命を言う。
当時の。 それこそ無垢のおひとりおひとりの「一円の積み重ね」こそが「熱請の使命」だ。
そこには、寺族の「熱請」も 講員の「熱請」も 学会員の「熱請」も含まれている。それを踏みにじる。
「顕」重罪の所以は 実は此処に在る。  決して許してはならない意味が 実は此処に在る。

「新・人間革命」本文
『このほか、正本堂落慶に際して、伸一の社会と平和への功績を讃え、世界の三十一の州・都市からも、
名誉市民などの称号が贈られている。  また、式典では、ベネズエラの特命全権大使の祝辞もあった。
それらは、まさに「大梵天・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」との御文を思い起こさせた』

この時。昭和47年10月1日 白亜の殿堂は世紀の勇姿を湧現する。
屹立の富士をも圧倒する威容に、数千の参列は息を呑むと伝う。 

秀峰富士の雄大さは、たれしもが、それを知る。
その秀麗の霊峰に重ね合わせる時の白亜の殿堂の姿。 わたしは今も感動に震う。

「達師」までは『命脈』滔々たる地は、 今はもう無いし、復帰は望まない。
殿堂の跡地に今。ぶざまに在るは、安普請の「掘っ立て小屋」のみである。 
訪れるは「福運尽きし隷属の徒」と「カラス」のみであろう。

それにしても・・・「顕」即「未生怨」即「奪命魔」の御登場とは・・・。
仏法とは正法とは。 「難信難解」で粋で乙である。




2004/12/01(水) 08:32

ところで・・

料亭で一億円の小切手を私は受け取った「のだろう」・・・・。

「・・・だろう」  どうなってんじゃ。 ったく。
「事実です」と何故言えん。   

この「だろう」発言を 「行き届いた説明」と援護する人や政党は まさか居るまいのお。
「剣道の達人」なら 堂々と是非を言うべし。 
「俎板の鯉」の方がずっと格上である。  ・・ったく。




2004/12/01(水) 09:54

「御自宅の御本尊様に帰宅の報告をするまでが登山会です」とは、車内の輸送班の雄叫び。
「阿仏房の精神」を再三に亘って指導会に学びつつの団体登山。
隙間なく貼りめぐらした登山ワッペンの喫茶店と満杯の「豚汁屋」 列を成す「草餅屋」

幾たびも訪れた「大石寺」は満山が満杯であった。
「丑寅勤行」に臨む姿勢。私は自己には誠に厳しかった。
「奉安殿」「大講堂」「大客殿」と、勇んでの参加は 今も懐かしい。

「老巨杉」が群立の森閑たる深夜に「丑寅勤行」への出仕を促す「鍾」が大客殿に響く。
私語を控えた人列を深山の冷気は厳正と漂う。

「なんでも一番」と最前列の愚壮は「法主」の出仕を待っていた。
静寂と熱気を割るが如く ズカズカと畳を踏む人在り。 これが「顕」であった。
無辜の学会員の頭上に「蛇」の視線で睥睨する「顕」
「あ、やっぱり。こいつは狂っとる」   わたしの揺ぎ無き大確信の裏打ちの瞬間であった。

これは、また別の「登山会」の事。
「日帰り団体登山」は御存知のとおり。 時間帯に隙間がない。
晴天のこの日、記憶では最後の「登山会」であった。
これも記憶では現在の「N支部婦人部長」と「愛ちゃん」が居らした。

「三門橋」でも「正本堂」でも 秀峰富士は素晴らしく 雄大であった。
「最後の登山を予知もせず」何枚もの記念写真を わたしには珍しく精を出している。

数日後「Nさん」は言う  「写真 楽しみにしている」「現像 出来たか」

「Nさん。わたしにも訳が分からんが 実はフイルムが入っていなかった」
当時のカメラは フイルムの巻上げは手動。 「空室」では巻き上げが軽くて起らぬ事故である。

愚壮が大失態は、こうして起こるべき時に絶妙と暗示する。 
『寺』の福運断裂をカメラもフイルムも 無言で示唆しておる。 大笑いの実話じゃ。




2004/12/02(木) 19:07

>> (2003/10/07(火) 15:09)
一昨日、5日 妻とふたりで堺市に親友 I氏を訪ねた。彼こそ愚壮の最古最長の友、
小学校1年生からの同級生である彼とは、愚壮の自衛隊時代も中断なく実に51年間も、
友情不変を貫いてくださる。
妻と愚壮との結婚式は新婦側 数十名、俺の方は5名、その5名のうち2名がI氏御夫妻であった。
そんな彼に 愚壮の長男結婚式の主賓を願った。  快諾であった。』


以上は消滅した「忘れ得ぬ風景:T」で 我が親友を語る場面である。
先刻、事務所に帰着した私に 「お父さん 大変な事が」と妻が叫びました。
振るえる妻の手には一葉のハガキ。  瞬間 悪寒が走る。
「喪中につき 年末年始の・・・」との文面と、その差出人に息が詰まった。

「おい!I君。何があったんじゃ」「なぜ 知らさん!」と受話器に言う。
「すまん。 女房は その闘病のやつれた姿を 見せたくなかったんや」
「お前だけと違うんや。 総ての親族にも知らせる事無く 家族だけで送ったんや」

親友は 泣きながら「分かってくれ」を繰り返した。
「わかるわい! 分かりすぎるんじゃ」「なんで、慌てて逝くんじゃい!」と言う。

駆け落ちの侘しいボロアパートに 「淋しくないか」と二人で励まして下さった人よ。
「線香、あげさせてくれ」に。  「奥さんと二人で 疾く来てくれよ」と泣く。

平成16年6月14日 大事な大事な親友の妻は逝く。 享年 56。
「こんな事が 有って良いものか・・・」  私は 乳癌を憎む。




2004/12/02(木) 19:34

>> (2004/06/17(木) 18:06)

問うて云く妙法蓮華経の五字には いくばくの功徳をかおさめたるや、
答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財を雨し
梵王は三界を領す 妙法蓮華経の五字また是の如し 一切の九界の衆生並に仏界を納む、
十界を納れば亦十界の依報の国土を収む、
先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはば経の一字は諸経の中の王なり
一切の群経を納む、  (法華経題目抄 942p)

「この時を 勝つために いままで生きてきたんと ちゃうんかい!」と、決めています。
長女の真心いっぱいの「お弁当」  一番下にメモが入ってあった。
「父さん  一緒に乗り越えようね」であった。  めしがつかえて、難儀した。』―――


半世紀の歳月を「刎頚の友」「竹馬の友」として貫き通して下さった「親友 I氏」
その親友が生涯で最も苦悶と絶望に在った時。 俺は一体 何をしていたのか。
「御逝去の奥様」を偲びつつ 絶命の日の「愚壮」を訪れた。  それが上記である。

慙愧に耐えぬこの日の前後。  妻の「業病」と闘う我を見る。 
今。私の全身に走る思いは。  
「ひょっとすれば、二人の親友は同時に妻を失っていたのかもしれない」との事実である。
血肉を分けたような「親友の苦悩」を 知不知。 わたしも味わっていたのである。

もう、この件で引き続き書き続ける気力は 私には無い。  合掌。




2004/12/02(木) 20:46

いま一言・・・。

「忘れ得ぬ風景 U」が1,000回を超えた時。私は実は 迷っていた。
「御礼」の文面にも そんな伏意が、そう言えば感じられるのである。

迷っていた理由の一つに「題号」(スレッドのタイトル)がある。
『「忘れ得ぬ風景」は、既に私のライフワークである』 
こう決めた私は この「忘れ得ぬ風景:完結へ燃ゆ!」を立ち上げる。

>>2003/06/07(土) 12:59 は、ひとりの「白ゆり長」さんの弘教からスタートをした。
これは、この「完結へ燃ゆ!」の底流に常在する骨髄が「完結とは弘教」を物語る。

わたしは この
>>2003/06/07(土) 12:59 で、ある日の書き込みを引用している。 それが
>>「課題は完結する!」とは、前任「県総合長」の雄叫びである。』である。

この、上記を引用した真意は なにか。     わたしには分からない。 
が、しかし。偶然か 本筋か その日こそ「親友」と「愚壮」が苦悶の日であった事は事実である。




2004/12/02(木) 21:11

私は今。「森が崎海岸」の歌詞を想う。

遠き遠き日。昭和44年よりもまだ以前。
近鉄南大阪線「北田辺駅」の一杯飲み屋「よし鶴」のおっさんは「折伏」をする。
相手は「親友I氏」と「愚壮」。

この二人は悪友であった・・・・と。 おっさんの熱弁を茶化していた。
しかし、その後 わたしのみ入会をしている。
「親友I氏」は「えらいもんや。横紙破りが信仰で こうも変わるか」と言った。

あれから37・8年。  最愛の伴侶を失ってしまった「親友」
先ほどの電話で彼は言う。
「妻の死で 身辺を片付けていたら 昔のめりこんだ フラメンコのレコードが出てきた」
「今度 お前が来た時に 全部渡す」
「叩き売ろうと思ったが・・お前に渡す」

電話を切る直前に彼はこう言う
「俺の形見や」   
『Iよ、おそくなって すまん。俺はお前を折伏する』と決めている。
「親友」の言葉を思いつつ    私は今。「森が崎海岸」の歌詞を想う。




2004/12/03(金) 06:15

日蓮仏法は、人間主義の世界宗教である―――(中略)
――― 彼(山本伸一)は、できることならば、一人ひとり抱きかかえ、心から御礼を言いたい思いであった。
正本堂の建設が始まってからというもの、作業に励む人たちのことが、伸一の頭から離れることはなかった。
日々、彼は、全員(作業員)の無事を祈って題目を送り続けてきた。   ―――(中略)―――

汗だらけになって、セメントを運ぶ人がいる。鉄骨を担ぐ人がいる。高い鉄柱の上でボルトを締める人がいる。
作業場に水を撒く人がいる・・・・。
その人たちこそが、世紀の大殿堂たる正本堂建設の大功労者なのだ。    ―――(中略)―――

人は、建物の荘厳さには感嘆する。しかし、供養や労作業など、陰で精根を尽くし、それをつくりだした人に、
目をむけようとはしない。  だが、その人こそが尊いのだ。
そして、その労苦に眼(まなこ)を凝らし、心を砕くことから、人間主義の行動が始まるのだ。―――(後略)―――。

今朝の「新・人間革命」羽ばたき四十七。
先生は書いてくださると確信していた。  必ず先生は分かっていて下さると信じていた。
三次・四次の建設業者は今。特筆、関西以西の最末端の労務者たちは今。劣悪である。

今朝の先生の思いの、時代背景は32年の昔日ではある。しかし先生の「陰の汗の労苦への思い」は今に続く。
身体の中から闘う勇気が湧いてくる。  「なんの、これしき・・」と、元気が出る。
『やってきて よかった。投げ出さずに来てよかった。先生。ありがとうございます』
これが今朝のわたしの、心境だ。 暗雲が晴れた心地である。  夜の明けやらぬ今。長男たちは元気に出発した・・・・。




2004/12/04(土) 07:41

昭和45年の今日。
阪急茨木駅近くの産婦人科医院の分娩室に医師は叫ぶ
「いかん! いかん!」     
介添えの看護婦さんのただならぬ声も聞こえる。

初産の23歳の若き母が死闘をしている。 
「死闘」である、と。 室内の叫びが教える。
ドア一枚の待合室のソフアーの上。  
「産室」に向かって義母とわたしは懸命の唱題を送っている。

医師は言う「御子は・・助からないかもしれない」「母体も傷が深刻だ」

これが、長男誕生の瞬間の風景である。 

幾重もの宿業をくぐりぬけて生まれ来た彼は、再び幾重もの宿業の中に蘇生する。
その長男も  今日で34歳である。    
振り返れば・・「一瞬」であった。

ところで・・・  曇天である。 風も心地が悪い。
こういう日は「顕」が動く日だ。
今日の「聖教座談会」  宗門も堕ちる処まで堕ちたな。   
「顕」終わったな。




2004/12/04(土) 08:17

「正本堂」での御開扉。 幾度臨んだであろうか・・。
「巨柱・円融閣」を仰ぎつつ「誓願の呼吸」を整える。
思逸堂の緩斜面を歩み行く時、同時に湧き上がる「静寂の歓喜」を確認する。

完璧に計算し尽くされた 個々の座席への誘導路。 総員の着座にも「渋滞」は皆無であった。
高揚の感情を おもわず「フ〜」と溜め息で調整してしまう程の厳粛なる空間であった。

全世界の「善男善女」が嬉々と参集し、瑕疵無きその「大法力」に感謝の報告を申す。

春夏秋冬。 何時訪れても、その完璧の空調は「個々用」に座席を包む。
大御本尊に奉告の瞬間の高揚は 今朝の「新・人間革命」記述に集約され尽くしている。

その感動の「御開扉」の瞬間に、ある日。歪みが走った。
忘れもせぬ「700遠忌総登山」であった。  
家族全員で嬉々と参加の個人登山で「無意識の奥底の歪み」が我を襲う。

