2004/07/02(金) 05:42

昨日から地区拠点としての愚壮宅 復活。
みんなが安心して大きな声で唱題ができるように・・
2階の仏間は 床、壁、天井。  防音を施してある

そんな思いで私が設計し、私自身が直接指揮で基礎工事を施工の愚壮宅が復活。

「お使いいただきたい」 これしかない。  不変である。



2004/07/02(金) 18:51

少々 足の臭い奴は来るけど 男子部拠点こそ、まさに拠点の頂点です。

「勤行は抜けても 部活は、生甲斐」と、夜中にでも出てくる猛者がイイ。
ワシの長男は「部拠点」の「Y本部長宅」の階段から落ちて、壁を破ったが。
いまだに、修理をも申し出ずに そのままである。

ワシは、親として、黙殺出来ぬので 非常に悩んでおるが  
当のY本部長は「部拠点の勲章だ!」と、取り合わない。
「おまえ、いつ、直すんじゃ」と、長男を責めているが、らち良い返事はもう5年も無い。

そんな訳で。本部支部長会の度、  ワシは尻(ケツ)の穴を窄(すぼ)める。
「Y本部長」の細君は 「愛子ちゃん」と、云うが。 彼女までが、こう言う。
「いいのよ〜」          ますます、尻が閉じる。



2004/07/02(金) 19:12

「愛子ちゃん」を語ったので「愛子ちゃん」を続けるが・・

彼女は小粒ではあるが、 粋な女性である。
「Y本部長」との、馴れ初めは書かぬが  殆んど ドラマ的で何度聞いても唸る。
「愛子ちゃん」は もう、随分こちら(関西)に居る癖に 未だ「江戸弁」で話す。

特技は、「藤けいこの夢は夜開く」で、  絶品である。
藤けいこの娘が なんとかヒカルとは、知らぬし 良さもわからん。と、顰蹙を甘受するが。
「夢は夜開く」は、 見事である。(最近あまり、聞く機会は無い)

ともあれ、 江戸っ子「愛ちゃん」  本部長は彼女に牛耳られておる。



2004/07/04(日) 05:53

『昭和20年〈1945年)7月3日。戸田先生は東京・豊多摩刑務所から出獄され、
戦禍で焦土と化した荒野に、一人立たれた。この時から戦後の創価学会の前進が始まり、
同時に、戦後日本の民衆史が つづられたといってよい。』

上記は ”池田名誉会長が語る”「恩師 戸田城聖先生」の発刊に寄せての冒頭である。

付箋だらけの この一冊を もういちど姿勢を正して 今、拝読している。

出獄と日と、入獄の日を 重ね合わせた師弟の不思議。
数々の折節の師匠の言葉を 微細 書き落とす事なく「後世に伝える気迫」に触れ得る時。
正座以外では 到底 読めない。

特に 巻末に特別収録の「若き日の日記」を拝読の時。 呼吸さえが切迫する。
「7・3」  一学会員として、 この日を自分史にどう輝かせるか。


2004/07/04(日) 06:39

前出 発刊に寄せてにさらに、こうある。

『戸田先生は逝去される直前の昭和33年(1958年)3月29日、
池田先生に、「追撃の手をゆるめるな」と遺言された。
この遺言のままに創価学会は、極悪・日顕宗と闘ってきた。』

もう32・3年も昔、 わたしは総本山に於いて息を呑む。
それは、躯体工事全盛の「正本堂」の眼前の勇姿であった。
「おれも、一職人として、このような世界一の工事に 携わりたい」
巨大吊屋根構造の世界屈指の名建築「正本堂」は、 正に飛翔の白鶴であった。

以後 500年、1000年と、 世界建築史を飾り、陸続と見学者の絶えぬ「正本堂」
しかし、ここに、悩乱狂老が出でる。  かくて 世界屈指の名建築「正本堂」は壊滅する。
 
御遺骨しかり、名桜伐採しかり、大客殿しかり、  狂わずば出来得ず。
この老狂、 戸田先生の前では 縮んで。 居られなければ 伸びたとか。

いまや、進退もままならず、  生来の好色も 伸びないのでは 話にもなるまい。



2004/07/04(日) 07:51

「わたしの7・3」  この日は「本来の業種」と、「M社長」の応援の二手に分かれた。
「M社長」は、愚妻が倒れた日に「まだ居るんかい、はよう帰ったらんかい」と言った人である。

「M社長」と、私との付き合いは「恩師K親方」生存時からの古さで、M氏が某社の専務時代からである。
時代が平成に変わる頃、M氏は「横領」の冤罪で 某社を辞すが八方、敵であった。

冤罪と見抜いたのは幸か不幸か わたしひとりで、 かくて、今がある。不断の友情がある。
八方の敵との奮闘、生活の糧を遮断する敵、  M氏はついに頓挫する・・かに見えた。
が、「地を這ってでも、正邪を示す」と、彼は起業を決意。  わたしは、全力で補佐を買って出る。

補佐。ギリギリの選択の手段は、 危うき場面にも度々の遭遇を余儀なくされるが。
信仰をもたぬ「友人M氏」が「地を這ってでも、正邪を示す」と言うのでは、看過は出来ない。と、補佐する。

その友人社長の応援に、わたしが選ばれた。  これが、昨日。
(朝食です、と  か〜ちゃん。   しばし・・中断)


そして・・今がある、と、とても、書けないほどの険しき嶺峰の連続の「死に物狂い」の今がある。



2004/07/04(日) 08:44

この日〈7月3日)私たちの現場到着が6時。
コンビニで半分ラーメンと2リッターの茶を仕入れて 現地でめしを食う。
ゴルフボール大の「焼きおにぎり」1個と半量のカップメン。 日々の定番である。

自社の作業は一戸の基礎入れで、これは長男たちで15時頃には片付く、が、問題はワシ。
昨日打設の脱枠が1戸、捨てコン完了の墨だしが2戸、3戸の掘削、ステコン打設が1戸、
場所を変えての土間墨だしが3戸、

わたしのやるべき事も、大工、土工、解体工、   身に覚えのない作業が 目白押しである。
この日も朝から水銀柱は30度をこえておる、が、案の定、7時から作業を始める。
道具を腰に 少しはなれた現場に向かうわたしに「暑いから カッカ しなや」と、長男。  (この予感が当たる)

「M社長」もすでに作業にはいっている  「人夫出し」からは、土工が3人。
挨拶もそこそこに 掛かる作業ほど、危険なものはない。
掘削の水糸にペイントするわたしの作業にミスがでた。「M社長」から思わぬ罵声が飛んだ時。

久しく忘れていた「捨て鉢 愚壮」が御登場である。
「M氏と私」 永い苦闘を共に乗り越えし 「俺 お前」の親友。
「もういい、   まったく経験の無い作業にも、やけに堪える炎熱にも、耐えれるかい」と、
私は道具をさげて 車に引き返す。  この時、午前8時。
駐車場までの僅かな距離を「またぞろ」の愚挙に、自身、なさけなく恥じていた。

今朝も朗々と祈っての出陣の筈。  瞬間、わたしは、「M社長」の現場に走った。
わたしの傍に立たずむ「M社長」   「すまん、どなってしもた」
「いや、Mちゃん。  なんでも言うてや  おれも、しっかり勉強するからな」
「M社長」61歳。 昭和18年生まれ・・・   生涯の友である。



2004/07/04(日) 09:38

11時頃に「M社長」とわたしは別場所の墨だしへと移動をする。
途中、大正区から港区をむすぶ「なみはや大橋」を走るが、
「とんでもない橋やの〜」と、つくづく その構造に舌を巻く。

「2箇所目のここも墨だしやで」コンクリート面からの照り返しで 人事不省。
やがて、昼飯。  傍らの公園は木立の影に涼風が心地よい、 ならんで弁当を開く。

だいぶん昔に 飛騨の高山で求めた「樵弁当箱」 何年経ってもメシの味は最高だ。
下段にメシを1センチほどフワっと敷き詰めて 粉ふきの塩こぶで覆い、さらにメシが乗る。
采は、@だし巻き玉子・Aきんぴら牛蒡・B辛くない塩鮭・C烏賊とアスパラのカレー風味の大蒜炒め。
Cは あきらかに長女式の一品である。   長女の真心弁当はいまだにつづいておる。
そして・・ 熱いお茶。  ワシは 夏季も 熱いお茶を持参する これで猛暑を克服してきた。

となりの「M社長」 フ〜と、ため息ばかりで 食が進まない。 
無理はない。   全部、知っている。     メシ。喉を通らぬ・・無理はない。

やがて、墨だし作業。  一戸は注文建築ですべて、バチッテいる(度が付いている)
「これがあるから、お前を指名したんや」 ワシが、独学で「関数電卓」をこなすをかれは知る。

かくて、汗まみれの二人の戦士は、老眼鏡をかけて「トランシット」と「関数電卓」とに、奮闘する。
18時前、長男と「M社長」の長男氏   現場に来る。
「暑かったやろ、お父さん、 ご苦労さん」に「どうちゅうこと、ないわい」と抵抗する。

ああ、ワシのことしの「7・3」は、長くて暑い一日であったわい。


2004/07/06(火) 18:43

61年前の今日。 国家は自身の最後の護国の砦を 自から破壊をする。

牧口初代会長 於、伊豆。
戸田二代会長 於、東京。   共に 逮捕さる。

「わたしは、牧口の弟子では無い」と、未逮捕の輩  陸続と退転す。と、聞く。

不世出の巨人、牧口常三郎師は 遂に 生きての出獄 叶わず。と、知る。

であるから。7月6日は、  不忘の日である。  と、わたしは決めている。
故に 正確には 7・3  7・6  7・11  7・17 と、決めている。


2004/07/07(水) 18:41

「宇宙への飛翔口」。 

横山氏の「正本堂」を寿ぐ 著書に詳細が述べられての通り。
恐らく   匹敵する建築は今も無いでしょう。

あれは、 1000年どころか、  補強が良ければ 不壊。と、思います。

顕が、いかに こじ付けようが「宇宙への飛翔口」を葬った暴挙は不動。
色欲の狭間で 生を受けた 顕。   末路は想像を絶するものです。

詳しくは 御書 99pの14行目「之に依って忽に物狂いにや成けん 所居の寺の前の柳の木」から
同 100p 四〜五行目「念仏者として頸をくくらずんば 師に背く咎 有る可きか如何」までに御予言あり。

何億あっても 悶死は悶死。



2004/07/07(水) 19:09

つまるところは・・・  誹謗正法の筆頭の「念仏の坊主(お寺さんとも言う)」より、
顕は、極悪なのです。  

碩学の大学匠 堀 日亨 上人でさえ 貫主から顕の如きが出でるとは 御夢想だにあらず。
それほどの、 特筆の悪僧であるのです。



2004/07/08(木) 05:40

昨日は 午前中に 氷 が溶けてしまった(酷暑でした)

それでも なんとか昼飯を流し込んでの作業。    
「この暑さ ちょっと、普通とちゃうわ」と、長男すら、息を上げる。

先行配管の設備屋さんが「おやっさん  顔色 どす黒いですよ。 休まないと 危ないでっせ」

それでも、予定の作業を追い越して 明日の工区の段取りまで進捗させた。
長男運転の助手席での帰路、 「今日も、この道を 無事御帰還じゃ」と、さえ思うほどバテている。

土佐堀通を端から端まで東進し、「片町」で都島方面に左折をする頃、疲れ やや取れ出す。


2004/07/09(金) 05:13

勤行を終え 事務所に降りてくるのが4時50分  毎朝の慣習である。
今朝もそうである、が、 一枚のFaxに気付く。「S圏長」発信。21:39。

師匠の詠めし「和歌」    烈々たる師弟共戦の魂、いやまし燃え上がる。
残2日。    殿(しんがり)でもいい。    最善を尽くすのみ。

夫婦家族、のたうちまわった 今回の法戦。  悔いをば残すな。
「老兵は去らず地区部長」06:00の今朝の出陣参加と・・・。 

愚壮を 支えいただき、感涙 止まらず。



2004/07/09(金) 05:20

炎天に黙々と闘う 多くの同志の方々に負けじと、私は今日も働く。

「一番 苦しい所に 駆けつける魂」を わが身に植えつける為の 苦闘。と、身支度す。



2004/07/12(月) 05:29

「Y本部長」に最終の報告のFAX送信を終えたのが21時すぎ。

夕刻の沛然たる豪雨で 涼風が心地よく吹き込む事務所に静寂がもどる。
ここだけが喫煙可の愚壮宅の一階事務所  先程までのザワメキ 潮と引く。

そんな、22時。「Y本部長」からTEL。
「明日も早かろうが、今夜は少々 時間をくれ」 

当確の一報を確信しての乾杯は「まめだ」。      23時30分帰宅す。

無数のドラマを目撃の今回の法戦。   主役は無名のご婦人達であった。
幹部などでは、決してない、と。 語り合う。



2004/07/12(月) 06:07

「老兵は去らず地区部長」に 今しがた電話を入れる。

3度目のコールで 氏と繋がる。
「おめでとう・・」以外  言葉不要であった。 

わたしは、今夜。 四地区を「N支部婦人部長」と駆け回るが、
氏との語らいを、 その時までは待てぬので・・・と、電話をしたのです。

齢71。「老兵は去らず地区部長」   名地区部長である。


2004/07/12(月) 06:24

06:10
「わが友に贈る」「寸鉄」を読む。

溜飲が 見事にさがる。   
苦しかった分、 余計に そう感じている。
「H地区副婦人部長」の「無冠」の後姿に無名の名優を見る。
「今朝も 気いつけて いかなあかんで」に彼女は「は〜い」と手を振った。

山積の処理に 今日から二・三日  わたしは事務所に張り付く事となる。

ようやく、表通りに動きが出てきた時刻である。


2004/07/13(火) 05:35

超合金の如き強靭な「ママ」の熱が下がらない。と、3人の孫、我が家に泊まる。

普段は森閑とした拙宅。 たちまち戦場と化す。
小一の長女「あすか」 こんなに大きくなっていたのか、と実感す。

下のふたりの「スズメバチ」は、 とにかく手が付けられん位の悪さである。
病み上がりの女房には ちと荷が重い筈が、 嬉々として 世話を焼く。

夕刻からの地区協議会と重なる時間帯  「どうなることか」と心配したが。
「スズメバチ」の拠点来襲は 回避できた。が。 整頓されたリビングが犠牲となった。

今、3人の孫は 「食ってしまいたい寝顔」で、向きも自由にご就寝。
「ママ」の熱。 急には治ってほしくない、     ここだけの話じゃが・・・



2004/07/13(火) 05:43

こうして書いている事務所の定位置。

振り返った車庫側の窓を背に、来客用のソファーがある。
その上に 無造作に置かれた「赤いランドセル」

はじめて見る「うれしい風景」である。   

孫。 不思議な存在である。



2004/07/13(火) 06:04

今、長男が出発しました。
「ママの熱は?」と、聞くに「今朝は下がっている」とのこと。

大事な人の大事さは、倒れられてからしか 本当にはわからん。
普段の我の周りの人が、全部そうである。と。気付くべし。

「今しかない」との師匠の振る舞いが、 深くそれを教える。
まだ、3階の孫は静かだ・・・「早く起きてきやがれ」と思う。

「あすか」の集団登校へは、断じてワシが行く。 今からソワソワする。



2004/07/14(水) 10:29

>> 超合金の如き強靭な「ママ」の熱が下がらない


例の悪童、2匹の「スズメバチ」には、昨晩もお泊り頂いたが  ふた晩で降参である。
上記、「超合金ママ」は、よくぞ、これと連日格闘しつづけたもんだ。に。妻は言う。
「母が いかに偉大か。わかるでしょう」と笑う。「私たちも そうだったでしょう」とも言う。

長男は今朝も出勤前に「オヤジ、言うこと聞かん時は、遠慮はイランからな」
「俺の時のように、シバキまくっても エエで」とニンマリ言うが。
長男は家族の用便中に トイレの照明を切ったり、ドアを突然開けたりは やってない。

「スケベ・スズメバチ」が保育園で今日も何かをやらかす、と、「超合金」から電話あり。
「気にしないで 熱を下げてね」は妻。
「母」の偉大さは、こうして継承される。   対話と配慮に悪い嫁などは居ない。

ところで、今朝もワシは「スズメバチ」2匹を仏間に お誘い申したが。
大きな声で素直に題目三唱をする。そして「お母さんの熱が下がりますように」と、言いおった。
    ちゃんと、わかっとるわい、と。ふたりを抱き寄せた。


2004/07/16(金) 04:44

一億円を料亭で受け取っておきながら、領収書は出さなかった。

出すほうも 受け取るほうも 栄華の絶頂期の末期目前の「思い上がり」がプンプンする。
「私は 知らない事です」と やっと吐いた眼つきが、庶民を食い物にした腐臭にまみれておる。

