2007/01/01(月) 08:57:47

2007年  『前進勝利の年』が 森閑の冷気を伴いつつ開幕した。

昨「戌年」の世相は、国内外を通り越して不穏に揺れ動きながらの通年であった。
『雑魚め』との辞世を密閉の処刑部屋に響かせて、一国の大統領が絞首台を落つ。
「…こんなもんじゃ…」と、 権力のぬいぐるみを剥がれた「一人間」の本来を見る。

その熱砂の国土の東方はるか… 
地図にも見えぬ狭き路地裏を、鼻水を垂らしてボロ自転車で疾駆の壮年あり。
温暖のの家庭と 骨抜きの晩年。とは、 この壮年の精魂の座屈をさすが…
ともあれ、 自転車の前かごの封筒を、大切に、大事に、と。早朝の路地、彼は走る。

封筒は13枚。 『全B長さんへ』との彼の魂魄は、これでも懸命に込めていた。
(酷寒の同志に笑われるが…)大袈裟な耳当てが、当地の冷気を語っていたが。
『一昨日の夜警の夜半と、街。何の変化も無い』とは、安穏の迎春の証左。と、走る。

彼が 大事に配る封筒を覗いてみると、 こうある。

【 旭光燦然  慶祝『前進勝利の年』
はつはる(新春)を心より御祝詞申し上げます

(趣意)曰く『貴辺(あなた)の国土(地域)の広宣流布は まかせます…』
また曰く『我が人生 広宣流布に立にけり 悔いなく無上の三世の歓び』

上記二節の筆者、大聖人と師匠の「魂魄の真意」とは…
「真心の激励」と「真摯の家庭訪問」に、その急所がありそうです。

「愚鈍の愚壮」は言うのです…
『今年こそ、支部の全員の壮年諸氏の勝利を期せん!』
…それには、貴方様のお力が、 絶対無二、要るのです。
本年も どうぞ宜しくお願い申し上げます。

   ○○中央支部  支部長 愚壮 謹拝    】

以上であって 赤面するが… 実際に街を走って出会いがあった。
支部の北の端の街角の路地裏から飛び出す壮年と鉢合わせを為す。
「あ」「お」との声のあと、『いやあ、おはようございます!』

この「H地区幹事さん」は言う。「今日。仕事です!」
まさに弾ける笑顔であった。  『ご苦労様です。どうぞ御気をつけて』と申す。
『実は これ。 貴方に、と。書きました。 今年も宜しく』と、手渡す。

走って出会った早朝の街角に、 人影はない。  街は まだ眠っていた。



2007/01/01(月) 10:12:59

『年賀状』
そうこうする…と。 私の事務机のすぐ脇のポストに「ドサリ」と届いた。

圧倒的に仕事関係が多数を占める。が…
年々と また年月に嵩を増す わが親族の 笑顔満つ哉。  と。
孫達や 若き後継達の優駿の破顔が我が胸を打つ。

『帆奈』が笑っている。
箕面の滝を背景に、『明日香』『寛人』『伸人』が、Vサイン(相変わらず)

今年の年賀には、新しき巣立ちを果たした若人の、燦然たる「決意」が満ちている。


わしのチョンボで、出し忘れた欠礼の賀状に「すまん」と頭を下げるが。
これを、いつも 古女房は笑いよる。
『笑え 笑え』 こうして心は 空(くう)を走って相手に届くんじゃ。

今から、新年勤行会に行く。 八人勢揃いである。


512 名前:愚壮 投稿日: 2007/01/03(水) 09:22:51
「昭和55年から続いている…」と、県最高幹部は披瀝をした。とは。
池田先生の生誕の日「1月2日」を慶祝し、師の御長寿と御健康を祈念し、
自身の『門下生』としての有態の可否を厳しく問う。と。壮年有志が会館に集う。

時間は15時から18時。 わずか三時間である。が、この三時間の唱題会も又。
「師弟の契り」の証左である…と、四半世紀の共戦の歴史を刻印している。

長男家族は豊中の「強靭ママ」の御実家に、嬉々。出発した昨日の午後。
私と妻は、上記『県壮年部 三時間唱題会』に参加を申す。

『生きるということは、戦うことである。…なんのために戦うのか…
何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。
また、人々の幸福のためである… 』とは『新・人間革命』陽光@の冒頭の根幹。

『県壮年部 三時間唱題会』に勇躍と参戦の愚壮の胸に、この冒頭の指導が在る。

さらに師匠は言う…  
『戦う限り、勝たねばならない。『絶対に勝つ』と決めて、戦い抜くのだ』
次下の御指導が 軟弱の愚壮に「百雷」の如く我が延髄を貫いていた。
『勝利のためには、何よりも 己(おのれ)自身を制覇せねばならぬ…』

さらに二の矢、三の矢。 出来損ないの愚壮を師匠は御指摘をされる。
『牙を剥く獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。 』
『自身に勝つのだ!   臆病に勝つのだ!  あきらめの心に勝つのだ! 』
そんな衝撃の中 師匠はとどめを御指摘さる。  『怠惰に勝て…』


元朝の冷気をついての『全B長さん』へのメッセージを、お届け申した夜19時。
「S総県最高幹部」が愚壮を訪れた。  「愚壮よ。御礼のご挨拶に廻ろうよ」
 
わたしは、その御訪問先を再び「B長さん宅」と決めていた。
幸い、殆どの「B長さん」は御在宅であった。
『元旦から、しかも、こんな寒い夜に…』と、喜んでくださった。

「S総県幹部」は寒夜の訪問行に、歩きつつ言う。
『最高に素晴らしいB長さんではないか』「そのとうりです!」と瞬答した。

…時計は午後9時を廻った。  わたしは思っていた「…B長さんだけではない」
逢わせたい。いや。会ってほしい壮年は 「…他にも居る」

「もう一軒…もう一軒 お願いします」 『うん。ええよ。その為に来た』
留守宅には、総てに渾身の短文のメモを書いた「S氏」の手元を小さなライトで照らす。

地域の中央のショッピングセンターの駐車場は、ひっそりと眠っている。
「S氏」は車に乗る  『六差路まで出ましょう。道に迷うから…』という私に、
「いや。愚壮 少し話が有る ま、乗れ… 寒いから…」

「じつは愚壮。 元旦早々の家庭訪問を快諾したのは お前だけじゃ」
「そんなお前の噂を聞いた。 どうなんだ? 仕事は万全なのか?」
沈黙と焦燥感が、つい今見た「B長さん」の笑顔をかき消した。

『中○副圏長』もそうであったように、この、目の前の「S氏」も『見通す人』か。
「愚壮よ、先生は言われた…  生きるということは… 戦う事や…」
「睡魔に 我が膝を針で刺しつつ、題目に挑戦する以外… なにがある」
「愚壮よ、三ヶ月で「250万偏」   これが目安じゃ… 俺も、応援する…」

わしは泣いた。  
>私と妻は、上記『県壮年部 三時間唱題会』に参加を申す。 は。
この時の、熱き涙と共に参加をした。

妻は言う
『おとうさん。 大丈夫。  貴方の祈りは「総て叶えてきた」のよ』
『私が そばに居るからね』
「馬鹿たれ そう何度も泣かせるな」
…久し振りの 清々しき帰路であった。



