2007/07/08(日) 11:59:30

一昨日6日。支部四者決起大会の司会は長女が務めた。
若干23歳の「S部長」と長女の『常勝の空』の指揮は乾坤一擲の気迫に満ちている。

女子部が指揮。
「山口県の民謡に『男なら』というのがあるが…」と、愚壮は思い、
『かの「男なら」の気概に迫っておる!』と言う。

「64年前の今日 初代と二代は官憲の捕縛に直面された」
「当時、心身御壮健の初代牧口会長が、この日から僅か500余日で殉死あそばさる」
「戸田先生にしても、この捕縛の日を起点に余命、15年間にも満たぬ程の過酷であった」   獄中。一体 何事があったのか…簡単な想像でも『熾烈』としか言えまい。

「官憲による陰謀は初代二代を葬る……のみならず。昭和32年の7月にも惹起する」
「要は、 全く同じ構図での『学会壊滅陰謀』である」
…と、式次第冒頭で愚壮は叫ぶ。 『やんぬるかな!』でも言葉が足らぬ。

蛇足。この時宗門が何をしたのか、なんぞは。 
問う気も知る気も、勿論「屁」程も無い。と言った。

式次第の完結に「H本部長」は立ち上がる。
見れば、その右手には「青年室長獄中の獅子吼の図」
『今日6日は 逮捕されて三日目や』
『この猛暑の中 どう、すごされているのか…どんな思いで居られるのか…』
『今も私は、胸、掻きむしる心境です』

H本部長は「大阪事件」を「50年前の事」とは解釈せず。
 否。 本部長一人ではない。
 
支部決起大会の参集の同志の「同心」である。と熱気燃ゆ。
「H本部長」は最後にサッと、指揮扇を高く掲げて叫んだ。
「先生から戴いた『常勝の空』をもう一度歌おう!」

歌詞にはこうある…
『我等の誉れ 錦州城(きんのしろ) 常勝の空 晴々と』
「負けへん 負けたらあかんのや…」 
こう、先生に誓いつつの熱唱に、拠点振動す。

獅子身中の跋扈の兆しは実不実なりとも。   

我は…否! 我らは変わらじと「師」を謳う。



2007/07/08(日) 12:57:31

今朝 母から電話があった。
「お元気で居てはりまっか」と気を使わせている。

「昨日はお母ちゃん(我の祖母)の命日でしたなあ」と言う。
『そうです。昭和47年7月7日でした』  「35年にもなるんやなあ」
「絶対。お母ちゃんと「マミ(我の妹)」は、私を許さへんやろなあ」と沈んだ。

「祖母」は確かに、絶望の貧困の中「母」を怨んで死んでいった。かもしれぬが…
「いや、それは違うと私は思う」と母に言う。 …が、その瞬間「仮面の愚壮」を見る。

「風景」で御紹介申した母との再会は、「父」の死後であった。
「母」は、仏間の「故 先夫」の遺影を遂に直視することは無かった。
『見れやしまい』等とは、誓って思わない愚壮である。とは「仮面」ではないのか。

証左がある。
「怨み骨髄」であるはずの「母」との邂逅。  
あの日から今まで、私がどうしても踏み越えられない「葛藤」に、自身を責めている。
『何故言えぬ』と、私が私を責め苛む日々が 今日も続いている…

『お母さん』と、咽喉元まで出ているのに…『お母さん』が言えぬ「仮面」に…
「62歳の老醜」は、自身、人知れず苦悶を繰り返している。

『お母さん』と呼んでやってくれ。との懇願を「仮面」は苦悶の無視を続ける。
「母」は今。 79歳である…というのに。 
愚壮よ。「おかあさん」と何時呼んでくれるんじゃ。

長女との朝の勤行で、彼女は言う。
「七日って 重たい日やねんなあ」  『ん?』
「だって。 お婆ちゃんの命日やし お爺ちゃん(我の父)昭和天皇。日興上人も…」
『ワシの師匠の「K親方」も七日やなあ』
「私の誕生日も お母さんの入会(昭和33年)も 七日やよ」
『地元会館の落慶も 七月七日やね』と、何時もよりも何倍もの鈴を打つ。

昨日と今日の「風景」である。



2007/07/17(火) 19:43:05

『7・17 大阪大会』から今日。満50周年を数える。

昭和32年の今日。沛然たる豪雨の中の獅子吼は、
中之島中央公会堂を突き抜けた…とは、
「貧乏と病苦の集団」と揶揄され続けつつ尚、
師匠に肉薄した「関西草創の勇者」の証言である。
『本館と別館の渡り廊下を、手錠・腰縄で先生は歩きはったんや』と、
涙を拭う人は今も星と在る。

当時。「赤レンガ」と市民に親しまれた『大阪地検』の
優麗重厚の殿堂は稀代の名建築である。と伝う。
「大阪控訴院」が彼の前身の呼称で、
川面に逆写しの「赤レンガ」は名画であった。とも伝う。


「水晶橋」から行こうか…「鉾流橋」を渡ろうか…と。
「大阪大会」の現場に立ったのが。昼下がりの事であった。
『大阪地検』は今や、『大阪合同庁舎』と名前を変えてはいるが…
「50星霜」の歴史の重層を五感で見つめるのは『不敗の原点』の
「渡り廊下」しかない…と、私は歩を進めた。

白昼の「合同庁舎」は中天の日差しに黙然。光り輝いている。
私が天満警察署から「手錠・腰縄」で引っ張りまわされたのは
…40年近く昔じゃった、と。

思い出さなくてもイイ事が噴き出してくるのは余談ではあるが、
『同じ場所に立つ』感慨は、なるほど。
上記の空間を一挙に圧縮するから不思議である。

ともあれ。『50年前のここ』での「師匠の軌跡」を感じたい…
そうしなければ「愚鈍の我」は、人生の終盤の軌道も修正出来まい…と、
自問していた。

一人の警吏に聞く『渡り廊下はどこですか』
「あそこや」と指差す警吏は続けた…「今日は渡り廊下を皆 聞きよる」
見れば、明らかに場違いの多くの御婦人がおられる。
が…残念ながら警吏の指す「渡り廊下」は昭和44年以降、逐次の増築である。

「師匠」から賜った昨夜のメッセージに謳われている一節がある。
――あの「七・一七」戸田先生は中之島で叫ばれました。
            『獅子は、吼えてこそ、獅子である』――

