2006/07/03(月) 17:25:43

予兆か 驕(おご)りか 瑞相か
現職二候補 火達磨落選す。

新幹線新駅誘致を金看板の現職滋賀県知事を庶民否定す。
東大阪保守系現職市長選挙  市民拒否。

有権者を小馬鹿にし、悲痛の声を無視し、路地のどぶ板を迂回した人間等。
所詮、末路は同じじゃ。  ざまあ見ろ。

本当に苦しんでいるのは 一体 誰なのか。
この命題から一瞬でも目を話す政治家など要るもんか。

「名宰相」と言われた政治家の訃報にふれている折りも折。
「自公民」でケツ押しされた現職の落選は  冗談でも偶然でもない。

庶民は「盲目」では 決して無い。
一喜一憂は不要としても、襟は正さずばなるまい。



2006/07/03(月) 17:58:05

上記の趣意は…「大先哲」が身命を賭した区切りが『7・3』であるから言う。
それも、そこいらの「腑抜けの決心」や「穴だらけの決意」ではない。

【  『無辜非力』の庶民のための闘いに、今から臨むが。
あらゆる妨害の艱難は、 恐れた試しは無い。
否。 身命など既に捨てておる   】

これが宗祖と三代の心意気である。  外野の戯言などに貸す耳は無く 暇も無い。



2006/07/04(火) 14:30:52

広島小一女児強姦殺害事件

広島地裁「無期懲役」判決。

今朝の「朝ズバ」で みのもんた氏は、図らずもこう言う。
『もしも、ヤギ被告が、もしも無期懲役ならば 私は私の手で仇を打つ』

わたしが あいりちゃんの父親ならば、迷わず被告を殺す。
わたしが あいりちゃんの父親ならば、一瞬も迷わず被告を殺す。

このヤギ被告しかり、光市母子殺害事件の被告しかり、なぜ弁護する。

人権など糞食らえ。 この手の事犯の被告には、人権は適用外と知らねばならぬ。

戦後の法治国家の裏舞台。 巧みに自己の保身に腐心しつつ。
幾拾・百・千・万の無力の庶民の人権を無視し抹殺した日本国の為政者よ。
『目には目』も時として、解かりやすい審判である。と、 何時気がつくんじゃィ。



2006/07/07(金) 05:46:11

「ばあちゃんよ。 元気でおるんかいのお」
「俺も、もう61になったよ ばあちゃん」
今朝。わしは仏前で話しかけておる。

34年前の今日の夕刻 祖母は恐ろしい形相で死んだ。
『時の流れは 過ぎ去れば 早い…』
『俺も すぐに行くよ ばあさん…』



さて、現場じゃ。   今日は  奈良、富雄。




2006/07/11(火) 05:21:37

「熱中症で死亡者が出ている」と、関連ゼネコンの朝礼で所長 御訓示。

「作業員」の命を屁とも感じぬこの大所長様にかかれば、
熱中死なんぞ 痛くも痒くもない出来事。  
作業員とは『横面(よこっつら)』を銭で叩けば 補充は効く。

かく言うワシも。 連日の「熱射病」との格闘で、ほとほと参った。
炎天での一日の作業の疲労困憊は、 一睡の充電では元には戻らぬ。

今朝。県長である聖教店長と 早朝の街路で話した。 店長は言う。
「おまえの長女の部増の奮戦は ものすごいぞ」 
そういえば。連日。 我が家は新来の友人で賑わっている。

「7・17」と関西を言うときに   熱射病もないわい。



2006/07/13(木) 05:11:40

『愚壮様。 7・12  地区1達成しました!
壮(パパ)婦(ママ)の お題目のおかげです。

いよいよの出陣で 7・17に向けて勝利します。
どうか圧倒的大勝利を 宜しくお願い致します。

N支部婦人部長・Y副部長   』

こんな便箋が今朝。わしの定位置のテーブルに在った。

ここに来て、4時半起床の形態が崩れて 3時過ぎには完全に目が覚める。
妻も長女も夜中の夢。と。階下へ降りようが照明は極力点けない。

『小さい頃は暗闇が恐かったが…』と、真っ暗な仏間に入った。
仏壇中央の定位置に 清水を置くのも、灯かりは必要ない。と、置く。

が、今朝は仏前。 雰囲気が違った。
御厨子の両脇に紙切れがゆれている。
「今日しかない。明日は無い」「祈る!女子部増!」とある。

『呪詛だ…』と一瞬思う程、壮年部なんぞは、今回の闘いにも参戦したのか。

冒頭の置手紙を、事務所に持って降りてPCの脇に貼り付けて、これを書く。

二階リビング。妻の立ち働く音が聞こえてくる。
お弁当が来次第、わたしは出発する。   今日は弁天町 基礎工事。



2006/07/15(土) 05:14:47

弁天町基礎工事は二日掛かった。
両日とも 炎暑頂点。 鼻水・こむら返り・視野狭窄と闘った。

二日目の午後、長男の現場に「弁天町」から移動する、『豊中市』
この時期で 最も辛いのが。この、移動の現場作業である。

全身の汗をサッパリとするでなく、コテコテの熱中症のまま運転し 移動する。
道中、豊中・吹田・千里方面の広範囲の空に 雷雲黒々と覆うを見る。

豪邸が並ぶ静かな角地。長男は言う『お、オヤジよ。早かったな』
『オヤジは雷雨を連れてきた』と、定時まで再び汗を重ねる。  体力、限界なり。

そして今朝。 蒸し暑さに目覚めた午前四時。
開けっ放しの長女の部屋が 空っぽであった。

仏間の宝前の暗闇に、そのまま寝付いた長女あり。
「夜を通して 何を祈るのか…」と、  彼女を起こさぬように勤行す。

今日のわしの現場は 豊中。  長男は旧隊復帰で『住吉区・千躰』
さて、 もすこしで出発するが… 今日も耐え得るか「熱中症」



2006/07/16(日) 09:48:19

今現在のNHK「日曜討論」
社民党の「T女史(詐欺師)」が御出演。

今日の議題(芸題)は北朝鮮ミサイル問題でのこの女史。
しきりにカメラ目線を確認しつつの御発言じゃが…  

ま、わしとしては、論評不要。と、しておこう。
胸糞悪い。



2006/07/17(月) 05:51:30

不快な熱帯夜が続いている。   【7・17】を告げる太陽が在る。
息を殺すが如く、先程より私は風の動きを探ってはいる…  微風すら無し。

あの日も酷暑であった。と、先輩の副支部長は言う。
『池田先生が出獄された日の夕刻、信じ難い豪雨を体験した』…と。

昭和32年7月17日。  
姿無き魔性は、第二代創価学会会長・戸田城の聖獄殺。断念す。

昭和18年7月6日には 
初代・二代を同時に捕縛する事に成功した官憲は、牧口に与死。

昭和20年7月3日。
巨躯偉人は孤高の出獄を余儀なくし、『我、師を殺す』と、慟哭す。

昭和32年7月3日。  官憲の真意は『戸田の捕殺』
終戦時。一旦 殺し損なった創価学会は『不世出』の師弟道に現存している…

弟子は死身。 師を厳護申される。   これが 7・17だ。 
戸田先生をして『第三代会長を護れば学会は不壊』との真意がここにある。

『作獅子吼』を豪雨の中ノ島公会堂に目撃の大阪の庶民は、「会座」への証人か。
ともあれ、「7・3から7・17」を語り継いでいく我々は、心せねばならぬ。

そは。「7・6  7・16」を抜いては、炎熱は語りきれてはいない。…である。

今朝も我が支部は出陣する。  昨日も終日、四者にて闘った如く…今日も闘う。



2006/07/18(火) 05:14:49

「大洋君」は、そのまま「タイヨウ君」と呼ぶ。

この4月28日に彼は若き父母の長男として誕生されている。
『首は坐ったか…』と、俗風無味な質問をする愚壮にも、若き母親は微笑を返した。

「大洋君」の入会を『7・17』に固執して引かなかったのは
彼の「祖母ちゃん」だった。  一方、学会二世の若き母。
彼女は「大洋君」の、意義深きこの日の入会の喜びよりも、
「大洋君」の入会にも無関心の所作を示してきた、未入会の夫君の、ほうが気に掛かる。

一家の願いは結句。  この日に『若き父親』の入会を果たす。にあった。

永年。と。 
御一家と同志として激励を続けた「U川支部副婦人部長」を筆頭の御婦人達が、
最も身近にあれこれと注目し、陰陽の世話に徹してきた「N支部婦人部長」が。
車座のロビー。

『若くして父となった責務の重さは量り難い。
が。君には見事、全うするべく「強力」在り』
訳の解からん言い回しの愚壮の説得に「僕はやります」と握手。
若いがさすが、英断であった。

会館ロビーに 俄かに華開く歓声にも、母親の腕の「大洋君」の熟睡は続いていた。

『おい、大洋君よ。 
お前のお父ちゃんも信心するでぇ。 よかったの〜』と愚壮は続ける。
『お前が大きくなった時などは、とっくの昔に愚壮のおっちゃんは死んどるが…』
『おっちゃん…。 僕を「7・17」に入会させてくれて ありがとう。と お前は言う』

『ほんま、 良かったのォ…』と言い言うワシの声に 「大洋君」寝ながら笑った。
「やあ〜  この子 笑うてはるわ」と たれかが言う。
腐れ愚壮の語りかけに、『入会の父子の破顔』あり。

『7・17』。 この夜21時。
愚壮宅の四者の談笑に「大洋君」の話題は何度も顔を出している。

「80周年へのスタート」の年。
我が支部の全ブロック数を完全に超克する奮戦であった。
『悔いは残らない』とは、 この際。 言ってもかまわない。



2006/07/19(水) 05:43:48

『知らない人じゃ…』鳴り続ける携帯の番号に、わしは迷った。
が、しばし鳴り止まぬ。   「えい!」と出ると、K氏であった。

Kさんは中央地区の「B長」さんである。
彼の携帯番号が、私の携帯に登録していないのは『手抜き』で、話にならん…。

仕事の関係もあって、なかなか「B座」でも見かけることの少ない氏であった。
それでも、わたしの氏への印象は「寡黙なれど、毅然で、泰然である」と思っていた。

氏は言う。『昨日は 娘婿が大変お世話になりました』
そうなんじゃ!氏こそ「大洋君」のお祖父ちゃんで、 
即断の勇気の青年の『義父』となる。

「いえいえ。とんでもない。 さわやかな入会式。御礼はこちらです」と申す。
乳幼児が入会される。    その時の御家族の慶びは大きい。

愚壮よ、お前。「御家族と共に喜びたい」との気概が失せておるのではないか?
「B長さん」から先手で電話を頂くようでは、幹部の端くれにも届かんワイ。

『御丁寧にお電話を頂戴いたしました』と、わたしは何度も「Kさん」に詫びた。
が、本音は『…詫び足らん…』であった。



2006/07/21(金) 05:15:54

(学識 ゼロの愚壮の与太じゃ。 聞き流してくれ…)

「昭和裕仁天皇・A級戦犯合祀に不快感」

大東亜共栄圏(通称)の幻想を追い求めた陸軍省は
「軍神:天皇」を内心侮っていた。
あの有名な、炎天の皇城前広場に土下座する民衆に 
覆い被せるが如き断腸の文言…。

昭和天皇のその瞬間の思い(本心)は、 
国体を崩壊に至らしめた軍部への「訣別譜」か。
『耐え難きを耐え。(間…)堪(こら)え難きを堪え…』と、
切れ切れに語った天皇。

『…が、しかし。 
すべて国民の安寧を願うばかりの無条件降伏の受託だ』と彼は咽喉を絞った。

「マック・アーサー提督」は言う。
『裕仁天皇は一切、命乞いをしなかった…』  

戦勝連合国は「14名」を『A級戦犯』と裁き切り、絞首の露と消した。が。
「裁かれずとも」将は思う。   『我、万死にも其の大罪は消えず』

有史。無数の帝国が地球上から消滅した事実を、愚かな人間は未だ繰り返す。
いかなる「大法」が現れても、この、人類の持つ「猜疑心」の払拭は不可能である。

それは、恰も 例えが粗雑で卑近過ぎるが…
『すべての人間に 癌細胞が厳然 存在する』に、近いと言えば近い。

かく言うワシも。 「大東亜戦争」で  ズタズタじゃ。
戦争を憎む気持ちに、『ひけはとらん』

創価学会も「軍部権力」の存在があってこその『正統の証明』であった。
「歴史と言う名の大河」は 分水嶺の源流から「46億年」で大海に命終する。

「これしかない」と、固意地も結構じゃが…
もっと、如実に功徳の出る「信心」をせねば つまらんとおもわぬか。
短い人生じゃよ…   所詮…。



2006/07/21(金) 05:32:44

昭和25年11月11日 「大祖母:小松」が死んだ。

その「小松ヒーバー」が、永く病床に臥せた二階の和室は「正:関西間」
「萩の違い棚」「黒檀の床柱」「重厚の欄間」 それは、重厚であった。

その「本床」に 立派な額写真が 大仰と和室を睥睨しておった。
『靖国神社』じゃ。    その、大鳥居。  今も瞑目に浮かぶほどじゃ。

なにが『靖国』じゃい。   あんなところに「兵隊さんの魂」はおらんわい。


2006/07/21(金) 05:35:05

明日で禁煙一ヶ月。 (へ〜。 つづくのかね )



2006/07/21(金) 08:56:32

富田氏メモ靖国部分の全文■

 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(白鳥外相)までもが、

 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている

 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)


☆上記が「88年4月28日に語られた」事実を、重く受け止めている。
と、同時に。   
『帝(みかど)』の生の声を軽んじる(宰相・為政者を含む)風情 風潮に疑を感ず。

> 創価学会も「軍部権力」の存在があってこその『正統の証明』であった。』

とは、
 『日蓮仏法も「鎌倉権力」の存在があってこその『正統の証明』であった。』に通ず。

エルサレムの「嘆きの壁」に立った友人は言う。
「愚壮さん。 あそこを訪れて思ったが、地球民族とは 無い物ネダリだよ」

今この時も、累々と積み重ね行く「憎しみの連鎖」
なるほど、そうかも知れぬ。と、思えども。
灼熱の弾片が肉体を貫通して 今、正に死にいく「命」をば会得出来まい。



2006/07/23(日) 08:11:43

>『帝(みかど)』の生の声を軽んじる(宰相・為政者を含む)風情 風潮に疑を感ず。


『楠正成』を、幾度も師が詠まむ。
『諸葛孔明』を、幾度も幾度も、師の師が詠む。
如何なる世の乱れにも、踏み越え、踏み外してはならぬ「道」がある。

【先の大戦で 国に殉じた将兵に A級もB級もない】
【戦犯とは、戦勝国の独善の言い回しで、勝者が敗者を裁いた時点で雌雄は入れ替わる】

武家社会の勃興の余興に『帝』までをも犯した鎌倉幕府は。
不思議にも、また、符合にも。日蓮大聖人を「土壇場(竜の口)」に誘(いざな)う。

小泉の発言は『どなた(帝であれ…)の言葉にも 私の決意は不変』との傲慢で。
こんな男が「宰相」である国家に、黎明はほぼ、なかろう。
謙虚も吟味も、 この人の思考回路には存在しないのか。

物腰柔らかく、頑と自己主張のみをやってのける。
こんな奴と 与(くみ)する集団も、あなた…  考えものじゃよ。



2006/07/24(月) 05:44:59

非常に湿度の高い 厭な朝となっている。
『湿舌』も又、 不愉快な語感である。

「暴れ梅雨」の猛威。  
各地の地盤の伏水は既に飽和状態で、崩滑寸前である。

山が啼き 岩盤が呻き 沢に異臭は。 根こそぎに滑り落ちる予兆である。
この際、古地図や古老に 元々に伝わる地名等に注目すべきではないか。

地名や在所名。 古老の伝話。  ポイと捨ててはいなかったかね。
ワシは今。昭和28年9月の、あの宇治川(淀川)の大決壊の洪水を思い出しつつ
これを書いておるのです。   (覚えておられますか? 大洪水)



2006/07/26(水) 07:52:28

ここのところ、長男と同現場が遠のいておった。
昨日は久し振り。父子鷹での現場であったが、これが、気が緩んだのか…
と。日差しの少ない中で、強い「熱中症」に陥った。 祝着至極です。

汚くて恐縮じゃが… 洟汁を垂れ、肩で息をし、手の指が十本全部攣る。
この時、身体から汗以外の腐敗臭を感じたのは、
 『これは、いかん』となったが黙っていた。

昔。若い衆が熱中症で倒れ、重症に陥った時、彼が放った臭気を思い出したが。
『馬鹿タレが、現場で死んだら本望じゃ』とのわしは、自身をじっと見ていたワイ。
(…ちょっと、苦しかった… これ。本音)

帰路の長男は、相変わらずの慎重運転で 
さかんに助手席のワシに話しかけて来た。
余談は萎れるが、事、孫の話は最近会っていない分、拍車が掛かる。

曰く「ヒロは どこで習得したのか蝉取りの名人」
曰く「ノブは 其の蝉を 握り殺すほど強く掴む」
この話の佳境の頃、わしの「熱中症」は消え始めている。

『明日香は どうじゃ?』に長男は即答する。
「明日香は、体育祭のポンポンの応援のダンスの練習に命を賭けている」

そんな三人に 夕べ。わしは電話をする。 キラキラの元気な声が返ってきた。
…で。わしは今日。  充電日で こうしている。  どうも…禁煙。成功みたい。



2006/07/26(水) 07:57:51

そんな長男の今朝。
『オヤジよ…嫁はんがのォ。 携帯、洗濯しよった』
「がははは」とわしは笑ってやったが。

膨大な得意先のデータ。 どうする心算か 見学する。



2006/07/27(木) 06:14:06

>…で。わしは今日。  充電日で こうしている。

充電どころではない。と 急報あり。
「大義母 再々度転倒 腰部骨折入院」

やってはいけない転倒事故。
今回も同居の末娘夫婦と近隣の長女夫婦を煩わせ 心痛が更に増幅す。

炎天の駆けつけた大病院の七階の「大義母」を見た刹那の直感は書けぬ。
が。親切な『看護士』さんの誘導尋問で 義母と視線があった。
『だれかわかるか…』と言わねばならぬ状況は 非常に厳しく、辛かった。

義母は視線を空間に揺らせつつ…「○○はるさんですやろ」とおっしゃった。安堵。

「九州の梅雨が明けた」この日。 夕刻も炎暑厳し。
大義母同居の「Y雄氏」は先日 御母堂様を黄泉に御送りした悲嘆が続いていた。
が、それでも… 健気に テキパキと入院の必需の品を 揃える。

充電の日は「急速放電の日」である。と。夜半帰宅。
大義母へ「強靭の題目」を御送りする。
とは、私たち後継が最っともやるべき事である。



2006/08/02(水) 06:22:19

八月である。
八月の京都は「八朔」で幕が開く。と、綺麗な舞妓さんが報道されている。

我が家の舞妓さんは「明日香」である。
夏休みに入って日々。 彼女は日焼けで黒くなる。

「美少女も、こう黒くては誰も見向きもせん」とのワシの悪口(あっく)を
『ええも〜ん(見てくれなくても かまわないも〜ん)』と言いおる。

私。ここのところ。非常に調子悪し…。 体調は「熱中症」以来 抜け出せない。
「大義母」の転倒骨折入院の事態は、 御高齢も相まって劇的の朗報無し。
孫と大義母。 この両方。  わたしの命よりも大事な存在には間違いない。

埼玉の「流水プール」で亡くなられた少女のお母さんが、引きつるように泣く。
わしにも、よくわかる。   そのお母さんの悲しみが、如何に深いかがな…。
そんな母の涙を笑う奴がいる。畠山某、白髭夫婦じゃ。  世は正に終末じゃ。

