2005/07/03(日) 05:30:42

60年前の今日。不求伴侶の瀕死の獅子は「野に放たれる」。
満身創痍の巨人が孤軍、荒れ野に立った時から。60星霜。

釈迦門下にも、日蓮門下にも。
卑近の反逆者は「これこそ正法の証」と跋扈している。

学会も、この日の「満身創痍の痩身の巨人」たった御一人の存在をして
「正法の証」となす。

今日。 「真実の黎明の時」の幕が明く。 
曇天の早朝。 何百もの「小鳥」がねぐらの木を離れて、北を指す。

雨もある。風の朝もある、が。
かれらは、この「早朝の編隊飛行」を、欠かさない。

4〜50羽で飛ぶ者。数羽の者。孤軍の者。
高低に高度をゆらぐ者。一直線に高々と往く者。

来る日も来る日も、飽く事無く彼らは「北の餌場」を目指し 飛び行く。

殆んど毎日・・・と、言ってよい。
彼らを見上げている壮年が居る・・・・と。

彼らは気にも掛けずに、今朝も「北を指す」  


  7・3である・・・。




2005/07/03(日) 08:12:20

先月末。県書記長の御父君がご逝去さる。享年82歳であられた。

疾く九州の地に亡き父上を見送られての今朝。
傷心であろう「書記長」を自宅前にて待つ。
4時50分。いつもより5〜6分の遅れで氏は来た。

『毎夜 啼く』と言われた。


さもあらん・・・。
「わたしの、あの、愚父でさえ、5日。  一週間と、日増しに啼き増した」

父とは、まこと。
居なくなってからしか、その存在の真の偉大さをば知れない。


「書記長」の車が、南の商店街の突き当りを右折して消えるまで 
わたしは見送った。

長男の仕事の車を見送る時と、同じ仕草で。  
挙手敬礼の姿勢で、わたしは見送った。

『今日一日。 奮迅を!』と走り去った「県書記長」と、
今朝はこうして共戦の戦端を開いた。

NHKのニュース。 都議選の投票開始の映像を伝える。

東京を孤軍奮闘させてなるものか。   
わたしは、今。 そう叫んでいる。



2005/07/04(月) 06:17:25

朝から、緩める事の無かったネクタイを引き抜いたのが21時であった。
汗なのか、雨のせいなのか。  ネクタイは濡れていた。


「N支部婦人部長」が東に行けば、わたしは西。 
彼女が北ならば「ワシは南です」とは、昨日の二人の軌跡。

朝、9時(一部は8時)から20時まで。  
ふたりの航跡が並走することはなかった。

終日の雨天にも、湿り付くような我が支部ではない・・・。と
唱題が渦を巻く中を。
ふたりは「八面六臂・神出鬼没」を文字の如く走っている。


「7・3」の朝。出陣の友全員に行き渡っていた道標があった。
この日の道標とは、「みちしるべ」ではない。 

 『黄金の金字塔』であった。


そは・・。「昭和20年・昭和32年・平成17年の7・3」であった。
遠き12年間の陣訓は、昨日までの48年間、

真贋を篩(ふるい)に掛け、
愚賢を峻別し、蒙昧を判別し、「師弟」を荘重し続けた。
証左がある・・・・。と。

『次の50年は完璧に開かれた』との文字が言う。
道標は言う。金字塔は言う。 

『昭和20年から昨日までの「60年間」の歴史に私は居る!』
『確かに居るんだ!』
強弱に降り分ける終日の雨にも。
この「赫々の金字塔」は、雲海を突き抜けていた。


20時を挟む時間帯のわたしは、
迷路の路地裏を地区から地区へと「飛脚」している。
今夜の報告だけは、「待たずに取りに行くんや」・・と。走る。


「Y本部長」からの電話は、22時に近かった。  
数々のドラマを生んだ「三ヶ月間」を氏とは短く語ったが、
睡魔は限界であった。


そして今朝。4時半のNHKの「おはようニッポン」で、
23名の完勝を知る。
「県書記長」と握手をし、「無冠の友」と歓喜をし、
今。小雨に長男を送り出す。

心地よき、軽い疲労感。   

湿気の多い風さえも、又、心地よし・・・・。



2005/07/04(月) 08:52:30

