2006/04/06(木) 08:01:06

平成18年4月5日正午。 
わが事務所のドアが突然、乱暴に引き開けられた。
「ジィジ! ヒロ。小学生になったで〜!」 案の定。寛人であった。

いや、『ヒロ』だけではない 姉(今春 小学3年)の「明日香」と
「強靭ママ」が小雨の中、来てくれた。
『ヒロ!入学 おめでとう』と、わたしは心底の歓喜の中で その時叫んでいる。

「おら! あがれ あがれ」とは、言葉使いの荒さが未だ致命傷のワシ。
『うん!』と、元気なヒロは、 
春先の冷たい雨に濡れてしまった新品の靴を放うり脱ぎ、わしの胸に飛び込んだ。
その嬉々たる姿は いかにも無邪気奔放であった
。        
 『…孫が小学生になりおった…』

愛孫の『成長のスーツ姿』が瞬間に「ヤンチャ坊主」に変身しゆく。  
これを、優しい微笑で見続ける「強靭ママ」「姉 明日香」

事務所の騒乱を聞きつけて、 女房が階下に来る。  
 「いやあ〜 おめでと〜う」 沈静向きの空気。再び沸騰すも、雨 降りつづく。
「強靭ママ」に聞くことがある。と。わたしは即時に勘を走らせる。  
 「この雨じゃ、記念写真 撮れている?」『いえ、おとうさん…』
満開の桜の小学校の陽春の門柱での あの定番の「入学記念写真」は、
 この悪天候では無理な算段じゃ。

「撮れてないのはママさん。当然じゃ」 手荷物に傘を差しつつ
「時限爆弾のヒロ」との式典は、 写真など撮れる隙間が無い。
あの気の利く女房さえも 愛用の時代物のカメラを持って降りて来てはいない…と。
 雨が降る。

ワシはこのとき。 
ずっとそばに居つつも、主役ではない「姉 明日香」を 一瞬も忘れてはいない。
「のう…明日香よ…  こんな雨でも「ヒロ」の記念写真は 撮らなあかん。
ジイジは、こう思うが。 明日香。おまえはどう思う?」
『 ジイジ…。 明日香もそう思うヨ… 』     
この明日香 日々刻々に優しくなる…

昭和47年。「若き愚壮夫婦」が、浮き草の如く流れ着いたこの街は、知る人とて居ない町であった。
一瞬の間の「33星霜」の早送りの同じ街に、 春先には冷たすぎる雨が降る。     が、「ヒロ」の嬌声。雨 吹き飛ばす。

「ヒロ」のみで2枚。「明日香」と「ヒロ」が2枚。「ママ」にあまえての三人が2枚。
私と妻と「ヒロ」で1枚。
「浮き草の愚連隊」が 僅かなる信仰の持続と、偉大なる同志の激励の中。 
23年目に建てた7LDKの拙宅玄関。 雨中背景となす。

嬉々たる撮影に打ち興じる三代の溌剌の破顔は、 
名も無き民衆の愚直の持続の稀有の信仰。その、開花の証明であった。
やがて…再び「濡れ靴」を撒き散らして「ヒロ」は我が家に飛び込んだ。
二階静寂の「仏間」こそ、わたしが設計の時点で 一番魂魄を留めた根幹の空間である。 ここへ「ヒロ」は脱兎と飛び込む。
一尺の大鈴を三度打つ「ヒロ」は、 大きな声で題目を三唱し、こう叫んだ
『御本尊様。 ヒロは今日。 一年生になりました! 元気で勉強します!』

蛆虫愚壮は とっくの昔に姿を変えたのか…と。 涙。留まらず。     
『あら うれしや』以外に言葉は出ず。
「たれが 何と御託を並べても この実証。  巌 不動」       
感謝は幾重にも いやまし膨張し行く。

昨日の正午前に、 この短い感動劇が展開されている。

きっと、我が『忘れ得ぬ風景』の主軸となろう一幕であった。



2006/04/07(金) 18:52:04

早いものですね。上の「スズメバチ」が、ピカピカです。
と、同時に、姉「明日香」と『クモン』にも通い始めました。

これで「強靭ママ」の明日香の送迎の日課。開放です。
(チビでも 男の子は護衛にはなるようです)

下の「ノブ」は申したとおり、「年長さん」極悪でやんす。
愚壮一族。 日々成長致しており申す。

今から女房を「県 民音責任者会」に送ります。
わたしは、同会館にて、本部聖教責会。

いってまいります。



2006/04/08(土) 17:02:57


『S氏』が居る。     
年齢は不詳。    が…。  56〜8と見る。
容貌。特筆、その眼光は鋭利且つ汚濁。
これが、実は地区部長は、「気にはなっていた」と言う。

地元に移転をされて来たのは、 これも定かではないが、4〜5年位前であったと思う。
「新しい地区に 一日も早く馴染んで頂きたい」とは、 常々の地区部長の本心で。
わしなんぞ冷血漢は 『ああ、地区部長を見習わねばならん…』と、見ておった。

そんな地区部長が、「埒が開かないんで…」と、 S氏を連れて愚壮宅に来られる…。
その頻度が多くなっていった。
「温厚慈悲」の地区部長をいい事に、 来る度来るたびの「S氏」は辛辣を加速して行った。
『ホラ、猫ん皮を脱ぎやがった』をグッと堪えての激励は   艱難辛苦。と、耐えていた。

S氏。  言うては悪いが、とっくに愚壮は見抜いておる。     
とは。 例えば「座談会」階下の事務所にまで聞こえる拍手を白々とする。
例えば「3・16」に難癖をつけ、からむ。
天井が揺れるような大声で「学会歌」を歌い、 御書を拝読する。

御書講義の最中、 「戸田先生の指導が入っていない」と壮言しだした時など。
 会合は終わってしまう。が、それでも。それでも。  と、
地区部長の激励は続いていったのは、私が証明する真実である。

S氏がアポなし
(アポなどは要らんが 礼節を踏むのなら 事前の連絡は必須)で、単独来訪の愚壮事務所。
「C作戦の『S・K』は、実の兄弟だ」と、氏は切り出した。 いわずもがな…そっくりじゃ。
『知っとるよ』とは、愚壮の即答で、こう続けた。  
『かのY・Mの御兄弟は広布に闘っておられるが』
『Sさん。あなたも、そうでなければ申し訳がたつまい(趣意)』旨を言い、更に言う。

『貴殿の生命の最深部に巣食う 元品の無明の傾向性は 自身が鋭く監視しなければ 暴走する』
「いや、そんな話できたのではない」とは、 毎回毎回の展開で  
その都度『ま、待て。 よく聞き分けて』をわしは繰り返す。
そんな毎回の定番は  「わかった!わかりました。 …もう帰る」と 
止める愚壮を振りほどいて氏は帰っていく。

そんな ある朝。  まだ静寂の事務所を強く叩く人があった。      
無冠の友であられた。が、血相が違った。
『なにか あったか!』と問う愚壮に、彼女の戦慄きは尋常ではなかった。  
「Sさん所が…」と、やっと言う。

成獣に成りきっていないネズミの遺骸が 郵便受けの開口部に接着剤で貼り付けてある。
この悪質の極みの仕業を  一体 なぜ出来るのか。    
無冠の震えは止まらないではないか。    
夜も明けやらぬ路地の街角を 無冠の友は「希望」を宅配してくださる。  
その感謝は言い尽くせぬ厚みがある筈だ。

憤怒は絶頂に達していたが、二度とはあるまい。と、  
事。荒立てる愚は「歯軋り」で堪えたのであった。

が。  二度目が起こる。     
わたしの憤怒は 底の無い悲嘆に変わって行った。
「隣の人が やった」と言うS氏。            
もう、そんなことは どうでもいい。 聞きたくも無い。

そんな「S氏」は ある日  忽然と姿を消す。       
その後。S氏をば、忘れた事はなかったが 
やがては、多事の忙殺に「S氏」は脳裏から消えていく。

2・3日前。 県長が私に言う(於、会館)
「S氏が法華講を引き連れて某地区員さん宅に来たらしい」 
『なんたる忘恩!』と悲しいくらい哀れを感ず。
当然の『鎧袖一触』と 追い払ったのは 書くまでもない。

余談じゃが。 かの提婆達多は 釈尊と「瓜二つ」と極似していたと仏典は言う。
所謂「仏:釈尊」にはその本性の証明の三十二相が具備されておる、が。
提婆は二つ不足の三十であったとか。

が。くだん(件)の兄弟は    実にそっくりじゃ。    

無冠の勇者を泣かせる…   絶対に許せる訳がなかろう。



2006/04/10(月) 06:57:30

「ヒロ」が実質、今日から新一年生として新生活のスタートとなる。
入学式のその日は、強弱の冷雨が降りそぼり、ママも本人も濡れてしまっておった。

昨日、一昨日と、当地を「黄砂」覆いつくして、街が桜色にかすんでおった。
「校区」の統合がある。との影響で、地元の学会組織が大きく編成替えをなされたが。
昨日の「未来部員会(支部)」もその煽りを受けて、二支部合同(会場:ノブチャン地区部長宅)とあいなった。

支部長も参加。が、本来であるが  わしは照れて参加せず。とは、   
「ヒロ」初陣の会合でもあったのじゃ(トホホ…)
前出『黄砂』と浮遊花粉の甚大な影響を「モロ受け」の妻は、
顔が隠れるほどのデカマスク越しに「ヒロ、待ってるデ。行かなあかんやん(参加せよ)」
そう言われたワシは。余計に照れて。  
午前の会合を「イジイジ」とイジけて 遂に行かず後悔したのであった。

遅い時間の晩メシ    「ヒロ」すごいよ!とは未来部支部責の長女が言う。  
『隣の○○ちゃんに 自我偈の桁を教えてたんよ』   「ほ〜う」とわしは喜んだ。
横から妻が言う 「明人(我が長男)がちゃんと教えてるわいな〜」      
「ほ〜う」腑抜け愚壮となる。

その「ヒロ」が!じゃ。    
はじめてのランドセル姿で今朝8時に『ベンチ公園』に集合するそうな。
わしは行くぞ…  「明日香」の時のように…。    
カメラを持って「イソイソ」とな…(いかん!涎が出ておる)