2007/01/05(金) 06:12:20

本年最初の作業に出発する。
「京都・城陽」の現場は、年末に上棟(躯体の完成)を見た。
余談で有るが… まことに難度の高い、また、外観も優美な建物であった。

扨。今年の主な現場は、総て「近場」
多少。出勤の時間に余裕が出来ている。

今日は「阪急・上新庄」 近すぎて…ちと嬉しくない。
今年も、私の「足跡」をツラツラと書いて、ご迷惑を掛ける。
たまに、偏眼の時事などを書きすぎて「顰蹙」をかうが…
ま、これも。 『耄碌爺』の世迷い事。と。読み飛ばして下され。

『創立77周年』とは、喜寿。  
これを、『良否是非、合わせて結果が峻烈に出る』と読んでいる。
が、ともあれ。 「勝ち」に向かって勇躍 出陣である。と、出発する。



2007/01/07(日) 15:16:56

一昨日 昨日と、老醜に鞭打つ心境で第一線に立って『陣頭指揮』執る。
長男は、朝礼後の「KY」で言う。
「今年は『絶対無事故』と『業績拡大』を成就します」

業績の拡大。
 一言ではそう言うが再応は『間断なき闘い』を指す。が、実は長男。
もうワシの技量なんぞとっくに追い越しているので、陣頭は虚言。

昨日の前半。
大阪にも冷たくて暗い「氷雨」が降ったのは、猛威の低気圧の東進であった。
朝から着込んだ「合羽(雨衣)」にも、容赦のせぬ寒気は下着にも届いた。

『合図マンはオヤジに勝てぬ』と言う長男の指示に、ワシは素直に言う『…ホイ…』
手渡された無線機を胸の奥のポケットに「濡れてはいかん」と養生しつつ頑張った。
「旋回ヨシ 親スライ…親、ヨシ。 子ォースライ 子ォースライ …」
オペさんは言う。「おやっさん。合図。完璧や… 見えない現場が見えます」

万能塀の囲いの向こうの、見えない「クレーン車」のオペレーターに褒められて…
愚壮の張りのある合図は 雨空を仰いで氷雨に溶け込んだ…『子。ゴーヘイ!』

「風邪、引きなや」と、長男に心配を掛けつつ…
濡れた下着を体温で乾かしつつの作業。
手元が見えなくなる時間まで…と、押したのも、躯体の主軸の作業ゆえである。

入浴で人心地を取り戻したわしを、温かい夕食と暖かい家族が更に疲れを癒す。

癒され続けては「申し訳ない」と、今朝も図面のチェックに机に向かっていた。
そんな昼前。 岡崎の『M支部長』から電話があった。

氏を指して、わしは「四条金吾」と譬えたが… 
見事に勝利の実証を示されている。
周りがどうであれ…と言う彼は、追い被せるが如き強き語調で言う。
『本部の中の 難渋の人があれば 私はそこに行く。 悲嘆はさせない』

聞けば…昨年の「11・18」に、本部長を拝命されている。 
「ワシなど、雲泥じゃ…」と『M本部長』の重厚の魂を拝見した次第である。

再会を約し、成長を約し、地域の「抜苦」を約し、真の「門下生」を約す。
再会を期し、成長を期し、地域の「抜苦」を期し、真の「門下生」を期す。

元日の夜の「S総県最高幹部」は言う。
『愚壮よ、愚壮家の正念場やで、なんでも言うてや、なんでもするから…』

両氏だけではない…見ている人がいる。
そうなんじゃ。 「わしには、ワシしか出来ない使命が在る」
それを願って、誓ったのではなかったか。   

『切歯扼腕』とは、何処で使うのかは知らねども、なぜか金剛力が沸き上がった。



2007/01/07(日) 18:56:47

今日は長女の誕生日である。
朝。事務所のわしに、コーヒーを持ってきた折。思わず言う。
『おめでとう』これはよい。 
が、次が不手際である。「お前、幾つになった」…これがいかん。

大体、独身の女性。いや、女性に年齢を聞くのは、これはいかん。
就中。非常に微妙な年頃と状況の人には、聞いては…ろくな事はない。

案の定、長女は「ぷー」と言ってみせたが、親族の事とて血を見ることはない。
(いや、どうも最近は、親族云々の心の疎通も、世相は打ち消してはいるが…)

この日を公然と祝えなくなって19年。 
爾来、彼女の誕生祝は愚壮と同時にやる。
その長女と妻の。 午後からの長時間の唱題の声が階下に聞こえていた。
『今年は嫁ぐかもしれない』と、密かに恐れ喜ぶ父親の心境は、複雑である。

先程、長男が来てこう言った。
「あいつ、幾つになったんやろ」   言葉は荒いが、妹への思いが語感に満つ。
今夜は…と、思う。『ケーキとビールで、正式の誕生日を祝おうよ』

これには妻も二つ返事で言う「せやね(そうですね) おとうちゃん」
お、七時じゃ。扨。明日は仕事。PCを閉めて、 わしも二階に上がります。



2007/01/17(水) 07:55:24

咽び泣くが如き細雨が降り続いている…。

国道二号線から少し北側、
「JR六甲道駅」からほど近い現場に現場があった。
わしと、今は亡き父親の数少なき『思い出』の中に、
この「六甲道駅」も又、消えていない。

「神戸市街の南北は狭い」「…すぐ、山への登りとなる」
背後の六甲山系の山々は西進するほどに
尾根筋は少しづつ海を目指し明石海峡に潜る。
須磨といい、湊川といい、三ノ宮といい、芦屋といい…風光は明媚を極める。

父は言う。
『駅の近くに、粋な喫茶店がある』とは、現場での昼休み。
「オヤジがコーヒーなど、飲んでいるところは見たことがない」と
 茶々を入れずに同行する。

「駅下のガードのひと筋 西側だったかな…」と、
わたしは今。記憶を手繰っているが。
ともあれ。粋(いき)で粋(すい)なのは、コ
ーヒーでも店のたたずまいでもなかった。
初老・銀髪の美人の店主の洒落た会話の、
オヤジは「虜(とりこ)」になっていたのである。

昼下がりの芳醇のコーヒーと、紫煙に屈折する窓辺の陽光の日から、
時。更に流れる…
「忘れ得ぬ風景」が素通り出来ない時空がある。

12年前の「大震災」の凄惨な思い出。
あの朝。はるか地底から不気味に突き上げてきた地鳴りは、午前5時46分、
地殻を粉砕する。
「神戸市街の南北は狭い」と、
屏風の如く連なる北壁の「六甲山脈」の海側を、破砕は走った。

『鋏断は柱の高さの中央では起こらない』と、
強靭のビル達が倒壊した現場に立ったあの日。

仕口部【RC造の柱と梁の接合部】から
抜けるはずのない鉄筋が抜けている恐怖に凍った日。
わたしの思いはフト、あの「六甲道駅」の日差し燦たる『粋な美人』に突き当たる。
「…無事であったかしら… いや。 生きておられるか…」