刻々と仮面を剥ぐ「禿人の本性」   元・愚連隊の愚壮の感性は鋭く見破っていく。
以下。  次稿とする。




2004/12/04(土) 11:45

この一週間で既に四通の「服喪のハガキ」が来る。
親友が居る。取引先が居る。友人が居る。

比較が不適当で申し訳ないが 今頃になって台風が来る。
この季節外れの台風の猛威は、フィリピンで多数の犠牲者を濁流に飲み込む。

森羅万象の「歪(ひず)み」は、正義の勢力の膨張を阻むが如く肥大し行く。

「日蓮大聖人 七百御遠忌」当時。 国鉄「富士宮駅」も沿道も慶祝に沸き返っていた。
宗史に輝く「大佳節」を 学会は総力を挙げて慶讃する、と。「愚壮一家」総登山。

新幹線「新大阪駅」での出発の風景の当時の写真がある。  
希望に燃えた「自由登山」であった筈の五人の笑顔は、 来るべき「歪み」をも知らず。

「前日には現地に入って、みんなで美味しい食事をしよう。  きっと、生涯の思い出になる」
はしゃぎ回る娘達を乗せて列車。  あの席も この席も「たぶん、あの人たちも学会員さんやなあ」

「現地の宿に手違いが起こる」これが歪みの序曲。 急遽の宿探しにも無常の時間は団欒を剥ぎ取る。
何軒も何軒もの満杯の宿。  万策尽きて乗ったタクシーの運転手さん。「すこし遠いが一軒有る」
「やっぱり、来て良かった」との思いが 敷き詰めた不安を上塗りする。

場所は今も全く不明の、その「古びた旅館」 主の老婆は「遠忌で来られたのか」と言った。
「いや、助かりました」と案内された大きな和室に息を呑む光景が在る。

古式に祀られた神棚と 怨霊鬼気迫る掛け軸。  妻と子供達 震え上がった。
「上野村では 路傍の祠に御本尊を混在させても宗門は 黙認する」との事実を知る由も無い、と。震う。

刻々の時間の切迫と、「在る筈の楽しい団欒の夕餉」と、 部屋中の謗法。
さあ!  どうする。     以下 次稿。




2004/12/04(土) 12:23

12月に入って 5件の基礎工事が同時にはいった。
「即、着工や」とは『M岡社長』 目の色を変えて積算し 今日は既に3軒目を施工。
「オヤジ、今 3軒目の材料が来た。」とは、長男からの報告である。
この、3軒目とは、本来は月曜の仕事である・と。とに角 先行する。

「老兵は去らず地区部長」は工務店の社長。  それが今朝「社長」として来訪する。
大東市で住宅の外構工事(本体に付属する雑工事をいう)で「ややこしい門柱とややこしい壁」とか。
「工期が無い、なんとか仕上げてくれ」 「よっしゃ、わかった。見に行こ」と行ってきた。

「ややこしい(通解:複雑)」と聞くだけで 「俺がやる」と言う。 この性格は治らん。
その間を見つけて これを書く。  ライフワークとは、かくも忙しい事を云う。




2004/12/05(日) 06:15

>>場所は今も全く不明の、その「古びた旅館」 主の老婆は「遠忌で来られたのか」と言った。

『明らかに 違う! 第七百御遠忌慶讃登山の前夜ではない!』とは。今なら言う言葉であろう。
耳を澄ませば 地底からの呻きが聞こえてくるが如き、と。古き和室は小刻みに揺れるのか。
物音のせぬ全館には「ここは、決して旅館ではない」との空気が支配する。
「もう、あと僅かで日付が変わってしまう」   私は思い切って廊下に出た。
「いったらあかん」と言う妻達。  「怖いから ここに居て」
これを聞いた私は『これは、もう駄目だ』と内心に確信をしていた。

厨房はすぐにわかった。 老主は一人で居た。  突然の遅い客への食事の用意をする老婆であった。
「お婆さん、 申し訳ないが ここでは泊まれぬ」と単刀直入。 真っ直ぐに言う。
「この通り。用意が出来ている」と、言ったか言わぬか。 記憶は飛んでいる。
「実費に足りる」と老婆は 差し出した金を受け取った。
「車なぞは ここでは無い」と タクシーを呼ぶ主に言う「訳が有る。今夜だけはあの部屋には泊れぬ」

疲労困憊の家族が静岡駅前のビジネスホテルの狭き一室に付いた時。日付けは変わってしまっていた。
トイレとバスタブが小さなカーテンで仕切られた浴槽に戯れる二人の娘の写真がある。
たのしい食事も抜けてしまったのに 三人の子等は、私を責めなかった。
悶々とした 一夜であった。   
「それほどに この歴史の御開扉には『行かせまい』と魔が競うのか」と、慰めていた。が・・・。

この自由登山で、始めて「常来坊」で手続きをした事を憶えている。
「昨夜は昨夜。 お天気も最高や、 しっかり祈るからなあ」   大石寺。全山満杯。
「ゆうべの出来事は もう忘れよう」との家族が臨んだ厳粛の時「追撃の歪み」が起こる。
以下。 次稿。  
(濁流と化した宗門の事実を当時の学会は隠していた。と、同時に「断腸の思い」で「狂気の禿人」との
修復を試みていたのである。 どこまでも「赤誠」を貫き求めた学会に 宗門は狂気の自滅の路線を突っ走る。
やがて、時を経ずして・・・元の「ペンペン草」の針金宗門へと成り下がる。    まこと。如実である。)




2004/12/05(日) 06:57

>>耳を澄ませば 地底からの呻きが聞こえてくるが如き、と。古き和室は小刻みに揺れるのか。


ず〜っと昔から居た「和室の主」は こう言いたかったのであろう。
「これ、愚壮御一家よ、石山に行かれるのであろうが 無駄じゃよ」
「あの山には、もう、清流は流れてはいないのじゃよ。
ワシ等が ず〜っとの昔。中天に御並びになられた二人の仏様にお誓い申した「行者への守護」は、
あの寺には もう必要は無い。  あそこは愚壮さん。 魔の棲家じゃよ」
「やめときなされ。やめときなされ・・・」と、部屋を震わせた。

ピタリ。 正解である。  
今、思うに。あの晩は、老女主の晩飯を食って、翌日そこいらを観光した方が正解であったわい。
「顕よ  交通費返せ! 」




2004/12/05(日) 07:41

第七百御遠忌慶讃登山は自由登山である。 この登山。わたしは実に絶妙の行動をとる。

わたしを捨てた母が居る。これは もう何度も書いた。
この母には 種違いの二人の子が居る。 これも既に触れた。
この、種違いの上が「操」と言う。 どっちに似たのか明晰の女性である、は。余談。

この「操」が 一家の一粒種と入会をしている。 紹介者。愚壮。
この「操」御家族を 私は「自由登山」に誘っている・・と、本山で落ち合った。
入会即登山。 この「操」の御主人の勇気には 今もって頭が下がる。

「汚れ無き新入会者」の目に見せてやりたい。
「法燈連綿700年」とはこれ程に瑕疵が無い事を見せてやりたい。

この愚壮の思いが皮肉にも、「実は とっくに汚れておった宗門」の新進の目撃者を作るのだ。
「義兄さん。何か 変ね」と明晰の義妹。炯眼 急所を見逃さず。
「だって・・お坊さんの眼つきが悪すぎる」  無垢の目は正に正鵠を射る。
「そうかい、変かい。 俺も今、はっきりとわかったぜよ。ここはもう腐ってる」

たれかが言う。「なんで お題目がバラバラなんや。なんで、子が泣くんや」
「大御本尊が 泣いてはる・・」  庶民は賢くて 鋭い。

この登山会を契機にして 凛々しき輸送班の姿は消え行く。
この登山会からも わたしは何度か「石山」に向かうが 思逸堂の歓喜は遂に蘇生せず。
「荘厳華麗:歴史の大殿堂 正本堂」の勇姿が抹殺されゆく日は、刻々と迫っていた。
富士は啼く。  歴史は啼く。  宗祖は啼く。




2004/12/05(日) 08:19

第七百御遠忌慶讃登山とは。

昭和56年10月13日を指す。
この日も、創価班(当時は既に創価班が着任。輸送班とは懐かしきゆえの記述)は、
厳然凛々しく 総本山を厳護している。

以上が「正本堂」への鎮魂稿である。   拙くて赤面。申し訳が無い。




2004/12/05(日) 08:34

あと12日で私は入信35周年を迎える。
非常に意義が深いと自覚しています。
「35を割れる数値は5と7と35だけじゃ」
語呂合わせでは無く。 随分と意義が深い・・・そう思う。

12月17日とは、そう云う日です。
但し。19日は・・ワシ個人としては どうもパスじゃ。



2004/12/06(月) 05:56

昨日の「圏総会」が 文字通り『青年拡大』へのスタートであった。

年内に残る諸行事は「一項目」のみ。 無事故必須で粛々と行じつつある。
わたしが「世話の掛かる男子部」当時の本部長(男)は「H氏」は現在 支部長。
この人は本稿では始めての紹介で有るが「紹介」は ここまで・・・。

書きたいのは「氏」の令嬢。 師の元で学園に学び 長年海外に留学される。
フランスで挑戦された「クラリネット」の試技で優勝し 現在はプロとしての演奏活動。
その彼女の「心に沁み込む演奏」  圏総会はこの演奏で最高潮となった。


さて。本年もいろいろと意義の年輪を重ねた歴史があった。
先生の御執筆は、その膨大な枚数に「止暇断眠」を彷彿とする。 沖縄初稿40周年こそ「筆頭」
公明党も、結党40周年である。 我田引水だが・・ わたしも『永年党員表彰』を今度受けた。
党員としては我ながら出来が良くないので 恐縮している。

地域部では「圏副」を任命された。  これは、得意の分野・・と、ますます走るぞよ。

今から 現場に出る・・・は。「泉尾」。




2004/12/06(月) 19:09

>>83 その彼女の「心に沁み込む演奏」
 
 圏総会はこの演奏で最高潮となった。

今朝は時間が足らんので充分に書けなかった。
彼女の演奏。 これは実に素晴らしい。
「演奏の前に・・」と彼女御自身が 曲目の説明を簡素になさる。

『周恩来首相との縁(えにし)深き先生。 稀有の両巨頭の友誼を讃えるべくして作曲された』
ピアノを従える難解で優しい甘美な旋律は 周師の雄大な境涯と、武蔵野に爛漫の桜花の吹雪とを謳う。
幽谷の山水画の風情と瑠璃色の舞い風と雲海の昇竜と胡蝶の乱舞か。 
聴衆水を打つ。

「圏総会では 勿体ない」と、わたしは終始瞑目して聞き入った。

散会のロビーにて 彼女に申す。 「大感動です」 
    照れておった。




2004/12/06(月) 19:57

>> 我が支部の我が地区に 90歳の通算「一億六千万の題目」の「超人のご婦人」が居る。


「圏総会」で忘れてはならない人の紹介があった。 上記「超婦人」である。
総県で、もし、彼女を御存知無い人は「モグリ」である。と迄は云わぬが 私など万倍、及ばない。
「圏婦人部長」は それでもサラリと紹介をする。  「サラリ」である分、聞く方は冷や汗が出た。

「岡○県長」は「サラリ」に関連して こう言う「呼吸も、吸ってばかりでは窒息する」
「大きく息を吐くから、新しい新鮮な空気が胸一杯に吸い込める・・」 わたしは唸った。

「超人」は90歳。 自転車での来館などは まず、無理である、と。タクシーで参加される。
帰路は「私に送らせて下さい」とお願いした。 「マア、わるいわねえ」と同乗して頂く。

私が「超人」の前。妻が横。「老兵は去らず氏」が後方。と、護衛よろしく第二駐車場へ。
ここで、又 驚かされた。  「どうぞ〜」とスライドドアを開けた時の事。
「お先に」と90歳は ヒラリと車中に乗る。 正真正銘「ヒラリ」であった。

わたしと「老兵」 顔を見合わせ「・・・・・参った!」 
「超人」は一体どうなっているのか。  見当もつかん。  (目撃者多数。これも実話じゃ)




2004/12/07(火) 05:58

>> 我が支部の我が地区に 90歳の通算「一億六千万の題目」の「超人のご婦人」が居る。
>> 総県で、もし、彼女を御存知無い人は「モグリ」である。と迄は云わぬ。
>> 帰路は「私に送らせて下さい」とお願いした。 「マア、わるいわねえ」と同乗して下さった。


散会の混雑の会館ロビーで『超人』を目ざとくに探し出したのは、超人の所属の地区婦人部長の妻であった。
ロビーの片隅に、タクシー依頼専用の公衆電話が設置されているが、妻は一足先にロビーに出、「超人」捕獲。
「私に送らせて下さい」は、こんな、目に見えない連携プレーで実現する。 偶然の出会いなどでは「激励」等 無い。

今朝の「わが友に贈る」は、そう言っての御指導と拝さなければならない。
「超人老婦人」のロビーでの、その瞬間の「百万両の笑顔」と今朝の「御指導」
40時間の時を経ての感動でも有る。

「新・人間革命」「聖教座談会」 出勤前の慌ただしい時間内での速読であるが。
けさは、これを感じたので投稿している。
「聖教座談会」では、ご常連の歓喜の叫び声が聞こえてきそうである(笑)

今日も現場は「泉尾」。



2004/12/08(水) 05:54

これは昨日の現場での事。
この日の作業地は今年の2月からスタートしている。
広大な工場跡地に 洒落た三層が建つ。  全部で八十戸ほどの基礎工事は現在五十数戸目。
この基礎工事の総てに携わるとは 感謝に絶えないのであるが・・それは置く。

梁が終わり柱が完了し耐圧版(基礎床)に掛かる頃、 初老の人が作業を見つめる。
こう云う市街地の工事は 存外とよく見る風景では有る。
殊更危険でもないし、先行竣工に入居されている「お施主さま」かも知れぬので黙認の形である。

