2008-07-01 07:32:20

【 今…私は生きている
今のうちに、吸収しなさい…

どうして皆  そんなに自分が大事なの?
自分の事しか 考えられないの?
どうして…師匠に無関心でいられるの?
師匠が気にいらないの?   大切じゃないの?

24時間 365日 60年…
只の一瞬も、戸田先生のことを忘れた事はない  御本尊様に誓う

みんなにとって、池田先生なんて…どうでもいいんだね。  】



日曜日(6月29日)の夜のリビングに、長女は沈んでいる。
『疲れたか。 どこか悪いのか…?』と問う私に、長女は垂れた首を向けた。

家族の中で、母親を凌ぐ信心を垣間見せる彼女をして落涙させるは何。
『何故 啼くのか』に、私を遠い目で見つつ、再び長女は淵に沈んだ。


この日。 家族は終日の闘いに果敢であった。
『愚壮宅』の支部出陣式には 5人の男子部精鋭が『常勝の空』を鼓舞している。
狭い狭い仏間は「Y圏婦人部長」の見参も見る…と、熱気は充満を超えていた。


『女子部は?』との野暮な私の問いに、「N支部婦人部長」は愚壮を睨む。
「守口平和に全女子部が結集です」 
『わかっておる。知っているんや』と、ワシは、ワシ流の伏慮は言わない。

「7・3」「7・17」は、はたして眼前にある。
昭和32年4月16日 当地北面の淀川を「師匠」が越え来たりて51星霜。
爾来。 我が地の弟子たちは雲霞と屹立した。 その歩武は「堂々」であった。
慙愧の退転の友も。「支部大半」が寺に行った増長不遜も。鎧袖、一触すら叶わじ

17時の「愚壮宅拠点闘争」は、一時の空間の後「第二波」の戦いに壮年はある。
「本部地区十勇士大会」19:00 於、「T会場」 担当「Y圏長」

50名を越える壮年の結集は、許容の定員を踏み潰している。
「小机」も「諸備品・調度」も、押しのけての盛況である。

『常勝大阪総県』とは、我が堅城を言う。 その『総県』の中枢の壮年が集っている。
『総県師弟の日』を「4・24」に!   「T総県長」の灼熱の求道がここにある。

師の『4・24は常勝大阪の日である』と花押に、本部の「地区十勇士」。鼎となる。


「Y圏長」は言う。 「あの、4・24に…私は当地に居なかった」
が。と氏は続ける。 「師匠の仇を打つ気概は 一切終生 失うものではない」

婦人部に混ざらぬ会合が『こんなに楽しいものなのか』とか言いつつ壮年は燃えた。

22時前の帰宅は『明日の身の軋みが、チト恐い』とか言いつつ禁断の「缶」を持つ。
そんな矢先の冒頭の【〜】であった。

『池田先生は師匠』と妻も私も子等も言う。
長女の涙は乾かない… 音を殺して、夜は更けていく…
『では、聞くが…  お前は「真正」の弟子なのか』  私の自問が重く切ない。

沈黙のリビングに、 ツト妻は席を立った。
「おとうさん。 明日  また早いんでしょう? 疲れが残るわよ」

沈み込む長女の頭を優しく撫でて、わたしは三階への階段を上がっていた。




2008-07-01 11:35:21

わたしは「無学」である。
小学2年生の時から「食うために働いた」
朝夕の新聞配達には小学6年生から4年間続けた…食わんが為である。

中学校に通い始めての2年生の頃であったと記憶する。
「不明の父親」筋を逆に辿った京都一乗寺に「K親方」を知る。

「お前の受験料は俺が出す」と、強く高校進学を勧めたのは「T先生」
定時制ならば働ける…とは、社会を舐めた浅識で。 2年で「ケツ」割る。

18で自衛隊。二年後の満期除隊以降。あらゆる「悪行」に埋没する。
「悪行」の最中にも、ひとつだけ(であるが…)『善』がある。

それが「祖母の食い扶持」の確保であった。



時は流れた…
今。わしには四人の孫が居る。  

「黄泉」の祖母への距離は、刻々と近ずきつつある。
『寿命』は  これは決めるものではない。とて…である。
疲れ果てているのも亦、事実ではある。

友が言う。 余命 最早短しと。
『友』よ、 汝(なれ)は「孤独」ではない。


友が言う。
身。掻き毟るが如きの「労苦」ゆえの箴言  未だ届かず。と。
『友』よ、 同姓同名天とは「深奥の確たる仏」ではないのか。



『…そして、たれも 居なくなった』とも嘆くべからず。
容(かたち)あるものは 全て消ゆとは、不動の摂理なり。

茲に『創価』在り。 茲に『師弟』在り。
この際。と思う。  「永遠の師弟の求道」に余命よ燃えよ。と。

『完結』とは即。 燃え尽きる事であるが故。
それにしても…と、再びに言う。 吾『無学なり』




2008-07-03 05:45:48

昨夜。『槌ちゃん地区部長』から電話があった。
「三つ(用件が)ある」と言った。

一つは。 先月かかりであった。
「無冠のFさん」の御機知も虚しく御遺体で発見されてしまった「一壮年」の法要。
「49日法要を愚壮宅をお借りして行いたい」
「ついては、愚壮が導師をせよ」との事である。是一。

「去年の夏。長逝せれたW名誉本部長(名誉称号)の一周忌法要は
御遺族のみで行いたい旨である」       是二。

今月の地区座談会(於、愚壮宅)において
「常勝の空」30周年の意義を述べよ。    是三。


わたしは、一々に『お知らせいただき、ありがとう』と申した。
一と二には、詳細を「風景」の中で御紹介申したが…
『常勝の空』が、何故「会長勇退の年」の直前の出現なのか…を思沈する。

これも昨夜。やや遅い時間に「N部長」が拙宅を訪ねられたが…
「なぜ、先生の「常勝の空」は昭和53年7月17日の出現なのか」と御質問あり。

『軽くは断定できないが…』とわたしは、三番の「歌詞」を詩吟と申す。


【 嗚呼 関西の行進に   諸天の旗も  色冴えて
     護りに護らん   我が友を
              いざや!  前進。 恐れなく  】



『部長。 これは… 常勝の行進の中で』
おのずから諸天は我々を護る…と、思っては居まいか。
『弟子よ!  あの人を この人を…私の弟子ならば』
「護りつつ往け!」ではないのか…と、反芻した。

睨みつけるが如く聞いていた「N部長」に愚壮は重ねて言う。
『Nさん。貴方と私二人で、20人を折伏しましょう。 出来ぬ訳は無い!』
弾くが如く「N部長」は申された。
「僕には今、大きな悩みがあります」「しかし。勝ち超えます」


「禿げ頭」を深く下げて見送る度。 部長は自転車を何度も降りて返礼される。
『いざ!』と思うのは他でもない。
この夏は… 全てに決着を付けねば為らぬゆえである。




2008-07-09 08:38:06

7月度の座談会は『大阪大会』を外しての座談会など在る筈もない。
「7・3」を胸中に確かめつつ 「7・17」を皮膚全体で確かめる。

「7・6」は灼熱の伊豆である。
路傍の小石を「ハッシ」と蹴った…とは、
この日。官憲に捕縛された「恩師:初代」の歓喜である。

20年前の「7・7」   蓮根畑の風情に地元「K文化会館」竣工さる。


意義に意義を重ねる「炎暑」の7月。
我が支部の「折伏」の炎は今。 『燎原の火』となっている。

当地東面の屏風「生駒連山」は、その南端の「信貴山」で古道の隘路に沈む。
「二上山」「金剛連峰」が真南から南南西に転進しつつ大阪を抱き込んでいる。
紀淡海峡に潜り込む山塊の行く手は、淡路島の南端に立ち上がりつつ宇和を目指す。

『関西は強い』とは何を言うのか。
『常勝関西』とは何を指すのか。

一こま一場面の『常勝』の孜々に「原点」は、「源」は厳然と在る。
「宜しく 関西に基点を決むるべし」とは… 「戸田二代会長」の御炯眼であった。

冬枯れの淀川鉄橋を轟音。炯眼の蒸気機関車が渡ったのが56年前であったと言う。
「炯眼」は、関西に抜き難き楔を打つ。 とも先人は感慨する。

今。「7・3  7・17 大阪大会記念 地区座談会」に蒸気機関車は驀進する。


屹立の人が居る。
新進のお若き「T地区部長」が、 歴戦の勇士「老兵の地区部長」が、
寡黙秘める灼熱の「槌ちゃん地区部長」が、
近辺最大の大世帯の地区を長年に亘って死守されつつの「M地区部長」が…



「婦人部の皆様に、これ以上御心配をかけてはいけない」とは、謙遜である。
『109人が総立ちだ!』とは、愚壮支部長の悲願である。
「老兵氏」は言う。 「支部長、無茶言うたらアカン… 会場がない」

統監109。とは、我が支部の「壮年部」の戦力である。
『アホ言いな。 会場はあるがな』と、愚壮は「109総立ち」の快挙を捨てない。


お若い「T地区部長」が式次第を御届け下さった。
幹部:愚壮。とある。
「Tさん。 愚壮なんぞ 呼んではいけない」と真剣に申す。

有難く、嬉しいが…と、同じ事を「M地区部長」にも申し上げた。

お二人の御返事は、はたして これも同じであった。
「協議会での 地区の皆さんの総意です」

『中途半端な「報恩」では、どうして参加など出来ようか』と悩みに沈んでいる。


夏の初めの暑気の苦悩に「老体」は、既に泡を吹く。
長男から無理やり頂いた今日の休日は、 こんな苦悩と、 今。闘っている。



2008-07-10 07:09:21


「つきよ」ちゃん。とは、私より5・6歳年嵩で69歳には届かない。
この、清潔で明るく 物怖じしない痩身の女性は、しかし薄幸であった。

数年前まで、街路の裏筋のマンションに御一人で住まわれ、後 転居さるも
妻と気が合うのか、どちらが合わせているのか…と、付き合いは深かった。

「地区員さん」の初老の婦人であってみれば、何処でもそうであるように
妻が、あれこれと細かな気配りで接していたのは当然。と「創価家族」であった。

「娘さんが奈良に居る」「孫と会うのが楽しみだ」位の身の上以外。
この「つきよ」ちゃんの詳細は愚壮は知らぬ。

数年前の転居先は隣接の「圏」…と。 それでもいつしか遠のいていた人となる。


が、突然。と彼女が訪れた。
先ず電話があった。 「つきよちゃんで〜す」と、相変わらず明るい声であった。
「今から行ってもいいか?」に、断る理由など有る訳もなかった…が 
あいにく妻は外出中で 静かな事務所には私が一人である。と、困る。

「奥さん お留守?」「それでも、話がある」に、更に私は困惑する。


持ってきてはいけない「手土産」を私に渡す婦人は、既に明るくない。
『なにかあったか』に、 婦人は秘めてきた事情を打ち明けた。

妻帯の男と、40年以上の付き合いがあると言う。
『チト 生臭い…』と、打ち明ける内容に乗り気が出ない。

生活の全てを 彼に頼っている。と、話は進んでいく。
「奈良の明神様へ二人で遊びに行った時」…と、彼女の話は更に進んだ。

『明神? それは あんた。謗法やで』とは、古臭い愚壮は目を剥いた。
「せやねん 絶対それが悪かってん」と彼女は「謗法」には素直である。

『ほんで、どないしたんや』「落ちてん…」
『誰が』「彼が…」 

落ちる、とは墜落なのか。と、わしは元気になった
『どのくらいや』  「サンメーター」『サ・三メートル?』「うん」
『うん、やないやろ  3Mはあんた… 死ぬ高さや』

救急搬送した病院で、大事な彼は「開頭手術」を施(う)けたが。
脳からの出血で 腫れが引かず「重篤」となってしまった。

「わたし… どないして食べていこ 」と、身も世も無く婦人は沈んだ。
『嫁はん居(お)る男と40年も付き合(お)うて しょうもない女や』
とも言えず  わしの方が沈みたい。

『その人は死ぬんかい』「うん。死ぬは… きっと」
『死んだら 困るンやろがい』と腹が立ってきた。
『どっちに転んでも 大事な人の命や』「うん」
『あんたが 助けな 誰が助けるんじゃい』「え! ウチが?』

今夜から必死になって「丑寅勤行」を三日続けろ。
日付けが変わった時間から始めて、『夜が白々と明けるまで 祈りに祈れ』

「うん! そうする」と 飛んで帰った婦人から先日の電話がある。
「意識が戻った」「助かった」とのことであった。

『あんたみたいな 悲運の女性も』祈りの深きに諸天は動く。とは自戒である。
なろうとなった悲運ではない。 懸命の心算の人生であろう。

『泣くな嘆くな   先ずは「一個の命」が助かった』と電話を切った。

暦の6月を破り捨てる…そんな、最近の「風景」であった。
「つきよ」ちゃんよ。   しっかり組織に付かねば つまらんぞ。 



 2008-07-11 05:43:54

『雲が低いな…』と、私は静寂の街路に出る。

沸騰の地区座談会の歓声に、寡黙の地区拠点のご主人さえ
帰宅の愚壮を、勿体なくも玄関にまで御送りくだすった昨夜であったが。

未来部の「御書拝読」と申し。
白ゆり長さん達の「B活動報告」と申し。
青年部の「大阪大会」への深き意義と申し。
地区婦人部長さんの御気概と申し。
新進気鋭の新任「T地区部長」さんの獅子吼と申し。
一夜明けた今も、愚壮の五体の隅々の『感動』 消ゆる事なし。

低き雨雲の下を流れる早朝の微風が、私をすり抜けている。
もう一度。と、見上げる雲の「往き足」は あくまでも動かない。

数多(あまた)の同志の暖かき御言葉への「答礼」を…と雲に言う。
『雲よ、 きっときっと。御届けてよ』と。

時計は早や 出発を急き立てている…と。軋んだ老体に鞭が入った。




しをのひるとみつと月の出づるといると
夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり
凡夫の 仏になる又かくのごとし

『…必ず相違する事あり』  感謝が再び燃え上がる今朝である。



 2008-07-14 10:44:36
7月とは  「師弟の月」  「青年の月」  「関西の月」
大阪事件を後継の青年群に語るとき、初老の「弟子たち」は涙する。
先生との「錦絵」の如き邂逅に、不抜の「鎹(かすがい)」が厳と在る。
昭和27年。   淀川鉄橋を驀進の列車の『師』の眼が追う影絵がある。

『錦州城』…  かの『大阪城』は、この「誉まれの戴冠詞」を莞爾と鎮座す。
大阪の区々街々は、「お城」を中心に街道を呼称しつつ俯瞰する。
大阪の庶民が言う「太閤はんの城」は焼失も、「城」への誉れは不変である。

「昭和53年7月17日の前夜であった」…と、当時の青年部の烈士は言う。
そは、関西の中心会館に繰り広げられる「息詰まる深夜の風景」の描写。

ピアノの前の女子部は、掛かって来る電話を通じて写譜しつつ弾いていた。
一音一音奏でつつ、再びの受話器の伝令に鋭く呼応し採譜し鍵盤を打つ。
深夜の会館に遭遇の青年は言う 「鬼気迫る 師弟の呼吸であった」と。

「最後の旋律が決まらない」とは、一瞬の画面の上だけの映像で…
『たれもが勇気に沸く、オクターブの飛躍の音階の妙は、』の誕生は
命懸けでも師匠を求めぬく、関西の弟子たちの「実在の証し」であった。

「 我等の誉れ 錦州城(きんのしろ)…」に陸続の「波濤の如く」とは
深夜の回線に「師匠」と共戦した『錦(きん)の連弾』に他ならない。

「常勝の空」の正式発表は、かく 「師弟の死闘」の踏襲に全貌を涌現さる。

灼熱の13日(日)午前11時。 愚壮宅の地区座談会に「目撃の烈士」在り。
「N部長」は颯っと立つ  『俺も 吾も…』と男性参加者は立ち上がった。
担当総県幹部を含めての屹立の「常勝の空」   正に異例の風景であった。

この日。支部で3人の「同志」の誕生を見る。
座談会が終った時刻から、愚壮一家は「淳ちゃん」の愛車で会館に在る。
15時からの「セミナー」直前、去年の夏「御母堂様」を失った青年御入会




 2008-07-17 08:28:18

『7・17』の朝を迎えた。
午前5時には既に事務所に居る…と、今朝も愚壮は実在す。

「無冠の友」への心からの激励は、はたして…続いている。
「Fさん」とは、地区副婦人部長で「正」の無冠である。

先月の初め。 彼女は、「自室での孤独の死」の壮年を発見する。

訪れる人なき「昭和」の名残の巨大アパートの佇まいは、荒んでいた。
細長き 暗き廊下には 遠い間隔の薄汚れた小さな蛍光灯が終日と点く。

全室が満杯の喧騒の余韻は、遠い日の「幻燈」の如く消え去っている。
今、この。かろうじて「余命の淵」のアパートを、見守る「人」が居る。
それが、「地域発」の安全パトロールを、知不知に勤める「無冠の人」だ。

そんな彼女と「雲」を見上げる。
朝のニュースは「更に今日は暑くなる」と告げている。

「Fさん」は言う。 「7・17です」 
私は見上げた視線を一転「無冠の友」に向けた。 
『決して 忘れてはいけない日ですね』 『…冤罪ですので…』

聖教新聞の束を大切に胸に抱(いだ)きつつ彼女は深く頷づかれた。
『51年もの歳月が流れましたが』たれもが胸中に刻印の此の日である。

二人の会話を、巣中の四羽の「燕の雛鳥」が聞いているのか、顔を出す。
中空高く… 路面に低く…と。 親燕達は交互に給餌の弧を鋭く描く。


束の間の会話に、予報を無視する、と。涼風が流れた。
やがて… 同じ路端に小学生のさえずりが聞こえる頃、日差しは「夏」となる。



2008-07-18 11:51:42

「忘れ得ぬ風景」を探訪すれば…
昭和25年か6年か…
「祖母」は、私と妹の手を引いて「慟哭の叫び」と歩む。
「死地」を求めて……

「踏切」に立つ。遠くに微か 機関車の蒸気音が迫り来る。
限られし瞬間の息間にも、「轢断の決着」は止まりはしない…と。

愚壮は「死地」への邂逅を晒しつつ想う。
…はたして、場所は何処(いずこ)なりや…


此の踏み切りは 現在のJR「関西線(大和路線)」でした。
場所は「東部市場前駅」の天王寺寄り(西側になります)

当時。警報機すらなき幅の狭い踏切でした。
線路の南側は旧桑津村の集落が神社を中心に在り
北側には、大阪市電の軌条までの間に辺鄙な工場が点在していました。

此の踏切から更に天王寺方面に行くと「操車場」があり
その上を鉄橋が跨っておりました。(現在の「高松小学校付近」)
確か後年… 此の鉄橋で「映画:悪名」の撮影が在り
往年の「勝新太郎」「田宮次郎」の『浅吉:貞』が渡ったと記憶します。

「操車場」に通い 貨車の入れ替えを飽きずに眺めていた少年時代…
『忘れ得ぬ風景』です。

「操車場」から… あの『踏み切り』に戻ります…
私の記憶には有りませんが…後年。祖母はこう言いました。
あの踏切で死ななかったのは、お前が感付いて必死で止めたからだ…と。

「ばあちゃん 死ぬんやろ 僕 いややで 僕 いややで」
此の言葉は、恐らく。 わたくし。死ぬまで忘れる事はないでしょう。

その後も何度か、この「踏切」を渡り この「踏み切り」を訪れました。

祖母が、人生の苦悩との決別には『死』しかない。と思い込み。
孫達と三人で今世を「踏み越えよう」と ここに立ったのか…。
そう思いつつ訪れた「踏切」に、 涙が乾く事はありません。

何時しか時は流れ… 「踏み切り」も消えました。
古き区画は整備され、 場所の特定も儘なりませんが…

妻と立つその場所で、フト こう思ったのも事実です。
わたし達兄妹は、この場所で一旦、死んでいたのかも知れない…と。



2008-07-25 13:27:14

>二時間前。
>ご両親が歩いた同じ道を、振り返り振り返り私は「帆菜」を見つめ続けた。
>振り返るその都度。 「泉」は胸の中の「帆菜」高く掲げた。
>『もういいから、見送るな』との私の合図を無視すが如く
>「帆菜」は高く踊っていた。