金岡団地の現場の副所長さんのお父さんがご逝去された昔日。
わたしは「職長会」を代表して葬儀に参列する。 長田区板宿の弔問の人多し。
「…無事であったかしら… いや。 生きておられるか…」

数々の思い出の建物は、あの震災と、どう向き合ったのか。
「震災復興」にもわたしは身を粉にして立ち向かった。
「西宮浜」「HAT神戸」である。

あの日の同じ時刻。わたしはテレビの画面と共に黙祷をする。
神戸。ポートアイランドの現場を「終焉の地」としたオヤジを偲びつつ…
68で逝った父親に…  あと6年で私は追いつく。



2007/01/29(月) 11:08:53

曰く、御金言には こう御認ためである…と「S総県総合長」は言う。
『夫れ 無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はば
 すべからく衆生本有の妙理を観ずべし、
 衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経 是なり』

御書は机上にある…   が。氏はその御書を繙く事をせずに続けていく。

『…故に妙法蓮華経と唱えたてまつれば 衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、
文理真正の経王なれば文字即実相なり 実相即妙法なり…』
「ええか、 よう聞いてや、 実相即妙法とは 一体全体 なにやねん!」と氏。
支部拠点の満座は、水を打つが如くの総員。 息を呑み「S総合長」の次の言葉を待つ。

『唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く 故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり』
『一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・
ちり(塵)も残らず一念の心に収めて 此の一念の心・法界に遍満するを指して万法とは云うなり』

「S総合長」の言う。『此の一念の心・法界に遍満するを指して万法』とは複数形ではないか。
「遍満」とは宇宙規模の実在を言い「此の一念の心」は個々の内在を言う。
何が実在し、何が内在するのか…?
皆の渇仰に応ずるが如く「総合長」は一段と音声を深くして暗唱しゆく。

『此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし』
「そうやねん! わしらは御本尊の当体やねん…と覚え知る時に「重い扉」が開くんや」
「ほな、どないしたら覚え知る。いや… どないしたら思いだすんや」
「そや! 題目や   唱題しか絶対にあらへんのや」
「S総合長」の横に座す愚壮は、 一切の呼吸を止めるが如き身口意にて謹聴しゆく。

静寂の満座に氏は言う。『但し…』  皆は「…但しがあるんか…」
『但し妙法蓮華経と唱え 持(たも)つと云うとも 若し己心の外に法ありと思はば
全く妙法にあらず そ(鹿×三)法(齟法・贋法)なり、
ソホウは今経にあらず 今経にあらざれば方便なり権門なり、』

「但し 俺自身。私自身が妙法蓮華経の当体である。との覚知なき唱題は…」
「何百万遍唱えても 何事も絶対 叶わへんねん!」と氏は叫ぶ。

拠点は沸騰の静寂を醸している…  既に 時刻は20時半を越えている…
たれもが膝を打つ。と、 満座の熱気が一瞬揺れた。

『方便権門の教ならば成仏の直道にあらず!』  「うむ!」と誰かが唸る。
『成仏の直道にあらざれば』    と氏は次下文頭を声を強く言う。
『(成仏直道でないなら)多生曠劫の修行を経て成仏すべきであらざる故に…』
『一生成仏 叶いがたし!』 
「何遍生まれ変わっても、何千万遍題目唱えても、己心の仏性の確信無きは絶対叶わぬ」

熊本出身のこの「熊オヤジ」の絶叫は、傍らの「ボケ愚壮」の色心に深々と突き刺さる。

一切の暗唱は、氏自ら「俺は この御金言を、命終寸前の86日で何百回と読んだ」と…。

『故に 妙法と唱え蓮華と読まん時は 我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞ!』
『…と 深く信心を発すべきなり。 』

御書本編、僅かに九行。 が、しかし。この九行の「御金言」に厳父の慈悲を涙で感ず。
1月25日の、この「支部決起大会」に参集の地区の代表の心に点った火源は『燎原』を走る。

愚痴と阿呆のわしでさえ、「人生は 勝負なんや」と断固 勝ち抜く。



2007/01/29(月) 11:39:33

先程わしは愚妻に言った。
「先生のSGI提言。お前 読んだか」
「難しいて 読まれへんかった」

解からんでも読まなあかんで…とは言わず こう言った。
「あの(提言記載の)新聞は、置いとかなあかんで」
「せやろおもて(そうだろうと思って)おいたぁ〜るよ(置いてある)」

いや、じつは。婦人部の壮絶は今。(言ってはいかんが)それどころではない。
おそらく、「火達磨」という謗法混じりの表現が一番うまく的を射る。

そう言えば…大先輩が「矢野純也」を勝たせるために闘った当時と重なっておる。
かく言うワシ自身も、 今回だけは「余事を閣く」心境気概である。
…と。久方ぶりの休日に「切歯扼腕のタッチ・&・ゴー」を確かめております。



2007/02/17(土) 08:31:45

ワシが確信する不動の事実が有る。 
(…とは言うがこれは、同信の同志にも不動であるが…)

所謂「法戦」と連動する家業の多忙。が、それである。

特段、今回の。 
年頭から突入した「決着の法戦」の重厚の所以を、肌で感じている。

元々が「グウタラ愚壮」が本性のわしさえ、 
自身の出陣が「元旦」であった。と、知る。
そんな緒戦の『全力の助走』の揚力の飛翔は、
巡航高度への一番乗りでもある筈であった。

が。  一番乗りは実は、誰にでも出来る事で、「離れ技」でもなんでもない。
少々の自覚と 少々の早起きと 少々の実行で事は足る。 
事実、「一番乗り」それで足りが、問題は『持続』である…が。 
ま、それもなんとかなる。

世間には この。
「なんとかなる」が蔓延しておって、困った風情では有るが。
ワシの言う「なんとかなる」は、悪く言えば「グウタラ」で 
言い換えれば「楽観主義」じゃ。

が、しかし。

今回のワシの己心の「一番乗り」には、「なんともならない」付箋が付いた。
予兆は「元旦」からあったが、 確信は… 
はなはだ心もとなかった(故に愚壮か…)

2月にはいると家業の受注が堰を切る。
過日。「S総合長」が云う『24時間を 倍に使え』を身で知る。
通常の年間受注量の半分が「なんとかなる愚壮」に襲い掛かる。  
「…なんともならん」