さて、八月。      
終戦から僅か61回目の八月。    
概算、31万人の広島。
長崎の一般市民が 無差別爆撃で焼き殺された時でもある。

が、我々壮年には其の前に、大きな意味の8月という「史観」があろう。
「酷暑」「炎暑」と言う季節の早朝。 耳を澄ませば聞こえる風がある。
『…秋風 太なはだ 近し…』と、頬打つ冷気に「秋」を感ず。



2006/08/02(水) 07:51:54

【雑記帳】

どうも、禁煙は成就したぞい。

とはいうが。 若干。物足らん…
『吸うでもなく、呼(は)くでもない…と、
薄暗きカウンターの私の落とした肩に、紫煙這う…』
ってな、粋にこそばゆい場面が、無粋の禁煙決行で幕を引く。

が。じゃ。  歯が益々愈々「真っ白じゃ」
元来、ワシは歯状が特優で、歯並びもエナメル質も自慢であったが。
この度の禁煙の暴挙は、(新庄君ほどではないが…)我が歯。更に真っ白じゃ。

古女房は言う。『あんたの歯は 腹が立つ程 美しい』
ワシは言う。 「ざまみろい…。幼少雑食の勲章じゃ」

二・三回噛んで嚥下済。とは、最近の軟弱食生活の「元凶」の兆候で、
世の若きお母さんは、心して是を是正せねば、あなた。つまらん子に育つ。

いやいや。 そんなことはどうでもよい。 
禁煙は、もひとつ土産を置いて行きおった。

 「ビール」の味が倍じゃよ。がはは。



2006/08/02(水) 18:49:43

「お父ちゃん。今日、ヒロ。見ててくれへん?」
古女房殿の、今朝のこの一声ほど嬉しいものは無かった。

それでもワシは落ち着いて、
『おう、かめへんけど なんでや。がっこいけへんのんか』と一応言う。
通解は「(ヒロの守りは)了解するが、 何故、学校に行かないのか?」

女房は言う「ヒロ。ひまわり学級、行かへんねんやてぇ」
ひまわり学級とは 両親が働いている児童のための「預かり教室」
これで、皆が随分に助かっているではないか…ったく…『何で休むんじゃ〜』に。

「たまにはジィジと一日過ごしたいんとちゃう?」と女房がサラッと言う。
サラッと留どめである。と、わたしは黙ってヒロを待った。

ヒロと過ごす一日は、ほんに久し振りで   (態度が)随分と大きくなっとる。
ランドセルを持参しての御来訪に「ママ」から電話があった。

「中身(ランドセル)はお弁当とおやつと教科書とノートと水着です」
「途中で気が変わって 学校へ行くと言い出した時の中身です」
若いが 気端の利く ええ嫁じゃ。

昼飯食いながらの「ヒロ」との会話は (皆もそうじゃろうが)特段 嬉しい。
色々沢山話したが…「ヒロは経本見ずに 勤行できる」が、これが又嬉しいんじゃ。
『しっかり一字一字、正確に読まなければいけない』なんて、言える訳が無いわい。

「ばいばい!」と、元気に帰ってしまった余韻は、俺しか分からん気分に浸る。
今夜は20時から、一日会館長であるが。 な〜んかしんみりして行く気がせん。
が。 気を取り直して 着任いたします。(毅然!)



2006/08/03(木) 18:37:21

一日会館長の昨夜は「休館日」で。
『さればゆっくり本でも読むか…』と、二重人格で着任したが、そうはいかん。
「青年二級受験者集中講義」で普段の会館より沸騰しておった。
事務所。入れ替わり立ち替わりとの青年部で、 愚壮萎縮す。

それでも『S県女子部長』なんぞが
「や〜ん、愚壮さ〜ん。ご苦労さまで〜す♪」に、又元気。
この県女。 三人姉妹の一番上で、ここだけの話。どうも、酒豪とか。

ワシの長女も実は、人ぞ知る豪傑であって。 三人で飲もうものなら「樽が空く」
いやさ。その長女も会館に来ておる。とは件(くだん)の県女子部長が教えてくれた。

『女子部増!』と、彼女らと一丸。闘ったのは、つい最近の事であった。
県女自身が二人の友に「弘教」を実らせ、妹の地区リーダーも友人を入会させている。

妹「まゆみ」にワシは敬意を込めて、いつもこう言う
『おまえ。何食ったらそんなに元気になるんぞよ』に、  
彼女は「キャピキャピ!」と笑う。

この「キャピキャピ」と 長女。  
年の差はこの際秘密じゃが。いつも二人で闘った。
長女「香(かおり)」を「まゆみ」はこう呼ぶ。  
『かお姐』… これでは「顔黒風」だぜ。

家族で一番多く救急車に乗った悲運を、長女は猛然たる題目で 弾き飛ばした。
わしは、この、飛び切り美人で酒豪で優しい長女こそが『一番幸せであれよ』と祈る。

前出、「S県女子部長」は言う。 
『お父さん。かおりさんに 一番幸せになってほしい』
そう、念を押して 彼女は事務所を出た。  
ロビーの喧騒は この夜。もう少し続く。



2006/08/03(木) 18:57:24

…その長女。「勉強会!」と事務所を覗いて今。飛んでった。
会館まで自転車で15〜20分くらいかな?

今の努力が全部 実を結ぶ。  「法のゆえの疾駆」悪くなる道理なし。



2
006/08/05(土) 05:31:30

「壁の無い風景」という放送を 私は今。視ている。
【生きる…】 6ch(朝日放送系)

ハンセン病ゆえに 強制堕胎に晒される愛妻。
「堕胎は殺人である」と言わずに、堕胎の有様を説明する指先を注視できえず。

隔離政策の悲哀は、忘れ得ぬ風景で私は語ったのか… 記憶は無い。
が、しかし。それにしても…  人が人を差別し。慟哭を防音して抹殺する。


こう言う番組を、なぜ。こんな早朝に放映するのか。わしには解からない。
つまらん「洟垂れボクサー」を何度も映す暇があるのなら…。とはいうまい。

珠玉の感動の叙事詩が 静まり返った早朝の、たれも見ぬ事務所に流れている。
「せめて。億分でもいい。感動が実際にあったことだけは 書こう」と、書く。



2006/08/05(土) 05:56:21

助産婦は言う「元気な赤ちゃんよ…」
千載一遇と今世に巡り会うとは… 何たる福運よ。と元気な産声である。

出産の感動は「生命を紡ぎいだす 母のみの深遠の領域」と言う人がいる。
いま、この母もそうである。と、羊水のユリカゴを卒業したばかりの亜子を見る。

「じゃ、もういいわね。」と、手にしたガーゼを、生まれたばかりの「赤ちゃん」に。

「ハンセン病」であるから…。と。 亜子は殺される。  が、こんなのは序である。
この現実を『知って。言って。どうする』と開き直る人が居るが。 それでいいのか。

「なんとか姉妹」のナイスバディーに目を眩(くら)ませるのか、と言うのではない。
多少の凹凸に個人差はあるが、所詮『糞袋』と「畜眼」で言うのか。とも言わぬ。

仏法とは、宗教とは、 いかにあるべきか。 
簡単で、難問である。と言うのである。



2006/08/06(日) 06:47:57

利発な子『ヒロ』は、平成11年の今日誕生した。 ヒロよ。おめでとう。
どうか、混ざらず逸(そ)れず 隆々と育ってください。

危うく途切れかけた「家名」を、ジィジが一応、形だけは繋ないだが…ヒロよ。
「なんとか 繁殖も可能だ…」と、人が言うほどに治癒させてのは…お前の親じゃ。

「夏の子は出来が悪い」とは『ヒロ』の、本来の使命を知らない一般の通説で。
お前の、その飛び切りの「仕様&性能」は桁が違う。

『但し…御信心によるべし…』は、この際。言いにくいがヒロよ。必須じゃ。

お前が生まれて今日で「2558日」じゃ。
ジィジは、同じ計算で言うと「22485日」 
 差数値「19927」はずっと一緒じゃから、これからも、宜しく頼むよ。

ところで…ヒロよ。今から「22280日」も前の話じゃが。
61年前の昭和20年の今日 8月6日の午前8時15分頃。日本を悪魔が襲う。

今朝早く(午前一時頃じゃ)太平洋上。
はるかかなたの「テニアン島」を既に出ておった。
たれも たれ一人として この『世紀の大愚行』を制止する人は…おらんかった。

この日の朝。広島市街の都心。
相生橋を標的に落とされた「原子爆弾」。忘れるな。

「リトルボーイ」は一閃で十数万人の無抵抗の一般市民を殺戮する。忘れるな。
その後「ヒロ」よ。 
この広島の、優秀で温和で気品あふるる土地柄の人の苦悩は絶えぬ。

…だけではない。  3日後 長崎の市民も「意図した地獄」に落とされた。

『広島原爆投下』の任務を完遂した「エノラ・ゲイ号」の搭乗の将兵。
機長は最高勲章を授与され、基地を挙げての祝賀会は 夜を徹したと言う。

東京大空襲の「200倍」とも「500倍」とも言う 壮絶なる殺戮が、
「夏の朝の一瞬」の一閃で  総て『屠殺』さる。

その後の「被爆の市民」は  いかがなされたか。 
「ヒロ」よ。ここを、しっかりと学んでほしいのじゃよ。 

 ま。そういうことじゃ。



2006/08/06(日) 08:05:52

広島平和記念式典が今はじまった。
大晴天。 気温27度。

この日はいくら、炎暑に炎暑を重ね。 酷暑を幾重と積み重ねても。
閃光の悶絶の中に息絶えた「7200名」の動員学徒の大苦には 迫れない。



2
006/08/06(日) 08:32:48

「被爆者が(仮に)死(自死)を望んでも 誰も非難できない」
「にもかかわらず。 被爆者達は(暗黒の前途かもしれない)生を選んだ」

「核廃絶の道のりは、この61年間で『落ち度などは無い』と、言えるほど明示された」
「核の奴隷に活路は無い」

広島市長の平和宣言を、全世界の指導者は微動だにせず
「聞き。守り。行動せよ」と思う。
カメラがパーンした千羽鶴の群に『北海道 余市…』の文字を見た。

「世界中が平和になるためには お互いの心を認めること。思いやる事…」
と児童代表。
もう一度申すが。 冷房などはこの際切って、真摯に考えてみようではないか。

児童のメッセージに拍手が起っている。

 『感動を素直に表現する…』が、出来始めた。



2006/08/06(日) 10:49:41

関西の同志 就中。
大阪の草創の同志にとって「7・3から7・17」こそ師弟の共戦の『原風景』だ。
「不可能を可能にした」「奇跡が起きた」としか見ることが出来なかったマスコミは。
若き池田先生を「兄・父」と慕う大阪の庶民の、正義の直感の正視眼等 知り得ず。

沛然たる豪雨の中の「大阪大会」の常勝の原点は    
生駒山頂が白む時刻   寅の刻の『電光石火』の墨痕に在り!と。たれぞ知るや。

その、中ノ島中央公会堂の豪雨の中 
こぶしを震わせ「不退転」を誓った青年25歳。
過日。7月17日午前十時   於、愚壮宅。 
『女子部増決着出陣式』に屹立の壮年あり。

「W副支部長」75歳。は
一番に立ち上がり「今日の7・17の女子部増は俺が決める」と申す。
「…でなければ。50年前。池田先生とお誓いした『最後は正義が勝つ』が嘘になる」

W氏が叫びは、支部内に鳴動す。と。 支部は見事に完勝した。
歓喜の「関西総会」の余韻は、 皆さんがご存知の如くである。

…余話がある。  この時期。特段、7月の3日から17日までは「冷房を切る」
関西。就中 大阪。 この風土と土着の人に「敵人 甚だ多し」なれども…である。
『冷房を切る』と、師に肉薄しようとの意気は、見事で率直であった。

W氏は何故、一番に叫ぶのか。
「W副支部長、病得る」      急報は週を移さず。
「全摘出臓器:1 半摘出臓器:3やけどなァ。わしは不死身じゃ」と氏は病床に言う。

『おうよ。そうともよ』『7・17体感の猛者が、臓器の三ッつや四ッつ 屁ほどもない』
ワシも思う。「…だから、冷房を切って 往時を思うのさ」程の獅子は おらんのかい。

経典「阿練若に身を置きつつ 能書きを垂れるんじゃないわい」とは、この事よ。

話は変わるがつい先程。「ヒロ」「ノブ」「長男」が蝉取りに行った(パチンコ公園)
15分ほどで『ジィジ、ほら!』と帰ってきよった  生け捕りクマゼミ:11

あほなワシは言う。「蝉なんか、すぐ死ぬんじゃ」「逃がせ」
「ハーイ」と炎天のアスファルトに撒き散らされた

 「熊蝉」は一瞬考えて、飛び去った。



2006/08/12(土) 05:39:57

『…そうか。 もう、21年にもなるのか…』
今朝 私は一人そう呟やき、 520人の「見知らぬ人々」に 回向、唱題す。

聞けば…(聞くまでもなく容易に想像されて 言葉が続かぬが…)
『エンバーミングを施こす術(すべ)もない…』との 壮絶の御遺体であったとか。

「御遺骨、尚。骨を咬む」  惨状と酸鼻は極みと覚ゆ。とも聞く。

この8月8日。私は大事な友人の『早急の夭折』に遭遇する。
重篤と、独居の終焉は、 酷暑の寧日の急速の腐敗に。酸鼻、頂点となす。

が、しかし。  この人の終焉は。 想像を絶する「ドラマ」を語り逝く。
詳細は、 不記なれど…   心奥の深奥の「風景」とする。

9月には、 49日忌である。        合掌。



2006/08/14(月) 06:31:36

>『…そうか。 もう、21年にもなるのか…』

とは。「御巣鷹の尾根」をX字型に削った壮絶なる衝撃の終焉の「520名」の、
それこそ。筆舌に一切尽くせない『絶望への刻みの積み重ね』を指すのである。

『与圧隔壁』とは、高々度航行の際の乗員の生命の保護に不可欠の装置で。
言わば機体の生命維持装置で、この壁を隔てての、機外側は「死の世界」とは、
所謂総ての『利器』は、「利用者」のその生死を「表裏一体の板子一枚」で支える。

『日航ジャンボ123便』の欠陥隔壁は
 夏季帰省の嬌声と笑顔と希望を、一瞬で消す。

>>『エンバーミングを施こす術(すべ)もない…』との 壮絶の御遺体であった。
とは、 その壮絶を筆記する事事態が 一切の生命への冒涜である。との真意である。

結句。この「御巣鷹」の尾根に『不帰の客』として 機体は横たわる事にはなったが…
その直前まで『絶対の生還』を信じて、「揚力の失せた巨体」と闘い続けた「クルー」在り。

機長『これは何なんだ!何事が起っているのか。』と叫びつつ。
総ての手を打っている。
前出。
「御巣鷹の慟哭の極みのX字の瞬間」まで、 機長は『生還』を目指している。

『…そうか。 もう、21年にもなるのか…』との
私の記述の感慨は、上記から出ている。
が、この8日の友の急逝は、「御巣鷹の惨事」とはこの場合、無関係ではある。が。

一点。 近いと言えば似ている場面があり…
そんな場面場面の中に、無表情に、黙々と、決まって働く人がいる。

8日発見の友人の捜索には、地元の四人の警察官が立ち会われたが。
特筆、御若き警察官の酸鼻の場面での立ち居振る舞いの捜索に、私は敬意を持つ。

世界。有史。あらゆる惨状の風景がある。 
この復旧に「黙々」と、従事するのも人間なら。
この酸鼻の極致を (時には「憎しみ」さえ込めて)創りだすのが人間なのか…。

長々とくだくだと。私は、是が言いたくて書いている。…
が、一人でも二人でも この「微意」の「諒」を…   静かに熱望する。

ま。そいうことである。



2006/08/14(月) 07:30:01

英国「ヒースロー空港」で 「同時爆破テロが 直前阻止された」と伝う。

『在、パキスタンのイスラムの青年から、
全作戦の指令の発信を(当局は)抑えていた。』
これを支持した米国のブッシュ大統領は、
爆破犯こそ「イスラムのファシスト」と言い放つ。

「自宗以外、皆、悪」と。
狭い地球で罵り続ける愚行を「なりゆき」でしか論評出来得ない人を、
こう呼ぶ……「屑」


8日の友人の御遺体は密室の御自宅の浴室での発病の絶命ゆえか…
書けぬほどの惨状であった。

「自治会副会長」とは、
単身のお住まいの地域の友人にとって、『便利屋』で うれしいが。
今回の私は、辛いほうの「自治会副会長」で、「異臭の通報」の第一発信者となった。

生前の御付き合いは、当人が御婦人であるぶん私とは薄いが、
「近隣の友人」に隔ては無い 「隔てが無い」とは『隔壁が無い』という事で、 
妻達は、この事故を動顛と悲しんだ。

が、ここは、その妻達の感情も余談となる。

愚壮が御託は、その稚拙の筆力に「要を得ぬ」腹立たしさ。これ極まりないが。
『人間とは、これほどまでも虚しく、非力で、あっけないものなのか…』を強く感ず。
以前の愚記。「なんとか姉妹」は『糞袋』は、実はここを言う。

所詮。 人間(生き物)ほど むなしく(虚無)て、意固地で、自己中で…話にならん。
その癖、死んだ途端に 早々に異臭を発し。腐敗に崩れ、腑汁(腐汁)を垂れ流す。

この、孤独の御婦人の訃報は、
地元警察の「圧倒的組織力」で遺族親族に通報された。
はじめての(こんな事が何度もあっては困るが)混乱の事態に
親族は 落ち込まれた。

私は。『私宅でよければ拙宅を』と、捜索の間も、初期検死の間も。 
「納体袋」に入られ、警察に御遺体が移られるまで、自宅の提供を『当然』と申し出た。

あっというまに、御ひとりの人が 視界から消えられた…
こうして、わたしは。何人の人を見送ったのか…と、今。思いつつ書いている。
そうして思う。 『もう、俺の番も近いわい…』

遠き遠き日、
60人学級の、その列の最後のほうの愚壮少年にも「ツベルクリン」の番は来る
『死』とは、 誰にでも例外なく 確実に訪れて来てくれるんじゃ。
であるから言うんじゃが… あんまり 出たままの悪態は言うもんじゃない…
「貴様の口臭すら感じるわい。」と…。「友人をなくした」わしの愚痴じゃ。



2006/08/14(月) 08:10:02

普通。世間は「盆休み」
延々の帰省ラッシュと、沸騰の高速の渋滞の向こうに、祖父母と父母と山河待つ。

私にも「盆休みを所望する」とも言わず、 
他人様の休日の無事故を連日の出勤に駆ける人が居る。

昨日も炎暑の中で格闘を致したが…。
今年の私は、「盆休み」が無い。
大工さんに引き渡す工期が逼迫して、『今年は 盆休み 無しね』とあいなった。

「休みが無い」… 
わしは「屁」ほども思わぬが 若い職人さんには不評も無理はない。
一昨日は(余談じゃが)長男が感電した。
落雷が現場の近くにあって「脅威の放電力」知る。
幸い大事に至らず助かったが、 まこと。恐かった。

生活もままならぬ単価で働かされている労働者が居る。とは、建設労働者である。
知ってか知らずか、威風堂々の政治家の先生は「デカ口」を叩いている。
よう。そこの『為政者』殿よ… 何とかぬかせよ。