>『元気で いつまでも長生きしなければ 申し訳がない』
>捨て鉢の「愚壮」に 初めて「長寿健康」への宿願が沸き起こった瞬間であった。
>その時私は、胸中携帯の御本尊を 強く両手で包み抑えていた。


昨年のGW。 わたし達夫婦が「帆菜」をたった一夜。と、訪ねた朝の「風景」が上記。
長男の三人の子供達に次ぐ、この四人目の孫「帆菜」は、比類など無き「宝」である。

『今年の炎暑は耐え難い』とは、愚壮の「鋼の筋力」の衰微著しき兆候とは余談だが
この軟弱極まりなき「父:愚壮」に長男は言う「オヤジ…20〜22まで三日休む」

『大きな声では言えんが…助かった』との19日(土)夕刻であった。
「おとうちゃん。亨君・泉ちゃん・帆菜ちゃんが こっちに向かってるんや!」とは妻。
『今 何処や』「滋賀県」に、 仮死状態の愚壮は一転速攻、凛々しく変身する。

『孫が来るだけで愚壮よ 「凛々しく変身」大袈裟じゃ』との御仁に、チクと言い訳する。

実は、21日19:30支部運営会議  於、愚壮宅
  22日19:30支部幹部会   於、支部福運超宅
このふたつの隙間を縫って『この時期、三連休など天佑である…』とワシは
復帰従業員さん 新規従業員さんを交えての慰労の小宴を計画しておった…とは。
「三連休」の隙間が、一瞬で飽和となっている… 

「飽和」が一転。『全部完璧にやろうじゃないか』と、急に、つまり…「凛々しく」なった。

来た来た。 「帆菜」が来た。(19日 午後9時)
ワシの携帯の「データフォルダ」に満載の四人の孫達の中の一番下。
汚き作業員詰所に「熱中症」の肩の息で愚壮が沈む…その都度。 
死に懸けのワシを「小さな画面」で癒してくれた「帆菜」の実物が遂に来た。

笑っても ハシャイデモ 泣いても…「帆菜」 我が腕に在る。
和室十二畳の仏間に二つの座敷テーブルを縦に繋いだ…とは去年6月。

一年後の20日(日)に、総員12名の「愚壮一家」が同じテーブルに集っている。
初参加の「帆菜」を主役の定位置に、団欒の嬌声は 時を忘れて流れていった。


「明日香」「ヒロ」「ノブ」「帆菜」よ。
わしは、 お前達に逢えるとは…想像もしておらんかったよ。
…どころか。 孫との逢う瀬などは、わしの「人生行脚」の何処にも無かった刻印じゃった


遺言ではないが書いておく。 『信仰』は『王道』でなければ あいならん!
どうか ひとつ…  これだけは皆。 守って貫くべし。   たのむぜよ。



2008-07-26 09:39:52

大白蓮華8月号を「点読」申す。
(熟読し、あらゆるページが一点に繋がっている…との確知は後日となるが)


又八の巻に云く
「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん…
 若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人は現世に白癩の病を得ん
 若し之を軽笑すること有らん者は
 当に世世に 牙歯疎欠・醜き脣(くちびる)・平める鼻・手脚繚戻し…
 眼目角ライに身体臭穢にして 悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文、431p


汝等是を知るや
 烏と申す鳥は無下のげす鳥なれども鷲・の知らざる年中の吉凶を知れり、
 蛇と申す虫は竜象に及ばずとも七日の間の洪水を知るぞかし、
 
 設い竜樹天台の知り給はざる法門なりとも経文顕然ならばなにをか疑はせ給うべき、
 日蓮をいやしみて南無妙法蓮華経と唱えさせ給はぬは
 小児が乳をうたがふてなめず病人が医師を疑いて薬を服せざるが如し、1058p

法華経へ入るとも…
 本執(己理)を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と
 又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と
 法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者(同志誹謗)と
 此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり、 358p 359p


「今此の三界は…  
 皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり
 而も今 此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、
 復教詔すと雖も而も信受せず、(どころか、である…)
 乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん、

 ※其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、358p
 
師匠が御引用の御金言こそ、【十大部】「下山御消息」ではないのか!

 「己理」も「我理」も、一切を否定し申された…のみならず。
 鎌倉幕府が「尻」を窄めて差し出(いだ)した『目抜き通りの大堂宇』拒否さる。
 

 『開目抄』に解かれし『五箇の鳳詔』とは、そも何を指すのか…
 それが、「竜の口」直結の『大諌暁』ではなかったのか

日蓮大聖人 御金言に曰く。
 此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間
 一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、

 漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず
 当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ

経には上行無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へどもいまだ見へさせ給はず、
日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば
地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して
況滅度後のほこさきに当り候なり、

願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、
其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に
他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、
又これより申さんと存じ候、いかにも御房(和合僧)たちはからい申させ給へ。

                日蓮花押 374p


此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ
 よくよく信じ給うべし、をとこのはだへをかくさざる女あるべしや
 子のさむさをあわれまざるをやあるべしや、

釈迦仏法華経はめ(女)とをや(親)との如くましまし候ぞ、
 日蓮をたすけ給う事今生の恥をかくし給う人なり
 後生は又日蓮御身のはぢをかくし申すべし、

昨日は人の上今日は我が身の上なり、
 花さけばこのみなりよめのしうとめになる事候ぞ、

信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱え給うべし、
 度度の御音信申しつくしがたく候ぞ、903p

いささか長文となった…が。最後に以下を御拝読する。

澗底の長松未だ知らざるは良匠の誤り
闇中の錦衣を未だ見ざるは愚人の失なり。 170p



2008-07-26 11:11:14

「くたばる有様が、あまりにも非道(ひど)い…」とは長男。
今日は他社への応援であるから 「ゆっくりしてくれ」とも言う。

強すぎる日差しの戸外には「出来れば出ない…」と、往く人なし。

閑話休題。

燕の巣が三度堕ちた。
一回目は人為であった。

一昨日の夕刻。帰着の拙ガレージに動転の妻が立つ。
運転の長男の言う「様子がおかしい!」は、悲しいが 当っていた。

妻は、放心の「泥の巣」を両手に支え持ち泣いていた。
「どこかの子供が 虫取り網で…」巣もろとも4羽の雛達を掻き落したと…

ワシは瞬時に沸騰している。 『何処の餓鬼じゃい!』
見れば…初見の女児が、自転車に乗って「付かず離れず」と居るではないか。

咄嗟のひらめきは図星であった。
「友達のなあ、○○ちゃんがなあ、鳥、盗っていってん…」と悪びれずに言う。
『全部。 今すぐ 持ってこい』に 少女の血相は変わっていた。

やがて… 三羽の雛鳥を少女は前籠に連れ戻った。
『もう一匹わい!』に、 再び少女は走り去る。

「悪かった」と、男の子は言っている。と、友を擁護の少女。
この際。 擁護は「燕の雛」にではないのか。とは、子供でも知る筈である。

シブシブ最後に返した「雛鳥」は、 恐怖の極致に震えは止まらない。

少女に言う。
『わしはな。あんたに言うてんのと違うんや』
ここは、遂に姿を見せなかった「男の子」に『ちゃんと、謝れ』と思う。

三人の職人さん達や長男や妻は、事の成り行きを全部見ている。
その足元を 触れんが如く「親燕」は啼きつつ絡み飛ぶ…

完全に破壊された「泥と愛」の巣。
完全復旧など思いもよらない… 疲れ果てている男達も巣跡の棚を見上げ続けた。

「とりあえず…」と、小さな棚の上に大きな板を載せ 18番線で結束した。
残された「泥の巣」の残骸を載せ、買い物籠のタオルに緊急避難の雛達。板に乗る。

次の瞬間に「サッ」と 親は「給餌」の飛翔を見せているではないか。
さは言えど…である。  固定の無き巣。 雛が落ちるのは時間の問題である。

熱帯夜に「マンジリ」ともせず…とは昨日の早朝。 危惧は現実となる。
「無冠」のFさん。とは… 「一壮年」の孤独死の腐乱を間一髪 止めた人。

再びFさん。 機転の人となる。  『又、落ちたのか!』と、飛び出る愚壮。


手の中の雛は… 幾度もの墜落の恐怖に、慄(おのの)きをば通り超えている。

ここに手彫りの高級将棋駒がある。この蓋は、桐で出来ておる
『大きさといい、深さといい 丁度いいワイ』と躊躇無く蓋の一面をちぎり捨てた。

再々度の買い物籠の「緊急避難」の雛。 心なしかワシに言う。「お世話になります」
『なんの、なんの。 お前らの元気な巣立ちまでは、軒端を貸したワシの責任じゃ』


せっせ、せっせと、親は炎暑に餌を運んでいる。
時々来る「野良猫」には、連続で鳴きつつ急降下で威嚇している。
その「鳴き声」に、雛達は身を後ろに引いてうずくまっている… すごいもんじゃ。

親、手造りの「巣」は壊された。 改築の「巣」は駒の箱。である。
「この箱の巣は愚壮さん。駒鳥には可でも、燕には無理がある」とも言わず
雛は桐製の窮策の手すりに顎を乗せて並んでいる。

小さな小さな「燕」の親に、学ぶ事 イト多し。

追伸。
小学校に電話を入れた。
当直の教員は言う 「名前を教えてください」 『教えはせん。 そんな事ではないゆえ』
『命の重さ。 これこそ「教育」の根底』 「まったく おっしゃるとうりです」

長男達我が子の全員と、孫達全員が学ぶ小学校である。犯人特定など『愚行』である。



2008-07-30 07:38:03

問う 古(いにしえ)従(よ)り今に至るまで…
毎朝の行事・丑寅の刻・之を勤(つとむ) 其の謂れ如何。

答う:丑の終り寅の始は。 
即ち是れ陰陽生死の中間(ちゅうげん)にして 三世諸仏成道の時なり。
其の故に 世尊は明星の出る時 確燃として大悟し
吾が祖は子丑の刻(ねうしのとき)・頸を刎られ魂・佐渡に到(いた)る云々、

当山の行事・亦復斯の如し朝々刹那半偈の成道を唱うるなり、
本因妙抄に云く
『天台云く刹那成道・半偈成道云々、  
伝教云く 仏界の智は九界を境と為し 九界の智は仏界を境と為す
境智互いに冥薫し凡聖常恒なり これを刹那成道と云う、
三道即三徳と解(げ)すれば諸悪たちまちに真善なり是を半偈成道と云う
今 会釈して云く刹那半偈の成道も(…と、大結論に言及されん 愚壮註)
吾が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂尽する者なり』
当流行事抄畢(おわ)りぬ。       61歳 日  寛  在り判
享保十乙巳(きのとみ)の歳五月下旬、上野の大坊に於いて之を書す。

上記は『六巻抄』全文
(日蓮正宗第五十九世法主堀日亨上人猊下御訳解)からの少々抜粋。
『惑耳驚心』との言辞がある。 正に核心で「凡夫」襟を正すべし。

「こそ泥風情の輩」が「我、極めたり」では申し訳が無い…と、繙く。



2008-07-30 15:57:52

一閻浮堤総与の御本尊が御出現は弘安二年十月十三日である。
其の前の月。1279年9月21日熱原郷(現今:富士市伝法町三日市場)
郷内外屈指の大寺「天台宗滝泉寺」寺内に事件は勃発する。
否。予兆は実は、前月の8月の法華帰依農民弥四郎の暗殺のまだ前。
同四月 大宮浅間神社の「流鏑馬」の雑踏で「法華行人四郎坊」障害する

事の起こりは「滝泉寺寺内」所職の住坊の大衆・越後坊日弁・下野坊日秀
及び、件(くだん)の青年僧を教化した大聖人直弟子「日興」の覇気にある。
それだけではない… 近辺の農民の蔀屋にさえ法華経の声がある。

「このままでは、念仏の名号すら消える」とは、院主:某は陰湿に走る。
「寺内寄宿の僧・大衆は勿論。近辺郷内に睨みの利く院主代を…」
北条政所縁者、在家僧『院主代 平の左近入道行智』の登場である。

この「院主代 行智」の悪行は『滝泉寺申状』(853p)を参照されよ。

扨。1279年 弘安2年9月21日白昼である。
「院主代 行智」の奸策は、稲刈りの農民の非武装に、弓馬に蹂躙す。
法華帰依農民「神四郎 弥五郎 弥六郎」等二十名、この時連行さる。

『法華経は捨てぬ 念仏申すまじ』との20人に出た「冤罪処分」は禁獄。
同日の急返報が身延の大聖人の御述作『聖人等御返事』1455pである。

此処に興師弟子分帳の御記述(第五十九世法主堀日亨上人猊下)がある。
【富士宗学要集第九巻 史料類聚A257p】
○ 次に在家人弟子分。
一、 富士下方熱原郷の住人・神四郎(兄)
一、 富士下方同郷の住人・弥五郎(弟)
一、 富士下方熱原郷の住人・弥六郎。

愚壮は以下の記述に着目している。
上記の三人の帰依の期日がそれである。
本文 : 『弘安元年 信じ始め奉る処云々』

熱原の法難の史実は、三人の身柄が拘束される悲劇を語っている。
…だけではない。 
この、剛信の二十名の『王道』との出会いは、はたして何時なのか。
記述の史実は言う 『拘束の日から さかのぼる事わずか、570日』と。
この19ヶ月間の「庶民」の誓願こそ『王法涌現』の胎動であった。

追記。 「大進・三位・親昌・時綱」の落馬事故
これが4月の「流鏑馬」か、稲刈り急襲の9月か…は後に譲る。

この「稲刈りの狼藉」に偶然、難を逃れた「興師」の弟子が居た。
「熱原新福地の神主」が其の人である(上野殿御返事 1564p:参照乞う)
この人への特記がある。日興上人は彼に「御本尊」を授与している。

以下。時代の事実・詳細を「文献」は如実に語っている。



2008-07-31

穆作抄(富士宗学要集第二巻宗義部@265頁)22には、こうある。
廿二【信者の事】内抜粋
【 富士郡あつはらと申す処に・法華宗の壇方を廿三人召し取られ頸座に望む
其内に女房一人有り 是 皆日秀の教化の所なり、頸を斬る事二人なり
未だ斬らざるに女 涙に咽ぶ、      
警護の武士の云く  女はかいなき者なりと笑ふ     

女の云はく 命を惜むには非ず 女の身にて今まで斬られざるは遅く成仏すべし
此の事を嘆くと申す、   
此事を訴へければ感ぜられて・今より後の二十一人をば許せとの義は
此の女人一人の信によるなり】…つまり、処刑の場に『女』が居た…と。

「女人不浄」が罷り通った時代とは、鎌倉時代である。
ましてや、でっち上げの「稲盗っ人」でも最長百日の投獄で済む。が。
従兄弟か叔父か親族か、ともあれ「院主代 平の左近入道行智」の乞いは斬首

「乞いの斬首」は、なんとしても叶うべし…とは、「平の左衛門尉頼綱」の決意だ。
『法華根絶』とは、彼頼綱自身、大聖人と対面の折の敗北感への復讐でもあった。

幕府根幹の『御成敗式目』を踏みにじる暴挙の斬首は、秘密裏。と自邸。
御法度の私刑を、更に「悪しくの上塗り」と、女の血で汚す等、武士の恥である。

後年、此の部分(三烈士処刑)の描写に、実に多くの『ヨタ』がある。
在る訳の無い「女」を登場させる罪科は、一体 誰が絵を書いたのか。

冒頭の穆作抄を、第五十九世法主堀日亨上人猊下は述べらる。(※ = 愚壮記)
当「穆作抄(むかさしょう)」とは以下全文、堀日亨上人の破折記抜粋。
京都要法寺から大石寺に転入した左京阿闍梨日教(旧名 本是院日叶)の記。

此の庭先の法難を(※日教が)何地で取材したかは不明であり、
足利中期の古書に熱原法難を扱ったものは、ほとんどないが、
「二十人」を「二十三人」として、皆ことごとく「頸の座」にし、
中に「一人」の女人あることの記事が少々間違っておる、(後略)

おそらくは、左京阿日教が、何かで聞きかじりたる誤伝を、書き残したのが
わずら(累)いをなして、特殊の美談として贔屓(ひいき)の引き倒しで(略)
…と、一刀両断されておる。

いずれにしてもであるが…堀日亨上人猊下は、以下。と述べらる。
(日教師以外の実名を挙げつつ)
『いかに考えても、この史実(※熱原法難)について(※各師とも)
確固たる物を掴んでおられぬから、後の研史より支離滅裂の有様に見ゆる』

尚。愚壮は茲で「念筆」すべき事がある。
去る昭和45年「潮出版社」発行の「熱原物語」(大塚雅春氏 御著作)
上記出版物に対する『史実』云々をするもではない事を、敢えて添えます。



2008-08-01 09:52:51

京都要法寺(開基1308年:日尊)から大石寺に転入した左京阿闍梨日教…
この要法寺(ようぼうじ)とは、現今に於いて「日蓮本宗」と名乗る宗派である。
この古刹の第三十世「信行院 日饒(にちにょう)」。以下。彼の邪義が在る。
(※1  日饒(にちちょう)⇔ 癡山(ちざん)⇒ 仏哲大辞典1153p 参照あれ)

曰く『本門の戒壇』とは本門流布の地 是皆「富士山本門寺」と号すべき。
開祖:日興上人に破門された「日尊」の嫡流の「日饒」如きが上の「ヨタ」である。
『ヨタ』を書き殴る輩などは古今。 御存知の如く卑近跋扈で退屈などはせぬが…
事『本門の戒壇』に至っては蓮祖大聖人御本懐の「聖域」で、「ヨタ」では済まぬ。
この「日饒(にちにょう)」のヨタ(愚論:難癖)から半世紀後。以下と破折は吼える。

『六巻抄』内 文底秘沈抄 第二 103P  
   答う 拙い哉癡山(ちざん ※1)や 汝は是れ誰(た)が弟子ぞや、
   苟(いやしく)も門葉に隠れて将に其の根を伐らんとするや、
   且 其の流れを汲んで其の源を塞がんとするや、
   其れ愚癡の山高く聳(そび)え 東天の月を見ざるが故なり、
   方(まさ)に今一指を下して饒が癡山を擘(つんざ)くべし、
   曷(なん)ぞ須(すべから)く巨霊が手を借るべけんや。     以下。

寛師。後続に箇条の文証を列記されておるも、其の三を抜粋する。
六巻抄文 【  百六箇(抄)に云く…
   「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以って本堂の正本尊と為すべし  乃至
   何れの在処なりとも多宝富士山本門寺と号すべし」云々
   嫡嫡相承の曼荼羅とは本門戒壇本尊の御事なり、故に御遺状に云く
   「日興が身に宛て賜わる所の弘安二年の大本尊
   日目に之を授与す本門寺に掛け奉るべし」云々、   故に
   百六箇の文意は本門戒壇所在の処を本門寺と号すべし云々
   何ぞ上の文を隠して之を引かざるや  是三。  】
邪弟「日饒(にちにょう)」生きていればの悶絶が目に浮かぶ切れ味ではある。

主題を繰り返す…  『王道継承』の稀有の巨人『日寛』が茲に在る。
第二十五世御法主猊下「日寛上人」
享保十年。「日寛上人」は、その珠玉中の珠玉「六巻抄」再治完校正さる。
『六巻抄』とは、日寛上人が「後世の広宣流布」の為に心血を注ぎ尽くした…
所謂「一点の曇りなき破折の書」で、無智蒙昧の「邪儀の輩」必読の重書である。

  【 この書六巻の獅子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎(こと)一党して
   当山に来襲すといえども敢えて驚怖するに足らず尤も秘蔵すべし】
上記【 】は有名な逸話である。
蓮祖大聖人滅後四百年間に惹起した邪義を委(ことごと)く破折し尽さる…

上記「日饒(にちにょう)」への破折の珠玉の論議の一隅に以下がある。
【 明文白義 宛(あたか)も日月の如し 何ぞ曲げて私情に会(え)せんや 】
更に云く【 今謂く 嗚呼我慢偏執 抑(そもそも)何の益有らんや 】

大石寺 第二十五世御法主猊下「日寛上人」…御仏意図りがたし。
「寛師」の存在を抜いて、「亨師」の存在を抜いて、「創価」は語れぬ。
だけではない。邪義を以って「飯の種」などは論外では在る。



2008-08-01 11:20:45

第五十九世法主堀日亨上人猊下曰く。
富士日興上人詳伝(下)     七、 本門戒壇
本門戒壇は、とくに大問題である。
宗議上 これを詳論せんことは、少紙短編の尽くすべき所にあらず。