有り難い事にこの二月前半。 わしは不休で初老の鋼の肉体に鞭を打った。
「立春」も「建国記念」あるものか。と。  今日、半月ぶりの休日を戴く。

俗に言う『二・八』とは商売人の厄月で、ワシにも当てはまる。
が、じゃ。 そんな俗事を重ねるようでは「一生成仏抄」を否定する事になる。

昨日までの4日間。 「ブロック ファミリー総会」で渾身の御書講義を申す。
『佐渡御書』で著わされた御心境と「2・6記載」の長編讃嘆詩に符合をみる。

『遅ればせながら…「愚壮」戦野に在り』と、自身に宣告する今。である。



2007/03/18(日) 10:35:36

諺は言う…「暑さ寒さも彼岸まで…」
『たれがいうたか… 見事なもんじゃ』と、
関西のなまっちょろい寒さに震えておる。

長男は「オヤジよ、明日(の現場)は三田(兵庫県)やから、温(ぬく)うしていけ」

戻り寒波に萌(で)かけた土筆が往生しておる風景に
『自然界も狂っておるわい』と思いつつ、
今時分、三田は遠くて寒すぎる…と、愚痴が出る。

閑話休題
こうするワシの手元に今。四枚のチケットが有る。
【大相撲三月場所 桝席招待券】  中日(なかび)八日目…

「愚壮さん。当日は何も持参の必要はありません。 
食事から飲み物まで全部出ます」
こう言って高額のチケットをプレゼントしてくださった友人。
とは、長男の取引先の人であった。

三月十八日とは、佳境も佳境と、日頃は動かぬ壮年部さえ動き出した、
云わば「壮年啓蟄」だ。
にもかかわらず… この嬉しい招待状は 3・18となっておる。

「壮年啓蟄」とは我が身のみを言う造語であって…
広く適応する無礼な言葉では決して無い…が。
3月25日を入れて たった二回しか残っていない
「実戦の日」が今日。である事には間違いない。

『相撲なんぞ、いつでも行ける』では、 この友人の真心は宙に浮く…と。
今日は「大阪府立体育会館」に、 大感謝で私は行く。

21時からの壮年部唱題会は、毎週木曜日に地元 中心会館で回を重ねている。
この日を挟んだ(水)(金)21時。 支部壮年部唱題会も佳境である(於、愚壮宅)
「腐れ能書きばかりで 動かない」との揶揄は今。
壮年部には当てはまってはいない。

文盲であれ、浅学であれ、家風がどうであれ… 
正法授持者就中池田門下生は「三世」を覚知する。
「法戦」も「啓蒙」も「弘教」も 異体同心の「裏打ち」の有無が
「究極の成就」の直道だ。

「異体同心」の軌道上の走破は又、 
これほどの難事のない。と、わしは常に自問する。
フラフラ ヨレヨレの「愚壮」では、なおさらにこの自問を怠れない…と、端座する。

『丹田に芯あり…』との姿勢で向かう仏前の朗々の唱題で、
無数の苦境を「超克」する。
これが、壮年部の真骨頂ではあるまいか。  
そは、壮年の自立が「総てを打開する」からである。

今、婦人部・女子部は「パンパン」に張り詰めている。
胡坐(あぐら)をかいて中心にデンと座っているだけでは『壮年部』ではなく
「装年部」じゃ。も、自問。

『お前、あと何年生きてると タカをくくっているんじゃ』も又。 自問である。



007/03/18(日) 10:45:00

> 上記
   謹訂正

中心会館の「壮年部唱題会」は21時半からです。
毎回参加の「愚壮」が間違っては洒落にならん…
「T支部長」…そう思いませんか(苦笑)



2007/03/21(水) 10:02:58

『嗚呼…「3・22」が  今再び、巡り来る…』との感慨 いと深し。
四半世紀の時空の彼方の、あの大晴天の『長居競技場』に屹立した感涙の円塔…

過日の聖教新聞第一面に、誇りも高々と『常勝の王冠』が仁王と建つ日。
折りしも地元大阪は鼎に沸騰しつつ、『3・9 3・16記念B座』を迎えていた。

大切にしまってあったアルバムを、「たいせつ」に擁いて初老の御婦人が言う。
「あの日 わたしは この辺にいたんや」
懐かしさに群がる輪から「わては、ここや」「わい。ここや」との声も指も出る。

初老の歓喜に。
…確か…「青年平和文化祭」であったのに…と わたしは感じた。
が、この初老の勇者達の胸中にさえ、
「3・22」は消える事など無く刻印されている。
いや、刻印では色香は褪せてしまうのではないか…と、
愚壮の目詰まりした脳味噌が言う。
『…封じ込めてなど ある訳が無いわさ…愚壮よ。 
たれも…忘れてはおらんわい』

あの日。 陽春は初夏の太陽の如く。と、燦然と輝きわたっている。
一片の雲すら見当たらぬ…と。 
爽天は宇宙の果てまで抜けるが如き青空であった。

『我が生涯で たった一度袖を通した あの日の創価のブレザー』
これこそ「若き愚壮」の、それこそ今も一度として「忘れ得ぬ」黄金の歴史である。
忸怩たる風情で膝を抱き、悲運を呪いつつの「殺意まみれの青春期」からの脱皮の瞬間でもある。

「突然男子部に乱入して 12世帯の折伏を敢行した愚壮とは お前か」
と。当時のヤクザ本部長(男)は言わなかったが。
なんのとりえも、なんの資格も無い俺に「ブレザー」を着せたのは、
その本部長の計らいだ。  あれから、25年…  
件(くだん)の男子部本部長が、今現在の『H本部長』とは粋ではないか。

ま、それはともあれ。 
明日、我が県壮年部は、この「3・22」を寿ぎ唱題会を執る。
今まさに、沸点の闘いが全国津々浦々を揺るがしているのは、
「壮年部」が起動の証しである。

伝聞。 夕張の地区婦人部長さんは、こうおっしゃった。
「昭和32年 私たちの地元は先生を苦しめたんです。   だから今」
「私達は 交流に津軽海峡を越えるんです…」と。(初代圏婦人部長談:昨夜)

北海道とは…。
拙作「消滅の風景」は「厚田の岸壁の海原」を基点としているのは偶然かも知れぬが…

夕張とは…。1920年(大正9年) 3月。
真谷地尋常小学校を退職した戸田先生「昇華の地」である事は史実である。

「苦しいから 海を渡って闘う…」との夕張の御婦人の心意気に、
黙しているなら男ではない、と。
一夜明けたわが支部は、 前述の『鼎の沸騰』の陣を張る。
「3・22」は、こうして「真谷地」と連環する…

  「愚壮よ、あと何年生きる心算かえ…」と。



2007/03/25(日) 08:50:36

ワシの(他愛ない)宝物は 四人の孫である。
長男夫婦の三人の子は以下順記。
「明日香」は四年生。「寛人」は二年生。「伸人」は一年生。と、なっておる。

四人目の「帆菜」は昨年の10月に誕生した女の子で、これは次女夫婦の「産」じゃ。
この次女夫婦が、遠く千葉「松戸」から名古屋に越したのはつい最近で、
「乳児を連れての引越しは、目を剥くほどに大変…」と次女は言った。
が、一番大変だったのは「帆菜ちゃん」であろう事は(帆菜本人は言わんが)
事実であろう。

「漸(ようや)く落ち着いた…」と、わしのPCに『帆菜・最新映像』を次女は送る。
愚妻が贈った「雛人形」の前で「帆菜」を抱く次女の笑顔にも、わしは泣いたが…
まったく、とんでもない場面で出る涙じゃ。