>> 『今日一日。 奮迅を!』と走り去った「県書記長」と
  今朝はこうして共戦の戦端を開いた。


この直後。わたしは自身の「7・3」への気概を自己に問うている。
造られた雛壇に、遅れる事もなく自分を並べる・・・。
『それで、ええんか』と問う。

又始まったか 大風呂敷が・・。と問い、『言わば言え』とも、答う。
「そうや!今日こそ、今朝こそ、しておくべき事がある」と自問に回答し行動している。

今にも泣きそうな低い雲海に、無数の「ひよどり」の北への飛翔群舞をわたしは見上げている。

「よし!今朝は、全ての地区の配達員さんにお会いしよう」 
戦野は森閑としていたが。戦端は開いている。
尖兵とは、この時刻に、もうすでに闘っている「無冠の友」ではないのか。        

『会わずにおくものか』 
愚壮はオンボロ自転車で支部北端の地区を走った。
はたして、程なく「日曜代配」の御婦人と遭遇する。 
「おはようございます」「いつも、ありがとうございます」
 心から、そう申す。

よし!これで今朝は全地区の四人の配達員さんにお礼を言えた。
言えば、たったこれだけの事である。   
たったこれだけの事ではあるが。
わたしの「7・3」には、身に余る戦歴となっている。

たった4人の庶民の婦人が、「仏史燦然の7・3」の最前線に立つ。
日本全国。否。 全世界の「無数の庶民の無冠の人々」が、
この日も戦端に居られている。

遅遅、目やにを付けたまま起き出して陣列に加わる人に、
「無冠の無欲の勇気」など見えはしない。とは、言わない。

『陰を支える』とは、何を指すのか。  
大きな課題であろうが 愚壮にはわからん。
「造られた雛壇」を、どう生かすのか。    
「造られた」と斜視するのか。百倍と生かすのか。 
愚壮にはわからん。

そんなことは、なにもわからんが。 
決戦当日の「無冠の友」には激励を致したい。
こう、自問し、自答し、自転車を駆った。  それだけである。

ともあれ。  今回も御婦人が闘った。  

 これが言いたかっただけである。



2005/07/04(月) 09:02:06

愚壮よ『陰で支える』ではないのか? との声が聞こえる。

そうではない。『陰を支える』じゃ。 誤植ではない。



2005/07/07(木) 04:37:47

33年前の今日。 祖母は亡くなった。
明治31年生まれは、享年75であったが・・・。
辛酸、労苦の人生であった。

わたしは、その時27歳。  
創価学会入会3年に満たない頃であった。

わたしが未だに悔いを引きずっている・・。とすれば。
祖母を入会させ得なかった事である。 
今も仏前に、それを彼女に詫びている。


7月7日は、「牽牛」「織姫」が、逢瀬に河を渡る。
祖母を知らぬ「孫」達の「ササ飾り」には、短冊が風に振れる。

『はやくおおきくなりますように』『かぶとむしがほしい』
『おともだちがたくさんほしい』『おふとんでおしっこしない』      

これ等の孫の存在を、祖母よ。貴女は見て下さるのか・・。

静寂の仏間は、妻の性格そにままに、見事に整頓されているが、
今朝は格別、厳粛であった。

祖母よ。貴女が居たから私は居る。・・と。 
還暦の彼女の孫「愚壮」は、黙然と座す。




2005/07/09(土) 05:46:58

「草創の大母」とは、妻の母である。
貧困の大家族で、実質(入会したのは義父)
信心のラッセル車を貫いた「大母」である。


「大母」入会半世紀を目前の今。
彼女が果たした「一人の婦人」の巨大な足跡に想いを寄せている。

大母を基点の学会の大河の支流は、例えば・・
「あすか」「ヒロ」「ノブ」にまで届いているからでもある。


というのも・・・。
昨夜、茨木の同居の「義妹」から、厳しき報告が入った。
『お母さんが、再び転倒して 腰の骨を折った』(概要)
86歳の御高齢であられる。「・・深刻でなければよいが・・・」