「民主に大敗」の現実に、 あの、恐ろしき「下野」の過去が蘇えったことであろう。
景気本格回復を声高に言う前に、 いまも、懸命に日々の資金繰りに闘う零細企業に目を向けよ。

「ブルーシートのホームレス」の勤勉な勇者たちの「うめき声」を聞かぬ限り、
この国の為政者たちに、歴史に名を連ねる資格など無い。

当選したとたんに 盆休みを謳歌する政治家先生には。  庶民の「うめき」は、今後もわかるまい。



2004/07/16(金) 05:11

>>当選したとたんに 盆休みを謳歌する政治家先生。


私と妻は、森閑たるリビングに語る。
「次は、都議選やで、 よ〜し、又、東京へ行くぞ」

横では長女が住所録を手に セッセと「支援への御礼」のハガキを書いておる。

「スズメバチ」2匹と、可愛い「あすか」は、完治していない「ママ」へ帰った。
ニュースは「新潟豪雨」を流している。 関東、中部、近辺の男子部たちは、被災地に走っているか。

間髪なき支援を、急がねばならぬ。 御被災者、お疲れも頂点であられましょう。


2004/07/16(金) 05:30

05:27の「NHK」の天気予報は 新潟県に横たわる「前線」を報じる。

もう、降らないでほしい。



2004/07/16(金) 18:27

悶絶の人生の過程を経てきて思う事を、 徒々と書いています。
胸中の御本尊を確かめる如く 書いているが。 落ち込んだ時は チトつらい時もある。

わが人生は憑きでも運でもない、ただひとえに、学会との出会いのみが 活路を開き得た。
「第九の波濤」に 「離岸流」に 幾度もの溺死の危機を寸前で「ドンデン返し」をしてきた。
あるときは夜を徹しての唱題であり。 あるいは、たった3遍の題目であった。

正法を完璧に咀嚼された偉大な師匠の、その平易な指導を 実社会の平凡の中に普通におこなう。
これでいい・・・・・        が、  これが実は至難では有る。と。身で知る。

とまれ、  「私だけの忘れ得ぬ風景」を、絢爛と飾り行く決意です。
賛否をも、承知での書き込み。  今少し、各位の御炯眼を汚すことをお許し願いたい。



2004/07/17(土) 07:13

7・17である。
師匠はこの、昭和32年の同日を「愛する関西の友との、共戦の魂の共有の日」と述べられる。

今日の「寸鉄」は、  人権闘争の炎の歴史の日との記述がある。
青年の獅子叫こそが  正義を示す砦である。と有る。

47年の時の流れにも、「7・17」の豪雨の若き師匠の雄叫びは、全関西に消ゆる事は無い。

いかに、裕福自由になろうとも、この、草創の鉄人達の大偉業を、芥子も忘れてはならぬ。
未来部をかき抱き 語り 育む、とは、7・17を正確に語り伝える事である。  
この夏の私の使命を、 そう、捉えている。     

余談だが、 近頃は近辺に「子供の悪戯を 叱ってくれる怖いオジサン」が居ない。
しかし、 我が町内には、ワシがおる。 
「コラ ! おのれら」と、強烈だが、  若いお母さんには、結構重宝されている。
近頃のガキの悪戯は、 カラッとしていないのが、気になるが・・・
ま、しかし、いずれにしても、(内外問わず) 子は宝じゃ。



2004/07/17(土) 11:18

先程、「タバコ屋 のぶちゃん地区部長」来る。
彼は民音支部責で(妻とコンビ) 用件は9月15日の「雪村いずみコンサート」の案内だが。
「のぶちゃん」は民音の連絡だけで帰ればいいものを、 予想どうりそれをばしない。

この「のぶちゃん」と、もひとり「老兵は去らず地区部長」と愚壮。 この3人揃うと、風評は悪い、は、紹介済。
案の定   早速、今夜。3人で祝勝一献が即決の運びとなる。 完全割勘定。

3人とも、歳も歳であるゆえ、 若い連中のように夜更かしはしないし、非行の心配もない。
支部、地区内を神出鬼没と懸命に闘った事だし。   悪いことではあるまい。

ところで、土曜日は休み、と。「あすか」が来ておる。「ママ」は仕事、「悪童×2」は保育園。
「ジイジ、ここで勉強して、ええのん」と、今も、わしの傍で 掛け算の お勉強中である。
空調が快適な事務所は  今日は嬉しい客人を招いたこととなる。

タバコは吸えんが、「あすか」が居るならば  なんともない。



2004/07/17(土) 18:36

今夜。3人で祝勝一献が即決の運びとなる。

・・・と、言うわけで  私たち3人は 「まめだ」に行きます。
合計189歳の花の壮年部(先生も同中で しぶしぶ認めてくださった)



2004/07/18(日) 06:40

7・17は「愛孫」と会館に行こう・・・は、何の脈絡もない私のこだわりです。

昨日の13:30の同中に、 体調少々復調の妻と「あすか」と3人で参加しました。
たまたま「J・ダルク本部長」が、館内担当で、何度も場内整理の盛況でした。

先生のスピーチに 幾度も我が膝を打つ意義深き日となりました。
妻は、最後尾のロビーとの境目に、私は「あすか」と、いつもの定位置 最前列の音響の前でした。

2曲の演奏くらいから「あすか」はわたしの膝枕でスヤスヤと眠り始めました。
「J・D本部長」が「あら、ねてもたやん」

可憐なその寝顔に、 平穏などの経験なき、わたしの過去がよみがえりました。
初めての「孫」との同中参加。  おだやかな午後でした。

「悪壮3人組」とは、  午前様でした。   頭、ガンガンする。



2004/07/18(日) 12:07

>> 「J・D本部長」が「あら、ねてもたやん」


通解 ;「J・D本部長」が「あら、(あすかちゃん)眠ってしまったわね」と言った。


彼女はなんせ、ベチャベチャの大阪弁でして・・・・



2004/07/22(木) 18:53

今日も死んでおる。



2004/07/22(木) 18:56

やっと、今。  帰宅です。

もう、動けんぞよ。
今年の暑さは 堪えるわい。 老体にはチト辛い。



2004/07/23(金) 11:01

昨夜 訃報入る。 女房 父方の「H伯父」 享年 92歳。

今から四半世紀以上も前、 義長兄が「沖縄 海洋博」絡みの起業で一家で大阪を去る。
「一旗 揚げる」的な決心に、 周りの縁者の殆んどが反対するなかで「H氏」は全面協力される。

経理のプロの氏の助力は、 義兄一家の労苦を陰に支えた、と聞く。
流暢な関東言葉は、 柔らかき御人柄と相まって 「逢っていると安心する人」であられた。

今年の梅雨前、 参院選のご支援を願うべく 私たち夫婦は「H伯父さん」を尋ねている。
「どうだい、景気は」と、 案じてくださった笑顔が最後の一時とは 知る由もなかった。
暇を乞う戸外 「もう、お入り願いたい」を無視されて、いつまでも手を振り下さった御姿が浮かぶ。

「君達は夫婦が揃って よく頑張っているね」と 優しくお褒め頂いて 恐縮したことも 思い出す。
遺されし 御高齢の奥様、 その寂しさは 計り得ぬ。 

今夕、通夜。     合掌。



2004/07/23(金) 12:25


それにしても、 昨日は 股関節が「コムラガエリ」でした。
大概は 帰宅後の入浴で「最高のビール」が味わえるのですがね。

昨夜はシャワー後も、蓄積熱と吐き気に苦しみ、「ビール」どころではありませんでした。
「今日は 出たらあかん」との長男に甘えて  ゆっくりしています。



2004/07/24(土) 06:58

「H伯父貴」葬送は午前となっている。
親類縁者は 京都、北摂に集中しており、起点の天草には いまは人 居ず。

飯盛山斎場は桜花の名所であるが、 今日は「蝉時雨」の葬列になろう。

判然としない今年の入梅、の、直前の訪問で、杖を頼っておられた「老奥様」
その「奥様」に どう、声を掛けるべきか   言葉が見つからない。

せめて、「御本尊」に縁しておられれば、と、先輩縁者の「化他」の疎漏を咎める資格もない。
御遺息は私より、やや年少で、 戯言程度の付き合いはあったゆえ、微縁をば大事にしたい。

彼に26番目の「本流」を、と。  密かに仏前に決意を申す。
炎熱の葬送には、  妻。長女 そして私の3人で  謹んで会葬を致す。

享年92は、 朝、家族が寝所に声をかけるに、 既に「こときれていた」とか。
大往生は、 そのまま当たっている。       題目三唱。



2004/07/25(日) 07:06

「叔父上告別式」
開式は10:30(於、G泉院)であったが 「10時の親族集合写真には来い」であった。
朝から水銀柱の沸騰の22日。  妻と9時25分には車庫を出た。

「こんな時にしか なかなか会えない」が、 参集の親族間での挨拶となる。
「身内のみで 見送ります」は、喪主の御長男。   一般の会葬者は、誰も居ない。
「参会の全員が 御遺骨に触れるには、有縁濃き葬送にこそ亡父は喜びます」とも言う。
「まったく、仰るとおりです」と、申し上げた。

出棺の御顔は、 やんちゃ坊主のお顔に戻られて・・私は、何度も何度も 花を埋めた。

頬をさすり語り掛ける人。 合掌の御手を優しく包み込む人。 やんちゃな御口元に志水を注ぐ人。

終始 御遺体の傍の老女を 凛々しき青年の愛孫は片時も離れず 手を沿え肩を抱く。

飯盛山斎場での待機時間は3時間を越えたが、 親族縁者の静かなる交換会には、まだ、足らない。
南面総ガラス張りの 広きロビーに、「H伯父」有縁の老若男女の静寂の談笑が続く。

一点のシミなき白骨を、出棺の あの花のように、 全員が何度も箸にて 御移し申す。
やがて未の刻、帰路の車列は、熱き御遺骨を胸に「クマゼミ」喧騒に別れを告ぐ。

初七日の略儀の法要を終え、 全員で会食となる。
同年輩の「京都のS氏」が、「ゆっくりですが、皆、順番に逝ってしまう」と、言う。
「こればかりは、 きびしいです」と、言う私に うなずきが返って来た。

フト、御遺族のテーブルに目を移した先には、 「老女」をいたわる「青年愛孫」が居た。

帰宅は   夕刻であった。



2004/07/25(日) 07:08

訂正 葬儀は昨24日です。   深謝。


721 名前: 愚壮 (ESvPK75U) 投稿日: 2004/07/29(木) 07:49

>>(2004/04/17(土) 06:37)で御紹介した「健気B長」の奥様が「御母上」を折伏された。

今年71歳になられる「老母様」の御決断は見事であられた。
「Y本部長」の面接は 御歩行に無理を掛けぬ様にと、最も近い「タバコ屋 のぶちゃん」宅。

小柄な「老母様」に寄り添う「支部婦人部長」は、まるで我が母の如くに接っし、語りかける。
私と「のぶちゃん地区部長」も傍らにて 御決断の潔さに感動する。

守口平和講堂での「入会勤行会」を地区総出で 寿ぐとの事。 さもあらん。

しかし、それにしても「健気なる車椅子のB長」ご一家。  
 将に彼居る限り「ブロック」に停滞は無い。  

我が支部には、そんな素晴しいブロックが 13もある。 宝庫である。



2004/08/03(火) 22:16

わたしは、今、プロジェクト;]を見終わりました。
「新・リーダー達の言葉」で登場する巨人たちの生き様に、深い感動を持ちました。

「途中で投げ出してはいけない」「最後まで気を抜いてはいけない」

重く重く受け止めて 視ておりました。  皆さまは見られたでしょうか?

ところで・・・
体調を整えています。   もすこしで「残暑の候」  
ゼイゼイ ハアハア言うとります。   まるで「ジステンバ」じゃ。



2004/08/04(水) 09:29

私事ですが 実は、長女の本職は「特養老H」での介護でした。
これを、天職とした長女は、難問の巻き添えで離職(2003年)。は、後談とするが・・
公私に亘って 介護は「天使」の振る舞いです。

長女に、日々の介護の微細なる実態をわたしは聞く、彼女は拒んだが 尚、聞いた。
介護。  この崇高なる「天使行」「菩薩行」のありにままを、次代の若人こそ知って欲しい。

そこで読者諸氏に、いらぬ余談の独り言だが、
 ワシは何時も念じておる。
「エッ、愚壮さん 昨日 見たのに〜」と、逝く。 親父の様に・・(時、不測)
いや、まあ そう、眉をひそめる事ではない。 
遅かれ早かれ 一定ではある。   
問題は「何に命を使ったか」で 長短は その次である。



2004/08/04(水) 10:02

ところで・・ 先日、我が地域で事故が起きた。

早朝、未配達の「聖教新聞」の束が 消えた。
「古紙回収業者」が 配達員さん宅に置かれた束を、「回収」してしまったのだが・・
事後の処理対応は困難であった。  結局、集積業者の『古紙の山』からの発見は出来得ず。

大事な大事な「師の便り」である、   責任者は蒼白であった。 

それにしても・・
簡単安易に「置き場所」を決めてはいないか、  雨さえ懸からねばいいのか。

あれ以来 拙宅車庫には 三地区の新聞が来る。
わたしも以来、起床を30分早めて 戸外に出て「聖教到着」を出迎える。

「業者」の悪意は、ある訳も無く、誰も悪くは無い、が、二度と繰り返しては、申し訳がたつまい。



2004/08/04(水) 10:37


我が地区の「H地区副婦人部長」さんは「無冠の友」である。
新入会の翌年から、早朝の使命を6〜7年に亘って貫かれるが、
その彼女が、この7月29日の「統監」で転宅された(隣の地区;支部内)

彼女のお宅は拙宅の辻向かいの2軒目で、  今は、空家になってしまった。
「地区婦人部長」の妻は「なんで引っ越すのん」と 随分に悩んだ、が。
拙宅の辻向かいの1軒目も、空家になってしまった。 悩み 尚、深し。

ところが、一軒目の空家が 急遽 埋まる。   この御転入のご家族を見て唸った。
先月まで隣接支部で闘っておられた「K氏ご一家4人」 B長・B担さんである。

「H地区副婦人部長」さんの後任「無冠の友」の誕生、空白無し。   将に「妙法」である。

この8月1日から「H地区副婦人部長」が付添って二人の「無冠の友」。今朝も在り。
早朝の「無冠、広布」の申し送り。    わたしは ここでも最敬礼をする。
(但し、早朝のご婦人は、 素顔であるので・・・ 注視は控えるようにしておる)

2004/08/08(日) 11:21

「なにがあっても題目だ」と、私たちは 教わりました。 これは大基本です。
では、「何のため」に祈るのか。  ここからが実は 浮沈を分ける。

「呪い」以外の祈りに 序列は有りや無しや・・・

主・師・親は、文上にあっても 最も尊厳しゆくべき「三徳」です。
今、余事を閣き、 おそらく母上様の全快のみを「祈りきる」ことは。

既に「宿命の大転換」の軌道に在ると思うのは、私だけでは無いと、拝見しました。
わたしも題目を送ります。    ワシの題目は、凄いぞ(ここが急所じゃ)

先人の言われた『ただ、ひたぶるに お題目をあげる』は、絶対虚言ではない。



2004/08/08(日) 13:36

「老兵は去らず地区部長」は、 型枠大工 二次請け会社の社長である。
昨年の秋、氏は 電動鋸が左手の甲を走る重傷を負うが 後遺は甚大であった。

型枠工事の請負単価は 人権を無視するが如く 下落 尚 続く。
しかし「大阪って、そんな 人情味の無い町やったんかいな」と、彼は嘆かず連日働く。

最近のマンションには、瀟洒な駐輪場を見かけるが、これは型枠工事ではない。が。
氏は、「なにからでも、やるんじゃい」と、 この専門外の駐輪場工事も請ける。
平均、月/3〜4物件の駐輪場工事は、簡単とはいえ、多職種のノウハウが要る。
今回も「手(作業員)が足らへんねん」とのことで、愚壮社から3人応援申す(愚壮含む)。

昨日は「北向き、日陰、地上1・5m」の気温が35度で  
「半分 死んでる」猛暑であったお陰で 各部品は触ればヤケドであった。   

それでも「黙々」と働くお昼前、氏が倒れた。
ワシとの相番で返事がないのだ  「おい!どないしたんや」にも声が出せない。
「アカン 掛かってもうたがな」と、日陰に運ぼうとするが「ひとりで 行けるわい」
自由を失った左手で、歯を食いしばって炎熱にのたうつ「老兵は去らず地区部長」

ズボンのベルトにまで「汗」が滲み込む猛暑との闘い、 
この「老社長」を一体誰が守るんじゃい。と、「半死に」のわたしも へばりつつ働く。

「これ、食わな、昼からが続かん」と 昼飯をえずきながら強引に詰め込んで午後も頑張った社長。ここまでが昨日。

そして、いましがた。 「やっと、元に戻りました、(応援)ありがとうございました」と、電話あり。
・・睡眠を挟んで 回復に26時間超。  その仕事根性と壮年部魂。 語らずに居れぬ。