最新の画像は…『ジィジ…』と呼びかけているが如きの「帆菜」の笑顔で、又泣く。
涙の訳など言えば簡単じゃ。 「想像もしていなかった 我が境涯への感謝」じゃよ。

扨(さて)。 あの寝小便垂れの「ノブ」が新一年生である。
過日、「明日香」がわしに言う。「ジィジ、ノブなァ 又 おしっこちびってん」
そういえば長男が深刻な顔をせずに言っておった。
『ノブは平気で濡れた布団で熟睡する… 豪胆か腑抜けか、ようわからん』

小便が出ていようが熟睡できるとは、普通でない事は確かである。が、ワシは言う。
「どうって事など有るものか… 彼の『坂本竜馬』は、有名な「ヨバレ垂れ」じゃわい」

しかし、ひとつだけ 本気で心に懸かる事実が有る…とは、
その時の「ノブ」の発言じゃ。
「あ、おとうさん… なんか出てる…」 これにはマジ。心配している。
『ほんまにこいつ… 腑抜けとちゃうやろか…』

ま、ともあれ。三人の子を朝夕「保育園」に送迎し抜いた長男夫婦に感謝を申す。
何度も言うが… 
ワシの青春の軌道に「創価との出会い」がなかったら、
孫など 会えるわけもなかった。

夜半来の雨も、今 やんだ。  さあ。 今日も一日「獅子奮迅」と闘おうよ。



2007/03/25(日) 09:49:58

今。当地、大きく揺れた。
直ちに戸外に出る。大きく電線が揺れている…が、街は静かである。

極近は石川県能登。  どうか最小の災害に留まりますよう。



2007/03/28(水) 08:26:48

「柳原滋雄氏」コラム欄にて「竜年光」が多臓器不全で死去。を、確認したが…

関西在の愚壮には、この「竜年光」なる人間の輪郭は、少々ぼやけている。
耄碌愚壮が「ぼやけた人物」を語るのは、甚だ心許(こころもと)ないが、
周知の事実は明白である。

「戸田先生の真の弟子は実は私だ(趣意)」と彼が言い出したのが、
そもそも反逆の序曲である。
『戸田先生は「後はお前に(学会を)任せた」と言ったのです』とまで言う倣岸不遜は、
戸田門下生をして、抱腹絶倒の猿芝居で「お話にもなんにもならない」と実録されておる。

死者への冒涜では さらさらないが、
「竜年光」が生前何をしたのかを言わなければ
「巨悪隠蔽」の加担に属するので言う。

本陣東京での草創の歴史は【『総務』奔走!】以下、
数多(あまた)の正史書に学ぶとして、
記憶に新しい事件から「竜年光」の悪辣を確認したい。

「信平訴訟事件」
全国私鉄の中吊広告に衝撃の活字が言う  
『私は 池田会長にレイプされた!』
この捏造事件の顛末を「新潮社」がデッチあげた経緯の
「ジャンクション」に影が見える。

辺地函館の初老の女性の「猿芝居」を、
なぜ一流出版社系列の週刊誌が取り上げたのか。
「なかったレイプ」を「有った」とした強引な横車は
「悪意の同盟者達」の中核の人物の手に渡る。

「学会攻撃に…」と四桁の軍資金を支払った教団は「日顕宗」 では、
受け取った人物は誰なのか。
「信平某」という貧相な女が記者会見を仰々しくやってのけた日がある。
『わたしは 三度犯された』とまで、
噴飯の下ネタのヨタを垂れ流した「特ダネ会見」の日である。

あの日の会場の申込者は「教団」
あの日の司会者は「乙骨某」    では、黒幕は誰なのか。

人生で『これだけは こいつだけは絶対に許せない』は、 有る。
宿業の塊の愚壮は、「一体何を」願い、何を誓って今或るのか。は、知らねども…
「絶対に許さない」との、この狭き、且つ浅き自身の人間性に「へきえき」としつつも、
敢えて「竜年光」の悪行を ワシは許すことなど、生涯無い。

何故ならば… 「忘恩」であるからである。  
『忘恩』が総てを消していくからである。
「人間。如何に生きたか」ではない。
「人間。如何に生き抜いたのか」である。

「師弟」の二字は、見逃しては見失う。 彼の訃報に、ワシはそう思う。



2007/04/01(日) 09:57:50

毎月始めの日曜日は地元子供会の古紙回収。
「オイ、かあちゃん。新聞、表に出しときや」と、ワシが言う前に古女房が言う。
『お父ちゃん、新聞。出しといて…』

「近頃特段。なにかと家内(あいつ)のほうが勝っとる…」とか言いつつ
、ソソクサと新聞束を出す。
表の道路、既に子供会の(新年度)新役員さんが、台車を駆って回収に廻っていた。
旧の子ども会の会長さんも、
「初回はわかれへんやろから」とコースや手順に随伴していらっしゃる。

「若いお母さん達が町内に増えた」とは、我が自治会の筆頭の朗報で、
街が活気。と祝着ではある。
旧の会長さん「Kさん」ワシを見て『おはようございます!新会長です』 と、見れば。
その堂々の貫禄の新会長とは、これが「強靭ママ」である。
おまけに、この巨躯の「元、才媛」の尻に敷かれっぱなしの長男が(親切に)台車を押している。

そう言えば… わしが「浮き草」の境涯で当地に迷い込んで艱難しつつ、
長男が小学四年生の春に、この地の「子ども会会長」をさせていただいてから27年。
今、孫『明日香』が4年生の春を迎えている。   

これだけではあるが、 感無量ではある。



2007/04/12(木) 18:02:25

2007年年頭、わたしは以下の如く決めてしまって公私に臨んだ。が、案の定。
『法戦に連動する家業の大多忙』に、朽ちかけの鋼の老体は悲鳴を上げていた。

「桜が満開の頃には、未曾有の完勝譜を綴り飾るんじゃ」との決意を
酷使の疲労が水を差す。   現に、今施工中のマンション工事に、
外部からの応援などは一切呼ぶ事なく、来週完工する。

大阪内環状沿いの八階建ての基礎入れは、師走も押し詰まっていた。
という事は、120日に満たない間に 8フロアーを完璧に施工した事になる…
だけではない。
当初のマスター工程(基本工程)を、ものの見事に短縮している。

「一切、手を抜かない」とは、死んだ親父の遺言であるが。 
ワシはこれを死守している。
そのワシに輪を掛けた様な「プロ」が居る。
この「プロ」を、瀕死。仮死で御本尊は『愚壮夫妻の長男』としてくださったが…
いやはや。もう絶対に追い越せはしない、と。長男は成長した。

「…それにしても… この超多忙と、
同時連動の法戦の勝利制覇の帰結とは、過酷じゃ…」と、ヨタを吐くまい。
「過酷」とは、絶対に乗り越えるべき事象の形容で、 
その核心は大体、自己に内在する。
外に在る様に見えたり思ったりする時があろうが、
実はそれが曲者で…鯔(トド)の詰まりは自身である。
と。まあ、簡単に言えば、わしはそんなふうに思いつつ、 (自己と)闘っている。