「義妹」から、
深夜の時間帯に入院先の病院の所在地がFAXに入っていた
今朝である。  疾く。走る。 
再びの事故であるが 完治していただく。




2005/07/10(日) 05:38:46

あわただしい一日であった。 
又、塊雨断続の、この日であった。
「義母」の入院先と 茨木の義母の自宅を往復しつつ、
地元の会館の「同中」に参加。


夜更けの自宅事務所に、一枚の「FAX」が入っていた。
「・・・気が付かなかったな」と、読む。
最北に闘う「健気の人」 U嬢氏であった。


本文の丸写しは、ここでは避け。趣意を書きます。
(御了解を得ずの転載。深謝)


『  愚壮様。奥様。

奥様の御母上が怪我をされた由。 
一日も早い全快を心より御祈念申し上げます。
(中略)看護・介護される御家族の皆様の御健康もあわせ 
御祈念申し上げる次第です。
                        御氏名   』


この人の、励ましに  心身の疲れが見る間。  掻き消える。
わたしは今朝。「FAX」にて、御返事を書き送ったが・・送付不可。


原稿が帰ってくるのは、よくある事であるが、
わたしは「U氏」が用紙を補充する時間まで待てない・・と。
今朝書いた 御礼文を書きます。

      「U様」 有難う。




2005/07/10(日) 06:05:28

本文(割愛なし、全文)

『 「U様」 早速の心強きお見舞いありがたく 心から御礼を申し上げます。
本年、二度に重なった「義母上」の事故。 今回は、実は胆を冷やしました。

入院直後、と言う事もあり。「義母」の私物を何度か往復持参で、
入院生活が不便にならない様、走った次第です。
「末妹」の夫君、Y雄氏も職を休んでの、私達「外婿」が動いた有様でした。 

主治医は二度に亘って真剣に(症状・現状・医療方針の)説明をしてくださり、「義母」自身。『良い先生だ』と、感激をしている位、元気です。

「今回の転倒での骨折部分が見えない」とは。医師の不思議な説明です。
 U様。 「転重軽受」  正に身の締まる思いで、亦。目撃しましたヨ。

数枚のレントゲン写真の「義母」は
側面からの椎骨の彎曲(椀曲)が悲しく、
正面(から)の骨盤の極端な開きに涙しました。
「義母」の奥底部にある 労苦の年輪。とでも申すのでしょうか。

医師が言う『絶対退院』を目指します。
見えない骨折との闘いが始まりますが 「義母」は耐えるでしょう。
私たちも、そう心に決めております。

早々、御報告まで。          2005.7.10 04:59`

      大阪・門○        愚壮      』


以上が、全文です。
「U様」   一刻も早く 全快いたします。
義母と、末妹夫婦と、妻と私。  温泉をゆっくり楽しもう・・を、果たします。



2005/07/10(日) 08:35:22

今朝の【名字の言】は、「強靭ママ」が冒頭に出る。
本文の支部婦人部長は、18年の歳月を邂逅しておられる

・・・・とすれば。まだあと、10年もあるのかえ?   
まいったわい。 が、しかし。と、妻は言う。

「あの娘(こ)やから、長男の嫁が務まる」 そうかもしれん・・・。

戸田先生が聖教新聞を『読んだ人が幸せになる』意味を言われている。
「7・17」とは、弟子が師を護もり貫いた時を言う。

今日。午前10時。  「Sブロック」結成式である。
ここの「B長」は、目前の「B座」と併催での「結成式」をば致さない。
小さな静かな「Sブロック」は、知不知。支部で一番の唱題をあげている。

いままでも「派手な立ち居振る舞い」等、皆無の「Sブロック」である。
今日。 その真価が、一層に輝く日となる。


まったく、違う話であるが・・。
今朝も、 新規現場の図面が送付さる。  
さっそく「M社長」に電話を申す。

「ハハハ・・  相変わらず 早いですな・・」
『社長こそ、早起きで・・』

「この歳になると、 朝は寝ておれん・・」と笑う。 
 まったくです。 ワシ。今朝も4時半起床じゃった。

『死んだら、グッスリ眠れるわい』(独り言・・・)