それでも少し近くでの見学をされるので私は私の方から作業を中止して「初老の人」に近ずく。
長男達の作業と交錯しない場所まで離れてから「ご近所の方ですか」と話しかけた。
「そこに・・」と、新築の三階建てを指差し「今年の夏に入居しました」
「住み心地は如何ですか?」に「いやあ、年寄りの二人暮し 広すぎますわい」とか。

聞けば。この地に生まれて、この地で育った。と申される 「昭和5年生まれです」と言われた。
こう云う「地域の生き字引」の如き人との会話は滅多にないチャンス。

私は腰の安全帯を外して 本腰。 対話を申し出た。   
「時間は一杯有りすぎる」と、『初老氏』と「愚壮」は話し込む、
晴天の広大な作業場の片隅。 長男達は黙々と作業の手を休めない。

「教えて頂きたい・・」と、話は私が切り出した。
  以下。次稿。(出発じゃきに)



2004/12/10(金) 06:00

>>「教えて頂きたい・・」と、話は私が切り出した。
 (これは、少し後に譲る)

一昨日。昨日。この二日間で、例の「煮え湯氏」の現場の基礎工事が完了した。
きのうの夕刻。完璧に仕上がった基礎を見つつ「煮え湯氏」と語る。
「最初に乗り込んだ日から 三ヶ月。  やっとここまで漕ぎ着けた・・」とは煮え湯氏。
「ほんまやのう。 この日が来ん様にみえておった・・  よう、漕ぎ着けたのう」
「明日。コンクリートが打てる。 夢のようですわ」と言う。
何度も書いたが・・「ほんまに・・・とんでもない現場じゃ・・」

専用語で恐縮するが 地中梁と独立ベースを深く先行させて外周の高基礎が絡む。
高基礎とFGの高低段差を、母屋の土台に精度良く合わせる事に苦心の跡がある。

高基礎には総て、ハンチがある、これにも当然複雑な高低差がからむ。
FGと高基礎の下半を先行でだ打設するが、この時下向きに潜り込むハンチ筋の精度に苦心した。

高基礎にはベース部が無く壁幅のみでの接地で、当然 土台基礎も併用しているうえFSが後回しでの一次打設。
内部に縦横のFGとの接点も無い、そのうえにハンチ筋が付くと、通りが狂う。
「D13が@100のハンチは絶対に先行なんです」「そらそうや・・下に向いとるからのお」

ユンボ常駐の延々の基礎工事。剥き出たFGを養生しつつの最後の耐圧版の施工。
広大な敷地の@100のxとY。 一筋の乱れも無く見事に組みあがったスラブ。
「明日・・コンクリートを打つのが勿体ない」と「煮え湯氏」は言う。
世辞もあろう・・・が、わしも正直そう思う。  
この二日間でわしは、又、腰を痛めてしまった。 まともな歩行もままならぬ。
中腰で続く延々の作業は、ちょうど、お百姓の「田植え」の姿勢である。これが辛い。
わたしは(入隊の中断はあるが)約44年間。この仕事を続けたことになる。とは余談だが。腰は痛い。

「今月の二十日に全額お支払いいたします。 本当に助かりました」は、煮え湯。
「又、どこかで会おう」と現場を去る。       これで煮え湯。男になる・・本望である。



2004/12/10(金) 06:30

ところで・・今朝で「ハッスル!パンチ」(小学生文化新聞)が連載300回。
作者の『堀田あきお』氏。  おめでとうございます。

わたしも実は・・「パンチ君」のフアンであった。 
少々早とちりで、慌て者の気の優しい少年「パンチ」が繰り広げる「騒々しいドラマ」
毎回毎回、わたしは楽しみにしている。

たくさんのすばらしい友人に恵まれ。 気さくな家族に囲まれ。 彼は幸せである。
彼、持ち前の「大らかな早とちり」から来る微笑ましい揉め事と、解決への友情物語。

今朝の紙面の「友だちっていいな!!」が 300回の総ての場面の伏線である。
人情の温かい下町の家々に灯かりがつく頃、元気な「パンチ君」や友達。家路に就く。

私の三人の孫も もう少しすれば「パンチ君」になるかもしれない。と。愛読する。
引き続きの御連載。  楽しみにしております。




2004/12/10(金) 07:17

今朝の「新・人間革命」羽ばたき五十三。
深呼吸をして精読を申す。

幾万の人の「熱誠と熱誓と熱請」が この大殿堂に込められていたのか。身震いがする。

全く他人の御遺骨を平然と「慟哭の御遺族」に放り投げる某国の人非人の所作にも匹敵の殿堂破壊。
「人類悠久の平和を祈願する大殿堂たる正本堂」「死闘超克での完遂の偉業」「妙法の匠を刻印の顕彰」
云はば。無数の無垢の人の平和への血雫の如き真心の結晶。  これが「正本堂」だ。
これを、ヨタを吐きつつ冷笑で破壊したのが「禿人 顕」とその同類である。
三世の天・地・人は この愚行をば決して忘れはしまい。 「顕」と彼らの体中に赤き血は不流と断ずる。

腸(はらわた)が煮え刳り返る。




2004/12/11(土) 06:09

第44回本部幹部会(東京総会)の衛星中継は昨夜からです。
わたしの所属の圏は今夜。 
「Y本部長」『愚壮さん。同中後、各地区に地区栄光賞の授与があります』これが昨夜。
各地区部長さんに早速連絡を申す。  「既に地区婦人部長から聞いています」とは、どなたも言わぬ。

わたしは今夜も大役がある。 長女の先輩の「Kさん(副本)」の折伏対話の援護である。
「いままでも、何回も対話をしてきている」「あと一枚の壁が破れない」とは「Kさん」
「いや、なに。大丈夫。 わたしがきっと決着を・・」と約束して来た。
「Kさん」の大事な御友人 「そう、簡単には引き下がりはしませんぜ」

この「Kさん」時間の隙間に、愚壮宅で唱題に挑戦する。「先輩に結果を」と長女も同座であった。
リビングに微かに聞こえるテンポ良き題目 「どなたか お越しか?」と女房に聞く。
「Kさんよ。 娘と二人、ああして友達の入会をずっと祈ってる・・」を聞き知る。
除夜の鐘が「ゴン」と鳴っても、私の折伏の闘いは「一息入れる」事などは無い。  連戦こそ本望である。

さて、今日。孫の保育園で「餅つき大会」です。  大分前から長男が現場で木片を集めておる。
察し良く「餅つきの薪か?」に「オヤジよ、薪だけではない」「当日は運営をやる」
現場の大工さんが「薪なら、これを・・」と、わざわざ寸法切してドッサリとバスに乗せてきた。それが、今日である。

「じつは俺も・・」とは長男「俺も、餅つきのコツは心得てはいない」
「オヤジ、時間 開けよ」手伝えと長男は言う。 搗き手は若いお父さんが多いが「臼とり」が不在と言う。
「いぞがしいわい」とは云ったものの。 イソイソ。わしは行くだろう。
・・・と。  きょうは作業は「餅つき休日」である。  わしの「臼とり」は「空臼をつかせる」名人じゃ。




2004/12/11(土) 06:53

>>89 「教えて頂きたい・・」と、話は私が切り出した。


チクと、時間があるのでここで続きを・・・。
聞けば。この地に生まれて、この地で育った。と申される 「昭和5年生まれです」と言われた。
こう云う「地域の生き字引」の如き人との会話は滅多にないチャンス。と、重複させるが。
  
「時間は一杯有りすぎる」と、『初老氏』は、ドッコイショとブロックに座り込んだ。
「お聞きする前に・・私は昭和20年生まれです」「生まれは天王寺」と、まず。素性を伝える。
「お若いわい」との『初老氏』の世辞に「ありがとうございます」と素直に言う。

「ところで・・この、広い敷地。 何がありました?」と聞く。
「それは、あんた、 ひろ〜い鋳物工場が建っとったんや」と、云った時、時空は当時に戻る。
「鋳物の職工は、ようけ(多数)おった・・」「そこに」と、指差しながら話は続いていく。
「銭湯があったんや。 職人らはフルチン(素裸)で風呂屋まで走りよる」
「夏はのお、こっちの川で身体を洗いよるんや。 きれいな川やったんや」「川も無くなった」と言う。

「当時の工場は、みんな廃業したり、立ち退いたり・・昔は職工の街やったんや」
『空襲は、どうでした?』に、「そら、あんた。工場が多いさかいなあ。 グラマンが来よったがな」
「大阪の大空襲は、3月やったんや。砲兵工廠がやられた日や」    初老の少年がそこに居る。
『大阪の大空襲の日、わたしは「天王寺鉄道病院」に居ました。生後60日でした』
「あそこは(天王寺近辺)不思議に爆弾が落ちんかった」と、慰めてくれる。

遠き日に祖母は言う「あの空襲の防空壕で お前を腹の下に隠して 叫んだんじゃ」
「大日大聖 不動明王」と叫んだと、祖母は何度も繰り返し「少年愚壮」に語り部となる。

大晴天の工事現場の片隅での 二人の初老の静かな語らいに、 祖母が加わっていた。
わたしには、まだ、聞いていない事が有る。・・・と、会話続く。




2004/12/11(土) 08:07

大晴天の工事現場の片隅での 二人の初老の静かな語らいから、フト、目を移す。
長男達の作業は、黙々と、アレヨアレヨと進捗する。

この、総戸数80超の住宅新築工事は すべてが鉄骨三階で その基礎は頑強である。
今年の2月。第一号の着工でわたしたちは乗り込んで来た。
桜花から紫陽花へ、時節の自転と共に完成の新築に「入居の歓声」が波紋となる。

「今年も炎暑である」と、何度もの熱中症にわたしが悶絶したのも この現場であった。
参議院選挙も、そんな炎天での峻烈の戦(いくさ)であった。

この、広大な住宅現場に一筋隔てた一角に工場が在る。 
工場とは鉄工所。 建物の外面には 工場の歴史を彩るが如き暗茶色の鉄錆が幾重にも累積す。
「裸電球」が点る場内には、金属を切削する鋭音が鼓膜に突き刺さるが、人の気配は沈殿する。
「盛夏はさぞかし蒸れるだろう」とは、工場外面の錆色の「トタンの壁」が語りかける。

同じ敷地の北端に、やはり、これも外面に錆色の「トタン壁」を纏った二階建てがある。
「工場と同い年です」と、その建物はスレートの屋根を少し傾けて黙って語る。

上記の「真夏の法戦」の幾日も、 その「同い年」の締め切った二階の窓からの題目の声を知る。
「ああ、ここでも、闘っていらっしゃる」と、その度にわたしは鼓舞していた。
装いも刻々と変わる新装の街角に 「取り遺されてはいない」と、歴史を語る錆色の勇者。

「わたしには、まだ、聞いていない事が有る」と、わたしは「初老の対手」にお聞きする。
「この工場は、随分と古いですね」
「いやいや、ここはのう」と初老氏は声音を変えた。
「こう見えても、この工場の溶接技術は 日本で屈指じゃ。 2か3番じゃろう」 わたしは、身を乗り出す。
「潜水艦の艦体の溶接には、群を抜いておった」「今も、その先代の技術は生きておるワイ」

明日に夢開く新築への移転に沸く歓声に、「錆色の工場」は場違いに一見するだろう。
しかし「初老氏」は言う。 「胸を張って 此処に居続けても良い」  激しく同意する。
「いや、長く手を止めた」と氏は腰をあげた。  「奥様の足と腰、お大事に」と申す。
話の合間に「家内(奥方)の腰が良くない」をさりげなく挟まれたのを、私は聞き逃さない。
「これは・・ご丁寧に。 ありがとうございます」と「初老氏」は去り行く。

晴天に誇らしげの『錆色の勇姿』を わたしはもう一度凝視する。
「歴史を語り続けてください」との耳打ちに『錆色の勇姿』は黙然と微笑んだ。




2004/12/11(土) 08:37

それは、一陣の風が吹けば跡形なく消え飛びそうな工場であった。

それを「地域の生き字引の紳士」は こう言う。
『胸を張って 此処に居続けても良い』

建物とは ただ、そこに建って居るだけではないのである。
その、柱や床や梁や壁に 幾重にもの歴史と「継承すべきドラマ」が厳然 内在する。
ましてや「正本堂」に於いてをや・・・・。

「血の通った人には それが見える」  錆色の工場はそう言う。
私達の周りにも 埋もれさせて 埋没させようとする歴史が在るやも知れぬ。

耳目を研ぎ澄ませる。  「研鑽」の真意がそこに在る。
又もや、劣悪の文章をもって書き汚した。・・が、真意は真意である。




2004/12/12(日) 09:09

本陣東京。  「谷川総東京長」の勇姿は 眩しかった。
先生が「わたしも東京生まれだ」とは、本陣の持つ不抜の使命への楔だ。

昨夜に参加した「第44回 本部幹部会同中」
本陣に離れること200里余。 名も知らぬ小さな町の会館にも余波届く。
全地区に「地区栄光賞」の授与が 前圏長「S圏本部長」から授与される時、わたしは席を立った。

それは、この本年最後の同中に友人を誘われて来られて居る筈の「Kさん」を捜す為であった。
「同中と授与式と仏法対話。 仕事帰りに参加をしている友人には長時間すぎる」が、中座の理由である。
広間の中央付近のお二人は、はたして、授与式には同座を躊躇の様子であった。
「はじめまして」と、その友人の脇に正座したわたしは。 「ここは、混雑していますので」と階下に案内した。