「7・17」の軌跡を現地に学びたい。  

只これだけである…と、私はしばし。佇んでいた。



2007/07/24(火) 09:30:22

壮年の「Tさん」が突然拙宅に来たのは、7月21日の早朝の事であった。
控えめのノックからして、その時間帯からして、
「配達員さん…」と思い込む時刻である。

『どうぞ』と開いたドアから、 梅雨明けやらぬ
湿気の朝の空気と「Tさん」が飛び込んできた。
『なにがあったんや』としか言いようのない風情で
「Tさん」は事務所の框の際に在る。

「Tさん」は平成12年の入会。 
紹介者は『7・17の生き証人』  支部の重鎮 W副支部長。

さらにこの「Tさん」
 昭和8年のお生まれであるから74歳になられている。
いつもの愛用の白い野球帽を両の手で腹の辺りに握り締めて、
何も言わずに涙を流す。

『いったい。なにがあったんや』 
どんな想定でも説明のつかぬ事態に、愚壮凍結す。

「もう、あかん」と開口一番。彼は、搾り出すが如く言う。  

愚壮 輪を掛けて凍結する。
『まってくださいTさん。 それでは話が前に行かん』 
『とにかく、上がってください』

九州男児のTさんの日頃は、やや小柄ながら、
その体躯を素早く身をこなす働き者だ。
訛りの抜けぬ言葉は、歯切れも語り口も明快率直で嫌味がなく、好く人は多い。
そんな彼が「もうあかん」と泣いている。     
『藪から棒や』と、愚壮は完全に固まっている。

ややあって…卑怯姑息な愚壮は言う。
『5時過ぎには仕事に出るので』 と、逃げを打ち。 『夜では遅いか』と、窺う。

「夜でもいい」といいつつ自転車で去る「Tさん」を
見送る私に敗北感が覆いかぶさる…。
仕事に事寄せて独居壮年の悲哀を追い返す…
『今日はたぶん、仕事にならぬ』と堕ちる。

疲労が全身に行き亘ったその日の夜、ワシは尻尾を巻いて「Tさん」宅を伺った。
「実は愚壮さん。わしは訳あって九州へ帰る事とするが、
 田舎の娘には信仰を隠してあった…」
「これがばれたら、わしは行き場所がなくなる」

『お互い、先など知れた人生。 
確固と男が一旦決めた正道を オメオメ手放すな』と概意言う。
『胸中最深部の本来の境地を解く鍵を、
何があっても手放しては生まれ来た甲斐がない』
『柳行李の底に隠してでも、絶対に手放してはならん』
 …「ばれたら、終わりや」

『そんな娘の人生も根こそぎ引っ張り挙げる御本尊じゃ』 
…今朝の「負け犬愚壮」は蘇えっている。

『ところで…Tさん』  
彼が何故、来た事もない早朝の事務所に飛び込んで呉れたのか。
午前4時50分の訪問の真意は何か…     
会話の淵にすら『早朝急襲』の意図掴めず。

『本当は、もっと別の、大事な事をTさん。
 あなたは僕に言っていないのではないか』

「じつは、得体が知れぬほど 寂しくて 早朝を狙って飛び込んでしまった」
そうであろう…そうでなければ、あの滂沱の落涙の説明がつかぬ…
『何があったのか… いや、何が起ころうとしているのか…』と、
沈考の海溝に愚壮は在る。

7月21日はこうして更けゆく… 肉体労働の過酷はこの時頂点を指す。
ああ、俺も…最早『先は短い』を実感する。  所詮。元来元々は無明である。



2007/07/24(火) 09:42:07

驚愕の訃報が我が家を襲う。7月23日の朝の事であった。
普段から余り興奮のせぬ家人。とは。愚妻を指すが…その彼女が私に叫んだ。
「おとうさん。えらいことや。  W副支部長が亡くなった」

一昨日の土曜日の夜から、わしは体調を狂わせていた…だけではない。
月曜日に日付けが変わった23日午前一時から目が醒めて、
どうしても眠れずの悶々の我に衝撃直撃する。

何事があったというのか。
その時どう反応したのか  一切の風景がピタリと止まる瞬間であった。
『いったい。全体。何事ぞい』  
迷路の路地と「里道」と農道とを縫って愚壮は病院に飛んでいる。

空調が快適の窓際の陽光に「W副支部長」は物言わずにあられる。
傍らには御息女夫妻が悄然と音無く立つ姿がある。  言葉出ず。

『Wさん! あかんやん! なんでやねん!』
と胸中に叫びつつ お顔を両手で抱擁申す。
思えば…氏が病を得られたのは、平成18年7月25日であられた。
「7・17」大阪大会に参戦の猛将の彼は又、
地元自治会でも愚壮に先んじて活躍をされる。

長年の「自治会会計」の重責の完璧は、
雑音の混在の地域の平穏に尽くす為にある。

『Wさん。あなたは「大阪事件50周年」を見事に見守って黄泉に還るのか』
と涙 尊顔を濡らす。    沈着のご長男は病棟専用のロビーにあって、
親類縁者への電話に追われているなか、手を止めて来らる。   
父を突然に失った失意超え、健気な口調が毅然と語る 
「父は、眠るが如き臨終でした」と。
奥様には、臨終の刻み以来、留守宅と病院との何往復かを御長女と走っていると…
 同苦極まる。

『諸々すべて 愚壮に言いつけてください。 
全部やります』と申すや否や、わたしは阿修羅と始動す。
「府議」「市議」「自治会長」「本部長」
「業者」「隣接自治会長」「元Y本部長」「報告書」
要所急所の完璧を幾度もの確認の夕刻、仮通夜御安置のご遺体に報告に伺う。

ここで私は改めて御長男にねぎらいの言葉と共に懸念の解明を図っている。
『お父さんの御臨終の猛者の振舞を伺いたい』  

御長男は即答される「父を改めて尊敬するほどであった」
「意識の混濁は、土曜日の早朝…」との御述懐に、
私の懸念は轟音と共に感動に蔽い尽くされていた。
同じ時刻の早朝、滂沱の涙で愚壮宅に駆け込んだ「Tさん」を、
最後の最後まで「W副支部長」見放さない。

午前4時50分の訪問の真意とは、
「愚壮よ。 Tさんを護れよ」との、W氏臨終の叫びであったのだ。   

今夕。通夜である。    
私は既にこの時刻、渾身の弔辞を胸中深く認(したた)めている。
「W副支部長」 享年76        
実に『生涯青年』『生涯求道』を見事に達成の一期であられている。