「何時起きて 何時寝たのか…」と迎えた4月8日。
午前六時の地区出陣式に身を裂くが如き心境で愚壮は、
忍者の出没よろしく駆け巡った。
明けて月曜日の現場は はるか「三田」の二期工事。 
聖教新聞よりも早く家を出た。

「我が誇りの府議候補は勝った!」
この事実の説明だけを聞いて私は現場に走ったことになる。

『愚壮さん!大勝利の挨拶に全地区 廻ろね』と
「N支部婦人部長」さんの電話があった。

晴天の肌寒い三田の現場で愚壮は言う
「婦人部長。今夜、わし。会館長ですワ」

『さっすが 頑張る〜 これで安心や』と
婦人部長は変な安心をされておったが、それで良い。

ともあれ、この4月。後半の第二ラウンドに既に突入している。
「過酷」? なんの意味合いもない腑抜けの熟語じゃよ、と思っている。

大阪の公明議員の占有率は「20%」を越えている。 当然の結果である。
特筆 我が府会候補の得票率は「全国一」の壮挙を飾った。 
それが「40.3%」である。

来る22日の連戦には「定数22に7候補を完全勝利」させる。
浮き草の浮浪児「愚壮」が34年前に流れ着いた
大阪北河内の吹き溜まりに昇華あり。
思えば…この名も知れぬ片田舎に、名代の名産がある。『河内蓮根』

『蓮』とは、端午の節句の日並びに意義を持つ。
とは 「御書」に詳細されている。
この「法」と、この「師」に我が人生を謄写しつつ、
図らずも根付いた「地」ではないのか。

『この児はあきらめて、お母さんを助ける…』とは、
長男出産時の医師の言葉である。
仮死と逆子と強度の斜頚で出生した長男は、
若き愚壮夫妻の血みどろの唱題に蘇生する。
この事実をひっさげて、『唱題』の持つ未曾有の「力用」を今、
わしは「法戦」にぶつける。

所謂。選挙は「唱題根本」でなければ 絶対に勝てない。と、こう言いたい。



2007/04/16(月) 11:03:38

>2004/04/16(金) 09:5
 さて、我が「K市」には、知る人ぞ知る 生き字引、
 「M・Y先生」がいらっしゃる(83歳)
 池田先生から直接、「大闘争」との大揮毫を戴いた(於、関西文化)
 超人である氏には、特技がある。

 正確無比なる記憶力が それで、他の追従などは、とうてい敵わぬ。
 握手の際、空いてる人差し指で相手の掌を「コチョコチョ」とくすぐる悪癖以外、
 非の打ち所なし。

 昭和32年の今日、4月16日。当時;池田参謀室長「K市」初訪問。の
 不滅の歴史を「コチョコチョ」氏に問うた。
 「あの日先生は、現在の摂津市・鳥飼大橋まで来られたんや」と、即答、澱みなし。

 「守口のNさん宅訪問が、急遽、「K市」石田宅に変更となったんや。  
 あの頃は、いまのように携帯もないんで、皆、慌てたもんや」
 「参謀室長来る! みんな それこそ必死で自転車で連絡に「K市」を走りまくったんや」


以上。引用が長文になって誠に恐縮する…が。 
重ねて書かなければならぬ意義が「4・16」には在る。
前出「生き字引コチョコチョ先生」は今年、86歳になられていて益々御壮健。 
大慶賀に喜んでいる。 

『参謀室長。来たる!』と、当時の草創の大先輩方が如何に捉えられていたのか…
全国津々浦々。師匠と弟子の偉大な絆の歴史塔は厳然と屹立している。
この、昭和32年4月16日の『K市 初訪問』の史実を、当時の先哲も又、
謹厳に受け止めている。

「わてらのせんせは ひとりかおれへんのや」と、河内の土着の百姓庶民は「心」に刻まれたのか。
否とよ!…と、先哲は言われる。 『心ではない 色身である』

「生き字引先生」が三年前、愚壮に噛み砕かれた「4・16」の意義に実は…核心が漏れている、と言う。
『愚壮よ よく聞けよ…』と続く真意に溢れた言葉には「86歳」の緩みなど芥子も無い。

『実はあの日は 寒かったんや…』『せっかく参謀室長が来はったのに、寒かったんや』
『よう考えてみいや… あの日の一週間後 大阪は補欠選挙で負けたんや…』
森下仁丹の社長が急逝されて、急遽の補欠選挙が行われたのは、これも史実ではある。
が、前年「不可能を可能にした」大阪の草創の先輩達には、連戦の余力は有ったのか。

『あのなあ愚壮よ、 あの当時「K市」の学会員は何世帯やと思うねん…』
『初訪問の石田宅の主人のブロックが12世帯。 残りの半分が これも12世帯や』
『そんなわしらが、あの時 世帯の28・5倍の成果を出したんや…』

昭和32年4月23日。  大阪はこの補選に負けている。
『その直後。大阪地検が室長逮捕に動き出したんや… 愚壮よ、聞いてるんか!』
わたしは瞬時を置かずに叫んでいる。
「先生。負けたら… 負けたらあかんねんな」「負けたら… 余計なものまで動き出すねんなあ」
『そうや  それが急所やねん! あの負け戦で、夕張事件や大阪事件を呼び起こしたんや』

須(すべから)く、福運、果報とは、尽きた時点に符合して諸難は惹起する。
小さな滞納がやがて、ガス代の支払にさえ困惑する事態になる。
が、氏は言う『大地に倒れるもの 又。大地によって立ち上がるんじゃ』

「先生初訪問佳節50年」と 今。法戦の第二ラウンドに青年は立ち上がっている。
その青年に愚壮は申す。
「諸君よ 若獅子よ… 『この片田舎の【師弟の契り】こそ 誇り』と、語り継げ」
なぜかならば。 この4・16があればこそ、「
S55・3・9」が厳然の連環であるからである。

86歳のお元気な声は言う『なんで お前(愚壮)は 史実を厳しく何度も聞くんじゃ』
「せんせ。 それは…僕のほかに当時のことを聞く人が何人も居るならば、聞きません」
「ほんまに ここで。なにがあったんか… これを粗雑に扱うと 隙間が出来る」

『よう言うた…  ほんまやなあ』 せやけどな、と「氏」は続ける。
『ここの街は みんな仲がええ。 異体同心の手本の街や。 わしは何にも心配しとらんよ』
「ありがとうございました。 どうか、お元気で」に、こう言われた。

『香典 ようさん(沢山)出しや』 
何を言うやら…こればかりは どっちが先か計れんわさ。



2007/04/23(月) 06:22:31

定数22議席に削減された今回の市議選に、我が候補七名全員勝利であった。
壮挙も壮挙。正に『舎衛の三億』である。

この得票率「35・2%」 一朝一夕の数字ではない。
いや。 数字などでは言い語れるものではない…とだけ書き 現場に出る。



2007/04/29(日) 11:04:39

平成七年 享年82歳を一期とされた義父の、今日は13回忌法要である。
「満州開拓団」としてのご苦労話や、敗戦時の無慚な「引揚げ風景」など…
「往年の苦渋をば お聞かせ頂きたい」との愚壮の御無理をあまり喜んではおられなかった。