2004/08/09(月) 04:52

ところで・・もう、25年程の愛読の「月刊;潮」
この9月号の「随筆;波音」p62 に ”声に出す”との秀文があります。
わたしは「声。仏事を為す」との格言の裏付け。と、誤読?しました(所詮、我はこの程度)

ところで、その前半に「ネット&チャット」に関する部分があります。
筆者は「パソコン・メール」では、思いやりの心など持ちようもない。
これは論語に云う「巧言令色鮮し仁」(こうげんれいしょく すくなしじん」であって、
巧(たく)みに表情を取り繕ってはいるが、相手への思いやり(仁)は無い。と結論します。

「対話こそが闘い」は、伝心の真髄には違いありませんが。 
ネットのそれも対話に肉薄するほどの「力」を発揮する時がある様に感じています。

「たかがネット。 されどネット」は、 「K氏」のスタンスですが。簡素で最も分り易いです。

無表情の文字を通してでも、思いやりは必ず 届くと信じるものです。  



2004/08/10(火) 16:54

「母に捧ぐ」
母の御恩の事殊に心肝に染みて貴くをぼえ候、(中略)
其につきても母の御恩の忘れがたし、胎内に九月の間の苦み 腹は鼓をはれるが如く
頚は針をさげたるが如し、気(息)は出づるより外に入る事なく 色は枯れたる草の如し、

臥(ふせ)ば腹もさけぬべし 坐すれば五体やすからず、かくの如くして産も近づきて
腰はやぶれて・きれぬべく 眼はぬけて天に昇るかと をぼゆ、
かかる敵をうみ落としなば大地にも・ふみつけ 腹をもさきて捨つべきぞかし、

さはなくして我が苦を忍びて 急ぎいだきあげて血をねぶり不浄をすすぎて胸にかきつけ
懐(イダ)きかかへて三箇年が間 懇懃(ねんごろ)に養ふ、

母の乳をのむ事・一百八十斛(コク)三升五合なり、此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし、
されば乳一升のあたひをかんがへて候えば 米に当れば一万一千八百五十斛五升・稲には二万一千七百束に余り・
布には三千三百七十段なり、何に況や一百八十斛(コク)三升五合のあたひをや、

他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし、
而るを親は十人の子をば養へども 子は一人の母を養ふことなし、
あたたか(暖)なる夫をば懐(イダ)きて臥せども こご(凍)へたる母の足をあたたむる女房はなし、

給孤独園の金鳥は子の為に火に入り・僑尸迦夫人は夫の為に父を殺す、
仏の云く父母は常に子を念(おも)へども子は父母を念はず云々、
影現王の云く 父は子を念ふといえども 子は父を念はず等是なり、

設ひ又 今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問う人はなし
母の生(いき)て をはせしには心には思はねども一月に一度・一年に一度は問いしかども・
死し給いてより後は初七日より二七日乃至第三年までは人目の事なれば問い訪ひ候へども・
一三年・四千余日が間の程は・かきたえ(絶) 問う人は なし、

生(いき)て をはせし時は 一日片時のわかれをば千万日とこそ思われしかども
一三年・四千余日が間の程はつやつや をとずれなし
如何に きかまほしく ましますらん・・・(刑部左衛門尉女房御返事 1398p)

「忘れ得ぬ風景」で なんとしても訴えたい主題です。  何故か今、強く思うのです。



2004/08/10(火) 17:27

なぜ「母に捧ぐ」のか・・
それは、御両親、御祖父母様との葛藤の子の多きを知るからです。

思い余っての殺戮の慟哭の決着。 あまりにも無惨です。
原点をも見失う昨今の世相。   創価の責務は底知れず重いのです。

「盂蘭盆」が近づきました。 
この時期  日頃はクールな若者も「我が血縁」の話題の輪に入るでしょう。
楽しき帰郷・・・有意義なる「友好の日」でありますように。



2004/08/11(水) 06:19

8月10日。厚田・戸田記念墓地公園の一角に、「世界広布誓願の碑」が建立・除幕された。
その碑文には、こう刻まれている
―「世界を包みゆく広宣の滔々たる大河は厚田に脈打つ師弟の誓願より興起せり」と。

ひと時として脳裏から消ゆる事なき「厚田」
「己が使命は 何のため」を未だに模索の愚壮では「誓願」を身読など、出来ない。

どこまで行っても「これでよし」とは 思うこと勿れ。

さて、本年の前半の作業は今日で終わる。  現場「八尾」06:30発。



2004/08/11(水) 13:57

「厚田村」 ―恩師の故郷に憶う―

一  北海凍る厚田村   吹雪果てなく貧しくも
   海辺に銀の家ありき  これぞ栄あるわが古城

二  春夏詩情の厚田川  鰊の波は日本海
   松前藩主の拓(ひら)きしか  断崖屏風と漁村庭

三  少年動かず月明かり  伝記と歴史の書を読みて
   紅顔可憐に涙あり  正義の心の鼓動楽

四  痛まし針の白髪に  不正に勝てとアツシ織る
   母の祈りに鳳雛も  虹を求めて天子舞

五  暖炉に語りし父もまた  網をつくろい笑顔皺
   権威の風に  丈夫(ますらお)は  征けと一言 父子の譜(うた)

六  ※厚田の故郷忘れじと  北風つつみて美少年
   無名の地より世のために  長途の旅や馬上行(ばじょうこう)
                          (※以下 くりかえし)
 
 昭和29年8月に、想いを馳せつつ 謹んで書きました。
偶然、私が立った昭和39年の厚田の海も又、今 鮮やかによみがえるのです。



2004/08/14(土) 05:43

抜粋『池田名誉会長が語る;恩師 戸田城聖先生』

私が初めて大阪を訪問したのは、1952年(昭和27年)8月14日であった。
淀川の鉄橋を渡り、大阪に第一歩を印したこの日が、
恩師戸田城聖先生に この世で初めて運命的な出会いをしてから、ちょうど五年目の日であった。

いつもそうであったように、この関西行きも、戸田先生の心を受けてのものであり、
また、私自身が強く志願したものであった。

戸田先生は、仏法流布の基礎を、まず東京に築かれた。
そして次に関西に仏法流布の柱を、学会の柱を立てようと考えておられたのである。
この構想は、私が恩師に進言していたことでもあった。


池田先生ご自身が語る「常勝関西西環」 
体力の限界をはるかに超えての激闘の連続の疾駆に、関西は在る。

「よろしく座を阪神とすべし」「関西で青春の歴史を綴れ!」とは愛弟子への戸田先生の言葉である。
命を削っての激闘の帰路は 午後10時の「夜行列車;月光」と、ある。

「私はいつも三等車を利用した・・・」と語る若き師匠に戸田先生は言う。
『若いのだから生き抜くのだ。死ぬんじゃないぞ。死魔と戦うのだ』
師匠の死闘で構築の「錦州城」   関西は「常勝」でなければ、関西ではない。


2004/08/14(土) 06:00

私の生まれた「東住吉区」から『八尾』までは、
ずいぶん遠かったですが。飛行機好きの少年愚壮は自転車で走りました。
いまも大活躍の「八尾飛行場」の其の頃は、日本戦闘機の掩体壕も残っていました。
いけどもいけどもの田園を「ハアハア」と走る少年。     いまや、面影ぞ無し。



2004/08/22(日) 18:03

この夏は少々バテまして・・遠出は控えました。
妻の実家の「草創の義母」には 会いました。

ますます 背が曲がり 正座高が愈々縮んで居ましたが 元気でした。

私事が続くが・・昭和44年の明日の夕刻、安威川堤防上に妻との出会いがあった。
近鉄バス(当時、今は阪急バス)の「さわらぎ バス停」

美章園の自宅に帰る私と、「縦線の会合」にむかう彼女。 35年 遠き日である。
わずか二・三人の待合客の夕闇せまる時。 バラバラと夕立があった。

あの時に濡れて立つ背後に、傘を差し掛ける人が、今の妻である。
「だいぶん、迷ったが、 雨脚が強すぎて・・・」とは、後談。

あの夕立は意味が深くて、 ホロ苦い。
8月23日がくる度  その風景はよみがえるのです。
あの日が無ければ わたしの入会はまず、無かったであろうゆえ・・・
(入会があっても、ずっと遅れていたでしょう)



2004/08/23(月) 08:47

月刊 第三文明の2004年9月号『シリーズ 未来へ』
元「第五福竜丸」漁労長 見崎吉男氏は、最後にこうメッセージを贈られる。

(記者)― 最後に若い世代へのメッセージをお願いします。

見崎氏「自分ができる範囲でいいから、何か具体的なことをしてもらいたいと思います。
こぶしを振り上げて平和を叫ぶことが平和運動じゃない。
まわりの海や山、川を大切にすること、  
お年寄りの世話をすること、 子どもたちと一緒に遊ぶこと。

そんな、人のため、何かのためになる具体的な行動が、平和につながっていくと、
私は思っているんです」

昭和28年3月、アメリカはビキニ環礁で水爆「ブラボー」の核実験を実施する。
この、ビキニ実験は、度々の映像で わたしたちも知る。
「第五福竜丸 被爆」の大ニュースは、様々の接点で、映し出されているをも知る。

爆心海域に点在する多くの艦影の中には、米海軍の老廃艦や退役艦に混じって、
旧海軍戦艦「長門」の静かに最期を待つ雄姿をみる。が、すべて無人艦である。
(「重巡 那智」も居たのかな? お詳しい方、教えてください)

その同時刻、爆心地より離れること僅か160キロ。 なま身の23人の男たちが被爆していた。
敗戦後の飢えし母国の食卓に、命懸けで「新鮮の海の幸」を提供しつづけた男達は。
あろうことかその後、世間からの偏見と差別すら あったとか・・
刻々たる現場で真実を凝視し、「偏見」への「盾」と闘い続けた見崎氏。
その 氏の言葉が
「まわりの海や山、川を大切にすること、お年寄りの世話をすること」である。ゆえに、さらに重い。



2004/08/25(水) 05:28

戦艦「長門」の最後でありますが
昭和21年7月の戦後最初の原爆実験「十字路作戦」(オペレーション・クロスロード)にて
空中爆発と水中爆発による艦艇の損傷・被爆実験に接収鑑として使われ
二発目の水中爆発時に沈没。
そのほか日本艦艇は軽巡「酒匂」が最初の空中爆発時の翌日に沈没
米国の戦艦ネヴァダ、空母サラトガ等、多数の老朽艦や小艦艇も標的にされ
無人ではあるが実験動物を乗せた船があったということです。

>> 戦艦「長門」。昭和21年7月の戦後最初の原爆実験「十字路作戦」にて沈没。

永年の勘違いでした。ありがとうございます。
ビキニ環礁の水爆実験の映像で 必ず登場するのが「長門」達の艦影でした。
報道の映像の「つなぎ合わせのマジック」を、わたしは信じておりました。

こうした方法での「為にする ゴロツキ報道」が多いのは 困った世相です。



2004/08/25(水) 18:02

・・・続けます。(正直な入会の動機であります)
昭和44年8月23日は妻の父の会社に、初出勤の日でありました。
「世界中が学会員になっても、俺は入らない」との私が、夕立の優しき傘で感動などはありません。

幼き頃、苦悶の日々の祖母を「そんな宗教をやってるから、あきまへんのや」と日参した近隣学会員。
子供心に染み付いた「学会員への復讐」は、 国鉄関西線の踏み切りに立つたびに増幅した。

あの、「厚田の岸壁」との遭遇の次の年、わたしは満期除隊で大阪に舞い戻っている。
既に祖母の傍らには、ヤクザ夫婦の妹達が住み着き「なんで帰ってきたんや」と、黙って言う。
昭和40年2月4日の札幌 真駒内駐屯地の朝礼時 中隊全員の「壮行」の感動など 跡形も無い。

「よう(よくも)、おばあちゃん捨てたな」と黙視する妹夫婦よりも、祖母の涙が心を裂く。

おもえば・・あの除隊の日から「夕立の優しき不思議な傘の」日まで、わたしは狂う。
府立工高の同級生に「みのさん」と「呉(ご)君」がいる。(私のみ 中退)
「みのさん」は八尾の男で 悪名の浅吉親分肌、猛者が舌巻く豪傑であった。
「呉君」は在日韓国人で 非常に頭の切れる リーゼントの良く似合う凄腕である。

この三人が 常につるんでは、夜の巷を走り抜けていた。 三拍子、一つも欠けず。
フラメンコギタリストの夢を打ち砕く右手薬指の腱断裂での挫折も、当時であった。
(治療の甲斐も無く いまも、わが右指は 動きはせぬが・・・)
挫折が悪行に拍車をかけ、何度も司直を煩わすが、祖母への思慕は褪せた事はない。

そんな祖母が「おまえな〜、ええかげんに働かんかいや」
「しんちゃん(K親方)に、もいっかい 頼みいな」   頑と聞かず。

やがて ある日祖母は言う「おまえ、ここへ行け」と、がま口から一片の切り抜き。
「新聞広告に載っとった・・聞いたこと無い会社や、行ってこい」
この切れ端の募集会社こそ、妻の父の経営の会社であった。   
ここから事態が急変することになる。    世の中、予想など通用せん・・・。
話は本筋に入る、  折伏戦の参考には 必ずなる。  要は琴線への肉薄である。



2004/08/25(水) 19:00

「わかっとるわい、仕事するがな」と面接を受く、昭和44年8月22日。

「K親方」「M社長」は、常に超一流のスーパーゼネコンでの稼業である。
いま、手に持つ「紙切れの会社」など、 聞いたためしは無い。
「冷やかしたるか・・」と、面接に向かったが、この傲慢が その後も今も 足を掬う。

それは、さておくが、  「募集の会社」に着いた私は、愕然となる。
社の表玄関の「聖教新聞申込所」が それであった   「ゲンクソ悪いのー」と思う。
「婆さんめ、なんちゅうとこ(ところ)の新聞 渡すんや」である。
しかし、引き返さないのが、予想の通用せんところである。 
「明日から出勤されたし・・」は義兄。  「ホナ、たのんまっさ」とんでもない愚壮であった。

当時の妻は事務所で一般事務をやっておった、「えらい、静かな子やな〜」ただ、それだけ。
初出勤の夕立の傘など、 かけらも残る訳もない出勤二日目に早速のトラブルを誘発す。

事態の流れは言わぬが、在来の職人数名、わたしに詰め寄った。
長い間の堕落で すっかり色白の24歳の「優おとこ」の私は、ここの職人を嘗めてかかる。
「コラ、若造!」とは、当然の立腹で 形勢はまったく不利ではあった、が。
「ホ〜、この会社は 新入にその挨拶かい」と格好よく輪に飛び込んだ。

止めに入ったのは外婿の「のぶさん」で、即、事務所にわたしを連れ帰った。
当時 専務の義兄に「この会社は 新入にその挨拶でっか」と また、噛み付く。
「辞めまっさ、やっとれんわい」に義兄は言う「悪いようにはせぬ。辞めるな」 
其の時の心境「絶対 予想外やんけ」であった。   予想外・・・断言できます。
入会動機どころか、ますます学会嫌いに陥る。  なぜ今、愚壮が存在するのか、奇想天外ではある。

ついでに書くが、 数人相手の喧嘩は、ワシは相当シバカレておったわい。



2004/08/26(木) 05:46

おはようございます。

今日は基礎入れです(摂津市鳥飼) もっとも緊張の瞬間です。
夜は座談会、 時間が空きそうにない。
金・土とも 多忙となります。 

私の入会の経緯の真相は、必ず書くべき、と、思っておりました。
「・・なら、じゃ、一度やってみるか」類いの入会ではなかった。

一人の若き女性の「背路(退路)遮断の断腸の決断」を 突きつけられた時。
彼女には絶対不似合いの愚連隊愚壮の心の壁が動く。堰が開く。

それは、昭和44年11月6日に如実に現れる・・・
この、如実をば 消滅の「忘れ得ぬ風景」では、※『藪から棒の設定外』とだけ書いた。
         
続きの決着に焦っております。  



2004/08/29(日) 05:32

台風16号が西日本に接近。
「月曜日、荒れそうやで」とは長男の弁。
「よっしゃ、入れ替えよか」と、今日の日曜日は出勤日とする。

「火曜日の摂津の現場の工期は動かせんもんな」と、簡単に決まるが。
休日の団欒を心待ちの「スズメバチ」達と、弁当当番の「強靭ママ」には チト気の毒か。

ま、とにかく今日は、明日の仕事を終わらせる。  現場 泉尾。



2004/08/29(日) 18:40

先ほど帰着の我が家に「あすか」と「スズメバチ」が待機しておった。
錆だらけをも構わず抱きつかれれば 疲れも飛ぶわい。

明日は代休日、 早速 長男一家は外食とか・・息子の疲れは 今少し続く。
私は、 「女房と酒 うち飲みまいらせ候」とする。
と、言っても  か〜ちゃんは、酌するだけだが。  