2006/08/14(月) 08:38:35

東京都心の広範囲で停電が発生。
一刻も早急の復旧を。

この時刻、既に気温は上昇している。
「血眼」で復旧を勝ち取れ。

従事の人の勇気と英断に勝利あれ。
万難を排して 復旧を。

御老人。御病人。弱者の子供たちが閉じ込められていないか。



2006/08/14(月) 09:55:43

>東京都心の広範囲で停電が発生。


人災発覚。
旧江戸川を航行中の台船の「クローラー」の先端が送電線に接触、停電した。
事故後2時間での復旧は、広範囲であっただけに見事です。

一刻の猶予もなく「通報者」の正報は、どう届いたのか。
危機管理の急所が このプロセスに潜んでいる。

「報・連・相」ほど重要な機知はない。とは、先輩の『雑音』ではなかったのである。

が、しかし。 クレーン船のオペの粗相は この際、見逃がしてはいけない。


2006/08/15(火) 05:47:10

今日、8月15日は、同志「U田さん」の七回忌です。

当時の支部長。本部長。圏長。   
御健在時の「U田さん」にはお世話になった筈。
しっかりと感謝を込めての追善回向。 
努努(ゆめゆめ)、お忘れには成らんと思うが…。

どだい。同志御逝去の日を控えもせぬ「インチキ」がいらっしゃるならば、話は終る。
「あ、俺のことか…」と、気が付いた時からで結構じゃで、反省して悔い改めるべし。

ところで…今日はわし。現場じゃ。   
ひとつだけじゃが、ここには抵抗がある。とは、 
結婚以来36年。途切れず励行の「薮入り」
夫婦揃って「お盆はいらっしゃい」に甘えて、大母を訪ねてきた。  
が、今年は出来ぬ。

転倒三度。御老体は日々と御衰えになる。
書けば非常に不謹慎なれど… 
「今しかない、残りし日は少ない」が実感となっておる。
妻が昨夜…『○○はるさん、今年は来ないのかね』と母が言う、と。禁句を言う。

「夏休みを返上して 工期を守る」なんて 糞食らえ!と言っても「埒」は開かない。

『この「埒(らち)」は、別名を『福運』と言ってのォ。
男は仕事を優先するもんじゃ』なんかでは、
妻。納得せず。   が、今日。わしは現場に出る。
(仕事。早く終らせて、大母上にお会いする心算でいる。と、付記する)



2006/08/15(火) 17:57:22

小泉純一郎日本国内閣総理大臣が「靖国神社」に今日。8月15日に参拝した。

黒塗りの専用車を連ねての『開き直り参拝』は 惚れ惚れする。
「頑。と公約を遵守する」とは、侠客小泉面目躍如であって。 予想は当たった。

一説では「260万人」の英霊が祭祀されているのが「靖国神社」である。
類似の神社では『護国神社』が、これも 全国に建立され。
国家国事に殉じた人を祭る。

扨も扨も、 いろんなご意見が出ておる。
例えば「中国」「韓国」の反応。   これが、また。過剰で過激で「噴飯」じゃ。
しかし。よ〜く考えて頂きたい。と。中国と韓国に言う(聞く耳持たぬ人が多いが…)

日本の政治家が、日本国内のあらゆる施設に。何時行こうがじゃ。 
放っておいてくれ。「隣家の法事」に口を挟む行為は  話にも「屁」にもならん…。

確かにアジア諸国に戦火は拡大し、蹂躙し、膨大な人命が失われた。
が。 よく考えてみれば この際。  『殺戮魔』の目標は「人間の殺戮」であった。

あの大戦で、一番正しいのは誰なんだ。と言うから。  話は収束などしない。
「広島」「長崎」を言うまでもなく 『無差別絨毯爆撃』の最大の犠牲国は「日本」だ。

北方四島・竹島(独島)は、わが国固有の国土じゃろうが。
「クダクダと文句言うんなら、島を返せよ」

同胞(日本人)が酷寒に「全指」を凍傷で失い。灼熱に「全身」を蛆虫に食い破られ。
それども尚。 故郷の山河への 外国軍の蹂躙を「させてなるものか」と闘い散った。

『A級戦犯』を決めたのは、戦勝軍。だとすれば。  戦勝軍は「正義」なのか。
「にっぽん!にっぽん!」と、叫ぶサポーターは、なに人じゃ?

「中国戦線」で日本軍の鬼畜の所業を見た。と、父は言った。
『殆どの兵隊は、戦慄し、嘔吐し、泣き喚いた』と、父は言う。 泣いて言う。

なにをおっしゃるのも御自由じゃが。この調子では、近々、日本人は消滅じゃ。
ざまみろい。  腰抜け日本人。

神崎は「極めて遺憾」と言う。 

 じゃ。 連立は解消しなさい。応援するから…。



2006/08/15(火) 18:44:44

この戦争でズタズタになられた人 極めて多し。
私の餓鬼時代。在日朝鮮、在日韓国人の友人も又、極めて多かった。

私が生まれ育った地域の、すぐ北側は「百済」「猪飼野」「田島」
それと、殆どまとまった佇ずまいの住宅を見ることが出来ない『巽』地区。

「ガタロ」を知るや。
「アパッチ」を知るや。
「チュウレンボ」を知るや。   わたしは全部見る。知る。    

昭和57年。  愚壮副大B長をつかまえて…
『W石部長』は笑いながら、且つ、流暢な柔らかい大阪弁で言う。
「僕とこ(所)ネ。雨 降ったら。 ふとん、濡れますねん」
「せやから(だから)ネ、雨が一番 こまりましてん」

「ぼくとこね 土手の河側に 家、ありましてん…」
私は思った。こんな人が学会には居るんや。せやから、学会は凄いんや。


学会員の一大特徴は 強靭な足腰にあると思っていた。
所謂、 ピンチに強い。

ある幹部(守口県)は言った。『創価学会はデンボ(腫物・おでき)や…』
『いじれば(触れば)いじるほど おっきなりよる(大きくなる)』

なんやかんや言うても、最後は先生と勝ってきたんやんけ。ちゃいまっか?



2006/08/16(水) 05:42:14

真っ黒に日焼けした孫の襲来が昨夜あった。
例年にない「盆休み返上」で疲労も頂点のわしは、瞬間に回復す。

『おーい。ジィジのビール。 カラやでぇー』に、「ヒロ」「ノブ」先を争う。
…ぐっすりと眠れた今朝。 気分はよろしい。

扨。出勤じゃわい。



2006/08/17(木) 05:41:45

国家の「宰相」が『靖国神社』という施設に参拝した。
この『靖国神社』たるものの格式が重いか軽いか。は、どうなのか。

【『国に殉じる』とは「殉職」の最高峰で、 万人が之を悼み、追悼と哀悼を捧げる。】
まず、この上記【 】部分にも、 口角泡を飛ばし、目を剥き、反論するのかね。

『靖国』の格式など、たかだかの浅き起源。 「謗法」と叫ぶほどのボリュームもない。
あるとすれば。 『軍神として靖国で会おう』との作られた「無い話」の構築物である。
もっと言えば、『帝国であるが故に不敗。神州ゆえに不滅』との幻想の裏打ちの建物である。

かの、悪名高き「天理教」よりも後世に作られた「神社もどき」 
ここに、首相が参拝したのは、 その、宗教性をを言い、鑑みるのではない 
ここに公証、おられるとされる一般戦死者への純然たる哀悼であり。小泉の快挙である。

時として挙国一致。という熟語を知らない 能書き国民がいる。
故に。「貝殻島」(日本国領内)で普通の漁民の青年が銃撃で殺傷される。

なるほど。民間機「大韓航空」の旅客機を撃墜するのは 朝めし前じゃ。
日本人が日本人を日本国を。すき気儘に言うのも 自由かもしれん…

が、しかし。他国。近隣国から『日本は愚にもつかぬ 骨なし国家』の評を どう思う。



2006/08/17(木) 19:33:14

>なるほど。民間機「大韓航空」の旅客機を撃墜するのは 朝めし前じゃ。

ロシア(旧ソ連)人ほど 悪辣で非常識で残酷で好色で我利我利亡者な人種はいない。
「北朝鮮」他、その他近隣も、そこそこ。いい勝負をするが、別格横綱は「露人」じゃ。

「静粛」と言う密告恐怖機構の陰で、 何千万(一説・2500万人)の同胞を、彼らは殺す。

読者の身近で、軍属として「満州」に渡られた人は 多く居られると思うが…
『日ソ不可侵条約』の一方的破棄の暴挙から、一体何が起ったか。 

聞いたら分かるが…。この、書けない事実を、なんと理解する。

昨夜、最も理不尽な「国境警備隊」の暴挙で『盛田さん』がお亡くなりになった。
確かに現場は、突発的な事態が起ったかもしれない。が、である。
「ロシア」は 必殺の銃撃を実行した。と、断言する。

『不審船』に向かって 速攻の威嚇射撃ひとつ出来もせず、あげく。
重大な証拠物品の投棄をオメオメと見逃し、遅ればせの「20ミリ機関砲」

日本ほど 骨抜きの「グウタラ国家」は ないわい。と、言う前に。
「停船命令」に伴う銃撃とは、 直接照準射撃は 国際的にもご法度じゃ。

事件が起った「貝殻島」とは  我が家の軒下での事故よりも重大だ。
『平和』にボケてはいないのか…とは。最近一連の 思いです。



2
006/08/18(金) 05:28:56

これは昨夜。
連日の猛暑の格闘に、私は死んでいる。
帰宅後。汗を流し、事務所の残務を済ませ、夕餉の食卓に向かうとき、又、死ぬ。

『お父さん。 食べなければ身体に良くない』が、喰えない。

この日。珍しく横に坐った長女が言う。
『お父さん』『私… 結婚したい人がいる』  これで、今日は三度死ぬ。

妻はそんな私の反応を、 頬を緩めて見ている。
「知らぬは亭主ばかりなり」を、  少々落ち込んで経験したが…
長女も、いい加減に自分の人生を歩まなければいかん。

相手は、薄々気が付いておった青年じゃ。  あれなら、長女を大事にする。
予定日は、時期尚早で公表は控えるが、 これで再び、妻との二人の人生じゃわい。

さて、出発する。 今日の現場は「城陽市」



2006/08/18(金) 17:39:25

今日、愚壮瀕死…
(おめでとう。  鈴(りん)7回打って 題目三唱。 )

台風の影響で直射日光がなく、『これは助かったわい』が、裏目。
昼前には既に手肢がつりだした。

『こんなもん、どっちゅことあるかい』のやせ我慢が回復不能の「降伏点」を超えた。

やがて、痙攣は。両足の脹脛から、脾腹に拡張する。
長男は只事でない、と。 声を荒げた。
『オヤジよ! 我慢するなと言うたやろ! 無理したら、元に戻れへんやろ』

いやさ。 すまん。   が、長男よ。
みんなこうして自身の「苦」と闘うんじゃよ。
「無理は承知さ」との言葉は、この際 喧嘩を売るので飲み込んだ。

明日で、この基礎工事  完了じゃ。
現場の東隣が「由緒」の神社で、 樹林の大影が優しく涼風を吹き付ける。
又、現場の正面の大路には、古(いにしえ)の参道の並木の一部が大事に今に在る。

『楠木』といい。『クヌギ』といい。 流麗な樹容を、高々と誇っている。
歩道の整備と、歴史の参道の大並木達。命感ずる「市政」 さすが『城陽市』である。

そんな『大クヌギ』の樹影で 愚壮、ひたすらに回復を待つ。
も。 遂に回復為せず。 「ほれみろ」と、長男に叱られつつ 今、帰宅した。
ああ〜。  死にそうじゃ ><;



2006/08/19(土) 05:21:40

以下 毎日新聞 第二面抜粋
【北方領土・貝殻島ちかくで発生した日本漁船銃撃・拿捕事件は、死亡した
 盛田光弘さん(35)の遺体が19日に日本側に引き渡される見通し…】


以下続くが。 ばかばかしく話しに成らんので、書く気もせん。
曰く『ロシア側が 盛田さんの死亡に対する損害賠償に応じる見込みも無い』

上記は現状の分析の上の記事であろう。 
が、【それを書くとそこに付け込む】と言うのが、悪意に満ちた「詐欺国家」の常。

ロシア政府の公式見解は『今回の悲劇的な事件の責任の大部分は船長にある…』 
どうだい、殺しておいてのこの態度。  

六ヶ国協議のテーブルで「シラッ」と『突然闇雲ミサイル発射国』に味方をしてみせる。
「露」とは。  所詮の正体は そんな程度よ。



2006/08/19(土) 05:36:51

「独り言」じゃ。
2000年8月  確か、ロシアの潜水艦が沈没して 多くの犠牲者が出た。
この悲劇の第一報を聞いた各国は 心を痛めた。
潜水艦には100名以上の乗員が閉じ込められたからじゃ。

徐々に「酸欠」の死様ほど 残酷は無い。
『クルスク』という艦名は、一体。何を暗示したのか。とも言わず。
日本国も本気で救助に遠路、向かった。(記憶違いがあるやも知れぬが…)

それが、小さな地球で暮らす 地球国家の「有り態」だ。



2006/08/19(土) 18:44:07

『城陽市作業所』基礎完了。 
例の前面大路の「クヌギ」に今日。 蜩(ひぐらし)が鳴いた。

「ツクツクホーシ」を(蝉本人の体調によって違うのか)28回〜31回
その後、「チュクイージョ」を約3〜4回言う。 
そして飛び立つ寸前、もう一声「・・・」何かを言うが  通訳不能。

『これが鳴いたら もう秋や』と物知り大工が言う。
「…秋まで持たん…」と、誰もが思いつつ、みんな 頑張った。

クタクタのヨレヨレで今、帰宅したが…
生憎今夜。 支部ダイヤモンド協議会&地域友好拡大会議。

日焼けで鼻の頭の皮が剥けた。 男前の愚壮も台無しじゃが…
久し振りに 支部の皆さんと顔を合わせよう(ワクワク)



2006/08/20(日) 06:04:40

朝のニュース。『ロシア』での司法解剖が終ったァだと?
(何のための解剖か…  ん? 露よ…
(どうせ、 日頃上官の指導の「一発必殺」 
(盛田さんの銃創が致命傷になっているかの確認じゃろ

日本の係官が「故・盛田光広」さんの御遺体をお運び申す。
根室港でのこの映像は、全国に流れることであろう。 が、チクと異議あり。

『露』よ 貴国はこれに関して「遺憾」とほざくが、「露」よ。
司法解剖の首尾は 手順は 執刀医の「ご遺体」に対する畏敬は。 あったのか。

根室にて、日本の係官が二人で(棺の両端に一人ずつのみ)お運び申された。
もしやして、ご遺体の内部を 元に御戻ししていないのではないか。

屈強の若き壮年のご遺体である。 ふたりで持ち上げる道理なし。

「露」は     親孝行息子を『母』から遮二無二奪った。
その理由は「盗人根性での創作の国境越境」の。
それも、たかが。「蛸」や「蟹」如きの密漁容疑の一方通行の「ごり押し」でじゃ。

愚壮はここに来て。 特段「露」に敵愾心を燃やすのではない。
言いたき事は「山」とある。  「イスラエル」「中国」「韓国」「北」「米」「仏」
が、どうしても許しがたいのが「露」が見せる 底の浅い「似非友好」である。

まず、黙って「北方四島」を即時無条件で返還せよ。 
それが唯一の「貴国」の懺悔の発露じゃ。
返還された「四島」を 開発開発と「グチャグチャ」に日本がするようなら。
わしは。突然の寝返りで「ロシア」に味方する。



2006/08/20(日) 07:11:14

>わしは。突然の寝返りで「ロシア」に味方する。


チクリと、釘を刺した心算の発言じゃが。
遠回りでも「露」に与する訳にはいかん。
よって、謹んで上記を撤回します。

  味方など、冗談でも言ってはいかん。



2006/08/20(日) 15:17:28

昭和20年の今頃になって、千島列島に「ソ連軍」が侵攻している。

正確には忘れてしまったので、殊に詳しくは書けぬが、侵攻は事実。
これが「ソ連」(後世のロシア)の正体である。

日本の無条件降伏が 8月15日。
そう。  そんな国際的事実なんてものも、「露」には糞食らえなんじゃ。
要するに『火事場泥棒』なんじゃよ…  重傷瀕死で動けない女性への強姦じゃ。
いやさ。 『死姦』じゃ。

今回の北方領海での銃撃拿捕事件は、 それほど特筆の大事件なのだ。
不条理な漁獲制限がある中とはいえ、 警備隊の銃撃などはなかった。
いや、銃撃の必要性など「丸腰の漁民」には 重ねようも無い設定ではないか。


日本人として怒りを静めては申し訳がなく、又、忘れてはいかんよ…。



2
006/08/21(月) 05:54:41

平成元年の今日。 友人の御母堂様 ご逝去。

17周年18回忌であられた。
直接の御面談なき人なれど、 心からのご冥福をお祈りいたしました。
(同心の人であることは、申し添えます)

さて、8月も終ろうとしている。
この23日は、私個人の人生の分水嶺で、あれは確か、昭和44年のその日であった。
8月24日も筆頭、忘れ得ぬ日であるが。 8月25日も又。愚妻の誕生日である。

長女がどうやら「嫁して家を出る」とは。
未完成の私と妻が必死で繕った家庭が『完成』の日かもしれん。

遠き日。「若さゆえ」の暴走に、  有るのは懐中のご本尊のみであった。
爾来、まだ半世紀も経ぬのに、 人生の波濤の峻烈は、我が前半をも凌駕した。

思えば、満身創痍の親鳥が、未熟の三羽の雛の巣立ちに漕ぎ着けた。
又、こうして、元の二人になったとき。 「老い」は屏風の如く迫り来る。

ここで一言いうなれば。 この御本尊を信じ行じた24歳以降の私の人生で、
最も足をすくわれた時期がある。  それが 宗門からの「学会破門」であった。
いろんな御託を言う人が居る。 が、しかし。

宗門の変節は『吟味すれするほど』も、又、『直感』でも。  変節である。
「阿部信雄」と言う「癌人」が、700年の歴史の「繕い部分」を検証せしめた。

さあ、又。張り切って前進だ。  目前、自治会。体育祭。老人会じゃ。
うちでは、地区総会もある。 その前に「御書」を学ぼうよ。



2006/08/24(木) 09:06:47

曰く『本迹両門・涅槃経 共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり』

いかにも、これほどにも、身は軽く 法は重いんだ。
所謂。『自から 身命を惜しまず』とは 迹化の菩薩でさえ「滅後」の決意を誓う。

「此等は禁(これらはいましめ)」であり、本仏との約束だ、と。御書は御示しだ。

わしこと愚壮は、この一節で、ハタ、と。日々を思う。
「ワシは毎年、炎熱の盛夏に、息も絶えだえじゃ…」(現に今日。ダウン)
…と言う事は、実は。 ワシは弘教、という門下生の根幹の部分の息吹 欠落か。

昭和22年の今日。 若き剣豪。若き哲学青年。遂に『人生の師匠』と再会す。
時代は混沌の度を深めている。と。青年は自からの「地涌」の不可思議を既に知る。

その夜集いし無辜の民衆は この好青年の凛々しさを、眩しく仰いだが…  まさか。
まさか。この青年をして、「抑圧の民」の解放の勇者たるを知るべしや。

かの日から「60星霜」
今朝の聖教新聞に、 『五態の秀麗』の讃歌あり。    所謂。師弟は不二である。

全くの独り言であるが…
私の人生で。最も重要なる意義の三連の期日がある。
これぞ。8月23・24・25日である。       符合とは不可思議ではある。



2006/08/24(木) 13:28:33

冥王星を太陽系の惑星枠から除外する。
冥王星は今後「矮星」として分類する。

銀河系の僻地の尚、僻地。 その又僻地の大僻地。『地球』の住人、「にんげん」
その祖先を尋ねるに… 同類の一番の古参で、約2500万年。
「ホモサピエンス」「猿人」としての歴史は タカだか400〜450万年。