きつい熊本訛りで「くわいちょうせんせい」と池田先生を心底尊敬されておられたが…
ご存命ならば… 95歳であられる。


初夏を思わせる晴天の今日、老衰著しき「義母」を中心に集う。
七人の遺児のうち、三人までが「還暦」を越えている。
孫。曾孫に至っては 正直今。数さえも知らぬ。

…が。 真摯に祈り、真摯に御報告すべき事がある。
『創価の源流』を一族に残してくださった事への感謝と、
正法護持ゆえの不抜の繁栄の御礼である。

あと2・3分で出発する。



2007/05/01(火) 05:42:57

『五月の雨』を五月雨(さみだれ)と言う。
軒下に落つ やや控えめの雨垂れのリズムに、目覚し時計より早く目を覚ました。

「今朝の勤行は特別気合が入る…」と強く御祈念申す事がある。
「東大阪の新工事の基礎入れが今日から始まります」と祈り
全工期無災害と順風の進捗を深々と祈る。

夏場に向かってのこの工事。『体が持つかしら…』と、
軋んだ鋼の老体を気には掛けている。
5時10分前の「聖教到着」に、私は窓を開けた。
「おはよう!愚壮さん。 今日 仕事?」と販売店長の声が弾んでいた。

灰色の空から「五月雨」降りそぼる… 
出発は6時。  弁当が降りてくる気配がしている。



2007/05/12(土) 07:02:27

『今日こそ「帆菜」に逢えるぞえ…』と、
抑えるにも抑えきれない歓びが湧き上がる。

こんな愚壮を察してか、傍らの愚妻が言う
「…帆菜もおじいちゃんを待ってはるんやよ」

愚壮の高揚を鎮める心算の、この妻の一言で逆算益々血が騒いだ。
『そうか…帆菜が俺を待ってるんか…』と血圧は沸騰している…が、
5月4日近鉄鶴橋駅。

車掌が言う「途中の停車駅は有りません 次は終着 名古屋です」とは
「特急アーバンライナー」
ホームで買い込んだ缶ビールが、今までのどのビールよりも美味かった。
車中の二時間は昼時を挟んでいるが『メシは 名古屋で食う』と決めていた分、
ビール尚美味し。

名古屋到着の瞬間の余談がある。『あ。みんなの顔が違う』であった。
『大阪の雑踏の顔は覇気がないが… 
ここ名古屋の表情は輝いている』直感であった。
ま、この重要な示唆を含む余談は置く。

「帆菜ちゃん」の待つ名東区までは『名鉄バス』が高速経由で20分であった。
名古屋駅前の銘店での和定食が「大阪の何倍も美味かった」
と気分も上々の20分である。 だけではない。
件の銘店の係員の接客態度の温かさに「大阪の不人情」を知る。

扨(さて)…『帆菜』じゃが。    これが…ワシを見るなり「大泣き」じゃ。
茶褐色の顔付き(小麦色ではない)にギョロ目の大声。 
泣かぬほうがどうかしとる。

そっくり返っての激泣きに、先着されていた夫君の御両親が
「私の時も泣いた」と嘘を言う。 はらわたが口から出る…との泣き顔にも、
ワシの感慨は増幅していく『帆菜よ、よくぞ生まれた…』と。

夫君「亨君」のご両親とは、二人の祝言の日以来の再会で 
丸5年の月日が流れたが、若々しくあられた。
妻と奥様との会話には「祖母」と呼ばれる立場に在る人の
重量感が満つ真ん中に「帆菜」在り。

亨君と父君と愚壮の酒宴は、
次女『泉』の絶妙の手料理でおおいに痛飲申す間にも「帆菜」在り。
3LDKでの総員での一泊も又たのしくもうれしくも夜は更けていく。

後安置の御本尊に言う…

『ああ…思いもよらぬこの幸せを…只々 感謝申します』
こう心底申し上げ、私は心地よい酔いの中で熟睡に入った。  以下次稿



2007/05/13(日) 11:18:19

翌朝の目覚めはキッチンで立ち働く控えめの物音であった。
厚めのカーテンを通しても、晴天である。
と陽光が斜走する陰陽の中に妻はまだ熟睡している。

すぐ横に幹線高速道が遮音壁も高々と擦り寄る立地に
「これでは騒音で困るじゃろう」とは初見の危惧で、
「この道は閉鎖中か」と森閑としている…と、熟睡の爽やかな目覚めであった。

午前8時、タッパの高い厚めの間仕切りを『泉』はノックしつつ顔を出した。
「お父さん。よく眠れた?  シャワー浴びる?」と言う。
「どうもわしは昨夜、痛飲の度が過ぎて寝込んでいたのかも知れぬ」
との反省を顔に出さず言う。 『帆菜は夜鳴きをせんのお 感心じゃ』 
「グッスリ朝まで寝てくれる」との「泉」の微笑に母を見た。

山口にお帰りの「夫君」のご両親は
『名古屋を昼前に発つ』『時間があまりない』といわれる。
それなら『帆菜』を囲んでのひとときの交歓だ。と、
強引に起された彼女は陽光燦々の中に上機嫌であった。
『女王様 もう泣かないの?』
とか言いつつ二人の「祖母」は「帆菜」をかき擁(いだ)く。

何枚も何枚も…と、わしは手持ちの安物のカメラで接写と激写。
部屋中を這いまくった。

ワシの目をまともに見て「帆菜」は笑ってくれた時。 不覚落涙致す。

「泉」の美味しい朝食も、「夫君」の気遣いも、「ご両親」の品格も。
『ワシには勿体ない』と思う。
先発のご両親を森閑の街路に見えなくなるまで見送る。
母の胸の「帆菜」と共に…

「お義父さん バス停までお送りします」との「夫君」に甘えての時間が来た。
「帆菜」は母の胸にある…     

二時間前。ご両親が歩いた同じ道を、
振り返り振り返り私は「帆菜」を見つめ続けた。
振り返るその都度。 「泉」は胸の中の「帆菜」高く掲げた。
『もういいから、見送るな』との私の合図を無視すが如く「帆菜」は高く踊っていた。

『元気で いつまでも長生きしなければ 申し訳がない』
捨て鉢の「愚壮」に 初めて「長寿健康」への宿願が沸き起こった瞬間であった。
その時私は、胸中携帯の御本尊を 強く両手で包み抑えていた。



2007/05/15(火) 18:41:10

先程東大阪の新規の現場から長男が事務所に帰ってきた。
GWを挟んでのこの基礎工事は基礎梁の梁成(H:高さ)が2,500。
約50人超の人工が掛かったのは、規模から見れば上々の出来高であった。
滾々との、生駒山系の伏流水の湧水はある意味難渋したが、
非常に私は気に入っている。