2005/07/10(日) 09:08:36

>> 今にも泣きそうな低い雲海に、無数の「ひよどり」の北への飛翔群舞をわたしは見上げている

降る日も 照る日も、わたしは「小鳥達」の編隊飛行を見上げている。

同志の「物知り」に聞けば・・
『あれは、ひよどりです。ねぐらは「ルミエール・ホール前」樹上でやんす』
『数は・・一万五千・・』  いつの間に数えたのかしらん。

「義母」を見舞った土曜日の早朝も、曇天に「群飛」を見る。

直後である。 

拙宅前の青空駐車場のフエンスの向こうのマンションに、
洋木(名は知らぬ)巨木あり。その木の真上に、思いもよらぬ事を見る。

名も知らぬその木の真上を中心に、
無数(とは言うが・・7〜80匹)のトンボであった。 
「やご」の羽化が何時頃なのかは知らぬが、
僻地とはいえ 都会であって羽化の適地はない。

なぜ この時期に「トンボ」が群れているのか。 
「あの木の上に 何が有る?」と思った。

長男は、「気味が悪い」と言ったが。  
 真相は「トンボ」のみが知る。

小さい頃から野原が好きで、遊びまわった愚壮が、
はじめて見る「群舞」であった。

「ひよどり」は、物知り同志の話に納得したが・・・
「トンボ」には悩んでいる。

他愛なくて、恐縮であるが。   詳しき人よ。 乞う御教示。



2005/07/15(金) 05:19:03

入院の「義母」は、お元気リにハビリに精を出している。(昨日)

病室も入院当初の部屋から、変わられている。
「義母」長女御夫妻がお見舞いに来られ、鉢合わせとなった。

義母の長女は言う 「いつも心配を掛けてすみません」
何を言うか。 義母とは「母」である。泊り込みでも看病したい。

多くの「子」を育てられた「大母の闘病」に、励まさないでは「忘恩」である。
多くの「実子」よ。  病院に何度駆けつけたのか。

もし、入院一週間の昨日の時点で、一度も顔を見せないとすれば、
貴様は人間ではない。

「体調が悪い」?   ふざけるのもいいかげんにせよ。
這ってでも見舞いに行け。   似非(エセ)信仰者め。 

両親が健在の人に限って、こう云う「忘恩の徒」が多い。

「親以上に大切なもの」が、この世にあったら言ってみろ。
師匠が知ったら 嘆かれる事であろう。   

「母入院!」全てを後回しにして病院に駆けつけんかい。
いかに御多忙なのか・・・・七日目になっても来ん。 

 「インチキめ」と。黙って言う。



2005/07/15(金) 05:39:34

長男の嫁を「強靭ママ」と呼んでいるのは 私。
その「強靭」の母上から、ケースの瓶ビールの中元が
届いたのも昨日である。

ふたりの結婚以来9年。毎年の御厚意に、昨夜は電話を入れた。

「おかあさん。いつもいつも 有難う御座います。申し訳ありません」
「御気持ちだけで 結構です」
(もう、この次からは お金を使わないで)と申す。

『あんな、気儘娘。きっと、お義父さんを困らせているでしょう』
『侘びの意味もある』と言われた。  いい勘じゃ・・・・が。申す。

「おかあさん。可愛い三人の孫は、 悪い嫁では創れない」
更に言う  「おかあさん。ワシは嫁には感謝しとるよ」

『安心した』と電話は終わったが・・
「強靭ママ」よ貴様も、もっと親をいたわれ。
勝手に生まれたようなデカイ面(ツラ)をするでない。

一家和楽・・・。  これが一番の目標じゃ。

ったく。 ろくな奴が居ない。   勤行が(たぶん)抜けておろう。



2005/07/16(土) 09:53:37

昨日の聖教新聞関西版【錦州城】からの転載です。

「暑いのに弱いんですわ」と、その方は語った。が、汗をかいていない。
いぶかしく思っていると、その様子に気づいたのか、こう「説明」してくれた。
「病気の後遺症でね。 額とか首とか、人が普通 汗をかくところの皮膚が
マヒしていて汗をかかんのですわ」
親しくしているハンセン病の回復者の方である。

長い付き合いでもあり、障害や生活上の不便さのことは かなり知っているつもりであった。 応援のために たくさんの書物、文献を読んできたつもりであった。しかし、   まだまだ知らない事があった。

ハンセン病は、治る病気、感染力の非常に弱い病気である。
しかし。この国は、他国にない強制隔離政策を採っていた。

「子供が生まれた。『あなたに似た可愛い子よ』 看護婦は、
そういって私に子供を見せました。 
そして、その子の顔にガーゼを当て、 私の前で殺したのです」
―別の回復者の方の証言である。