『半眼半口』の相貌の御枕元には、
氏自ら、コツコツと書き残された膨大な「師匠の指導」が整然と在る。

奥様は申された。「この先生の御指導を毎日毎日拝するのが、主人の人生でした」

『巨星。堕つ…』 
  
数多(あまた)の人材群の中  黄金の「キラ星」がひとつ…消えた。
ここに衷心正銘。愚壮頓首合掌申す。



2007/07/31(火) 10:50:12

7月24日19:00 通夜。   極めて厳粛に執り行なわる。
 ごった煮の如き庶民の街の「一学会員」の通夜に、町内住民200名以上が参列す。  
「W副支部長」生前の奮闘の痕跡が、狭き自治会館の周囲を湧き上がるが風情で埋めている。
「焼香の列が終ると見えて、又 延びている」との葬儀社の職員の感嘆をば
『地域広布』と読むのか。

名誉会長からの御弔電は、熱夜の街路の弔問者の静寂の中を浸透してゆく。
最後の挨拶で、導師は追悼に「大阪事件 7・17」を言及したが、
所以も又「地域広布」にある。

「S32.7.17」からでなければ『W氏』を語れない…と、
導師の決意は訃報の朝に、既に固く決めていた。

「通夜の最後の会葬者は午前2時(25日)でした」とは 
喪主の御長男の感嘆である…と、夜を通す。
『俺には到底、こんな見事な死に方は出来まい』と、通夜導師も又。感嘆している。

翌25日 大晴天の11:00 葬儀告別の儀     
導師「I儀典長」 副導師 「愚壮」「槌ちゃん地区部長」

「強く」 「太く」 「低く」 赫々たる唱題の中を焼香の順位も厳格に披露さる。
近隣自治会長の芳名が聞こゆ。  
『Wさん、聞いてるか 皆来ている』と胸中に申す。

静寂の焼香にすすり泣く声がある。
「Tさん。いま泣いたらあかんよ」との声も混ざる。
「Wさん」の意識が混濁の21日の早朝、愚壮宅に消沈訪問された「Tさん」が、
 今も又泣く。

奥様が小さな叫びを上げられた… 
どこから来たのか、いつ来たのか…  
白い大きな蝶々が「棺(ひつぎ)」に寄り添い、舞いに舞う。
祭壇の御遺影の深き微笑に「悟達」の境涯冴え亘る厳粛に 『蝶』ぞ舞う。

蝉時雨の斎場の炎天の野辺の送りの風情に  悲嘆の色は無かった。
『生も歓喜 還(また)、死も歓喜』を、愚壮は肌で感じていた。
『W副支部長  ありがとう  貴方の後継は途絶えなく…と、誓います』と申す。

   合掌



2007/07/31(火) 11:53:23

27日(金)夕刻 遂に愚壮憤死す。
炎天の作業に「精も根も尽き果てた」と、照り返すコンパネの熱気に悶絶する。
「オヤジよ。三時頃にスラブ筋が10トン車で来るから」
揚重機(クレーン)で揚げておけと長男が言う。
『…』返事も出ないほど、実はその時既に参っていたが、
わしは足場のてっぺんによじ登った。

ヴェテランの「玉掛け」の鋼材は、
見えない重心を見事な感覚で捉えて、キッチリと水平である。

操作盤の「上下」「起伏」「旋回」のボタンを
同時に押して所定の位置にピタリと置くのは愚壮真骨頂。
が…この時は、そうはいかんのである。

やせ我慢で耐えてきた「熱中症」に、目がかすみだしたのである。
それでも  「くそったれが」と押しての作業が急速に裏目と出る。
手肢が逆に曲がりだしたと同時に(汚い話で恐縮じゃが)「失禁」する。

動かぬ体をどうして足場から降ろしたのか…は、
余り記憶にないが、ここで「長男」に報告している。
やっとたどり着いた「作業員詰め所」に所長が心配して言う。

「おやっさん。無理せんといて下さい」と云い「医者に行くか」と言う。
『わしゃ。死んでも医者に行かんわい』とは以前の常套句。
が、ワシもその後、相当改心してるので
『すんません所長。大丈夫です』と嘘を言う。

「今日は一階の部屋うちでも37度やから、
上(作業床)は40超えとるからな」とは所長。
『それにしても、しょんべんチビルとは…』 
俺も遂に朽ちてしまったか…と、沈んでしまった。
…と。(土)(月)(火)と死んでいる。 但し。日曜日は除くがね…



2007/07/31(火) 12:07:19

…と、PCで遊んでいるわしのそばに「明日香」が居る。
「強靭ママ」は仕事。「スズメバチ」は二匹とも学校…と、「明日香」が居る。

恒例の背比べの最新は「H19.4.2」であった。
『ほりゃ、明日香 測るぞ』とデカイ三角定規を持つわしに「明日香」定位置。
26_も伸びて 1422_である。

近頃、めっきり女の子らしくなっておる。
心配でもあり、嬉しくもある…      複雑じゃ。



2007/07/31(火) 13:17:49

29日(日)本番出陣     
早朝6時愚壮疾駆す。 四地区の筆頭は「老兵は去らず地区部長」の拠点であった。   
既に「四者」熱気充満している。「このことにあわんがためなりけり」以外、 
一体何がある。 ある訳などないのである。と、走る。

愚壮宅が本部拠点でもある
「決着の日」を『明日も同じ夕日が在るとは錯覚なり』と闘ったが。
動かなければ会えない風景は早朝の往路から在る。

「娘の居る九州に帰る」「Wさんの真心が忘れ得ぬ」
と男泣きした「Tさん」と遭遇している。

『今日 帰られるのですか』「昼頃の予定です」
『御本尊は…』「大丈夫。しっかり護る」
ああ、すでに。 此の人は「故Wさん」の合力に立ち上がられた。と確信する。

迷路の敷き詰めた我が愛する町並みを、
終日疾駆する津々裏々の「壮年」の勇姿に我を重ねつつ…
愚壮もまた「走れる自身」に感謝を致しつつ汗にまみれていたのである。

行く拠点 訪ねる拠点に「草創の婦人の尊き祈り」がある。
『顕祈顕応』と老婆は祈られている…  
膝をば崩せる道理がない。と、感謝に絶えぬ。

幾度かの往復の「Tさん」宅の電気メーターに留守宅を示す付箋が風に揺れていた。
「Tさん」が「Wさん」と共に我が町を『生死倶々』と旅立ったが、 

愚壮は未だ「使命」に走っていた。
「在在諸仏土」の次下を胸中に、幾度と走った「愛知」を祈りつつ…と愚壮は走った。

最終の報告は21時を回っていた。   
老躯既に限界を指す中…階上の拠点の喧騒はまだある。
『この度のいくさは、公私に邪魔をされ続けたわい』と、疲労に沈む愚壮はほざく。
『なんとでも垂れろ』と自問しつつ、 喧騒の仏間をすりぬけ、三階に上がった。