お、そうじゃ。 昨夜は『平成18年度 自治会総会』じゃった。 
わしは「司会」と「議長」を併任した。
「司会:議長」の兼任とは  人材が不足の証左で、ちっとも嬉しくはない。

副会長・会計・監査役・四大ブロック長(地域を四分割の長) 重責の八ポスト。
これが全員、内の人じゃ。
これは、手放しでは喜んでは居れん…      ま、余談ではある。

さ、 「ヒロ」を撮るぞよ。     が、その前に メシを食う。



2006/04/10(月) 19:22:25

メロメロです。
噛み締めています。 幸せやなァ…と。

ばあちゃんは ほんま、命がけで僕らを護ってくれましたんや。
幼いながらも そのことは わかりました。

せやから…  貧乏の苦しさは 辛抱せなあかんのや、と。
小学生の二年生から 仕事(松竹新喜劇:子役)したんです。

そらもう あんた。 必死に働きましたんや。
米屋の「プラッシー」の配達も 近所の生菓子司の天王寺駅売店への配達も。
四年間の新聞配達も  いっこも辛い事おまへんでしたわ。

今考えたら あの頃 信心しとったらなあ…は 云いまへん。
どこまでいっても『タラ』でっさかいに。


「明日香」「ヒロ」「ノブ」を見ると、大阪弁での部分が「フラッシュバック」します。
そして、強く思うのです。
『こいつ等には、鋼鉄の信心をさせなければいかん』

高倉健以上の修羅場を、私は踏んだかもしれません。
が、この「孫」達には 幸せになってもらうんです。

役職とか、教学とか、経験とか。
そんなものを度外視して、 
あくまでも「一人の人間」の幸せの為に生き抜いていく。
こんな理屈に合った世界はありません。

父母と御本尊を結びつけた私は 「使命」の大部分を使い切りました。
あとは、わしらしく  いさぎよく 「澱(おり)」の如き「業」に
真正面で 向き合っていこうと思っています。

閑話休題  益々ここに来て「ビール」が旨い。
体調万全 気概充実    感謝感謝です。



2006/04/12(水) 13:57:43

>名前: 愚壮 投稿日: 2005/06/18(土)

早速、例の柱で「背比べ」『ジイジ あすか、伸びてるん?』
「伸びとるわい。1285_じゃ・・・」
お正月の七日には「1255_やったんやで・・・」
『30も伸びてるん?』「そやで、まだまだ大きくなるで」

☆そんな今日。「強靭ママ」が3時半まで仕事。
「明日香」の下校が1時。
『それまで、明日香頼みます』と妻は支部唱題会。

「ホイ来た」とワクワク待っていると 遠慮気味のノック。
来た来た。  明日香じゃ。

早速 例の「背比べ」『1337!』 10ヶ月で52_増。
んん〜、ということは、1年では62.4ミリで…
10年後は「1961_」  そうはいかんわい。

こんなつまらん事でも、嬉しい。  平和平穏です。



2006/04/16(日) 08:39:29

御いのり(祈)の事 法華経をば疑ひまいらせ候はばねども 御信心や よはくわたらせ給はんずらん、
如法に信じたる様なる人人も 実には さもなき事とも 是にて見て候、それにも知(しろ)しめされて候、(中略)
御いのりの叶い候はざらんは 弓のつよ(強)くして つる(絃)よはく・太刀つるぎ(剣)にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず、(中略)

さらば日蓮は此の経文を見候しかば 父母手をすり(擦)て せい(制)せしかども 師にて候し人 かんだう(勘当)せしかども・鎌倉殿の御勘気を二度まで・かほり・すでに頸(くび)となりしかども・ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん、日本国に国主・父母・師匠の申す事を用いずして ついに天のたすけ(助)をかほる人は日蓮より外は出しがたくや候はんずらん、是より後も御覧あれ 日蓮をそし(謗)る法師原が日本国を祈らば 弥弥(いよいよ)国 亡ぶべし、(後略)

以上は、拠点での出陣の毎。朝夕(ちょうせき)の仏前の毎。 
 己心の惰弱を叱り飛ばしつつ拝した御書であった。
今朝の支部の出陣も、左様の心意気にて「太刀執る」おもいではあるが、 
更に重複の緊張の陣内に冷気満つ。

昭和32年の今日。 青年室長の師匠が「我がK市」に来訪されている。
あの日から半世紀。  草創の大先輩は言う『一歩も退くな 負けたらアカン』
当時の生き証人の先達に「Y先生」がいらっしゃる。 
御高齢にもかかわらず今現在も 至っての矍鑠。頭(こうべ)下がる。

今朝の聖教新聞の『我が忘れ得ぬ同志』に咽びつつわたしは。
「私が住むこの町」のシルビアの群雄を思っている。
「十時からの出陣である」と、既に「鯉口」をくつろげつつある愚壮である。
との心境を、一文として投稿している。

 追伸。引用の御金言は 『王舎城事』 (1138)です。



2006/04/16(日) 09:14:18

『K氏』は言われたと云う
「わしは、大正15年生まれやねん…」

この81歳の壮年の勇者は 病を得る。
一家挙げての「先生の弟子じゃわい」とは 「微動すら見えぬ信念」と読む。

御体調 頗る悪し。との懸念を呵呵大笑との氏。 『大鯉の急流遡上』の如し。

日頃の楽しみは「香薫のコーヒー」 
「おいしそうに、飲んではりました」とは近者が語る。

終焉の午後。 氏は日課の「ケア・マッサージ」に御身を委ねる。
『そないに(それほど)気持ちよろしいのん?』に ニッコリとされた。

やがて… 徐々に体温の低下に声を掛けた時に。 氏。黄泉に在り。

「中○副圏長」の語り口は 臨終の臨場のたかぶりは、芥子も無い。


「桜花(おうか)の如し」と…氏は去られたが。
同座聴聞の一同の壮年は(愚壮も含め) 深い感動に正座崩さず。

4月14日  「紅B座談会」での風景です。



2006/04/20(木) 08:21:42

夜来(やらい)の雨音は、伴走の風音(かざおと)に猛っていたが。
『無冠の友』の希望の足音が軽やかに聞こえる刻には、小康となる。

わたしが愛読の「毎日新聞」は四時半には届いている、と。階下に降りる。

一面に、無慚に引き千切られたの写真がある。
『この座席に あのひとが……』  21年前の御巣鷹の悲惨が再蘇、胸痛む。

27面。 みのもんた氏のインタビュー記事がある。
私の言う、『無冠の友』への心情の澪筋とは 文意は当然異なるが、氏は言う。
『新聞の宅配は、日本独特の文化です。 雪の日も雨の日も風の日も届く。
―それは無常の喜びでしょう。 …どれだけ地域の住民に安心と潤いを与えるか…』

氏にとっての新聞とは 『 それは活字から身につく。僕はそれを新聞から学んだ 
語彙も覚えた』と言い 『行間に記者を読む』と言う。

時間差で届いた聖教新聞には、創刊55周年の佳節に、歴代の御執念を読む。
二代戸田先生の誓願『この新聞を 日本中、世界中の人に読ませたい』は今。550万。

「聖教新聞とともに、地域に励ましの春風を送る…   」
「勇気と希望の花を咲かせる…  」
来る朝も、また来る朝も、津々浦々の熱き友情は、今朝も満載と、届いている。

一人の健気の勇者が 今朝も行く…  
「断じて無事故で…」と、師匠にだけ祈らせてすむものか。と、今朝も祈る。



2006/04/20(木) 10:24:07

4月18日「支部ヒヤリハット」。

毎回の会場「愚壮宅」は、『すんまへん、今回は「内○宅」で…』とお願いした。
「内○さん」の奥様は『どうぞどうぞ』と一発快諾。  誠にありがたい。

「ヒヤリ・ハット」とは『事故は、起こってからでは おそいねん』と、重要視の会合だ。
定刻の勤行はスッキリと爽やかなテンポで、さすが。
「無冠の人」余念が不混であられる。

10分間、しっかりと真剣に唱題を申す。  絶妙の歯切れの律動であった。
振り返った先に 淑女在り。 
『我が支部の一日は先ず、 この御婦人が支えておられる』

「皆さん、いつもいつもありがとう。
今回は内○さん。拠点ありがとう」とは支部婦人部長。

ヒヤリ・ハット撲滅とは「K・Y(危険予知)」を起点とする。 
重大な事故の影に潜んでいるのが「微々たるヒューマン・エラー」の集団である。
その「微々たるエラー」の影に 『馴れ』と『弛緩』がある。
「無冠」とは、「使命を知悉する人」を指すも、『馴れ』は紛れた隙間を衝く。

…と、四角張った話など 内の支部の御婦人は聴こうとはしない。と、談笑す。
そんな雰囲気の会合。  
飾らぬ言葉が多くを示唆し、含蓄の吐露に皆、頷いている。

車両が入り込めない狭き路地のわが支部には、信号機や横断歩道は無く。
むしろ、強敵はその急勾配の集合住宅の階段で、壮・青年でも緊張する。
『雨の日の階段は、怪談より怖い』といわれる。
「それよりもなにも、雨に新聞を濡らさない方に集中するんです」 頭(こうべ)垂る。

愚壮が言う「冬は その寒さに向かっていらっしゃる たいへんですね」
『いえいえ。愚壮さん  配達はポカポカと、暖かい』 また皆 頷く。

怖いのは? 
 『飛び出し猫と… 変質者 』「うんうん、居る居る」と。

ホッとする時は?  
 『電気が点いて、起きている同志のお宅』これは異口同音。

嬉しいときは? 
 『勇気と幸せを運んでいるって思う時』 大きく頷かれる。

今後の決意は? 『地域の全部に読ませたい』
普段。男を屁とも思わぬ御婦人であるが、この夜 皆 光ってらした。

ところで追伸。前出冒頭の「内○さん」 
ご主人は 名板前であられた。 
愚壮宅の上棟式の祝膳を わたしは氏に御依頼した。
それは平成七年一月十一日。 寒風の厳しき日であった。