無数の涙があったろう。   無数の無念があったろう。

「汗をかかない」との言葉に「分かったつもり」だった自分を恥じた。
一事が万事だ。    どこまでも謙虚に、 他者の苦悩や喜びに、
無限に開かれた心でありたい(哉)

          以上です。

昨今の『自分だけが良くなればイイ』との風潮が気に掛かる。 
冷(さ)めた視線が気に掛かる。他者への気配りは、 知不知。  
自己の無明の隘路をも開き往く。こう感じて、無断で記載したが。
何かに思い当たってくれれば、と。お若い人に読んで頂ければ、と。
書きました。



2005/07/16(土) 10:10:22

そして、今夜。 
かの「健気B長」率いるブロック座談会にお呼びを戴いている。
「B長」とは、重度の障害を持っておられる。

愚壮如きが「親切顔」で、いくら御託を並べても、
「B長」の琴線には触れ得ぬが・・。
渾身の思いで 激励を申し上げる。又。申し上げてきた。

特筆今夜は「7・3 7・17記念座談会」である。
大白7月号満載の「師匠の振る舞い」を訴えていく。 
そは。「師弟の7月3日」。

さらに、110〜113頁も、共々に学ぶ所存である。
因みに、「白ゆり長」さんは、美人の『無冠の勇者』である
(毎朝、お会いしており申す)



2005/07/16(土) 10:45:36

平成17年7月3日 午後8時30分。
わたしは、この日の激闘の締めくくりに、と。
「たばこ屋ノブちゃん地区」に在った。

蒸し暑き梅雨空は、この時刻にまで続いている。
「大勝利を確信して!」と、解散の題目三唱に、
席を立つ愚壮に呼び止める人が有った。

『Mブロック:白ゆり長』さんであった。  
彼女は「無冠の友」で、これまた。美人である。
「愚壮さん。 ここには居ないが B長さんは・・・」と言う。
「B長は 今日。幾人もの東京の友人に闘った」
「(B長宅に)行ってあげて」と言われている。

路地を一角曲がった家の表に 雨に濡れたままの「電動車椅子」
傘を斜めにドアを開けて、わたしは声を掛けた。 
 「B長さん。こんばんわ!愚壮です」

煩雑の玄関に黒灰の大きな猫が逃げもせず、と。私を睨んでいる。
しばらくして「健気B長」は出てきてくださった。

重度の障害の氏が。 這いつつ、出てきてくださった。
『B長さん。 今日一日。ほんとうにありがとう』
『白ゆり長さんから 全部聞いております』 
『全部 B長の一念です』『勝ちましたよ』

少々照れつつも、彼はその間、私の手を離すことはなかった。
聞き取りにくいが、彼は言う「愚壮さん。わざわざ ありがとう」

御礼を言うのは こちらの方である。私は深々と頭を下げた。
長い握手を、猫は見つめ続けている。「奥様に どうぞよろしく」と、辞す。

雨のドアの外。当家の娘さんとバッタリ。 「こんばんわ」と笑った眩しさよ。
湿気の多い雨空に、 少女の笑顔は輝いていた。



2005/07/17(日) 07:29:22

「忘れ得ぬ風景」三度目の御紹介。とは、
「健気B長:美人無冠白ゆり長 ブロック座」

6:50 「こんばんわ〜」と愚壮が来る。 
間口 一間半。拠点会場は、白ゆり長の娘さん宅である。

「ちょっと、来(く)んのん、早よおまっか?
 (通解;すこし 来るのが早すぎますか?)」

母と娘が完璧な薄着の夏姿で部屋の掃除の仕上げの段階。
を見て愚壮は言った。


「うわ 来はった。 えらい格好 見られたわ〜」と二人は悲鳴した。
既に冷えている室内に、かすかに「蚊取り」のなつかしい香りがしていた。

勤行が終わって、楽しい座談会が始まった。

司会:M副B長が「学会歌!常勝の空です」
その時、ノブちゃん地区部長が言う。

『学会歌の指揮の「G副B長」やけど・・・』
『今、銭湯(ふろ)に行っとんねん・・』に、
 未来部が偉そうに言う 「なんでやねん〜」


やむなく「今再びの陣列に・・」と白ゆり長が 指揮をとる。
未来部コーナーは「ライオン御書」  『日本第一の智者となし給え・・』

活動報告は当家の「副白ゆり長さん」 
『誰も知る人の居ない東京奮戦記』(涙あり)