そんな、つい最近。地球上に顕れた癖に、多種殺戮の暴挙で、多くの絶滅種を葬り。
それすらもあきたらずに、人間同士で殺しあう事を際限なく繰り返して来た。

特筆。最近の一世紀だけで、何億人の同種をも「血祭り」にあげて、悔いすら無い。

そんな、下衆で、糞まみれの人類が… なんだと〜? 冥王星を「惑星外」だと〜?
なんという馬鹿の集団か。   思いあがりも程ほどに出来んもんかいのおォ。

はいはい。 御偉うございます  人類様。



2006/08/25(金) 10:29:06

出獄以来、孜孜として「経典」を離さず、不退転の弟子達への「法華経早朝講義」に全魂。

第二代戸田城聖(明治33年2月11日生誕  昭和33年4月2日逝去 享年58歳)の この巨人の生き様を、宗門の人は、みなすべて、こぞって讃嘆している。だけではない。

戸田以降の学会の路線を、根幹から否定し罵詈雑言に至る狼藉までも、これ、こぞって鸚鵡する

宗門の、就中。無知蒙昧の輩の「亞法」の決まり文句に『戸田先生の時代は良かった』がある。
これなんぞは、恰も、宗門史を踏みにじるが如き「蛙跳び的」底抜け論で、噴飯じゃ。

日蓮大聖人が烈火の如き「破邪顕正」の実践を、唾のかかる距離で見聞の弟子が言う。  『我らは 柔らかく弘むべし…』 又曰く『天台抄門』

事有る毎。「戸田先生は良かった」との宗門。 
 …その塔中、御宝蔵に額ずく人が居る。
昭和25年晩秋。  
爾の時、日蓮正宗総本山大石寺深山杉森に冷気満つ。と人伝う。

御宝前石畳に端座唱題し続ける戸田の双肩に、 早暁未だ刻限遠し…と。
夜露降り浸透す。
爾の時の戸田の心中は常人、凡人の論評など、吹聴する事すら  たれも許さじ。

では、問う。    戸田先生は何を祈ったのか。
『御本尊様。この戸田は、出獄以来の早朝の法華経講義に於いて、
いつからか…天台臭となる』
『このゆえの、この弛緩の隙間に世間の新興宗教の跋扈を許したことは、戸田は万死に値する』

戸田自身が己心の魔と真正面に対峙する、壮絶の風景である。 
この七ヵ月後 彼は「第二代会長」に就任し、
その11ヵ月後『御書全集』を上梓する。が。

全くの、時を移さず、この同じ時期に、
 戸田は宗門から以下の処分を甘受している。
『大講頭罷免』『登山停止』

これが実は、創価学会の「発迹顕本」の慶事の発芽でもあった。
爾来の「宗門の蠕動」は、時とともに 全世界に露呈しゆく。

8月24日を境にするとは、 
「信仰の正邪を見極める」との意で、時代が詳細を証明する。



2006/08/25(金) 13:05:07

本年5月24日   恩人「M社長」から電話が有った。
『愚やん。 実は…』と、社長は云い澱んだ。

『単価を崩して 他業者が得意先に食い込んだ』「安かれ良かれかい…」
そういえば、毎年多忙の年度の初めの受注が、どうも少なすぎていた。

『こちらももう、何度も仕切りを引き下げてきている』
「足元を見ていやがる」と憤慨しても 仕事が止まれば 家族は路頭である。

「M社長」は爾の時の電話の応対で、こう言う『俺も題目を上げる…』
「そこまで言うか」「それほど苦悩か」と、当然わたしは「M社長」と同苦した。

きのうで丸々 三ヶ月の時間が流れたが、
思い出すには時間が僅かに三ヶ月、鮮明である。

かの日。私は、妻に命じて「御祈念」の文言に以下を付け加えている。
【今まで以上に「M社長」への引き合いが増えるべし…】【「M社」の大発展】

男が我が仕事の祈りを 何故妻に言うのか…
「あたりまえじゃ。 こうして、なんでもふたりで乗り越えてきたんじゃ」

今日。「M社長」から電話があった。
『愚やん。 今、現場に当の社長が来た…』
『仕事。もう一度 請けてくれないか…』     大吉報である。

「Mさん。 敵はあなたを切って たった三月で値打ちが解かったとは」
「いかにも、日頃の社長の仕事への情熱が 相手に伝わった」と歓喜申す。

『愚やん。又、忙しくなるが… 以前のように宜しく頼むよ』に、
「何を言う。M社長のそばには いつも愚壮が控えてる」電光石火。言う。

『よっしゃ!』と叫んで 社長は電話を切った。  感謝は重ね様も無い。
まこと。これが題目の妙用じゃ。


扨(さて)。明日香が来たぞよ。 例の身長目盛り、 新しく書いた。
前回は5月20日   『17_』伸びておる。  スクスクじゃ。



2006/08/29(火) 05:45:06

貸付金額が50万円以下の少額の融資の場合。
金融上限金利枠を低額側に設定しない。
(総額が少額の融資の場合、高金利で経営しなければ金融業者が破綻する)

これが、今回。「自公与党」の基本スタンスである。
ボロを出したな『公明党』よ。
貴様。 庶民の為に死んで見せるとの見栄は、狂言かえ。

どこまでも、弱者を守れよ。 にせものめ。



2006/08/30(水) 05:42:39

北海道稚内市内の病院職員の女性が自宅で刺殺された。

殺人容疑で逮捕された長男(16歳:高校生)は、こう供述した。
「中学時代の友人に母親の殺害を依頼した」

母親の行動を室内で待ち伏せし、二人で凶行に及んだとか…
遂にここまで歪んだか…と、 暗澹となる。
博多の飲酒追突事故といい。 山口県周南市 高専生徒殺人といい。

こうまで明らかな「故意」の色濃き事件の連続。  歯止めは効くのか。

基本がかすんだ世相である。  

「真実モドキ」が多いのも、気になる世相じゃ。



2006/08/31(木) 05:51:03

アフリカ・チャド    ザクマ国立公園で百頭以上の象の密漁死体発見。

象の牙が総て抜かれているので 「象牙」目当ての悪質極まる密漁だ。とある。
もう随分と昔の話になるが、大量の象が至近距離で次々と銃殺される実写が放映された。

これは、所謂「間引き殺戮」で、『象』そのものの個体数の調整行為である。と言い。
「けっして、象牙の為の殺戮ではない」と強弁しての一般放映でも、場面凄惨で直視無残。

まったくの無関係にでもなく、欧米人が声高に言って憚らない文言を思う。
『肌の色の濃い人種ほど、その知能は低く、残虐である』 言い得ているのか…。

確かに子供の頃 以下の替え歌を みんな歌った。
(メロディーは ショジョ寺の狸囃し)
「♪進 進 進駐軍  進駐軍の兵隊さん   お鼻は高くて 目の色 あおい
  にっこり 笑うと  白い歯が 見える 」
「♪に に 日本軍  日本軍の兵隊さん   お鼻は低くて 目の色 くろい
  にっこり 笑うと  黄色い歯が 見える 」 

昭和23年頃の話である… 一体全体。誰が流行らしたのか。
「有色人種の無意識の卑下」を感じるのは愚壮ばかりの ヤッカミか。
…にしても。 
このへんからも、「象の大量殺戮」に 僅かじゃが接点が見えるんじゃ。



2006/09/01(金) 05:25:23

平成9年の今日、『明日香』が生まれた。
ワシと長男は、「西宮浜」の震災復興現場から豊中市民病院へ駆けつけた。
「強靭ママ」は、今こそ強靭であるが… なんと、その頃は感動で泣いておった。

蒸し暑い昼下がり。と。記憶する。両家の家族が急遽集合の待合室も「低冷房」じゃ。
新生『明日香』を、(いかに実父とはいえ)錆だらけの汚い太腕にソロリと抱く長男。
そんな『明日香』が 今日で9歳。   なんと言って祝おうぞ…

平成13年の今日。 甥の「千広」壮絶事故死。 享年16歳じゃった。
わしは「千広」よ。 今朝もお前の追善を申したが…   16は早すぎた。
生きておれば… 21歳。   旨い酒が飲めた筈じゃ。   合掌 愚壮唱題。



2006/09/02(土) 05:28:29

坐ると立てない。
立つと坐れない。

炎暑が漸く緩みだした昨日。 
「耐えて騙して使い続けた」ワシの身体が遂に破損。
両膝が 所謂「パンパン」  
これほど痛むと「ヤケクソじゃ」と肝(はら)が据わる。

困るのは勤行。   正座が出来ん。
それとなく置いてあった「丸椅子」の事を、長女が『お父さん、使ってね』と言い。
『無理はいけない』と わしのやせ我慢をヤンワリと諭した。

今日。 現場が二箇所重なった。   
膝は限界じゃが 行かねば話にならん。
と。今朝は四時からご本尊に祈った。
「どうか、この膝。 いま少し使用可と為し給え」

出発に時間は5時45分じゃが、  

   愛妻の弁当が  今。降りてきた。



2006/09/02(土) 05:32:17

ところで余談。
禁煙。 70日を超えたよ。
『信じられん…』と、皆言う。

優柔不断のワシを知る人には、この度の「断煙」 信じられまい。



2006/09/03(日) 07:21:32

先週の一週間、とは 有意義の8月の締めくくり。 最大の重要期間であった。

にもかかわらず。 ワシは遂に 殿軍にも追いつけぬ…と、落ち込んだ。
落ち込み度合いの顕著な証明。とは、
『御書学習会担当者衛星中継』の欠席であった。

「愚壮は御書を手放さない」とは、この際。厚顔の自讃で、手前味噌などたれも見ぬ。
が、尚。 ひつこく(執拗に)言うと『愚壮は御書を外れて、物を言わない』を目指している。

一週間の「強制労働」に、
わしは実は、疲労は極限。と疲れ果ててしまった。
『技・心・体』が総崩れだ…と、感じたのが、
たかが四・五日の「夏期休暇」の返上ならば…
愚壮も「ヤキ」がまわったらしい。

「ヤキ」が回った証左がある。    週の後半になって「ニセモノ愚壮」発覚。   

『M本部長』からの携帯への伝言が何度もあったぜよ…と。 
着信履歴は幾度も言う。
「たかが炎天の過労にも負けておる愚壮」は、正直。一度も返信せず。

昨、土曜日も「土曜日」なのに帰宅即入浴が わしには精一杯で すぐに死んだ。
この「帰宅即入浴即夕食即就寝」を、それでも必死にやらなければ、明日 身がもたぬ。

中学生の半ばから、現場で酷使して45年にはなるのかしらん。
ここにきて。  急速の肉体の劣化に直面している。とは、余談。

前述「M本部長」とは、去年の暮れの組織の大変革で誕生した「特大本部」の長。
同時にわが支部も、「タバコ屋ノブチャン」地区が他支部へと去り。
東側隣接の「巨大伝統地区」が わが支部に新編成されている。

『F東地区』が正式名称の新編成。  支部長「愚壮」の 『男度胸』試される。
以下(M本部長が年嵩の木偶愚壮を守るの図)。  次稿。



2006/09/04(月) 05:34:10

昨日。私の地区内の同志(ご婦人)の四十九日忌法要。

地域の会館では、女子部単独の教学二級の勉強会がある。
女子部とは、かく。真摯。
予約の「法話室」に 悲しみさえ未だ醒めぬ御親族 参集される…の中。
一際(ひときわ)の御高齢の正装喪服の御壮年… 常に、杖。離せず。

御年93歳。  
故人の父君との由、 「ああ、人生とは無常ならず…無作為ならず…」
93歳のお父様が 享年56歳の可愛い娘の法事を勤められる…
それも、毅然と…。

御親族総数。 15〜20名か…  
 残暑 殊の外厳しき中である。
導師は愚壮。 
左右の脇導師に「老兵は去らず地区部長」「槌っちゃん地区部長」
臨席者。壮婦本部長はじめ二十数名    
唱題は御焼香に伴う…と。延々であった。

この部屋に於いても「M本部長」は木偶の棒「愚壮」を守られておるが、ここは別談。

追善の回向は故人 確かに受け取った。との親族代表の御挨拶であられたが、
早逝悲観あり。

11月に向けての大きなうねりの中である。と。法事の悲嘆に沈めずに一歩進む。
午後三時。 愚壮宅において打ち合わせ。  「S婦・本部長」「N支部婦人部長」
解散18時であった。   両膝、石の如し。

今から出る。   今日の現場は 「阿倍野区:播磨町」残暑厳し。



2006/09/06(水) 09:24:23

慶祝!
秋篠宮紀子さま 男のお子様を御出産。
「部分前置胎盤」のため出血のアクシデントを予かじめ避け、帝王切開でのご出産。

体重2558グラム。  少し小柄じゃが大丈夫じゃ。
それよりも、男のお孫さんの誕生。  天皇陛下・美智子妃殿下。天舞う思いであられよう。
皇室にとっても、国家にとっても。 いやさ。この王子にとっても『大瑞相』

余談じゃが… ちょうど今から一ヶ月前、わしは妙な符合の書き込みをしておる。
(…と、騒ぐほどの事でもないが…)

>2006/08/06(日) 06:47:57

利発な子『ヒロ』は、平成11年の今日誕生した。 ヒロよ。おめでとう。
どうか、混ざらず逸(そ)れず 隆々と育ってください。

危うく途切れかけた「家名」を、ジィジが一応、形だけは繋ないだが…ヒロよ。
「なんとか 繁殖も可能だ…」と、人が言うほどに治癒させてのは…お前の親じゃ。

「夏の子は出来が悪い」とは『ヒロ』の、本来の使命を知らない一般の通説で。
お前の、その飛び切りの「仕様&性能」は桁が違う。

『但し…御信心によるべし…』は、この際。言いにくいがヒロよ。必須じゃ。

お前が生まれて今日で「2558日」じゃ。   』



な、別段、どうって事のない数字の符合じゃ…
「ヒロ」は王子ではない  ぎゃはははは。



2
006/09/11(月) 07:02:22

世界貿易センタービルが崩壊していく…

超高度の耐引張鋼鋲螺に緊結された超高層ビルが、
恰も大地に裂け落ちるが如く…
何度も繰り返し放映される地獄の画面に、
その度に尊き多くの人命が塵と散り消ゆのか。

胸をえぐる悲惨の日。  2001年 『9・11』

掛け値も無く目前に展開される実写の一部始終に言う
『こんな事があってよいものか』
混乱の救出現場に涙ぐみつつ男は叫ぶ『これはテロではない…戦争だ』

この時の、この男の国民支持率は七割を越え、
上院下院含めて報復の派兵に反対票は「壱」。
「ブッシュ大統領」の涙の宣戦布告は『彼』を悪魔とし『我』を正義と決め付けた。

あの日、 世界最強とされる『ペンタゴン アメリカ国防総省』にも自爆機が襲う。
「同時多発テロ」と言われる所以を 『同時多発』と表現し、「敵はテロ国家」とした。

はたして「敵」は「テロ国家」なのか…  無差別殺戮だから「悪」なのか?…
地球国家の共生は『夢の又 夢』で「叶うわけなど ある筈が無い」との殺戮か。

二つのビルの崩壊の場面に
「歓呼の声で 歓喜した」人が無数に居たならなんとする。
『イスラムは悪』との無謬の烙印を為す権利が  はたしてたれにあるのか。

65億人の一千万人では、創価の台頭以前に、人類は絶滅する。
「俺は良くて…悪いのは相手だ」を続ける愚か者が、今。地球に充満する。

「大石寺門徒」こそ宗教界の王者。と。ありもしない「血脈秘法」のヨタを言い。
震災の犠牲者を冒涜し、 列車事故の悲劇を「自宗の迫害の世相の罰」と強説し。
時間が余れば「飲み・耽る」事のみを思うのみ…  聖職が聞いてあきれるわい。

いやいや。上の3行なんぞは、愚にもつかん「屁」の如き実態じゃ。
本当に悲しむべきは、  抑圧された人種の「蝿」のたかった少女の涙じゃ。



2006/09/12(火) 15:47:03

> 以下(M本部長が年嵩の木偶愚壮を守るの図)。  次稿。  

一筆も進まず申し訳なく思っているが…
遺憾。 筆も脳もチクとも動かんので、 謝罪しかない。

『気・剣・体』ならずとも、気が張らなければ物事、成就せん。

「M本部長」は在任9ヶ月であるので、なにも、そう慌てての紹介も不要。が、
油断も隙も無いのが「学会人事」で、 早く書くに越した事はあるまい。

…との「呼び水」にも、私の脳みそは活性を失ったままじゃ。

ところで、件(くだん)の本部長は隣の自治会の副会長である。
この時期は地元。 敬老祝賀会。校区体育祭があり、
うちでは地区総会。教学二級。
顔を合わすたび「忙しい」が常套句。  
九区補選はこの際「隠語」じゃが、これもある。

そんな中でも、関西は特筆項目があるが。 皆知っているので書くこともないが。
『各々馬は飼いたるや』
(出陣の軍馬に 飼葉はしっかり与えたか)との思いは不変と察す。

「種々御振舞御書」の『竜の口』の大聖哲の姿を『師』に拝し重ねて、尚。そう思う。

ともあれ。  激動の緞帳は今再び キリリと親綱を啼かせて開こうとしている。
それこそが、真実の「9・11〜9・12」の読み方、と。たれが感じているのか。


「ブッシュ大統領」は『G・Z』にこう言った。
『あの日から 世界の敵「テロ国家」と戦い続けているが… 孫の代までも闘う』

アルカイーダの指導者も又。 同じ日のメディァにこう言う。
『中東の石油は 断じて(アメリカ側諸国に)使わせない』これが 本音であろう。

ともあれ。である。
『憎悪の連環』の犠牲者の筆頭は かわいい子供達なんだ。と言おう。

乾熱の砂嵐の難民キャンプの僅かな日影に、目ヤニに集(たか)る 蝿さえ追えず。
極度の空腹に笑顔さえ忘れて短い一生を終える子供達の、声なき声が聞こえぬか。
と言おうよ。



2006/09/13(水) 05:48:51

御命名『悠仁(ひさひと)』さま。   御印『高野槇』

41年男児不現の空白に、国会議員の雑魚共は『皇室典範』云々と騒いだ。
皇族血縁の顔写真に『皇位継承』の連番などを貼り付けて「盗人を抑えて網を紡いだ」

『悠仁』さまのご誕生は正に一発鎮静剤。  見事な御出生であられた。
この『悠仁親王』の粋な登場に、 わしはなぜか。ウキウキとしておる。
余命の たかがしれた愚壮でも、 この『悠仁親王』には大瑞相を感じる。

御印「高野槇」は、はたして御両親が定められたのか、選ばれたものか。
格調崇高。  まこと。お見事なご夫婦・ご両親ではある。

どうか、この子たちの世代に、とは。
愛子様も目ヤニに蝿の東アフリカの少女達も含むが…
『憎悪の重ね着』の如き「世界大戦」が起きませぬよう  祈ります。



2006/09/14(木) 05:34:42

大手消費者金融が債務者に生命保険を掛ける。
弱者であり続ける債務者は、完済の暁にも、
その、膨大な「金利」からは逃げれず…
やむなく 『自暴自棄』の自己破産か、
『苦し紛れの』自死が中途逃亡の唯一の隘路。

「債務返済が滞っている」とは、
金融業者にとっては瑞相で『生死を確かめよう』とウキウキする
債務者が自殺でも一家心中でもよろしい。 
「死んでいてくれ 生保が入る…ルンルン」

これまで、巨額の融資を申し込んでは キッチリと御返済を履行してくださる。
正に、金融会社は神様です。と。
大手生命保険会社は大した調査もなく保険金を支払う。

この際。大損は 庶民の消費者だけで、保険会社も金融会社も『ホクホク』じゃ。
人の「生き血」と「涙」と「怨念」のこもった札束。 ドンドン貯まるわい。

「この金で政治献金しよ〜う」っと、そうすれば政権与党は ○岡○治先生を筆頭に
我々金融会社を守ってくれるぜよ。

これが世界一立派な民主国家『日本』の真のすがたじゃよ。どうだい。うれしいね。



2006/09/15(金) 17:07:42

オウム・松本被告、死刑が確定
 地下鉄・松本両サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害など13事件で殺人罪などに問われ、1審で死刑判決を受けたオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告(51)について、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は15日、控訴趣意書の未提出を理由に控訴を棄却した東京高裁決定を支持、弁護側の特別抗告を棄却する決定をした。(読売新聞)