2007/07/31(火) 13:43:42

愛知岡崎に稀有の友が居る。   『M本部長』である。
「M本部長」はおそらくや、想像を絶する境地と闘っておられる…と、
重い受話器をとった。 これが昨夜。  22時を回った時刻であった。

愚壮の候補は32%を超える得票率で惜勝したが、
「完勝」ではない…と受話器をとった。…寸刻の気合で
「M本部長」は『武士(もののふ)』の気迫に充満されていた。
「それでこそ!」と私は叫んでいたが、
時間差の消沈の愚壮こそ氏の声に蘇生していたのである。

御金言を拝したい。      1056p
経に云く 「在在諸の仏土に常に師と倶に生ぜん」

又云く 「若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん 
     是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」

釈に云く「本 此の仏に従って初めて道心を発し 亦此の仏に従って不退地に住す」

又云く 「初め此の仏菩薩に従って結縁し還(また)此の仏菩薩に於て成就す」云々、
     返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし、

釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う、
此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、
然(しかれ)ども いまだこ(懲)りず候
法華経は種の如く仏はうへて(植手)のごとく衆生は田の如くなり、
若し此等の義をたがへさせ給わば 日蓮も後生は助け申すまじく候、  恐々謹言。



2007/08/01(水) 07:06:06

>2006/08/06(日) 10:49:41
関西の同志 就中。
大阪の草創の同志にとって「7・3から7・17」こそ師弟の共戦の『原風景』だ。
「不可能を可能にした」「奇跡が起きた」としか見ることが出来なかったマスコミは。
若き池田先生を「兄・父」と慕う大阪の庶民の、正義の直感の正視眼等 知り得ず。


沛然たる豪雨の中の「大阪大会」の常勝の原点は    
生駒山頂が白む時刻   寅の刻の『電光石火』の墨痕に在り!と。たれぞ知るや。

その、中ノ島中央公会堂の豪雨の中 こぶしを震わせ「不退転」を誓った青年25歳。
過日。7月17日午前十時   於、愚壮宅。 『女子部増決着出陣式』に屹立の壮年あり。

「W副支部長」75歳。は一番に立ち上がり「今日の7・17の女子部増は俺が決める」と申す。
「…でなければ。50年前。池田先生とお誓いした『最後は正義が勝つ』が嘘になる」

W氏が叫びは、支部内に鳴動す。と。 支部は見事に完勝した。
歓喜の「関西総会」の余韻は、 皆さんがご存知の如くである。

…余話がある。  この時期。特段、7月の3日から17日までは「冷房を切る」
関西。就中 大阪。 この風土と土着の人に「敵人 甚だ多し」なれども…である。
『冷房を切る』と、師に肉薄しようとの意気は、見事で率直であった。

W氏は何故、一番に叫ぶのか。
「W副支部長、病得る」      急報は週を移さず。
「全摘出臓器:1 半摘出臓器:3やけどなァ。わしは不死身じゃ」と氏は病床に言う。

『おうよ。そうともよ』『7・17体感の猛者が、臓器の三ッつや四ッつ 屁ほどもない』
ワシも思う。 「…だから、冷房を切って往時を思うのさ」程の獅子は おらんのかい。

経典「阿練若に身を置きつつ 能書きを垂れるんじゃないわい」とは、この事よ。』


W名誉本部長逝きて十日目の今日。 改めてご冥福をお祈り申し上げる。
8月5日は「U田さん」の七回忌法要がご自宅にて執り行われる。
「U田さん」とは、お元気な当時。
当地の青年部幹部達が皆 お世話になった人である。

奥様の強いご希望で 不肖愚壮が法要導師を勤めるが…当時の青年幹部の皆様よ。
どうか当日は、あの当時の「U田さん」を思い起こされて、追善の回向を希望します。

「W田さん」「U田さん」ありがとうございました。

(独り言なれど…)体調、すこぶる悪し。



2007/08/14(火) 08:44:45

今夏の我が家には、どうしたことか『盆休み』がない。
「強靭ママ」の職場の夏休みが「8月15日」のみ…が、ま。原因であろう。
「ほんなら(それなら)俺も出る」と長男は一人、現場に出ている。
『お前を一人で出させない』との気迫も萎えたワシは、
連日の熱中症の後遺症の渦中にある。
『それでも起床は四時半』と、此れも又。
敢然と御本尊に向かう唱題に腹を据えている。

扨。その両親が居ない「三孫」が昨日、今日と、我が家を占領しているの。
 嬉しくてたまらん。
朝の九時過ぎには「ドヤドヤ」と御到着である。と、 今既に。ワクワクである。

実はワシは今回。 参院選の奮闘の後、頭を丸めた。
四十数年ぶりの「イガグリ頭」に、周りの賛否噴出には「屁」とも思わぬが
「孫達」の御評価には、実は本心。緊張しておった。 

「明日香」がワシの頭を撫でつつ言う。「ジィジ、気持ちエエ」 …有頂天となる。
二階から「来い」との愚妻の声を無視した三人は、昨日は一日事務所に居てくれた。
下の「ノブ」は器用にマウスを駆使しつつ「ドラエもんゲーム」に興じておった。

そんな11時前 「Y圏長」から携帯が鳴った。 『午後に行ってよいか』と言う。
『全地区部長のお宅を知りたい…』との用件は
聞き方によれば怠慢圏長に聞こえるが、実は。
長年当地に居住する「愚壮」でさえ、 
油断をすると道を間違う迷路の地域で、圏長には無理はない。

はたして圏長は、一番熱い時刻に「汗だく」で事務所にこられた。
曰く『総県長が昨日(12日)から総県内の全地区部長宅を表敬訪問している』
ここの支部は今夜になる。
夜道で道を間違えるのは困る…と「今から案内せよ」と言う。