女性の飲酒、少量なら、美容 健康、両面にすこぶるよろしい。

ここにきて女房の尊顔をじっと見ることが多い。
「なにみてんのん」と言われる度、 言い訳に労苦しておる。



2004/08/30(月) 05:08

今後もひとつひとつ 乗り越えて参ります。 
まずは、全地区の総会勝利を未曾有の聖教啓蒙で飾ります。

御地発祥の「威風堂々の歌」とともに、 折伏の行軍を進めます。



2004/08/31(火) 04:59

今、この時刻もまだ、湿気を含んだ突風の吹く当地です。
能登沖を東進中の台風16号は すでに5名の犠牲者と4名の不明者を出している。

豪雨による傾斜地の突然の地すべりには、尚、警戒が必要です。
新潟、福井、四国 今夏の洪水罹災地におかれては、この上の大事に至りませぬ様。
お祈り申し上げます。

進路に当たる北方の皆様の安穏を祈ります。

さて、当地。昨夜の協議会は中止となっている。
警報の発令と同時に我が支部は中止としているが、
絶対無事故が必須。当然の措置である。



2004/09/01(水) 11:37

午後からの所用のため急遽帰宅。
事務所の鍵が開いておる 「掛け忘れか・・」とドアを開くと「あなうれし・・」
「ジイジ、おかえり!」と、「あすか」がおった。

「今日は始業式やねん」「おうちにはママ い〜ひん(居らない)ねん」
「強靭ママ」には仕事がある、 そんな時こそ妻の出番である。と。「あすか」が来ておった。

事務所のソフアーの「あすか」と   うれしき会話がある、が、秘密じゃ。
ところで、今日は彼女の誕生日でもある。 
平成9年の今日。初孫誕生の一報にワシは現場を放っぽり出して病院に駆けつけておる。

蒸し暑き かの日、於、豊中市民病院は、現在の新装の市民病院完成直前の頃であった。
仕事着のままの長男は その錆だらけの腕に 新生「あすか」を抱いておった。

「強靭ママ」が まだ初々しい頃で、初産の感動に泣いておったが・・今は泣く暇も無い。

ともあれ、 「あすか」9歳。   創価の凛々しき女子部と育てと祈る。



2004/09/01(水) 11:43

舞い上がって 大間違いである。
「あすか」は  まだ、7歳。

※こうして 訂正を書く愚壮に
「ジイジ、なに 笑ってんのん」とは、当の7歳児の弁。



2004/09/01(水) 12:05

又、この日は 甥「ちひろ」壮絶の終焉の日でもある。

おもえば、あの日も残暑厳しき日であった。
1000日を超えても、両親・兄弟の悲しみは消えぬ。

いかにも、夭折は罪である。(985p 全篇の御金言を謹読す)  

「ちひろ」「あすか」  いとおしい気持は 在不在 不滅である。



2004/09/01(水) 12:32

いま、ひるめしが降りてきました。
「あすか」と妻は カレーライス  わしは、カレーうどん。

キテイーちゃんの赤いマグカップは「あすか私物」で6年前に購入してある。
冷えた麦茶を真っ先にキテイーちゃんに注ぐ、次が妻。
「大事な人から 順番や」と、注ぐ。

残暑きびしき今日。 我が事務所は たのしい昼食会となる。
あすかの「いっただきま〜す」を合図に 玉子の黄身だけをウドンに落とした。



2004/09/01(水) 17:19

そして今しがた、「強靭ママ」が7歳を迎えに来た。
 
両手いっぱいのプレゼントは 見事 妻から引っ張り出しよった戦果で、
チビのくせして あっぱれ、段取りよし。

誕生日の花は「紫露草」で、花言葉は「貴っとぶ」である。
「あすか」は「ジィジー たっとぶって〜?」と聞きよった。
「ワシが、あすか。お前を思う心を、そう言うんやで」には困っておった。

残る「二匹のスズメバチ」のためにも、ジィジーが何故信心をしているのかを、教える。
海千山千の庶民派元愚連隊が、心底そう思うのである。他宗では、必ずボロが出る。



2004/09/01(水) 18:50

もすこし時間があるので・・

我が家族であるが・・全部で10人である。(摂津市の母はこれには入っていない)
私、妻、長女、次女夫婦(千葉に住もうが家族じゃ) そして長男達5人。

けっして裕福でもなく、優駿でもないが(強靭ママと千葉の亨君は最高学府出の秀才)
全員が優しく、麗しい人柄と思っておる。(これは、ワシを除く)  

それにしても、何度思い返しても、どう屁理屈を捏ねても、基点はわたしの入会である。
いや、私に入会を決意させし、あの、命懸けの 一、女子部時代の妻の振る舞いである。

脚本も演出も脚色もなき、人生劇場の初演の幕は  突然に開幕する、有無をも言わせずに・・
昭和44年8月23日から僅か75日後の、運命のドンデン返しに直面の時、わたしは生涯の岐路に立ち。
昭和44年8月23日から僅か116日後の、入会の日。自身と家系の根こそぎの変革に、遂に辿り着く。

75日間の刻一刻の微々たる兆候が総て、今現在の10人家族の存在への 一滴の予兆となる、が、知る道理無し。
「劇的で衝撃である」と。いまもそう思うほど 感謝をしているのである。



2004/09/01(水) 20:03

入社二日目に暴力事件の張本人となったわたしを、専務(後に義兄となる)は引き止めた。
「悪いようにはせん」と、専務は言う。  ところがしかし、横紙破りのわたしは言うことを聞いている。

しばらくは、現場に出るなと、事務所に机を与える専務に、「わかりました」と、これも素直に聞く。

この就職を「八尾のミノさん」「呉君」「親友、I君」「マーちゃん」は「よかったやんけ」と酒宴で祝った。
「俺の前の机に 社長の娘が おるんじゃ」に、悪友達は茶々をいれたが。心配御無用、相手は学会員である。

馴れぬデスク仕事は、それでも面白くない。其の上事務所の隣室の学会の仏壇に専務が座る、日増しに憂鬱であった。
対面の社長令嬢といえば、唯無口。 「おとなしいけど、化粧 濃いなァ」
彼女を見ていた金欠のワシは、ふと悪友「マーちゃん」を思いだす。彼はインチキ化粧品のセールスマンである。

ある日令嬢にこう切り出す「あの〜、お宅、肌、弱いとか ありません?」
突然の下らん質問に「弱くない」と、けんもほろろであった。
「いえ、僕の友人が化粧品の卸をやってまして・・ 安くなるんで・・」とは、シドロモドロのワシ。
なんせ、インチキ化粧品。 わたしの良心は彼女の肌荒れを心配しておった。が、「買うわ」と来た。
5点セットを¥4,000で仕入れて ¥15,000で売った。 そんな程度である、大事件勃発 夢想だになし。



2004/09/01(水) 20:33

化粧品の対価支払い。

彼女は茶封筒にお金を入れて払った。 当然のこの所作は、実は「おっ」と思った。
何と言うか、新鮮に映ったものである。 きちっと仕分けをしている、と言うか・・・
金銭感覚の杜撰な(というか、定期収入の皆無の家系)  新鮮は新鮮であった。

こんどは彼女から話しかけられた「観劇」である。「招待券が2枚あるので」とのこと。
大阪毎日ホールでの岡田真澄主演の訳の分らん演目で 全く性に合わない。拷問であった。
後日、民音と知るが、 インチキ化粧品の負い目が「愚連隊の観劇」とは、相なったのだ。

とくに、話題に花咲くことも無く 其の夜も梅田駅で別れておる。

一ヶ月もたった頃か、風邪をこじらせて(との言い訳で)私は会社を休んだが、想定外があった。
其の日の夕刻、いつもの悪友たちと祖母とわたし。 ワイワイと酒を飲む。
隣のババが「あきちゃん、女の子が来てるで、彼女やろ」と玄関で大声を出した。

「彼女? おるわけないやろが」と表に出る。  「風邪、いかがですか?」令嬢が立っておる。
「わざわざ来たん? なんでやねん」  本当に このときばかりは 驚いた。

どうも、様子が変に成りつつあったのか・・「ただのお見舞い」と、これも後日談。



2004/09/02(木) 05:06

おはよう!

入会の日まで あと僅か 一気に書けるか(苦笑)



2004/09/02(木) 09:16

若輩愚壮24歳。  毎日の机上への貼り付けは苦悩でもあった。
最初にもめた職人先輩たちも、「これ、奴の作った施工指示書か、ピッタリ、上出来や」

ここでも、洟垂れ小僧愚壮を鍛えてくれた「K親方」は燦然と光、褪せず。
「オイ、ぼちぼち、現場、出て来いや若造」との声が専務を通じて届く、が、涼風の候。
「待っとったわい、ほんまもん見せたろか」とは、
内心だけでいいものを、外にも出す。

「可愛げのない奴や」をハッキリいわれても    
「なら、オレの仕事 抜いてみいや」と聞こえよがし。
一旦現場となれば、絶対負けない自信が有った。   
それこそ「K親方」の無数の鉄拳の賜物である。
社長(後の義父)の耳にも届いていた阿修羅の作業風景。   
「一体、あいつ、何処の出や・・」

職が落ち着くや、夜遊びにも拍車がかかる、 元来が酒豪のところに悪癖の修羅界。生涯でもっとも遊んだ。

たった2ヶ月でトントンと上がる日当、「ここで、しばらく落ち着くか」との10月25日(締切日)
社長がこう言う。 「何も言わずに、今月で辞めてくれんか」(理由くらい いわんかい!と、内心 叫ぶ)  

「なんでですか」と外へは絶対言わない愚壮は即答してやった。「ああ、ええよ」「給料、来月五日に払ろてや」
そういえば、近頃、かの令嬢、姿が見えん・・が、まさか今回の解雇に直結とは、鈍感。露知らず。

※インチキ化粧品と観劇と風邪見舞い。これだけの普通のやりとりのみ、を、敵の家人(特に姉)は敏感に察知し。
 あらぬ妄想を描きたて、一方を隔離し他方を解雇した。  無難、見事な 妄想が事を正逆に誘導する。

「悪いようにはしない」との専務まで顔を逸らす最終日も彼女の姿は見る事はなかった。
「給料日(来月五日)に来なくていいよ、ホレ」と、給料受領。
「なんやねん、理由も垂れんと首かい、 せやから、学会は嫌なんじゃ」と、僅か六十数日にて愚連隊に復帰す。
着替えのロッカーをでて、あの、夕立の優しき傘のバス停に歩くポケットに、一片のメモが出てきた。

『愚壮様。ごめんなさい。 貴方はなにも悪くは有りません。11月6日にお会いください』
まったく気にも留めていない令嬢の笑顔。眼前に突然浮かぶ。  
 な・なにごとやねん。



2004/09/02(木) 09:44

これを帰って 妹と祖母にはなしたが・・
「兄ちゃん、男やろ  女が来たら 受けたらんかい」
「アホ抜かせ、そんな良家のお嬢さんに手ェ出したら あかんに決まっとるわい」これ祖母。
「ボケ言うてんと、次の仕事 早よ探さんかい」と、これも祖母。

「仕事以外 俺の居場所なんか 何処にも無い」と真剣に堕ち込んだ。

11月6日は 素晴しき好天で日曜日と記憶する。
「来る。来ない」と陰険な妹は 実兄を茶化す正午、黄色の相互タクシーが キキッーと止まった。

濃紺と白の斬新なワンピースの令嬢が 小さなショルダーのみで車外に立つ。
事の重大さと異常さと 何故か湧き上がる感動と。
黄色の車の傍らに ヒッソリと しかし確実に存在する人。 ワシは死ぬまで忘れ得ぬ。

「ホラ! 来てしもたがな!」と 祖母動転。 
「まさか、来るかい」の妹、絶句。

モウ、俺しか居ない、と。腹を括るほど、彼女の表情は微動だにせず。
「いまから、帰りなさい。 黙って お帰り」と、ワナワナと訴える祖母であった。
昭和44年11月6日  愚壮24歳。 妻23歳。は非道の街道を出発する。



2004/09/02(木) 10:26

23歳の現役女子部が父母兄弟同志を捨て、「師弟の誓」を踏みにじり、社会に背を向ける。

一体、何があったというのか。 何故、そうまでするのか。
いかに愚連隊とはいえ、何故 純粋無垢の罪無き女性を悪道に引き込むのか。
愚壮が突っぱねれば、彼女の生涯の汚点を 間一髪 止められるものを・・

※以下 趣意。
「俺は君の生涯の深手を、共に感じて生きたい、今でなければ出来ない事を、俺はやる」
「全部すてて、私は来た。もう、なにも要らない・・」と彼女は言う(実際、一冊の御書持参のみ)
「しかし、ひとつだけ、捨てないものが有る」と彼女は言う。
「わたしは生涯の信仰を持っている、たった、ひとつのわたしの望みは」と、彼女は言った。

「わかった。もう、心配するな。 幸い、親戚にひとり、学会員の伯母が居る」
「きみの、その、ひ弱な身体と、きみの唯一の信仰とを 俺が護る」と即決す。
この、入会即決は祖母と妹を 敵に回した瞬間となるが、そんなことは先刻承知の決断であった。

東大阪の「M伯母」を尋ねての入会希望に、 伯母は昏倒するほど驚いた。
「あきちゃん、あんたが来たら いつも大事件や」
昭和44年12月17日 伯母・妻・愚壮。  3人のみの入会。於。「T寺」

ぶち壊しの下ネタで恐縮するが。  この日まで116日間、彼女には一指とて触れず。
(昭和44年11月6日の正午すぎから、入会の日までは、書かぬ、 否、書けぬ。 乞う 御了解)



2004/09/02(木) 10:39

これで残るは(まだ、続ける気かい)昭和63年の「W工業」離職から以降のみ。

息あるうちには 完了する予定となる。

ところで・・今日は積算である。 4箇所の基礎工事と1箇所の施工指示書。
今から、没頭します。



2004/09/03(金) 08:34

妻の御書は、今もその当時の御書で あまり書き込みをせずに きれいに大事にしています。

一冊の御書のみを抱きかかえて なに不自由のない、温室を飛び出した時の彼女の心境。
私自身が「ヨンさま風情」ならまだしも、義兄達の言う「何処の馬の骨」 『魔が差した』が適言です。

御書を御書と知らぬ当時の私は 彼女が御書へ託した真意をば、理解してはいなかったが・・
パラパラと捲った時に膝元に落ちた一枚の便箋の文面に 時を経てからではあるが「託した真意」の片鱗を見ます。
それが『われ・師と共に生涯を』でした。

彼女は 当時の一切の公私を「忘恩の徒」との烙印を背負って捨てている。
黄色いタクシーから降りた彼女に  「この人は既に退路を遮断してから、行動を起こしている」と直感しました。

この時の直感を得る為に 俺は今まで修羅場を渡ってきたのかも知れん。直感への直感でした。
つまり、もし、彼女が いま降りたばかりの車に乗った時。彼女は終わるんだ。との電流の如き直感です。
まさに、健気な汚れ無き乙女が 秋晴れの昼下がりを凍りつかせた瞬間でもある。  人生を決めた瞬間でした。

金欠の私は 愛蔵秘蔵のLP盤を換金して国鉄天王寺駅を南下した「特急・黒潮」
釣瓶落としの夕焼け。 車窓は、ながれる風景に灯火を点し、やがて列車内を映し出す。
何も見えぬ車窓を凝視し続ける彼女の細き肩が震う やがて・・声を殺して咽び泣く。
「かあさん、ごめんね・・・」と、泣く。

私はやっと言う「頼みがある。願いがある。泣かないで・・」 
 一体、明日はあるのか・・と、列車は紀州路を疾駆する。



2004/09/03(金) 11:43

近鉄南大阪線に北田辺駅がある。 この駅の東すぐに親友「I君」宅があり「マーチャン(インチキ化粧品屋)」も居る。
その駅のすぐ脇に「よし鶴」という飲み屋があった。5人座れば札止めの間口狭き店は、寄せ鍋が美味かった。

この「よし鶴」の主は初老のオッサンでバリ学会員である。  ここへ悪タレ3人が行く。しょっちゅう行く。
なんせ、廉くて旨くて 通い詰めた。  オッサンも3人を可愛がってくれたが、行く度の折伏には閉口していた。

「御釈迦さんが 法華経やないと、あかん。言うてはんのや」「大聖人の仏法が唯一、正統やねん」耳にタコである。
『釈迦に会うたんか、オッサン』『日蓮さんに聞いたんかい』とゴネても、「にいちゃん、よう聞きや」と繰り返す。
それでも、ワシ等は行く。     
これが、昭和41年〜昭和45年の話である。