「7・3  7・17の意義」は、NH地区副婦人部長さん。 
 見事な大白駆使であった。

会合革命とは、一時間でも内容が目減りしない座談会を指す。

『B長挨拶!』の司会の声を、「健気B長」は遮って言われた。
「参加者全員が なんでもいいので お話してください」
・・・たぶん、こう言われた。

風呂帰りの、遅刻副B長は「不況やから、貯金を始めた」と言い

司会の、病み上がりの副B長は「
持病の糖尿が小康で、睡眠薬がいらなくなった」と言い

未活の壮年は「俺。今回初めて東京へ走ったんや」と拍手を呼ぶ。


クーラーの効きが落ち、室内に蚊が現れる頃、「B長挨拶」

『今年は 僕。二つ挑戦している』と言う。
『一級試験に合格する事と。 
20年、忘れていた「将棋初段」の獲得です』

彼の障害は軽くはない。 両手を振り、顔を歪めて。
懸命に言葉をつないでいかれる。
両手の十指は、話すほどに引きつり、指先は皆、別々の空間を指し示している。
 
ワシとノブちゃんとの「ヘボ将棋」は、
目も覆うばかりの代物で「王手飛車」では飛車が逃げる。が、
「支部内のこんなに近くに初段が居た」と、
 将棋音痴の婦人部までが拍手する。

ともあれ、炎熱の「7.3」は、
関西の同志にも「完勝への執念」を体感させて、終わった。

終了の会場前の路上で、私と「白ゆり長」は並んで
「B長」が出てくるのを待った。
一番最後に、彼は出てきた。  
安座(あぐら)の姿勢の両足は、そのままピクとも動かない。

太い腕のみで、身体を支え、前進し。車椅子の上に乗る。
毎日毎夜。この所作を繰り返しつつ一歩も引かずに闘い続ける。 
健気で涙が出た。

 帰路、いと蒸し暑し・・・・。が。  心は 爽やかであった。



2005/07/17(日) 08:00:12

「7・17」である。

今朝の【寸鉄】を書く。

昭和32年「大阪大会(7・17)」の炎は永遠!
権力と闘う関西魂。  全国の青年部よ継げ。

長男よ!読んどるんかい!



2005/07/17(日) 11:53:31

今、いましがた。長男から電話が鳴った。
「H総合病院に着いているが・・・」
「おばあちゃんの部屋は?」と言う。

「大義母」を見舞ってくれる優しい長男。
 嬉しくて、書いている。

壮年部の有志が集っての「御書」の素読。は。「ジャオ○○」

今日の参加者は。
『名物部長』 『大阪大会参加の生き証人;W副支部長』 
『老兵は去らず地区部長』『Hブロック長』『愚壮地元のT地区部長』
『昨年入会の男子部 U君』 『愚壮』