「それでこそ!」と戸外に飛び出る愚壮を圏長は慌てて押し留めた
『ァ、汗くらい 拭かせてくれ』

炎天の迷路の角々の目印を親切に説明しつつ愚壮は走ったが…
決して闇雲ではなかった。

「総県長をどっちから廻す?」と進入方向を聞きつつのナビであった。

ワシよりも随分若い圏長は言う『ほんま、ややこしい地域やなあ』
それなら、と。都合三回。正順逆順のサービスに圏長は
「冷コー(アイスコーヒー)おごります」

汗だくで帰った事務所に、三人の孫は自宅に帰った後で、寂しくはあった…が。
わしは、なんとも快い気持ちに浸っておった。
「T総県長も、Y圏長も、エエ男や」と浸っておった。



2007/08/14(火) 09:37:56

ワシの横で三人の孫達が「クモン」の宿題に挑戦しております。

まず、解からん事がひとつある…とは、
三人とも、始める時刻を確認して「セエーノー スタート!」と始めておる。
「明日香」は2元連立方程式 「ヒロ」は2けた×2けたの掛け算 「ノブ」は足し算。

「できた〜7分や」は『ヒロ』 30問を7分は早いのか遅いのかは分からんが。
はっきり言える事は、まこと。見事に成長しておる。

甲子園の実況放送が聞こえぬくらい、今。事務所は喧騒の真っ只中である。



2007/08/15(水) 06:46:43

終戦の日の今朝も、梱包の聖教新聞はいつもの時刻の4:45。「ドサリ」と届く。
此の束を「配達員さん」が各戸に配られる時刻までは、尚、少々の時が流る。

「盆休み返上」の出勤時刻を『通常よりもやや遅い時間にした』とは長男。
この、御近所への安眠妨害に心した所作の小さな積み重ねを、見る人は観ている。

ともあれ、少々のゆったりの…『終戦の日の朝』である。
出発の時刻に届かない5時50分
「ガレージに自転車のスタンドを立てる音がする」と外に出た。

はたして…「大祐」であった。
「大祐君」とは隣接支部長の御長男で、
細かい所への気配りが出来る好青年である。

『おはようございます。今日と明日だけですけど…』と、
多忙の家業を応援に来たと言う。
「いや、すまんのう。 お前が来るとは、百人力じゃ。
これで助かるわい」と礼を言った。

久し振りに見る「大祐」は、眩しく雄々しく在る。
拙社から 訳有ありで去ってから、幾年を経ているのか…
「世間の荒波」に彼は勝っている。

沖縄帰省の「清ちゃん」も今朝から合流している。
友社の二人のプロも「盆休み」の中を、現場に走ってくださっている。

感謝に感謝を重ねても、私の思いは言い届かない。  
炎天に流される「黄金の汗」に万感の畏敬の誠を申し上げたい…こんな朝である。



2007/08/15(水) 13:13:42

御仏前に供えられた「おはぎ」にも食指が動かぬほどなのか…とは 古女房殿。
元来が二刀流のわしではあるが、『此のくそ暑い時にあんころなどが食えるかい』

『盂蘭盆の薮入り』の正しい意味など、解かるべくもないわたしであるが、
これから茨木市へ、「大義母」を訪ねる。

急速に、急激に、と。 「大義母」の御高齢ゆえの衰弱に胸が痛んでいる。
「耳も目もあらゆる動作も」とは、同居の義妹の報告である。

例えば…と、想う事がある。
例えば、仕事で近くを走るときなど  仕事着のままでも御顔を見に行こう。
そうしなければ「時間」が切迫しているから…と。 悲しく想う。

今朝。私を助けてくれる「大祐」にこう言った。
『大祐よ、お前を仕込んだのは このわしじゃ。 修行の腕試しも悪いとは言わんが』
『俺の生きているうちに 疾(と)く帰って来い』

「大祐」はその時、笑い顔を固めてしまっていたが…「大祐」よ。
お前は、数少ないワシの直弟子じゃよ。と思う。

「大義母」の待つ茨木には、もうすぐに出発する。 お会いできるのが、嬉しい。



2007/08/16(木) 05:51:58

一句詠む。
『人ごみに、カートを押して女房の、ケツを追う亭主の 間延び顔かな…』
量販店の一階でよく見る風景である。
普段は滅多にやらぬ このぶざまを、昨日 わしは率先垂範しておった。

「母さん(大義母)は、これも、これもお好きじゃ」
手当たり次第の義母の好みに、二段の前かごは満杯となった。
懐具合を一切気にせぬワシの暴挙を、女房は微笑みつつ横に立つ。

化粧もそこそこで、女を忘れていた『法戦』の砌の女房は既に無く
40年間の労苦をテキパキとやってのけた、小柄な賢女が初老の美しさに輝く。

両手一杯のお土産で車中の座席を占領しつつ、
鳥飼大橋を北へ指す頃、炎暑沸点となる。

義母は、はたして… 薄暗き自室のベッドにあられた。
さほど広くもない部屋の、終日の寝たきりの老婆の悲哀に、澱の如き「沁み」を感ず。

『わかりますか おかあさん わたしです』に 「ああ…」と言われた。
時間を掛けて起き上がる所作にさえ、 御老骨の軋みすらを見る。

義母は『どうも、90までは 無理かもしれない』を丁寧な大阪弁で言われた…
座敷に正座を申して 義母様に「まだまだ。だいじょうぶですよ」と、云えぬ我に泣く。

妻と義妹とが「母」を囲む別室のやり取りを聞きつつ、夫君「Y雄氏」と乾杯をする。
子息は随分と背丈が伸びている、が、 父親に似たのか無口であった。 
「野球を続けている」「レフト」のレギュラーだ。とは「Y雄氏」の説明である。

この無口で気の優しい、
朝晩の勤行を欠かさない14歳の多感な少年に言う事があった。

『大義母こそ、 
盆や正月に集まる多くの親族達のすべてに、信仰の王道を継がしめた』
『この大使命を果たし切ったからこそ、急激の老衰の姿の淵に 悠々とあられる』
『母がこの世で一番大事であるならば、その母の母こそ 究極の宝である』