ロビーの二つの円卓は既に満杯である。と言って絨毯に車座も失礼の極みである。
会館での法事などで使用する部屋がある。 ソっと扉を開けると空室であった。

礼儀も正しいその人は、わたしより3歳年下の壮年である。 
早速名刺を出される住所を見て、 わたしは驚いた。  「東京都大田区池上・・・」
感動の余韻覚めやらぬ先刻の同中で 先生は同じ地名を話しておられれいる。

隷書太文字の和紙の名刺の肩書きは「古来伝統芸能宗家」とある。 「どうりで品格があるわい」と思った。
品格と慇懃が同居する壮年を、はるかに年下の女子部が折伏をする。 見えない急所がここにある。

男子部が「この部屋で会合が有ります」と来るまでの30分。この友人を中心に6人の車座となる。
「Y本部長」「S婦本部長」「N支部婦人部長」「Kさん(副本)」「御友人」「愚壮」であった。

気の利かぬ男子部に急き立てられて場所 会議室となるも、友人の慇懃は色褪せず。
刻々の時間の空転。    「Kさん」の思いは彼には届かぬのか。  

わたしは彼に言う「先ず、信仰は有り得ない。との心の堰に貴殿は何故固執するのか?」
瞬間に変化の氏の表情を見逃すことは「Kさん」に申し訳がない。
「放っておいても痛くも痒くもないが それでも彼女は貴殿を放置しない」旨 言う。

「わかりました。心の堰には、正直驚き、反省する」
「もっと、Kさんの心を 深く感じるべきです」

ロビーに出る。 「苦労人の圏女」筆頭に女子部の面々が帰宅する事無く居る。
その「輪」に飛び込む「Kさん」の爽やかな笑顔が 印象的である。
わたしは「御友人」を駅まで御送り申す。   時刻は、もう遅かった。




2004/12/12(日) 10:08

陽光燦。 車椅子の「S老人」は病を得られていた。
御逝去の直前を知る由もなく 陽光は「S老人」優包に氏。恍惚となる。
「御病気。疾く御完治を・・」に「うん」と頷く日から数日の平成10年12月17日。
氏は逝く。  享年71。

本日の11時。 故人 7回忌会館法要。   導師「愚壮」 謹しんで合掌す。




2004/12/13(月) 09:45

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward. である。


ひろ様。 上記はわたしが常に心している基盤です。 けっして大上段に物申すのではありません。
そして、以下は、これも、けっして大上段に申すものではありませんが。
私が目指し、私が挑んでいる 私の本当の信心の姿勢です。
それこそ(御批正を恐れず 書くとすれば)『捨て身』です。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある・・・」とは、悲壮な一般の人生訓で、信仰者には不向きです。
私の言う『捨て身』とは、 一切を受けて立つ。との気概の堅固さを言います。
(受け切れたか否か。の結果を言ってはいません。  先ず拒まない姿勢を言います)

先生から私たち家族に戴いた格調高き短冊は、仏間正面の御本尊の次席に在ります。
先生はわたしに『健康長寿山・一家栄光城』と御書き下さった。

一度もお会いした事の無い先生は、僻地の片隅の「愚昧の壮年」に『健康で長寿であれ』と・・・。
私は何時も口癖の如く「人生。いつまでも平穏安穏ではない。 明日が在ると たれか保障する」
「今しかない。今日しかない。この思いで広布に走る」
「皆は、例えば・・あと250年も生きる心算かえ? もし、そうならノンビリやれよ」

こんな「捨て鉢愚壮」を先生は『健康であれ 長寿であれ』と御指導になるのです。
しかし、愚壮は思うのです。 「無為の長寿は愚である。と闘え!」と。

祖母が戯れ歌を謡っている。少年の私には意味 不明であったが。今は分かるのです。
曰く『明日在ると 思う心の 仇桜・・(後半 忘却)』
「明日は 疾く散る」「しかし 今は全魂で咲く」  男はこれでなければならぬのです。
例えば 寿司詰めの日程が出たとする。「これは無理。これは出来ない」御託を言うたらあかんわい。
男は黙って「よっしゃ。やりまひょ」 これでええんじゃ。と、思います。
 



2004/12/13(月) 10:17

>> 品格と慇懃が同居する壮年を、はるかに年下の女子部が折伏をする。 見えない急所がここにある。


翌朝。わたしは この気高き女子部「Kさん」に電話を入れた。
と言っても「直接の電話」では勿論ない。  長女に頼んで彼女の携帯に繋げてもらう。

「Kさん。 対話が実らずに相すまん。 このワシに力が無い故です」と申す。
「が、Kさん。 相手は必ずこの信仰をします。 彼の目が そう言っておる」
『わたしも、愚壮さんと同じ想いです。 諦めてはいません』と返ってきた。 そうでなければいかん。

サテ対手。古来よりの伝統芸能の宗家ともなれば弟子も多かろう。 そういう人にこそ「王道」が要る。
「先生」「師匠」と呼ばれている彼の「信仰に対する閉じた心の堰」は当夜 開いておる。

「Kさん。 今度(彼と)会うときは 入会宣誓書が要りまっせ」
Kさんの元気な爽やか声が 間髪を入れずに跳ね返ってきた。  
元気でよろしい。




2004/12/13(月) 11:32

私が自治会に携わるのは、もう、四半世紀も昔のことであった。
現在は自治会副会長として よろしく会長を支えている。と言う事を自画自賛と云う。
ワシの得意分野は 毎年秋の「敬老祝賀会」の司会である。
この、八方破れの迷司会は「爺」よりも「婆」の方に好評である。婆は皆、異口同音「娘時代を思い出す」と言う。

そんな 平成14年の「恒例の祝賀会」に見知らぬ男性御老人が来る。
当時(今もだが)「無冠の友」の地区婦人部長さんは 受付をされている。
開宴前の自治会役員は存外と多忙で、大舞台のマイクやカラオケのテストや記念撮影の段取り。
垂れ幕等の設営もある。市長や地元議員の祝辞祝電も多い。

面白いのは「予測のご祝儀」の貼り付けで 前年、御祝儀を下さった芳名を先に貼る。
これが、全部的中で、貼った紙を外した試しは今まで無い。  余談が長くなった。

受付の「無冠の友」の地区婦人部長さんが、「見知らぬご老人」を発見している。
多忙の私に駆け寄る彼女は言う「愚壮さん。あの御爺さん よく見ると 有○さんやわ」
「え!ほんまかいな」とわたしは驚いた。 「有○さん」は71歳。一人暮らしの壮年部員さんである。
「今まで一度たりとも 敬老会には来た事が無い」ばかりではない。 病を得ていらっしゃる筈。

宴席が始まってもわたしは「有○さん」から視線を外さない。それはまるで別人の如し変貌に、外せないのだ。
思い余って「何か起こったのか」と、わたしは彼に聞いている。
以下。次稿。




2004/12/13(月) 11:54

>> 「有○さん」は71歳。一人暮らしの壮年部員さんである。

単身の彼を歴代の地区部長は 陰陽と支え励まして来ている。
プロのタクシードライバーの彼は職柄 「時間が不規則でなかなか会えない」と地区幹部は悩んでいた。
無類の酒豪の彼は 帰宅即飲酒で、 そういう部分でも歴代の悩みは深かった。
酩酊が「なにしに来たんじゃい」との暴言を生む事もしばしばであった。

飲酒ゆえの職場の喪失も まま、有った。  単身の就職は「身元保証人」が要る。
他の同志は「保証人」は御法度と拒否をされている、は。 会則通りで正解。
しかし、「職が無くては食えぬ」とわたしは印を押す。  
不思議な縁が動き出した。

「敬老会祝賀会」で彼は その恐ろしいまでの変貌を見せに来る。
「お酒。 お止めになれないものか」「このままでは、 駄目になる」
諌める私に彼は言う「愚壮さん。 
今日は飲みに来たのではない」「あなたに礼を言いに来た」
生存の氏との最後の会話であった。

平成14年の晩秋。「無冠の友」の機転は氏のお宅の異変を知る。
第一報は愚壮に来る。以下、市議。保険所。警察。と伝道する。
以下。次稿。




2004/12/13(月) 12:12

>> 「有○さん」は71歳。一人暮らしの壮年部員さんである。

警察官の同道は、状況から最悪の事態が容易に予測されたからであった。
が、氏は生きていた。 が。 重篤は一目瞭然である、と。異臭満つ。
「身元保証人」は「身元引受人」でもある。  わたしはその日から氏の親となり親族となる。
「開放性結核」との病名は 同室した数名の精密検査を誘発するが、わたしは怖くはなかった。

枚方の専門病棟に彼を見舞う日々にも、氏の記憶は宙を彷徨い続けた。
その年の暮れ。「K病院」から一報があった。   訃報であった。

訃報の時。既に彼は荼毘にふされていた。 
「そうしなければいけない病状です」との病院の説明にわたしは申す。
「お手数を掛けました。 誠に 有難うございました」

平成14年12月13日  御逝去。  享年71歳。 
今日の三回忌。わたしは仏前に「お酒」を供える。
「有○さん。 今日は腹いっぱい飲んでいいからね」      合掌。
(追伸。 故人の地区の同志の人よ。 今朝、彼に回向をされたか?)




2004/12/13(月) 12:54

>>(追伸。 故人の地区の同志の人よ。  幾人今朝、彼に回向をされたか?)


上記は悪意ではない。
例えば・・・結集にいく 連絡に行く しかし、ナシの礫である。
手間が掛かる 歓喜が無い 感謝が無い 世話が焼ける 文句を言う  放置する。

吹き溜まりの人生に疲労困憊の同志が居る。 其処に行く。これが基盤である。
たれもが見放した人を 一番に護る   これが本筋だ。
「幹部に揉み手をする輩」が、仮にも居たとする。   反吐が出る。

池の風下に立つ。 無数のゴミが浮く。
獣の屍骸が在る。 得体に知れない瓶も在る。使用後の浣腸が浮く。
が、しかし。そこに糸を垂れてみる 魚影濃し。

たれかが言う「学会は病人と貧乏人の集団である。
これこそが 学会の誇りである」
会合屋 学会屋には 一生わかるまい。 
 原点を忘れては申し訳があるまい。




2004/12/14(火) 11:01

>>座談会でしか味わえぬ「最高のぜんざい」を「先日は遅くまでありがとう」と置く。

今、彼女は「餅も付けてある。奥さんに暖めてもらってね」と言われて帰られました。
ワシは嬉しくて 泣けて 泣けて 仕事にならんのである。 
「Y本部長」へ。  彼女には何処から行っても 勝てやしませんね。』

二回目の「ぜんざい」が来た。 餅もちゃんと付いてある。
容器が又、おもしろい。と言うか 突き詰めれば「感動の容器」になる。
この容器は使い捨てで、一度使うと もう使えない。
「超人の90歳の老婦人」は・・・『こうしなければ お返しを入れて持って来るでしょ』

計り知れない真心の「ぜんざい」を、どうして空で返せるか「礼儀」は尽くし切るから「礼儀」である。
「計り知れない」逸話が「超人」にはある。 
12月1日から21日まで。 無事故を期した闘いの初日。「超人」は勇んで遂行された。
文字通り「計り知れない」  桁が違う。

夫を大戦で亡くされ 御長男が早逝される。 「呪われているのか」との艱難の連続、とは彼女の邂逅である。
齢(よわい)90の今。 「夢のような人生です。 これ以上。望むものは無い」と言い切る。

「愚壮を見ると、息子に見える」との満面の笑顔皺。    
これこそが、わたしへの最高の「訓示」だ。 
彼女こそ、地区の。支部の。 否。学会の宝である。

余談であるが・・この「超人」宅の電話機。 あの懐かしい「ダイヤル式 黒電話」
「プッシュは 性(しょう)に合わん」と、今もピカピカである。
もひとつ。 彼女はお化粧が上手だ。 いつも綺麗に口紅をされている。
「おい。よく見習え」と、わたしは妻に言うが。この時は、妻。反論せず。

ともあれ「二回目のぜんざい」を、 深く深く味わう愚壮です。
 (誰にも分けてあげないからね〜〜だ。)




2004/12/14(火) 11:08


>
>文字通り「計り知れない」  桁が違う。

桁とは・・・ 月極駐車場で抜いてある番号じゃ。   
「少しは見習え」と、自問自答す。




2004/12/14(火) 13:01

>>2004/11/04(木) 11:37 今夕。 未弘教であった地区の入会がある。
新任の「白ゆり長さん(女子部卒業 一年生)」 突破口を開かれる。』



先日の中級試験の合格に伴う認定書が昨夜支部に届いている。
「助教授補に任ずる」  合格者へは座談会で賞賛しつつの授与となります。

この認定書の中に、ふたまわり大きな認定書が在る。
「教学部 教授に任ずる」とある。   
これこそが「剣豪の証(あかし)」である。
授与者こそが。 >>1 の「白ゆり長さん」です。 お若いのに立派だ。 

我が支部には 上記の如き人が「群立」している。  『青年 拡大』瑞兆。




2004/12/15(水) 08:26

奈良の小学生殺人損壊遺棄事件。 続報惹起。

悲嘆の母親に無残の御遺体の写真と「娘はもらった」とのメールを発信する。
この鬼畜が 再び動いた。  「今度は妹をもらう・・」 下劣の極み。  一体これは何事か。

御遺体を損壊する行為は いかなる法にも「免罪」の選択はない。
ましてや「今度は・・・」と書ける所業には、 もはや更正の糸口などは無い。

被害に遭われた方を、どう御慰め出来るのか。 総ての人がこう思う。
いかに抱きしめ、共に啼き、共に打ち折れても。 お母さんの慟哭は続く 生涯と、続く。
そこに「今度は・・・」と追い討ちをする。  鬼畜さえも躊躇する行為である。

「平群」「王子」とは、  奥深き歴史と 穏やかな人情と 静寂なだらかなる風土を言う。
断じて許さない、否。許される部分など芥子も無い。  憂鬱の極みである。




2004/12/15(水) 08:58

「香峯子抄」が発刊される(主婦の友社)
この吉報に 一番素早く反応したのが 愚壮であった。

「なんでやのん?」と妻は言わない。
「ほな(通解:それなら)二冊頼むわ」と言うのも妻。
「あほちゃうか(大阪式:一切悪意なし)二人の娘にも持たさんかいな」最少 五冊でしょう?