いまは、開山(興師)伝の内面として他と比倫すべき圏内において、
すなわち小史談として、自他の古文献を掲載して、寸評を試みる。(中略)
ことに、寛師の取要抄記(取要抄文段三代秘法の下)中の本門戒壇と
文底秘沈抄(富士宗学要集第三巻宗義部A90p)中の戒壇編等は
篤学の仁はみずからこれを渉猟せられたし。  (後略)

第二代戸田先生に「日亨師」が言う。
「戸田さん もっと早く 生まれて来れなかったか」
戸田先生はこう応えたと言う
『猊下。それは無理です。』…と以下に続いた。
戸田は、堀猊下の三十三年後でなければ、生まれようも無い…と。

「こんにゃく問答」ならぬ、この「わがまま問答」は絶妙の気迫と、人。伝う。

今。私達は日々。この上記御二人の「血肉の結晶」たる「御書」を繙いている
その御二人が口を極めて言う      『寛師に学ぶべし』と。

三十三年の空間は、偶然では決してなく、決定(けつじょう)の出現である。
節々の挫折に、巨星は「厳」と現出する…『妙法』たる所以が茲に存在する。
…と、 この全てを、一体誰に教わったというのか。
その、御教え下された人こそ わたし達の『師匠』ではなかったのか。

何時。誰が。 己の惰弱な「心」を「師」とせよ。等と言ったのか。
全て。 今在るは『師』あればこそではないのか。
そして…「その師」に亦 「師」は厳然とおわされる…  粛然、耳を澄ませ。

『君には君でなければ出来ない使命が有る』 且 『王者 黙然』である。



2008-08-01 14:12:11

「隼人(はやと)」が三度、巣から落ちた。
28日(月)の現場の愚壮にメールが入った。「雛が又落ちた」と。
長女が出勤の時刻に、一番小さな「燕」が巣から落ちていた。と言うのだ。
『えらいこっちゃがな。ほんで どないしたんや』に、急遽「牛乳パック」で補強したと

『燕が心配で仕事にならん』との夕刻の帰宅に四人の雛は並んでいる。
高価な将棋の桐の箱蓋は頑丈である。
しっかりと固定の「箱」に派手なパックが下から貼り付けてあった。

『これでも親は来るのか』に、見上げたままの妻は言う 「ちゃんと来る」
折角長女が作ったパックの「落下防止」じゃが、どだい無茶苦茶であった。
疲れを敢然と、と。 わしの再度の「巣」の補修工事。二重の立ち上り完成する。

翌朝である…『どうも気になる』とのガレージに「四男坊:隼人」は土間に在る。
『盗っ人猫が見ていない等、奇跡じゃ』と、わたしは彼を「巣」に戻した。
長女は言う「この子 名前付けた」「絶対元気で巣立ちをさせる」

『それが隼人命名の由来か』に「そう! 隼人は負けない象徴」と言った。

昨日。隣家の「Oさん宅」が終日 電気工事であった。
在室のノックに出れば、爽やかな若者が立っている。
「隣の工事で貴宅のガレージに」脚立を立て作業したい旨である。
『好きなように自由に使ってください』と言った日。三人巣立ちする。 

残った「隼人」は二周りも小柄である。  『お前は、絶対巣立ちさせる』と思う。
巣立った三人は日に何度も巣に帰ってきは、悠々と羽ばたきを繰り返している。
その日。「隼人」は二度落ちた。一回目は工事の青年が教えてくれている。

「たかが燕に…」と人は笑うが。わしには窓越しの「隼人」の声が聞こえる。
隼人の「愚壮さん。また落ちた」…が。   今日も「隼人」は飛び立たない。
昨日迄 取り合いに負けていた「隼人」は今。餌を独占している。

落ちたその都度。私は心ならずも「隼人」に何度と触れた。
小さな命は、 私の節くれの掌(たなごころ)に、大きな溜め息をついていた。
『今度落ちてもワシは、猫より早く お前を見つけるよ』と私は本気で呼びかけた。



2008-08-02 08:07

『忘れ得ぬ風景』蘇生。とは、
名こそぞ知らぬ「峻才」の眼(まなこ)に在る。
「奇遇なる御縁」であればこそ、と。言い終る等何処にも無い…と、感謝は尚 深まる。

茲に「M氏」在り。
氏は「労のみ多くして たれもが続かない…」との「板」の継ぎ目に「金汗」ぞ輝く。
小さな命を慈しむ…とは、氏の根源の「菩薩」の証左である。と、愚壮は慕っている。

家族を愛し 仲間を愛し とは、氏の筆端に全てを語る。 所謂「文」即ち「人格」ゆえ。

そんな氏が、我如きに「風景」は可。と御褒めがあった。   
早速嬉々 御返信をする。以下である。

M様 いつも御元気な「取締役」有難う御座います。
私事ですが。 新規基礎工事が若干の遅れで、隙間が出来ました。

>『君には君でなければ出来ない使命が有る』 且 『王者 黙然』である。
是は…
あの、早くして亡くなられた「班長ケンチャン」が、若き愚壮を連夜に訪問されました。
世法の私は卑劣にも彼の真心を受ける事をしなかった。辛い「風景」でした。

「それでも、それでも」と、何度となく「ケンチャン」は来てくださった。
『俺。 少し早く居なくなるから…』が、私には見えなかったのです。
「ケンチャン」は其の時。「使命」を見ていたのでしょう。

『王者 黙然』

幸い。愚鈍は目覚めます。  何に目覚めたのか…が『王者 黙然』でした。

「先生から。貴様のような奴にも「青年の譜」の一節が戴ける…但し」と、
名も失念の「偉そうな男子部幹部」は続けました。『一節』は無作為で選ぶ、と。

それが『王者赫々と 太陽(かれ)は  ただ黙然と進む』でした。
師匠に誠に申し訳ないが、「愚壮遅まき覚醒の風景」でした。

この『王者黙然』のはるか先…  それはあります。
『われには われのみの使命がある
      君にも    君でなければ 出来ない使命がある』

「これや! これやねん! これやったんや!」と、思い当たりました。 

それでもまだ。 私は傲慢でした。  以下の「譜」を「俺」と見た傲慢です。
今迄 たれにも言いませんでしたが 申します。 何処を私は「俺」と、見たのか。

『黒き瞳 柔軟の微笑 隆々たる筋肉 紅顔秀眉 強靭なる個性
       剛毅の作業衣を身につけて 総体革命の建築を開始するのだ』

イヤハヤ… あっちもこっちも棘だらけの「アルマジロ愚壮」でありました。が、
『「師匠」から戴いた』は、何時の日にも、色 褪せるものではありませぬ。誓です。




>以前に「未萌を知る」とは『仏』の本地。
>こう言ってくださりました。忘れえぬ風景を絶対、わすれませぬ。

『未萌』を知るは聖人。又、『三世』を知るも聖人。とあります。【撰時抄:287p】
次下には大聖人御自身の『本地』が明かされます。所謂「三度の高名」です。
『未萌を知る』の直後の、この「三度の高名(尤も強調して言える本来の闘い)」

第一も 第二も 第三(同頁)も全て。権力の中枢への「諌暁」でした。
蓮祖大聖人の御出現の意義の「白眉」です。
『何の為か』を明白に明かされた部分と、私は拝しております。 以上全文。

M氏の暖かさが 私の琴線にダイレクトに突き刺さった。
わたしは、未だ見ぬ「M氏」を云う。
氏なら、多くの友を救われるであろう…と。

「風景消ゆ」を、間一髪。 救い上げてくださった「人」が居る。
「救い上げた人」を慕い続ける優駿の「友達(ともどち)」の群雄が居る。
瀬戸の水際(みぎわ)の老船は言う。『我 黙すれど炯眼なり』


「強靭のF板」と言う人在り…  愚壮「英鼠」を知る。卓見多し。

修羅(諂曲〔てんごく:へつらいおもねる〕は修羅)とするならば…である。
人は人を讃えなければならぬ。 これは、どこまでも、そうでなくてはならぬ。
『忍辱の鎧』『能忍』が仏の勲章であるかぎりは…   多謝



2008-08-02 10:33:20

『本門戒壇』は御書に無い。  ←この「大僻見」を如実に切る。(※⇒筆者)

その前に…
【 北林芳典氏 御著 「日蓮大聖人と最蓮房」師弟不二の契約 】
   ―― 第22章  妙法の本門戒 ――
御著の対話の中の「兄:太郎」が引用の御文を拝したい。

曰く『最蓮房御返事』  1342p
  …何となくとも貴辺に去る二月の比(ころ)より大事の法門を教へ奉りぬ、
  結句は卯月八日・夜半・寅の刻に
  妙法の『※本円戒』を以(もっ)て授職灌頂せしめ奉る者なり、云々

この上記『※本円戒』の甚深の御註解を、大碩学者「堀 日亨上人」は以下
【 三秘の名目(三大秘法を指す)が御文書に具顕せられていないけれども、
  最蓮房の(『※本円戒』)は「本門」の「本円戒」の始で、
  即 是、『道場の戒壇』義であり…云々    】と、ある。

更に曰く『法華行者逢難事』  965p
  …天台伝教は之を宣べて 
  本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と 之を残したまう、
  所詮 一には仏・授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、
                             以上御書。

この『法華行者逢難事』の御解釈を、再び「日亨上人」は、こう述べらる。
【 ここに初めて 三大秘法の名目が具顕せられるが、
  この下では三秘を天台伝教が末世に残すとし、次に引く『取要抄』には
  重大の国難救済のために上行等の四大菩薩が出現して
  「本門の三つの法門 之を建立す」と お述べになっており、
  間接と直接と、具名と略名との互用の自然の巧妙を味わうべきであるが、
  いまだ「上行即日蓮」との境(境地)には進入していない。   】

上記御指摘の『取要抄』とは『法華取要抄』338p  ここの「白眉」を以下。
  …是の如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し『本門の三つの法門』
  之を建立し 
  一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からんものか

『本門の戒壇』は斯くの如く「御書」全篇の骨格。と、輝いている。
『三大秘法』とは、三大夫々に深く相(あい)関しつつ遠大空間を繋いでおる。

更に言う。 以下は再び「日蓮正宗第五十九世法主堀日亨上人猊下」を仰ぐ。
【  …これをもってかんがうれば、
   本門戒壇には無論本門の大曼荼羅を安置すべき事が、当然であるので、
   未来建立の『本門戒壇(※)』のために、とくに硬質の楠樹をえらんで
   大きく四尺七寸の大聖が書き残されたのが、
   いまの本門戒壇の大曼荼羅であり(略)法主は伝戒の大任を負うのみである】
 
茲に極めて明快にこう御指導である『後世の法主』は『伝戒の大任』を『負うのみ』
事。「本門の戒壇」と「本門の本尊」である。     寸分の誤読も出来まい。

更に「日亨上人」は言う。
【  開山上人より三祖日目上人への富士総跡(総跡⇔代々の法主)御譲り状にも
   「日蓮が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊」として、
   戒壇本尊と書かれなかったのは、大いにこの味わいがある。    】

茲に図らずも「日顕」の存在が、
如何に重大に「正法」の「正法たる所以」を証明しているのか…であろう。
将に『御書』全篇。 敷衍・俯瞰の「鉄則鉄壁の整合」である。

これを「正誤・真贋」と遠大の労苦艱難は、ひとつ「未来広布の有志」が為である。
茲に、その尊き全生命を投げ打たれたのが「日亨上人」「戸田先生」ではないのか。

世法・俗世の汚濁の輩が、 迫るべき境地ではあるまい。
「三位」の命に、疾(と)く気付くべきである。真摯でなくて如何が弟子ぞよ。

最後に『修羅(諂曲〔てんごく:へつらいおもねる〕は修羅)』を学ぶ。
『十法界明因果抄』 430p

…第四に修羅道とは止観の一に云く
  「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば
  人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄(トビ)の高く飛びて下視が如し
  而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し
  阿修羅の道を行ずるなり」文。
                  
蓮祖日蓮大聖人御金言。何をか曰んや。   であろう。



2008-08-03 06:16:07

『四条金吾殿御返事』八風抄 〔利誉称楽⇒四順  衰毀譏苦⇒四違〕

   賢人は八風と申して八のかぜに をか(犯)されぬを賢人と申すなり、
   利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・
   称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)・なり、

   をを心(おおむね)は利あるに・よろこばず・
   をとろ(衰)うるになげかず等の事なり、

   此の八風に  をか(犯)されぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり

   しかるを ひり(非理)に主を うらみなんどし候へば・
   いかに申せども天まほり給う事なし、

   訴訟を申せど叶いぬべき事もあり、
   申さぬに叶うべきを申せば叶わぬ事も候、

   夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶いぬべきよしを・かんがへて候しに・
   あながちに・なげかれし上
   日蓮がゆへに・めされて候へば・いかでか不便に候はざるべき、

   ただし訴訟だにも申し給はずば・いのりてみ候はんと申せしかば、
   さうけ給わり候いぬと約束ありて・

   又をりかみをしきりにかき・人人・訴訟ろんなんど・ありと申せし時に
   此の訴訟よも叶わじと をもひ候いしが・いままでのびて候。
                   以上「御書」1151p

凡(およ)そ人は 凡夫は 一切衆生は…
(利誉称楽⇒四順)を求め追い続け  
(衰毀譏苦⇒四違)を忌避しようとする。   本能であるが故に…   
が、悲しき哉。厳しき哉。    この「本能」を待つ者が在る。

『三障四魔(煩悩障・業障・報障)(陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔)』である。
『待つ?』 何を待つのか…   『退転』である。

哀しき哉。「四順」も亦「四違」も、転落への『落とし穴』なのである。
得意の絶頂にも、傷心の沈黙にも。 障魔は付け込んで来る。

が、一方。 これらを承知で『破邪顕正』の人生を選んだのも、亦。事実だ。

『紛然』と且『陰惨』に、森羅に亘って「魔」競い来る。  勝つ手はあるのか。
『ある』 断じて有る。   『異体同心』の行進である。

師匠は言う。『堂々と 晴々と 仲良く 朗らかに 魔軍蹴散らせ』

「私が一番苦しんだ」と言う人がある。   はたしてそうなのか。

灼熱の砂漠の難民テントに「目ヤニ」に集(たか)る蝿さえ追えずに死ぬ子が居る。
腐臭の生ゴミの山の「糧」に群がる子供が居る。
氷点下の高地に「裸足」でうずくまる少女が居る。

けだものの鉄格子に「自死」さえ叶わぬ子等が、確かに居る。

そして…それらのうめき声に 『何も出来ない』と嘆きの人も居る。

「23億円の寄金があるが、まだまだ善意の輪が欲しい…」
上記は『黒柳徹子さん』の涙である。
「瀕死の地球」の暗黒の灼熱に闘う彼女に『慈母』を見た。



2008-08-03 11:28:59

我が御書。938pの 御記述本文に傍線の箇所がある。
(…とはいえ。私の御書は余白の書き込みが多すぎて、悪い見本ではあるが)

【  (※前略)恩をば 四大海の水を硯の水とし一切の草木を焼て墨となして
   一切の けだものの毛を筆とし十方世界の大地を紙と定めて注し置くとも
   争(いかで)か仏の恩を報じ奉るべき、  】 の部分である。

(※前略)部分は、こうある。
釈迦の寿命は120歳まで生きるべきところを、80歳で入滅したのは
残りの生きるべき40年間を、末法の衆生に与えて下さった。
その恩をば…と、上記傍線に繋がっており、真上の余白に拙い字で以下。

「三大秘法の南無妙法蓮華経」と書いてある。

『御書』の御題号は「四恩抄」 御述作地 伊豆伊東  御歳41
 御述作日 弘長二年正月一六日  対告衆 工藤左近尉吉隆

私(日蓮大聖人)が、16歳で「是正房蓮長」として得度してより、
岩本実相寺経蔵での直達正観までは 一日にわずか、
法華経一品程度の読誦と題目位であったのに、
去年の五月の流罪からの日々は、昼夜を通して「行住坐臥」法華経を読みます。
人間と生まれて、これほどの悦びは有りません。  とは私の粗訳。

『恩』『報恩』 これをどこへ向けるのか…が。今、見えにくくなっている。
愚壮が如き 穴だらけの脳味噌では『解からない』とは解かりすぎているが
件(くだん)の傍線の「三大秘法」には、 正直。 考え込んでいる。

『下手な考え 休むに似たり』『よし!』と引き続き拝読をする。

【  法の恩を申さば法は諸仏の師なり諸仏の貴き事は法に依る、
   されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし、
   
   次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、
   (この際 言えば、『僧』とは正伝の僧。阿練若の坊主ではない)
   譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、

   仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば
   正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、
   故に大集経に云く五箇の五百歳の後に
   無智無戒なる沙門を失(とが)ありと云つて是を悩すは
   此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり、

   然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし、  】

蓮祖大聖人の「御書」を スキカエシにした一派の末流は「不知恩」なれど健在する
蓮祖大聖人の嫡流は、悩乱法主が「四半世紀」に亘って「壊死」せしめた。
現今唯一。「真正の御書」を誇るのは「創価学会」だけである。

「御書」の「発刊の辞」及び「序」を深く拝読すべき。と自問する。
この『二大獅子吼の文章』に立脚しつつの「我理」は、一体何処から出るのか。
さこそ。「俸給」を糧としつつ、「体制」を批判しているやうなもんじゃ。

扨。閑話休題

「法は確かに偉大であるが 夫(そ)れを伝える人が要る」も厳然。ある。
では、 その『人』とは 誰を指すのか。  
それこそが『伝持・継承の人』である。
その「人」にこそ、『恩を報うずる』のではなかったか。

絶えんとする「命脈」を「身命を惜しまずに」繋ぎとめた人が居る。
そこそ。「開山」「中興」「日亨」「三代会長」の人々と、
その人々の『師匠』である。

『報恩』には厳然と位が有る事を、今一度「粛然」自己に糺すべきではなかろうか。
『王法』とは、総てを超克しつつ見事に繋がっている。これを「秘法」と言う。



2008-08-04 09:30:24

『御書を繙く』
「先生の指導をコツコツと書き写し、それを内容毎(ごと)に整理し…
いつも拝しておりました」 
去年の夏。 不帰となられた「W副支部長」の奥様の言葉。

「一周忌」のこの夏、兵庫:氷川の墓碑に御家族だけで偲ばれた。

『師匠の指導』
御元気な先生のお姿と倶に指導を拝するには「聖教新聞」がある。
是を切り抜き、冊子にする。  縦長の指導集が出来上がる。
「指導」が三面に亘るときは、二部の聖教新聞を切り抜く。

先生。「指導」の点描の段落に、 『御書』燦然と輝いている。
辿り着く毎。わたしは赤いボールペンで傍線を引き△とか○とか、と書く。
その「御金言」の一番近い欄外に『御書』の題号を書き『御書を繙く』

大白蓮華に散りばめられた『御書』の一節も。 私は欄外に朱書く。

あらゆる時に『御書』を拝読しつつ「立ち上り」「決意」し『歓喜』した。

私達が簡単に日々と開く『新編 日蓮大聖人御書全集』とは…
沈黙の深海海溝の『光明』であり。 急峻絶峰の幽谷の『樵道』である。

「日蓮正宗大石寺第六十七世法主日顕」
この「ある朝 フッと起きて 無意識の口から 教学部長の言葉が出た」
と。ほざく大ヨタ淫乱老人に、 『何故 厳罰が出ないのか』と言う人多し。

そこで…『切る!』

誰でも知ってる…とは言えど。 もう一度『御書を繙く』

【  曰く『法蓮抄』 1051p
   持戒精進の大僧等法華経を弘通するやうにて而も失うならば
   是を知つて責むべし、
   法華経に云く「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」云云、  】

「愚壮よ。手ぬるし! これではない… 何故「日顕」に罰が出ないか聞いておる」
『いや、 ま、皆。 あわてずに聞いて欲しい 』
『未生怨』と言う言葉をご存知か…と、私は言う。
『字面(じづら)の儘、 生まれる前から怨念の淵の命に悶えておる境涯』である。

皆言う。 それが「日顕」か!     『その通り』と、申す。

【  曰く『法蓮抄』 1054p   (※記⇒筆者)
   先生(せんしょう:もともと)に謗人なり 
   今生にも謗じ生生(生れ更っても、又又生れ変って)もに
   無間地獄の業を成就せる者あり
   是は の(罵:ののし)れども口 則ち閉塞せず、
   