無口な少年は、 聞き耳を立てている。
義妹夫婦は 良い子を持っているな。と、 ワシは心底、この時想っていた。

別室の義母の笑い声が 帰路の車中にさえ余韻となっていた。



2007/08/24(金) 10:37:09

護衛艦「ひゅうが」進水のニュースに触れて…

旧連合艦隊の「戦艦金剛型」の四隻の中に『日向』があった。
この『戦艦日向』は何度かの大改装の後「航空戦艦」の姿で終戦を迎えている。

旧海軍の艦艇は、「同型艦」で分類されており、
『大和型』の「武蔵」「信濃(空母に改装)」や『長門型』の「陸奥」があった。

今回の海上護衛艦(ヘリ空母)「ひゅうが」が、
往時の同名の旧艦『日向』の終焉の用途に極めて類似している
(装備は格段、違う)が…

しかし、にしても、と。   
命名の所以を思うも、隙間だらけの脳味噌では わからん。
『核』の傘を無くしては、此の国の前途がない。とは、現実か 幻想か。

時価 何百万の錦鯉も、池の水を抜いてやれば「屁」程の値打ちもなくなるように、
安穏の体制下で、『特措法』を打ち切ると ほざく輩も、所詮。狭き水槽の住人だ。

「大白蓮華」9月号の29ページの上段の写真に、私は息を殺した。
太平洋・ビキニ環礁の「水爆実験」(昭和29年)の「毒クラゲ」の如き雲の元。

湧き上がる水柱の右側の、やや艦橋を左に傾斜させつつ「断末魔」の艦影がある。
『長門』である。

僚艦「陸奥」とともに、昭和初期の少年達の羨望を満たしてくれた『名艦』でもあり、
山本五十六司令長官座乗の、連合艦隊「旗艦」でもあった『長門』である。

幾度もの大改装に、往時。
最も慕われた「曲がり煙突」の勇姿は偲ぶ術(すべ)もない。
が、黙然と。 武装を解かれての死地に…『戦艦長門』な臨んでいる。

昭和32年9月8日 戸田第二代会長『原水爆禁止宣言』獅子吼さる。
師匠御入会 60周年のこの日。 今一度、此の宣言を噛み締める。

併せて(順序不同なれど…)智妙房御返事をも拝読致したい。



2007/08/24(金) 10:44:57

(前略)
しかるに今日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生善導慧心永観法然等の大天魔にたぼらかされて 釈尊をなげすてて阿弥陀仏を本尊とす、あまりの物のくるわしさに十五日を奪い取つて阿弥陀仏の日となす八日をまぎらかして薬師仏の日と云云、あまりにをやをにくまんとて八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と云云、
大菩薩を もてなすやうなれども八幡の御かたきなり、
 
知らずわさでもあるべきに日蓮此の二十八年が間今此三界の文を引いて
此の迷をしめせば信ぜずはさでこそ有るべきにいつきつころしつながしつおうゆへに
八幡大菩薩宅をやいてこそ天へはのぼり給いぬらめ

日蓮がかんがへて候し立正安国論此れなり、あわれ他国よりせめ来りてたかのきじをとるやうにねこのねずみをかむやうにせめられん時、あまや女房どものあわて候はんずらむ、

日蓮が一るいを二十八年が間せめ候いしむくいに或はいころし切りころし或はいけどり或は他方へわたされ宗盛がなわつきてさらされしやうに すせんまん(数千万)の人人のなわつきてせめられんふびんさよ、しかれども日本国の一切衆生は皆五逆罪の者なればかくせめられんをば天も悦び仏もゆるし給はじ、

あわれあわれはぢみぬさきに阿闍世王の提婆をいましめしやうに
真言師念仏者禅宗の者どもをいましめてすこしつみをゆるくせさせ給えかし、

あらをかし あらふびんふびんわわくのやつばらの智者げなれば
まこととてもてなして事にあはんふびんさよ、恐恐謹言。



2007/08/24(金) 11:12:11

智妙房御返事を拝して…

第二次世界大戦から 今日(こんにち)まで、
民族間の政治的粛清を除いての武力紛争で疎犠牲者は 
約6800万人と白書は言う。

『あと百年もすれば、不幸の例外を除いて 今生きている奴は皆死んでいる』と、
人間の生き様などは、陽炎のように儚く、無常ではある。

が、それでもしかし。 目前の喜怒哀楽に右顧左眄しつつ、人は生きている。


生きているのか、生かされているのか…と、下手な思沈に耽るよりは、
現実の、普通の生活の中に「活路」と「使命」を手繰り寄せる。とは、自問である。

夏休みも終盤である。「明日香」が連日 我が家に来る。
毎日毎日。大きくなるのが、わしには分かる。  嬉しい限りである。

「ヒロ」が一昨日から 少年野球を始めた。
そういえば、長男も「小二」から野球を始めたが…  時の流れは 速い。



2007/09/01(土) 06:45:13

今日は『明日香』の誕生日である。
平成9年の蒸し暑き日 豊中市民病院で産声を上げた女の子も はや十歳。
快活で利口で、家事のお手伝いもよくしてくれる。
会話なんぞも停(とどこう)りなくワシの相手になっておる。

「ヒロ」は、どうやら少年野球にやる気を出している。と聞く。
「新しいグラブが 嬉しくて仕方がない」とは、父親、長男の弁である。

「ノブ」はどやねん。に、『アイツは相変わらず 泰然自若。我が道を行く』と…

平穏で平和な「愚壮一家」に、漸く辿り着いておる様である。


扨。今夏。  
肉体労働の限界を見せ付けられるほど、「熱中症」を繰り返した。
「這いずり回ってでも」と働くのは、可愛い孫の為でしかなく、
苦痛もまた楽しいのか。

4月の末に「基礎工事」に懸かった『湧水の瑞相のマンション工事』も、はや6階。
初期の「マスター工程」の遅れを今。私たち躯体業者が懸命に取り返しているが、
此の猛暑に「工程」を遵守どころか、「工程短縮」をやってのけるとは…
「10年を越す 大不況」の中、関西の職人は、肝が据わっておる。

庶民の奮闘に「耳を傾ける政治家」など皆無の世相に、
彼ら「職人」は戦い続けている。

ま、いずれ。 「闘い続けた」真相も秘話も白日になる。

秋風薫る候、静寂の仏前に、私と私は対面する。 
『誠の使命は何処を言うのか』と…


いやはや。『明日香』の誕生日を話す心算が、脱線してしまっておる。



2007/09/01(土) 09:55:58

曰く『命と申す物は一身第一の珍宝なり
一日なりともこれを 延るならば千万両の金にもすぎたり、(中略)

閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、
日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、

早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし、』

甥「ちひろ」の七回忌の今朝である。
若干16歳の若獅子の夭折に、身を揉んだ苦悩の海溝の「残暑の衝撃」のかの日。

「嗚呼  生きておられれば… 24歳であるというのに」と私は涙し、沈む。
「ちひろ」を偲びつつ、回向の鈴(りん)を24回 私は打った。

16打以降の鐘を、彼は打ち続けたかったであろう。と  わたしは八回打ち足した。

『悲喜の絨毯』を歩み続けて「人間」は熟成するとすれども…である。
若干16年の人生の彼が遺した教訓は、けっして軽いものではない。

遠縁の叔父の私でさえ 今朝の感慨は「明日香」の誕生日と併せて…深い。
故人御両親にとっての今朝の「悲哀」には、如何に迫ればよいのか…

それが9月1日なのである。



2007/09/02(日) 07:39:10

「今日の作業は俺等で出来る オヤジ、休んでおけ」とは、長男。
甚だ荒っぽい言葉の中に 優しい労りを感じて土曜日は一日、休息充電する。

『強靭ママ』は今日も仕事である…と、「明日香」が来てくれたのが9時前であった。
「あの娘(こ)のノックは チトそこいらの子供と違う」と事務所のノックに思う。

『コンコン…』 微かに触れる程度の、小さなノック。『明日香』である。
「開いてるよ〜 どうぞお入り」と、ドアを引き開けると同時。
日焼けした、柔軟な肢体を躍動させて彼女は駆け込んできた。

「明日香。 お誕生日 おめでとう   
大きくなったなぁ お姉ちゃんになったなァ」
明日香の10歳の誕生日の歓びを、
わしは「お姉ちゃんになった…」と彼女に告げた。

『ジィジ。 ありがとう』と、
伸ばし招いた老腕の半円の中に「明日香」は飛び込んだ。
「夏だから…」と切ってしまった短かめの段カットに
「ママ」が結い付けた髪飾りが揺れている。

「大きくなった 大きくなった」と後頭部を撫でる程度の
「孫」との語らいにさえ、涙は困る。
『バァバは?』「二階で待ってるよ」と、
彼女は私の腕をすり抜けて「小鹿」の如く廊下に消えた。

夕刻。「もっと静かに叩けんものか」との乱雑のノックあり。
解錠ももどかしく、日指しと草の匂いとを連れて飛び込む少年は、「ヒロ」であった。

『ジィジ  見て見て』と 
濃紺と白のユニホーム姿で胸を張って「直立不動」してみせた。
帽子の図案イニシャルが、どうやら少年野球のチーム名だが、 
 ワシには読めん。

『ジィジ ペガサスやんか』と得々と説明する「ヒロ」の姿に、
28・9年前の長男を見た。

「ペガサスか…」  ペガサスとは「天馬」ではなかったか…
私は想う。 この眼前の「小癪な少年」が、
それこそ「天馬」の如くに育ってほしい、と。

愚妻が階下の喧騒に事務所に現れ、「ヒロ」を見て こういった。
『いや〜 ヒロのお父ちゃん そのままや… 不思議な気分やわ〜』

予想外の好評に気を良くした「ヒロ」は、 
輝く笑顔で胸を張ってポーズを続けていた。

『優駿』の如く 『赤兎馬』の如く 『悍馬』であれよ。と祈る。
「馬」に纏わる御書がある。 
「平凡非力の修行者」の守護合力の役目を担うのが『馬』である。
が、ひとつだけ。心 安寧の『馬』の御記述がある。 長文になったが併記する。


『 又くりかげ(栗鹿毛)の御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に
いつまでもうしなふまじく候…』  1376p



2007/11/30(金) 11:59:25

>2007/05/01(火) 05:42:57
 「今朝の勤行は特別気合が入る…」と強く御祈念申す事がある。
 「東大阪の新工事の基礎入れが今日から始まります」と祈り
  全工期無災害と順風の進捗を深々と祈る。

  灰色の空から「五月雨」降りそぼる… 
  出発は6時。  弁当が降りてくる気配がしている。


昨29日、上記 東大阪のマンション工事の躯体が完了した。
滔々の湧水の基礎工事に、わたしは直感 「瑞相である」と思っていたが…
全工期無災害が先ずはなによりの快挙で、何処にでもある『もみ消しの労災事故』も無かった。

足掛け210日 延330人工の小さな小さな苦闘ではあるが。
@800`強の出来高は、老体「愚壮」が足を引っ張った成果にしては…『苦闘』でいいと思う。

扨。「亥年」は荒れる。とは、たれが言うのか…と。 混迷の極みは途切れてはいない。
とは、かの『煮え湯氏』取引先が倒産の憂き目に会う。
『煮え湯氏』の得意先とは「M社長」主要得意先でもあり、「愚壮」のそれでもある。

負債8億の荒波は、炎暑の汗を『無駄汗』どころか 文字どうり『血の汗』とする。
「確認申請の手続きが 倍になっても 建設業者は頑張って堪えて頂きたい」とは
無能の国交大臣のたわ言で「屁」ほども気には掛けないが。
この年の暮れに、行き場を失った失意の同業者の「うめき声」に 私は泣いている。

ともあれ、最終の仕事を終えて現場所長に挨拶を申す
『所長。 可愛がって戴いてありがとうございました』

所長は こう申された。
「愚壮さん。 あなたの仕事を 本社はこう言いました」
「あの業者を 離してはいかん」「必ず 指名で仕事をやっていただきます」
炎暑も、濡れ鼠も、水洟も…数々の苦悶も、かき消される一言であった。

『所長。 どうか、息子を末永く可愛がって頂きたい』という私に、
「他所に頼む隙間などない」と返ってきた。

拾ってくださった『H鋼材』があればこそ… この歓びが眼前にある。
長男の慎重運転の助手席の帰路。 わたしは快い疲労の中にあった。

さあ。12月3日から新規の工事が待っている。
現地は「桂」と、チト遠いが、5時半に出勤すれば遅刻はあるまい。と、これを書く。



2007/12/22(土) 10:06:50

京都市の西部に「沓掛」という在がある。
資料を見るでもなくこの「沓掛」の地名に、私は妙に納得しておった。
『洛内を西へ旅立つ人は皆、おそらくは目前「老の坂の峠」のこの地で一息入れた…』
一息も二息も入れたくなるほど、街道はダラダラと登り道が続いて、
振り返れば京の町は眼下に在る。『沓掛とは、巧く地名を付けたわい』と、
愚にも付かぬ助手席の私を乗せて「エルグランド」は走る。