母校「桑津小学校」の裏道の共同トイレのボロアパートに、私と妻が身を潜めたのも、昭和44年の晩秋であった。
アパートの東の辻角の銭湯に二人で行く。  わしはカラスの行水で、若き妻を表通りで待つ身体が凍えたもんである。
「よし鶴」も近い、と、彼女と行った。 常連悪友3人に「紅一点」は、暖簾をくぐる。

「よし鶴」は言う。「ネエちゃん、人生いろいろあるけどな、みんな意味があるねんで」「落ち込んだら あかんねんで」
家路を急ぐ足音が暖簾を素通りする 寒空の「一杯飲み屋」に暖かき励ましの湯気が満つ。

二人の友人は、私たちを、否、私の暴挙(駆け落ち)をどう見たのか。
昭和45年1月11日の、あの断腸の結婚披露宴の、 新郎側列席総勢数名の中に 友は居る。

とまれ、「よし鶴」とオッサンと寄せ鍋。  ほろ苦く 又、懐かしい風景である。
※妻を激励のオッサンも、ずっと昔に御他界されたと聞く。 
あの駅前に私が立つことも、もう、あるまい。



2004/09/03(金) 12:20

昭和44年の大晦日にどうしてもの「忘れ得ぬ風景」がある。

北田辺駅前周辺の商店街、公設市場は雑踏であった。
この夜も私たち4人は「よし鶴」に居た。
「紅白なんか、おもろないわい」と、呑んでいた。

「明日は、お正月やな〜」
「ねえちゃん 買い物、済んだんか」とのオッサンに、
「今から行く心算です」と妻。  
彼女の手元の虎の子の一万円。  こんな貧乏年越し、さぞ淋しかろう。
「なに、迷うことはないわい。商店街は踏み切りを渡った目の前や」に
彼女は「うん」と店を出た。

根が冷淡か、わしは行こうとしない。 
「付いて行ったれや」に「だいじょうぶよ」と店を出た。
暫らくの時がたつ・・「おい、遅すぎるで」とたれかが言う。
私は一瞬、「しまった」と、思った。  
一刻でも離れては筋が通らんではないか。

と、  彼女は帰ってきた。    ベソをかいておる。
オッサンも3人も血相変えて「なんか、あったんか」
「・・お金、落としてしまいました」と、今度はほんとに泣き出した。
「悪い悪い、俺が悪かったんや、もう泣かんといて」と謝ったが、
彼女は聞かぬ。
今度は「お金を捜す」と言いだした。    
「あほな事 言うたらあかん、もう座り」を、聞かん。

「意地でも捜す」と別人になった妻。  
暫らくして帰ってきた彼女「満面笑み」  
「見つけたわ〜、奇跡や〜」(なぜか、功徳と言わん)
オッサンと3人「・・・ほんま、奇跡や・・・」 
   昭和44年12月31日  妻23歳。愚壮24歳。



2004/09/03(金) 13:15

いま、家内に「あの一万円、憶えとるか」と聞きました。
「お父さん、そらもう、よう忘れんわ〜」

「なんで又、落としたんや」に、
「若かってんな〜、もう、夢中で 手に持ったままやったんや」
「お菓子の箱の隅に、折りたたんだままで有ったんよ」と言う。

「あの時の 赤いスカート、可愛かったな〜」と天井を見上げれば、
「あのころの お父さん、格好よかったな〜」と返ってきた。

35年も前の事じゃ、  そら 変るわい。   ・・・お互いに・・。



2004/09/06(月) 07:46

昨日の二度の地震は 一回目が19時すぎ。日曜日のこの時間帯、四地区ともに会合中。
地区総会目前のこの時期、日曜日などは関係ない。これが「K市」だ。

愚壮宅は壮年部「御書学習会」中にグラッときた。 一階部分は完全なRC造の拙宅、大揺れ。
勤行中の震度四強に即、中止して各地区部長は地区内の「気にかかる同志宅」へ飛んだ。
しばらくの中断で「学習会」再開。   担当・「S副本部長(教授)」であった。

長男宅も気にかかる、との電話に「下のスズメバチ:伸人3歳」が出た。
「地震、怖かったやろ・・」に、回らん口で「かなり、揺れてん」と来た。

この、伸人。  いつまで経っても喋りが遅い、そのくせ、寝小便は根気良く続く。
「強靭ママ」はフトンの乾燥に愚痴を言う。

かの、坂本竜馬は有名な寝小便(ヨバレ)垂れじゃ、 伸人の物怖じしないデカイ態度と寝小便。
大物、請け合いじゃ。

脱線してしまった。 二度目の地震は真夜中で、今朝の「無冠の友」は全員眠そうであった。
ワシの顔をみるなり「愚壮さん、地震。こわかったわ〜」と、皆、言った。



2004/09/07(火) 05:28

台風18号 急接近中。
今日は摂津の屋根スラブの作業です。
最接近時までに工事を終わらせます、そのことで台風養生になるからです。

私たちの作業は 型枠の養生にもなる・・とはいえ。 事故は慣れの油断から。



2004/09/07(火) 05:32

もうすぐ、長女弁当が降りてくる。

今朝の「無冠の友」すでに、一地区は配達中である。
毎朝 思います。  今日も絶対無事故でいかれたし。



2004/09/08(水) 05:49

>>(昨日)摂津の屋根スラブの作業。


現場着が06:15、 ひと息入れずに作業にかかろうか・・と、した時。
当地の「無冠の友」さん。自転車にて現場前を走る。  思わず「今日も元気で・・」
爽やかな笑顔で会釈がかえってきた。    大阪府内、数々の早朝の現場で、わたしはこの風景を創る。

ともあれ、近隣がいまだ静寂の中、「音を立てるな」と息を止めるが如く作業する。

そんな、08:30頃、グラリとスラブが揺れる、 「地震、多いな」と眉曇る。

台風の影響か、妙な暑さの昼過ぎ、全作業完了。 CS(跳出し庇)の補強を充分を確認し 終わる。
帰着、13時。 大阪にも警報出るや「あすか」『台風でお勉強やめてん」と事務所に来る。
「強靭ママ」が仕事の平日の「あすか」の早退時は、必ず「ジィジ・バァバ宅」で、これがまた良し。

ところで、今朝の空気、台風一過とは言えん嫌な肌触りである。 天変を感ず。



2004/09/08(水) 07:10

9月に入り 多忙となりました。

広布部員。教学受験啓蒙。地区総会。   まさに、地区部長受難です。
「老兵は去らず地区部長」「タバコ屋のぶちゃん地区部長」等、
話しかけても、愛想笑いも返って来ない程であります。

支部婦人部長 地区婦人部長の存在が仮に無ければ、支部・地区は沈没です。
婦人部サイドの受験票は電光石火で揃うが、壮はさっぱりじゃ。

「夏ばて」が出る時期です。御身ご自愛を祈ります。



2004/09/08(水) 07:44

今日は他社への応援、 応援と言えども5時45分にはバスは走り出す。
その長男から、今、連絡あり。  「オヤジ、えらい奴に遇うたで」と言う。
「誰や」と問えば  「誰や思う?」と受話器で笑う。「Tや」

後足で砂を蹴る如きの忘恩の「Tかい・・」  名瀬市の老母を幾度も泣かせた輩である。
「西成に舞い戻ってきて居る」とのこと、「俺の顔見て、縮んだ」とのこと、  
「そうか、行く所・働く所があるんなら頑張れと言え」と伝言するが・・

恩義を仇で返す輩は、必ず後日、姿を晒す。  
悪事は露呈、と、決まっておる。



2004/09/08(水) 08:19

>> 広布部員。教学受験啓蒙。地区総会。まさに地区部長受難。


安易な誤解を避けるために付記。
広布部員。教学受験啓蒙。地区総会。のみの完勝遂行なら、誰でも出来る。

>>「老兵は去らず地区部長」「タバコ屋のぶちゃん地区部長」話しかけても、愛想笑いも返って来ない。

とは、これの完遂勝利に花を添える目標が、余裕の笑顔を奪う。
 
 地区員さん全員が弘教をしよう。世帯の18倍の聖教啓蒙。
 これで顔が凍る。
ワシャ、勇気100倍じゃ。



2004/09/09(木) 14:11

「忘れ得ぬ風景」の本筋をば、昭和63年頭から、何時までも放置するのは反省です。

前半よりも、尚、厳しき宿命との遭遇の後半の風景。
連続した家庭で育った人間には、弊害多く 恐らくは書けまいが・・・

わたしからの起点の人生。 書き込みからの祖への蟠りは、 皆無です。

御本尊に遇わなければ とっくに霧散の人生です。
「絶対来ない」と決め付けて走った非行の極道に「家族の温もり」が芽生えた 昔日と、
可愛い孫たちに囲まれ、やっと10人にまで辿り着きし今と、を、私の生の語り口で、

同信同心の家族へのメッセージとして、 「忘れ得ぬ風景」として遺すのです。
「よう、書きよるわい、恥知らずめ」と、言う人あれど、  書くのです。



2004/09/10(金) 07:05

粉の如き雨の朝。
勤行の「御祈念文」が発表された。  
装いを正した簡素さは新時代の幕開けに相応しく、「これだ!」と、手を打つ全文である。

勤行は唱題は日々の根幹、  威儀を正して御宝前に端座をするものです。
その言う威儀とは、私の場合は、錆だらけの装束でも良い。
「御本尊様。この様な姿で 申し訳ありません」とは、毎早朝の私。

闘う姿のままが、本来のその個人の威儀を正しているが、「これでよし」の途端、我見である。
一切が無戒の悠々たる正法の根幹は、「あるがまま」の人間愛。 破邪顕正の隣人愛である。

「破邪顕正」
森羅万象の一切の有智無智に普遍に大威徳を浸透の大聖人の仏法の弘教が、最第一の行の所以。
聖教推進も、ゆえに、匹敵する。   創価に集う、は、爪上の砂を忘れてはいかん。
・・・と。自問の朝である。



2004/09/10(金) 07:57

今朝の在宅は 長女を病院に連れて行くためである。

妻の代行と、愛情一杯の「お弁当」を作ってくれている彼女は、昨夜は睡眠不可。
一ヶ月ほど前も救急搬送をしたが・・      私は心が激痛である。

おもわず禁句の「俺が代わりたい」と祈ってしまうほど、心が痛い。
8時に出発をする。    
千葉の次女夫妻よ、電話など不要。俺が居る 心配するな。



2004/09/11(土) 05:35

今日は「老兵は去らず地区部長」の現場に応援。当社からは3人出る。
ワシも行く。

「老兵」と「愚壮」は闘う壮年部。は「支部婦人部長;談」もったいない。

その支部婦人部長は昨日、大多忙であった。於、愚壮宅での申込書の全チエック。
愚壮もしかり、腱鞘炎誘発の署名であった。 ともあれ、無事に無事故の作業であった。
支部婦人部長がそばにおると、ワシは安心する。が、問題は。
彼女がはたして、愚壮がそばに居る時に安心出来ているか、である。 
これが大問題。大課題。
涼しくなってきたからか、今朝の「無冠の友」さん。出足、いと早し。 


今日は 9・11  3年前の震撼のニューヨーク。 忘れてはならん。



2004/09/12(日) 20:10

今日の私は大活躍であった。

第25回 自治会敬老の祝賀会は寝屋川の料亭「U」で行われた。
11:30開宴。
司会の愚壮は第5回からの20年連続の大役で、地元市議議長、府議会議員が来賓された。

前述のとうり、我が自治会役員には同志が過半数を占めておって、「地域への報恩」に励む。
マイクロバス2台の移動は 無事故でなによりであったが 宴会の盛り上がりも、最高であった。

原稿なしの司会は「玄人裸足」である、は、自画自賛。
市議、府議が座敷にデングリ返っての爆笑であった。

毎年の恒例の敬老祝賀会の私の今年の隣席は、かの、一億六千万遍の唱題の「照子ちゃん」であった。89歳。
照子ちゃんが言う「お前の司会は当意即妙、学会の自慢じゃ」が、  今日の最高の勲章である。

昼酒が醒めた夕刻、体調回復の長女とじゃれたが、彼女がなぜ膝の破れたジーンズを履くのか疑問じゃ。
長女は、たまにであるが、ワシにからむ。   いくつになっても子は子じゃ。
妻は・・総会の準備の家庭訪問に 余念がない。   穏やかな日曜日であった。



2004/09/14(火) 06:52

「愚壮ちゃん。時間はこじあけ、こじあけて得るんや、得た時間を又こじあけて闘うんや」
「S圏長」の口癖である。  その圏長が退任さる。 於、守口平和講堂。

圏のカナメ、として颯爽の登壇の平成13年9月17日から1100日。
氏は「旭日圏」を名実の旭日とされたが、特筆がある。

特筆の筆頭とは、 師匠への求道である。 
「圏長はすべての報告をされていた」書けばこれだけで終わる、が。 誰でもが出来ることではない。
3年余の重責の闘いの報告を 一切怠らなかったとの証言あり。

もうひとつは 婦・女への深き慈愛であった。 すべてが婦女中心であり なんでも聞く。
九州男児の剛毅な氏は又、苦悩の壮年部を捨て身で激励する。 「うん、うん、そうか〜」と聞く。

時として愚痴と変貌する、苦悩の友の肩を、 氏は暖かく励ましてきた。
深夜であれ、荒天であれ  愛用の自転車は 安寧の休日など皆無と聞く。

氏と愛妻と二人、連日連夜の起業挑戦の苦難の昔日。工場の片隅の失意の深夜に弁当が届く。
直属支部長御夫妻からの 暖かき無言の激励の弁当に、氏はこぶしを震わせて泣いたと聞く。

「俺は、あの真心の弁当を、死んでも忘れない」と氏は言う。 「あの激励に 今が在る」とも言われる。
「生涯で一番おいしかった弁当を なんとしても報恩申したい」との氏は、事の顛末を投稿。
聖教新聞に掲載されし文面は、 当時の直属支部長御夫妻への感謝のみ 溢れ零れるが如し。

3人のお嬢さんは 全員が創価の最前線で指揮を執る。
優しき奥方は、副本部長(支部婦人部長 兼任)  その暖かき人柄と笑顔が地域に満開する。
大勝利の御家庭の共通点である御同居の「老母さま」の幸せそうな笑顔皺は、永遠の勝利の図式化である。

於、守口平和講堂の圏長退任の日。  新圏長、圏婦人部長の誕生に堂宇 揺るぐ。

最前列中央のワシの定位置は失敗で、今朝は首が痛いわい。
近けりゃ良いのでもないのに、 相変わらず 定位置に固執しておる愚壮。



2004/09/14(火) 07:12

一昨年の暮、不渡りを食う。自慢にならん此の損失は、ここでは置く。

ワシを苦しめた当の人間から突然の携帯が鳴ったのが 昨日の午後である。
「ワレ、今どこにおるんじゃい」に、「とにかく、助けてくれ」

納期切迫の基礎工事に業者に逃げられた由。「基礎、収めてください」と言う。

「オヤジよ、ほんまに 助けたるんか」と言う長男は それでも打ち合わせに出かけた。
「誰かが助けたらな あかんのや。 今は、まず、窮地から引っ張り上げるんや」

不渡り手形は、意図したか否か が問題である。
窮地の俺でも 同業の窮地をば、見捨てる訳にはいかんわい。

但し、この事は妻に内緒などはしない。  ま、これも俺流か・・



2004/09/14(火) 10:50

長男から こう報告が入りました。
施工はテレビ等でよく知る 有名企業です。

その基礎工事を一式請けの業者の特定職種(愚壮、同業)が手当て出来なかったとか。
「打ち合わせ」と言えども 道具一式の作業着で参加の長男に「これで、助かる」と手を打ったとの事でした。

私に煮え湯を飲ませた人間も、「絶対、来ては呉れないのが普通なのに」と膝を折ったとか。
「ヒョンな処から、脱獄の光は 差す」と、飲ませた者も 飲まされた者も そう思う結果に成りそうです。