「数ある仕出屋の中から私を指名してくださって…」と 氏は申されたが。
いやさ。 わしは「上棟の祝料理」は、とっくに氏と決めておった。

「いつの日か、その事を云おう…」それを聞かずに 氏は逝かれた。
平成12年8月15日であったと記憶している。   合掌。



2006/05/12(金) 06:49:40

秘書給与を詐取した女史が関西の衛星都市の実在しておる。

これが、昨日の「衆議院本会議」で質問に出てきおった。
議題は「在日米軍再編に関する二国間協議の件」

「日米安保」の四文字では 過去も今も侃々諤々で、
この文字の元。 人生を賭ける程の燃焼の人も「賛否」に亘って存する。

どだい。 アメリカの青年が「日本有事」に『生命を捨てるを諒』と言う。
これに「申し訳ない事である」と、わしは素直に感謝をするが。本稿では余談。

主題は「詐取の女史」。
彼女は「時間が無いので 項目順に早口で問う」等とほざきつつ こう言う。

『日本はアメリカの自動現金支払機ではありません』
国庫の税金を騙し取っておいての厚顔じゃ。  ったく…

この際、女史御所属の御党首に言うが。   
「あなたの国会質問の中で、金銭に係わる文言は御法度よ」と言っておやりなさい。

ま、伝統の党是を平気で「うっちゃる」政党。 憔悴消滅も無理はないわさ。
久々の画面の女史を見て。 吐き気の嫌悪での投稿でやんす。



2006/05/12(金) 10:42:56

私の御書は(あまり褒めた事ではないが)書き込みが多い。

勤行・唱題。
この大事な日課とは、愚壮全生活の肝心であるが。その大事な時間帯が又。
御書を繙き、聖哲の遥か下界の足元に迫ろうとする時だ。

御書は『普遍』で時空を超越する。
とはこの場合、知ったか振り過ぎて不謹慎だが…

扨。
「大白蓮華」の骨格が大きく変わった。
との私の勝手気儘の解釈は2005年11月号。
爾来、連続。12月号。新年号。2月号。  …そして5月号。
現時点では(以降も続いて行くとは思うが)この6冊は、 
子ども会の古紙回収で捨ててはいかん。
将来不退転でこの信仰を一族末代貫く心算の人には、
家宝の如く扱うのも当たっておる。

「御書肉薄の六冊」とは「耄碌愚壮」の自説で、あまり参考にはならんが…わしはそう思う。

ところで御書。 1163頁の狭き空欄に鉛筆の自筆が以下。書いてある。
【○○年5月2日 我 自死を望む心境にて拝読す。 読後 再挑戦を誓う。生きる!】
何時の頃の5月2日だったのか…と思い。 死ぬほどの苦だったのか?と思う。

本文は、短編なれど「対告衆:四条金吾」は報恩号泣。我が師匠に叫んだ事であったろう。
御書曰く『空しい物の代表が 有形の財』である。 
が、皆思う。 いかにも空しいとされる、その有形の財を 勝利の「証」として求めているのさ、と。

「富」の規範は今。総立ちで「物品」に向かう中、無形の如き生命は雲母の如く希薄となってゆく。

「御書に真摯に向かう」時。 計らずも見える「風景」がある。
瞬間に消え行く 自己自身が、この短期間にやる事がある…と、拝読申す。



2006/05/12(金) 10:51:25

御婦人部の皆様。
「パンプキン」最新号も捨ててはいかんぞよ…  ^^;



2006/05/12(金) 11:52:36

実話である…

大阪九条に色街がある。 古きを知る御仁にはまこと懐かしき由来と察する。
界隈一角は、そこここ、風情の悩ましさは今昔の流れにも 痕跡は消えぬ。

前回が昭和61年であったので…そうか、もう20年も来ていない。と懐かしんだ。
いや。客で行ったのではない。   改装基礎仕事。

景観、旧を遺す。が相応しい色街に 新築のマンションは「風景」に沿わぬ。
上記が界隈での仕事が少ない所以であるのか…も、わたしにはわからない。
夕刻。作業を完全に仕上げて「次の20年目はワシャ無理じゃ」と帰路につく。

オンボロマイクロバスは「老齢愚壮」の運転で 『みなと通り』へ出た。
角に神社がある。  この無信号を左折で道なり、土佐堀通り〜天満橋となる。
この角を曲がる時であった(実話じゃ) フト 句が浮かんだ。

前句…不明。 中段…不明。 「迷いはすまじ スメラギの道」であった。
不可解千万。と、突然の意味不明の句。    これに私は引掛った。

『ん?はて、この風景。 いつか どこかで見たような』の文言版とでも言うか…
二日・三日・一週間と、この意味不明の、直感不吉の一節にマジ悩んでいたら。
…あった。

正解文は 以下であった。
『魁(さきが)けて、またさきがけん死出の山、迷ひはすまじ 皇(すめろぎ)の道』

羽前国(山形県)東田川郡清川村産。「清川八郎」(文久三年四月慙死) 
彼の愛詠歌の上記は「愛妾 お蓮(拷問死)」によく吟じては慟哭したと史詩伝う。

『皇(すめろぎ)』を スマロギと読み違えるあたり、 
愚壮薄学躍如で大笑いではある。

いや。なぜに、記憶の地平線の向こうの一句が 
あの時不整脈の態によみがえるのか。

愚壮は今。ヨタを吐くのではない。 人間とは一瞬で三世に同立する時がある。
科学と数式のみの「頭でっかち」の増長世相。
「なにかを 忘れちゃ いませんか?」と 書くのです。 そう。要敬謙ですわい。

  が、しかし。  実話ではある。



2006/05/13(土) 18:54:35

司馬遼太郎著 「奇怪なり八郎」との短編。
ここに『―― 皇(すめろぎ)の道』がある。

旧遊郭の帰路の閃きの一節が、なぜ、思いも出せない短編の、
それも、主人公とはいえ、たった一行に紹介の句なのか。

この当たりの 我が脳の悩乱不整ぶりが「わからん…」と、曰く「マジ悩む」
『お蓮』が引っかかったのかな? とも思う。

どうもこの女(ひと)の本名は別にあった、
が。八郎は彼女の風情を「蓮(はす)」に見たとも言う。

「如蓮華在水」をその女性に当てはめた、とも作者は言う。
「お蓮」は娼婦なれど清廉なり。 八郎ほどの高潔がそう思うのか。

旧郭街に、おそらくは古き時代から苔生す神社の角での閃きの「句」
一瞬の連鎖で舞台は 遥か45年前。昭和36年に逆行する。

以下。次稿(今夜は書けません)とさせていただきます。



2006/05/13(土) 20:33:52

>愚壮は今。ヨタを吐くのではない。 
 人間とは一瞬で三世に同立する時がある。


ちくと時間が空いたので…
仕事帰りの旧郭(くるわ)街に、おそらくは古き時代から苔生す神社の角での閃きの「句」
愚壮。16歳の折の出来事が妙に絡み付いてくる…と書いて今夜は閉じましょう。



2006/05/14(日) 12:36:19

「オランダ」とくると   アムステルダム 『飾り窓の女』 と、わしは連想する。 
所謂 スケベ。
「アンネの隠れ家」を思い起こさないあたり、 さすがではあるが…    
閑話休題(ソレハサテオク)。

京都下京区揚屋町界隈は、
三大屈指の郭街(江戸:吉原 京:島原 大坂:新町)の筆頭格を言う。
この島原旧遊郭街の大門は大宮花屋町を西入る。に歴史を秘めつつ現存している。
この門から西へ、距離僅か200Mの直進に街路、袋の如しなるも時間は逆行する。 
突き当り左側に歴史の色合いを遺して『角屋』。ここを右に行く。
(右に行くしかないのだが)
さらに突き当たりを左。眼前のJRの線路(現:高架)で、花街は終ってしまう。

昭和36年。16歳の愚壮は「K親方」に徒弟として京都に在る。
府立有名工業高校定時制機械化に受かってしまっても、
「通学の意思等ないんじゃ」と働く。

この頃の愚壮は、既に「酒・女・煙草」は一人前。 
そんなわしに祖母は『K親方から修練せよ』と言う。

『学歴なんぞ糞食らえ』との門出の祖母との二人酒に、
「もう、言っておく」と愚壮腐乱の生立ちを言った。 
『お前の本当の祖母は ワテではない 大阪新町(現在の西区)の芸妓や』 
 殺生な告白じゃった。
「なんや、わしは娼婦の孫かい」とは言わない。 
「ばあちゃん。僕のお母ちゃんは 祖母ちゃんだけや」…健気である。
「実の母も、実の父も 見つけ次第に殺すんや」が、
本腰、愚壮に芽生える頃の実話である。

上記七行は、初代「忘れ得ぬ風景」では私は書いていない。 
いや、書けなかった。が、本音であった。
先日の仕事帰りの、あの遊郭街の神社の角の『お蓮』に繋がる
一連の走馬灯の如き「忘れ得ぬ風景」
『お前は実は、新町の娼婦の孫』から、
45年後の『仕事帰りの郭街(くるわがい)の閃き』であった。



2006/05/14(日) 12:41:16

「K親方」弟子入りの16歳から、入会直前の24歳まで。 
愚壮最腐敗の人生に「見落としそうな実祖母」を見落とす。
「K親方」が請け負った現場を 
 『明ちゃん。今度の現場、お前。喜ぶぜよ』と言う。
島原旧郭街の西の端の国鉄の線路沿い。
古き神社の大銀杏の枝の張る隣接地の工事現場。

大門とは趣(おもむき)の似た門があったと記憶する。 
このすぐ脇に新現場が始まる。
隣地の神社は現在の地図での確認で、 これも、
不確かな記憶では「弁天」が祀ってあったと瞑目、手繰っている。

京都では現在は老舗の工務店。 
この現場所長は敷地に出っ張った「大銀杏」の枝を切った。
この伐採の日から、当の所長を手始めに「大工」も「鳶」も「土工」も「鉄筋工」も次々と負傷する。

大袈裟ではない。 殆どの職方が実に突飛な事故を起こしている。
例えば…「鉄筋工:Mさん」自転車通勤の馴れた通い道。 
落ちる道理の無い狭き側溝に逆様に転落。入院。
現場所長。 頑強の五体。原因不明で長期入院。以降、現場復帰不能。