豊富なエピソードと未公開の写真満載とか 手にする日が待ち遠しい。
発行所となる「主婦の友社」の社長は「良書を世に出す事こそ、私の使命(概意)」炯眼である。

今朝の聖教新聞の「破邪顕正」は言う。
『社会を真に思うなら、インテリ特有の自尊心などは捨て去れ』
『三代の稀有の師匠の人間愛に呼応した一千万の民衆の大運動に学べ』
『そうしないと、いつまでも創価の威光に呆然と「空を斬る」ばかりである』

オムツの取れない学者殿よ。義理での聖教購読ではなく、よく読み、よく噛みしめなさい。
これこれ。そこの政治家。 お前も入っとるんじゃよ。




2004/12/15(水) 11:56

今朝は聖教と同時に「SGIグラフ」も届いている。

大白やグラフの配達が加わる朝は 「無冠の友」には労 増す。
夜も明けやらぬ戸外での仕分けをする「無冠の友」もあろうと察する。

投稿は、ここから危険水域に入るが・・・。
その「SGIグラフ」。  縦(たて)に折り曲げてポストに投函される。
「折り曲げてはいけないのに・・・」と妻は言う。  意味はわかる。
「意味は 解からんでもない・・が。 そこまで言えるか」と思う。
「毎朝。暗いうちからの 広布の先駆けが聖教の配達である」
これを聞いた妻は黙する。
折られたページを いとおしげにソッと逆に折る妻、が。 
折り目は「微かに」と残る。

折り目を付けては読者が困る。  
これも事実である。 特筆、今号の折り目は困る。

「困る・・と、無冠の使者に言えるのか」答えは 否。

何のための俺なんだ。日々のありふれた流れの盲点に反省をしている。

なんのために地区部長は居るのか。 地区部長ならずとも、昼間在宅の地区、支部幹部は多い。
当然の予測は簡単の筈。  「グラフ」は昼間に手渡しましょう。が 何故出来ぬ。
と。書くと叱られるかしらん。      

『角(つの)を矯めて 牛を殺す』は文言が不適当ではある。 しかし、これが正解である。




2004/12/15(水) 12:41

「SGIグラフ」に秘蔵の写真が掲載されている。
(グラフSGI」が正しいが・・)

学童の集合写真の前列 左から四番目に「師匠」を見る。
当番か週番か、腕には腕章が見ゆ。軽く握った両の拳(こぶし)の中の遠大な御使命 知るや知らずや。

三人の友との青年期の写真。 中央の若き日の池田先生は帽子が目深である、が。
わたしはそれよりも偶然か否か 磐石の構えに息を呑む。 
その、左の膝が地を掃きつつ弾みを持ち 右の膝は ほぼ垂直にあるが次の踏み込みを感ず。

顎(おとがい)を正面に据えた眼差しは「居合い抜刀術」の刹那の冴えを見る。
わたしは素人であるが そう見えている。

「長兄と分かち持った 一枚の鏡」
同じ紙面の左上。  御父上と御母上の「陽光の縁側での一葉」。
わたしには この写真が「吹雪の深夜 愛息を送り出す 厚田の御両親」に重なる。

ともあれ、大事な句読点の本誌である。   折り目が良かろう筈が無い。




2004/12/16(木) 06:50

「たばこ屋ノブちゃん地区座談会」は昨夜。
「年間を通して 総ての座談会に参加してくれてありがとう」とは全地区員さん。
年間通して参加の勇者。とは。 未来部の子供達。

新任圏長の勤行から、ちゃんと参加して、「常勝の空」の合唱にも歌詞通りにきっちりと歌う。
『・・この御妃こそ、妙音菩薩の前世の姿でした・・』とは 力作の紙芝居でした。

紙芝居の途中から「ゴソゴソ」とやりだしたのは 「N圏長」
かばんの中から 色とりどりのキャンデー。 「これしか無いけど ご褒美です」
「紙芝居が言えなかった チビちゃんにも分けてね」と手渡す。  

久しぶりに見る「壮年副B長さん」 頭を掻きながら「職場で仏法対話はやってます」
教学試験に合格した「錦宝会のご婦人」は御書が好きになったと申される。

路地から路地へ 迷路の町の座談会場には間断の無い歓声が巻き起こる。
地区婦人部長の「Yさん」は 若さと美貌が売りであるが、今夜は殊更に美しい。
「ノブちゃん」の御書講義も大阪弁まるだしで完璧である。浪速の四条金吾が登場する。  

けっして広くない拠点会場。  ここから幾人の逸材が巣立ったか・・と天井を仰ぐ。
圏長の話題は「雪山の寒苦鳥」
『お話の前に・・愚壮さんが寒苦鳥のプロフイールを紹介します』は藪から棒の即興だ。
わたしは即。この「夫婦の鳥」が毎夜 寒に責められながらも遂に生涯 巣を作らず。を講談する。

「たばこ屋ノブちゃん地区座談会」みんな大喜びである。  ますます会場。熱気に満つ。
「良ちゃん」は地区部長の奥さんであるが・・彼女の得意の美味しいコーヒーは 又、出る。
「わたしが 勝手に出してんねん」と必ず出されるが。  ほんと、美味であった。




2004/12/16(木) 18:01

景気の回復は、 言うほど良くは無い。 こんな報道が今日あった。

時給換算二万円 年末賞与603万円の御仁がトップに君臨しておる間は
一般の庶民は 冷や飯じゃ。  その分、政治家の諸先生方は、暖かい御飯じゃ。

愚痴と聞いても良い。実情を書こうかえ?大議員殿。

物造りの下請け業者が 国の経済を歯を食いしばって支えて居る。 このくらいは解かるはのう。
「出来高払い」も、見当がつくだろうが。  その「出来高」が厳しいことになっておる。

絶対出来高数値とは、我々の場合 その殆どが人件費じゃ。(殆どが支給材) 
全部請求するのは当然とは思わぬか? 議員殿。
ところが、実態はこうじゃ。   
「請求高は全額の9割です」  「支払いは 締切日から40日後ね」 「わかった?」

どうだい 驚いたかね?  (ドブ板を踏んで たまには路地裏に降りて来いとは、この事じゃ)   

みんな我慢強い。 負けてたまるかと頑張ってる。 智恵を集めて乗り越えている。
しかし。ワシなどの年齢になると 危機感のほうが「なにくそ!」に覆い被さる。

精神の部分では負けはしないが、小さな子供や 学生を抱えている人や 親を見る人は。それは・・必死だ。

・・・・・これは。いかんわい。   辛抱しきれんで書いてしもうた・・・。

「おし!」気分一新。
今夜は「老兵は去らず地区」の座談会。 わたしも勇んで参加をする。
今日の拠点は 新築の「Mさん」のお宅。  仏間の家宝は 「師匠直筆」の大揮毫である。
なんどもお伺いするたびに、 深呼吸をして拝見している。   

『誓』とある。   墨痕は鮮烈で勇壮である。




2004/12/18(土) 12:57

>>116「おし!」気分一新。

今夜は「老兵は去らず地区」の座談会。 わたしも勇んで参加をする。 』

直後から体熱 沸騰す。    結局16日は一睡もままならず苦しんだ。
医者の開院時間を待って(自分から)駆け込むが  高熱と喉の炎症に参りました。

(自分から)とは、悪くなってもなかなか医者に行かない 私の悪癖でしたが。
放って置いても 苦しいと ちゃんと行くようです。

昨夜も 熱は下がりません  
かくて。入会35周年は「ヒイヒイ」言うとった・・と思い出になりました。

昨日も今日も「抗生物質」の点滴でした。 喉の炎症くらいで「連続で抗生物質」
こんな訳で・・書けなんだが。 

わたしの投稿は既に。 「今度は何 書くか」との人 多いのです。
会館で会った時の「下向き加減でわかる」

政治家に なにも・・利益誘導をもとめちゃあいません。
「緊急手術」の人には栄養剤は不要で、 今飢える人に レストランのメニューも不要。

「ドンピシャ」と たれもが納得の打つ手を打ってほしいのです。
『これ、 聞とるんかい 代議士先生』と、言いたくも なりましょう?




2004/12/18(土) 13:25

体調を崩してしまった この一両日。  ここだけの話 実は「ショック」で落ち込みました。
大切な「二つの座談会」への不参加。  私としたことが、と。本当に「シュン太郎」でした。
そんな私を、たれか鼓舞してくれよ。影の声が「愚壮よ 汝 足下を見落とすか」



2004/12/18(土) 13:51

これは今 気が付いた。
私の携帯に「メール」

12/17 11:07
「入会記念日 おめでとうございます」  妻からじゃ。 
「・・・・・。」です。    分かって下さい。

実は・・昨夜。「ちょうど、いま時分 御本尊様を戴いていた(のに)」
(のに)と落ち込んだ。    とに角 完治が先である。




2004/12/18(土) 21:30

読んだか読んだか。今日の「羽ばたき」    
す、すごい「正本堂」だったんだ(・・と、プロの愚壮が言う)

『万年不壊』 「顕」は とんでもない建物を破壊しちゃった。
「顕」一族の上七代下七代、何があっても わしゃ。知〜らんぞ。
・・・また、熱 出てきた・・・。




2004/12/18(土) 21:34

もう一言・・・。
入会35年、まだまだ「ひよっこ」と心得ており申す。




2004/12/19(日) 11:47

熟睡した。 このまま死ぬんじゃないか、と。熟睡した。

最高の目覚めである。 わたしの寝室は三階の東南角の和室。 
陽光は満々である。
一切の家具は(かの震災の恐怖の映像で学んでいる、と。 設計段階から全収納式)無い。

和室は六畳。静かな寝息。「妻も疲れているであろう」・・と。
静かな朝であった。
障子紙に投映の影の動き。 朝は、この「公転」が存外に見える。

じっと目を凝らし 確かに移動する「日輪」を感じている・・・と。
「おとうさん・・」眠っている筈の妻が 声を掛けた。
「おとうさん、入信して もう35年やねんなあ」
 (ありがとさん。 あなたのおかげです)
「私は 来年の6月で47年や」
 (ハイ。存じております)
「何年たっても この差は 縮まれへん」
 (これはあなた。なにを言う気じゃ)
「私が入信してから おとうさんが入信するまでの12年間やけど・・」
『はい』
「いろんな屁理屈こねながら 逃げててんなぁ」
「12年目に とうとう捕まったんや。 わたしに・・ フフフ・・」

『その節は 誠にお世話様でした 生涯 御恩は忘れません』と。
自発能動 言わされた。

どなたかの『ふふふっ』  が、
今朝のうちの山姥の「・・フフフ」と重なる。 熱。ぶり返す。



2004/12/20(月) 06:37

  『幸の足音』(さちのあしおと)   1997.4.2 by,N&Y
@ 旭日(あさひ)に輝く あなたの笑顔。  地域の友に 希望をはこぶ。
  耳をすませば『ホラ』 今日も聞こえる。 弾むリズムに乗って『幸の足音』
  明日に開いた「夢」 ○○○○の同志(とも)。

A 知恵と勇気が 漲(みなぎ)るパワー。  地域の君に 情熱贈る。
  汗にまみれて『ホラ』 今日も往きます。 友のしあわせ願う『幸の足音』
  熱き友情「愛」 ○○○○の同志(とも)。

B あなたと私が 誓った未来。  雨や風にも 負けない心。
 ※明るく楽しく『ホラ』 虹の彼方へ。  仲良くスクラム組んで『幸の足音』
  世界に駆ける「今」○○○○の同志(とも)。     ※くりかえし

今夜の地区討議 明日の支部討議で、わが支部の本年の日程は終了する。
上記の曲が「支部歌」と脱皮した日は何時であったか・・ 思いを巡らしているが。
ともあれ我が支部はこの歌の通り、いつも「無冠の友」を先ず一番に讃えながら、今年も闘った。
そしてまた、大切な拠点を御提供の同志を 一番に感謝を申し上げつつの闘いであった。

この語り尽くせぬ感謝を胸に 本年の有終をば無事故で飾りたい。 
掲示板に集われた皆様の御地元も、無事故でありますように  祈ります。




2004/12/20(月) 08:19

昨夜「Y本部長」から電話が入った。 歩きながらの態、との内容は以下。
『愚壮さん お身体は如何ですか。』 本部長を煩わせる愚壮とは・・。

『今、面接が終わりました。新年勤行会で入会されます。おめでとう』と申される。
事の進展を即、携帯で報告の長身の闊歩が目に浮かんだ。

「本部長、同行が本筋ですが出来ていない。 面接。如何でしたでしょうか」が抜けている。
それでも『熱は下がったか 痛みはとれたか』と気使う「Y本部長」である。 勿体ないと思う。