落ち込んでいる人間を打ちのめすほど、簡単なものはありません。

ともあれ「変な展開は、蹴って来い」との指示を受けて乗り込んだ長男。
「オヤジ、どうも、悪い展開ではないぜ」と言って 電話を切りました。



2004/09/14(火) 12:41

池田付属小学校事件。  辛く悲しい、忌まわしき事件であった。

今日。 死刑囚「T」の刑が執行された、と。ニュース速報が流れた。
我が「強靭ママ」の母校での惨事。    当時ママは慟哭した。

胸 締め付けらるる。    
被害の御子たち。さぞ、怖かったであろう。 痛かったであろう。

弔いの言葉など、どうしても見つからぬ。  
惨劇の極み。あまりにもの突然の凶刃。   
御冥福をも祈れぬ程の悲惨である。

衷心より合掌するものです。



2004/09/16(木) 05:31

今日から納期切迫の基礎工事の現場に本格乗り込みである。
煮え湯野郎に久々の対面をする。

此のために今までが在る、を。今日は五感で味わう事になりそうである。
ひと昔まえの私では、 今日の設定では身が持たぬが、世の中、うまく出来ている。

長男が打ち合わせの初日。 「今日から作業して戴くなんて」と、先方は恐縮した。
ところが、正午前後に激しい雷鳴と豪雨が急襲をする。

この急変の秋嵐を 長男にはめずらしく、こう言う。
「天も 凶悪の死刑囚の最期に、 憤怒を現じた」   

天も震撼する所業である。  後日に分るが・・おそらく、泣き 喚き の終焉ではある。



2004/09/16(木) 19:12

今、帰ってきたぜよ。

現場は閑静な住宅街(豊中市)    
近頃やや珍しい 本格木造二階建ての基礎工事で。
基礎図面に「こいのぼり用 基礎」とまで書いてある 豪邸である。

上がったり下がったりの複雑な基礎は、 きょうびの単価では誰でもはやれん。
ひと通りの名刺交換を済ます頃、煮え湯が来た。 2年振りであった。

「何も言わんで ええわい、 とに角 この基礎は完璧に仕上げる」
「社長が 直々で、恐れ入ります」と言う。  
「わかった、わかった」で話 切る。

残暑厳しき日中、  顎が出る。  「煮え湯」も昼までの半日、汗をかく。
「もうエエ、 帰ってえな、あんたの仕事 ある筈や」にも、  
「イヤ、もうすこし」と、手伝ってくれた。

「今度、不渡り出したらな・・」は、長男が二人の間をチョロチョロして、言わせない。
これは手前味噌だが、 長男のほうが、ワシより出世しよるわい。

書きたくないが、書かねば分らんので書くが、 関西の不況は 底が無い。
綱渡りのような現実の日々の奮戦。  総ての根幹は深き祈りである。
今日一日の新たな歴史は、現実の一秒一秒の積み重ねの中にこそある。

平凡の中にこそ 激変は在る。  煮え湯は今日からオアシスの泉水と成った。



2004/09/20(月) 18:16

地区総会まさに、たけなわです。

聖教と折伏と初級と、 大奮戦です。 大善戦です。
私も八面六臂の牛若丸 「こことおもえば、又、あちら」です。

23日には 大任務があります。 絶対無事故を期して家族一丸で題目をあげています。

ところで・・・ここだけの話、 どうも、暑気あたりが抜けんぞよ。
あんなに好きなギターを、触ろうともせん。  (ビールは格外じゃ)  
鞭打てど・・動かんワイ。   気だけは若くはあるが チクとしんどい。

ところで・・大阪の北端に能勢という処があるが、息子家族はその能勢にドライブとか、
悪童の二匹のスケベスズメバチが「バァバにお土産」と 可愛い蛙を二匹持ってきたぜよ。

妻の趣味は「蛙のグッズ」の蒐集で(たしかにカワイイ) 携帯にも付けておる。
猫の額の植え込みの蛙は、大分増えて これで何匹になったかな、
妻は言う「お父さん、エサ、やらんでも ええんやろか」「水、やらんでも ええんやろか」

その程度の知識で 生き物を飼ってはいかんわい。
ま、毎朝の表の散水で、妻の楽しみは増えた事は 間違いない。

・・・・と、他愛なく生きておりますです。 



2004/09/20(月) 18:31

お、そうじゃ、「Y本部長」が  昨日の地区総会の際 会場で会った。

「煮え湯、読んだが、その後はどうなった」と、心配を掛けている。
フルネームを挙げて「あいつの事か」と、本部長も知る。

「ほんまに、大丈夫か」と言いたげであったので、詳細を説明する。
「いや、 今度は匂わん」と、「直感」との文言は避けた、が。
真実、助け舟となっている。  返し等、期待はせぬが、友情はわかって欲しい。
家族も子もおる。  立ち上がってくれれば、ワシは本望である。

何度も頷く「Y本部長」の素振りに、 本望に錦がかかる。 
陰徳は陽報である。  因みに「煮え湯」は外さんである。



2004/09/21(火) 07:13

我が支部は、四地区、13ブロック。 が、陣営。

二地区の総会は19日の昼、30分の時間差で開催されて・・
「Y本部長」もワシも、顔色変えて 飛び回っておった。

「タバコ屋 ノブちゃん地区部長」の総会は23日の13時。
この総会の式次第の確認と、司会者の言葉回しの作成に「ノブちゃん」が突然来たのが今朝。

急遽の5時からの 拙 事務所での打ち合わせに「どないしたん」とは、窓越しの「無冠」
PCの「総会式次第」を開いての 二壮年の額を寄せての打ち合わせ等、吐き気がする風景じゃ。

今回の総会にも、御婦人部のダンスが 必ず含まれておる、は、例年 同じだが。
今年のは、不思議に演目(曲)までが 同じである。   「マツケン・サンバ」

私の所属地区の壮年部の「コーラス」は、  「人生いろいろ」であったが、(ワシも歌った)
「マツケン」といい「いろいろ」と言い、  テレビの見すぎじゃ。

長男の出発の風景に、今朝は「ノブちゃん地区部長」が加わって 見送った。
「缶コーヒー」の好きな 地区部長に、 朝から2本も飲まされて気分、いと、悪し。

「とんでもない時間帯の 地区総会打ち合わせ。 本来の壮年部の在り方や」に「ノブちゃん」破顔。

雨の朝、風の朝、雪の朝、嵐の朝。 早朝の「無冠の友」に声を掛け 激励する。
これが出来なければ、壮年部幹部ではない。  ワシ独自の勝手な思いである。

23日の「ノブちゃん総会」 ワシは重大任務で 不参加である。



2004/09/21(火) 07:59

猫の額の我が家の植え込み。

毎朝の散水の妻の楽しみは「蛙たち」との語らいである。
事務所の窓越しに「お父さん 来て来て」に表に出る。

「ホラ あそこに いてやるわ」と大阪敬語で 指を差す先の「アマガエル」
群生の蘭の葉の上、 同色の「土産カエル」は、全身濡れ鼠で 喉を動かしている。

この「群生の蘭」は、 義父から生前いただいた一鉢が発端である。
毎年の乱れ咲きに、ご近所の羨望を頂戴する 形見の蘭。

「お父さんが 此処に居る」と  ふたりして感慨に浸ったのも、今朝であった。
「クリスマス・ツリー」の小さな糸杉の木も、いつの日か 私の背丈を越えた。

手入れなど皆無の 猫の額に 義父の蘭と次女の糸杉が混在する。
薮蚊の棲み家の植え込みに、 今夏から、「アマガエル」が参入して 薮蚊には愁傷ではある。

今日も、残暑はつづく。  長男は「煮え湯;泉水」の工事で辣腕を振るう。
わしの出番は、 明日である。



2004/09/21(火) 18:52

今日は長男の嫁「強靭ママ」が出勤まえに 七・五・三の写真を持ってきた。

3人が揃ってそれぞれの祝いの年齢に適合しておって、 11月が頭痛の種ではある。
「一枚、五千円で、痛かったワ〜」と8枚組の正装写真。 「よう、撮れとるの〜」

早速、和装正座の一枚を 立派な額で拠点入り口の壁に飾った。 時代は平和じゃ。

長男は珍しく 早くの帰宅で、 これも セッセと車庫の大掃除に精を出す。
相当頑張ったのか、汗まみれで 我が家でシャワーを使う 「やっぱり、広い風呂はエエな〜」だと。
「なにをぬかすか。お前等がてっきり同居と踏んでの 大盤振る舞いの新築じゃ」と、言いたいを、飲み込んだ。

車庫も 猫の額の植え込みも、見違えるが如し。
「隅に転がっとったで」は、餅つきの石臼で、これをば植え込みの端に据え付け、水藻と「メダカ」を入れた。

蘭と糸杉と薮蚊とカエルに、粋な水槽が加わると心も和む。

久しぶりの父子の団欒は、夕刻前のビールの美味さが違う。
一匹十円の10匹のメダカを二匹の「スズメバチ」は、暗くなるまで覗き込む。

「こいつらにも、ちゃんと信心ささな、あかん」に 長男は大きく頷いた。
長男・・創価班 第17期。  「代々永遠の持続を お前に託すんや」は、ワシの独り言である。



2004/09/22(水) 04:44

昨夜、新任圏長から電話。 23日のわたしは、配車の任務に着くが、その確認であった。
添乗者2名が 半端な配車任務ではない、を、物語る。

福島区から守口平和。事後の、守平から時限された新大阪まで。
延べ わずか20キロ位の距離の、走り慣れた路線。を。私は20日に走っている。

突然の工事区間や通行規制は、 実地を見なければ 見当すら付かない、と、下走り。
重大であれ、なにであれ、 任務を与えられた途端、無事故が必須。

今回の配車は 妻と長女と私。仏前に大書して絶対無事故を祈っている。
「支部婦人部長」は言う。  「わたしも、それを聞いた日から 祈っています」

前日にまで迫った今日。 仕事が山積である、が。既に万端整っておる今の時刻である。



2004/09/22(水) 05:03

今、県書記長が聖教3地区分を届けてくれた。

大掃除で見違える車庫の聖教棚は、足元も周辺も、以前格段整頓された。
「ウワ〜、綺麗にしてくれてー」とは、書記長店主。

気持 良か。



2004/09/22(水) 16:59

当地、今日は涼しゅうござんした。  ∴仕事も捗りました。

明日は彼岸です。 刻々と季節は動きます。 これからは「食いすぎ」の候。
なんでも美味しく戴くべし、と、偏食の私が言っても話しにならんが皆さん。守るべし。

今夜は20:30の会合が有りますが、万難を排しての参加です。
先生への報告の記念撮影は、一段と気を引き締めて臨む心算です。

明日の「タバコ屋 ノブちゃん」の地区総会は、任務と重なりました。
その地区に「Kさん」が居ます。 「無冠の友」の彼女は、朝 5時に拙宅車庫に来られます。

今までは、置き場所が狭くて 3地区分を重ね置き。  これが、なかなか不便でした。
きのうの大掃除で、ずいぶんと、広くなった「ステンレス製の5段棚」は、各地区 並べて置けます。

今までわたしは毎朝、早い地区から 積み替えました。  嬉しい作業でした。
今朝からはもう、その必要はありませぬが、やはり私は車庫に出ました。

そこでの「Kさん」
『いつも、取り易くしてくれて、ありがとうございます』と いわれました。
思わず「ごめんね、このくらいしか 出来なくて」と、私は言いました。

「メダカ」が来たから言うんじゃないが、 「水魚の想い」とは、よく言ったものですね。
ホンワカ ホンワカ 気持の良い 一日でありました。



2004/09/22(水) 17:37

>> 「ステンレス製の5段棚」に関連の大事な書き込みです


「Y本部長」殿。  もう、何年になりましょうか。
本部長(当時、支部長)が本職の腕を振るって 御作り頂いた コンパネ製の聖教置き台。
W450×L400×H850は 2段になっていて、 その接触面は 水さえ漏れぬ精度でした。

車庫の正面中央にデンとの黄色い聖教台は 寒暖の四季を何度超えた事でしょうや。
不覚深睡の愚壮。 「無冠の王」に幾たびも暗がりでの仕分けを強いるを、台は知ります。

「一番使いやすい台を」と所望した翌日に届いた電光石火の真心の台。
昨日で卒業と あい成りました。  ほんとうに、有難うございました。

決して解体などせずに、私は今後も大事に愛用致します。 まずは、御礼まで。

今夜 お会いしても もう一度 御礼を申します。     頓首愚壮。



2004/09/23(木) 08:02

異動は特にこの時期に集中します。  組織とは「糠床」みたいなもので、放置は腐敗する。
異動が当事者と周辺と組織に 新風となります。

個人的の「思い入れ」の人が、去り行く淋しさは、 気持はわかるが 蘭さん。 禁物じゃ。
よく言う「一段、高い境涯で、見守って参りたい」も、なんだか 変だ。

基本は「依法不依人」です。   同志には「水魚の思い」で良くて「思い入れ」は不要です。
「思い入れる」から ヌメリが出る。   

要は、その信頼し慕って来た人を 広布の庭で 人材として追い越すことです。
「追い越された時に 一番に駆けつける」からこそ、慕った甲斐もある。

悲しい気持も、淋しい気持も そのままで良いのです。
去り行く人にも 必ず伝わっている事です。

私事。 今日も仕事ですよ。  定刻、長男達、出発しました。
 私は洗車。天候;下り坂(いつも、こうじゃ)



2004/09/23(木) 10:01

 >> 因みに私は皆さん、太陽の移動が目視できます。 
 >> 後日、教えます。簡単じゃきに。



長い間、放置しておった。 皆さんとの会話内容が、今、適時とみて書きます。 
これは、俺流の人の真贋を目視できる、との意味です。

中天の太陽の動きは、皆さん。  足下の影を見ればチャンとわかる。
本体を見ずとも、 影でも動きは捉える事は可能です。

人間も同じである。 
「影(フトした時の本音)が曲がってる人は、本物ではない」
しかし、人は、そう簡単には 本音をば見せぬものです。

が、どうしても、隠し通せぬものがある。  
正対のマナコです。  必ずわかる。
声も上わずるが、 最初は 目じゃ。   
任務まで、 残すは 4時間。 無事故を期す。



2004/09/24(金) 10:16

先刻から降りだす雨脚は、一段 激しく路面を叩く。 南下しきれない秋雨前線・・蒸し暑い。
今朝は寝過ぎてしまった。 年に一度も無き 爆睡。  頭がスッキリとしている。

昨日午後3時30分、福島区・大阪平和講堂でのゲストとの接触予定時刻。 愚壮着は15時と、余裕を持つ。
先着の前圏婦人部長と圏女は、ゲストに密着して、今夕19時の圏セミナーの進行を練る。

福島区15時着と、直前になって時間に隙が生じたのが、なんともありがたい、と。「ノブちゃん地区総会」に参加。
「ノブちゃん」がキンキラの衣装を着けての「マツケン・サンバ」も、未来部の作部発表と「コーラス」も、大傑作であった。
もっとも、嬉しき事は、場内整理をするほどの 盛況。 さすが「最強地区」じゃ。

さて私の任務だが、ゲスト。 定刻15:30.ロビーに現れず。にも、  密着の圏婦&圏女、泰然自若 慌てる素振りもない。
16:00、 未だゲスト 広間に在り。 新来の友に揉みくちゃ、と、携帯が言う。

このゲストは 直前に迫る 移動リミットの隙間まで 会館内の移動の場所場所で激励を重ねる。 愚壮のタバコ、見る見る減る。
やっとロビーに降り立ったゲストは、 小柄が大きく輝く。 彼女の少なくない手荷物、わたしは圏婦の手から奪うが如く車へ。
「愚壮さん、守口平和講堂まで何分くらい掛かるんやろか」と、圏婦が耳打ちをする中、発進す。  16:25。

守平着、16:38。 セミナー開催までの2時間と少々を ゲストは家庭訪問で闘うを聞きながら、私は一旦、帰宅(腹ごしらえ)
ゲストは21:15分新大阪発で帰京する。 これには待ったは効かない。 
守口平和講堂発は20:15分の不動の設定である。

今日のセミナーに焦点を合わせて 支部、地区は闘ってきた。 
わたしは自宅での「立ち食いめし」で講堂に とって返した。
講堂の片隅の「車寄せ」にエンジンを切った時、雨、降り始む。



2004/09/24(金) 11:44

19時ジャスト  開幕。

三階大広間は埋め尽くされていた。この日のための「ペアー入場券」は、参加者半数が外さん。
セミナーは二部構成である。 
わたしは、広間に接するロビーの中央最後方のソファーでゲストを注視す。一瞬も別動をせず。  

第一部    
30分にも及ぶゲスト御自身の「母への賛嘆譜」が場内に水を打つ。
知る人ぞ知る「母・娘」の薄幸の王道の、息を呑む顛末は、閑として声ぞ起こらず。
ゲストは又、父をも語る。  
父上への憎悪が憐憫から感謝へ・・ 心の動き手に取るが如し。 
吾。亡父を又、思い起こす。

第二部は 密着の圏女がゲストにインタビューをしながらの質問会。
不抜の師弟の楔を折節に垣間見せるゲストの確信に、明晰の圏女の抜群の軽妙の掘削話術。
場内最前列の直線はすでに、跡形も無く 二人の美女に扇形と埋まる。

インタビューの流れが 終わりを告げる時、私は一階の「車寄せ」に走る。
雨、降り続く。
発進時刻20:15分。 刻々と迫る中、 雨中着任の創価班、全自転車の座席を拭く。
定刻が過ぎ行く・・10分。  15分。  20分。

新大阪への抜け道は 淀川右岸の一本のみだ、 雨の夜は避けたいルートである。
刻々の詰まる時間は 淀川右岸を走るのみ、となる。が。単独の抜け道走行、問題はない。

20分の発進時刻の遅れは、 大広間の数々のドラマを生み出していた。
秒読みの激励と折伏車座への乗り込みは、密着幹部が冷や汗を流す。 
ゲストは、昼の福島区でも、そうであった。 小さな体に潜むパワーが「獅子叫」する。