   譬えば獄に入つて死罪に定まる者は(※よくわかります)
   獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでにて別の失なし、
   ゆりぬべき者は獄中にて僻事あればこれをいましむるが如し、

   問うて云く 此の事第一の大事なり 委細に承わるべし、    】

「成る程。 これは解かり易い」  『そう、端的。明快です』
「よし! これを脱講に戸惑う友人に教えてやろう」
『それはいい事じゃ。 わしも行こうよ』
「法論を挑んで 木っ端微塵だ」  『いや、そんなに力んではいかんよ』

『…が、どうしても。と、言うんなら』…と。以下を拝読申す。

【  曰く『教行証御書』  1280p
   和らかに又強く両眼を細めに見・顔貌に色を調へて閑に言上すべし。】

それにしても、であるが。 公の場での法論などは、 上策ではあるまい。
なんとなれば。  相手側には「勝利」が無い。 つまり、勝負は決まっている。

日蓮大聖人が愛弟子「三位房」に送られた『教行証御書』の拝読を続ける。
(※三位は熱原法難の渦中、滝泉寺内にて全裸狂死した、とされている)

【  曰く『教行証御書』  1283p
   某(それがし)は日蓮に非ず其の弟子にて候
   まま少し 言のなまり法門の才覚は乱れがはしくとも
   律宗国賊替るべからずと云うべし、

   公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自讃気なる体・
   人目に見すべからず 浅(あさま)しき事なるべし、
   弥(いよいよ)身口意を調え謹んで 主人に向うべし 主人に向うべし。

   三月二十一日                 日 蓮 花 押
     三位阿闍梨御房へ之を遣はす                 】


『御書』を御意の如く拝読申し上げるは 至難の「信心」に依らねばなりません。
『御書』を心肝に染める。 も亦。 研ぎ澄まされた「行躰」にのみ可とします。

日々の研鑽とは『繙く』事から始まるのも、亦。事実です。

蓮祖大聖人の息の懸かる距離に居ながら『退転』しゆく多くの弟子僧達が、
「臨終正念」砌に何を叫んで逝ったのか… これは残念にも、卑近に例を見ます。


人は、人知れず。 大きな「宿業」と闘いつつ在りましょう。
何処までも「謙虚」で、 何処までも「麗しく」 何処までも「真摯」に。
胸中深く「師匠」を抱きしめて「雄々しく」一歩を踏み出しましょう。

それを指して『獅子王』と桂冠されるのではないでせうか?
                          愚壮謹曰



2008-08-05 04:04:02


   『御書』を繙く   「法門申さるべき様の事」1268p  (※⇒愚壮己記)


 【  又御持仏堂にて法門申したりしが面目(※聴衆 我を讃嘆した面目)
   なんどかかれて候事・かへすがへす不思議にをぼへ候、

   そのゆへは僧(※僧侶)となりぬ其の上 一閻浮提にありがたき法門なるべし、 
   設い(※相手が)等覚の菩薩なりとも・なにとかをもうべき、
  (※なにとかおもうべき⇒説いている王法に勝る者 等居る訳が無いではないか)
   
   まして梵天・帝釈等は我等が親父・釈迦如来の御所領をあづかりて
   正法の僧をやしなうべき者につけられて候、
  (※梵天・帝釈でさえ、末法地涌の上行眷属の諸菩薩を養護すべき程の存在だ)

   毘沙門等は四天下の主此等が門まほり・(※毘沙門等に至っては四菩薩の守衛で)
   又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし、
  (※四閻浮提の王なんぞは毘沙門の家来である)
   
   
   其の上日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず・但嶋の長なるべし、
  (※ 恐れ多くも…)
  (※日本の帝に至っては四閻浮提の王に届かない位の下位で、只の島主だ)
   
   長なんどにつかへん者どもに召されたり
  (※三位房がのぼせ上がっている眼前の人々などは、その帝の下僕なのに)

   上なんどかく上・面目なんど申すは・
  (※上⇒上奏気分に浸って、面目⇒聴衆を魅了し讃嘆せしめた…等と吐く)
   旁(かたがた)せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか、
  (※三位よ、汝は図星。師である私を卑下しているのである)


   総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて
  (※ ここから以降は、常々私達が肝に命じる部分で記載注釈無用と思う)  
   後には天魔つきて物にくるう せう(小輔)房がごとし、
   わ御房もそれていになりて天のにくまれ かほるな。

   のぼりていくばくもなきに実名を かうるでう 物くるわし、
  (※かうるでう⇒替わる条⇒得意絶頂の三位房は和房⇒尊成絡みに変えたのか?)
   
   定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、  
  (※阿部日氏御指摘の部分 三位の本質を破邪の 師匠慈悲の一喝) 
    
   ねずみ(鼠)が かわほり(蝙蝠)になりたるやうに
   鳥にもあらず ねずみにもあらず
   田舎法師にもあらず京法師にもにず せう房がやうになりぬとをぼゆ、
  (※見事に 言い当てられておられる。 他人事と聞くべからず)
   
   言をば但いなかことばにてあるべし・なかなか・あしきやうにて有るなり、
  (※ いなかことば⇒普通の言葉⇒方言⇒飾らない言葉 例:……ませ。)
  (※ どだい 愚壮の如く。 普段不使用の言葉は使うな。 の意)
   

   尊成(そんじょう)とかけるは隠岐の法皇の御実名 
   かかたがた不思議なるべし。            】
  (※ 「尊成」(たかひら⇒承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇の送名))
  (※ 三位房は↑「尊成」を勝手に冠したのではないか 右憶測 )


誠に。 急所を衝いた『御金言』であると思う。
この「厳父」の御指導を賜わった「三位」は、 その「秀才」故に「師敵対」す。
悲しき哉 「三位」 王道を見誤まる。

    1269p 『同御書』をこの稿の結びと、拝読する。 

  【 曰く 
     譬へば東に迷う者は対当の西に迷い
     東西に迷うゆへに十方に迷うなるべし。 】 

                          愚壮謹記



2008-08-05 04:37:21

『京なめり』 都(みやこ)言葉。

鎌倉に帰った「三位房」は、 恐らくや得々と「戦果」を報告した。
聞かれる「師匠:日蓮大聖人」は… いかばかりか。

得意満面の「三位」は、居並ぶ公卿達の讃嘆に我を忘れた。
「我を忘れた」とは、 『魂』を抜かれた…とは「三位」見破れず。

「ホホホホ…」と京風に嗤う「三位」に、
『嗚呼、悲しむべし』と 師匠は御思いになられた。

「公家」「公卿」ほど『糞の役』にもならぬ者はない…とは
幕末から明治への『英傑憤死』の彼等の役処でもあった。

その地から『威風堂々の歌』涌き起こる…も又、史実である。
『千年の都 古都 京都』

京の街にも、今頃は。 「無冠の王者』黎明直前の大路を往かん。

今。当地にも「聖教新聞」の束が ドサリと届いた。

「鬼はん」 ボチボチ 起きなはれ。



2008-08-06 17:50:55

戸田第二代会長の遺訓とは『青年訓』に叫ばれた『国士十万』である。
師「憂国の十万」の構想は、その弟子。池田先生が会長就任の翌年成す。

故に言う人がある。
「わが師とは戸田先生だ」   又曰く「わが師とは池田先生だ」
創価学会員である以上。又は、創価学会員を貫く以上。上記に粗、反論は無い。

「私の師匠は 池田先生だ」 「それも認めるが、池田先生の師匠が凄いのだ」
上記も又 お互い。「それは、師敵対だ。 謗法だ」と言う人は、これも無い。

「法華講」とされる人も、学会員諸氏の上記「師匠論」  これには「否定」は無い。
但し…   『ヨタ ゴリ押し』の上記否定の愚論を除いての話であるが…

「大白蓮華」に連載されつつある『総務 奔走』を挟んだ史実を学び来(き)。
丸。九年間しかなかった『戸田先生・池田先生』の師弟共戦を、私達は学んだ。

『池田先生を師匠とは思はないが、 私は創価学会員だ』(※1) 
上を見聞して、 『否。 例外もある』と言う「同志」は、この際。断じて無かろう。

愚壮如きが回らぬ舌で。 『御書を繙く』なんぞとの「壮言」してきたが
『御書』及び『順ずる論』を拝しつつの投稿連続には、 微々たる伏慮が有った。
とは、 『御書』『史書』以外の「擦合せ」は、多くの軋轢を生む。との「慮」であった。
が、この類の書込みは。 一見。 堅苦しく…と思われる向きも、是。事実である。

茲(ここ)に『六巻抄講義』がある。  編:創価学会教学部
この『序』を拝して。 一連の「堅苦しい…」とされる投稿の最後としたい。

             『序』        (  )は愚壮記
   日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、
   化儀の広宣流布の未来に流れ通(かよ)わしめんがため
   全魂をこめて著わされた破邪顕正の書であり、
   日蓮正宗七百年史に燦たる光彩を放っている珠玉の書である。

   (六巻抄は)彼の天台・伝教が、釈尊の正統を顕揚したのに
   幾千倍勝る大偉業であると共に、未来永劫にわたる源遠長流の
   教学の大基盤であると信ずる。

   即ち。「六巻抄」全体は、当時の邪儀を摧破した破邪の書であり、
   正像の仏法と、末法適時(ちゃくじ:時に適った)の大仏法を峻別し、
   日蓮大聖人の御書の真意を知らしむ、顕正の書である。

   日寛上人みずから
 【 この書六巻の獅子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎(こと)一党して
   当山に来襲すといえども敢えて驚怖するに足らず 】
   と呼号されたのである。    (中略)

   戸田前会長も、常々。 「教学は日寛上人の時代に帰れ」と申されていた。
   事実、学会教学の不滅の伝統は、
   日寛上人の「六巻抄」を基盤として築かれたといって過言ではない。(後略)

            昭和四十四年三月十六日    創価学会会長  池田大作

【 戸田前会長も、常々。 「教学は日寛上人の時代に帰れ」と申されていた 】
【 事実、学会教学の不滅の伝統は、日寛上人の「六巻抄」を基盤とした  】


創価の会長が讃え。 おそらくや「法華講」の諸氏さえもが讃える「日寛上人」
日蓮正宗宗門に至っては、この「日寛上人」を卑下愚弄する訳が無い。
夫(そ)れとも。 宗門は「日寛上人」をも御否定されるのか。

「日顕」の登座が『総てを狂わせた』のではなかったのか…
愚壮は言う。「日顕」の出現ほど、『王法』を如説に証明した者はいない。

『前世は忘れた…』とするならば、予想だに出来ぬ『来世』の為にも
「鷺をも 鴉」と言いくるめるのだけは、 この際。如何なものか。と自問する。
…それこそが、前述(※1)に直結する。     ではないのか…


2008-08-13 07:41:40

雄渾の『同志(とも)』は言う。
 愚壮よ聞けや。   俺 昔。お袋に こう言われた…と。
 「今度、おとうちゃんが酒飲んで人様に迷惑かけて帰ってきたら」
 「これ呑んで一緒に死のうな」 
 お袋さんは「クスリ」を握り締めていたんだよ…と。
 木造二階建て、スレート屋根の「文化住宅」の一室での「風景」だ。

疲れ果ててしまった「母」の顔(かんばせ)を見上げる幼き『友』
御心境。いかばかりか…    わたしは泣きつつ「耳」を傾ける。

 咄嗟。友岡氏が送迎の車の中で言った言葉を思い出した。
曰く 「僕の誇りは」
「病人と貧乏人の集まり」の学会の中に居る事だ…と。

友岡氏は「これこそが 誇りの原点だ」とも言い続けた。
「苦しむ人に 光を当てずに、 何が宗教か」とも強く言う。

友岡氏とは、
酷寒の失望の「愛隣地区」で「炊き出し」の激励を続ける人である。

彩色さえ、掻き消された『川沿い』の一角に 明日へ立ち上がった母子在り。
語り尽くせなき「稀有の友の風景」である。


母と子で
『只々 抱きしめて』来た人生。 
『只々 求めて』来た幸せ。

が。
『法』も『師』も、 その健気を最大に賛歌されつつ知悉している。

引き換えて、在ろう事か。
『同苦』に「金銭」を絡める輩が実在する。
「金銭同伴」の激励など、聞いたことも見たことも無い。
想像だに恐ろしき「我利」ではある。   …が、↑3行等は 余談。


『とも(同志)』の風景に、わが風景を重ねてみる。
……はたして…    同じ香りがしているのだ。



2008-08-13 09:55:46

海南俊傑とは「坂本竜馬」を指す。
彼 竜馬が、
幕臣軍艦奉行並「勝麟太郎(海舟)」(慶応元年 失脚)を知り、
中浜万次郎と会っているのが、28歳であった。

彼はこの時  己の『使命』を以下と綴っている。
「人の一生には、命題があるべきものだ。
おれはどうやら、おれの命題の中へ、一足だけ踏み入れたらしい」

神田お玉ヶ池「千葉」本道場であったのか、はたして 江戸桶町道場か
彼「坂本竜馬」が上記の『使命』を、どこでどう語ったのかは見えぬが。

『近江屋』慙死の僅かに五年前である。と、史書伝う。

『使命』が、如何に重厚か。 就中、私たちの「使命」をや。
チンタラ軽いのが、「使命」では絶対に無い。

なぜかならば…である。 
「使命」を悟る。とは、「死期」を悟るに繋がるからでもある。

慶応三年1867年11月15日 竜馬憤死 享年33歳。
(余談)上記「竜馬」は『蝙蝠』ではないのである。



慶応三年1867年11月15日 憤死 享年33歳。



2008-08-13 15:05:33

京都乃鬼はん!
列伝番外編  もの凄う感動や。
そやろなあ「飯場」。知ってはりまっしゃろなあ。

人生。深いでんな〜。

せやさかいに、インチキは許されへんのですわ。

出合帳場『飯場』
『♪ 飯場鴉よ 噂は言うなよ 』言うて
み〜んな 過去を隠しまんねん。 聞いても言いまへん。

イカの塩辛に「一味」を よ〜さんかけて酒に酔うノンも
「話したら 辛〜うなるからやねん」…て、皆。言いますわ。

仕事が終わって走りながら みんな 考えますんや。
「風呂が先か メシが先か」

メシを先にしたら あんさん。 風呂、垢風呂や。
一番風呂に汗 流したら あんさん。 味噌汁の「具」わかれへん。

手垢だらけの杓子でつぐ「ごはん」は、涙の汁で塩味やった。



…そうでっか〜。  「昇り龍」のおっちゃんに噛んだんでっか…
「おっちゃん」さびしかったやろ。 鬼はん、辛かったやろ…

「ニィチャン・・・、若いのに、もうこんなところに流れてきたんか?」
「若いんやから、もう少しまともになりや〜」
「ワシみたいに、ここが棲家になってしもうたら終わりやで」
そない言わはりましたんでっか…

鬼はん。 よう書いたりなはった。  

「昇り龍はん」が、今頃言うてはりますわ。

『あの兄ちゃん。一番エエ道 見つけよったがな…』

底なし沼みたいな「飯場」で鬼はんを見たおっちゃんは、思たんですわ。
『こいつは、こんな所に堕ちる奴と絶対違う』


もう、たぶん。   
おっちゃん死んではるけど 題目あげまひょやおまへんか。
それが「此処に創価あり」やと 思いますわ。

おおきに、鬼はん。 ものごっつう勉強になりました。

追伸でっけど 今日から17日まで 夏休みですわ。
茨木の「大義母」にお会いするのが 楽しみですねん。

ほな。   また。
「キコキコのベンツのおっちゃん」に
よろしゅう言うといておくれやっしゃ。



2008-08-15 05:07:39


『独り言』じゃ。 聞き(読み)流されよ…

『専横』と聞くと…
先ず、出てくるのが「権力者」である。

蓮祖大聖人御入滅後、その『専横』を剥き出したのが「左衛門尉頼綱」じゃ。
「専(もっぱ)らに誑惑する」なんぞは「愚壮」が造語で、顰蹙を甘受するが
この「造語」が、わしは判り易い…と、 これも「己理」で無反省じゃ。

概ね。云える楽しみがある。
とは、「御投稿文」の行間から醸し出される「執筆者」の御人格である。
これは、「ほ〜う、この御人は 多分こんな人なのか…」と、楽しむ。

「阿部日ケ〜ン(院政)殿」が、未だ(院政)をHNに入れられていない頃
氏の文体はご存知の通り『…じゃ』『…じゃわな』が多かった。と思う。
これが又、絶妙で。  早速ワシなどは真似をして今に至っておるのじゃが

御優しい「阿部氏」は、『愚壮』が本物のジジィと御認識された故なのか
その所謂『…じゃ』言葉を文句ひとつ言わずに引っ込められた。   
…が、なごりがある。
それが、「殿」なんじゃよ。   『専横』では決して 無い。 是一

特定個人様の一例のみで、「文体の個性」を云い終える心算は無いが
面倒くさいし、ボチボチ 腹も減ってきた。  ま、ともあれじゃが
『書き言葉』ほど、御人格を象徴する物は無いのも、間違いではあるまい。

次。 『組織』を言う。
「組織」とは文字通り 二つの文字に『糸』がある。

『御書を繙く』

  「綱維を提ぐるに目として動かざること無く
   衣の一角を牽くに縷として来らざる無きが如し」と、

  意は此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく
  善根として動かざる事なし、

  譬ば網の目無量なれども一つの大綱を引くに動かざる目もなく
  衣の糸筋巨多なれども一角を取るに
  糸筋として来らざることなきが如しと云う義なり、  】

                 以上「御書」

『切り文』との「ヨタ」の為に前段の通解を書く。

『妙法蓮華経の五字の全力用を読み解釈して…』とされた後の上記である。

「御題号」「頁」などはこの際。余計な御世話で不記なれど
「御金言」に直射されつつあるのは、首題への甚深の意義である。

「池田先生」の「組織」の御指導を拝したとき。
この、縦と横の『糸』の綾なす「組織の妙」が厳然と示される。

「弟子」ならば ここを読むべし。

(グダグダと、長い独り言で辟易じゃが…)
ついでに 言うて置く。

「好き勝手」と同意順ずる言葉に『ほしいまま』がある。
この「ほしいまま」を漢字で何と書く。   縦線の『縦』じゃよ。



2008-08-15 05:41:33

「阿部氏」の優しい御人柄を書いたが… 追記がある。

以前。 だいぶ以前。
新型自衛艦進水の件(くだり)で誤記をした。
それも 「屁」にもならん事への記述であった。

それが戦艦「金剛」であった。
この「金剛」はイギリスで進水したが、同型艦が四隻あった。
「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」である。

これを「馬鹿愚壮」は、血迷うて「日向」「伊勢」を入れた。

「ビキニ環礁」の水爆実験の折の誤記を御指摘の阿部氏は
上の「金剛型」の「大チョンボ」を、知って言わぬ。

この「腐れジジィ:愚壮」の本性を見事に見据えての「放置」じゃ。
うれしかった。   

読者は言うじゃろう…「どうでもよい事」と。
他はそうでも、当事者はうれしいんじゃ。

『当事者が一番喜ぶ事』を、苦悩の中から引っ張り出す…
それが「善」の連帯であるからこそ「激励」と言うのではないか?

(朝早くからの連投、ほんまに 腹が減ったわさ)



2008-08-15 08:12:55

京都乃鬼はん 御執筆「庶民列伝」

     『飯場』の巻〔第三幕〕(紋様御返事より再編集)


紋はん。 あんさんも「飯場」見てはんねんやなぁ
「飯場(はんば)」自体が死語になって、お若いお人にはピンと来んけど
言うほどまんざら、悪い事ばっかり在るんと ちゃいますんや。
「人情の坩堝(るつぼ)」でもありますんやねえ。

『鬼はん』が書いてくれはった「飯場」の風景に、
そんな「人間の情」いうもんが、にじんでますわ。

基礎の深い所で倒れてはった「昇り龍」のおっちゃんの存在は
ただの通りすがりだけの人やったんやろか…
うまいこと言えんけど、   通りすがりの人と違うと思いまんねん。

「鬼はん」に、何かを伝える為に おっちゃん「飯場」で待っとった。
せやなかったら、 「鬼はん」の心の襞(ひだ)に残る訳がおまへん。

人間の一生の出会いの数々は 紋はん。 意味。 あるんでんなぁ。


わしらが言う、信仰の同志も、おんなじ事が言えると思いまんねん。
よ〜さん 居てはる「同志はん」にも、『反り』の合わん奴が居てはりま。

「無理くり信心 やらされてる」と、思とる 二世や三世は別にして
いま。表舞台の一番前で「先生同座」で闘っとるわしらは あんさん。
多少の「反り」の違いは、ニコッと笑ろうて行かなあかん。

そこで大事なんが『認め合う』事なんですわ。    せやのに
「おまえは ちゃう」「わしが 正しい」言うからあきまへんねん。

 

『呉越同舟』いうんは、「敵味方同座」だけに使う比喩と ちゃいまんねん。
話。えらい一方的になってもて、すんまへん。


話が ちょっと飛びまっけど…
「星野ジャパン」勝ちよりました。  よろしおましたなぁ。

わし。率直に喜んでおりまんねん。
阪神嫌いのワシかて、「藤川はん」に必死で応援してまっせぇ。
『もう、こうなったら セもパも あるかれ(河内弁)』言うて応援します。

ちゃいまっか? これで行きまひょやおまへんか?