昭和32年生まれの氏。 多忙の自営業は「低迷の関西」との俗説を「御自身の四力」で跳ね飛ばす。
その「四力」の顕現とは、一体 何処に在るのか。  深夜に臨む「伴侶を求めぬ祈り」か。  
「陰に徹する」「徹しての激励」「決して言わぬ愚痴」「絶対言わぬ他者批判」

妻は言う。「Y本部長は どんな会合もそうだけど・・いつもニコニコと黙ってみんなのやり取りを見護る」
証左が有る。    年間を通しての座談会は「Y本部長」の獲り合いから始まる。  部員さんは全部見抜いている。

さて、私語。 「寛人」が発熱で保育園を休むとか。 久しぶりに「利発」と会える。
その前に 9時になったら わたしは医者に行く。




2004/12/20(月) 14:28

>> 久しぶりに「寛人」と会った。

医師は「・・・去年もほぼ同じ時期に同じ症状で診ている」と教えてくれた。
「?」と思った。  先生はカルテを見つつ「憶えてないな」と言う。

「唯、今回のほうが 質(たち)が悪いです」「炎症がきつい」との意である。
「血液検査は 正常だから・・」『正常で質が悪いとは 話にならんでは無いか』と思う。

「寛人」は「おかえり ジィジ。 熱 有るん?」と迎えてくれた。
もう、既にキッチンの大テーブルの上はプラモと色紙と折り鶴で溢れていた。
『1時から会合がある。ヒロを頼む』と 二皿の握り飯を置いて妻は外出した。

「もっと食え」を無視する如く 千羽鶴を懸命に作る「寛人」は木綿針を器用に扱っていた。
仕事専用の電話機を手元に引きつけて、話し込む。

「ノブ? 伸は此の頃 自分で起きて「オシッコ」してるねん」と、弟を擁護し
「ねえちゃん(明日香 7歳)は、いつも勉強してるねん。おとうさんが『もうやめとけ』言うてもするねん」
『おまえは どやねん』に「ぼくも はよ(はやく)がっこいきたいなー」と話は弾んだ。

『捨て身』も格好が良いが愚壮よ。と自問する。
「長生きして こいつ等の晴れ姿 見なければいかんわい」『それは、わかっとる・・』は自答。

今日 医者は「明日から三日間は来院の必要は無い」と言った。   もっと健康に留意しようと思っている。




2004/12/20(月) 18:00

>> 『幸の足音』(さちのあしおと)   1997.4.2 by,N&Y


この曲について 今少し語たらせてください。
「忘れ得ぬ風景 U」で、私はこの曲の事を『基調はイ短調に近い旋律』と書いている。
途中の長調とは『幸の足音』と歌う部分のみで その後を又、元の調子に戻している。
愛唱を願っての 当時の地区部長と地区担との力作である。

全くの偶然ではなく この曲の完成の日を 4月2日と私は決めていた。
決めた理由は 第二代戸田城聖先生の 【「歌」とは こうあるべき 】を知るからであった。

師匠が『我が師匠を完璧に語り尽くす』  この大難事を教えてくださった書籍が在った。
『戸田城聖先生の魂魄を 文字に刻んで蘇えらせる』とは 本書の「序」であり。
そして、その本書とは、『随筆 人間革命』であった。

本文を謹んで転載させて頂きます。
『(戸田)先生は、民族の興隆にはかならず歌があったとして、よく歌を歌わせた。
学会には、さまざまな歌があり、それぞれ歌いたい歌を、自由奔放に歌ってきたのである。
学会は信仰の純粋性と、広宣流布の行動については真剣であり、激しさもあったが、
あとはいたって自由である。・・(後略)・・』

当時の愚壮が、当時の地区担に言う「地区歌を創ろう。それも、配達員さんを讃える歌を」『大賛成!』
こうして生まれたのが「幸の足音」であった・・・私は実は、これも言っておきたかったのです。




2004/12/20(月) 20:59

私の遠い遠い昔。 祖父はこう言った。  これは鮮明だ。
「アキよ、 エエか? 本を読め 本を読むんじゃ 本を読まんと、つまらんぞ」

今日、私は「寛人」に言った。
「ヒロよ おまえ 本 読んでるか? 本を読まなあかん」
「なんで」と聞くので こう言った。
『本を読まん奴は しょうもない人間になるんや わかったか』

きっちりと私を見て「うん。ヒロなあ 本 読むで」と言いおった。
「そうか。それでええねん」 54歳の年の差を超えた約束を彼は守るだろう。

わたしの読書好きは 今も延々。続いている。
行きつけの眼鏡屋の主人は言う。「愚壮さんみたいに 眼鏡を歪ませる客は おりまへん」

フトンに入って昨夜の続きを読もうとする瞬間以上の至福の時はない。
左手の親指だけで 見事的確にページを繰るのは わたしの特技だ。

そのまま寝入る時は 夢で続きを読んでいる。(当然、全く本文とは違っているが・・・) 
目覚めた時にも最後のページに 件(くだん)の親指はシオリとなって、そのままでおる。
こうなるまでは 相当の訓練が必要である。 が。 眼鏡は歪む。これが課題ではある。

余談だが。旅行等の際の相部屋の人は 読書の照明を落さない私に閉口する。
ま、本は 読むに越したことは無い。  但し。 良書。




2004/12/21(火) 09:59

拙宅の玄関、と言っても。さほど広くも無い。
密集住宅地の一角の 約80uは、地区。支部の拠点として懸命に使命を果たす。

その我が家の狭き玄関には、三枚の絵画が飾って有る。
『第九の波濤画』は今年2月 神戸国際友好会館で開催の『波濤展』で求めた。 これが玄関の右側。

正面の油絵は、当地が新本部としてスタートした折の、初代本部長御自身の力作である。

鮮やかな深海の藍色と緑を全体に敷き詰めた背景に 白桃と咲き乱れる「コスモス」は開花が26茎 蕾58。
極彩色の構図に、作者の遠近への束縛の苦悩意識などは 全くは無い。 メルヘンでは、言い尽くせはしない『夢』満載。

三匹の乳牛が牧草を食む・・。池のボートの二人の少女と丘の家。 ウサギを抱く少女。 草の中のバッタ。
蝶の髪飾りの正対の少女。彼女に語りかける大型犬。 白樺の柵木の上の少年。 それらを包み込む藍緑の「幻想曲」 

2000年9月10日と記載の絵画。 私は見るたびに、その「コスモス畑」に飛び込むみ、少女と語る。 
吉田前本部長の力作であるのに、氏は銘を入れず。  ゆえに『正面にこそ掲げる』

小さな「上り框」の左面は廊下の端部。ここに最近 新しき一枚の大画が掲げられた。
贈呈してくださったのは「老兵は去らず氏」  この贈呈には少しのドラマがあったが、後述としたい。
さて、この『大画』のモチーフは 「人居ぬ浜の老帆船」である(油絵)

「KOUTAROU」との画伯名が左下に 認む。   以下。 次稿。



2004/12/21(火) 10:23

>> 『本を読まん奴は しょうもない人間になるんや わかったか

  きっちりと私を見て「うん。ヒロなあ 本 読むで」と言いおった。
 「そうか。それでええねん」 54歳の年の差を超えた約束を彼は守るだろう。  』

今朝の聖教新聞の「名字の言」を見て 私は胸を張って妻に言った。
「おい、読んでみい。 ワシ。昨日 同じ事を「ヒロ」に言うたんじゃ」(どうじゃ。偉いやろ)

妻は言う『あ、そ〜う。でも・・「ヒロ」は もうとっくに 本、読んでるでえ』
『あの子、ほんまに本が好きやねん』 『知らんかったん?』  「・・・・・」

なんや。俺の知らんところで 物事はもっと前進してるやん。 「あほくさ・・」

気を取り直して書けば・・。その「ヒロ」 今日は元気に保育園に行ったそうな・・・。
(でも、なんかチクと淋しい愚壮でした。   お わ り )




2004/12/21(火) 18:17

>>136「KOUTAROU」との画伯名が左下に 認む。


もう、幾日も以前 私が「老兵は去らず氏」宅を訪問した時に、氏の事務所の正面に傑作の絵画を見た。
それは、ダイナミックな構図の写実絵画で 殊に光彩の陰陽が鮮やかであった。(油絵)
「すごいな〜」と見惚れている私に、 『どうです、すごいでっしゃろ?』とは「老兵氏」
『どこか、分かりまっか』 「どこか・・て、これ、中之島中央公会堂やろ?」 『ピンポ〜ン、正解!』と言う。

「正解て、あんた。誰でも分かるんちゃうん?」 『いや、みんな よう当てへん』・・・

和32年7月17日は、『大阪事件』  これは草創の同志の 否、全学会員の魂魄に留まる「不敗の原点」だ。
無実の池田室長を捕縛した権力と、真っ向からその瑕疵なき正義を振りかざした舞台である。
「中之島中央公会堂」とは、見事なる緑青噴く重厚の銅葺き屋根と豪壮なる赤煉瓦が 歴史を語っている。

「コウタロウ画伯」の絵画は、これを南側の大川の水面付近に視点を定めて細描している。 「稀有の描写」である。
確かに、普通では見ることの出来ない「公会堂」ではある。 しかし、勇姿はあくまでも勇姿であった。
「欲しい」と思った。  気色に鋭い氏。 『やれへんで(あげないよ)』と先手を打った。

『そのかわり・・』と、「人居ぬ浜の老帆船」が登場するが、支部討議があるので次稿とする。

「コウタロウ」読める画伯の絵画。 これも不思議に何かを語る。




2004/12/22(水) 14:05

>> 「末法無戒」と、禁句連発の手荒い友人の祝福に 花嫁の母上の感涙あり。
聞けば、お父上を無念にも早くに亡くされ 「母上」女手一つで今日の勝利を勝ち取られた。

高砂の座。鳳凰の如き優雅なる花嫁を遠く見るに 「母娘」での艱難の面影 皆無。

圧巻は新郎新婦共通の恩師からの「実書き肉筆のメッセージ」であった。
「関西総会」の余韻すら漂う式場の 総数百数十名歓声となる。

定刻を大きく過ぎた「饗宴」は、花嫁の「母」への手記を読む時 数度目の感動の波 頂点。
新郎から義母へ 新婦から又義父母へ 一輪の花が胸に舞う。

感動の帰路「あいつは とんでもない実証を自分の手で勝ち取った」と長男は言う。
「そのとうり! それ以上の言葉で 今日の感動は言い表せぬ」とわたしは叫んだ。』


今日の聖教新聞五面。  『嫁ぐ日、和楽の信心は母から娘へ・・・』
わたしは、食い入るように紙面を読む。  あの日の感動が再び胸に迫る。

世界一の花嫁を手中にした誉れの甥よ。 一人の父と二人の母上を断固死守せよ。
「指一本 魔に触れさせるな!」  叔父。愚壮の遺言だ。




2004/12/22(水) 15:58

「コウタロウ」と読める画伯の絵画とは「人居ぬ浜の老帆船」 

縦寸 550  横幅 640 この名画には、一切の背景は無い。
画面全体に降り注ぐ「紗」の如き細粒は 微かに黄金色が掛かっているが基本は「紫色」が勝っている。
『太陽は どこだ』 老船の陰影は、 流砂に飲み込まれでもしたのか、と。消え失せている。

「老帆船」は二艘で海側の方が、やや小型で用途は漁船。 
両者の帆は「毎日の作業」と漁夫が手際よく帆柱に巻き付けている、と。絵でもわかる。

船底に敷かれた輪木は帆船を支えるが、 特に左のそれは、巨体の船躯に閉口する。
そのガッシリとした船尾の重量感と優しい乾舷の曲線。 私には老船たちの会話すら聞こえる。

「今度はいつ、海原へ出て行こう」  水平線は「黄金色の紗の緞帳の向こうに在る」と言う。
舳先に無造作に垂れ下がる「瓶浮き」は「風が止んでいる」と。喋らない。

『何処かで見ている絵だ・・・』と。長嘆 わたしは廊下の端に立ち尽くしている。
「三芳悌吉画伯」  小説「人間革命」の挿絵を7年間描き続けられた屈指の人である。

私は知識が愚昧である・・が。 もし、三芳画伯御健在であるならば 94歳。と憶ゆ。
とまれ、 「老帆船」を見続ける脳裏に三芳画伯が閃いたのは 事実であった。

拙い本棚をひっくり返した。  
牧口初代会長が盛夏の伊豆で司直の虜となられる。  初代が路傍の小石を「ハッシ」と蹴る。
この折の風景は、 人間革命の文章を通して 炎暑を我が身で感じつつ読破している。
「あった!」  昭和18年の伊豆。須崎   雄大な大洋に向かって砂浜に沈黙の二艘。

『ここに在ったのか』との感慨は うそら寒き廊下でも 熱き感動を呼び起こすのであった。
「コウタロウ」と読める画伯は  「人居ぬ浜の老帆船」をどう感じて描かれたのか ロマンである。
「老兵は去らず地区部長」は言う『画伯は ワシの友人じゃ』  人脈とは妙かつ不思議な人脈ではある。