第一番に申すとすれば遅すぎる。   
殺されまでせずとも この男によって「人生の暗部」を歩かされた人は 闇から闇。
計れまい。
こいつの「生き血」を有り難く飲まされた人間も居るなんて、 想像も想定も不可能じゃ。

『サリン』を撒く行為そのものが
『民衆の救済』と言える悩乱の出所なぞ、どだい。狂気の極み。
これに、最高学府の俊逸が多く心身で傾倒し 堕獄の頂点を体感した。

「カラシニコフ」とはロシアの自動小銃で、
これを量産する工場などが一斉捜査されたが。
普通の脳味噌では、たれも ここまでは思いが至るまい。 
いかにも『狂人』紙一重である。

この上は  一刻も早く『執行』の朗報を聞きたいものである。が。
法廷で一切事実を語る事が無いままの、今回の『死刑確定』
釈然とせぬ多くの被害者の遺族の人々の無念さは 私如きは、「軽き人」。言葉が無い。

法治国家に次下の文言の叱責は逃げぬぞ。
『山口親子強姦殺人犯』等、その他数件。 耳を覆うが如き「鬼気鬼畜」の犯人に
一体何故。 弁護人が必要なのか…         

いや。 言いすぎた。言い過ぎたよ。と。言いたくない。



2006/09/16(土) 07:06:27

松本智津夫被告(51)には、多くの秀才部下が居た。

これらの部下の特性を鑑みて 見事な適材適所を演出した。
旧「上九一色村」にサリンプラントを粗、完成させた時点が この死刑囚の絶頂期だった。

この時期。彼が仕掛けた特大の作戦の『前哨常套手段』に 以下がある。
曰く『私たちの教団を毒ガスで襲撃する団体がある 「S教団」がそれだ』

これを「上祐」がTVで放言した瞬間の事は、いまもって覚えておる。
その時、同じ画面に出演していた政治家「故:新井氏」の絶句も、又、忘れられん。

『池田先生暗殺計画』とは 書くことさえ躊躇する文言であるが、
彼(松本)は事実。計画す。

「殺人」を「ポア」と人を食い。「ハルマゲドン」と煽り。
幼子の助命を懇願する一家を殺す。
自己の肥満の「ステーキ」を盗食しつつ。  
一流大学出の才媛に本来を現じる姦通に及ぶ。


あの冬枯れのサティアンの隠し部屋で、
札束と自己の失禁の悪臭にまみれて捕獲された日こそ
彼の一生涯で 最も彼に相応しい姿であった。  

13事件。死亡者27人。  一刻も早き「死刑執行」を 熱望する。



2006/09/16(土) 07:25:00

ここで国に課せられた 超重大な課題が浮上する。

河野義行氏の一言一言を 為政者共よ 聞いておるのか。
『松本が死刑になろうがなるまいが 私たち遺族には 変化は無い』
『むしろ』と続けられる。
(趣意)『無差別テロ事件のサリン後遺症の治療費にも 国の援助は無い』

選挙のときだけ 庶民庶民と垂れくさって。 悲嘆の実害者には「ソッポ」
今年。来年。  貴様等政治家の『猿芝居』が 巷間を騒々するが、其の前に。

この「死刑確定」を機に、 一度正直。庶民の生の声を 聞く気は無いかえ?
のう、御偉い先生様よ。              愚壮拝。



2006/09/18(月) 06:32:48

わが支部には猛者の四地区がある。
その四種の個性の精鋭集団が、通称『チロリン村』と揶揄された地域に展開している。

支部長(愚壮)がそうであるからなのか…と。
地区部長の強烈な個性は「凄味」さえ有る。
強烈の個性の地区部長の背後には、例外なく『山姥』の如き地区婦人部長が居て、
これらが又。例外なく「支部」「圏」「県」「総県」の婦人部長と直結されておる…
つまり。 解かりやすく言えば『男を屁とも思わぬ婦人で布陣されておる』組織じゃ。

そんな「鼎」のような地域での地区総会は、
今年もまた賑わって昨日で全地区が完了した。
が。地域の敬老会の開催との兼ね合いなどで、
17日の日曜日に『地区総会』は集中して難渋。

新任「圏長」。「M本部長」。各副圏長。  
これらが、狭くて迷路。の我が支部を 
汗をカキかき 走り回って(これも)難渋しておった。
『チロリン村』とは、 いかにも蔑視であって、
一体たれが言い出したのか、ピタリ。そのままじゃ。

曰く。そんなわが支部とは。 

何度も書くが  『お若いお母さんがくわえ煙草で幼児を連れて 夜中に闊歩し』

プロのタクシードライバーが
『お客さん。町の中への進入は かんにんしてえなあ』と泣きを入れ。

道の真ん中を歩く女の子へのクラクションに
『じゃかましいわい! 轢いてみんかい』と凄む街。

連休の今朝。(長男は現場に出て行ったが) 
さすがの『チロリン村』もまだ、静かである。

昨夕、全地区部長・地区婦人部長は愚壮宅に集結した。 疲労一片見当たらず。
地区総会が終った当夜。 次の闘いの展開を確認する。
「N支部婦人部長」は言う。 『さあ! 一千万』

我が愛する『チロリン村』は、 色々言うが目標は見逃さず。
愚壮は思う。  この時点で我、正真正銘「長」であるならば 上等。見とらんかい。

戦士は『桜梅桃李』と陣を立つ。   「秋風」を感じつつ…。



2006/09/26(火) 17:04:51

> 2004/11/21(日) 08:32

無垢の少女を殺戮の後。御遺体を陵辱し 御遺影を慟哭悲嘆の「母」に押し付ける。
世相は遂に 堕落し尽くしている。 
そういえば・・ 焦点揺らぎつつの険しき視線の若者の多きに わたしは嘆く。

>2004/11/25(木) 12:28

この獣は なにを想像して「愛(いと)いけない少女」の御遺体から 歯を抜くのか。
金輪際 絶対に許すことの無い「鬼畜の所業」である。 
胸と喉が痛くて 言葉が出ないのです。

御遺体に更に傷を為す。   怒りで震えを止める事が出来ないのです。

穏やかな田園風景が今も残る「富雄」 
生駒山地を西方にゆったりとした風情の地です。
どう想像しても、信じられない事件です。 』

この忌まわしき被告『小林 薫』に死刑判決。
法廷に居た報道記者は言う。 
裁判長が判決文を後回しにした瞬間。顔色を変えた。

「有山 楓」ちゃんはあの日。 生き地獄を何度も何度も繰り返された。と言う。

こんな男にも、「死刑反対」と叫ぶ輩が居るとは…  話にも何にもならん。
身近な『明日香』に 重ねてみると…。 震えが止まらぬ。

絶対に死刑。     これ以外何がある。



2006/09/27(水) 09:37:06

昨年12月。新編成の我が本部の初代本部長は「M氏」であった。
私よりも幾歳お若いのか、は。 この際余談だが…  
氏は武士(もののふ)であった。
「あった」?  左様。 過去形じゃ…と。 
この25日。第二代「H本部長」着任。

が。話は「M前 本部長」
氏の職業は 触れるので秘密じゃが。 風貌はいかにも剛(こわ)く、端正である。
その氏の仏間は 威厳も風格も正に王者の感 充満している。

関西風の広い和室の欄間に色紙がある。
『抜刀!』との大書は、まこと。墨痕も鮮やかで 其の筆端は空間に躍動するが如し。

朱印を携えて 筆者の署名が これも踊っている。  筆者。参謀室長。
我。只   感嘆し息を呑みつつ 拝すのみ。

師、若かりし頃。  「抜刀」の対手は官憲か法曹か。  書の期日は 50年を戻る。



2006/09/28(木) 08:50:42

>「M本部長」は在任9ヶ月であるので、なにも、そう慌てての紹介も不要。

 が、油断も隙も無いのが「学会人事」で、 早く書くに越した事はあるまい。

上記投稿が9月12日。
油断も隙も無いのが「学会人事」で、とは   この際。当たった。
新任本部長『H氏』とは  御自身毎年。弘教を実践されてこられている。
我が本部。 五支部 16地区 50ブロック 約1000世帯。
この本部の「将」として、氏。些(いささ)かの遜色なし。

さて。 あの「働き虫」の長男が 今日。仕事を休んだ。
聞けば… 「強靭ママ」も当然 仕事を休んでおる。

9時から「小便たれ ノブ」の保育園の運動会がある…と、皆 休む。
わしも、今から ソソクサ。  参加をする。
ゆうべ「ノブ」がワシに釘を刺した。 『ジイジ あした。僕の運動会。来てや』


こんな平和な風景を見るたびに…理不尽の鬼畜の所業に、再び怒気湧き上がる。



2006/10/02(月) 06:52:59

これは昨日。
校区体育祭に、相変わらずの愚壮は「弁当係」「審判係」二役奮闘するも降雨中止。
が。  『明日香』や『ヒロ』の懸命の演技やリレーは午前中の曇天に実施され、
大声で応援した。

本降りになったのは昼食直前で 殆どの生徒と父兄は体育館にて弁当を広げた。
ワシも長男家族5人の輪に妻と加わり 体育館、舞台のすぐ前で食う。

孫三人は、この屋内の食事を喜んでいる…が。 わしは長男に言う。
「この町は長年、幸い。災害などには縁が無いが。不幸にして被災地になれば…」と。
目の前の 満杯の屋内の食事風景を指差した。 

一丁、事あれば。 同じ地域の住民は「老若」の分別なく被災する。
楽しい体育祭の降雨の避難昼食に、つまらん冷や水を注(さ)すのは良くはない。
が。『罹災』の現場を説明するには 格好の情景じゃ。と。 指を差す。

「阪神大震災」「中越地震」では、これの何倍の「被災者のごった煮の悲惨」があった。
配食の分量の微差で、自称中流の人達が本気で諍いを起こすであろう悲劇の舞台の体育館は、
今は運動会の余韻か、弾ける笑顔と騒然の会話が満ちていた、既に運動場水溜りあり。

六町会の生徒と父兄が 雨中の校門から四散し家路に向かうとき 雨脚、更に増す。
『雨で流れたプログラムは 8日の9時から再開する』旨を確認し、帰宅す。

「全身が濡れて、すっかり冷え込んだわい」と風呂から上がると妻が言う。
『ビール 飲んだら あかんよ… 「平和への大道展」に行くんよ』
と。京阪守口駅「京阪デパート8階」に 長女と「未来の夫君」と四人で向かった。

会場満杯「池田先生の軌跡は大道や!」
「巨人過ぎて 秤が無い」との声。左右に聞く。



2006/10/02(月) 10:01:24

> この時。昭和47年10月1日 白亜の殿堂は世紀の勇姿を湧現する。
  屹立の富士をも圧倒する威容に、数千の参列は息を呑むと伝う。
 

秀峰富士の雄大さは、たれしもが、それを知る。
その秀麗の霊峰に重ね合わせる時の白亜の殿堂の姿こそ『極美の極』であった。(加筆) 
(中略)
殿堂の跡地に今。ぶざまに在るは、安普請の「掘っ立て小屋」のみである。 
訪れるは「福運尽きし隷属の徒」と「カラス」のみであろう。   】

来年の10月1日は、この『白亜の殿堂』湧出から35星霜を重ねる事となる。
『数字合わせ』『語呂合わせ』を翫(もてあそ)ぶ心算は無いんじゃが…

五と七の乗数とは、普通。  意義も本義も顕現する時期でもある。
極、たまさか ワシの言い回しが先行符合の時事があるのは昔からじゃが…

この「35周」の時限の刻みは、『正誤』が更に際立つ時節となる。

『阿練若』の時代錯誤に酔い給う「御宗門」は、この間に近代化され、「ソープランド」に熟達す。
毎年そうじゃが。  この10月は 思う事。いと多し。



2006/10/02(月) 10:50:46

これは今。
中断中止の体育祭。 残した後半の打ち合わせに自治会長を訪ねた。

「今年、反省点は」 有るか無いか。と、話す。
子供39食。大人65食。  これが町会で用意した弁当であったが、この弁当。
降雨中止で 貢献度は半減したことになっておる。

話が一段落で、会長が言う
『愚壮さん。貴方に礼を言う』「いや。わしゃ 礼を言われる事はしておらん」

『いや。実は 京阪デパートの池田先生の大道展。貴方の奥さんから招待された』
『先日の28日。 行って感動した』と言う。

この会長。 
もう何十年も前から地域で一番の「学会理解者」として諸事、お世話になる。
学会員の占有率が全住民の17%を越える地域柄があるやもしれぬ。
が。「この会長への感謝は深く思う」と、広言はばからぬ次第である。

人の口は難しく。 会長の人気度は必ずしも「満点」ではないが、わしは会長を支える。
「愚壮は自治会長になりたい」と、 大外れの予測の馬鹿者が居る。

そんな「底抜け」にも平等に、自治会活動は展開されていく。
ま。 やりにくいのも 確かじゃ。



2006/10/02(月) 11:09:40

そんな今日。「明日香」と「ヒロ」来宅(「ノブ」は保育園)
『運動会 応援有難と〜』と声を揃えて言うのは、「強靭ママ」の指導じゃ。

ワシの女房の偉大なところは、この御発言じゃ
曰く『 明日香とヒロを先生の大道展に連れて行く』

『多くの、真実の歴史的写真を見せて 先生の本当の振舞をこの子等に見せる』と、
先刻。 女房は二人の孫と「大道展」へ向かった。

思えば。昭和31年から『半世紀』の今。を迎えている。
『大道展』が示している巨星の軌跡を、実際にたれにこそ見せるべきか。

刻々と時は刻む。  50年前の先生は 幾歳であられたのか。
深く 我が細胞の内側で  人知れず想う時でもあろう。
      
「大道展」を拝観しつつ。孫を愛(いつく)しむ妻を思いつつ…



2006/10/03(火) 09:30:39

昭和57年の今日 師匠『K親方』夭折 享年40歳。
生きておられれば、今。 壮年真っ盛りの64歳である。

私は今朝、深く深く追悼の祈りを捧げた。
私の心の中で、 40歳のままの師匠が言う
『明ちゃん。 お前も随分頑張った。 あまり無理をするな』

訃報に触れた日。 ワシの父親は腰を抜かし ワシは生きる望みを一瞬絶たれた。

かりそめにも(もったいないが)信心にも 仕事にも 生活にも頑張ったのは…
14・5歳の悪たれを一人前にしてくれた『親方』に見て欲しかったから、かもしれん。

それが消えては。 「生きる価値は無い」と、正直 落ち込んだ。

不思議なもんで、この翌年。 わしは「男子部副大B長」として立つ。(遅咲きじゃ…)
逆説。親方御健在なら、わしは   まだ暫らくは 仕事のみに走ったかもしれん。

いや。とにかく。今日は、そんな風に『K親方』の思い出に浸っているんじゃよ。



2006/10/09(月) 04:52:01

10月1日の昼前からの降雨で、体育祭は後半のプログラムを残して中止となっていた。

8日の日曜日。 校庭に放置の各町会の天幕は 早朝の朝日の輝いている。
9時からの開会に備えて各自治会の役員達が校庭に集うには まだチト早い7時。校門くぐる。

それでも 本部担当の役員は校庭のアチコチに参集されており、頭上を朝日が斜射燦々と照る。

学会員占有率17%超。とは、つい最近の「風景」の投稿で触れた我が街の「為体(ていたらく)」
この日の早朝の校庭にも、「M副圏長」「T支部長」をはじめ。役員の半数に「うちのひと」あり。

開式の直後の「女児応援ダンス」は競技種目で、 もう、随分と少女達は練習に明け暮れた。
ポンポンと可愛いコスチュームに着飾った「小1〜小6」の少女の輝き。晴天に尚 映える。

愛孫「明日香」や 「T部長(男)」の長女ちゃん。
富士宮特区から我が地域に定住の「Sさん」の長女ちゃん。等など…。

つい最近まで、赤ん坊の筈の「おしゃまちゃん」達が 懸命に跳ね、笑顔溌剌と踊る。
少女の群の 『明日香』の完璧なリズム感に、本部テントの愚壮は涙が止まらんわい。

自治会内での御不幸と重なってしまった。と。
自治会長は朝から葬送の行事。と、
不在の責を愚壮が汚しつつも「天高く」大晴天に浴す。

『お楽しみ抽選会』は、これを先にやると「皆が帰ってしまう」と、
閉会式の最後に挙行す。
六町会の自治会長が「最初の最後に唯一注目される」と 
わしは緊張して「くじ」を引いた。

住民の全体が「白けた人達」の集合体。が、我が地域性であるのに。
校庭を埋めた児童と父兄と観衆と役員と教員の視線は「くじ引きの自治会長」を見る。

総てのプログラムが終り自宅のマイクロバスを校庭に乗り入れ「町会天幕」を積む時。
校区の人々の群は 三々五々と家路に四散する。

地域町会の任務は、これ総て「ボランティア」で、私に場合。 四半世紀を越えた。
ここにきて、長男が「父兄」に加わり、孫達にはこの街が「故郷」になっている。

『浮き草の流れ藻』の愚壮一家を、
この街は「34年目」にして、街の役員と認可するのか。
人知れず…と。 さすらい流浪の愚壮の根底に「信仰」在り。

『孫には故郷』と、この町が輝くのなら、「ワシもまた『この街』に貢献しゆこう」
こう思って見上げた秋空は「一点の曇り」もなく 更に高々と晴れ渡っていた。

森閑の早朝の今も、 校庭の歓声が耳朶を暖める。  
わしは思う。 『この町に 流れ着いて。俺は幸せだった…』   …こう思う。



2006/10/13(金) 16:18:09

シャブ。
『骨までしゃぶるが如く中毒症状が深部を抉(えぐ)る』ので、別名こう言う。

覚醒剤が薬局で買えた時代は、疲労回復の特効薬として、
その「衝撃の薬効」は重宝された。
が。その強烈の幻覚と 重度の被害妄想と 比類なき快楽感は。
完璧に『人』を廃人と成す。

義弟「しょうちゃん」の女房は 愚壮の妹で、
これは何度も「忘れ得ぬ風景」で紹介した。
その生い立ちの初期の、たった13・4歳で
女伊達等に極彩の刺青を入れた筋者である。

この『筋者の女』が、一瞬で蒼白になって 震える時が在る。   
とは。「しょうちゃん」常時服用の『シャブ』の効き目が「ストン」と切れる時である。
この、彼の禁断症状は、  壮絶で筆記を躊躇(ためら)うほどであった。

が。近い雰囲気で表現するなれば 『牛裂きの刑』の不殺生版であろう…。
いやはや。  これを書いていても「吐き気」を催す。    扨。この覚醒剤。


「北のシャブは 純度が高い」とは、 
梱包の『高純度品質保証』を見ても質は高い。
この「北」とは、「北朝鮮」を意味するが、覚醒剤。
偽札。 航空機爆破。 が有名じゃ。

近隣の国家に 夜陰に潜入し。 
学生さんや 普通に生活をしている人を連れ去る事も有る。
この『連れ去り行為』を 難しい言葉では『拉致』と言うが、
この言葉。今や子供でも知る。

おまけに、この「拉致」。 
話が縺れると、『当人は 死にました』と、他人の骨を出す。
10人や20人ではなさそうな『拉致被害者』は今。 冬枯れの北で何を思うのか。

1930年代のレベルで、自国民を飢餓に追い落としても、
『将軍様』は素知らぬ御顔。
だけではない。と。核兵器などを造ったり売ったり。 
地球に顰蹙を撒き散らかしている。

燃料タンクに穴のあいた「ミサイル」が日本海に墜落して落胆すればこそ…と。
とうとう 遂に。 禁断の「核兵器」が完成し、核爆発実験が行われた。

在日朝鮮人が『なんということをやらかしてくれたのか』と、嘆く前に。
この国が、 普通の「倫理」「常識」「節度」「襟度」「礼節」「報恩」「感謝」など皆無。
とは。 よっぽど心配事のある人でも 『異論無し』と異口同音となす。