「K親方」 足場から墜落。   愚壮の先輩 型枠割れでの転倒。   
本店は焦った。と聞き及んでいる。
 「あわてて現場内の、お祓いをした」とも言っていた。

「K親方」 は言った。 
『明ちゃん。 遂に怪我してないのはお前だけや』 又言う『…なんでやねん…』

小さい頃から、わたしは祖母を見真似。祖母の傍らで一生懸命に祈祷をしていた。
それは「不動明王」であり 又、「稲荷」であり 「大日如来」であった。
読経も諳んじていた分、 祖母は喜んでいた。    
旧島原郭街の西門の祠にもわたしは当時、祈っていたと記憶する。

24歳で「正法」に辿り着き、爾来37年目の先日の郭街での閃きでわたしは。 
「実の祖母」の存在の否定の自身に遭う。
何処の人か  どんな人か  そして如何なる人生を歩んだ人なのか。  
『実母』さえ、「わからぬ。知らぬ」と言う実の祖母よ。と、わたしは叫ぶ。
 一度としてもお逢い出来なかった。



2006/05/14(日) 12:44:17

> 一度としてもお逢い出来なかった。
が。

「生命」は時として三世に同立する。とわたしは叫ぶ。   
「実の祖母」にあっていたんだ!
そうなんだ。 身を揉み 宿命を呪いつつ「娼婦」と堕ち、
実子を引き千切られた「実の祖母」が 俺には居た。

三人の孫に囲まれて 4人目の目前の孫誕生を指折り待ち続ける今。
この時点を「実祖母」よ 貴女は知るや。
いや。もう既に 『ご存知でしたね』と 謹んで祈る日々である。

わしは生涯、 恐らくは絶対に、もう二度と「母方DNA」を恨みは致しませぬ。
育てて頂いた「高知産の祖母」の大恩を、三世に亘って 忘れは致しませぬ。
こう決めた。過日の咄嗟の閃きの句であった。
"曰く 『魁(さきが)けて、またさきがけん死出の山、迷ひはすまじ 皇(すめろぎ)の道』とは、
"
娼婦「お蓮」を導き出す 呪文でもあったのである。     

         この稿  完



2006/05/17(水) 08:39:26

昨夜。母から『お元気でっかいな(元気ですか)』と、電話が鳴った。
「どないしたん、なんかあったんか」とは、 こんな時間の電話は まず無い。

私と母の定期電話便は 大抵。 日曜日の朝である。
『歳をとると、朝は早い…』との母と、 
祝祭休にも「朝寝」を嫌う愚壮には、日曜早朝こそ最適。

話。『引越しするかもしれまへん…』との報告であった。
「操(みさお:長女)夫婦の目の届く場所が一番エエんやで…」と申す。
「大体、考えてみなはれ。 年老いた人が 八階に一人住まい。エエ訳 ない」
『操も そう言います…』『せやけど(でも)…』と母は言う。

『近くに行き過ぎて、若い夫婦に迷惑をかけたくない』
「それもそうや…」と、わたしは思っていた。

孫に囲まれて 温々との団欒。 『有り難いけど 甘えたくない』と言う。
再び母は繰り返した。『(それでは)捨てた二人の子供達の 重ねた労苦に懺悔が出来ない』
『残る時間の日々を 一人で心行くまで お題目をあげていく』

「そんな事、言うたらあかん。操に甘えて行かなあかんのや」
いつまでも「子捨て」に拘(こだわ)ってはいけない。

それよりも、75歳という祖母終末の時刻に符丁の如く入信を果たした母、
自身を褒める。「いつまでも悲母ではいかん」 
甘えるべき「母」無き、悲嘆の人も居るではないか。
とまでは、私は言わなかった。  
それよりも…。「この母も 母を知らず…」ではないか。

大阪西区新町に、母を求めて「母」は立つ。
時代は、時は。 音を立てて「80年」を逆走すれど、活性の街路に「痕跡」皆無。

高知県土佐市宇佐。 茫漠の太平洋に向かう小さな小さな墓碑ありき。
此処に。わたしが「母」をお連れする時。   怨念の縛は氷解する。
「急がねば… 時間が無い…」と感じつつ、電話を切った。



2006/05/19(金) 07:32:18

みな様。  お元気ですか?  悩ませてしまって…お許しを。

なんの脈絡もなく突然閃いたのは事実ですが、いま少し自身。
興を感じたのは。 「閃めかせた場所」でした。 それが神社(祠)です。

遊郭と外界を隔てていたのは「門」だけではなかった。と思うのです。
遊女自身の思いとかけ離れた「彼女自身の宿命」は、毎夜の「姦」と襲う。

打ちひしがれ、引き裂かれ、晒され続ける
毎夜の己の宿業の惨状に言葉は無いのです。
「自堕落か宿命か…」と、啼き。喚き。恨み。諦めた。    悲惨です。

大門の傍(かたわ)らに その祠は在った。と想像します。 (記憶。弁財天)
彼女らが「なぜ我、身を鬻(ひさ)ぐのか」との不消の怨念を 一体。どこに言うのか。

私は思うのです。 遊里の祠には『女陰(ホト)ゆえに組み敷かれた悲運への絶叫』が累積すると…

日蓮大聖人は(趣意)「遊女を我が家に寄せ付けない…」如く 正邪の峻別に自立せよと言う。
この御金言にさえ、 悲運の境涯の裏書き。  彼女らはいかにも、悲運なのです。
その直系が みな様。     愚壮です。

毎夜毎夜。 熟し柿の吐息に組みもがく名も無き遊女に「実祖母」を見る。
女郎街に、生死(しょうじ)の結界の「三途の川」の如き『祠』ありき。
この『祠』こそ、暗闇の閉塞の。それこそ…「真のうめき声」のはけ口ではないのか。

顔も知らぬ「孫:愚壮」が 唯一。宿命を喝破、転換し得る「正法」に辿り着いた。
とすれば。 「遊女の実祖母」は   声も掛けたくなる。
私には、それが解かった瞬間でもあったのです。

『遊女』とは 身をもって何かを、私たちに語っているのかもしれません。



2006/05/19(金) 07:41:40

追伸申し候。

ゆえに。「援助交際」などは「獣(けだもの)」の所業です。
CMに「モト彼のモト彼のモト彼のモト彼の…」とは、 エイズ撲滅の画面。

ブランドの装飾に身を売る風情には、苦言など聴く隙間も無い。
愚かな世相です。

もっと悪いのが居る。 「金銭を圧迫」に、迫る男じゃ。 屑です。



2006/05/19(金) 07:53:31

在阪の読者様。

今朝の毎日新聞21面(地域ニュース 第三ページ)
『純白のドレス、白塗りの厚化粧で街頭に…』
【娼婦の姿通じ 横浜の戦後史の一面描く…】
進駐軍将校専門の娼婦(オンリーさんという) ヨコハマメリーさん。
彼女をして、新進の俊逸監督は、こう言う。

『娼婦としての誇りを持ち続けた老婆』

是非是非 御一読を…。 愚壮奴。 胸が熱くなりました。



2006/05/19(金) 20:44:56

毎日新聞に紹介された、ドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」 
【中村高寛(たかゆき)監督】
この感動が世に出る顛末を 同紙記者【高橋慶浩氏】の文章は平易に、そして優しく。
と、描写されている。

【本文】
「末期がんに冒されながらも歌い続けているシャンソン歌手がいる」
03年6月、川崎支局に勤務していた私は何気なく手に取ったビラで、永登さんを知った。

横浜市内での永登(元次郎)さんのライブを取材した。
当日、体調不良で入院中だったにもかかわらず、
2時間弱のステージを用意された椅子に座ることなく歌いきった。
「元次郎(がんじろう)から歌を取ったら何も残らない」が口癖だったが、
その歌声には「生きて歌い続ける」という意志の強さと優しさがあふれていて、
カメラをのぞく目が何度もくもりかけた。 ―― それから亡くなるまでの約8ヶ月間、
お付き合いをさせてもらった。

永登さんは戦時中の台湾で裕福な事業家の家に生まれた。 だが、敗戦で極貧状態になり、 
母親が本妻でなかったことなどから帰国後は父親と別々に暮すことに。
ひもじい思いをまぎらわせてくれたのは大好きな歌だった。

中学卒業後、歌手を夢見て家出同然で上京するも挫折し、
生活苦から川崎市の歓楽街で女装をして客を引く生活も経験した。
26歳でゲイバーを開いてからは必死で働き、
44歳でシャンソン歌手に師事、50歳を過ぎて歌手デビューを果たした。

メリーさんとの交流が始まったのは91年、自分のコンサートにメリーさんを招待したことからだった。
メリーさんは終戦直後の日本に進駐した米軍将校専門の娼婦で、時代に取り残されてからも
全身白ずくめで町にたたずみ、 誰にも自分の素性を明かさなかった。

永登さんが 当時ホームレス同然だったメリーさんに声を掛けたのは
「少し違えば私もメリーさんのようになったかもしれない」との思いからだ。



2006/05/19(金) 20:46:02

永登さんによると、メリーさんも敗戦による貧困の中、白いご飯と洋服につられ、
進駐軍向けの慰安所に就職したという。

2人とも戦争に人生を狂わされた者同士だった。
永登さんは生活保護を受けさせようと役所とかけあったり、
金銭面を援助するなどメリーさんを陰で支え続けた。

全身にがんが転移し、病室で孤独に病魔と向き合いながらも、永登さんは
「残りの人生を一日でも長く健康に、幸せに過ごしてほしい」と 
いつもメリーさんの身を案じていた。
そのメリーさんも昨年一月、亡くなった。

中村監督は、これがデビュー作。
『二人の世代なら誰もが持つ戦後史を描きたかった』と話す。
『娼婦としての誇りを持ち続けた老婆』と『ゲイで末期がんのシャンソン歌手』。
二人が究極のマイノリティーだったことは間違いない。     それゆえ、
その交流は はた目には特殊なものに映ったかもしれない。    だが、
そこには確かに普遍的な、そして人としての純粋な感情があった。

― 完成した映画を見た後、改めて晩年の永登さんの記憶を振り返り、(高橋記者自身が)確信した。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6669