2004/09/24(金) 12:49

>> 問題はない。単独の抜け道走行、に、状況一変する。

新大阪まで もう一台が並走する事となる。 「無理だ」と一瞬 思う。
絶対無事故が最低の条件。 助手席に「県長」着座。 
「よし、行こう!」と県長。

獣道の隘路もある 「右岸路」  
後続車、一切遅れず「巧い奴やなー」と舌巻く。
新幹線中央改札の発車時刻の25分前。  2台の車は到着をしている。

ハザードを点灯し、すばやく車外の私に ゲストは手を握り こう言う。
「ありがとう ございました。あなたの事は 忘れないでしょう」 
爽やかなり。

県幹部、圏幹部、支部婦人部長、支部員さん。 そして 愛する我が家族。
皆の祈りが 私を支えてくださった。  「配車」任務は、その過失をば 許さない。
 
今回の任務を通して、 大きな物を 私は得た。   
帰宅した22時、 長女 仏前に唱題を続けていた。       

ゲスト;大女優 「K・K」さん。 
あなたにお会いできた事を。     私も、「忘れ得ぬ」のです。



2004/09/24(金) 13:08

追記です。

>>明晰の圏女とは。

>>「圏トップ幹部」その人です。




2004/09/24(金) 22:08


突然だし 脈絡もないが・・・

昨夜の新大阪への 女優「K・K」さんの送迎でのことです。

話、私の事となったのですが・・
助手席の「県長」が言うのです。

「愚壮さんは 来年、還暦ですが、 今の役職は 当分 降りる事はありません」と、
(この時の、女優「K氏」の、 もっと若く見えます・・との 世辞は抜きにして)
恐縮と感謝と緊張を、同時に感じました。

「お前は真の支部長たるか?」が、 日々の自己への詰問で、 答えは「NO」です。

何度も申すが 有限の瞬きの人生。  「今、やるべき事を 遂行し貫く」  こう、決めている。

昨夜の全任務の終了時、雨中 最敬礼で私を見送る新任圏長の姿をサイドミラーに見つつ。
「最敬礼はこっちなのに・・」と、家路に走ったのです。

役職は、 人生をば保障はしない。   役職は 部員さんの幸福の為にのみ 在る。
B長不在如きで、訳の解らぬ「ヨタ」を垂れるべきではない。 

「副B長」・・・最高の役職ではないか。     こう、思うのです。



2004/09/25(土) 07:02

明日は 小学校の生徒と自治会との合同体育祭(運動会)である。
午前の15種目は学童のみの競技で終わる。

グラウンドでの楽しい昼食は、誰もが懐かしむ「風景」である。
3年ほど前までは 学童と自治会に垣根があったが、幸いにも今は無い。

明日の天候の心配は取り越し苦労としても、午後2時半からのテント設置は決行する。
ここ、何年来。 わたしの当日の大役は、「昼食弁当の配布責」の役職である。

午後からの自治会競技に参加する人のみに用意する高級弁当は、人気の的である。
高級過ぎて 不正受領の無礼者があとを絶たぬのも、 自治会の悩みでは、ある。
「走りもせぬのに、いかにも走りそうな装束で 昼食をものにする不埒者め」と、皆 悩んだ。

「自治会の猫の通り道までご存知の愚壮さんなら、こいつは走るか走らんか、きっと見抜く」
わたしが弁当係りに君臨する事由である。 ジッと、目を見て配る弁当。気が重いワイ。

しかし、今年はもっと気の重き事がある。 プログラム20番『自治会長 5変化』じゃ。
6町会の自治会長が五種類のコスチュームで女装(子供が着付け)してゴールを目指す。
我が自治会長は体調不良を理由に 姑息にもワシに出走せよと、言う。

昨夕、自治会婦人部の長さん(地区副婦人部長)が その衣装合わせに来よった。
セーラー服にルーズソックスにお下げ髪のカチューシャに地面に届くバック。
無理やりこれを着せられて、姿見鏡に立った時の絶望感。御察っしあれ。

「本番は、ズボン、脱いでね」と、笑い転げる 妻と地区副。 「憶えておれヨ」
午後、テント設置が終わったら。 仏壇に座って「雨乞い」じゃ。



2004/09/25(土) 10:18

配車任務雑談だが・・  昭和40年2月 自衛隊を除隊した私は 大阪に帰る。
祖母同居の妹夫婦の亭主(義弟)は「しょう君」で昭和16年生まれの気のイイ男だった。

ヤズザを辞めて原木トレーラーに乗っていた「しょう君」の欠点は 唯一、「シャブ」であった。
「にいちゃん、しんちゃん(K親方の事)とこに、帰らんのじゃったら、トレーラーに乗らんかいの」
大型牽引の免許は、持ち腐らす手もあるまい、と。  原木に乗っている。

代紋付きの大型トラックに直径1m程、長さ6〜8mの原木を満載での運搬は男の仕事である。
京都の清瀬の浜や、大阪の茨田の浜へは 住之江の木場から。
和歌山方面は岸和田の材木港から 積み込んでは、ぶっ飛ばす。

洋木が主体の運搬は吹田万博(1970年)を4年後にした日本経済の高揚の入り口の頃であった。
ラワン・米松・ジョンコン等の巨木を木場で積む。  月・13乗務・20万は高給であった。
余話であるが・・ジョンコンは沈木(水に浮かない)で、これを積むと車体が捩れるほど重い。

岸和田の木場港でも住之江でも多くのトラックが原木を積みに来てズラリと並んで番を待つ。
どんなに並んでいても 「一番前に割り込んで積んだらエエんじゃ にいちゃん」は「しょう君」

木場の鳶(積む人)もクレーンのオペも同じ組の者で、有無を言わせぬ掟がまかり通る。

和歌山へは、紀見峠か風吹峠経由で走る、(当時まだ隧道はなく、隘路曲路の連続であった)
風吹峠は久米田池あたりから上り道になる。 パワステもなきイスズの10dは、満載の原木に悲鳴を上げる。
一旦アクセルを緩めると二度とセコ(2速)にも入らない、と。死んでもアクセルを踏み続ける。

左のフエンダーミラーは電柱、木々を間一髪避けつつ、右のそれは対向車のミラーを2・3センチでかわす。
でも、なお、アクセルは床抜くが如し・・・・と、テクを磨いた。   
21歳であった。



2004/09/25(土) 11:01

配車任務雑談A

当時のいでたちは、ラメ入りの毛糸の腹巻にジーパンに雪駄。
奴(やっこ;長尺運搬用台車)を引くと手当てが付き、トレーラーだと2倍になった。
何も付けないを『単』と言うが、 いずれにしても 過積載は尋常ではなかった。

松虫か帝塚山近辺の踏み切りで 一度死に掛けた。 前の軽自動車が急ブレーキを踏む。
超過満載のわたしは、もう、ダブル・ブレーキの余裕すらなくブレーキペダルに両足で乗っかた。
木場貯蔵の原木は長期の海水の貯木で 極度のヌメリ。 大型荷締機のワイヤー。屁の如し。

衝撃で滑り出た巨木はキャビンを貫通し、ボンネットまで飛び出す。
右のドアに背中をもたせ加減の悪癖の運転姿勢が私を偶然救う。
割り込んだら、 割り込まれる、命懸けで返ってくる・・とは、悟れない。
21歳。

当時のゴロツキ先輩の言葉。
「お前、何処見て 走っとるんじゃい」  「・・・前です・・」
「ボケかワレ。 ええか、前は1じゃ。 左ミラーが3。右は2。 うしろが3じゃ  ボケナス!」
悔しいから言う「あとひとつ 足らんわい」
鉄拳と同時に先輩は言う 「・・あとの1はノォ、(※)ず〜と前方の状況じゃ ボケタレ奴」※は2発目のパンチ。

あれから38年。 物損&人身事故はゼロ、  ヤクザでも先輩の言葉は やっぱり偉いし重い。



2004/09/25(土) 11:43

配車任務雑談B(これで終わる)

この年の(昭和41年)4月、道交法の変更があり、我が免許に自動二輪が加わる。
当時も今も 大型自動二輪免許は難関であったが、 スンナリ取得となる。

が、 酒乱の21歳は 遂に堕ちる。
泥酔で乗り回したイスズの10dは、 駐車車両13台を破壊する(一事故)

当時、一発取り消しは無き時代の一発取り消し。   代償、計り知れず。
生活の糧の免許証と、祖母が地元市議に泣きついて、やっとの思いの「聴聞委員会」があった。
腐敗の愚壮は、「免許なんか 要らんわい」と、欠席しておる。
直後に走った「K親方」が言う。  『今度は、逃げるな』・・が、又、逃げて行く。

ここだけの話・・その後、無免許運転は、相当続く。
前歴者は絶対交付は不可能。との巷間の噂を「鵜飲み」の暴挙でも、面目ない。
「ダメモト」で挑戦の再交付ほど緊張の日はなかった。  が。 
飛び込み全過程を一発でクリアー。総額4750円。(昼食代 含む)

今や、宝の黄金の免許の、 波乱万丈の(迷惑せんばんの・・)拙い歴史では ある。



2004/09/25(土) 13:07

2時半とばかり思っていた 校庭テント設営。
「愚壮さん、 2時にたのんますわ」に、ボチボチ用意する。

軽トラックは G・Sの社長のご好意です。(運動会の都度のご協力は10年超し)
明日の片付けの用車も 『K産業の社長』の温情です。

皆の力で 地域を守り支える。   大事な大事な地域ですから。


895 名前: 愚壮 (ESvPK75U) 投稿日: 2004/09/25(土) 18:12

そして・・19時からは「老兵は去らず地区部長」の地区総会。
この総会で、全地区が完了する。

吟味を尽くした式次第。  大成功を祈りつつの参加となる。
地域の舞踊の先生が 毎年の出演を楽しみにされている由。

プログラムには 6名か7名かの 地域の友人のお名前がある。

校庭の設営の帰路に寄ると、 地区部長は作衣務にバンダナ姿で「愈々や」と笑った。
全地区部長が応援に駆けつける地区総会開催前、「去らず地区部長」から電話。

「新任圏長が今電話呉れはったんや・・行かれへんけど、大成功を祈る・・」嬉々と言う。

わたしも、即、圏長に電話を入れた。 「圏長、おおきに、ありがとうございます」と。
行き届いた激励に、 大成功は請合いである。



2004/09/26(日) 06:58

憂鬱な体育祭の朝となる、
我が町会の役員として、延々と働いてきた私であって、総ての流れに疎漏はない。

ただ、目に入れても痛くは無い「あすか」が 今年 新一年生で初見参で、
と、いうことは・・ 長男も「強靭ママ」もスズメバチも来るわけだ。

競技参加の保護者の弁当名簿は、既に届いておって今年は75名である。
これに、子供会が把握の子供弁当が50ほどある。 ワシの担当は75食の不正防止。

保護者名簿には、ワシと妻との名前が役員欄に見る、は、永年例年である。
ところが今年のは 長男夫婦の名前が書いてある・・憂鬱じゃ。

プログラム20番「自治会長 五変化」  正真正銘 困っておる。
コツコツと、姑息に積み上げてきたワシの威厳は、今日、崩壊する。
セーラー服・・・ 一体、誰の発案じゃ  まったく。

7時20分、校庭集合である。   いまから、めしをくう・・・とりあえず。



2004/09/26(日) 07:02

そうそう、昨夜の「老兵は去らず」地区総会  於、東自治会館。
大大成功。  立錐の余地なし。  長の一念   お見事!



2004/09/26(日) 07:21

寝坊をしていないかな・・と、気になって「あすか」に電話する。
「ジィジ、あすか、7時50分に公園(あすか宅 隣接)に集合やねん」
「そかそか、 ほな、学校であおな」と切った。

覚悟を決めて 出発する。



2004/09/26(日) 18:45

テント・生ごみ・器機・プラカード・ 総ての片付けを完了して、汗だくで帰宅した。
激冷えの缶ビールを傍らに これを書く。

これも、台風の影響か 蒸し暑きこと今夏、一番。日差しも一番であった。
校庭・東面と南面に かなりのボリュームの木立があり、西面には体育館で北面が校舎。

場所をば公平に時計回りの今年の我が自治会の父兄席は 北面で完璧なピーカン。
テントごときで 凌げる暑さではなかった。  

昼食弁当は体育館への渡り廊下に陣取った。 長男家族と女房と。ビールが美味い。

審判も召集も準備も警備も老人会も「イイご機嫌」で午後の部。  セーラー服が遂に来た。

我が校区は学会の組織をば 2本部にわたる範囲を占めておる、とは、本部長もふたり来ている。

5人の学童がそれぞれの自治会長にヨーイ・ドンで一品づつ、いわば、着せ替えである。
ワシは、蘭さん激爆の五品であったワイ。  完成の暁のインタビューに観客は転がりよる。

ワシは、「誰が考えたんじゃ」と答えてやったら。尚、笑う。
それでもまだ、町内名プラカードを持ってグラウンド一周ときた。

二本部の壮・婦の、それこそブロック幹部以上が結集しておった。
「愚壮さ〜ん、もっと内股で歩いて〜」なんて声が掛かる。
プラカードを持つ頃には、 腹も決まっておったが。 校区と二本部に存在を植えつけたわい。



2004/09/26(日) 19:12

当該 2本部の同志の皆様へ。

「風景」をお読みになっていて、 今までは「ひょっとしたら、あれが愚壮かな」の人よ。
今日の「セーラー服」で、確証を得られたであろう。
そう、あの「セーラー服」が 愚壮、その人です。  

もし、掲示板を見られていたならば。  声を掛けられよ。
抽選で、「セーラー服」写真を差し上げる。と。書く位に、今日で度胸が据わった。

もう、寝る。



2004/09/29(水) 11:31

台風21号情報を無視して長男は現場に出ている。
友人の「上○○さん」からの要請で、工程が押している、と。応援に出ている。

雨脚は 相変わらずの しっかりした降り。   「一日やり通す」と、連絡あり。

朝一番に「不渡りの煮え湯氏」から電話が入った。
「阪神高速、湾岸線の西宮付近です」「今、そちらに向かっています」と言う。
豊中の基礎工事で業者に蹴られて、私が急遽、基礎を納めたのが つい先日の事。

通常の住宅基礎の3倍ほどの仕様の基礎は、 第一期が終わり 今は大工さんが入る。
第二期は 10月の第二週頃 これで総てが完了するが、第一期の工賃を今日払うと、来る。

中央環状線の大日付近の待ち合わせの私の前に回りこんで「煮え湯」が停車する。
雨の間をすり抜ける如くの小走りで、助手席に飛び込んできた氏。
「第一期。完璧でした。 有難うございました」と、封筒を出す。

契約金額の倍額に「なんでやねん」と驚く私に。
「愚壮さんが引き受けてくれなければ、違約金でした」と、頭を下げた。
「少ないが 感謝の気持をも 受け取ってくれ」とも言う。

時間をこじ開けての基礎工事は「煮え湯氏」の顔を立てたようである。
「今から、現場に向かいます」と、雨の中を走り去るワゴン車。
「飛ばすなよ」と、言いつつ 私は手を振ったが、 氏はスピードを上げて消えていた。

早速、仏前に御報告を申す「この通り、倍額を戴きました」と申す。



2004/09/29(水) 12:53

先刻。千葉 松戸市の次女が電話をくれた。

今回の初級を受験する、と言う。   「そら、ええこっちゃ」(関西式 大激励)と言った。
久しぶりの次女の声に 話は弾む。 女房は向かいの指定席で先日の体育祭の写真の整理。

「お父さん。   お父さんの23日の配車の日なァ」と次女は言う。
「亨くん、題目あげてたで」  大成功 無事故の過日の 女優「Kさん」への配車。
遥か千葉からも祈って呉れる。  鼻の付け根が「くん」と痛くなる。 感激の瞬間だ。

長引きそうな話の継ぎ目に妻は言う「向こうからの電話やから、こっちから掛け直したら?」
「そう言や、そうや」と素直な私は「亨くん。大事にせな あかんで」と、妻と代わった。  

次女。在・千葉松戸。学会活動も楽しそうで 安心したが・・
御亭主に 「とおるくん」とは、 いかがなものか、は。  ワシの頭が古いのか。



2004/09/30(木) 11:48

台風の被害は甚大です。  本当に胸が痛みます。

日本近海の海水温が高いそうです。  温暖化防止、大きな課題です。

蟻の一穴が堤防の決壊に繋がる。とは、誰もが知る教訓です。
言うだけでなく、何が出来るのか、が。 問われている時ですね。

お昼のニュース・キャスターは「再び、大きな被害が出てしまいました」と叫んでいます。
決して他人事と 見てはいけない惨状です。  胸が痛みます。



2004/09/30(木) 17:18

>> 「忘れ得ぬ風景」の本筋をば、何時までも放置するのは反省です。


御堂筋を ものの10歩も東に入った「Nビル新築工事」は、SRC造であった。
この現場のことを、長男は「俺が始めてバイトに行った」と言う。「高校生やった」と。

躯体工事もRF直前の この現場から、愚壮去る。
「W工業」は 慰留をば当然しない。 
『愚壮さん、ここから、飛び出ろ・・・但し。10年間』の「総主任」は言う。「飛んで行け」