2008-08-15 13:11:19

灼熱の甲子園球場の第一試合は地元関西の二校である。

『報徳学園Vs大阪桐蔭高校』

「俺、甲子園へ行く」と、家を出た長男たちを飲み込んだ甲子園は
試合開始直後即満員札止めとなった。

「レフト側の中段に居る」とは長男である。
大歓声の白熱と熱風が受話器を通して来るやうである。


弾む声を聞きつつ思う 『そう言えば…あいつも高校球児であった』
『連日、炎天で仕事しているんじゃ』と、茶々を入れずに正解であった。

五回の表「報徳学園」の攻撃終了の燃ゆる空にサイレンが突き抜ける。
わたしは、その時。 63星霜の時空の重みに首を垂れた。

三人の幼き孫たちは、はたして彼らの知らない「8・15」を。 
どんな思いで静寂の甲子園球場レフトスタンドに「瞑目」したのか。

今回の「終戦記念戦没者慰霊」の式典に、戦没者の父母は0人と言う。
それと又。殺戮の惨禍は、今も「地球」の何処かで続いていると言う。



2008-08-16 08:05:03

> 平成6年夏。妻と末娘とで祖母の墓を訪れました。
> 祖母の遺志どうり、
> ちいさな墓碑は茫漠たる太平洋に抱かれていました。
> 読経がおわり、お題目を回向し始めたとき、
> 私は、生まれてはじめて、
> 滂沱の涙を体験したのです。

> 厚田の海も、最愛の祖母を抱く海も、 
> 生涯の『忘れえぬ風景』なのです。


上記は、2003年6月8日(日)
『忘れ得ぬ風景』のエピローグである。

この投稿は、「創価仏法研鑚掲示板」への初投稿の次。
つまり、第二回目の投稿文であった。(初稿は妻の入会記念日)

ここ(二回目)に私は。「大恩人祖母」を躊躇なく『置』いた。
真意は以下である。
初稿の恩人は「師匠」  次稿の恩人は「祖母」

その大恩人に、わたしは一度だけ。たった一度だけ御批判を申した。


それが以下であった。
「…生まれたときから兄・妹と信じて、育った二人(愚壮の父母)を」
何故に無理やり夫婦にしたのか…であった。

「畜生の選択」とも、確かに言った。
「押し付けた」とも、確かに言った。


「大恩人」は慟哭した。
『すまんかった すまんかった』…と。


わたしが… この時の「祖母」の涙を、深き懺悔で告白する。
それが2003年6月の、高知県高岡郡宇佐の海での
> 読経がおわり、お題目を回向し始めたとき、
> 私は、生まれてはじめて、
> 滂沱の涙を体験したのです。  …であった。


私自身。「断じて言うまい」と、深く秘めていた「恥辱部分」は
実は。
「祖母」御自身の「命」引き換えの『透徹の慧眼』だったのです。

『汝。恥ずべし!』わたしは私を蹴り上げました。

今。 「孫」を四人も戴いた。  ありがたいことではないか。
「身は朽ち、余命早や使い果たした」とは、 正鵠ではある。

振り返りし「我が道程」に、最早や「悔」皆無である。

この四日間、指は動けど「身」は侭ならぬ…
親友「鬼殿」が言う「引退」も、   粗、眼前じゃ。


「苦悶の愚壮」にヤクザ本部長は言う。
「愚壮や、 楽観ではなかったのか」
更に言う
「弱気の愚壮など 見たくも無い」

『茲に 創価がある』のではないか!
…と。 我は憤然 再び立ち上がる…



2008-08-17 07:58:27

昭和36年5月7日 九州男女総会に切られた「火蓋」は『列島縦断』す。
この時、師匠の直接の薫陶をうけた「国士10万」の史書は語る。
ここの詳細は「大白蓮華」7月号で学んでいきたい。

以下の歌をご存知であろうか。 
特筆。 原曲の『イントロ』の哀愁に、私等は、唸る者である。
が、「イントロ」については余談である。
              
              『ああ新撰組 』
           作詞 横井弘・作曲 中野忠晴

              唄 三橋美智也


@番 加茂の河原に 千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨
 武士と云う名に 生命をかけて 新撰組は 今日もゆく

A番 恋も情けも 矢弾に捨てて 軍かさねる 鳥羽伏見
 ともに白刃を 淋しくかざし 新撰組は 月に泣く

B番 菊の香りに 葵が枯れる 枯れて散る散る 風の中
 変わる「時世」に 背中を向けて  新撰組よ 何処へゆく


『大白』7月号【九州総会】の項に、この曲の持つ「使命」の不思議がある。
「恋も情けも矢弾に捨てて 軍かさねる鳥羽伏見…」に師匠の鼓舞がある。

「使命」の為。「師匠」の為。「同志」の為。吾は『激流』に走り抜く。
私は、『これぞ「九州男児」である!』と、 心酔している。  23p


『列島縦断』の師匠の奔走に「我こそ応える也」と、澎湃の群雄屹立す。
そこそ「九州」「中部」「関西」「北海道」「中国」「東北」である。

「大白」8月号を学ぶ。
『広宣流布の最後の仕上げは東北健児の手で』

ここでは、「新世紀の歌」の秘話を学ぶことが出来る。
「師匠」行く先々。 「魂魄」を留め置くが如き指導の数々ではないか。

『留め置く』の『置』の一字は、
「謗法の輩の失を放置しない」の意義がある。とは「御講聞書」である。

とまれ、「同8月号」(43P)の指導を拝したい。

『貴女が成仏すれば一家は幸せになります。
      そのためにも、学会活動を真面目にやるんですよ』


『戦前、牢獄で退転してしまった男性幹部のだらしなさを、
戸田先生は大変嘆かれました。  牢から出られた先生は、
【女子部は一生涯、男性がどうであろうと、毅然たる信心に立って
どんな迫害があっても、絶対に一歩も退かない 、強い強い信心をもって
学会を守っていっていただきたい】と指導されたのです』


以上で学ぶ事は、「九州男児」の潔(いさぎよ)さと、
「広布に走る」御婦人の尊さです。  
  心すべき事です。



2008-08-22 10:21:43

「お父さんへ」と書き出された手紙が机上にあった。 
「襤褸屑」如き身体を引きずって立った午前五時の事務所である。

既に、ガレージには「聖教新聞」の束は届いていたが…
今朝も、その足元の安全を図るべくの照明が消えたままであった。


御届け下さる「県長」何時もこう言う。「照明など不要です」
愚壮は何時もこう思う。『…それでは申し訳がない』

扨。「襤褸屑(ぼろくず)」の今朝の愚壮に戻るが…
机上の手紙には 概ね、以下とあった。

【 昨夜 21:○○頃  「県長」が「壮年方面幹部」と来宅
「父は死んでる」…に、「県長」は励ました。

「愚壮宅」の北面タイルに埋め込まれた「三色旗」は何を語るのか。
ここは、一人「地区・支部」の拠点にあらず。
仕事が、肉体が…如何に厳しくとも「一歩も退くな」  】

読みつつ…閃いた事実がある…とは、同行の「方面幹部」こそ
昭和57年。「S前総県長」「S現(参)議員」と倶にの激励行で、
「名物K部長」陣頭の、あの「折伏方面制覇」の愚壮宅「訪問の人」であった。


『ああ、会いたかった』とは、 闘わずの「腰抜け」の常套句であって、
手紙を見つつの、私の手が 震えていたのは『悔恨』であったろう。

髭を剃る刃が皮膚にめり込む…と、髭さえ剃れない。
『…まるで、死体じゃ』とは、 ここ2・3日の「我が肉体」である。

が、長女の置手紙は、 そんな軟弱を「一刀両断」の切れ味であった。
「今日は送迎だけしろ」とは、長男の気配りだ。  
甘んじて助けていただこう。  

日の出の時刻と走り抜ける風が、既に「秋」を告げている。
明日から、我が家の車庫に 照明が点く事になる。
「県長」有難う御座いました。



2008-08-29 06:13:24

東海・関東地方の豪雨禍。非常に気になっている。

二時半ごろから、目が覚めて事務所に降りた。
『岡崎』の地名が画面に土砂災害警戒情報が流れるたび。
「M本部長」の顔が浮かんだ。

五時四十五分、遂に堪らなくなり電話を入れた。
3・4コールで本部長は電話に出られた。
「ありがとう」が繋がった瞬間の氏の言葉であった。

みんな大丈夫か…と、おそらく「本部長」も眠れはしまい。
「ずっと警戒している」との事であった。

『こんな時間の電話を…』と詫びる私を、氏は遮った。
「即、心配して電話を呉れて ありがたい」意 申された。

電話を切った、返す刀で「名東区」の次女宅に電話を入れる。
ここも、「避難指示」が出ている…と、画面は言う。

7・8・9… 呼び出しに「亨君」は出ない。
『出ない』とは、恐らく大丈夫なんだ、と。電話を切った。

「町田」の叔母さんも気になるが出発の時間が迫りすぎている。 



2008-08-30 07:51:45

「阪急ブレーブス」に「N池」という名選手が居た。
「西明石」の閑静な立地であった…と、記憶する。

この名選手の御自宅の筋向かいに「K親方」と「愚壮」立つ。
時。昭和47年初秋、残暑甚だ厳しき候である。

「みんな上がれ!」の「上がれ」とは、
愚劣の自職人達を見損ねた「K親方」の爆発で、
鉄拳が伴わない分「職人達」は まだまだ幸せであった。

「一人では何も出来ない」と、親方は「弟子:愚壮」を訪れ
愚壮は「浮世の仁義」を裏切って「K親方」に復職した。
愚壮が今住む「K市」への接点は、この瞬間であった。

扨。「西明石」  大手ゼネコンの現場は「処理場」であったが
これを起点に、二つ違いの「師弟」は「明舞」の荒野を疾駆する。

「名谷」「大蔵谷」挟まれた「高丸」…とは、開発の完了の地である。
昭和のこの頃…例えば「一キロ以上のカルバート(暗渠)」があった。
「明舞団地」が未だ、影も形も無き頃の広漠の風景の工事であった。

この僅か10年後に「恩師:K親方」との永遠の別離がある。
『目前の衝撃』など露知らず、「師弟」播州路に足跡を刻む。

「国鉄 魚住駅とは、地の果てじゃ」と親方は言った。
『池ばっかり多いです』とは、愚壮の見当違いの相槌である。
なんせ、溜池が多い…とは、「へらぶな師」愚壮舞い上がっている。

駅前の銀行の新築工事とは、親方との『風景』の数年後であった。
わたしは、この「辺地:魚住」に二度目に立っている。

施工業者は神戸の老舗「K田工務店」 一流企業である。
この店の現場には、他に「須磨」駅前のマンションなどがあるが余談。

或る時であった、この「魚住」の現場に「一人作業」があった。
「腑抜け愚鈍」の愚壮は、この作業に「父」を指名した。
一瞬の父の辛い表情をも慮らぬ「冷血漢:愚壮」でもあった。

今。愚壮は63歳であるが… 上記の時点の父は65歳。
『さぞや、 御辛かったでしょう』と、
いくら墓に布団を掛けても「父」の苦悩は癒されまい。

古き街道に穏やかな気質が漂う…とは、「古(いにしえ)の魚住」

『あの銀行は、改築したのかな』なんぞと思う。
(改築を)したのであれば、
ワシが組んだ「金庫室」の解体には、難儀したであったろう。
なんせ、ギチギチの密集の配筋じゃ…と、犯人が言うのである。

瀬戸を挟んだ両岸には、温暖の風景が広がっている。
北面の「四県」 南面の「二県」すべてに「忘れ得ぬ風景」がある。

忘れ去られた愛媛の折伏の旅もあった。
「柳井」の突端での、男子部の純粋の「涙」もあった。

訪れし地の「ここかしこ」  創価の麗しき風景が展開する。
『余命無し』とは、愚壮波乱の「朽ち果てた肉体」の別名である。
が、残された時間に「風景」が追いつくことも可能ではある。


ともあれ、「強度の乱視」のなか、ひとり作業後の不安の帰路の父。
「父」が帰着するまで、一歩も路傍から離れず『愚壮』待つ。
…懺悔の唱題を唱えつつ…   30年以上も前の「風景」であった。



2008-08-31 08:26:31

「お前の父親は 善通寺で入隊し 信太山で兵役解除になった」
たしか、祖母が語った「父」の兵役の風景であった。

『大阪・築港』に響く出港の銅鑼に、歓呼の声が湧き上がる。
「おにーちゃーん」と声を嗄らして見送る妹に「船上」の兄 叫ぶ
「お母ちゃんを たのんだよー」

この「風景」は確かに『出港→大阪築港』とある。
余談であるが…
上記出征の船出の「風景」に登場する「兄:妹」とは「父母」であった。

「母」に問う。『善通寺』は祖母の記憶違いなのか
「記憶違ではない」と母は言った「あの人は、二回戦場に赴いた」

所謂。云う処の「シナ事変」と「大東亜戦争」である。
二度の召集に無事帰還した「父」の、三度目を一番恐れたのは たれか。

二度目の生還を果たした「父」は消防署任官の試験をクリアしている。
「消防官」は召集を免れる。  この「入れ知恵」は たれの仕業か。

「兄・妹」(実際は全く血は繋がっていないが、処置は残酷である)を
「夫婦」とさせた地獄図は、 はたして「誰」が描いたのか。

『只々 血の継承の為』と「薄倖の因縁に二人の若者」が犠牲生贄となった。
時代が二人を「唯々諾々」と従わせたのであろうか。
…が、本稿では、これさえも余談である。

「善通寺」にての入役…
「祖母」の言う物語が、『父を呪う』愚壮の行動の伏線になぜあったのか。

昭和38年2月  血迷うた私は、大阪城内の自衛隊関西地方連絡部に自薦
同、3日 和泉市信太山に入隊した。

昭和19年年頭、
兵役解除の「父」を家族総出で迎えた(母 談)…とは「信太山」であった。
「父を殺す」が、入隊の動機と言った私の「父 足跡逆行」は何を指す。

この地「信太山」での約二週間にも、わたしは「友」を見送った。
「E頭君」 不思議にも脳裏を離れざる人となっている。

死因は「事故死」  数多い同期入隊員の中「弔辞」を贈る。
思えば、札幌真駒内での「成人式代表謝辞」も愚壮であった。

…どうも、「余談」が過ぎて、 本題「善通寺」が進まぬ。
香川県善通寺市。 この風光明媚の地に 『忘れ得ぬ風景』が在る。

が、一旦、筆を置く。  
10時からの拙宅「御書学集会」がある故。



2008-09-01 04:48:32  

「信太山」での二週間は完全拘束生活である。
所謂。娑婆気(しゃばっけ)を抜くための集団生活であった。

ま。この段階では、「適性」も糞もない訳で、
只々 時間に沿った日課を「柔らかく」強要される。

先ず。全ての私物が「不要品」となる(私物はパンツのみ)
この、素晴らしい国「日本」は、得体の知れない「初見」の若者達に、
入隊の日から除隊の日まで…上から下まで「官給品」を保障する事となる。
つまり、今まで「納税」の「の」の字も思わぬ輩が『税金』のお世話になる

靴下。靴。肌着。ワイシャツ。ネクタイ。制服。帽子。作業服。作業帽…
様々の過去を秘めた「俄(にわ)か同期生」が黙々と整列して受領する…

忘れ得ぬ人がここに居る。 「SK間二曹(旧称:軍曹)」
出身地。「佐世保」。

又余談。  「佐世保」と聞くと以下の戯れ歌を思い出す。
「♪佐世保 ドンと来りゃ300のヨタが 夜の夜中に メリケン飛ばす
  飛ばすメリケン 怖くはないが 飛ばすアンタはんが 尚怖い♪」
(メリケンとは拳指間に装着する殴具で、これを使うと裂傷 惨)

佐世保出身「SK間二曹(旧称:軍曹)」に戻る。
『鬼の五曹教』(第五陸曹教育隊)出身のこの強面の言葉である。
「なに〜? 上着の寸法が合わん?  身体を合わせんかい」
わしは、一発でこの人が好きになったが、又。余談が出た。

扨。寝具。   これには驚いた。 封筒の如き毛布の隙間で熟睡申す。
たれかが言う…「寝返りも打てない」「豚箱の方が広い」云々 正解じゃ。

おもしろいもので…
「過去を語らぬ」多くの若者達に、少ない時間で妙な連帯感が芽生えてくる。
集団生活の一員に溶け込む時、奥の方に「密封」するものがある。を学ぶ。

そんな折「E頭君」事故死は、この「俄(にわ)か同期生」から「俄か」を外した。

「妙な事」はまだある。  合わなかった制服が身体に馴染んでくる。
短いこの期間に、既に「同志」たる親愛感がヒタヒタと押し寄せている。

「信太山」を飛び出す日が近づいている…
行き先:『第317共通教育中隊』  そは「善通寺」であった。



2008-09-01 07:47:58

穏やかな「讃岐」の田園風景は、そこに在るもの全てを認めている。
土着の風情そのものが温暖で弛緩。所謂、底が広い。

海岸寺街道をひたすら「控え銃」(ひかえつつ)で走り来た中隊。
どの顔もこの顔も、かの「信太山」当時の「煮崩れ」の面貌、皆無。

「完全武装」とは、背嚢。弾帯。銃剣。M1ライフルのフル装備で
凡そ、30sに迫る…と、背中の折畳式円匙(エンビ)が歩調に鳴った。

「大麻山」の麓の「陸上自衛隊 善通寺駐屯地」に配属されて三ヶ月
「信太山」の「鄙(しな)びた萌」は面目躍如。凛々しき「兵」となる。


直径約40センチ強 縦寸約1mの「軍隊色」の雑嚢に官給品を詰めて
恐る恐る、と「善通寺」に護送された当時の不安充満の心境「如是屠羊」

やがて…「金属茶碗」の盛りきりめしが「美味くてたまらん」と変化する。
「めし」も「起きろ」も「寝ろ」も、これ全て 「ラッパ」が合図する。

「蒙古斑」消えぬ若造が、こうも急に替われる訳など無い。とは読み浅い。
「凛々しく」変貌した90日間にも「刹那の師」が、実は有った。

「椿三曹(旧称:伍長)」 出身。米子  母(現)隊「レンジャー部隊」
(御健在ならば 80歳前後になられている事と思う。 謝意深し)
「かわひと一曹(旧称:曹長)」 現隊、出身不明 隊員皆「鬼」と呼ぶ 


中隊長は防衛大学出の「青二才」で、名も人となりも「完全忘却」したが
上記のお二人の下士官は、45年も経た今日(こんにち)でも忘れ得ぬ。

それこそ、「箸の揚げ降ろし」にまで強烈なる叱責が容赦なく飛んできた。
が、不思議なもので 皆が此の「鬼の二教官」に犬コロの如く慕う。

隊員の個性は、当然「種々雑多」で、相変わらず過去は言わぬ。
そんな中で、「W田二士(旧称:二等兵)」が印象に残っている。

晩飯後の自由時間に彼は言う「おい、愚壮二士 ちょっと顔貸せ」
『なんじゃい』と立ち上がったワシにこう言った「教官室へ行こう」

読者諸氏。 彼、何を言ったと思し召すや?
「教官殿の半長靴をピカピカに磨くのさ」とぬかしおった。

『お前一人でやれよ』と、一蹴致した事は間違いない。
居るもんだ…こんな輩がよ。   反吐が出る。



扨。  冒頭の風景。
「海岸寺街道」を北に向かって走り着いた山の稜線で「二教官」熱演す。
感動の卒業訓練の風景は、「鬼」が滂沱と泣く衝撃に突き当たる。
こうして私の胸中深く「刻印」されたものがあった。   18歳であった。