2006/05/19(金) 20:55:16

毎日新聞記者 高橋慶浩様
>無断転載 深謝申し上げます。



2006/05/20(土) 09:11:05

永登元次郎さん。

わたしもあなたに言いたい…『永登元次郎さん。  ほんとうに ありがとう』



2006/05/20(土) 10:37:17

母との会話。
「母さん、昔 竹喜(実父)が酔うと歌った浪曲があったが…」に母即答。
『紺屋高尾でっしゃろ、わたしもヨウ覚えてます』と受話器に歌いだした。

【遊女は客に惚れたと言い…客は来もせで「又来る」と言う】

母は続けていく。 
    嘘と嘘との色里で 恥も構わで身分まで
    よう打ち明けてくんなまんした…

高尾太夫とは(母、曰く)『阿波・徳島の花魁(おいらん)ではないのか』
「え、徳島ですか?」とは浅識愚壮。
『紺屋とは藍染め屋。藍染めと言えば徳島』と母の断言は、どうも頼りない。

が、母。『なんでそんなん(なぜその様な事)聞きますのん』
「いや、 なんか急に紺屋と遊女に興味が沸いて来ましたんや」

『高尾太夫は紺屋に身受けされた時 こう言うたそうでっせ』
『わたしは遊女ではあるが 買われた限りは「藍壺」にも手を入れる』
「女の人の美しい手を、それは無茶や。 爪の置くまで黒く汚れるがな」
『なに言うてんのん。 それが女郎の気概と言うもんや』
『身は卑しいけれど、そんじょそこらの女より高い気位です』…「なるほど」

が。今朝のワシからの母への電話は「遊女の気概」ではない。「紺屋」であった。
女郎の気概は、一連の投稿の如く。 わたしには解かっている心算である。

「ほな(それなら)聞くけど、「紺屋の白袴」やけど…」に母。
『それは高尾太夫に関係おまへん』
『紺屋の白袴は、あんた。「医者の不養生」と一緒やねん』

…母が正しいか。名字の言が正しいか。 それはどうでもよい。
「母の元気な声が聞ければ…」今朝の私の願いは。 それだけじゃ。


2006/05/20(土) 11:17:51

>名前: 愚壮 投稿日: 2006/04/12(水)
 愛孫 明日香。
 早速 例の「背比べ」『1337!』 10ヶ月で52_増。

「明日香」が「ヒロ」と今来ておる。
早速 またまた「背比べ」『1347!』 四十日で10_増。ウキウキ。

押しピン無用!の事務所の壁面に黒のサインペンで書き込む愚壮。
横から「ヒロ」が叫ぶ。『そんなとこへ 書いたらアカンやん!』
「ええんじゃ! 明日香とヒロとノブは、ええんじゃ。」

孫達には、このワシの心情。わからんやろ。

黒い横線がもう、10本になってしもうたが、脇の縦書きを「ヒロ」は言う。
『ジイジ。なんて書いてあんのん?』

わしは声を出して読んで聞かせる。
【わしの大事な大事な「明日香」の身長表です】

仏間の鈴。 明日香かヒロか…  打つ音聞こゆ。



2006/05/21(日) 04:59:19

この時間。既に「聖教新聞」は届いている。
今日。10時から支部出陣。 於、愚壮宅。

第七回青年部総会決着。
折伏 B-1決着。
壮年地区十勇士完結。    これにむかうのみ。

長男は今日も現場。(6時出発)

――  森閑の事務所にて…。



2006/05/23(火) 07:25:20

大白蓮華6月号巻頭言。

『母』を讃う!
そは!賢明の母。聡明の母。平凡の母。庶民の母。無敵の母。尊っとき母。
そして… 偉大の母。知悉の母。慈愛の仏の如き母。

『この尊極なる母を、誰もが最敬礼して、最大に敬い、報いていくべきである』

『母を大切にしない者は、人間として敗北者である』

母を恨み、妬み、あろうことか「殺意をすら感じた」と言う。

これが『愚壮』の正体なのか。
捨てられたからかえ?。 若気の所以かえ?。 
「そんなものは、理由にもならん」
…と。 我。 母を求め。母を慰撫し。母を抱(いだ)く。

『何度生まれ変わっても、母だけは絶対許さない』 
断言憚(はば)からぬ妹がいる。
実に、妹の辛酸は想像を絶する…も。 
「母」を許す事、即。「自身の真の姿」と知れ。

「夜叉」と「仏」を表裏に併せ持つんだよ。と。
釈尊に喝破された「鬼子母神」は活目し法座に「我諸天なり」と、連座する。

母は、子を捨てて「母」の偉大を知り。 
子は、母に捨てられて「母」の偉大を知る。

ともあれ。 「母」を最大に讃えねばならぬ。 

  最大に敬わねばならぬ。 …そう思う。



2006/05/24(水) 05:36:04

自分が今、厳然と存在している。
実不実。『無差別の差別』の自分が居る。

「今、死神が去った」との 友も居た。
去るまで待てずに「自己決別」の「ケンチャン」も居た。

『ここで投げては、積み木崩しだ』と、耐えつつ走ろう!と、自問の日。


「俎上の鯉」と泰然と向き合う。 
命断の瞬間まで「啼き喚き」抗う。

いずれにしても…「命、限りあり」 悩み沈んでは、哀しすぎるのです。



2006/05/24(水) 17:21:58

(今、現場から帰着しました)

「忘れ得ぬ風景」U だったかしら…
「4・5年後に必ず抜け出してここに書く」と言いました。
時は流れ。3・4年後、と。言うべきか…

私も、今。 とんでもない山を越そうとしています。
『越えるか、死か』と悩みつつ…

負けてはいかんぜよ。
負ける道理がないんだからね。

負ければ、仏法が嘘になる。
そう、決めなさい。



2006/05/24(水) 17:40:28

今ひとつ…

『越えたか!』と思った瞬間、次が来る。
遮二無二と これを越える。が、又来る。

三波・四波と来る。
一番コタエル時と場所に来る。

こいつが重なると  『不信』の出番じゃ。
思う壺じゃ。

次元が全く違って、大恐縮しつつ、思い切って書けば…
獄中の戸田先生。殴打さる。  (想像も忌みつつ書いております)

対手の主眼は『なにがなんでも 人格を否定する』
この構図で 幾人もの先達が、偉人が、伝承の人が「血涙」を流す。
が。歴史です。

一旦。信じて歩んだ「師弟道」 
たとい。 生きながら牛裂きにされようが。 退いてはいかんのです。

四度目の殴打に『よし!これで出る!』とは、 身が震える。
万人に等しく「仏果」は 必ず輝く。

『これ、肝に命ずべし!』   声高の自問です。



2006/05/24(水) 18:13:33

一昨日。主要取引先の「M社長」からの電話。
『愚やん』 わたしの姓を いつも こう呼んでくれる先輩でもある
(昭和18ねん生まれ)

足掛け6〜7年。 社長発注の基礎工事で、不況を乗り越えてきている、とは。
可愛い孫も、勝気な嫁(ママ)も、古女房も、子等も。 食べさせて戴いた。
(勿論書けば。「M社長」へ発注してくださる親会社への謝恩の念は絶えない)

が。この4月。 発注された基礎工事は、一物件のみ。
「大阪全体が暇だから」とは同業の社長達の言い回しに「実は、俺ところも減っている」

『愚やん。実は… 破格の同業者が…』これ以上は書かぬが、推(お)して知るべし。
『実は、四月も現場は多忙と動いていた…』とは、 糧の柱、座屈の音がする。


そして今日。「M社長」は言う。
『愚やん。俺も今日から南無妙法蓮華経と唱える』
『念仏 申すまじ』と言う。

俺のピンチを何度も何度も救ってくれた人が泣いて言う。
「絶対。通じる! 共に祈りましょう」と申す。

早速、女房に現場から電話をした。
「御祈念項目のトップに『親会社からの発注。総てM社長に!』と書け」と言う。
妻は言った。「おとうさん。いよいよ本当の出番が来た(趣意)」

一族郎党の三度のメシを与えてくださった「M社長」
わしが「修羅の祈り」で 一発転換してみせる。

今。この時点の「決意」である。



2006/05/25(木) 10:37:48

……とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給え、殿一人(自)にかぎるべからず・
信心(他)をすすめ給いて過去の父母等を すく(救)わせ給え。

日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、
此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、

相かまえて相かまえて 自他の生死はし(知)らねども御臨終のきざみ(刻)
生死の中間に日蓮かならず・むかい(迎)にまいり候べし、 (中略)

かつ(餒)えて食をねがひ・渇して水をした(慕)うがごとく・
恋いて人を見たきがごとく、
みめかたち(形容)よき人・べにしろい(紅粉)ものをつくるがごとく・
法華経(御本尊)には信心をいたさせ給え、

さなくしては後悔あるべし、云々。   【上野殿御返事 p1557 p1558】

苦悩に翻弄の自身を「鳥瞰」する事が出来る術(すべ)がある。

己心に自分を置くのか  己心に師を置くのか
己心を教範とするのか  己心に鞭を打つのか

『死を覚悟できた』との言葉(大白蓮華 6月号)を「一人立つ」と読む。
「わしはワシらしく、愚壮らしく疾駆する」と つくづく感じている。



2006/05/25(木) 19:31:08

「ピー」  階下のFAXが受信完了の合図音は夕刻であった。
話は完全に前後するが…
長女の予約診療で「M記念病院」に女房が同行が11時半。
送迎の心算の私に『病院の帰路に「京阪デパート」へ二人で寄るので迎えは不要』は妻。

「はいはい。了解でやんす」と二人を送っての帰り路。
違反の走行中の携帯電話で「久しぶりに昼飯食わんか」とノブチャンを誘った。
『ホイ来た』と、今回の組織編成で他支部の同志の「ノブチャン」快諾した。

例の 関東訛りの「絶品うどん屋」へ急行すると、
案に違(たが)わず「老兵氏」と居た。
久しぶりの昼間のビールは、これがまた、 美味かった。 が、余談。

持て余した時間。こんな時こそ…とは思うが、
持ち前の自堕落で「ケーブルTV・洋画」
と、先述のFAX音で階段を降りた。

>御祈念項目のトップに『親会社からの発注。総てM社長に』と書き
が昨夕刻。

新規A3の基礎図面が入っていた。  即。「M社長」に電話をする。
『愚やん 一軒口やけど 図面が来た』 「嬉しい限りです」と答う。
『昨日の今日やがな…』と 安堵の語感がくぐもった。