2004/12/22(水) 16:16

>>今日の聖教新聞五面。  『嫁ぐ日、和楽の信心は母から娘へ・・・』
わたしは、食い入るように紙面を読む。  あの日の感動が再び胸に迫る。  』


厳粛な仏前での誓いに続いて 「親族一同集合写真」が撮影。
「多すぎて はみ出る」とはプロの嘆きであった。

大騒動で撮影が終わり 披露宴までの少憩に わたしは花嫁京子さんに声を掛けている。
「今日の喜びを たれに 伝えるのか」
『池田先生です』 電光石火。  一瞬の迷いもあればこそ。 即答されている。

今日の紙面も 愚壮大事の歴史書となった。   「いっぺんに 体調がもどったわい」




2004/12/23(木) 05:43

>>「老兵は去らず地区部長」は工務店の社長。  それが今朝「社長」として来訪する。
大東市で住宅の外構工事(本体に付属する雑工事をいう)で「ややこしい門柱とややこしい壁」とか。
「工期が無い、なんとか仕上げてくれ」 「よっしゃ、わかった。見に行こ」と行ってきた。  』


『ややこしいで〜』と「老兵氏」が言う門柱は今日、基礎工事。
地元会館を南に行くと、まだこのあたりは40年前の風景が残っている。

「河内蓮根」として名を馳せた当地。 
「途中隔てるものが無く生駒連山まで見渡せる・・」少なくなってしまった場所がここに在る。

「もうすぐ、その風景も消えるだろう」とは、「緑立つ道」との高速道路工事の槌音が響く。
そこを抜けると「大東市」  現場はもうすぐそこである。

長男は「オヤジよ、無理するな 若いの連れて行け」『やかましわい。ワシひとりで充分じゃ』と行く。
弁当が降りて来次第、出発じゃ。

「無冠の友」は既に来られたが    風がある。
厚い雲は南東に流れている。 
もう一度車庫に入るのは、忘れ物が無いかの確認である。
   バスは、黙って私を待つ。




2004/12/23(木) 05:49

いま一言。 御祈念の際は、当然過去帳を見つつ 鈴を打つ。

今朝は「新潟中越地震 平成16年10月」とある。
御被災地、 厳しき季節と聞き及ぶ。  無言で祈る。




2004/12/24(金) 07:38

>>「真を偽」として 「無いことを有る」として 「正本堂」を灰塵としたのが「顕」だ
猿智恵の老臭の「顕」は実にいろいろと「世紀に遺こる難癖」をぶち上げて破壊を実行する。
「師弟の道」を最も重要視し 先師を踏襲する世界が、洋の東西「出家」であった筈。

「顕」には「先師 日達法主」を師匠とする聖職者原点の息吹など 毛ほども無い。
かの有名な「たるべき・・」との慶讃文は「二重の限定形」で「茶々」を入れる隙間が無い。のに入れる。
ここ数日の「新・人間革命」を客観的に読んでしても 「地震で倒壊の危険性」など 有るわけも無い。

「顕」とその一族は今。「新・人間革命」の連載に 恐れ慄く。
「極秘資料はもっと後世に出てほしいのに・・」と、今又 講員への「重複の嘘」を考えている。 』

※「たるべき」は『予想』だ。 これが、老醜と老臭の「日顕」の強弁である。
「たるべき」が 『二重の確定』とは無学の愚壮でも知る。 特筆が「べき」である。

『べき』ほど、他の選択を強く拒絶の言葉は無い。
私が子供の頃から慣れ親しんだ国語辞典。 監修の国語学者は国内屈指であられた。
その先生は『正本堂は 本門 時の戒壇』を明確に断言されている。

「日顕」が束になって掛かっても足元にも及ばないのである。
もう一度言う。「日顕」登座以降連載された「顕」の御書講義は屁にも届かぬ愚講であった。
「日顕」の脳みそは、通常では及ばぬ程、 捻じ曲がり 腐敗しておったのよ。

以上。今朝の「新・人間革命」の読後感想である。 
 今頃は「日顕」一族。右往左往(わしゃ呵呵大笑じゃ)




2004/12/24(金) 07:49

昨日の内田健一郎画伯の『正本堂之図』

この図は、いわゆる・・撮影などで見える構図ではない。
正規の立面図であろうと拝する。

この画伯の一枚の挿絵にも、愚壮は泣く。
「なぜ泣くのか」 
短命僅かに四半世紀。『屈指唯一の名建築:正本堂』の端正な横顔に「泣かずにおれぬ」




2004/12/24(金) 08:47

大東市の「ややこしい門柱工事」
「年内に仕上げたい」と施工会社の専務は言う。

個人の邸宅の洒落た門柱だ。(全巾 約12m)
自動車用のシャッター門。人間用の通用門。天端がアール(曲線)の飾り塀。
「ま、とに角。凝ってます あるところにはあるんですな」とか言いながらの基礎工事。

昨日は基礎のみ、 今日打設。  明日立ち上がり(愚壮)
日曜日型枠「老兵氏」  月曜日 シャッタースラブ(愚壮) 28日打設。
これで正月期間が養生となり 新年早々脱枠完成である。

完全打ち放し。 植栽が終わると 粋な門が出来上がる。楽しみです。
・・んな訳で 今日は在宅許可が出た(許可主は長男)
年内の予定は以下ですぜ。

24日 本部討議。  25日 会館長。
26〜30日 自治会夜警。  
28日 餅つき(於、ノブちゃん宅)・・・こんな按配です。




2004/12/26(日) 18:51

>>大東市の「ややこしい門柱工事」
「年内に仕上げたい」と施工会社の専務は言う。

「老兵は去らず氏」が「すまないが日曜日 助(す)けてくれ」と、私は今日は 大工さん。
母屋は有名メーカーの新築で 南西の角に「バーベキュー用スペース」等が有る豪邸。

お施主さんは大家族で御隠居夫婦も同居で。 実に仲の良い、と。雰囲気で分かる。
短期決戦の工事であったが 見事に完了した。 シャッター室のスラブまで終わった。

ご隠居が「エエ仕事 やってくれはる」といつも若奥さんに言われるとか。
「そう言われると、手も抜けん」とは言うが、「老兵氏」が手を抜く訳は無い。

お互いが、それぞれのマイクロバスを運転して家路についたが、
先程、「ありがとうございました」と、丁寧な電話があった。

PCに向かう私に「おとうさん、婦人部総会の入場券 作ってね」は妻である。
個別のお名前を書き入れた入場券は、三枚が一組です。

当地の婦人部のモットーを書き入れたのが二枚目。
三枚目は「日眼女釈迦造立事」の御文の一節を書き入れている。

『頭が揺れれば 髪に毛も動く』との趣意の御書であった。
「私の大好きな御書」と言う妻である。

今夜は長女は友人達と食事会とか、「晩御飯 ふたりやで」と言う。
「ふたりで 晩飯とは 嬉しい限りです」と言う。  いや・・勿論本心じゃ。

今夜から五晩。 夜警である     暖かくして 安眠妨害に夜道を回る。




2004/12/26(日) 19:42

飯食いに上に上がって。 あわてて 今、飛び降りてきた。

『おとうさん どう? ええやろ』とは「婦人部総会入場券」
三色の台紙の出来ばえは 「これは ええもんじゃ」 
御書の一節は「みんな 喜ぶかしら?」と、気にしておった。

わしは横から覗いていて。今。飛び降りてきた。
御題号『日眼女造立釈迦仏供養事』が正しいのです。  深謝。

>>「事の戒壇」と書けずに 落ち込んでいたが  又、 落ちた。



2004/12/27(月) 07:41

「本門大客殿」の勇姿を わたしは忘れる事は無い。
塔中を「御影堂」に向かって石畳を登り行くと「二天門」「鐘楼」が古めかしく建つ。

その途「不開門」に向かって西に折れてみる。     
老杉の鬱蒼を突き破る威容。「本門大客殿」の勇姿は周囲を圧倒していた。

キャノピーの巨大タイルの大胆彩色の絵画は 作者の息吹がダイレクトに我を打つ。
更に行く。  荘厳の極致が「内陣」であった。   息を再び飲む。

「日本屈指の建築である」と、建築学会は賞賛をしている。 
平成7年秋。「本門大客殿」悶死。  下手人「日顕」

未曾有の「奪命魔」は67世「日顕」として現出し 宗門を解体する。
「羽ばたき 67」の本文の伏意を、どう読むのか。未来にどう伝えるのか。 責。重大である。
『「仏法は勝負」であり、過程ではない。』と、鉄鎖を切った学会は躍進を続ける。 

無惨な解体の有様は見るに耐えないかもしれない。が、しかし。眼をば背むけてはならぬ。
内田画伯がどのような想いで描かれているのか。これも併せて感じていきたい。

ともあれ「日顕」という「物怪」は  いわゆる『血の流れている人間』ではない。これは確かである。




2004/12/27(月) 08:17

昭和57年とは、37歳の愚壮が「副大B長」としての初陣の日々であった。
「愚壮さん。今やで、今、闘うんやで」と初陣の戦野を示す人こそ。「名物部長」であった。

「名物部長Kさん」とは現在の我が支部にて、副支部長兼任のB長を闘い抜く。
戦雲 急。『3・22 長居競技場』に疾駆する応時の男子部精鋭達に遮蔽する者 無し。

連夜の九ヶ月間。 愚壮宅を揺るがす唱題会は、いまも「支部・部」の逸話である。
その「男子部唱題会」に ひとりの壮年部の人が『元気が出る』と参加をされる。

当時、40歳。「Mさん」   温厚で静かな物腰は 今も不変である。
「Mさん」  「老兵は去らず地区」地区幹事。  単身「男子部拠点」に乗り込んだ勇猛の氏。

「Mさん」62歳は、今 峻烈に病魔と闘う。  
12月24日(金)夜8時。舞台「M宅」。  
    ドラマは開幕していた。  以下次稿。




2004/12/27(月) 09:06

「Mさん」62歳。 一昨年、氏を襲う病がある。 「膀胱癌」であった。

手術の日。支部を挙げて「手術の大成功を祈る!」との唱題会に氏は生還する。
まだ病名すら分かっていない時、 会合に参加の氏は、何時も定位置に在る。

「あぐら姿」で、やや うずくまる態(てい)。
ともすれば「もっと、顔を上げればいいのに」と、 確かにそう見える。そう思う。
「膀胱癌」の前兆の痛みと闘いつつの参戦を、「見抜いての激励の士」は居ないのか。

否「歴代の支部長」は全部知っていた。  「病魔に屈するな」との激励は連日であった。
Mさんが、「膀胱癌」に勝った時。  当時の支部長は黙したま感涙と聞く。

平成12年9月18日。 不肖愚壮「支部長拝命」の時を同じくして「M氏」罹病す。
「筋萎縮」とは重篤である。    脱兎と走る病室の氏は「陽だまりの病床」に熟睡であった。
そっと、枕元に「とにもかくにも 疾(と)く、御全快を!」とのメモを置く。

奥様と二人のお嬢様の祈りは 驚異の短日で退院の快挙を成し遂げる。
あれから、あの感動から5年。  氏は今 御自宅のベットに「病と闘う」

三日前の24日寒夜 20時。 路地を曲がって行く愚壮あり。
「愚壮です。 Mさん。 どないや?(如何ですか)」と部屋に入る。
奥様は「わざわざ、忙しいのに来てくれた(趣意)」と礼を言う。

「とんでもない。 もっと、何度も来なければいかん」と謝す。
「Mさん、今年も あと僅かや、 しょうもない(つまらない)支部長でゴメンな」と言う。

変わらぬ優しさで私を見る「Mさん」は、胸の上の左手を少し動かした。
すかさず、わたしは二歩ほど踏み込んで彼の手を握り締めた。  握り返さない氏。

握り返せない腕力に、私は不覚の落涙をする。 M氏の眼光はそんな愚壮を包み込む。
『どっちが激励されているのか これでは分からない』と思う。

「世話になった」と言う氏。 「なに言うてんねん。 なんにも出来へんのんはワシやがな」
「来年は 青年拡大の年や。 もいっぺん元気になって呉れ。又、あんたの屁理屈が聞きたい」
「うん、うん」と氏は頷いている。  
わたしはそんな彼を眼に焼き付けている。 以下次稿。




2004/12/27(月) 09:33

ともあれ、この7〜8年。病魔は間断なく「Mさん」を襲い続けて来た。

暖かき明るき部屋。病床の氏は私の手を握り続けている。
すぐ脇に膝を折る奥様に『寒い戸外から 暖かい部屋に来ると涙が出ますワ』としか言えないが。

病床の氏と私の本意は、「今から、再び闘う」との、勇猛心であった。
掌(たなごころ)を通して 共戦の血が通うが如き瞬間であった。

「よし!」と腹が決まった。  『俺、又来るワ』『負けたらあかん』と言う。
「わかった。 わかったで支部長」 はじめて彼の手に力が走った。

玄関の框に膝折る奥様を「立ってください」と制しつつ言う。
この、地区婦人部長の奥様こそが、「Mさん」を最大強力に支えているのだ。

「なんでも言うてや、 ワシと「老兵」が何時も側(そば)におるさかいな・・」

路地に出た。 寒夜である。   喉の痛みと熱は未だかすかに残っていた。
わたしは その足で「Y本部長」を目指す。と。歩を進めた。  この稿 完。





2004/12/27(月) 10:33

背中から刺すような裏切り―― これが宗門である。
「これが坊主根性だよ。 恐ろしいぞ。」と、戸田先生はよくおっしゃっていた。

利用するだけ利用して、あとは切る―― これが宗門の極悪の体質である。

牧口先生も宗門の利用主義を見ぬかれていた。
今もその本性は変わっていない。
絶対に、永遠に宗門を信用してはならない。  【 抜粋 】

ペンペン草が再び永遠に奉安殿を覆う日は、 すぐそこじゃ。 慶祝。




2004/12/28(火) 08:54

『新・人間革命』
爪に火を灯もすような節約の生活とある。
昼間の魚の行商には その早朝の魚市場での仕入れが 辛い仕事であったろう。
疲労困憊に鞭打っての夜。 清掃作業にどのような思いの日々であられたか。