こんな国家に「核兵器」とは、   『秤や定規』等 論外中の論外である。

「一握りの国家権力者」の繁栄のために、
国民を餓死や幽閉や獄門に拘束する。

「一握りの国家権力者」の繁栄のために、
高品質の「覚醒剤」を国を挙げて製造、密輸する。

生半可な「世迷い言」が、 微悪を極悪に繁殖させる事くらい、何時 気が付く。
…と言っても。 「慈悲」で固めた仏教崇拝者には 通じまい。

『水か火か…』を言うのではない。   
今。チェルノブイリで一体何が起きているのか…を、「目に見える教訓」としつつ。
「核の拡散」には、不退転の決意で「必死」の対抗手段を打たねばならぬ。

『一刻の猶予も、これを許さじ』との危機的状況である。  悠長は「寝言」じゃ。



2006/10/14(土) 08:25:28

ああ訃報。
愚壮の人生に「是非」「善悪」の両極端の影響を示した人物が昨日急逝。

今しがた。である。
『M社長』から電話が入る…「おう、愚やん。わしや…  大事な事や…」
「○○組の社長。昨日 死によったらしいで」と、M社長の声は句雲っている。

『そうか。死んだか…』とは、自然に出たわしの言葉である。
『あの男が 死ぬのか…』が、本当は言いたかった言葉である。

父親をも含めて、アレのために泣かされた人間は幾人と居る。
「M社長」が業務上横領の冤罪で追い込まれた時にも、アイツが糸を引いた。
『一つの時代が終ったのう…』に「俺もそれを言いたかった」とは、M社長。

「これで エエ(良い)事が起きそうや」とは、二人の言葉が見事。重なった。
それにしても… 死んでも他人を喜ばせる。とは、粋な男じゃ。

昭和53年10月13日に 享年73で旅の空に他界した「祖父」がいたが、
「祖父」は言う。    『アイツほどの悪党は長生きするんじゃ』

が。実不実。  28年後の昨日。病死。
風聞…「孫すら臨終に来ず」とは「M社長」の 少し明るい声であった。

人間。死に際が大事じゃ。と。奴は知りはせん。  いや。それどころか。
『まず、臨終が総ての決済である。 

  それを学び それに生きよ』を知る由もあるまい。



2006/10/14(土) 14:17:16

【対:北朝鮮国連制裁決議】
どうも「露国」の足並みが揃わない。との事。

ふ〜ん。 これは又…。
御自国の「チェルノブイリ」が、たぶん。重大で。
『地球民族感』どころではないんじゃろうよ。

ところで…と。
先日のさ。例の「北方領土:貝殻島」付近の『カニかご漁船』の銃撃事件じゃが。
船長が「無念断腸」の手記を出されておる。

『酔った国境警備隊員は 後頭部を照準射撃した』と言う。
臨検にしろ、停船命令にしろ、 こう言う場合。直接照準は国際的御法度である。

ましてや。後頭部へ銃口を向けるなど、絶対に考えられない設定である。
どころではない。
『シア(引き金)』に指を掛ける事さえ、絶対にしてはいけない常識である。
『人差し指は、最後の最後まで、引き金に掛けてはならない』が 鉄則である。

北方の漁場の現場では 日本漁船など『射的の的人形』でしかないとでも言うのか。
「母親思いの青年が 一人殺された」と。 泣き寝入りする問題ではないぞ。

日本人が、こうも「不正:不条理:不埒」に無関心 無感情で一体 どうする気じゃ。

話が全く脱線すると思われる向きもあろうが  同時に言いたき愚痴が有る。
記憶は定かではなく恐縮するが。
小樽かどこかの北の街で「コーラン」の一部を破り捨てた無礼の極みの「輩」がいたが。

絶対にやってはいけない事を「白々」とやってのけ。
言うべき時に 沈黙する。

  『獅子王』は、一体 どこに行きやがったんじゃい。と、愚痴る。



2006/10/17(火) 18:24:24
>新任本部長『H氏』とは  御自身毎年。弘教を実践されてこられている。
 我が本部。 五支部 16地区 50ブロック 約1000世帯。
 この本部の「将」として、氏。些(いささ)かの遜色なし。 】


総県でも県でも圏でも 恐らくは1・2を争う巨大本部の初の四者地区部長会。
この会合前夜 当の「H本部長」が来訪される。   
『各部本責の補強である』との用件は、『愚壮は教宣本責をやれ』との由であった。

「宣候」との一発快諾で予想を外したのか、
本部長は『た、頼みます…』と、トチっていた。
【教宣部本部責任者:愚壮】  
願ってもない大役。適役。と即答の「宣候(ようそろ)」であった。

昨夜の四者地区部長会で【本責愚壮】を「H本部長」は、こう紹介する。
『悪者退治は愚壮に限る』     持ち上げられて、わしは心底 よろこんださ。

いままで、いろんな「本責」を汚してきて  非常に恐縮しておるが…
じつは、この「教宣本責」は、二度目の起用となっている。
いや。なにも、前回ドジを踏んでのこの二回目ではない…は。この際 釈明。

二度目の決意は 他でもない。
実は先月。あの骨抜き法主。サインペン文字法主「日如」が 来阪しおった。
用件は、あの稀代の忘恩悪僧の「K寺」の住職夫人の葬儀の導師の為じゃった。

この「K寺」の住職は かの悪名高き『一万円塔婆』の発明者で、
欲の深さなど 超一級品。 だけではない。 おまけにズバ抜けてのスケベである。

それでもご近所の住人達は、場合が場合、と。弔問された。 ところがじゃ!
寺側は この善意の弔問客を事もあろうに、追い返した。

追い返された人が 自治会長夫人であったとは… 脳味噌の中身は「糞」なのか?
ところがドッコイ。 この自称、日蓮正宗の寺院の暴挙はまだ続く。

貴篤な地元自治会長は、奥様が受けた無礼を堪忍されたのか、再度の弔問をする。
自治会長に寺は言う『うちは 自治会員でもなんでもないので 帰ってください』
これが 日顕一派の正体じゃ。  どうじゃ。人間ではあるまい…。

告別式の当日。 赤い大きな番傘を仰々しくかざして「腐れ法主:日如」登場。
近隣の住人は みんな笑ってこう言った「葬式に赤い傘とはなあ〜」

これが先月の15・16日じゃ。  
わしが再び「教宣」をやる。との伏線は、地元の地域さえ見下す宗門への憤慨じゃ。
『阿練若』の禿人など。所詮  女郎買い狂いの「カメムシ集団」
看過見過ごす道理なし。     ま。こう言う理由での「本責」じゃ。



2006/10/18(水) 06:04:13

千葉・松戸在住の「亨君」から待ちに待った電話があったのが昨日の昼過ぎで、
待っていた内容は「おかあさん。泉。今、陣痛が始まりました」

電話とった女房が『お父さ〜ん  泉ちゃん。生まれるよ〜』と叫んで事務所に駆け込んだ
「あわてるな。 泉が産むんじゃ…」と、わしはデスクを離れた。

昭和51年9月17日。第三子として私たちに授かった次女を『泉』と名付く。
この子が我が家に福運を運んできた…と。
泉の誕生は、同時に我が家の経済革命をも成す。

『ちょうど、あれから30年。 どうぞ無事故で 安産で 健康で…』と祈った。
「亨君」の電話を受けたわし等は。直行、仏間に飛び込んでいるのであった。

我が地区の座談会が、同じ仏間で。溢れんばかりの大盛況であった。
未来部だけでも10人を越える「座談会」に、大吉報が飛び込んだ。
『産まれました 女児です。  2965kg。 母子とも健康』

ワシにとっての『宇宙で一番の財宝』が四人になったぞよ。
吉報は長男家族を真っ先に 親族中を駆け巡る。

わしなんぞはあなた。新任の圏長にまで電話を入れておる… 笑うぜよ。



2006/10/24(火) 07:03:42

ワシの携帯の待ち受け画面に 四番目の孫が居る。
生まれて2・3日目の赤ん坊の写真ほど味も素っ気もないものはない。
赤ちゃんの本来の可憐さは、チョコンと坐りだす頃から本領を発揮する。

が。生まれた直後の写メールを貼り付けて しょっちゅう眺めては「我、悦に入る」
横から覗いた悪友は言う『お〜おォ 見てはおれんわい』『デレデレじゃ』

「ウルサイわい」と嬉しく無視をするが…  悪友はわしの本意を知っておる。とは。
『帆菜ちゃんヨ わしがジィジじゃ お前の花嫁姿を 見れれば所願成就じゃ』

25歳でこの子が嫁に行けば、わしは「86か…」と溜め息となる。
「明日香」なら 少々の希望もあるかもわからん…とかなんとか思いつつの昨今である。

そんな老いぼれ愚壮が この19〜22日は『阿修羅』と補選に闘った。
地域住民に対して「17%」の学会員さんが居住し「石を投げたら学会員に当る」町。

『何で学会員が自民党の応援するんや』と吐く輩も本気になった終盤であった。
日曜日の20時半に愚壮宅は揺れ動いた。 その30分後「当確」
『50年前、誰が何をした』が、今回の関西の「暗黙の合言葉」でもあった。

時代は今。大きな衝撃音と共に 大きな犠牲と共に 大きな横揺れと共に。動く。
「大阪日日新聞」に 某一流大学の教授が『名誉教授称号200超』を公然賞賛す。

曰く『もはや世間は、この巨大な組織の創価学会の存在を無視出来ない』(趣意)
さらに言う『私が尊敬して止まない最高学府の名誉称号など、一つ戴くのさえ至難』

斜視国家では(元々日本は そうでは)無い筈じゃ 
『賢民』の正論を 左利きの愚論が覆い隠すようでは「末世」であろう。

学会破門の愚挙の宗門の末路が 実不実。 克明に語っておる。
官憲とて「邪(よこしま)」を押し通すと 「50年後」に副作用が「不拭」と出る。

いやはや。『孫』の話が 変な所へ来ておるわい… 置筆としようかい。



2006/10/24(火) 07:39:13

これは昨夜。
19時30分からの「圏地区部長会」は『補選勝利』に(サラリと)沸く。
と、いっても… 「いつまでもいつまでも」ダラダラと喜んでは居ないので『サラリ』

この会合。わが支部の可憐な「女子部地区リ」が 晴れて「部長」に任命。
ワシの長女との年齢差など不問。と、 いつも二人で闘った健気であった。  祝着。

わしもその場で『儀典長』の認定書を拝受申す。(ここまでが、守口平和講堂)

ここから「老兵は去らず地区部長」を助手席に「門文」へ直行する。
『教宣唱題会』に参加をする。と。21時を回った『老壮年』ふたりであった。

既に「唱題会」は佳境で、広間の中央より後方に座しての参加であった。
後姿の多くの壮婦の同志に、 最後は直結の弟子が勝つ。を直感す。

22時の帰宅は、日課の就寝時間を突き抜けてしまったが 疲労は存外と少なかった。



2006/10/24(火) 09:45:38

>愚壮の人生に「是非」「善悪」の両極端の影響を示した人物が昨日急逝。
 「○○組の社長。昨日 死によったらしいで」と、M社長の声は句雲っている。
 『そうか。死んだか…』とは、自然に出たわしの言葉である。
 『あの男が 死ぬのか…』が、本当は言いたかった言葉である。


今。故人の実弟から電話が入った。
弟「K」は言う。  『愚やん。 会社。倒産した』
「おい、待てよ。 息子が社長を継いでおるんじゃろうが」
『いや、あいつも 父親の死んだ日 血を吐いて入院した』

わしの絶句は、凄惨の決着に在る。
「仏法は勝負」との御金言が ありありと浮かんでくる。

受話器に凍る愚壮の沈黙に 弟は続けた
『兄貴には驚いた。 人間。あんなに真っ黒になって死ぬのか…』
わしの絶句は続いている。  が。 やっと言う。
『Kちゃんよ、そう、気を落とすな… 俺に出来る事は言ってくれ』
「おおきに(ありがとう)」と言う弟であった。

『飛ぶ鳥を落とすほどに のし上がった』と自語した「M組社長」
御自分一代で築いた「蔵の財」は 御自分の「死」で負債を残して閉幕す。

逝去の報から 今日でまだ、12日しか経てはいない…。
無慚。  である。             合掌。



2006/11/07(火) 18:13:33

昭和57年10月3日  大恩ある『K親方』が憤死をされたが…
その24年後の 同じ月の本年13日 『M組社長』が死んだ。

両者の「死」と、わしの親父の「死」は、順序も仁義も情緒も 有ったもんではない。
何時までもお元気で生きていてほしい人が『横死』の負い目を背負うなんざ、不条理で。

人の生き血を吸するが如き悪人が やっと、今頃死ぬのも『不条理』極まる。
とは、この際「M社長」を指すのでもなんでもないが… 目に余る世相の狂いには愚痴も出る。

『いじめられたので…』と自死の道を選んだ少年を更に攻め立てる世論すら感じる世相。
「本校には いじめは存在しない」と開き直った『校風』から、俊逸の巣立ちなどあるものか。

思えば…『臭い。汚い』との村八分に、「屁ほども感知せず」とは、少年愚壮であった。
だけではない… 三年下級の妹の「いじめ」に、箒を振り回して教室に乱入も、又。愚壮であった。

今いじめられている。なんとか助けてほしい…でなければ「11日に死ぬ」との手紙がある。
わしなどが言っても 聞く耳も持たぬであろうが…言う。

『本当に早い目に死んでほしいのは 君ではない。』
かと言って いじめている奴でもない。  これを黙視する教員でもない。
まして、校長や教頭になんぞ 『このままでいいのか』とも思うておらん。

肝心な事は『自分自身が強く立ち上がる』ことなんじゃ。
「死」は、すなわち『負け』で。   
負けては「仇は永遠に討てない」を思い至る事じゃ。

2・3人で寄らなければ何も出来ない「いじめ屋」なんぞに、負けてたまるか。
そんな奴に限って 根性も気迫も持ってはおらん。  
試しに「股間」を蹴り上げてやればすぐわかる。

「いじめ」で苦しんでいる友人を 放っておく友が居る。
『声を掛けてやってくれよ』    
「俺が居る なんでも話せ」と言ってやってくれ。



2006/11/07(火) 18:49:49

ところで…
古女房が千葉の次女の元に行って 一週間となる。
これには(あろうことか)長女も同行しやがった。

おかげで… もう、随分とやっていない「洗濯」「炊事」「掃除」と格闘しておる。
『鬼の居ぬ間に…』と 夜な夜な遊びまわる体力も迫力も、既にワシには無い。

かと言って。一人で肴なんぞを吟味して包丁をふるう気品なぞ。  ある訳無し。

長男が『晩飯 食いに来い』と言う。
が。行ったタメシは無い     老醜じゃ…。


苦手がある。 洗い物じゃ。
自分の食った皿なぞ。  触る気もせん。   困っておる。



2006/11/08(水) 19:41:50

夕刻。女房と長女が御帰還となる。
「いやはや。女の値打ちが身に沁みた…」と。口から出かけて飲み込んだ。

長女が言う『お父さん。案外 綺麗にしてたやん…』『洗濯もしてるやん』『えらいえらい』
「親に言う言葉かよ…ボケナスめ」も しっかり飲み込んだ。

ま、この時期でよかったわい。 梅雨時なら きっちり食中毒であったろう。


母親が初産の娘を気に掛けて、遠路千葉まで行く気はわかるが。
子なんぞは、木にぶら下がっても自然に生まれるんじゃ。
とも言えず 再三 飲み込んだ。

猫を見習え。 子種を仕込むときは滅法賑やかに振舞うが。
産むときは 一人静かに隠れて産む。

人間なんぞ、あなた。 こそっと作って 「ぎゃあぎゃあ」と産む。
ちっとは 猫でも見習えばよろしい。
そのくせ、碌な子を産まん。  最近の若い親の出来も悪いが 子も子じゃ。



2006/11/09(木) 06:28:58

五臓に染み渡る如き美味。
『そんなに美味しいの?』と妻はワシを覗き込む。

捨て犬の給餌よろしく、一週間ぶりの「人用食い物」を 餓鬼。と、食う。
愚壮なんぞは所詮、言わば「古女房の掌」。  如意棒を忘れた猿かもしれん。

逸品の手料理は『千葉の次女が感嘆した』との腕前で、何処で習ったか感心する。

所定の割り当て本数を越えた「缶ビール」を、『ハイ。お父さん』と長女が出す。

四人目の「愛孫:帆菜」と、携帯の画像にて対面申す。
色白で、クリッとした目。  可愛い いい子じゃ。
『実物。かっわいいでえぇ〜』との、妻と長女の説明を聞きつつ ワシは言う。
「これ。帆菜(はんな)ヨ。 可愛い、いい子じゃ…」
「お前とゆっくり話をする日を、わしは 楽しみにしておるよ」

「できるなら。帆奈ちゃん。  早く大きくなれよ」と、無理を言う。

熟睡の目覚めの今朝。 寒気の中を「薄霧」が街を這う。
新編成の『無冠の友』に わたしは声を掛ける
『どうぞ、事故など起しませんように…』
「ありがとうございます」が さわやかで、輝いていた。

千葉の次女は『忘れ得ぬ風景』を愛読。と、聞いておる。
…なら言うが。 信仰は一生涯で累代と持続継承しなければ「屁の値打ち」もない。

『苦しくとも 楽しくとも 家族あわせて 感謝と歓喜の信仰を貫くべし』
『学会活動ほど、平易で、理屈抜きでの 完成の仏道修行はない』
『簡素で 肩のコラナイ活動ゆえ、本物なんじゃ』
ヘコ難しい、遠慮やルールの横行する形式主義の昨今。

もすこし学会を見直して「次女」よ。 素直に自分の宿命と闘う事じゃ。
『親』なんぞは、何時までも元気で居ると思ってはいかんぜよ。

ひさしぶりで 純日本式の朝めしが目前じゃ。
思い切って、今朝は『熱燗』一本を所望してみるか… たまには よかろうよ。



2006/11/10(金) 07:50:20

>『学会活動ほど、平易で、理屈抜きでの 完成の仏道修行はない』
  『簡素で 肩のコラナイ活動ゆえ、本物なんじゃ』


反論が来た。 大反論である。
「口を開けば 数・数・数ではないのか」と、メールは言う。
「時間があれば 会合・会合・会合ではないか」と、電話は言う。

「何を、何処を、簡素というのかね。愚壮さん」と言い。「肩が凝る」とホザク。
『なら…死んでしまえ』と、真情を言うのも酷。と、  ワシは言う。

大聖人の仏法の剛毅さを 高級将校が自身の基盤の征服欲と重ねていった頃。と聞く。
一人の教育者が傑出し、この「剛毅・磊落」といわれた仏法を『塗炭の民衆』に重ねた。

…しかも、在家のまま…。と。彼は言う。
『この本尊を拝んだ人と、拝まなかった人との、生活上の変化を実験すれば、全部わかる』
『万人が納得の直道は、その変貌の証明を、否!如実の変革を見るに及ばず』

日蓮大聖人のご本尊の『仏力・法力』を、理屈ではなく「目に見せて」証明する。と言う。
この、初代牧口会長の「着想の原点」が、『法とは簡素且つ平易』と、開いた所以である。

『阿練若』に独占された「難信難解」は、『実践の庶民』に「神秘の化けの皮」を脱ぐ。
爾来。二代 三代は、 その初代の「大達観・大炯眼」の急所を継承された。

「民衆」ほど始末に悪いものはない。とは、銃口の前の「チャウシェスク夫妻」の怨念じゃが。
凡そ。権力と資力とに裏打ちされた欲望者ほど、庶民を疎んじる。

そんな、「路上の喀痰・吐唾」の如き民衆…いやさ。「塗炭の民衆」を「牧口」は抱きしめる。
『路傍の名も無き民衆』の声を 権力者は長い時間放置してきた。と歴史は言う。