買い物から帰った妻に早速の報告に、「おとうさん。よかったね。」
「凄い功徳やね」と、長女も加わり感謝を申した次第である。

曰く。撰時抄
【されば 現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか】

曰く。妙密上人御消息
【法華経の功徳は ほむ(褒)れば弥(いよいよ)功徳まさる】

>可愛い孫も、勝気な嫁(ママ)も、古女房も、子等も。 食べさせて戴いた。

この一軒の基礎図面こそ、 上記ではないのか。 感謝は益々と深まる。



2006/05/25(木) 19:51:22

長女が左足に大怪我をして救急車で搬送された。 これが4月29日。
あれ程今まで乗り尽くした「救急車」に、又。彼女は乗る。

医師は「これならいっそ、骨折のほうが良かった」とは、
足首靱帯損傷 全治2ヶ月。

ワシは全身8箇所の骨折を誇るが 
この長女もまた、何箇所もの骨折暦を有す。
「次女なんか 抱いただけで二本の鎖骨が折れた」とは
「風景」にも紹介した。

熊本産の女房の家筋にはこれはなく、
専(もっぱ)ら 土佐のワシの得意手じゃ。

さてこの傷。    
「全治2ヶ月」が実は曲者で、今もって痛みは続きつつある。
紫色の内出血の範囲は「少し小さくなった」と 
松葉杖が上手くなった長女は言う。

朝晩の勤務先への送迎は、父親としては当然。と。続けているが…
多忙な頃では、それも出来なかったかもしれん。

こいつ(長女)が一番題目をあげる。とは以前の彼女。
今の長女の題目は、 親ながら実に惚れ惚れとしている。

そんな長女であるが。いましがた。飯を食うと友人と出ていきおった。
…タフである…。



2006/05/27(土) 13:22:00

【太田入道殿御返事】
貴札之を開いて拝見す、御痛みの事 一たびは嘆き二たびは悦びぬ、(中略)
又(止観の第八)云く「病の起る因縁を明すに六有り、(一〜五、略ス)
―― 六には業の起るが故に病む」云々 (中略)

諸文(経文)を引いて惟(ここ)に御病を勘うるに六病を出でず 
其の中の五病は之を置く   第六の業病 最も治し難し、

将(は)た又業病に 軽き有り重き有りて多少定まらず
就中・法華誹謗の業病最第一なり、
神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱(こまね)き 持水・流水・耆婆・維摩も口を閉ず、
但し、釈尊一代の妙経の良薬に限って之を治す、(中略)

抑(そもそも)貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も 将(は)た檀那の所従なり
身は邪家に処して年久しく 心は邪師に染みて月重なる

設(たと)い大山は頽(くず)れ大海は乾くとも 此の罪は消え難きか、
然りと雖も宿縁の催す所 又今生に慈悲の薫ずる所 
存(ぞんじ)の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に
未来の苦を償うも 現在に軽瘡出現せるか、 』

以上。一弟子の「願兼於業」故の病苦を、順々と仏は「噛み含む」
現実の業病は軽重様々に、法華誹謗の末法の一切衆生に現示する。
「病苦に埋没するな」は、わしの最も得意とする(曰く、やせ我慢)所だが…
わが長女も、「こんな私の足の怪我なんかは序の口である」と、向き合って来た。

さて、太田入道殿御返事。上記の御書は、以下で締め括られている。
『…悪瘡は但 謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を癒して長寿を招かざらんや、此の語 微(しるし)無くんば声を発(おこ)して「一切世間眼は大妄語の人・一乗妙経は綺語の典なり・名を惜しみ給わば世尊験(しるし)を顕し・誓を忘れ給わば諸の賢聖来り護り給え」と…』
 
   一期一会の門下生を誇るべき時である。



2006/05/30(火) 06:14:19

「次女が来る」と、妻がメールを見せたのが昨夜の9時。
白熱の支部運営協議会が終った余韻の仏間に
「協定無視」の女子部の歓声がある。

わしはこの時間。 早速のビールに「至福の時」であった。
「おとうちゃん、泉(次女)。来るで〜」と、女房がメールを見せた。
「来るで〜」を聞き終わる迄もなく、私の携帯は「条件反射!」と、次女に繋がる。

『子、元気か』と身重を気使う優しい父に変身の愚壮あり。
受話器の向こうから、既に母の抱擁の如き「次女」ありき。

「水曜日に行くからね…」       待ちきれんわい…。



2006/05/31(水) 05:44:42

>平成16年3月7日 であった。(忘れ得ぬ風景U)
午後1時 新入会がある。 「S青年」  於、K会館。
この「S青年」の紹介者は午前4時に富士宮を既に出発しておられる。

当地では 珍しく雪舞う正面ロビーに、「Y本部長」「愚壮」オタオタと待つ。
定刻を15分も過ぎたろうか。   待ちに待った「富士宮」の勇者8名 到着。

みれば、7〜8歳のお嬢ちゃんが3人、正面階段を駆け上がるではないか。
「ご苦労様!えらかったね〜」「眠くないかな〜」と、愚壮叫ぶ。
わたしは、3人の超人を 抱きしめた。    健気なる笑顔に言葉なし。
入会勤行会の担当幹部は直属「S圏長」    善哉。寸分狂いなし。

地元男子部の熱血漢が祝賀の垂れ幕を飾る「先駆の間」 雪雲に日差し眩しい。
厳粛の入会式。  紹介者のことば 「退転しないで下さい」は、重く深い。

「わが息子のように思ってきた「S青年」の入会を、 ずっと、祈ってまいりました」
長身、精悍の「Y本部長」涙で言葉続かず。  「先駆の間」感涙に埋まる。  
陽光、更に増す。      平成16年3月7日  13時30分。同中合流。


上記は(多分に割愛したが…)
「富士宮特区在住」の紹介者の熱意に「S青年」入会の風景。
この紹介者と「S青年」。   晴れて、男児を得る。

青年の風貌の精悍は、「R君」にそのままと伝持されている。
「R君」の入会の日も本幹同中の賑わいであった。   
満座祝福の余韻、今も感ず。

「R君」は地区協議会(は、母)にも、
先日の『第七回関西青年部総会』(これは父)と、参加。
いずれの会場も拙宅であった…

と、わしはその都度「R君」に無言と語りかける。
『これ、Rよ。 お前には「富士宮」の地で、
三色旗を振り続けた勇者の血が 涛々じゃ』

『常勝。と言われている「関西」の血も、お前には流れている…』

懸命に「寝返り」に挑戦する「R君」。その度、仏間歓声あり。
 『おい。聞いとるかい』
『お前が最前線に闘うときも、三代の先師指針。
一切のブレなく 守るべし』と言う。

飽きもせず。果敢に。と、「R君」は寝返りの難関に挑戦する。 

   仏間、又。歓声。



2006/06/01(木) 05:13:45

『ワシが車で迎えに行く…』に妻は言った。
「おとうさん。身重の娘は車はあかんよ」

「絶対駄目」と言い切る女房の正論に わたしはイソイソと出迎えの駅に立つ。
到着の人の列の一番後に「次女」が手を上げた 『…元気そうや…』と、
父。安堵す。

駅から自宅までの道筋を、
この地で生まれ育った「次女」は「懐かしい」を連発する。

『ゆっくり歩け…』とかなんとか言いながら
、わしの方が懐かしい横顔をずっと見る。

『そこも、ゆっくりや』と階段を上がった突き当りの仏間に「次女」直行する。

端座し深呼吸をし鈴を打つ彼女の背中に、
やがて「母」となる人のオーラを感じた。

次女の題目三唱に唱和しつつ、
『どうか。母子共々の更なる幸福を…』と祈った。

同夜の四者挨拶で私は言う。
『7・20 関西総会に総勝ちで先生をお迎えする』
会場右半分の婦女の皆さんに…と、御書を拝読申す。
 【四条金吾殿女房御返事】

曰く『日蓮 法華経より外の一切経を み候には女人とは・なりたくも候はず(中略)
此の法華経計(ばか)りに此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず…』

「御本尊を抱擁しつつ、門下生の誇りも高く。 
地域の中で輝き走り行く婦女の振る舞いに…」
『…一切の男子に・こえたりとみえて候…』とは、
大聖人の大激励。これ以上の歓喜はない。
…と、わたしは重ねて申し上げた。

遅い時間の夕餉。 私の隣に座っている「次女」は言う。
「うん、この味や。 お母さんの炊いたご飯の味や…」

妻と長女と次女に囲まれての食卓は、いつもより多い目の至福の時間が流れていた。



2006/06/04(日) 08:38:46

「仏間を使おう… 今夜のために仏間はある…」これには妻も同意している。
皆が集う19時半まで、わたしは、遠足前夜の子供のような気持ちであった。

大型の座敷テーブルを「縦つなぎ」に座敷中央に並べるや、たちまち。料理乗る。
とは、夕刻の「ダイエー」の雑踏で、妻と私「吟味」の「歓待」の「食材」である。

やがて…愛孫の歓声が階下に到着した。  
私・妻・次女夫婦。ダイニングにて待機。   

明日香・寛人・伸人。 
この三人が先を争って「仏間」に飛び込み「鈴(りん)」を打つ。

長男一家の到着をダイニングに待つ次女夫婦は、
この愛孫達の題目の澄んだ声を「すごいね」と。

『御兄さん お久しぶりです』との次女夫君に、
 一気に歓声の談笑は誘爆炸裂す。

やや遅れて長女と「U君」が到着する。 
総員11名。 「おし! これで揃ったわい」

乾杯の音頭は長男が執る『初対面の人。久々の人。常住の人… 
その安穏と健康に…』
御本尊を中心に置いて、たった二人で歩き始めて「37星霜」であった…と、
  感慨す。

「ヒロ」や「ノブ」がワシの背中に絡みつき「薄くなった」セットが乱れても。
  ジィジ嬉し。

長男・「U君」・亨君。 精悍な三人の青年が 事実目前と談笑する。
「ママ」・長女・次女。 優しい笑顔が 妻を護る。
明日香・寛人・伸人。  後継の無邪気の嬌声が  仏間を席巻する。