以下。  次稿と致します。(善通寺の風景は続きます)



2008-09-02 06:13:17

「完全武装行軍」
ここ「善通寺」での三ヶ月間の初期の訓練の集大成が上記。

行軍の目的地は「多度津町・海岸寺」(…と、記憶する)
この地「南面」にある稜線を目指した(天霧山か…これも忘失)

…が、この際。地名云々ではない。「仮称:10`行軍」への思いである。
伝統か閃きか、僅か三ヶ月の接点の隊員達に、随行の「二教官」の心を見る。

所詮。「信太山」寄せ集めの自堕落な青年の群れである。
「歩調」を揃える、等。経験も無き「愚行」。と、生きてきた連中であった。

『長髪? 自由じゃん』位の程度の若者達の入隊動機なんざ、聞かずも解かる
大概の奴は「善通寺」に来た次の日くらいに「入隊」を後悔した。
つまり「甘ちゃん」であり「風来坊」の寄せ集めであり、要領一本の輩である

「かわひと一曹」「椿三曹」は上記「木偶の坊」に短期で「心」を注ぎ込んだ
「実弾射撃」で泣き出す奴。「隊」が嫌だと脱柵(だっさく:遁走)する奴。
連帯行動が苦手の奴。  遂には「遁走」すら出来ずに首括る奴。

これらをたった三ヶ月で一人前にする。
要は、自衛隊も刑務所も…「教官」は必死で矯正職務に精励しているのである。

「完全武装」は隊員達だけが装備するのではない。
「教官」も、彼等隊員と寸分違わぬ「完全武装」である。

「駐屯地」を出発の隊伍は威風も堂々である。
地元の人たちの目は『ああ、新隊員さんが巣立っていくのね』と、優しい。

『♪ 万沱の桜か 襟の色』と教官は「歩調」に併せて歌う。
隊員すかさず復唱と歌う「万沱の桜か 襟の色♪」 
『♪華は吉野に嵐吹く』「華は吉野に嵐吹く♪」
『♪大和男(おのこ)と生まれなば』「♪大和男(おのこ)と生まれなば♪」
『♪散兵戦の華と散れ』「散兵戦の華と散れ♪」
(歩 兵 の 本 領   作詩 加藤明勝  作曲 永井建子  明治44年)

北上する「海岸寺街道」は晴天である。
肩に「M1 ガーランドライフル銃」  実に「歩武堂々」 心も晴れる。
が、道程半ば、突然「教官」から声が飛ぶ  「控えーー銃!」
(控え銃とは、胸の前で銃を斜めに保つ姿勢で、時間が過ぎると苦痛)

「ほら来た!」とも思わなければ、其の後の「地獄」も知る由も無い。
毅然と従う隊員たちに号令がかかった  「駆け足にィ〜  進めェ」

隊伍も整然と全員「駆け足」に移行す。   目的地はまだ遠い。
「初夏」の田園地帯を青年達は駆け抜ける…個々の「使命」を連れて。


(固有の風景です。 掲示板趣旨違反と言わず 読み飛ばされたい)



2008-09-02 13:15:28

点描「善通寺」終稿

「控え銃(つつ)」で20分も走ると、ジンワリと手が痺れてくる。
だけではない。「M1ガーランド小銃」は約4・3s 背中の背嚢は 25s
腰の弾帯には満杯の水筒と銃剣。 頭には糞重い「鉄兜」  顎が出る。

映画でよく見る「GI」が隊列で走る場面がある。
実に粋な掛け声で楽しそうに走っている…
が、ここ「海岸寺街道」は無粋な掛け声が「ヤケクソ」に響く。以下。

教官→「ちょう(歩調)ちょう・ちょう  取ーれー」
隊員A→「イィーチ」『ホーレー』        【注記『 』は全員 】
 「二ィー」『ホーレー』「サァーン」『ホーレー』「シィー」『ホーレー』
全員→『1・2・3・4・1・2・3・4』  …これが疲れる。


「レンジャー」出身の椿三曹はおろか、「かわひと一曹」息も乱れない。
反面。「教官殿」よりも充分に若い「新入隊員」は、書くも無惨であった。

思うに。わたしの現隊「札幌・真駒内 第18連隊」配属の直前
少数特訓の「曹士訓練隊」でも担当教官に「藻岩山走行登山」で殺された。

どうも自衛隊は。新入隊員に走って登山をさせるのが「規定」なのか
とまれ、虫の息で辿り着いたのが、海岸寺南方の「稜線」であった。
眼下 点在の「海岸寺」の集落を、優雅なる田園風景が包囲し広がっていた。

「瀬戸内海」が広がり往く遠望は晴天に美しく輝いていた。
「塩飽諸島」の島影は正面「真北」にある。  「備前」更に遠望す。
視線を右に降ろせば「多度津」「丸亀」「坂出」の港が俯瞰さる。

ここで『2教官』は「山立て」「距離測定」「方位伝達」などを教授す。
「平和な山河の風景に馴染まないが」…と、『斥候・歩哨』を学んだ。

やがて…日頃の「鬼教官」は「稜線点在」の「ボサ(雑木)」に隠れた。
「血糊」のメーキャップで登場の「教官」は熱演する。
それは寸劇であった  『命を賭けた歩哨の死』

最後まで死線を確保した「勇敢の兵士」の死は 友軍の部隊を救った。
『命令の遵守』とは、かく筆頭重要の根幹である。と、熱演した。

「時代が違う」との思いが「芥子粒」ほども湧いてこない。
どころか… 小さな「卒業行軍」に対する感動が沸き上がった。

晴天の昼下がり… 「おとぎ話」の如きの熱演に 感動は沈静せず。
「話」は時代錯誤にも見える、が…「骨子」は「使命」ではないのか。

後年にまで残る「風景」であった。

あの日から45年。  当時の仲間の消息など、知るべきも無い。
唯一つ「忘れ得ぬ風景」がある。

仲間が、それぞれの「後期教育隊」に散り散りに旅立つ日が来た。
「かわひと一曹」「椿三曹」国鉄善通寺駅に御見送りくださる。

汽車が動き出した。 その時「教官殿」は滂沱と泣く。
たった三ヶ月で見事に生まれ変わった隊員たちも泣き濡れた。

仲間がみんな、忘れない人が居る。
「かわひと一曹」「椿三曹」が、其の人である。

             香川県善通寺を終わります。 多謝



2008-09-06 07:54:00 

「無冠の王者」さまへ。  いつもいつも有難う。
「聖教本配」とは「無冠の王」です。
「無冠の王」とは、世界で一番「幸せ」「励まし」「同苦」を運ぶ人。

その尊(たっと)き「広布の先駆者」にイチャモン付ける人が「まさか」居るや?
そんな事信じられんが…  もしも「居る」とせば。
もはや、そこからしてそいつらは「創価学会員」ではありません。

「聖教新聞」の意義や淵源を探るに、避けられない「道」を往きます。
さこそ『師弟の道』です。

師匠が「創価同志」の筆頭に置かれた人こそ『無冠の王者』の方々です。
此の事を承知の上で「もっともらしく」口を極めて同志を罵る。

これを「悩乱」と言うのです。
不思議でしょう? 周りがその「悩乱」にさえ同調する。

何を、どう「繕っても」所詮無駄です。
所以は如何。  『本筋』からの「逸脱」の上の「虚構」だからです。

今一番ヒートしている世間の話題。  答えは出ております。

「無冠の偉業」どうぞ、無事故であられますよう祈っております。
貴女を支え、感謝している多くの人たちが居ます。
なによりも 大好きな「先生」が貴女を見守っています。

扨。
日頃から御尊敬申し上げる『火の国』の「千日尼」様に物申す。
「煽りを見抜け。愚壮はちゃんと 見抜いておる…」と。

※(独り言)
御参考  「煽り」「為の文章」は見抜く法則が厳然有る
はてさて? いずこに「法則」や 或る

「真摯」の語彙を御存知か?  実はこの「真摯」
非常に細かな粒子で「心の襞」に棲息する。

故に「煽り」「為の言葉」とは決して馴染まず微妙に反応する。
何処まで行っても「芝居」は「芝居」 真実には勝てぬ。



2008-09-19 07:49:52

『中○副圏長』とは、咽頭癌で声を失った「猛者」である。
この「千里眼副圏長」が本部長の時代…とは、昭和50年代であった。

当時。「下付委員会」に入会決意の友人を同行する…とは「悲喜」も同行した。
支部での一ヶ月の「弘教」が80を越える時代である…つまり。
この「下付委員会(本部長面接)」は「避け得ぬ関門」であった。

「こんばんわ」『おう!あがれ』と、通された仏間に「本部長」が睨んでいる。

これ以降の「風景」は。以前に一度御紹介した件(くだり)であるが、又書く。


『現:ゴリラ地区部長』の入会は、彼が30歳前後の頃、と。遅咲きであった。
K名物部長、愚壮副大B長に連行された『ゴリラ』の行き先は「下付委員会」
ここで、「悲喜」の『悲』が(微かな予想通り)起こっている。

訪問者が並んでお題目を三唱し座敷中央の大机を挟んで対峙する。
この瞬間を『中○副圏長(当時:本部長)』は、こう述懐する。
「題目の声や、紹介者の緊張感から、既に面接は始まっているが」
「新来者」その人の『所作振る舞い』で、可否が判る…と。

この夜の「ゴリラ」は『否』であった。
『お前な、どうせ途中で辞めるんやさかい』入会せずともよい。という。
紹介者達は「ほら来た」と緊張し、「ゴリラ」は違う話に吾を忘れた。

「吾を忘れた」とは、証拠がある。
「信仰をやるのかやらないのかは、俺が決めるンや」とゴリラは言う。
『やめとけ、やめとけ…どうせケツ割るんやから』「いや。絶対やる」

冷静寡黙の「ゴリラ」は、見事に吾を忘れて信仰に踏み切った。
私の父の急逝の時。 「ゴリラ」は愚壮を癒し続け
不況で「職人さん」が去る中でも、「ゴリラ」は歯を食いしばっている。


私が「支部長」の任命を拝受した折の事であった。
次後任(次の次)の「地区部長」の人選を、私は迫られている。
一切の躊躇なく私が名指した人が居る。
これなん  その人こそ『ゴリラ地区部長』その人であった。


「厳しき御父上」を失われた氏は、故郷「日和佐」に「母上」ありき。
「還暦まで あと三年しかないが…」と、 氏は疾駆する。
朴訥 寡黙のまま…

追伸。
「ゴリラ地区部長」誕生の折に、一番喜んだ人が居る。
それこそが…『中○副圏長』であられたことを申し添えておく。


更に「追伸」
「善通寺」を巣立った愚壮二士は「後期教育隊」に編属さる。
そは、大津駐屯地 第109教育大隊であった。
…が、しかし…  「風景」は『伊予:愛媛』を目指している。



2008-09-21 08:35:34

関西の同志。就中、我が地域の同志は『止暇断眠』と闘う。
『大東京』ですら、たった一人に「侃侃諤諤」の雑音がある。

関西は「六勇」をこれ、「師恩」故に「私怨」を超越し奮闘
…と、「B総会」に完全燃焼の気概で走り抜けつつある。

多くのブロックには「健気」の白ゆり長が堅塁に屹立さる。
ある御方は、6時半からの仕事の為「無冠」を5時に終わるとか。

「5時には配達を終わりたいので…」を聞き入れて
『このお宅の「聖教新聞」を支部内で一番最初にお届けする』
上記は、「白ゆり長さん」の『個』の事情に経路を変えられた店長。
「衣服のサイズに身体を合わせろ」の「ヨタ」など無き世界である。


とまれ。「B総会」は、本日の14時開会で13の「有終」となる。

そんな本日の「聖教紙面」に
『常勝の空』が『火の国』『天津』と乱舞する。
特筆。昭和53年7月17日の「師匠の気概」に再びの震撼『不得禁』


「賢聖」は「罵詈」して試すべし、を。
悩乱の「ヨタ」に被せる輩が跋扈している。
恰も、「米」にも「餡」にも「毒気深入」の世相である。

乱世。末世…  いやはや、如何とも為し難い者なのか。



2008-09-22 14:41:43

「ゴリラ地区部長」の地区は『支部西南面』を牙城とす…
とは、「裏鬼門」にあたっている。

この『伝統』の代々の地区部長は、「総B長」「大B長」時代から
所謂、壮絶無比の戦いを制している。曰く「勝つ地区」であった。

昭和60年3月18日「第一回地区総会」開催。爾来。四半世紀
「関西最強」と謳われた所以は、その微動無き「師弟直結」を言う。

証左が或る。
そこそ。昭和55年3月9日  我が地域同志は「本陣」に疾駆す。
「会長御勇退」の策謀に、「生涯の師匠は不変なり!」を誓っている。

「御託」「ヨタ」如き噴飯の雑音等、須(すべから)く「歯牙」にも掛けぬ。
この「地域」に台頭する『勇猛』とは、別名を「敢智の人」と呼ぶ。

『勇猛:敢智』の群雄は「大阪中央環状線」を挟んで東西に布陣為す。
「師匠」が示された「緑の道」の心を誓いつつの先陣、今「鬨」を迎う。

『先陣』の「武者押し」とは、昨日の「四者地区部長会」であった。
1千名に迫る「総立ち」に、会館全館が「空母」の如く鳴動した。
関西トップ幹部が「並座」為す大広間。
「池田会館大広間」にこそ、埋め切れぬ熱波がロビーに充満す

拙「風景」登場の総ての先輩同志が「恒河沙」の如くの参集陣内である。
が、しかし。  
…この場の「群雄」が、たれとて気付かぬ「ドラマ」がある。
否。見逃してはならぬ「ドラマ」が伏線と前日「厳然」あった。


殿軍(しんがり)の「予兆」は、その前の日。
つまり 9月20日の午後の水面下に、「波涛の兆し」が起こっていた。

「兆し」は無名の勇者の、無欲の祈りであった。
この日、20日(土)に、独りの「壮年部」が愚壮宅を訪れる。

年。41歳。 「U氏」 無役。 所属「当地区」

突然の御訪問に「当家」の「Y地区婦人部長」が驚いたのは他でもない。
もう一人。これも「当地区」の無役無名の「壮年」が「す」と立っている。
この際。「無名・無役」とは『能動、拠点を訪ねる人ではない』お方を言う
決して「蔑視」の類は芥子ほども無いので断っておくが…

ともあれ。「事務所」の愚壮は、委細を聞いて驚喜した。

偶然であるが、お二人とも「U氏」で、御年齢も二つと違わない。
いや。驚喜致したのは お名前や年の頃が似ているからではなかった。

「実は、二人で決めたのは…」
愚壮宅で一時間の唱題のあと、会合に出にくい若手の壮年を訪問する。

愚壮は悶絶する。
『な、何事が起こったのか』と、御若き二人の壮年部員さんを凝視申す。

この時点で、明日の会館での「屹立」等、「彼我」に於いて判る道理も無い。
『奥は深い…』 真摯なる「信仰」に「感動の予告編」などは無い故である。

仏間からは、静かな…且つ。強靭な決意の「唱題」が続いていた。
「毅然」の唱題のリズムは、森閑たる仏間の「御本尊」を直射する。

「会えたか」「会えなかったか」等。所謂、気まぐれな「事象」の範疇である。
要は。
お二人の自然体の「菩薩行」が、「三角波」の怒濤となっている事実であった。

(もう一度 申すが… これは大爆発の会館の前日である)

明けて日曜日。
当日の愚壮は、大混雑の「ロビー」にて「Y圏長」に詳細を申し上げた。
長身の「圏長」は、愚壮の頭の上で申された。
「そんな凄い事が 起こってまんのんか。 おおきに、報告しときます」

残暑がぶり返している…と、輝く会館に「三色旗」翩翻と風に沿う。
「三々五々」と地元に帰る「同志」群れは、「静寂の離岸流」であった。

追伸。「会館」で愚壮が、引き続き強く再び確認致した事がある。
そは「忘恩:矢野」如き輩への、燃ゆるが如き「不許」の心である。



2008-09-23 07:23:35

『四地区沸騰』これが昨夜の我が支部である。

「台風」の影響を強く受けて「残暑」厳しき不快感も夕刻「涼風」あり。
「開既戦端勿汝逡巡」 愚壮宅の賑わいも『沸点』を示していた。

『常勝の空』が関西の夜空を覆い尽くす…とは、昨夜の「鳥瞰図」であった。

「東大阪」の男子部諸賢が、礼も篤く拙宅を辞された時刻
「S本部長(男)」「N部長」「Y君」が参集さる(於、拙事務所)
臨戦の緊張の中にも弾き突き抜ける談笑。一階事務所「如恰参謀室」

愚壮張付奮闘於PC之図にも、「背後」のソファー。イト騒がし。
「騒ぎ」を聞きつけて愚妻が「缶コーヒー」等を差し入れする。

集計の数字をば指して「是非必要なものがある」と、彼らは来ている。
『輪転機が要る』ほどの戦場の「風景」は、こうして時。刻んでいく。

「23時に参集」とかなんとか
「老体」には、到底ついては行けない私語を残して優駿が去る夜道
私はもう一度、自転車に乗って「M地区部長」を訪れた。

「愚壮さん。用事があるなら私が行くのに…」とは「M地区部長」
『こっちが動かないのは、申し訳がない』と、書類を手渡した。

時刻は22時を過ぎている。 
支部内の路地の迷路を往く… 「涼風」心地よし  街は静かである。

やがて…通称「六差路」を左折し、寂れ果てた「商店街筋」に入った。
数十m進んだ左側が拙宅である。  
と、眼前の道を横切る者があった、が。普段と明らかに違っている。

「横切る者」とは「鼬(いたち)」
日頃の彼は、あっという間に向かいの隙間に消えていく…
が、この「眼前の鼬」は、あろうことか、道の真ん中で座折している。

わたしが、彼の間近に接近した時「視線」が合った。
「もう駄目です」と、可愛い目が「無言」で訴えている。

寸秒の「停止画像」に、私は総てを悟っていた。
『向かいの路地に行き着いても…彼の死期は迫っている』

「彼」独特の 美しき毛並みの「尾」さえも、醜く歪んでいた。
動かぬ「後肢」を引きずって、彼は再び「彼岸」を目指す。
何度も私を振り返りつつ…

たかが「いたち」。とは思えぬ「風景」に思沈する。


帰宅のテーブルに「缶ビール」を流し込んだ時
わたしは、もう一度。「彼」の眼差しを思い出していた。

                          合掌



2008-09-23 07:53:41

御無理はいかん…
悲観も又、いけません。

「ヤクザ本部長」が私にいつも言う。
「愚壮はん、楽観主義やおまへんか」

『本筋』ど真ん中で闘う人を「同志」と言う。
…であるならば…
総てを「此の事に値わんが為なりけり」と読まねば
『身読』が齟齬になる…

「注射」は痛い
「良薬」は苦い

「末法即一闡堤」
『私の「罪障」は決して軽くはない』
こう思い切るべき時もあります。


「三国志」の総ての英雄が、結句。「死に絶える」
「命。限りあり」
悠々朗々と 生き抜きましょう。



2008-09-23 09:12:45

今日。2008年9月23日(火)の公明新聞

この「波紋」欄
地元「総県」在住の元衆議院議員「H田氏」の投稿がある。

【 詐欺師から「師」と仰がれた矢野 】
以下。投稿文の概意に沿って書く。

@ 矢野の「対:公明党への悪意の発言」
↑ こんな資格は「矢野」にはない。

所以は→彼は自宅で現金二億円授受(明電工株取引疑惑)で
    同党 委員長を辞任。

A 「希代の詐欺師」と言われた「逮捕:実刑」の人物から
  「師」と仰がれた。
↑ これは、事実マスコミに書きたてられている。

B 昨年12月 同党議員OBから訴えられた民事裁判で「矢野敗訴」
↑ 賠償金支払命令に加え「謝罪広告掲載」も命じられた(控訴審中)

C 上記控訴審を有利に運ばんが為「創価学会」「同幹部」を提訴
↑ 「忘恩」「荒唐無稽」「嘘のでっち上げ」

D 「公明党の諸君は…」などと尊大ぶった「矢野」の言動
↑ 笑止千万。「公明党」を汚したのが『矢野』

E 係争中の事案の当事者を「国会」に呼ぶ
↑ 「司法」に対する越権行為。 何様か。

F 国民・党員・支持者への謝罪
↑ 謝罪? 御心配無用。まったくその気はありません。
  「矢野」は邪知ですから  ハイ!