『権力』と互角に闘いきった時の、あの「権力者達」の腑抜け顔を見よ。
『王法』を完璧に咀嚼しきった時の、あの「阿練若・禿人」の間抜け顔を見よ。

今、現在。二代・三代著の、その圧倒的なる真髄と格闘開陳の書が、書架に在る。
この御三師の「全講義集」を拝読して。    その後(のち)ならば聞こう。
『何を、何処を、簡素というのかね。愚壮さん』の続きを…じゃ。

はっきりいって。  悪いが今は。    数がものを言う。
「張り倒すような 多数決」に、泣く人も多いのが、現世の矛盾でもあるんじゃよ。
(…長く書きすぎたわい…)



2006/11/10(金) 10:54:14

脈絡なんぞ 皆目無いが、
禁煙を思い立ち 即日実行したのが 6月22日だったか。
どうやら ほぼ、 絶つ事に成功したようである。

そこで。  禁煙後の顕著を紹介し、禁煙が「巷」で言うほどの善行でない事を書く。

まず。 腹が出てきた。  最悪じゃ。
次。  飯が美味いので やや過食気味になる。
と。酒の量が増えた。   これでは 健康面ではプラマイ『0』

身辺から 灰皿。ライター。等  喫煙の小物が消えた。 スッキリはする。
大事にしていた『ジッポ』のライターは、しかし。 捨ててはおらんぞヨ。

女房と長女は言う。 「おとうさん。臭くなくなった」
いやさ。これが一番言い当てている。

喫煙者の悪臭の再確認は、禁煙の最大の御褒美じゃ。
(独り言じゃが) 女性の喫煙は… いや。やめた。

  ホホホ。言わぬ言わぬ。



2006/11/12(日) 07:17:39

新規の現場の基礎工事が16日から始まる…。
故に『今日は「出(出勤)」や』と長男は言った。

かく言う私も、
この、新規の現場の基礎材の手配の最終チェックに 午前中を掛ける。

家業に寒風が吹き始めて10年を越えている。
名古屋以東は、その懸命な住民性も相まって、 
建設関連の惰弱は回復の色合いが濃いが。

関西。就中、大阪の業界の低迷とは。
『我さえ良ければ良し』との「盗っ人気風」の跳梁である。
『大阪が何故、これほど悪いのか』とも、
一部の勇者を除いて 聞こえなくなって情けない。

扨。この我が新規現場。 名の通った「ゼネコン」が施工するが。 
大笑いの条件で…紹介する。
図面を持ってきた友人の社長が言う
これ、急(せ)いてるんです』『愚壮さんよ、請けてよ』

単価を聞いて驚いた。
とは、相変わらず 人を人とも思っていない単価。であった。
その糞安い請負金額。
おまけの噴飯に、こう言う『これ。消費税込みでお願いします』
『殺したろか』…言葉が続かん…

大阪のタクシードライバーの平均月収が「16〜18万」彼らの忍耐には頭が下がる。
が。国家を支える。とする、建設労務者の日給が「15000円」に届かない。
年収僅かに「360」では、  夫婦で旅行どころか 子供の衣服も新調できない。

私が以前。政権与党の幹事長に、多くの資料を添えて実情を陳情致したが、
彼は無視をした。
『百年の恋も冷める』との、この元幹事長の不人気は その後も増長し、
支援では困るわい。

昨夜の「東京総会」の本幹同中。 たまたま私は『一日会館長』の任にあった。
会館は満杯で、各種の表彰が打ち続いている、と。嬉々満面のロビーであった。

師匠は言う『千年の萱屋も、灰燼で虚無』(趣意)
『百言の熱弁も 一言の戯言で帳消しとする』(趣意)

いやはや。わしなんぞは。心して、この御指導を叩き込まねば 時間が無い。   
ともあれ。『潮』12月号 【池田先生の軌跡(趣意)】を熟読して後のスピーチ。 
深意難解 我浅識。

「J・ダルク女史」(前・婦人部本部長)と 久し振りに談笑申す。
師 創立大学出身の才媛は その突き抜けるが如き秀才に遜色は無い。否。不変。

当地広布の先鞭を、草創の先輩が「俗習」の中 闘われたが。
後陣の先鋒は この「J女史」達 8名の俊逸であるゆえ特筆申す。
いや。 どうも書き込み、愚痴が多い…   反省している。



2006/11/24(金) 08:01:58

灰谷健次郎氏 御逝去さる。  享年72。

1997年。
日本国中を震撼させ、その後多発の少年犯罪の怨むべき「発火点」の事件があった。
「サカキバラセイト」との呪文を添えて 被害者の御遺体の一部を公然に晒した「痛恨」である。

この犯罪が「引き金になった」とは。 はたして、言い過ぎではないのか…と。
事後。 日本の平和な片田舎の風景の山里にも、 類似の事件が惹起している過程。 如何。

この、前出。『神戸のサカキバラセイト少年』の顔写真を掲載。巷間に流布した愚行があった。
残酷の終焉を陵辱された被害者の御両親や御家族が、そこには実在されている。
…この、報道の「犯人の顔写真」は、繰り返しの『連続の拷問』の如く、御遺族を責め苛む。

犯人の『少年顔写真』を報道した悪書が 「新潮社」発行の写真週刊誌であった時。
それこそ即刻。と。聞き及んでいる…
灰谷健次郎氏は 御著作全版の「版権」を『新潮社』から引き揚げられている。

神戸が生んだ熱血の先生。 『灰谷健次郎』の正視眼は、  どこまでも少年を慈しむ。
謹しみて ご冥福をば お祈り致したい。    左様思っている。



2006/11/24(金) 09:25:07

扨(さて)。  孫である…。
上の「明日香」は 相変わらず。の、優秀で。中学の数学を理解している。
もっとも、これは。母親「強靭ママ」の直系の証しの事象で…。 
「驚く事でも感動でもない」とは以下。長男の要を得た説明。
『あいつ(ママ)は 理数系に強靭で、問題を見た瞬間に答えが解かる』
…なるほど。  そうかもしれん。  実はワシにも、解かる気がするんじゃ。

さて。二番目の「ヒロ」も、  いたって利発で子憎いが、話は後にする。

今日の主役は『ノブ』である。
平成12年の11月24日。 三番目「ノブ」誕生す。
色黒で小柄で目の細い醜悪は、 家系以外から紛れ込んだ。
と、マジ。悩んだが、杞憂。
『いつの間にか、寝小便も影を潜め、 オシッコも自分で出来る』とは親。
 (これが杞憂じゃ)

保育園年長さんの「ノブ」は、来年から小学生。 
子は…大きくなるのが早い。
園設置の、一番高い竹馬を「運動会」では駆使をしておった。
「逆上がり」も 練習の甲斐あって 上手に出来る。  
目は…(やっぱり)細いが気品が出てきた。

先日の『紅ブロック大勝利大会』では、
三人 打ち揃って御参加し、大きな声で勤行した。
巻頭言の拝読も、財務の決意も、御書講義も。最後まで静かにしておった。

長男が言う『三人三様で…』『いや、子供って正直で 綺麗な気持ちだよ』
長男、更に言う『オヤジよ…』

と。朝の。長男の出勤時 
塞がる両手に鍵が開けられない時の「三人三様」を言う。

明日香は、
『明日香ちゃん。戸。開けて』に「ハイ!」と返事をして、開けてくれる。

ヒロは、何も言う前に 飛んでいって戸を開ける。

ノブは違う。『ノブ。戸。開けて』に
「なんでやのん?」と言う…と、長男は嘆く。

今日。満6歳の誕生日を迎えた『ノブ』。 

  おめでとう。ジイはうれしいよ。



2006/11/25(土) 05:43:03

これは昨夜。
わしとしては、少々遅い時間の夕餉は 20時をまわっていた。

ここ、もう何年と晩飯は三人であるが、
会合のある日なんぞはその三人も揃わない。
『ちゃんこ鍋』の献立は、 
そんな少ない家族が勢ぞろいしなければ美味しくない。と。
わしは、長女が食卓に着くのを(昨夜は)待った事になる。

何度も言って恐縮するが…わしは、テレビが嫌いである。
いや。言い間違えた。 テレビを観ながらの食事が、どうも許せん。
特筆。 最近の「ボケ・タレント」の「出ずっぱりの、アホ顔」に辟易する。

が。昨夜は違った。  
所謂、見かけの『アホ』が、目に涙を浮かべて論議する。
論点の主題は『いじめ』   わしも、厭な経験を持っている…『いじめ』

この番組は、やるほうも。やられるほうも。 同席させる事に成功している。 
自身の汚濁部分を晒す行為の確認を、両者がそれぞれ感じた事と思う。

『いじめたほうが100%悪い』と言うから 『片肺飛行』になる。
いじめる奴こそ、どうにもならない自分の醜さに耐えかねて、
将来必須の後悔の愚挙の『いじめ』に、陰鬱に暴走する。


ひと時のあと、わたしは今日誕生日を迎えた「ノブ」に電話を入れた。
案に相違して、「ノブ」はまだ起きていた。
『おら、ノブよ。お誕生日 おめでとう』に「ジィジ。ありがとう」と言う。
ワシはそれだけ言って受話器を妻に渡した。 

 妻とノブの会話は暫らくの間続いていたが、
 わしは又。テレビの会話に聞き入っていた。



2006/11/25(土) 17:46:54

今日は土曜日。
孫。全員で御来訪である。

「皆には悪いが…明日 仕事じゃよ」に『え〜! お父さんも〜』と言う。
「そう、お父さんも ジイジも現場じゃよ」
それでも『あ〜あ』とかなんとか言いつつ、 膝や背中に絡んできた。

気を付けなければならん事が有る。
こうして、孫が絡むので…清潔にしなければいかんと言う事である。

ところで「明日香」
例の身長 「11_」延びておる。
5月20日から8月25日までに「17_」延びた身長は、
この三月(みつき)で、1377_となった。

わしなんぞは、 すぐに追い越される…
楽しみではある。



2006/11/27(月) 05:04:54

よく寝た。 ぐっすりと眠れたせいか 軽い風邪症状も消え飛んでいる。

今朝の勤行は上記も相まって清々しく。
勇気と希望が(爺にも)滾々と湧いた。
我が仏間。 
個人の住居の仕様の範疇での設計で、十二畳。と、さほど広くはない。
が、しかし。吟味した内装材と密閉性と換気装置が絶妙で、
唱題の音声が御本尊に吸い込まれるが如く。と。わしには聞こえる。

過去帳に『平成十八年一月寂    親友 M・勝(まさる)享年61』とある。
Mは、駆け落ちの若き愚壮たち二人を 公私。支えてくださった恩人であった。
追われるような何度かの屋移りに、彼は社名もデカデカのトラックをその都度提供してくれた。

いや。それ以前から、『親友・M』と『親友・石○』とワシとは、まこと。刎頚であった。


心静かに追善の唱題を送りつつ、あの、豪放のMの笑顔が浮かんでは消えていく…
とてもじゃないが…着いていけない酒豪に彼自身が埋没し命を削り、無念の夭折となったが… 
悪かったのは、その「飲み方」だけじゃった…と。追善申す。

扨。今日も『京都府城陽市』   そう、先日。不可解な交通事故があった街じゃ。
少し遠いので  5時半には出発せねばならん。



2006/11/28(火) 05:16:42

我が子(長男)を、内縁の夫と共謀、虐待の極みを尽くした。
救出時の長男の餓死寸前。との報道の真相は、残虐で血も凍る。
とは、長男自身が『自己の排泄物』で糊口を凌いでいた。と言う。

なんたる非道。 畜生以下の母親の所業である。
大阪地裁は、この獣(けだもの)に判決を下した。 『懲役15年』
この件については、来月の最終弁論にて結審するが…『懲役15年』かよ?


大阪能勢では江戸時代の拷問の如き虐待が 男児になされている。
一方。無力の女児に対しても、凄惨な暴力は「8時間も連続で殴り続けた…」

これ、総て。内縁関係の『夫』と称される男の仕業である。
秋田で起きた幼児殺人事件の「二件」に、
生臭い類似点を感ずるのは、ワシだけか。

今。頻発。と言っても過言でない『凄惨な子殺し』事件の母親は、
昭和50年代に生まれた世代が関わりだしている。 若すぎる…
いや。どうも。  この世代の『親』の、子育てに因は無いのか。

頻発の「いじめ」…  
糸を手繰れば、『ルール無き家庭』が顔を出す。のではないか?
『誰が悪い』と、 不在の下手人探しを何時までやる心算なのか。とも思う。

さてはて。 今日も「城陽」 日・月の二日とも濡れての作業。まいるわい。



2006/12/01(金) 19:10:51

この17日で やっと(ま、長けりゃイイもんでもないが)入会37年である。

いや。その前の4日。 長男の36歳の誕生日でもある。

…扨。 その37周年、とは素数。 
当該数でなければ割る事の出来ない数字でもある。
今までが順風満帆でもなんでもない人生で、 
苦悩のほうが多かったが。苦悶は無かった。
が、しかし。   ここにきて。    逆鱗に震う事態が起きておる。

日にち薬。と、怒りが沈静すればこそ…  怒気、如何ともし難い。
『どこに、如何ともし難いのか』とは、目黒の区議の「脇の甘さに」…である。

ワシの友人には、所謂『苦労人の企業家』が多く、
今まで絶大な御支援を戴いておる。
何に支援だと?  「公明党」への御支援に決まっておるわさ。
その友人達が、異句無く言う。『おい。愚壮よ。 目黒、なんたるざまじゃ!』

これには、わしは、言葉が無い。
世。「いざなぎ景気」を追い越した。と、浮かれている。
「こら。公明の腐れ議員よ!  
お前なんぞ。どぶ板からの屹立ではなかったのかい」

大多数の、名も無き貧しき学会員さんの死力の御支援で当選した瞬間。
 お前らは言う。

『しめしめ。これで、任期中の生活は、保障されたわい』………  にせものめ!

どこかの「元幹事長」の資産公開で、
株券を御所持を放送して居ったのが、大分前じゃ。
わしは、怒りで身が震えたが、 ま。辛抱したが…   今度は許せん。

地元、党の本責を。わしは降りた。   こんな怒りは、初めてじゃわい! 糞奴。
が、言うて悪いが。 替わりに『教宣の本責』を担う事になったのは 既に言った。

妻が言う『お父さん。そんなに怒ったら、血圧に悪い…』
わしはいう「じゃかましわい!   これが許せる道理無し」
皆。  どう思う。    わし。間違っとるかいのォ〜よ。

公明新聞で何故謝罪の論評がないんじゃ…(み、見落としていたかな…)
ったく…。



2006/12/02(土) 05:03:37

今日、二日。いよいよ本年も一ヶ月を残すのみとなった。
歳月も季節も、包まれている時のみの、微かな実感に杞憂などをするが…
「咽喉元過ぎればなんとやら」で、 猛暑も酷寒も、花粉も黄砂も…落葉と共に去る。

NHKの土曜の早朝に。『心に残る風景』との秀作がある。
品格の濃い、淡い色調の機軸の風景には 初老の夫婦が寡黙に築いた「ふるさと」がある。

画面を通して 観る人総ての「共通の風景」を、静かに振り返らせてくれる…
『ああ、この風景。 いつであったかしら…  確かに私は そこに在る』

今日は『ふつか』
そは。  戸田先生の御逝去の日でもあり、
池田先生の御誕生の日でもあり、   
卑近。卑少なれど…我が家の落成の日でもある。

さあ。今日の現場は『京都府城陽市』である。
ウダル季節に基礎を収めて… 爾後。
進捗は順調で、おそらくは、今日が最終となろう。
いや。外構工事は、当然 別の話だがね…

『城陽』との、命名は「たれが発案か、これも秀作」と。歴史豊かな「風景」が、語る。
現場隣接の『鎮守の森』は、今日も 多くの小鳥達の囀(さえず)りで、賑わうことであろう。

ささ。勤行もしっかりと終っておる。  弁当が降りて来次第 わしは行くぞよ。



2006/12/03(日) 08:07:41

盆の休みも返上しての基礎工事。とは。『京都府城陽市』の作業所であった。
規模こそ小さいが、難度の高い建物で…水平部分と直角部分より、斜走の梁と壁多し。

この型枠大工さん泣かせの秀作は、ワシなど。人様の倍も『挑戦欲』が出た。
何に挑戦か?  知れた事。  『ノーミス』での施工じゃよ。

先日は現場に来られていた「構造設計」の先生と名刺を交換していただいたが…
愚壮は、こう、申した。 『先生。非常に勉強になり。又。ファイトの沸く建物です』
「いや。恐縮の至りです」との趣意を言われたが…  
凄い先生ではないか。と、思う。

昨日の作業は最上階に(どんな建物にも)必ず存在する漏水防止の「立ち上がり」。
これを『パラペット』と呼ぶのは全国共通。は。余談。

14時頃から 急に空模様が「冬型」変貌し。 氷雨が降り出した。
慌てて車内の「カッパ」を取りに戻り、『ついでじゃ』とラジオを聴く。
「いま。日本海を低気圧が通過していて、伴う前線(寒冷前線)が通過中…」と言う。
「これ(前線)が通り過ぎると。 冬が来る」とも言う。

氷雨が、時を移して「バラバラ」と激しさを増す…と。 
風が渦を巻いてマイクロバスを揺る。
既に、樹頂まで『黄葉』の彩りに変貌の「大クヌギ」  
吹雪の如くの落葉が視界に満つ。

ヒト風の毎に 病葉(わくらば)の舞     とどまる事なし。
『ああ、』と、思う。  かの炎天の「母の樹影」に 人心地を取り戻させた『葉』よ。
「きみは、嘆きの表情をも見せることなく、一陣の氷雨の風に 散り消えゆくのか」

「クヌギ」の落葉は、 
その。やや、細長い姿で、冬告げ風に枝を離れて、使命を果たす。
ふと、長男が「氷雨、避難の車内」で言う。
「お父さん…   今は落ち葉も 路面の舗装に阻まれて、養土にもなれない…」
『ほ〜う』   ワシは言を発せずに、長男の想いに強く同意を申した。

左右やや不対称の 決して美しくは無い「クヌギ」の落葉は濡れたままのその姿で
私の手のひらで 微かに かすかに。  微笑んだ…。

8月16日。この木の樹頂あたりで『蜩』が、遠き秋を告げた。と書いたが…
蜩は、「ツクツクホーシ」とは鳴かない。   謹んで誤記を訂正申す。



2006/12/03(日) 08:54:52

携帯電話の画面を示して『この雨。 あと10分で一旦小康』とは長男。
「電話で 天気図が見れる」とは、時代の進歩はたいしたもんじゃ。
みれば、大工さんも電工さんも、土工さんも監督さんも 雨から逃げていた。

退屈そうにコックピットで煙草をくゆらす『オペさん』さえも、
重機のエンジンを止めている。
が。『小降りじゃ。小降り』と、わしはバスを飛び出した。

こんなときは、いくら待っても「埒」は開かない…と。
誰かが飛び出せば。 現場は動き出す。
はたして。 まず。「レッカー」のエンジンが『ぶるん』と始動した。

携帯電話の予報は、少々手違いがあったのか…と、雨は降り続いた。
例の「クヌギ」の落葉の悲哀を 感ずる暇もあればこそ…と
「釣瓶落とし」の夕闇の中 没頭。

「今日が最後」との作業は、完璧な片付けの完了まで。を言う。
残材や番線や備品や工具などの集積と片付けと清掃を。 
暗がりの中で、濡れつつ頑張った。

現場の「ゲート」を、監督さんや電工さんが見送ってくれた。
『又、どこかで あいましょう』
所長は言う『ありがとう。  最高の精度でした』     
これこそ職人冥利に尽きる。