わしは一人。 深く深く、内心にて御本尊に感謝を申していた。

  これが昨夜であった。



2006/06/04(日) 11:42:12

第74回ヒューマン・アカデミー  於、愚壮宅 10:00。

第一回は…と、会報議事録を繰る。
平成8年12月22日  第一回「創積会」スタートする。とある。
当時の支部長(現:副本部長)は「佐藤氏」     参加者 わずかに6名…。

第六回から「ヒューマン・アカデミー」と会合の名前は変わった。ともある。

「あれから10年か…」と、前出、佐藤副本部長は議事録を懐かしく見る。
「一年間で12回なら、今回で114回でなければならない」とは言わない。

「74回か…が、しかし。持続の意義は惰性の連続にはない」とは、
和田副支部長。
『そうです。現に第二回は「婦人部との合同唱題会」で急遽 中止している』

今。教材は2005年11・12月号「三代会長 獄中闘争」
第一回に「B長」で参画の「槌っちゃん」は今回。新任地区部長として参戦す。

昨夜、家族団欒の歓声の「仏間」は、今朝「支部壮年部本陣」となっている、と。
皆が決意し、 「さあ!家庭訪問」と立ち上がった。  好天も蒸し暑し。



2006/06/04(日) 13:05:13

亨君と泉は何度も振り返って手を振る。

突き当たりの商店街を左に消えるまで…。
ワシは、いや。わしと女房と長女は、手を振り続けていた。

『駅まで見送ってもらいたくない』と次女は言う。
「おとうさん。泉の言うとおりにしてあげて」と妻は言う。

「今度会うときは、赤ちゃん抱いてね」と言いつつ、次女は手を振り行く。
「お父さん 御身体を御大事に」と言いつつ、婿殿「亨君」は手を振り行く。

日差しが輝いている。   静かな休日の昼下がりである。
見送りつつわしは、 「カラリ」晴々の自分を見ていた。

「炎熱を越え行く頃。   妻は「千葉・松戸」に行く」
これを今回、二人は確認に来たとは、女房の言葉であった。

大阪で産むか、千葉で産むか…。  
一番次女夫婦が望む事を私は望んでいる。と。妻に言った。

いましがた。 二人は「街角」 左折す。



2006/06/07(水) 11:41:14

「女房様。入会48周年 おめでとうございます。  益々 お元気で…」
これは今朝。 私が勤行の際、経机に書き置いた文面である。

昭和33年の今日。 妻の父が入会。というよりも、家族全員が入会している。
当時入会した全員、一人として退する事とてある訳はない、どころではない。


ほぼ、半世紀の時空を越え来た今。
多くの子供(7人姉妹、兄弟)の総ての配偶者も、連なる子も孫も学会家族である。

『草創の大母』とは、この連載手記で幾度も幾度も、と。御紹介御讃嘆申した。
この「大母」を、実不実、同居し御守り下さっているのが「末娘の夫君 Y氏」。

幾重と重なる日々の流れが『今日は何の日』と、公私に亘る歴史を無音に示す。
『Y氏。御母堂 御逝去』   訃報は非情と勃発する。

「愛別離苦」  ああ、無情なり。

妻、還暦目前の入会記念日の今日。 『益々お元気で…』と書く私は真剣であった。
悲喜が重なる。     「Y氏(義弟)」慟哭す。



2006/06/07(水) 11:50:46

その妻が、「入会記念日を祝うのよ」と、行う事がある。

(今も続いているが…)「5時間の唱題よ」と言う。  
感謝はこうして表すのよ。とも言う。 

  『…彼女には、勝てぬ道理よ…』



2006/06/09(金) 06:42:06

「今日で完治。もう来なくていい」と医師が言った。とは、昨夜の長女。
『全治2ヶ月が初診断であった』『もっと掛かるかもしれん』と思っておったが。

長女は言う…  「中○副圏長」のお宅に寄ってきた…と。

(咽頭ガンで声を失った氏を、私は何度も「風景」に御紹介を申しておるが…)
『お、そうか… 副圏長、なんか言うたか?』
「ポケ〜と、信心しとるから怪我するんじゃ」と、長女はスッキリと言った。
 『そら、(お会いして)よかったのぉ』   …中○節 健在。と、安堵する。

「M記念病院」の辻向かいにお住まいの氏に、完治の報告に訪ねた長女。
『それでエエんじゃ』と、わしは思っていた。

「声が出ない」と。第一線から見えなくなった「圏幹部・中○氏」
が、しかし。そこいらの圏幹部が束になっても、到底勝てない「中○氏」でもある。

我が誇りの「N支部婦人部長」は言う。
『私。実はね。 とんでもない指導は 中○さんに受けに行く』
そらそうじゃ。   わしも実は同じなんじゃ。

「中○副圏長」は、たれよりも太き師弟の大動脈が流れている。そこへ長女行く。

6月に入って「あらためて地区3」と、女子部は今、燃えている。
「全力で強力(ごうりき)を申す」と、支部壮年も総立ちとなっている(常勝パパ唱題会)

我が家の拠点。  桜花爛漫の厚田墓苑の戸田先生。西方屹立と仁王立つ。
とは…わたしの永遠の同志が御送り下さった「戸田先生銅像実写真」である。

我が支部の拠点から再びの常勝を証明する時を「三人の師匠」は見守っている。
…ゆえに…  『壮年部こそ、負けてはいかんのじゃ』と決める。



2006/06/12(月) 05:20:25

中国、四国、九州地方の早朝の地震。
心配をしております。

愛媛の友人にはメールでお見舞いを申しあげた。
どうか、最小の被害で済みますように祈ります。



2006/06/15(木) 05:38:23

「うっとうしい」とは、梅雨空の挨拶語。
今朝の「無冠の友:Wさん」も、そうおっしゃった。
『愚壮さん おはようございます。うっとうしいですね』
「降りだしたなァ、気ィつけていかなあかん…」
『ありがとう』     たったこれだけの会話である。

が。 これで、双方。 一日のスタートを実感している。
沖縄では豪雨の被害が拡大しつつある。
「清ちゃん」とは。 次女が生まれた時からの大事な職人さん。
この彼の近くのマンションが地盤もろとも崩れつつある。とのニュース。

無口な「清ちゃん」が言う。 『心配じゃ』
どうも、今年の梅雨は、豪雨が予測される。
仕事柄、法面(のりめん)の崩落の破壊力をしる私である。

傾斜地の土砂災害。 どうか、警戒を厳重にされたし。
低地の冠水も「あっという間」と、水は来る。   要警戒です。

蛇足じゃが、食中毒も、この時期蔓延する。 
「なんでも食うべからず」



2006/06/18(日) 11:52:54

支部の壮年、男子の有志が御書拝読会。銘、「石○キング」
毎月の第三日曜日 午前十時 於 愚壮宅。

本日は『開目抄:下』を学ぶ。
「S副本部長」「W副支部長」他、壮年部 6名。
「N部長」「K地区リーダー」他、男子部 3名。

曰く「わが一門の者のためにしるす 他人は信ぜざれば逆縁なるべし…」
曰く「一Hをなめて大海のしを(潮)をしり 一華を見て春を推せよ…」

上記の直前、大聖哲曰く。
『黒白のごとく・あきらかに須弥・芥子のごとくなる勝劣なを・まどへり…』
『いはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや』
曰く『惜しい哉 古賢 醍醐を嘗めず…』

参加者一同。長嘆悶絶だけではない。難語句にも光明を見る。と、挑戦する。



2006/06/18(日) 13:07:51

「本幹同中に全部連れてって」と女房が言う。   悪き予感あり。

『全部とは、家族全員って事かい』

女房。長女。強靭ママ。三人の孫。 これを同中に連れて行くの?
『堪忍してくれよ』と言いたい。 が。 ぐっとこらえる。

どだい。 下の二匹の「スズメバチ」の悪餓鬼振りが、近頃、手に余る。
つい最近までの「可愛い孫」が、完璧に消えうせておる。

小学校へ行きだして…「ヒロ」の悪たれに磨きが掛かった。
と、同時に。「ノブ」も見習っておる。

嫌々、車の用意が出来た。  今から行く。

それでも… 「第61回」の意義は深い。と。参加します。
(イソイソ…)



2006/06/18(日) 16:01:12

孫三人とも、入場券を持っての参加であった。

孫達はロビーの中を駆け回るぞ。とは 杞憂で、存外温和しい。
「未来部」専用のダンボール箱に、教えたとおりちゃんと入れる
 (当たり前じゃが)

見知らぬ御婦人が「三人とも あんたの孫か」と聞いてきた。
『悪うて困る』と、見当はずれの返事をするワシ。

扨、同中。字幕が入った。 これは有難い。
例えば、若干難聴の人は おおいに助かる。

白眉は合唱。 
『♪今日も元気で』で 何故泣けるのか、ワシ自身でわからん。
心を打つ歌声とは、美声の持主だから。とは限らない。
一曲の詩に歌に、歌う人の魂が宿る時、聴衆は感極まる。

「私も参画申した」(曰く県長)との、第61回本部幹部会。
ドヤドヤと一家で参加の、これは大正解であった。    

心地よし。



2006/06/19(月) 05:27:04

午前4時前、けたたましくサイレンが鳴って目が覚めた。

二度寝の誘惑が、何処を押しても出てこない年齢か、しっかり目が覚めた。
サイレンは遠のいて消えてはいったが 当事者は、どうかご無事で…。

そういえば…。昨日の同中。
開始直後に慌ただしく退席の数人を見ている。 (火事らしい…との声あり)
今朝の一般紙。 この火災で死傷者が出たと報じている。
とは、昨日の急遽退席の人。近隣罹災であられたのか。