御投稿者の「H田氏」 総県の諸会合で度々目撃している。
「議員」を辞したら、速やかに「同志」の中に駆け込む。
「報恩感謝」を忘れない人柄に、益々の「福徳」を積むのである。

「忘恩」「顰蹙」「両舌」「毀謗」「蔑み」
 これ以上の「極悪」はない。 『推して知るべし』である。



2008-09-25 09:55:10

2004年4月の最初の日曜日…と記憶する。
時刻は午前四時頃…と、これも記憶は頼りない。

当時の本部長「Y氏」(現在、故郷 宮崎:在)
この、本部長愛車に同乗したメンバーは以下であった。

「N支部婦」「Y地区婦」「巻ちゃん(婦)」「Uさん(婦)」
そこに「愚壮」が助手席に陣取った一行は計6人である。

待ち合わせの「愚壮宅」に集(つど)った笑顔。日頃の寝坊助皆無。
特段、紹介者「Uさん」につきっきりの「巻ちゃん」が輝いている。
(秘密じゃが… 銀紫髪の「巻ちゃん」当時68歳。 見かけ50歳)


「さあ!いこう」
早暁明けやらぬ迷路を、「友の幸せ」願う「心」を抱(いだ)き出発す。
「近畿自動車道:摂津」に乗り入れた時、「Y本部長」アクセル踏み込む。


目的地。「愛媛:三島」
早暁発の道程は「近畿道」「中国道」「山陽道」を経由して瀬戸内海を跨ぐ。
「瀬戸大橋」を越え「坂出分岐」を西進すると、あの懐かしき「善通寺」がある。

穏やかなる早朝の田園の農道と集落。 助手席のガラス越しに追い来る山々。

つと、書く今。私は「再びの蘇生の風景」の感慨にこう思う。 
早暁。未(いま)だ静かなる「風景」こそ、人間の本来の本地ではないのか。

拡がりゆく地平線の穏やかなる稜線に続く「一本の農道」も
波涛、絶え間なく打ち続く岬の磯の果ての湾曲の「水平線」も
朝霧に咽ぶ森閑の暗闇に細々とはいえ 確実に続く「樵道」も
営々と「生命の営み」を続けてきた「総ての命」の健気を賛嘆する。

たれにも故郷があるやうに…たれしにも「母」がおわすやうに…
「黙然の山河」が確かに語りかける「声」が「本地」ではないのか。

ちっぽけなる「信条」の相違如きで
「人の尊厳」即『人格』をば、犯すほどの「愚行」が「善」なりや。

扨。
一気呵成に走り抜ける車窓の「風景」は…
愚壮固有の「風景」を掘起しつつ、道は故郷「高知」の分岐を右にとる。

『伊予:三島』の街区は「JR予讃線」と着かず離れず並走している。
ナビ係は、ここから「なつかしい」を連発される「Uさん」が担当する。
(又。秘密じゃが… 元美人の「Uさん」当時70歳。 見かけ60歳)

「あ〜 腹が減った」に、車内にドッと嬌声が上がった。
「朝食なら駅前」とは旅慣れた「愚壮」の一声で、車は進路を決めた。
「JR三島駅」に訪れた大衆食堂に「忘れ得ぬ風景」の足跡を残す。

        以下 次稿とします。(愛媛:伊予三島  続きます)  



2008-09-28 14:04:42

「伊予三島駅」の大衆食堂は海側の広場の南西の角にあった。

甚だ「ローカル」な風情懐かしき店内。 存外 広い。
店内には地元のオヤジさんが、朝から「酒」等を飲んでいる。
旅人ならばさしずめ、日記にでも残したい「風景」であった。

ここに、明らかに「違風」な風体の6人が「場違い」と入った。
「違風」とは、耳鳴りがするやうなる「沈黙」を言う…

「スーツ」を決めた「Y本部長」「愚壮」
「一張羅」のド派手キンキラの四人の「関西婦人部」
『ここの客は喋らないのか』と店内 水を打つ。

が、それでも救いはあった。
一流温泉旅館よりも、数倍に美味い朝飯である。
ワシは「熱燗」所望の頑迷なる誘惑を「頭」を振って辛抱甲す。

扨。
海側の「国道」が、並走の予讃線と入れ替わった。
と、ここに来てナビの「Uさん」は言う。
「突然来たので」親戚の家族は、きっと驚く事だろう。
「なにしろ、学会嫌いなもんで、本当は不安です」とも言う。

確かに言える事があった。
今回の「折伏行」  何方かが既に「仏法対話」をして、
入会の手続きのみに来た「6人」ではない。
今、初めて。「Uさん」の故郷の親戚一同に「幸」を届けるのであった。

海側の「予讃線」が最も近づいた踏切を越えた。
「予讃」であれよ!と、祈る思いで車外に出る。
かすかであったが、愚壮はこの時「潮の香」を敏感に感じている。

目的の地は、車の入らない「集落」である。
愚壮の瞬間の閃きは「落人の隠れ谷」を描いている。
そういえば、この『風景』。 「出合帳場」の僻地で何度か見ているのだ。

「抑圧」の隠れ里を連想する路地である。  「6人」は黙って歩いた。


「崩れかけた家屋」とは、 
都会の押し込められた、煩雑雑居の空間にさえ既に姿を消しつつある。
が、ここには在った。

立て付けの悪い玄関の「木戸」を「Uさん」が引き明けた。
「おる〜(在宅か)」との、地元の言葉に…奥からの返事は無い。
 
暫らくの間を空けて気配が動いた。
小さな「猫」を大事そうに抱いて… 少女が出てきた。

『何故。この少女は、こんなに疲れているんだ』
愚壮の直感は、愚壮固有の経験を無意識に呼び起こす。

「おかあちゃん おるん?」とは再び「Uさん」
ここも、少しの時間を置いて、少女は小さく頷いた。

が、しかし。屋内は相変わらず森閑と湿っている。
先程からであった… 非常に重い空気を感じている。と、自覚する。

『燧灘』に面した「伊予三島会館」での感動劇が展開のことなど。
一切を受け入れぬ玄関先での「風景」である。
…空気は、どこまでも 湿度が高い。

私はこの時。駅前の大衆食堂での「疎外感」を思い起こしていた。

以下。次稿と致します。…が、若干 時間が空くと思います。
乞う。御容赦。



2008-10-01 09:47:20

小雨模様の「国道163号線」を現場に向かったのが午前五時。
ここで長男と「清ちゃん」を降ろした愚壮は反転、往路を復路とす。
久しぶりにの無謀運転で飛んで帰った「自社車庫」に「大祐」は待っていた。

盟友同志「T支部長」の御長男「大祐」
彼が我が社に復帰した事に呼応するかの如く「人材」 参集しつつある。
まさに、今朝もそうであった…と、新しく「Yさん」が戦列に加わってくださる。
わしは、小雨降りやまぬ早朝の「車庫前」で「大祐」の肩に手を乗せた。
『大祐よ…』 おまえは俺の「諸天」なのか…

チッポケ。吹けば飛び散る。とは、「我が社」を指しているが…
そんな「愚壮」に依頼があった。   「応援寄こせ」である。
「応援を所望されている」とは『親会社の現場へ何人か回せ』との意である。
仕事量が無い→単価の叩き合いになる→大手業者が採算度外視で割り込む。
『絶望のスパイラル』打ち続く業界に、出口の「黎明」は霧の彼方。と、見えぬ。

見えぬ「出口」にも、 感謝に耐えぬ「誘導燈」の如き御依頼が、上記である。

扨。 「伊予:三島」
ここだけが取り残されている…との風情の、奥まった「荒れ家」に少女在り。
少女を見る瞬間に、過去を重ねたのは… はたして…私だけの直感だ。
「過去」を重ねるほどの深みが、たかが11・2歳の「少女」に、実際に漂っていた。

久々の実家に、たれもが味わうのと同じ感慨の中の「Uさん」を除いて…
はたして、残りの5人の「その時」は、複雑であったのかもしれない
同道我が誇りの「関西婦人部」の面々は、その時 どう出たか

「一張羅キンキラ」の「実年齢隠蔽」の軍団は、小首を傾げて「愛想笑い」のみ
胸の「コサージュ」だけが 晴れやかに咲き揺れていた。
「Y本部長」は、その時 どうしたか…
「Y本部長」は、実に見事に「こんな場合に愚壮がおる」と、ワシを押し出した。

通された室内は、歩く足音に「根太」が鳴いている。
少女の「母」であろう…若き女性が「来なくていいのに…」と、在室であった。
保育園くらいの「男の子」が居る。   「少女」は隠れてしまっている。

「Uさん」が御主人の行き先なんぞを聞いている室内は、重く狭く傾いていた。
一呼吸。先ずワシから口火を切った…とは、「男の子」に。であった。
『おっちゃんナァ…アキちゃんてゆうんや   ぼくは?』
少女から取り上げた「猫」抱きつつ、彼は元気に即答してくれた「ダイキ!」

『Dちゃん。あのなァ  猫は そんなにお腹をキツく抱いたらアカン』
他愛の無い会話の積み重ねが、無視する「母」の琴線に迫りゆく。
「おとうちゃんは、仕事やよ」と 彼は至って屈託が無い。
「母」の言う 「今日は帰りが遅い」などは聞いても聞かない愚壮であった。

「少年Dちゃん」と愚壮の会話に「少女」が加わった。
いつのまにか少年は、愚壮を「アキちゃん」 本部長を「マアちゃん」と呼んだ。

「お父さんが帰るまでの間 ファミレスにでも行こう」とは「金持ち本部長」
「Dちゃん」は喜び  「少女」は湿った表情で母親の顔色を見た。

『じゃ、そのまえに トイレをお借りします』と、立った「トイレ」に謎は解ける。

以下。次稿とします。  「因習」が「本性の顔」を出します。



2008-10-01 11:16:26

玄関の「框」に半坪程の板敷き、それの向こうに「和室」「濡れ縁」と続く。
甚だ薄暗き「和室」に踏み込んだ愚壮は、息を呑む。
座敷右側には神棚と仏壇があった…が、息を呑むのはこれではない。

問題は「愚壮」の足を釘付けにした「座敷左手」の鴨居の上であった。
縦長の座敷に、鴨居の上の棚板は「濡れ縁」の壁まで続いていた。
棚から愚壮を見下ろす「木偶」「呪詛印」「神札」は、無数黒々と連なっていた。

「不動」「大日」「稲荷」「天神」「三宝」「念仏」と…
さまざまな「謗法」のなか「愚壮」「祖母」「妹」が生きた世界が今、眼前に在る。
強烈に「闇淵」へと引きずり込む「妖気」さえ、全く重なる「風景」である。

『南無!』とわたしは『題目七字』を叫びつつ「杞憂の因」を睨みつけた。
『俺が来たからには、おまえ等の邪智にまみれた蠕動は今日で終りぜよ』
どうりで…『暗く沈んでいる』筈であった。
どうりで…トイレから帰った「関西最強婦人部」がおびえた訳よ。

ファミレスに行く。と言う元気な二人に、反対する親は居ない。
「買い物もある」と、若き母親は腰を上げた。
8人乗りのマイクロバスに、総員九名は明らかに「道交法」違反で走る。
『子供は二人で一人』とは、馬鹿愚壮の品の悪い使い古し冗談…も嬌声あり。

「好きなものを言ってね」と、懐の痛まぬ婦人部の言葉に「Dちゃん」大満足
刻々と「明るく」振舞う姉弟の姿に、除々に優しさを思い出した「母」が居る。
「Uさん」と「母親」の会話に、それとなく黙聴しつつ楽しい時間は流れていった。

『ご主人は日曜日でもお仕事、大変ですね』に「今日は昼には帰ります」
私達の事を、「僻客」ではない。と、信じてくださった「母親」の胸襟の開錠である。

ここに、「Y本部長」の本来の責務が光る…と、地元「地区婦人部長」現る。
再び帰った「荒れ家」の風土にも、厳然「地区婦人部長」の勇姿は在った。
礼も儀も、「穏やかなる風景」に見事に溶け込んだ御婦人である。

「同志」  たった二文字に凝縮された「師匠」の想いは絢爛である。
「創価の組織」とは、津々浦々にまで「普遍」に昇華された「同心」を言う。
「俺達が先に気が付いた」だの、「俺が先に言い出した」だのを『ヨタ』と言う。

「おとうさん」との対話に臨む。   穏やか温厚の仁。と、愚壮は拝見す。
やがて… 「本題」を切り出した。  
 『要は、なにがなんでも幸せになってほしい』 それ以外。ある訳など無い。

「伊予:三島」の『忘れ得ぬ風景』            次稿に続きます。



2008-10-01 12:44:53

「温厚 実直」ではあるが「影(かげ:陰)」がある。とは、わたしの直感である。
親子四人が、只。ひっそりと暮らしているのに…と。「影」は黙って語る。
あまり人の顔を見て話されない「おとうさん」に、二人の子供は寄り添っていた。

『優しいお父さんですね』 と、 私は正直を申す。
「いえ、やんちゃで…」に、私は鋭くかぶせた 『やんちゃではありません』
とても、気を使っているお子さんである。 つまり、弾(はじ)けていない。
私は、ここしかない。と、自身の越し方と、厳然と存在する「王法」を説いた。

総ての「同志」には、総てに遠大なる『王道帰結』のドラマがある。
「同志」おひとりおひとりに、揺るぎなき「使命」がある。
「同心」とは、「徒党」や「派閥」や「底の浅い同意」に酔う事では決めて無い。
つまり、「同志」が向かう先は、一点。『師匠』である。  他に何も無い。

この御一家に「影」なき『王道』の存在を断じて御教えする。
そは、「因習」ゆえに目隠しされたままの「宿業」を白日に「根絶やし」する。
この一点のみである。       後は「枝葉末節」であった。

時に、「少女」は 「ダイちゃん」は。消え入る「父」に涙する。
『お父さん どうぞ 御決断致して下さい』  『命を賭けて、真実です』
延々の対話に、たれもが真似出来ぬ「勇気」を彼は言う。
「やります!子供の幸せの為に」 
「関西一張羅」のキンキラが思わず涙する。




『伊予三島会館』は、暖かく開いた「海」に面して輝いていた。
地元幹部は、「関西」の幹部が置き忘れた「穏やかさ」に満ちている。
「Y本部長」独断場の諸手続きの間、私達は「海」よりも広い地元「同志」見る

若き母は微笑んでいる。 「少女」「ダイちゃん」はお行儀がよろしい。
ご家族が全員で「御本尊様」に祈られている姿に、「忘れた風景」蘇る。

「Uさん」は言う。   「これで、晴れて御先祖様に顔がたった」
…やがて   大阪に帰る時間が来てしまった。
と、その前に…とは、「Uさん」   墓に行く。との事であった。

『忘れ得ぬ風景』が、帰阪直前の小さな隙間に繰り広げられる。
「K川町」の街路が、丘陵を目指す。  目前の重なる稜線に「春風」あり。

立派な墓標の前に合掌申す。   
「Uさん」ハラハラと涙する…  と、その時であった。
「ダイちゃん」の澄み渡った声が響いた。   「南無妙法蓮華経!」
穢れなきその声こそ、 御一家の前途を祝す「如来の声」と謹聴申した。

時。2004年の「春爛漫」の候であった。
「少女」から後日、封書が来た。   幼き文面は「亡き祖父」の事であった。
「爺ちゃんも、信心した事になるのか」との意であった。
『勿論ですとも!』と、喜々御返信致した事は申すまでもありません。

「伊予:三島」の風景でした。   御読みいただき感謝いたします。
次稿は 「我が信心の分岐点:山口」です。 乞う。御続読。



2008-10-25 07:49:05

>>25082(富士宮ボーイ掲示板)
>> 本日も同盟唱題会への御参加、真にありがとうございますo(*^▽^*)o~♪
>> 本日(日が変わりましたが:汗)で丸3年と14週を終了する事ができました\(^o^)/

紋様。連日の御激闘ありがとうございます。
又。誠に御苦労様で御座います。

…思い起こせば… この篤志(篤き志)の「同盟唱題会」の発露は
「うりちゃんさま」で御座いました(2005年7月12日)

『見えない道を共々に探しましょう。そして、橋を架けましょう』
↑が、初代同盟唱題部長『うりちゃん様』の「同苦」の呼びかけでした。

「八方塞がり」だから『共に祈りましょう』
見事なる「創価同志」「師弟不二」の縮図の御提案に、
『感動:同意の輪』は「燎原の火」と、暖かくも麗しく拡大したのです。

「マグマグ様」「一支国様」「紋様」と引き継がれた陰陽の労苦に
「私も唱題致します」との共鳴が『津々浦々』の夜空を敷き詰めました。

…あれから三年…  一体どなたが参加されていたのか…  
「三年」の月日の流れの中に 「御参加」をくださった「心」を手繰ります。
暖かかった「沖浦様」の御参画も、「忘れ得ぬ風景」です。

>>11.18まで あと24日。。
>>拡大の突破口をこの土日で切り開いて参りましょう!(^^)!
>>何卒、宜しくお願い致します。。

『君も往け 我も往く』を胸中に秘めつつ
「御本尊」しか知らぬ「愚壮の使命」に燃え走りましょう!


>> 信頼の心と心で結ばれた、異体同心の団結。
>>ここに、戸田先生の心があり、学会精神の真髄があった。
>>幹部であっても、いつのまにか信心を忘れ、妙法の正道を外れていった退転の輩は、
>>この先生の深い心がわからなかった。
>>ゆえに、信仰の年数を増すとともに、徐々に“慢”の心が高じて、信心が手前勝手となり、麗しい団結の心をなくしていったのである。
>>---恩師

わたしが「富士B」に参加をさせて戴いたのは、'05年12月5日でした。
動機は「同志:沖浦様」の代打。所謂「非役」の存在でした。
何故「氏」が同志か… 所以は「同じ師匠」を「恩師」と仰ぐからでした。

>> 私には信頼の心で結ばれた眼に見えない団結の輪があります。
>>顔も会わせた事もない。 どこに住んでいるのかもわからない。。
>>でも、
>>ロム諸兄を含む同盟唱題のメンバーの皆さまのお声が
>>『紋、がんばれ 俺も私も題目を送っているぞ。 凛と咲け! 強気でいけ!』
>>とのエールが我が家のご本尊さまを通じて聞こえてきました。

『勤行要典』筆頭の「御祈念文」を、今一度「心肝」に染め往きます。
【 一閻浮堤総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り御報恩感謝を申す 】
正に「仏は全部見ているぞ」でございます。

不肖。「愚壮」も心から申します。『紋様!連日連夜。ありがとう!』



>>悲壮感などない。
>>超越した心。
>>それぞれの役割を最高に輝かせて。
>>全ての人が『先生の弟子』
>>全ての人が『忘れえぬ我が同志』

人は総て皆…例外なく「己心」の「無明」と闘い続けて人生を終ります。
「闘い続ける」とは、「勝った日」もあれば「負けた日」も含みましょう。

紋様との「出会い」を最高の「風景」としつつ…   御礼感謝



2008-10-25 23:13:58

愚妻が手作りの酒の「アテ」は、季節外れの『サーモン刺身』で…
これが亦。旨くもなんともない…とか言いつつ「原監督」の胴上げ。

『辰則』は勝負師です。ってな雑音も聞き流しながらの「夕餉」に…
在:宮崎の「Y本部長:当時」から電話を戴いた。

開口一番は、取り合いで「携帯」が混声したが…うれしかった。


ワシの驚きは『養蚕』と言う農事が有ると聞くであった。
「美智子妃殿下」が、御自分の御召の「生糸」の養蚕すら驚ろいたが
ワシの浅識は、是は「半端」ではないと知る。

『お蚕さんを、飼うてはりまんのんでっか』とのワシの問いに
「採算が全然 合わん」と「Y本部長」は先を急いだ。

恋女房「愛ちゃん」を聞くに…  「彼女は蚕を触れない」と言う。
御自身も亦。「だだっ広い畑地は、曜日など無関係」との奮戦を言われた。

話の内容は…こうであった。
『忘れ得ぬ風景』こっちでも「愛読」している。   と言う。
「僕も出ていました」と、あの「伊予:三島」の風景を懐かしんだ。

『おうてまっしゃろか』(通解:内容は合っていましたか)…に。
「くっきりと 思い出しました」と『燧灘』の陽光を語られた。

「奮闘している」…が、 言葉の隅々に懐かしく蘇る。
私は。 むしょうに「Y本部長」に逢いたくなっておる。

一回りもの「年少」の氏なれども…である。
『本物』には   なんとしても「膝下」に走りたい。

所以は如何。 『本物』とは『師匠の近い人』を指すからである。


思わぬ長話に、すっかり色褪せた「サーモン」は…
相変わらず、旨かった。

       今夜の「忘れ得ぬ風景」であった。



2008-10-26 08:13:52

本日の聖教新聞 第三面   〔 2008/10/26 〕
【 あの日 あの時 V 】

『真摯』に拝せよ
『骨肉』に染めよ

短く儚い人生の「私達」である筈を
「偉大」な師匠は「蘇生」させてくださった。

『師匠』は蓮祖大聖人か。
『師匠』は戸田先生か。

「否とよ!」
私達の直結すべき『師匠』は  断じて!池田先生だ。


断じて申す!
「池田先生」就中。御勇退以降の「先生に直結」する事のみが
蓮祖大聖人・開山日興・常隋日目・中興日寛・碩学日亨。
更には、初代牧口・二代戸田と「血脈」する! と。

「枝葉末節」に拘泥し 「我見」に埋没し  「野干」と堕落する。

歴史は見事に「身中の魔」を糺しつつ、厳然と正伝しているではないか。
『経文(確たる理論)を観ないで、正邪を語らぬ』との御金言は虚言か!