秋雨の煙る週末の国道の渋滞の車列に 路面は、
その「テールランプ」の彩色を乱反射致す。
『脇に逃げるか…』と、長男は熟知の山道にバスを乗り入れた。
対向車との離合にも 減速することなく オンボロマイクロバスは疾走する。

このときに。私と長男の会話が 一番白熱するのも、又。事実では在る。
さて。 子ども会の「古紙回収」が始まったようである。



2006/12/04(月) 09:29:51

雲片は東南東に走り飛ぶ。 肌寒きままの気温は上がる気配が無い。
『予報は当ったな…』と 
愚壮ほか、三名の地区部長は空を仰ぎつつ青空駐車場に集まった。

町内で、滅法少なくなった「大型のアパート」が北側に立つ駐車場の「陽だまり」を、
四人は追う。
「…さぶ(寒い)…予報は、当らんでもええで…」とは、この地区部長達。年配である。

『昔は、下駄を飛ばしたり 猫に顔を洗わせて天気は予報したが…」
今は はるか空の上から見ておるので  天気予報はよく当る。とかなんとか。
訳の解からん話題で、四人の初老の壮年は時間を稼いで「人」を待つ。

約束の来訪時間は13時。  …が。『先々週の約束や、忘れとんノンとチャウやろか』
約束の時を一分も廻ると、 「その人は、もう来ないのではないか」と、壮年部は言う。

「待ち人」とは、『総県総合本部長』…。これを指して。
約束を忘れただろうとは。恐い地域である。
が。 『おう! 遅れたわい  スマンスマン』と、 ほぼ定刻に「S氏」は来た。


先々週の仕事場の愚壮の携帯に
『お前の支部に12月の第一日曜日 わしゃ。いくで』が、「S氏」
『都合はどうか…』と、 断れない迫力の強制訪問打診に、
ワシは言ったもんじゃ 「都合の悪い道理は無い」

どだい。都合の悪いわけなど 実際 無い。
風邪で伏せっている「S地区部長」の地区は 
ちゃんと愚壮が代行する心算ではあった。
三人の地区部長も、寒風の陽だまりで
「彼と彼と彼とには、絶対。今日逢う」と指を折った。

定刻の『S総県総合本部長』は、  
「多勢で待ってて呉れて いやはや ありがたい」と率直であった。

何人の壮年部員を激励したのか…  
僅か二時間の『5人の壮年の激励行』
「石を投げれば学会員に当る」とのわが支部内である。 
多くの婦人部の方との路傍座談会 実現す。

『不況の横波に挫折か』との危惧を排して、
夜勤に精出す壮年を渾身と激励申す。
『筋萎縮』の大病にさえ、果敢に立ち向かう壮年。
その奥方の健気の看病に「同苦」申す。
『内臓を複数切除した』との、
昭和31年「大阪大会」参戦の壮年の驚異の復調に感嘆申す。
『昭和一桁なれども B長快諾』の勇猛の将に正座を崩さず礼儀に伏し讃嘆を申す。

この、「S総合本部長」の全力の家庭訪問。 
随行の四人。  背筋を伸ばして「目の当たり」と、つぶさに(正座にて)見る。

『愚壮ちゃん。今日は本当に有難う。 御訪問した全員の方に 手紙を書きます』
六差路の交差点で助手席を降りる私に、総合本部長はこう言った。

私は言う「ありがとうございました」「来年早々の各ブロックの座談会に…」
『わかったわかった。ブロックも地区も支部も、全部に入らせていただくよ』
ピッ。 警笛を一つ   氏は走り行く。

見送る私には、東南東に流れる雲片の北風は その寒さを感じることは無かった。



2006/12/04(月) 10:15:36

ここで、CMを…。

前述の『S総県総合本部長』とは、   初代の「王者県長」で「前:総県長」である。
この人と私の出会い当時は。 併記するさえ憚(はばか)る。とは。
地区制発足以前の『方面青年部書記長』である。   因みにワシは「副大B長」

『風景』でも何度かの紹介を申した氏は、どこまでも「ユニーク」で『真弟子』である。

近年、その酒豪ゆえに病を得る。 
『…死にかけた…』と、氏は笑って述懐されるが、笑い事ではない。
「50日で250万遍の唱題を敢行した」とは、
氏の、その闘病の壮絶と、「死魔」を跳ね除けた肝胆の据わった信心を、黙して語る。

寒風走る昨日の日曜日の昼下がりの五人の壮年の激励行の片時に、氏は言う。
『愚壮よ』

「フラメンコギターは まだ弾くのか」
「…あれは、やめてはいかん。  屈指だからな…」
ワシの女房でも言わん事を「S氏」は言う。 

人、それぞれ。急所を持っている。  それこそが、折節の賞賛の『間欠泉』で…
そこの話題が 対手を若返らせ、立ち上がらせる。  激励の急所。である。

が、まあ。 ギターは止めては いかんかなァ。と。思っておる。
と言うのも。あれほど好きだった「ヘラ鮒釣り」  行かなくなって…久しい。



2006/12/04(月) 17:48:06

『煮え湯氏』 覚えておいでの方も多いと思うのですが…。
先刻。その『煮え湯氏』から 久し振りの電話が入った。

「おう!どした」に『社長 ご無沙汰してます』と言う。
氏がワシを「社長」と呼ぶ時は、所謂。意味も魂胆も有る。

「今度は何じゃい」に『お察し、恐れ入ります…』
が…。 実情は簡単な事ではなかった。
『五階建てのラーメン(構造)ですけど…頼みたい』
「(工事にかかるのは)何時頃からかいの〜」
『今月中頃…』「な、なんやとお〜!」とわしは叫んだ。

『基礎だけ終って 業者が倒れた…』聞けば事件である。
アンタの引き合いは 訳アリばかりじゃ…を。 ワシは飲み込んだ。

と、同時に。またまた悪い癖が出る
「とに角。明日、事務所に来いよ」『社長。おおきに』と氏は電話を切った。
この年末。 業者が欠けては正月も何もあってもんではあるまい、と。ワシは請ける。

早速、材料の工場の社長に、旨を申す。
「愚壮さん。相変わらず 世話焼きますな」と、言いつつ引き受けてくれた。

とりあえず。と思う。  ピンチの人間が一息ついたら本望ではないか。
因みにわしは。『煮え湯』にも『工場の社長』にも 聖教の啓蒙など したことは無い。

が、向こうは知っておるよ「公明党」の支援は何時もお願い致すのでな…。
これは又。年末。大多忙じゃわい。



2006/12/05(火) 05:48:30

所謂。「外(がい)さん」と愚壮が苦闘する。

このシーンが私に相応しいか否か。は。 別にして。
500番目の投稿には あい相応しい。



2006/12/11(月) 11:38:33

大阪造幣局は大川(旧 淀川)に面して 
古(いにしえ)の風格を重厚に川面に投影する

この正面。国道一号線が東西に貫き、
大川架橋の『銀色の橋』を渡っているとは『銀橋』
この地点から、ものの2キロほど西進すれば、道は名を変える。
曰く『国道二号線』

扨。この『銀橋』…とは、所謂。通称で、正式には「桜ノ宮橋」と言う。
冠名。まさしく予断を許さず。と。季節の爛漫の桜花は、千金の趣きがある。と言う。

三点支持の逸作の巨架橋の設計は、果たしてどのような人なのか。と、見れば。
歴史に名を残す傑出の大技師である。と、 関連の書は 懇切に教えている。

とまれ。 この『銀橋』  水に都の難波の情緒の「筆頭」を飾る 『銘橋』である。


この「橋」の上流側に。
身を寄り添う「態(てい)」で、新しい橋の工事が始まって久しい。
東天満から、京橋に向かって。 
JR・京阪と、両鉄路の駅前の狭い繁華街は目の前で…
「こんな場所に、デカイ橋の並走の合計8車線は、すぐに糞詰まりで、行き場が無い」

世話馬鹿愚壮の『糞詰まり』の危惧をも ものかわ。  
昨日の竣工渡り初め式は挙行された。
新しい『銀橋』も 旧銀橋も。  同じデザインの銀色に輝いている。

「日曜日も現場にて打ち合わせがある…」との、
往路の『旧銀橋』を走る車窓に紅白の垂れ幕がある。
『働いても働いても』との 愚痴を飲み込めずに、
「H幹事長(当時)」に直訴の愚行。これをば、
大いに恥つつの数年のその後の年月は 今にかろうじて流れ来ているが。  

とも角。かの「頬被り前幹事長」が この日、名前を変えて。
『新銀橋』を胸を張って御渡りじゃ。
御名。「国土交通大臣」 えらいえらい。 えらいのお。


存外と早く終った打ち合わせの帰路。 
私はもう一度。造幣局の前の道を選んで走る。
式典は、終っていたのかどうかもわからんが。 カメラの記者が多く居た。

新しい現場は『弁天町』である、 これは、スッキリとした、イイ建物であるが。
昨日といい。昨夜といい。   くそ面白くも無い日ではある。

愚壮地元の壮年諸氏には、謹んで御機嫌を御伺い致す位の不愉快な昨夜である。
が。後述は   暫らく考える…。



2006/12/13(水) 11:59:25

『大阪天王寺 姉妹殺害事件』

被告:山地に死刑判決。
姉妹の父親は言う「彼(山地)の生い立ちや、彼の更生等 何の関係も無い」
更に言う「今ここで、死刑の判決をためらい(被告を)世間に放出すると、又。殺す」

実母を殺害し、更生施設で青春の謳歌を自ら好んで生き埋めにし…
その後娑婆に出る。   が、しかし。被告「山地」は言う。
『あの母が、断末魔の命終の、存外と長い時間の大苦悶の表情を見る快感が忘れ得ぬ』

将来の輝く夢を この「けだもの」は 快感とともに殺戮した。
なにが「死刑廃止」じゃ。   
…他人事でしか物事を感じない輩の御託など、聞きたくは無いが…

事を、この「山地」だけに限定して言うが… この男に「更生」の道など 無い。

法廷で、何度かの謝意を促された「山地」は小考も無く言い放つ…

『(謝罪は)無い!』
亡き姉妹の兄弟は申された…
『これで、やっと…御遺骨に手を合わせられる』

直系の遺族の心を 億分の一でも感じようと、 何故出来ぬ。

似非宗教家め。



2006/12/13(水) 17:35:17

『大阪天王寺 姉妹殺害事件』
被告:山地に死刑判決。


話を「ぶり返す」魂胆も、  大仰に「蒸し返す」心算も無いが…

このお二人の御姉妹のお名前。「ちひろさん」「あすかさん」
どうして、他人事と悲哀もせずに居れようか…と、思います。

『安らかに…』との文言さえ、 彼女達には、残酷すぎて言えはせぬ。
『ご冥福を…』と、どうして言えようか。

無念すぎて、簡単に冥福など出来る筈もない。  慙愧の極みです。
それでも、弁護士は 控訴を探るのかね……   犯行の詳細を鑑みて。だよ……。



2006/12/14(木) 05:58:50

『N支部婦人部長さん:愛称タンクロー。(命名:中○副圏長)』
昭和26〜7年の駄菓子のキャラメルの主人公が、この出所のタンクロー。

『Nさん』の事をこの呼び名で呼ぶのは、当の命名者と私だけで、
どうも、聞いた語彙が  女性を悪く言っている風に聞こえる。と。抗議多し。

が。違う。
聞く奴の貧困の想像力だけで、
この名作の愛称をば「反故に出来るんかい」と多用する。

この「キャラメル」の「キャラ」タンクローは。  万能で勇気に満ちた少年だ。
「支部婦人部長」の責務は、300名を越える支部の御婦人の総ての悲喜を掌握する。

の癖。 落ち込まず、悲嘆せず、輝く笑顔で「同苦」をも惜しまない。
『…ば、万能じゃ…』と、都度の毎、わしは感動しつつ敬意で申す…『タンクロー』

昨夜の座談会の二会場に並んで立ち上がり、
年間のご健闘を渾身で敬礼の二人があった。
『タンクロー』と『愚壮』は、こうして足掛け11年。共戦の戦野に在る。

「出来もせぬ四桁の御託」など、
何処吹く風との老婦人の破顔に沸き上がった会場。愚壮宅。
「S副県長」が 直接傾ける「御書」の薀蓄に『陰徳の偉大』を皆。確認す。

21時。私は改めて「N支部婦人部長」に電話を入れた。
『Nさん。も少し残っているが、本年もお世話をかけました。本当に感謝しています』
『どしたん。支部長    そんなん、あたりまえやん』と言う。 
 勝てはせん。勝てはせんが、感謝は尽きんわい。



2006/12/17(日) 13:10:57

昭和44年の今日。正確には今夕。
ワシは大阪近鉄沿線の小阪の「調御寺」で入信。
付き添いは「叔母」と若き日の女房。

受戒の日。他の入会者は無く わし一人じゃったのが印象に残っておるが。
もう、37年も昔の事となる。

学会員としては 成長も人間革命も、人様の人後に落ちていて「わしにふさわしい」
信仰はずっと続けて その「真価」を、自他。確認するもんじゃが…ワシの場合。

浮き草の孤独死。あたりがホボ、定番であったろうに、
家族。就中 孫に恵まれている。
勿体ないやら。有りがたいやら。  
よくぞ『37年前の今日』思い切ったものである。


扨。ところで、「ヒロ」(弟と今、上で飯を食っとるが)    
小学校で学年一位。と 長男が言う。
『ほほう』と喜ぶワシに、長男は重ねて言う。
「明日香(小学校三年生)は因数分解が解ける」と言う。  
『そんなもん。信じられん』とのわしの表情を察して、更に言う「…ほんまや…」

…『嘘やろ…』    どんな勉強をさせるんじゃい。



2006/12/23(土) 08:33:20

『忘れ得ぬ風景』の長編。
(ま、一応 保存をしてあって…赤面する。のは余談)
その初稿。 度々登場される勇士が居る。   曰く『Y本部長』

現在、副圏長の「Y氏」を 本年有終の支部幹部会に招聘申す。
快諾の21日。 いつぞやから諸会合開始定刻の19時半。  Y氏着座。
「司会は、今夜は複数じゃ」との愚壮の「ゴリ押し」式次第の司会者が言う。
『只今より 本年度の最終の支部幹部会を開催します』
『Y副圏長の導師で勤行を行います』

わしが「Y氏」の右脇。「タンクロー(支部婦人部長)」が氏の左脇にて進行す。
歯切れの良いリズムの唱題を、きっちり10分間。  参加者の声。一本線だ。


『Yさんが去る…』 
この風聞が それとなく、支部内に流れたのは「夏」であったか…
「多忙を極めている…」これも、噂としては流れていた当時。諸会合に「氏」見ず。

建設業の現場の第一線での激闘は、日付けの替わる時間帯までも、酷使さる。
「不況などに負けては弟子ではない」   こう言い切った勇者は一歩も引かぬ。

が。『よんどころなき事情が惹起する』と、 氏。 帰郷永住を決意さる。
12月20日の「支部運営会議」は、併進の「支部討議」もあいまって盛況であった。

『色紙とカメラと謝辞の垂れ幕!…』 この人には珍しい指示口調の愚壮である。
全会合の総ての担当幹部は一応は皆に聞く振りはするが…実は、わしが決める。

今回の最終の「支部幹」の『Y副圏長』  
例え「総関西長」が反対してもわしは聞かぬ。…と。  
元気一杯の「ダブル司会者」の進行でドラマは開幕した。

♪「創価歓喜の凱歌」「支部人事」「各部決意」「信仰体験」「四者挨拶」…
『幹部指導! Y副圏長!』の直前 ワシは言う。

その前に。開口一番の 各地区、ブロック、そして、この「支部拠点」と。
個人会場の御提供のお宅への全霊での謝意を、わしは総ての会合の開口に申す。

更に言う「Y副圏長は、 今回。 この地を離れると聞いております」
「いつも、いつも。 その精悍な風貌で 風の如く本部内を駆け巡ったYさんでした」

参加の御婦人の、かすかな「すすり泣き」が、既に、この時点で聞こゆ。
わしは時計を見た。 「今夜は、Yさんに、15分の時間が要る」からであった。

『幹部指導』の登場の直前であった。  
司会の女子部長が「蛍の光」のメロディーをスキャットする時。高揚、極みとなる。

『なにがあっても、師弟不二が基本だ』
との概意を ご自分の人生にあてがいつつ言う。

思い出も、感慨も。  書ける紙面は狭くて薄くて、落涙に霞むばかりである。

はたして…
一枚の色紙には支部員さんのお一人お一人の思いは 乗りきらない。
記念写真に歓声を上げ、 生後三ヶ月の「美咲ちゃん」を「Y氏」は抱く。

私事で恐縮するが 長男の色紙の文言を無断で紹介する。
【 Y様。 創価班配属の折、班長として厳しく毅然と指揮を執って戴きました。
  この感謝を人生の原点として 闘いきって参ります。 御体を大切に…】
…長男は「死に体」ではなかったんだ…と。わしは、もう一度 感謝を申す。

以上である。  以上であるが…  万分の一も書けてはいない。


2006/12/24(日) 18:32:05

『午前10時半に各地区2名、支部拠点に集合をするが、それまでに仕事じゃ…』
と。今朝もわしは、聖教新聞が配達される前に、事務所に在る。

初荷。(どうも、最近。この言葉は死語となっておるが…)
正月明け、最初の作業日の鋼材の搬入の段取りを…と。
早朝からパソコンに向かう。

一番大事な時間帯に「老兵:地区部長」が「モーニング、行きまひょか」と来た。
引きつる顔を笑顔に変えて同道する。  「コーヒー」沁み込むほど美味い。

定刻の支部拠点清掃。 
ワシ等壮年部は「額」や「照明機器」や「空調機」を担当する。
実は最近、上からこんな通達があった。『脚立や踏み台での清掃作業を禁止する』

「誰か、落ちて怪我でもしたん ちゃいまっか」
「ま、きィ〜つけて、わしらは たかいとこも せなあかん」と、やる。

「S地区婦人部長」は皆を押しのけて『私。トイレやるさかいに…』と、言う。
10人ほどが、ワイワイと楽しく掃除が出来て、 拠点は見違える。
『この拠点は、新年の19日。満27歳や』との愚壮の説明に、掃除にも、心こもる。

これで本年の公式の学会の仕事は完了する。
が、しかし。 町内会の夜警は26〜30日まで、例年の如くある。
仕事は、最終28日。   
わしもこの日まで現場に出る。 年賀状もその間に書く。

先日の「Y副圏長」の記念写真の焼き増しも、人数分 出来上がった。
『色紙』のレイアウトに、集合写真を貼る場所が無いくらい、言葉が埋まっている。
いざ。居なくなる、と思えば。 やり残した事が脳裏をよぎるのが、愚壮の所以か…

06年度の文化手帳(日程、会合メモ、その他…)を、07年度に新調する。
びっしり埋まった手帳の裏表紙に、大事に貼り付けてあった紙片がある。

一枚は三首の和歌。  その最初の句…
『壮大な 広布の指揮執る 名誉ある 支部の勝利と 栄光 讃えむ』H18・2・19

もう一枚は、随分古い資料が、根幹の文言が貼ってある。 戸田第二代会長 談
『さて今、柏原君の話の中に破和合僧と有ったが、「僧」とは、社会を指導し
 人を救う資格を持つのが「僧」である…』とある。

戸田先生は続ける。『今、学会の組長、班長の闘う姿こそ、真の「僧」である』

毎朝。無冠の友に報恩の思いの激励を申すが、 
そんな事で、讃えていると思うのか。と、自問する時。

一生懸命、拠点を掃除した快感が、蘇えったのは確かであった。

年内。書き込めれば…とも思うが、ともあれ。本年の御愛読。感謝します。
新しき年も、元気であれば。書かせて頂きます。

すこしはやいが。   『皆様。良いお年を』 
                      愚壮頓首。



              2006年12月までの稿完結


  


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