『御陵墳墓が点在する他は「孟宗竹林」と
「観音竹林」が占めていたであろう丘陵の風景は既に無いわい』と、
自然派「愚壮」は昔日を偲びつつ、 
開発誘致の自然破壊の惨状の新現場を「飯の糧」としておる。

秋風の枯野に、やっと眠りに付いたばかりの「蛇」や「蛙」を
ユンボで殺しつつの新規の基礎工事。
この基礎工事に乗り込んだのは12月3日であった。  
イヤハヤ。 難航した。
この三週間、入りびたりの皆勤は、
足も腰も気力も総動員で、わしには随分に堪え過ぎた。
…と。長いくだらん前置きで、以下の「風景」を殴り書く。

昨日。である…          
三人の孫が揃って拙宅に来てくれたのは…

「冬休みやねん」の、 森閑の事務所が、一瞬で喧騒と嬉しく変貌する。
「強靭ママ」が三通の通知簿
(正確には、ツウチボやツウシンボではない近代的呼称)を見せる。
ママ曰く 『見たら返せ』     
ワシは言う 「馬鹿たれ、 仏壇に供えて御本尊に報告するんじゃ」

それでもわしは、その場で丹念に三通の通信簿を見ては、
総評を言い、纏い付く三人を抱き寄せた。
「ちょっと見ん間に、大きくなっておる」…  
わしは又。 改めて「孫の居る幸せ」を胸中の本尊に感謝し、
そそくさと仏間の御宝前に恭(うやうや)しく通信簿を供え、
感謝の唱題を申し上げたのである。

       以下次稿



2007/12/22(土)

>三人の孫の通信簿を仏間の御宝前に供え、
 感謝の唱題を申し上げた私に、愚妻が声を掛ける。

「ちょっと、お父さん。  これ読んだん?」  
とは、12月21日付の聖教新聞であった。
見れば、初老の細君の美しき瞳が 年甲斐も無く濡れておる。
「声を出して読め」と手渡された紙面は(6)とある。

【中学生文化新聞主催】 第38回「作文コンクール」自由部門。
愛知県岡崎市・中学三年生のお嬢ちゃんの作品  『まあ、がんばってこうや』
老妻の入院に際し、孫宅に身を預けた「じいちゃん」を軸に、
一人の少女の葛藤と昇華が綴られてある。
音読の愚壮に、再び妻は啼く。  少女の健気に、愚壮の声は続かず、涙溢る。

岡崎で瞬時に思い起す人が 我にはある。   「M本部長」そのひとである。
わたしは早速、岡崎に電話を入れておる。  が、爾の時は彼は所用不在であった。
この「岡崎のお嬢ちゃんの『まあ、がんばってこうや』を、支部の皆に聞かせたい」
その夜の支部幹部会で「愚壮支部長」は、 この素晴らしき作品を全文 披露申す。
熱気溢れる 満杯の「支部幹」に、感動の涙が光っていた。

本年最後の支部幹部会。 御担当は「県長」であった。 人事あり。 
任用合格者讃嘆あり。 入会3年目の壮年の素晴らしき体験あり。 壮女コントあり。
「ほんま、こんな楽しい会合 あれへんで」との、参加者の言葉は万倍の勇気を引き起こす。
余韻の一隅で「岡崎:M本部長」に電話を申す。 『読んでくれたのか』と申さる。
「読まいでか。 支部の皆と、共に啼いた」に、電話の向こうの猛者も啼く。

電話を切り際、氏は言う。『「忘れ得ぬ風景」で読んだが。体、無理をせぬように…』
今度は、こっちが泣いていた。       

       この稿 完



2007/12/25(火) 12:20:32

2004年3月8日 この日、関西には稀な粉雪が舞っていた。
富士宮特区からの、小さなお嬢ちゃんを混じえた一行八名の友を
会館ロビーにお迎え申した。
受け入れ側筆頭「Y本部長」とは、過日。 
多くの感動と陰陽の激励とを路地裏に刻印しつつ去っている。

この「Y本部長」の胸中は、その日の『先駆の間』での、
その青年の入会直後の「本部長:感涙の辞」にある。

…つまりは、こうである。
青年入会の三年後の「Y本部長 帰郷」には、どうしても
「S青年」に『雄渾の剛毅』を伝承しなくてはならぬ。
『S青年』の人生にとって「Y本部長」の存在と、
富士宮特区の友の存在は  はたして「何」なのか。
陽光彩々の「先駆の間」で、入会したばかりの青年は生真面目に膝を揃え 
紅顔が凛々しく眉をあげた。

…扨。   時は流れる。

2007年も押し詰まった12月16日(日)正午。   
私と妻はお祝いの「生菓子」を携えて道を急いでいた。
「明日は、おとうちゃんの入会記念日やね…  」 
「 そやね、 38周年になる   」と、歩く。

四回、街角を曲がった公園の横の南面に、
御訪問の瀟洒な新築三階建ての城がある。
若い奥さんが言う「お忙しい時に、急に無理を言います」 
『いや、よくぞ命じてくださって…』
私達のほうが感謝しています。と、愚妻が続けた。

表のドアを明け、どうぞ先に入ってください、
に甘えて進んだ玄関に新築の芳香が満ちていた。

一階の和室は「本長押」の造りで、玄関の芳香は、
この和室の「木の香」が醸していた。

正面の立派な御仏壇の厨子は開いてある。    
厨子の回廊の正面に『朱の袱紗』の御本尊。
『謹んで、新築落慶入仏式を執り行います』と、
わたしは唱題の中「袱紗」を推し戴いた

正座のまま振り返り、御巻きの御本尊を静かに 
解(と)き戻す私の正面に『S青年』が端座する。
徐々に「御相貌」を顕す御本尊を拝したとき。
私の脳裏に鮮明に浮かび上がった「風景」がある。

それこそ、あの。4年前の「Y本部長」の歓喜の涙であり、
見事、実証の『S青年夫妻』の今である。

瀟洒な新築の「城」である、  
冬の陽光は「南面」の総てに 燦々と輝いていた。


               2007年12月までの稿完結


  






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