「人間のやるこっちゃない」と、老婦人は見事に「日顕」の正体を瞬時に暴いている。
「天魔や! 第六天の魔王や!」「絶対に許さん!」  

私事であるが・・ 妻の母は 今年85歳。
この人の「正本堂供養」に対する思いも又。 今朝の「羽ばたき68」の老婦人に匹敵する。
おそらく。幾百万の人が新たな怒りに震える日となる。それが今朝である。

「正本堂解体工事」そのものでは、実にいろんな事実がある。
私等 建築の第一線で働いてきた人間には、この工事。初見で不自然な部分に突き当たる。
解体作業現場を周辺地域から遮蔽する。これが、まず出来ていない。

御承知の如く、解体には想像以上の塵埃と騒音が発生する。
築後26年とは、 建物の強度はその頂点にある。とすれば。 その塵埃と騒音は「未経験の範疇」であろう。
解体業者の作業員の証言などがあれば、万人が納得するのか、は。次元が違う。

「破壊すべきでない物」を抹殺する鬼畜の所為を「公開処刑にしたい」とは「日顕」の真意であったろう。
九州の白髪の老婦人の慟哭を楽しみたい。とは、「日顕」の願望の脚色であったろう。
であるならばこそ。解体工事現場の遮蔽は不要であった。

現場作業の第一義は『第三者への危害防止』である。
「無遮蔽」は 飛散 倒壊 塵埃 異臭 騒音などを周辺に撒き散らすが。
「それでもよい。公開処刑だ」と「日顕」は決断する。

すでに。人間ではない。




2004/12/28(火) 14:41

昨日の昼間に洗っておいた「もち米」は 12.6kg
これを、女房と手分けをして「ノブちゃん地区部長宅」へ運んだのが9時すぎ。

12.6kgとは、約五臼。  本家「ノブちゃん」の道具を借りての奮闘であった。
男手の「頼みの綱」の「老兵は去らず氏」が 急遽 所用で不在であるとか・・

常に「人頼み」のグ〜タラ愚壮は 長男に助(すけ)を乞うた。
「ホイ来た」と素直な長男は保育園への送迎を済ませて、やってきたのが9時半。

本家あわせて全部で9〜10臼。 「ノブちゃん」の恋女房 良ちゃんは「臼取り」が非常にお上手である。
同地区の「北○さん」は、75歳の婦人部員さんであるが「わてが 臼取りする」と割り込んできた。

これが良ちゃんを凌(しの)ぐ腕前である。 座談会の彼女もお元気であるが、「臼取り」の方が格段、ハツラツであった。

「ノブちゃん」の実妹が18歳の末息子(好青年)と手伝いに来る。
「ノブちゃん」の実兄夫婦(柴犬さくらちゃん同伴)も手伝いに来る。  総員。10名 まあ、楽しい事。

「操ちゃん」は「ノブちゃん」の実母で 今日も「家業:たばこ屋」の店番で「来たいのに来え〜へんねん」
と、言いつつ。昼過ぎには後片付けも終了した。  

『誰も気が付かん・・』と、いやらしい性格の愚壮は ひと角走って「操ちゃん」の店。
「操ちゃん。今、滞(とどこお)り無く、終わったよ」と報告である。
「そうでっか。そら、ごくろうはん」と言う。  
この人の存在があって。平和な餅つきが出来たんじゃ。 こんな時はいつもワシは こう思う。

これを人に言う。 大概はこう云う「そら、あんた。 大袈裟や」
『・・・そやろか。大袈裟なんやろか・・』   

ともあれ。特大の「鏡もち」 威儀を正して仏前に供えられる。   「ノブちゃん御一家」ありがとう。




2004/12/28(火) 15:06

>>「ノブちゃん」の実妹が18歳の末息子(好青年)と手伝いに来る。

彼女の御亭主は熱血市議であるが  これは余談。
本題は彼女が持ってきた「蓬(よもぎ)」である。

「これ、どないすんねん」との無知愚壮の質問に「良ちゃん」が割って答える。

蓬に、米粉と塩とを入れて 予(あらかじ)め蒸しておく。
小玉に分けてある「蓬だんご」は、もち米と蒸篭(セイロ)で蒸し上げる。

出来上がったもちは、これだけでも美味しい「蓬餅」であった。
自家製の「小豆餡」は、プロの味がする。  これを包む。 天下一であった。

「ノブちゃん一族」の凄いところは、 すべてが自家製 手造りであった。
『なんでも 出来あいで済ます』とは、 最近の良くない風潮である・・これは余計。

さて、「餡」  『餡こが 足らへんがな〜』  (褒めすぎると 事故である)
「餡、入ってないのん、目印付けときや〜」と、賑やかであった。
「目印。どないしょう(通解:どうしましょう)」に、愚壮が登場する。

『そんなもん、決まっとるわい。 十字や。十文字!』 
「そうか〜」と言う人あり。 白ける人あり。   人。様々ではある。




2004/12/29(水) 08:51

今、事務所の業務用の電話が鳴る。
今年も年間を通してお世話になった「M岡社長」であった。

この年末、多くの知己の訃報に胸を痛めた。 「M岡社長」も実兄を送られている。

「よう降りまんな〜(よく降る雨ですね)」と言われた。
「ワシ。今、現場やねん」には驚いた。 『濡れたら 毒でっせ』と申す。
「ちゃうねん(違います)愚壮はん。 新しい図面取に来ましてん」
『そら、ありがたい。正月明けのお年玉でんなあ』

4〜5軒の基礎図面。受け取り次第 FAXで送るとの電話であった。
昨年の年末も「M岡社長」からの図面が届いている。  感謝の念は深まるばかりである。

『年内に積算 送ります』に 「正月休み 返上やなあ。 たのんまっさ」

昭和18年生まれの氏は一旦挫折の辛辣を経験されている。
「八方が敵に変わった」と当時を述懐される事は「M岡社長」には無い。
「泣き言を言う時間など、在る訳も無い」と氏は走り続けてきた。

「故K親方」「義兄」「M岡社長」全部 昭和18年生まれの人である。
第一線で一切の手抜きをせずに黙々と働く先輩諸氏。 忘れてはならん。

ところで・・昨夜 嬉しい事があった。  チクと書く。




2004/12/29(水) 09:20

>>昨夜 嬉しい事があった。


全員の孫が来襲してくれた。 手に手に「サンタさんから もろてん」と巨大ロボット。

「あすか」は女の子。「ロボットには興味は無い」と私の膝に飛び込んできた。
「あのな〜 ジィジ。 あすか な〜」と説明が始まった。

「あすか、お正月。本部で『オンリーワン』歌うねん」 ワシは涙をこらえた。


一昨日の夜。「Y本部長」「S婦本部長」中心に リハーサル。
新年勤行会での我が本部のアピールは 未来部中心の大コーラスである。

前奏直後は 未来部の独唱から始まる「世界に一つだけの花」(槙原敬之 作詞 曲   SMAP 歌)
小節を歌う毎 女子部 男子部と友は集い来る。

重鎮。壮年部が加わる時には 歌声は万波と繋がり行く。
手話は歌う・・「そうさ僕らは世界に一つだけの花・・」  

「壮年部が一番間違う」との一昨日の特訓に愚壮あり。
懸命にC・Dに合わせる三人の支部長は言う。「うとたこと(歌った事が) あれへん・・」

ともあれ、本部の合唱の先頭に孫がいる。 涙が止まらんのはワシだけが知るドラマじゃ。




2004/12/29(水) 10:31

『新・人間革命』羽ばたきの章

「正本堂」が息絶えていく姿を、三世の証人が凝視している。
白髪の母。毅然の息子。継承の孫。  

この三人の声こそ、全世界の知性の代表であり。  十方の諸仏の大音声である。
瓦解し逝く「正本堂」の臨終を 秀嶺富士は見守っている。

富士は知っている。 富士は総てを知っている。
雄大な裾野にたたずむ「正本堂」が示し切った無量無辺の使命を 富士は知っている。

抜けるような青空に 三色旗が翻る図。
富士を借景にした 一本の三色旗。  この時 日本の 否。世界の家々に解縛の旗ぞ立つ。

昔日。権力に迎合し「神道」に屈服した宗門は この時 この瞬間 命終する。




2004/12/30(木) 09:30

「新・人間革命」(2965) 本陣一。
史書は昭和48年の元朝のシーンから幕を開いている。

昭和48年は、私個人にとって人生の大きな分岐点であった。
例えると。    「対岸が見えない大河」が創価学会である。とする。
この年、昭和48年。わたしは やっと「学会大河」の岸の一粒の石ころとして存在する。

よく人は言う『自分と創価学会』 又曰く『自分と御本尊』

わたしは思う。「愚壮よ、お前の中の学会は、一体どうなんじゃ」
わたしは思う。「愚壮よ、学会の中のお前は、一体どうなんじゃ」

「今年こそ。雌雄を決していく」 2005年を こう決めている。




2004/12/30(木) 17:48

>>2004/12/12(日) 10:08記
陽光燦。 車椅子の「S老人」は恍惚となる。
「御病気。疾く御完治を・・」に「うん」と頷く日から数日後 氏は逝く。 
享年71。


『S老紳士』の奥様は 昭和6年のお生まれであるから、明けて74歳を数えられる。
「膝が痛い」と 常に杖をば手放せないが、支部。地区の婦人部の唱題会には皆勤の人でもある。

余りにも嬉しくて書けば・・・。
事務所のドアを叩く人がある、と出れば。  
件(くだん)の老未亡人であった。
「まだ、仕事やってるん?」と言われるので  
 『ヒイヒイ言うて 年賀状を書いてます』

彼女は言った。    
 「今朝、餅を搗いたで 持ってきたんよ」は徳島弁である。 
『臼と杵でですか?』に「いや、機械やけんど ほれが よう つけるんよ」
通解:〔 いいえ、餅つき機で搗いたのですが。ところが 上手に 搗けるのです 〕 

『便利になったもんや』に「ほうよ(そうですねえ)」と意気が合った。
「ようけん(たくさん)ないけど、 奥さんと 食べてえよ」  
餡ころ餅も有ると言う。

「世話になっとるけん」と言われるが  わたしは何もしてはいない。
「どうぞ、よいお年を」と 縮んだお身体を 尚丸くして 挨拶をされる。
『めっそうも無い とんでもない』 お礼を言うのは 愚壮である。

トントンと二階に走り上がって早速奥さんに報告をしてから、ひとつを口に放うり込む。
『醤油も砂糖も要らんわい』 「超人」のぜんざいも美味しいが「徳島弁の餅」も絶品である。




2004/12/31(金) 18:32

自宅の南方 約360m。  京阪電鉄が東西に走っている。
敷設線路がロングレールのせいか 電車の走行音は普段は聞こえない。

しかし始発電車の乾いた音は、特に冬場のそれは静かな寝室にも入ってくる。
ところが、である。 今朝は違った。 「なぜ警笛を鳴らすのか」と気になっていた。

おもいつつのウトウトの二度寝ほど贅沢なものはない。 味噌汁の香りで眼を覚ます。
やはり警笛が聞こえてくる。   南側の障子を開け放つと存外と視界は広い。
「ホホ〜ウ」と声が出るほどの銀世界は 当地では余り見ることはない。

たった二年ではあるが、わたしは北海道の冬を経験しているので 銀世界の本物を知っているが。
「身・口・意」がすでに大阪人に戻っておる愚壮は 僅か2〜3センチの屋根の雪にも「ホホ〜ウ」が出る。

妻と長女は朝からのフル回転であったが、この時間は森閑としている。
わたしの大晦日の任務で、最も大事な項目に「御本尊の荘厳」がある。
掃除が行き届いた仏間。  お鏡餅 御造酒 果物 お菓子をお供え申す。

「紅白なんか おまろないわい(面白くない)」と 侘しいボロアパートから逃避したのが昭和44年。
35年の年輪を重ね来た同じ日付けの今日。  威儀を正して仏前に向かう愚壮である。

孫達の雪合戦の楽しみも空しく、 雪はたちまちに消え失せている。
妻と長女が 本日何回目かの買い物から帰宅したようである。 
「おなかが空いたら言ってね」と妻は言う。 

『腹は減っとらんが、ビールは飲みたい』と言わずに 階下にて、こうして書いている。  さて本題。

創価仏法研鑽掲示板御運営の皆様には 良き年越しと新年でありますよう。 
 祈ります。
創価仏法研鑽掲示板にお越しの皆様には 良き年越しと新年でありますよう。
 祈ります。

昼間のテレビでの「イチロー選手」の言葉を贈りつつ ご挨拶と致します。

※84年ぶりに大リーグの年間安打記録を塗り替えた 超人はこう云う。
【 結局は、小さな事を積み上げるしか 頂上へは行けない(しばらく考えて) それ以外に無い 】

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward. 
皆さん。良いお年を!


            2004年12月までの稿完結

                       
                                


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