今、店長にお聞きすれば…。どうも、お一人住まいの災難であられたとか。
冷房さえ必要の休日の、昼下がりのこの火災。 ありえぬ設定で事故となる。

「集合住宅での今回の火災。一室の災難では終っていない」とは店長の話。
火災はまず。水の被害を連れてくる。    他人事では無い。と思う。



2006/06/20(火) 18:36:48

「無期懲役なら正義に反する」と広島高裁に審議差し戻し。

山口県光市の七年前の鬼気迫る犯罪は、
「おぞましい」でも億分にも云い迫れぬ。
『死刑』とは、たれを処する為に有って、誰が決め、誰が裁くのか。

最高裁自判を放棄し、自らの死刑判決を避けた「最高裁判所」。
差し戻し審議で「生きながらの更正」の為に闘うと主張する弁護団。

『我が身に 中(あ)ててみる』が逸脱の世相である。と、愚壮は啼く。
地球より重い生命を、一瞬の欲望充足の為に踏みにじる。

『死刑完全廃止』の国家が多くある事実と。
一番楽な「後追い自殺」の道を絶って「死刑判決」まで闘い続けるご主人。

「対岸の火事」…と。 夕刻の街路に近所の子供たちの嬌声が聞こえる。
 何が起っているのか。は、考えすぎなのか知らん…
 思考回路が混濁している中。 全く無関係に以下の記述を思い出している。

地球の一生を一年間に譬えれば…
今、まさに12月31日の午後七時頃。とある。
(一説では 大晦日の午後11時を過ぎている。とも…)



2006/06/24(土) 05:40:49

町内近辺で火災が発生すると、「必ず愚壮。お前がいるのぉ」と言う唖法も居る。
非道い奴は、「冗談やけど」と前置きしてこうまで言う。   
『お前が火を点けたのではないか』

我が街は、御存知 学会員さんが多い。
住人曰く『石を投げたら 学会員と職人に当たる』…程、多い。
…の分。実は今まで火災も多く、最悪の惨事をも目前にしてきた。

自治会長も私も、この「多発の火災」に苦悩していた。
ゆえに長年。 わたしのアンテナは過敏に働き続けている。

奈良。田原本     20日早朝のこの火災の画像に私は凍る。
一般家屋の火災の火焔ではない鼎の火勢は、尋常ではなかった。

「今回の、この火災には何の脈略も無いのじゃが」と。
 ワシは一昨日から煙草をやめた。
10歳頃からの喫煙は半世紀を越えておって、
禁煙など。何度挑戦しても挫折した。

が。今回は不思議と絶つ事が出来た。 
悲壮な決意も不要じゃッた。
意志が強いのか。 「禁断症状」が感じぬくらいにボケたのか。

  ま、めでたい。



2006/06/26(月) 04:57:28

昨日。 我が支部でお二人の入会がありました。
男女青年部の執念でした。
支部の指揮は『愚壮』   

異体同心の十時の出陣に打ち揃った四者で、拠点は沸騰しました。

この沸騰。尚加速致します。  『7・3   7・17』へ。
北の僻地「夕張」から大阪転戦の若き指揮官  直ちに収監さる。

かの日から半世紀。  
大阪は未曾有の不景気に底辺労働者。生ききれず。

かの日から半世紀。  
夕張は無念の非採算に夕張メロンだけでは。生ききれず。



2006/06/26(月) 13:31:15

たかが禁煙…… されど禁煙。
『光』一箱 ¥30―。

ここで、禁煙を寿ぎ、お世話になった銘柄に謝意を込めて追悼申す。
(但し、順不動。 価格、うろ覚え  エピソード、エエ加減)

「ゴールデンバット」 やはり入り口は「バット」。細身且つ葉の詰め甘き安物。
当時。祖母愛煙に「みのり(刻み煙草)」があったな…

前出『光』は父親が吸っておった。 確か、辛かった。
濃紺のお洒落な小箱の「ピース」は、その香りは逸品であった。
(このピース。 香りのみならず その薫味も又。超一流である。
無論「缶ピース」もじゃ)   「いこい」は♪系のデザインの下品。 

「しんせい」は発売当時は安物の代表であった。
が。二度目の登場で人気高騰したもんじゃ。
大映映画『悪名』で一世を風靡したのが…  
吸い口付きのホレ… 忘れたわい。

はじめてフィルターが付いたのが「ハイライト」
これは爆発に売れ「猫も杓子」もこれじゃった。

小林旭が流行らせたのが「ショート・ホープ」で、高級品が「富士」

赤い二箱が「AAA」と「チェリー」じゃった。
が、一番長くの愛煙が「7☆」で、
最後は  「セブンスター・ハード」で終っておる。

 らくだの図柄の洋もくは(話が飛ぶが)旨かった。

知り合いの濃厚化粧の多くのホステス達は細身のロングを好んでおった。
んで、わしは。 煙草を吸う女性を「頑」と嫌って ずっと、損をしてきた。

「ミント系」は何故かグリーン色彩で好む奴も多かったが、
これもワシは吸わん。 それは『タバコ屋信ちゃん』が 
 「愚壮さん。ハッカは立たなくなる」素直に聞いた。

今言った 何倍も銘柄は存するが、どうでもいいので書くのを止める。

いやはや、煙草殿。  長年お世話さまじゃった。  (大平伏)



2006/06/26(月) 13:46:50

煙草。
実につまらん話を思い出した。

初犯の「阿倍野警察留置場」。
同房の鯔背な 御あ兄さんが取り調べの愚壮に言う。

『にいちゃん たばこ、すうんか』と以下言う。
多い目に煙草を所望して 吸殻を房に持ってきてほしい。

「どないしまんねん?」吸殻を何処へ隠すのか。と聞く。
『マンゴロ(吸殻)は…(この御兄さん、九州)』
『にいちゃん、パンツのちんちんの出口の…』 二重の部分に隠してこいと言う。

若き愚壮の「スメグマ」の香り芳醇は、かく。先輩に感謝さる。
『おい、お前も吸わんかいや』  「…いや、遠慮します」

ま、実話じゃ。



2006/06/26(月) 14:01:10

つまらんついでに 留置順に書いてみようか。

阿倍野 寝屋川 城東 亀岡 枚方 天満
多分… 順番も合っておる筈じゃ。

若気の頃とは、あなた。 大事な大事な財産で、
上手に使わなければ 後悔するぞィ。



2006/06/27(火) 19:13:34

先刻 「タバコ屋のぶちゃん」が孫の守りの道中に来る。
「信ちゃん」とは昭和19年生まれ。
学会の役職は「ヴェテラン地区部長」であって。ワシとは気が合う。

が、今日は少し機嫌が悪かった。  
曰く「おい愚壮。おまえ、ほんまに煙草 やめたんか」

呼び名の通り、信ちゃんはタバコ屋である。 

故にワシは
『当たり前じゃ。 ワシは一偏決めたら 梃子でも通すわい』
とも言えんのである。

『今日で六日目や…』と、それとなく、温和しく言う。

しょうもない(通解:どうでもいい)話が、暫らく続いた別れ際。彼は言う。

「それはそうと… 今晩久しぶりに飲みに行こか」に、
『せやな ええな』と言う。
「酒が入ると禁煙など忘れてしまうわい」

これが信ちゃんの狙いじゃろう…

見え見えやで…信ちゃん…と言わず、
ワシは可愛い、信ちゃん似の孫に言った。     『バイバイ…』

…と。  禁煙続行中。



2006/06/28(水) 05:28:57

日銀・福井総裁に対し、公明党の神崎代表は27日 以下の発言をする。
「(総裁は)自らの判断で出処進退を判断されるべきだ…」

さすが、大衆と共に自らの運命を共にする政党である。こう思った。
が、じゃ。 
今朝の新聞(毎日新聞)では『総裁辞任否定論』に塗り換わっておる。
曰く 【公明、一転「続投を」】


庶民に「ゼロ金利」の悲哀を押し付けておいて
己は職責利用で大金を短期に倍。
なんでこんな奴に加担するんじゃ。   
 「H幹事長」らしい変わり身じゃ。

「T下」や「Y野」だけではなさそうじゃ。この際。「H柴」もお仲間じゃ。



2006/06/29(木) 04:14:17

ワシが間違って(とは、謙遜にあらず。その恐ろしき非力を言う)
地区部長を拝命したのが平成七年じゃった。(平成12年解任)

初コンビの「Nさん」は、今で言う『地区婦人部長』。  当時地区担で。
それはそれは、彼女は 実に凄い人。(現:支部婦人部長) 未だに勝てていない。


この「Nさん」と私が、
この田舎町の『地区』という組織に幾つかの新風を贈って来た。
そのひとつが、『幸の足音』の作曲で、 今は支部歌。と、愛唱している。

もうひとつある。  当時の地区の、三つのブロックの「冠名」を変えている。
あの頃は、壮年B長さんの名前が「ブロック名」というのが多かったが。
新任の私たちは、まず、これを替えた。

この機運は幸い、「上も諒である」と支部全体のブロック名が変わった。
と、記憶する。

この際。他地区のブロック名は省くとして。
新任愚壮地区部長渾身のブロック名は、以下の如くであった。
(統監順)『旭日』『MAX』『紅』。

上記はいずれも、大日輪が水平線を突き抜ける様を暗示していた。
その呼称は又、当時の新任『愚壮地区部長』の、燃える想いの代弁でもあった。

やがてその5年後、
愚壮は支部長を拝命する(Nさんも同時に支部婦人部長拝命)。
かの、栄光の「三ブロック」   今も健在なるや。と訪れる。

名は、名のみは。確かに存しておる。では、申し訳が立たん…。と。
新任地区部長が登場された。   
平成12年から本年までの空白を、彼は埋める。

遠き昔日。
「名物部長」の薫陶を受けた猛者が やっと地区に還って来た。
『槌っちゃん』  あだ名「ゴリラ」が地区部長を拝命する。  
驀進再び来たる。



2006/06/29(木) 04:43:38

この『槌っちゃん』     誠に申し訳ない事であるが実は。
『旭日』  『MAX』  『紅』この三ブロックの「B長」を全うする。

便利屋の如く、手薄の「搦め手」の補強に、氏は情熱を注ぐ。
「ゴリラ」の如き風貌は、「未来部。泣いて近寄らない」と悩みつつの奮闘。開幕。

彼(ゴリラ)を語らずに『忘れ得ぬ風景』は存在する事はない。と。筆が起きた。
(今朝、起爆の文章に接し、遅遅なれど、 起稿する)


            2006年6月までの稿完結

  


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