今日の長男の仕事は『基礎配筋検査』   
最も緊張の瞬間である。

事務所に私が「どやったんや」と聞く前に『オヤジよ。
一切指摘が無かった』と言う。

「そらそうじゃ。一体誰がやっとんのんじゃ」とワシは、
思っていても決してそうは言わない。

この現場も一から十まで、総ての手配を長男は完璧にこなした。 
大した奴である。

大した奴と言えば…GW直前の五月二日、
「切がいいから…」と自社の職人さんと小宴を持った。

大体が酒豪で、滅多な事では潰れない私にその日、アクシデントが起こった。
盛り上がった宴を開き、職人さんが帰った夜道でワシは「二次会」に長男を誘った。

「相変わらずやなァ」と言いつつも
「こんなにゆっくりする事は久し振り…」と彼は快諾する。
の、直後。 騙し騙しの膝に激痛が走った。  
出所は膝、が。見る見る下肢全体が攣りだした。

かくて、「鋼の超人」は角の酒屋の開き箱の上に頓挫致す。
只ならぬ脂汗の愚壮ほど醜いものは無く、長男は焦ったとは後談である。

後談とは…実はそれから後の事は、面目ないが覚えていない…と。家族は言う。
聞けば、わしは長男の背負われてのご帰還であったそうな、それも「意識朦朧」で…

この日から、実不実。長男はワシを凌駕した事になる。
あの日から…彼が「亀」で、わしは「うさぎ」となるが…これでよい。

「不覚の日」の三日後の晴天の昼下がり
見送る「帆菜」に長寿を誓ったが… なにもかも、それで良いと思っているのさ。



2007/05/17(木) 11:51:49

『今年の夏の八月の、貴女の父上の十三回忌法要にと法華経十の巻をお送りいたします』
『それにつけても、遠路をはるばると御主人を、この身延の沢に御供養を携えての 過分の御志…』
『御子息同道の深慮は、夫「阿仏房」の老体への労りとは存ずるが、国元にての心細き御留守居…』
『その御志と御振舞は…私の亡き母が黄泉から還られた如き喜悦です』

「コスモB座」に臨んだ愚壮は上記を言いつつ、以下と続ける。(五月十五日 於:H氏宅)
「母が一番尊(たっと)い。母が一番偉い。 就中、妙法を信授する『母』に於いておや」

『千日尼』がこのお手紙を拝する時。 恐らくや彼女はこう決意をされる。
「夫の病が如何に重篤であろうとも、圧(お)して身延に行っていただいたが、これでよかったのだ」と。
「私の事を、御師匠様は『母』とまで言ってくださる のみならず、その上『必ずお会い出来ます』とまで…」

『「千日尼」の喜悦は計り知れない。と、他人事に聞いてはいけません』
『この座談会の貴女も、又貴女も「千日尼」です』と私は言い、以下を続けた。

今回学んだ「千日尼御前御返事」の次の年の春。夫「阿仏房」は逝く。
北国の豪放磊落の武士は晩年。 その身命を懸けて「御本仏」を求めぬき、逝く。
おそらくや、その時。「千日尼」は大聖人の言いつけを守り、強く毅然であられたとおもう。

『寸分違(たが)わず』とは、この夜の座談会参加者が想う「師匠」と「私」であったろう。
「参謀室長 入獄」から半世紀。の本年は大瑞相の時でもある。
就中。この「5・3」は又「創価母の日」でもある…と、
私は参加者全員の皆様に「カーネーション」をお受け願った。

御婦人は当然であるが… 「M地区部長」さんにも、新進精鋭「S部長」さんにも
『奥様に…お母さんに…』とお渡し致した。
「S部長」などは、頭のてっぺんからの声で言う「いや〜ん 愚壮さんありがと!」

18日の「HMブロック座談会」は「Nさん宅」である。
すこし『母の日』からは遠くなったが、わしはここにも「カーネーション」を抱いていく。



2007/06/15(金) 19:26:08

本日の聖教新聞大阪版に「山下せんせ」が紹介されている。

【共戦の誓い】
「常勝・不敗の原点」大阪大会から50年―
とある記事を起き抜けの早朝に見る。

冒頭曰く。
不当逮捕の五日後――。
昭和32年7月8日、池田青年室長の取調べが、府警から地検へ移された――。

当時。同じ建物内の郵便局に勤務されていた「山下せんせ」は、
この「二週間の断腸の空間」同居している。
「室長をば手錠腰紐で衆目に晒らす」「それも、一番効果のある場所でだ」
検察官は職責柄「傷跡の残らないボディーブロー」効果を知り尽くしている…と。
「青年室長」をして『積年の怨念』の晴らし場所を『本館と別館の渡り廊下』とする。

「まるで市中引き回しやないか!」と、怒りで体が震えた。
との文章でも、怒り著わし得ず。
泣き腫らしたご婦人に手錠の両手を「室長」は、高々と上げられた。とある。

その颯爽たる勇姿は「手枷の敗者」ではない!と記述はこう言う。
『私は大丈夫だ!断じて負けない』との先生の叫びを「生命」で聞いた。
と文間は続ける。

『ああ、獅子は― どこにあっても獅子である』

トタン屋根の「拘置所(当時)」は、炎熱の涼など望むべきもない…と言う。
おそらく…独房内は40度を超す時もあったと容易に想像がつく…
『ただただ、青年室長の体調が心配やった』と書かれているが…

「山下せんせ」は言う。
「そんな言葉でも とても言い表せるもんではないんや…」

「池田大作 無罪」とは、八十数回の公判の闘いの中で、
白日の正義を見い出した裁判官の正視眼である。と、史書は言う。
すべての公判を傍聴した「山下せんせ」は言う。
「裁判官が思わず注意を促すほど、裁判所内は大歓声でした」と。

当時の法廷の証言台は、今も「関西錦州会館」に黙然。
「不撓の歴史」を語り続ける。

解体され闇に消える運命の「木製重厚の証言台」を、
粉砕寸前に払い下げを受けられた。

「山下せんせ」の師弟の気迫は、
時運の流れにも「急所」をば見逃さない…と感嘆する。

ともあれ読後の早朝。私は「せんせ」にデンワを致す。
「拝見しました。 感動再びです。 有難うございます」と申す。
受話器の向こうで「せんせ」は大きな声で言う。
『わざわざ 朝 早うから おおきに。 又、(飲みに)行こな〜』と…

が、しかし。ワシはこの大先輩を「飲酒」になど誘わん。と思いつつ、こう言う。
「それよりもせんせ。壮年部のK大会。絶対呼ぶから来て下さいね」に、
『よっしゃよっしゃ』と益々お元気な声が返ってきた。

愚壮は思う…
「わしより23歳も年嵩やのに あの元気は どこから出るんやろ」
『大阪大会50周年』から、真実。
一体何を学ぶべきなのか― 深く仏前に沈考している。


>86歳のお元気な声は言う『なんで お前(愚壮)は 史実を厳しく何度も聞くんじゃ』
「せんせ。それは…僕のほかに当時のことを聞く人が何人も居るならば、聞きません」
「ほんまに ここで。なにがあったんか… これを粗雑に扱うと 隙間が出来る」


自問して自答を申す。
「僕のほかに当時のことを聞く人が何人も居るならば」とは愚壮よ。
貴様。のぼせ上がるにも程があるというもんじゃ…と、赤面をしている。


               2007年6月までの稿完結


  


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