真剣に拝読を申す。



2005/07/21(木) 05:59:32

「愚壮さん、今夜。お月様は満月です・・・」
 20時頃がピークとか・・・。

「今夜の月は 真夜中に真南に輝きます」 
 との言う友人である。

今朝。お月様は04:00頃。西の地平線に隠れられた。
場所によれば、 素晴らしい「月の入り」が見れたことと思う。

ところで・・・さてもさても、猛暑である。
「怪我をするから・・」と、手首を保護する『厚木綿の手甲』が、
絞るほどに濡れる。

徐々に暑さに身体が馴染み出してはいるが。  
熱中症の影もちらつく。

帰宅後のシャワーで、冷やせるだけ冷やして。
「気魂」を整えてネクタイを締める。

こうして参加するのは。昨夜の「地域委員会」であった。

『愚壮はん。よう焼けてまんな〜(愚壮さん。よく日焼けしてますね〜)』は、
壮年部殿。  『たいへんやね〜 感謝せなあかんわ〜』は、婦人部さん。

御婦人の優しい一言。  勇気は百倍で。やる気は万倍である。

 『ことば』・・・。    まこと。 大事です。



2005/07/22(金) 08:09:01

昨夜、「大義母」が退院を果たした。

7月8日に玄関で転倒された。   

あまりに痛がる様子に、義妹夫婦は即、
近所の外科医に「自車」にて搬送した。
「激痛で触らせない・・」とは、義弟の説明であった。

近所の外科医の診断後 直ちに「H総合病院」に救急搬送。 

『腰部骨折』の疑い。とは。 重大な事故であるが、
同居の家族の粗漏とは言えまい。

お若い主治医が申された「絶対に退院させる」に、
微かな疑心を抱いたとすれば、謝る術もない。
それほどの「大義母」の大怪我に、彼女の周りに「諸天」は馳せ参じたのか・・・。

昨夜の退院に、わたしは行くことが出来なかったが。  妻は駆けつけた。
「長姉」ご夫婦のお店で、「長姉」「妻」「末妹」が、リハビリの進捗を図っている。

ともあれ。(正直に申して)御高齢の骨折。
ましてや、腰部。      実は、恐かった。

『大義母』御退院。    

 油断無く「真の快気祝い」へ向かっていただきたい。



2005/07/22(金) 08:44:53

7月17日は炎暑であった。

この日の 真昼間。 長男は「大義母」を見舞っている。
同道は、曾孫の「あすか」「ヒロ」「ノブ」

長男によれば・・・。
『おばあちゃんは、ずっと喋っていた』 
「それは・・うれしいからじゃ」

『あすかのことを、可愛い。可愛いと、連呼していた』
『ヒロは、一時間半の会話の中、ずっと おばあちゃんの手を握っていた』

「・・・(愚壮黙涙)」

義母の二週間の入院で思うことがある。
「身体の調子が悪い」やっと遅々に見舞う奴。 一度も 行かん奴。
たかが二三度見舞ったと、声高に正義漢振る奴(ワシじゃ)。

が。実子でも「娘」は、やはり違った。 
女の子の「母親」との絆は、やはり違う。

「大義母」には、4人の娘が居るが
、長崎の「三女」以外が、それを見せている。


私と妻が、何度目かの見舞いの帰路。 助手席の妻は言う。
『・・・「摂津」の貴方のお母さんのお家に寄ってネ』  

「なんでや?」に、こう言う。  
『お母さんに渡したいものがある』

摂津の府営住宅の八階から、
「なにかあったんかいな」と母が降りてくる。

『これを・・』と、妻が差し出した封筒。
 母は「もったいない・・」と言った。


「大義母」とは妻の母。 
その、実母の入院に「愚壮の母」を重ねた妻である。

少しの回り道が、新しい感動と感謝を沸きあがらせている。

「ありがとう」と私は妻に言ったが・・・。 
どうも「ありがとう」では言い尽くしてはおらん。

「身体に気をつけて」と母に告げ、アクセルを踏み込んだ。

サイドミラーの母は、何時までも手を振っていた。  
その母を、やさしく街灯が包んでいた。



2005/07/27(水) 05:51:17

両親を殺したい・・「いや。必ず殺す・・・」と。厚田の海に愚壮は誓う。

41年前の。それこそ正真正銘。私自身の偽らざる心境であった。


その、同じ私を、
>>サイドミラーの母は、何時までも手を振っていた。と言う。

街灯の元で去り行く息子の車を見送る「老母」は、
泣いていたのかも知れぬ。

と、すれば。 

この息子「愚壮」の心中の「両親への殺意」は消えていると断じたい。

信仰に目覚めたとはいえ「愚壮」は、
その捨て鉢の本性は、その後も、ややもすれば顔を出す。

決して「人間革命」など程遠い愚壮でもある。・・・が。

いつまでも見送る「サイドミラーの老母」に
『お母さん、ありがとう』とささやいたのである。

この場面を最後に『忘れ得ぬ風景』は幕を下ろす。

初稿の日は2003年6月7日。

この間、たった780日の「風景」であった。
「稚拙赤面の風景」であった。

「書かずもがなの風景」であったのに・・・。

読んで下さった応援の皆様に、唯々。 感謝を申し上げます。
掲示板を使わせてくださった小野様に、感謝を申し上げます。
ありがとうございました。  皆様。 おげんきで。  さようなら。

                 愚壮頓首。


            2005年7月までの稿完結


  





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