私は断じて「得々と」言うには非ず。却って「汗顔」しつつ言い、
「神戸」の草創の同志諸先輩の、「健気:愚直」に学び言うのだ。
「苦しいから」「貧乏だから」…と、草創の同志は「師」を求めきった。
『師匠』は、そうした「渇仰の弟子」の苦衷に真っ先に飛び込まれる。

この「師匠」の電光石火の振る舞いにのみ。「御書」は蘇るのだ。


「自在闊達に御書を駆使する」とは『偉大な指導者』のみの「皆伝」だ。
「弟子」の一分で、身の程をも弁(わきま)えずの「ヨタ」「御託」は
『阿練若』の戯言(たわごと)以下の「大謗法」と、何時悟る。

そこそ。
「御本仏」を称えているようで、最も「悪しく敬っている」と何故悟らぬ。

例えば。「法華講」は既に、「王法」から懸け離れた『無謬の集団』である。
「無謬」を端的に示したのは果たして誰か。    「日顕」である。
↑は、歴代会長が「赤誠」の守護を擲(なげう)った「宗門」の寂れた現状だ。
なぜ「寂(さび)れたのか」…  「無辜の民衆」が『悟った』からだ。



今。学会戦士が「王剣」をひっさげて『誑惑』を斬る、と申される。
私は『斬るべきである』と、強く賛辞する。

三国の故事曰く
『鶏を割(さ)くに、牛刀は不要』とは言えど…である。
混迷の「獅子身中の蠢き」は「慈悲の明剣」で言うしかあるまい。
『盲従の慮』を憂うならば…

                愚壮伏曰



2008-11-03 08:36:27

    池田名誉会長 写真紀行 
   (平成20年11月2日)

この日。 昭和56年12月12日 
大分県竹田市「岡城址」は、厳冬なれども光彩は燦然である。

「聖教紙面」を圧倒する一葉の写真は、『師匠』の視線を如実に示している。
観る者の胸中に迫り来る『圧倒感』の構図は一体。何処(いずこ)にあるのか。

友人のプロの「写真家N氏」は言う。『まるで、フェルメールの魔術だ…』と

【 フェルメール:Vermeer (1632−1675)オランダ:バロック画家 】

……「遠望の稜線」の一点の誤差なき配置を指して「友人の写真家」は言う。
『ファインダー』を通した角度ではない…つまり。『ブレ』がない…と。

『西の仕切り』付近からの撮影である…との透き通った陽光の陰影にも…
その。絶妙堅塁の石垣のひとつひとつは、歴史を秘めつつ沈黙する。
厳冬なれども光彩は燦然であった。と…『火の国』の同志の声すら聞こえる。

『もう安心しなさい。私が来たんだから』に、大分の「同志」は歓喜し
『私が必ず皆さんの仇を討つ』に、300人の「真弟子」は慟哭した。

「昨日の友も 今日の敵になった」とは、
『濁悪』所以の「変節」である…とは。 「目」がくらんだ事を言う。
目前の甘言と、生来の「芥子粒」の猜疑心とが。『組織』を否定する。
「麗しい組織」に涛々。との「澪筋」は「師弟」に帰結している事を知らぬ。

つまりは。『甘言』に潜む「罠」に翻弄されている事すら見抜けない。
なぜ「見抜けない」のか…!
そは。  『心臓を掴まれている』からである。

池田先生は言われた…身を揉む如くに「感涙」する「友」を抱きつつ…
『荒城の月』をみんなで歌おう…と。

『岡城址:本丸』 創価の師弟は、ここに「謀略」を打ち破った。
大晴天の「火の国」の天地に、『師弟不二』の大合唱は響き渡った。

         【 荒城の月 】
   作曲滝廉太郎       作詞土井晩翠

  春 高樓の     花の宴
  めぐる盃     かげさして
  千代の松が枝   わけいでし
  昔の光      いま何處(いづこ)
 
  秋 陣營の     霜の色
  鳴き行く雁の   数見せて
  植うる劔に    照りそひし
  昔の光      いまいづこ
 
  今 荒城の     よは(夜半)の月
  替わらぬ光    た(誰)がためぞ
  垣に殘るは    ただかつら
  松に歌ふは    ただあらし
 
  天上影は     替らねど
  榮枯は移る    世の姿
  寫さんとてか   今もなほ
  鳴呼荒城の    よは(夜半)の月

※追伸  紙面の石垣は「武士(丈夫)ゆえの栄枯盛衰」をも語る…と。
以下の紹介に、意義深く彩色されているという。

「岡城跡の松籟(しょうらい)」(松葉が風にゆれ動く際に立てる音)は、
『日本の音風景100選』に選ばれている。(引用)



2008-11-14 08:25:49

『11・18 記念B座』とは、学会創立78周年を指す。

この「座談会」。
日程表で決められた日取りは、13日〜15日となっていた。

「U氏」から座談会招聘の電話を頂いたが…「日程表」を外れている。
「12日しか公休が取れない」とは、氏の勤務の関係であった。
私は即答している   『12日に参加させていただきます』

「U氏」とは、一昨年の元日の早朝。
全B長さん宛の短編の手紙をお届けする「風景」で御紹介申した人である。
重ね「支部聖教責任者」「地区幹事」「B長」を全っとうされている人でもある。

氏は近日。御老母を手元に引き取られ、寧日「母上」を護られている。
所謂。 「老いたる母」への労わりを、御夫婦で実践されておられる。

扨。『座談会』前々日である。
突然「県 地区部長会」が入ってきた。 
当然、「U氏」からの連絡があった… 「地区部長会」との復重の件である。
『Uさん。私は座談会に参加致します。白ゆり長さんにも、そうお伝えください』

11月12日。   座談会会場の「Hさん」宅に愚壮は在る。
「会場御提供:Hさん宅」 昭和5年生まれの御婦人とは、「草創」の人である。

御主人は「副支部長」であられる。 
「趣味のカラオケは皆勤で…」と、奥様が、少々照れつつ話されるのが常であった。
が。その夜は明らかに違っていた。
「主人が進んで 会館の会合に参加している」と申された。
恥ずかしそうに頭を掻く御主人に、 明るい会場に、更に明るい笑いが充満した。


「抗がん剤」の副作用と闘う壮年の方は言う 「癌に負けない意欲が湧いている」
富士宮特区から当地へ来られた若奥様は言う 「ブロックの皆様に護られている」
その奥様を護る御主人は「不況で仕事が大変ですが 新しい命の為にも頑張る」
区画整理で立退きが迫っている御婦人 「近くに家が見つかりますように…」

小さな街の片隅の路地裏の『11・18記念』B座である。
担当幹部の愚壮は、座談会のその都度。 この座談会の特定の振る舞い…と、
小さな「机」を「明るい会場」の参加者の輪の、ド真ん中に据えている。

「愚壮」は言う。
『11・18とは 7年毎の区切りで見つめてください』と。
『学会創立から2回目の7年目に何が起こったのか』と申し
『学会創立から7回目の7年目に何が起こったのか』とも申す。
この「7年」の括(くく)りは、今、既に。11回目の歴史を超えている。

私はこの夜。 「座談会御書」を語りつつ… とある言葉を想っていた。

この「破邪の人」京都乃鬼様は。わたしに、こう言われた。
「大聖人 御入滅後。弟子は51年間、闘い抜かれた」
されば。 今。私達が「知り為す」べき事は「生きて生きて生き抜く事だ」

この「京都乃鬼」様の箴言を、重ねなければならない自分を見る。

戸田第二代会長逝(ゆ)いて半世紀である…
今朝の先生の「最高協議会(上)」でのスピーチ。
最後の六行を謹んで御引用申し上げる。

【 何があっても、 御本尊根本、 信心根本に進む事だ 】



昨夜。「H本部長」が私を激励される。
氏。御持参の「色艶」も美しき柿を、私は仏前に供えた。
本部長と愚壮。共に御本尊の御前に在る。
本部長曰く「愚壮よ、 決めた事は 完結する」

座談会への途中に、私を励ます「H本部長」が階段を先に下りる…
後に従いつつ、玄関先まで見送る愚壮の涙は、はたして…乾かない。



2008-11-15 06:16:53

今朝の事である。

『大同志』の含蓄溢れる体験に接し、感動も新たに拝聴申した。
誠に示唆に富む…とは、『無欲』から勝ち取られた実証であった。

が。「勝ち取られた」事への讃嘆を超えて。歓喜申す事がある。
それこそが…「同志」がその場にして『所を逃げずに』勝った事だ。

だけではない。
「勝ち取る」迄に費やされ続けた「雄々しき」信念であられた。
「労苦」と「誓願」の朝暮の深き祈り。「師弟」の振舞いであられた。

森羅万象。是一見、無関係に見えるが。実はそうではない。
【 風吹けば 桶屋が儲かる 】

物事が収束しないのは、雑多な意見などが入り混じったから
…と、当初は思っていたが。 どうも、以前より良くなった。
【 雨降って  地固まる 】

つまりは、 雨も雪も風も…厳寒も、又。灼熱も… 
一切の事象に「人」は翻弄され、関わりつつ今日を生きている。

関西在住の私には想像も出来ぬ事をも、彼の体験は教えてくれる
『雪国』でなければ語り得ぬ「棲む人々」の「雪」ゆえの労苦だ。

また「雪」にこそ出来る卓抜の離れ業が醸す『新米』の芳醇の光沢。
朴訥の人情の集落に、確固と根付いた「師弟」の契り深き仏国土。
私事ながら…昭和38年。急行「日本海」で通り過ぎた「街」を想う。

友の文中。 「自死」に至ったひとりの社長が登場されている。
私がそこまで拝見して。
その「自死」止むなきに追い詰められし人の胸中に想いを急接させた。

「不況ゆえの苦渋逃避の選択」に「死」を選び、 豁然、臨んだ事実。
『為政者』如きに何が解かるのか!との憤怒を込めての「同苦」である。

『武士の一分(いちぶん)』という映画があった。
この映画に限っての「一分」が指摘する、作者の真意。
…これには、私如き「油切れ」の脳味噌なんぞでは到底及ばぬ。


が、朧気ながらも解かる部分も、「一分」実はある。とすれば
それぞれ「人」には、他人が迫れない「隠匿の扉」の存在の事実だ。

この「扉」の奥を慮ぱかる…
時には、暗闇の階段を一旦は下に降り行きて泥に塗れる事もある。
又。時には、「扉」開け放った踊り場の照明に『道』を示す事もある。
前者の如きを「同苦」と呼び   後者を「指導」と言うも…
いずれも目指すは、「抜苦」と言う事のみへの労苦。である筈だ。

事も在ろうか、甘言巧みに「他者」を『讃毀』しつつの蓄財など
凡そ「天に唾」「眉に唾」の『大逸脱行為』であろう。

「同志」と持ち上げて、幾ばくでも「金子」を求める…
苦悩の「同志」への「自発的喜捨」こそあれ、
「同志」から巻き上げる等、理由もおぞましき「奪命行為」である。

だけではない… その腐った金銭での『個人会館』などこそ論外なり。
但し。例外はある…   『一切を無料で御提供する事』であろう。


『一切を無料で御提供する事』    是こそが実は「尊貴の極限」
全国津々浦々。数多の学会拠点の「瑕瑾」無き原点である事を知れ。


ともあれ。「同志」が御贈り下さった「体験手記」を読み返している。
『君には、君でなければ出来ない使命がある』を、再び心読しつつ…

                          多謝 



2008-11-16 17:37:27

凡そ、「宗教」とは
天下万民が如何なる矛盾をも持たぬ、鉄壁の『文理の証』を要する。
『創価仏法』の依処とする処は
『日蓮大聖人』の御出現を完璧に予言された経典の存在にある。

教典とは…所謂『法華経』
 就中。釈尊自身が其の『妙法蓮華経如来神力品第21』に予言された
「斯人行世間」に、「御本仏御出現」のその骨子がある。

初代牧口常三郎:初代会長
(明治4年6月6日生誕  昭和19年11月18日獄死 享年73歳)

戸田城聖:二代会長 
(明治33年2月11日生誕  昭和33年4月2日逝去 享年58歳)    

この創価学会 初代:二代の其の崇高な御生涯の根幹は
『師弟不二』を貫き通された事に帰着する。

牧口先生は戸田の師匠也。
この初代獄死とは。正に『法華経身読』であられた。
『師匠牧口』の投獄に、弟子戸田は唯一人随伴し、師弟不二を貫かれる。 是一。

扨。弟子 戸田城聖の「出世の本懐」に、絶対見落としてならぬ願業があった。
『日蓮大聖人御書』編纂である。                   是二。


想えば、宗祖日蓮大聖人滅後、
『本六』のうち、日興上人を除く「五老僧」は師敵対を犯す。
その重罪の其の一は、御本尊への不敬であり、
其の二は「御真筆(御書)」の軽視であった。

この弟子たちの軟風に、
蓮祖大聖人の直弟子、日興上人の慙愧無残の御心境はいかばかりか。
「原殿御返事」「五人所破抄」「冨士一跡門徒存知の事」に血涙は言語を絶す。

爾来7百年余。
「日蓮門下」の僧俗は、所謂巷間流布の他門流の「御書」を拝す事余儀なし。
この『真を贋』の両面を読まざるを得ぬ『亨師』の断腸をば、
何故に生命で拝さぬのか。

茲に、第二代戸田の赤誠は、
広く学会員の浄財を施させ『新編 日蓮大聖人御書全集』発刊す。

『御書』を繙く都度、末代幼稚の衆生は「大聖哲」の広大無辺の慈悲に浴す。
『御書』を繙く都度、末代幼稚の衆生は「第二代」の偉大さに感涙する。
『御書』を繙く都度、末代幼稚の衆生は「第三代」の炯眼に震撼する。

「蓮祖大聖人」「開山日興」「中興日寛」「碩学日亨」
「初代牧口」「二代戸田」「三代池田」
茲に脈々滔々と流れる 厳粛且つ瑕瑾なき「宿縁」の方程式。
之を如何と謹拝すべしや。

之(謹拝:正読)をば為す者。
この「方程式」の精読を「色心」に刻印し得る者こそ「弟子」である。
これを「池田門下生」は赫々と言う。      
『斯人行世間』『在在諸仏土常与師倶生』と。

曰く 我が『此の一閻浮堤総在の本尊』の厳然の御存在こそ、
上下七代を遥かに透徹すべき快挙である。 
願わくば唯一の「丈夫」たる『真の弟子』は、
此の宝珠を莞爾と守護し、末代永遠に伝持すべし。


宗祖日蓮大聖人『法蓮抄(父子成仏抄)』にのたまわく。

『されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う 
世界の人の父母の如し、
今 法華経・寿量品を持つ人は 諸仏の命を継ぐ人なり』云々

是をもって之を想うに、
『退転:師敵対』に直結する御金言の歪曲判読の愚を避けられよ。

末法濁世の「一切衆生」とは
『五逆罪』の累犯を重ねつつの「輪廻」の途上である。

言わば「今世」に於ける優曇華の如き「浮き木の亀」にすぎないのである。

凡そ。
五辛を喰らい、肉食を繰り返すばかりの、
腐臭にまみれた存在でしかない。が「衆生」である。

凡そ
「箸(橋)にも棒にも掛からぬ」猜疑と嫉妬と勝他と怨嫉と…
『怨嫉』の徒が「衆生」である…とは言い過ぎか。

が。然し、仮に今、私がこう言うと、どうなのか。
この「衆生」にも、唯一ではあるが『正観』への『直達』の道がある。
「御本尊」を拝む、どなたを持っても『否』とは言うまい。 
…どころか。大きにそうである!と、言おう。

それこそが「閻浮唯一」の御本尊に懺悔滅罪の唱題での「冥合」だ。
断じて言う。  それ以外に何が在る!
『蓮祖日蓮大聖人』の御生命を、墨に染め流して顕わされた。
之は疑う余地の無い「御仏言」である。

謂わば。(御本尊への帰命こそ) 
『本』の中の『中枢』 『背骨』の中の『髄液』ではないのか。

時代は混迷の極みを見せ付けている。
人々は「依処」を求めつつ、彷徨い続けている。
確たる「羅針盤」を求め続けて…

が、私達は「師匠」を知る。
と、同時に「師匠共戦」の歴史を持つ。 『師匠』は厳然である。

就中。蓮祖大聖人直結の、その「師匠」をして、
「完結の七点鐘」の直前の『大発迹』があった。

そこそ。
昭和54年の『魔軍』の跳梁跋扈に依る『会長勇退』の試練であった。

御存知の通り…
其の日を契機に『真弟子』は津々浦々に「敢然」奮い立ち上がり。 
無念にも『似非弟子』は「色心」共々に「先生」を切り捨てた。

所謂「文上」  比喩にさえ憚る文言が在る。 それが『迹』である。
「迹」とは、上下乃至勝劣、正邪乃至正否、等に於いても「後者」に在る。 
「迹」とは、発(はらう)べきを言う… 「迹」とは、不要のものを指す…

問う! 今現在の私達そのもの。実体の実在の根本は、何か。
この、汚ならしい我々「衆生」の命か!  否!否!絶対違う。
私達の実在の根本中の根本は『御本尊』である。

「衆生」の命の個々の「仏性」
之を唯一、顕現出来得るものが『仏の魂魄』である。
『御本仏の魂魄』とは『唯一無二の御本尊』であらせられる。
故に。 『本』であって、異論は「原理主義」では決めて無い。


そして… マグマグ様。  最後に申します。
私達の師匠が…日々 常に御指導下さる言葉があります。

それが『異体同心』です。 『水魚の想い』です。
仮初めにも「麗しき同志」が、
互いを言葉も汚く、罵りあう事ではありませぬ。

(マグマグ様。御投稿の筆端にも 懐かしき感慨に浸りつつ…)
       愚壮頓首



2008-11-21 05:02:23

紋様。おはようございます。
寒さも、今朝は少し緩みました。

『御書』を拝読いたします。


   から(唐)国にせいしと申せし女人は 
   わかな(若菜)を山につみ(摘)むて
   をひ(老)たる はわ(母)をやしなひき、

   天あはれみて越王と申す大王のかり(狩)せさせ給いしが 
   みつけてきさき(妃)となりにき、
   これも又かくのごとし をや(母親)をやしなふ女人なれば
   天もまほ(護)らせ給うらん 仏もあはれみ候らん、

   一切の善根の中に孝養父母は第一にて候なれば
   まして法華経にてをはす、

   金のうつわもの(器物)にきよき水を入れたるがごとく
   すこしももるべからず候、

   めでたしめでたし、恐恐謹言。



   五月四日   日  蓮 花 押

   窪(の)尼御前御返事          P1482



【 越王(紀前500年頃の覇王) 臥薪嘗胆の因む故事参照 】


昨夜の支部幹部会(U部制)での拝読御書です。
御金言の心は『貧女の一灯』に近いと思い紹介しました。

『まして法華経にてをはす、』が急所の急所。
「まして法華経(御本尊)」への孝養の心を
仏が見逃す筈が無いのです。

今日は「体育館」の土間です。広大です。

             愚壮頓首 




               忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 続きます・・・

    


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