「お父さんが決めた事やんか、 元気出しい〜な」と 妻は言ったが、宛ては無かった。
いや、仮に有るとすれど、手足のモガレタ 一匹狼を誰が拾う筈も無い、と 不安のみ先立つ。
「拾う筈も無い」が 祈りとなるを 知る由も無く ひたすら堕ちる。

請われて借りた借家の一軒家、 家賃の滞納督促が 傷心に追い討ちを掛けた。
一旦、座った御本尊の前を 焦る気持が持続を阻む。

つまらぬ自尊心が 再就職の依頼先を選別しだす頃、死魔 襲う。
壮年部新任B長は 宛ての無い職探しに オロオロとするばかりであった。
「首をくくるか、飛び込むか」フト気が付くと、そう思っている自分が居る。

「もう、限界や」との初夏の夕刻の帰宅に、ビールのケースが届いてある。
「M組の専務さんが 来はったよ、 至急会いたい言うてたよ」
「M組」とは、あの急逝の『K親方』が その死の直前の「超スーパーゼネコン路線」の軸の会社。

「今年は昭和63年、 師匠K親方が亡くなったのが昭和57年の10月3日や・・」
わたしは、 はっきりと「K親方」を、   その時 見た。
「あきちゃん、 覚えとるんか  いつも言うたやろ、『もたれたらアカン』と・・」と親方言う。

「そうや、M組や、 原点を忘れたら あかんのや」死後2100日の親方の声。
私はその時不思議な行動をとっている。 何故か次女を連れて「M組専務宅」へ行っている。

時価4億の豪邸を訪ねた二人を、 専務と奥さんは歓待し、こう言う。
「あきちゃん、あんたは、知らんやろけど、ワシはお前のお父さんに仕込まれたんや」
「なんにも解らん田舎者を 一番可愛がってくれたんが、 お前のお父さんやった」
こんな所に、親父と親方が居る。   背筋が逆立った。

正座せざるを得ない専務の言葉  「俺が俺が、と、のぼせるな」と、私は私に言った。  
43歳の夏 目前。       総てを次女が見ていた。



2004/09/30(木) 17:49

その時「K親方」烈火と怒った。
「お前は 俺に学会に入れと言うんかい コラ」 これが、昭和48年。
この28歳の私、 入会わずか4年目の 勇気の折伏である。
(正確には 蛮勇)
 
この9年後、「師匠K親方」は急逝するが、 その後、夢にも出ては来ず。

しかし、さらに6年の時を経て、 苦悶の愚壮に「原点やないか」と言いに来る。
「親方、 親父と一緒に来てくれたんかい」 と、わたしは正座しつつ専務に言った。

「専務、お願いします。 もう一度 働かせてください」
絶対人には見せない この行為を、わたしは次女に見せている。

「なに言うてんねん、あきちゃん。 頼んでいるのは こっちの方やないかい」
優しき奥さんが「お嬢ちゃん、はよ(早く)お寿司食べ、美味しいよ」

この日から 丸9年後、 自宅新築。  平成8年5月3日 新築落慶入仏式。
これは内緒だが、土地2600万 上屋2600万。 一階部分、完全RC造。

我が人生の激変の時、必ず その場に次女が居る。「次女は不思議な子」・・と、ドラマ開幕す。



2004/09/30(木) 18:19

私は今、御書を繙いている、
「報恩抄」302p この中央の空白に私の字の 殴り書きが在る。

『57 10/3 ○○○○(漢字で親方のフル・ネーム)逝去す 残念無念なり
無念極まりなし』
それ以外の記述はないが、動顛の文字が震えておる。

301pの中程に10月1日、 304p 四行目の10/4、 305p 四行目の10/5 、
そして、307P「智証大師」の手前の10/7、 と、つづき 最後にこう在る。

329P 57年11月13日、男子部で読破す。 折伏とは報恩の直道である。
57年といえば。37歳であったろう。  男子部の愚壮の息吹 満つ。



2004/09/30(木) 19:04

「実はあきちゃん。抜き差しならん現場が有るんや、は、超一流ゼネコン。
これに乗り込んで、何とか目鼻を付けて呉れへんか」と、専務は言う。

早速の翌日、乗り込んだ。
余談だが、 あの「三菱銀行 北畠支店」のすぐ横である。
専務が唸るのも無理はない。   
現場は、既に捨てコンの墨さえ消えかかる。

「あきちゃん、とりあえず金、要るやろ」と、帯巻きを出す。「・・100万」
無い時は 何処を探しても見当たらないのが、お金じゃが、来る時はパッと来る。

その時の新聞募集で応募してきたのが、「よし君」
「何処に住んでる?」に「横浜です・・」
「待て待て、全国紙には出てないよ」にこう言った。
「横浜は昨夜までです。大阪で働こう、と。一家で来ました」

「大阪駅で買った スポーツ紙で見て、応募しました」
・・なるほど。奥さんと男児の不安な二人が 付いていた。
「今日、寝るところは?」に「いいえ、ありません」との笑顔。 
ワシは、直感、彼達に賭けたが、 これが逸材。 一気に道は開いた。



2004/10/01(金) 06:31

>>「いいえ、ありません」との笑顔。

窮地の中にも爽やかな笑顔のこの青年を、 「これは、凄い男だ」と直感している。

顔の幅よりも太き首筋。 笑った時の真っ白の歯。 なによりも 言葉の真実性。その夜のうちに文化住宅を探し当て、それこそ、爪楊枝に至るまで、生活用具の一切を揃えた。

ウエルター級、新人王から プロ・ボクサーとして8回戦まで上った時、挫折した彼。
ヤクザの用心棒で糊口を凌いだ後、クラブの歌手の女房と結婚。
東京での生活に見切りの理由が、何かは聞かぬが、 大阪を目指したとか。

「理由や、以前は どうでもええんや、 今、これから。が大事や」と折伏バージョン。 やがて、彼は、横浜で働く実兄を呼ぶ、実弟を呼ぶ、実父を呼ぶ、実母を呼ぶ。

クラブ歌手の美人の「よし」の女房は 愚壮をこう呼ぶ。「おやかたさん」

生活の拠点を、愚壮の近辺に呼び寄せる夫婦は、その後、新たに二人の可愛い子たちを授かるが。
ともあれ「よし」達4人には、毎月200万以上の給与を保障するまでになる。
時代はバブルであった。

「M組 専務」は言う。 「あきちゃん、現場、星の数や、三箇所以上は見てくれや」
「専務、なんぼでも、持って来いや」と、鼻息 いと、荒し。

彼の実兄はその後、妻の末妹と結婚をする。 断裂家系の愚壮夫婦の媒酌人は人生の晴れ姿じゃ。
又、彼との遭遇の不思議さは、彼の親族の仲人(2組)を請われる縁の発端ともなる。

横浜を捨てて不安と共に来た大阪で、愚壮待つ。とは・・ 仏縁も、なかなか乙で粋ではないか。
一家、総て入会。  は、言わずもがな、である。



2004/10/01(金) 07:55

>> 絶対人には見せない この行為を、わたしは次女に見せている。


専務に向かって正座をし再就職を懇願する風景です。
相手が誰であれ 膝を折って(ひざまずく)のこの行為を、最も嫌うのが修羅界です。
「俺は、謝らんぞ」の基点は、 修羅界支配の一大特色で、これは、超克が必須です。

根が愚連隊の愚壮は、ここの部分がネックで・・片鱗は今も残ります。
「根こそぎ」とは、かく、至難である。



2004/10/01(金) 09:20

年表を繰ると・・

一条の光が差す此の年、昭和63年から、愚壮は再再度 離陸をしている。
念願の拠点新築は平成8年の竣工であるが、地鎮祭は震災の年の10月22日であった。

この拠点新築もスンナリとはいかずに ドラマとドンデン返しが待っていた。は。後述。

私のB長任命は昭和61年2月19日であった。 苦悶のどん底期である。
地区部長拝命は平成7年10月25日。 地鎮祭との符合は 見事では有る。

8LDKの3階建ては総てが 私の設計である。
基礎部分の鉄筋量は8.5dで、 通常住宅の5倍の緊密度である。
事務所と車庫の接点の急所に650□の柱を配置しよう。 FSは掘削深度を1200、ァ=350である。
四周のFGもマンション並である。 特筆は2Gで2階床を中央で支えよう。上下共 7-D25.

そこいらの注文住宅の仕様を超えた拠点は、完全防音で遮音をしよう。 朗々との題目も可じゃ。
外観は、凹凸が多く、ノッペリとはしていない。 

車庫の上階の東面の出っ張りが仏壇スペース。H=1875の仏壇を別天井が荘厳しよう。
仏間の12畳には屋久杉の天井で、目を剥く高価である。
バルコニーの立ち上がりのタイルには X字形の3色タイルを埋め込もう。

上記は 全部が叶わぬ夢であったが全部が叶った。 路頭の5人家族のゼロからの出発。7年で叶う。

「中○副圏長」が言う。「お前は エライ奴やな、みんな 叶えよるな」  はじめて褒めたワイ。
話、7.8年飛んだ。 元に戻す。



2004/10/01(金) 09:30

拠点新築で大事な記述が抜けておる。

最も愚壮を冷遇してくれたのが「大東市 W工業」
この、冷遇の試練が、愚壮飛翔の因となる。

『W工業』への報恩は、拠点新築の鋼材の全工程を御依頼申す。
「W工業」社長言う。「愚壮さん おめでとう。よくやった」
この社長も、多くの諸天の一員である。 感謝は今も深い。



2004/10/02(土) 06:52

長い間、ご主人に内緒で信仰のご婦人の49日忌がすぎた。
このご婦人の友人葬での葬送の折の、ご主人の悄然の振る舞いは、辛かった。

愚壮ほか、4人の地区部長も、酷暑の炎天に懸命に動いた。

「タバコ屋のぶちゃん地区部長」が「愚壮さん。嬉しい知らせがあります」は一昨日。
奥様に先立たれたご主人が、強く 入会を希望されている由。

このご主人と、昨夜 お会いする。
Y本部長・のぶちゃん地区部長・ご主人・愚壮  於、「のぶちゃん宅」

「亡き妻は・・・」と、ご主人は語る。
「押入れの奥の仏壇は、妻が今回入院するまで、気が付かなかった」
「私は、昔から、学会に対しての誤解があったので、隠したのでしょう」
「告別式で あれほど多くの学会員さんが来てくれて、うれしかった」
「亡き妻の遺骨に向かう度、『おとうさん、あとは、おとうさんが続けてね』と言うのです」

「妻が元気な間から、信心の応援をしてやりたかったが・・・」
「今からでも、遅くはありませんか」

私も、地区部長も、そのご主人と同年齢。  胸が詰まった。
10月3日。 晴れてご本尊を受けられる。  当日は支部の壮年部幹部。皆揃う。

先日のセミナー(圏)では、「老兵は去らず地区」から新入会者があったばかり。
11・18へ、 我が支部は更に驀進する。



2004/10/03(日) 06:44

>> 一軒目の空家が 急遽 埋まる。   
>> 先月まで隣接支部で闘っておられた「K氏ご一家4人」 B長・B担さんである。
>> 「H地区副婦人部長」さんの後任「無冠の友」の誕生、空白無し。』


このご夫婦は、我が支部でも、早速のB長・白ゆり長さんである。
今から30分前。 拙宅車庫に聖教を取りに来られた人あり。 
長身の窓越しの姿に「はて、見慣れぬぞ」と、表に出た   上記、B長さんである。

自転車の編みかごに新聞の束を乗せて  「今から配達です」
奥さんが、辛そうにそばに居る。  「腰を痛めて・・」と微笑んでいらした。
「無冠の奥方」に急遽の助っ人の優しきご主人。

やや肌寒き風が吹く曇天の静かな朝。 夫唱婦随で先生の便りはみんなに届く。
わたしは石臼のメダカにエサを与える振りをしつつ、角 曲がるまで見送った。



2004/10/03(日) 08:08

ごはんですよ〜。
階下に声が掛かった。 休日の朝寝を嫌う私は、昔から家中の厄介者である。
もっと厄介なのは 休日前夜の夜更かしを 最も嫌う。

この、私流の生活訓は 女房殿にさえも 押し付けた例しは誓ってない・・が。
今日の日曜日も めしは出来た。

※馬鹿げた生活訓とは、こうじゃ。
「月曜日の朝に疲れを残すな。とは、日曜日は早く寝ろ。
日曜日の朝寝は、日曜日の早寝を妨げる。とは、土曜日は早寝じゃ」

これには、家族中で無視をするし、されてきた。  無視。結構結構。
ワシは、何時も言う 
「死んだら、ゆっくり眠れるわい。 生きてる間の睡眠時間は、そう、貪ぼる必要は無い」

今日は 悪孫の「スズメバチ共」が又、くろんど池に遊びに行く。
今度はワシに蛙を持って帰るそうじゃ。(いままでのカエルは、妻へのカエル) 
下の「伸人」はカエルを強く握るので 何時もカエルは仮死状態の惨状じゃ。
「今度は、気ィつけるわ」と、長男が言うので、今日のカエルは安心じゃ。



2004/10/03(日) 08:50

「K親方」の23回忌は 本日なり。
「くそ!」と言っての臨終と聞き及ぶ。

骨髄癌。 壮絶なる病である。



2004/10/03(日) 09:24

そんな今しがた。
「老兵は去らず地区部長」来る。
「おはようさん」と、この人も 休日早起きの部類である。

用件は、先日の地区総会の決算明細。  さすが、工務店の社長。打つ手早し。
もひとつは、総会のスナップ。

わが市は公明市議が8名。 全国有数の公明最強地域である。
この一人の「M市議」はアルト・サキソフォンの名手である、と、総会に引っ張り出された。
哀愁の音色の名曲を、皆、期待するが  そうわいかん、と。イントロクイズ。

チョロっとの出だしでの曲目当てには、男子部部長の力強い進行では場が持たん、で愚壮。
見事正解の賞品は夜間蛍光安全腕章であった。

全部で10曲ほど、 進行の愚壮は 熱演の氏の周りをうろつきながら 駄ギャグ連発。
時々は曲名などを先に言う。 打ち合わせ無しの裏切り進行には、生真面目な氏。参る。

大喝采の名演奏を、横手で台無しにする即興珍コンビに、場内は沸いた・・・と、写真は言う。

もうすぐ、「タバコ屋地区部長」が店番を放り出して来る時間である。
今日の入会は、 同年の壮年の人である。  みんなで寄ってたかって激励する。



2004/10/03(日) 13:02

・・・・と。 今、帰った。
担当の圏幹部は「まことに、おめでとうございます」の後、
「一念三千とは、良否 総てが 御自身の決意(心)に在る」と言われた。

「他人が何かを為すのではない、全部、自分である」

静かな会館には、南隣の小学校の運動会の賑やかな行進曲が流れ来た。
入会の壮年に、地区婦人部長が花束を贈る。  御決意を賞賛の拍手、鳴り止まず。

抜けそうな昼食を「のぶちゃん地区部長」が気を利かす。
カーネーションといい、缶コーヒーといい、昼食といい。 サッと気が付く。
となると・・・これからも、タバコは彼の店で買う。



2004/10/04(月) 06:22

昨夕アクシデントがあり、3人の孫が我が家に押しかけた。
これで、いつもの静かなる夕餉は 一発で修羅場となる。

急襲の3人の献立は 長女の見事な奮闘で解決した。
3人の7・5・3は、  例えば、わしの好物の塩辛の類いも、平気で食う。
大根葉の漬物など、ガキの食う物ではないと思うのだがチリメンジャコと混ぜて醤油で食う。
大食漢は3人ともで、「おかわり!」と元気がよろしい。

飯を盗られたワシは、何十年此の方、晩飯にご飯は不要で、苦にもならぬ。
・・が。我が肝臓は 強く出来ておるようである、は。  余談。

一段落で上の「寛人(ひろと)」に言う  「カエルは?」
天候も良くなく、長男には急用で「くろんど池」は中止となっていたが聞く。
筋の通った説明をする「ヒロ」は成長したわい。

アクシデントは「強靭ママ」の自損事故(家のベランダでの転倒)であった。
足の小指と薬指?の間の水かき??を五針縫った。 ベランダは破壊せず。

今日はワシが病院に連れて行くはめとなる。 
「スズメバチ」の保育園は長女。「あすか」は妻の当番。 
小さな事故でもこうなるので、無事故無事故と言ってある筈である。



2004/10/04(月) 06:32

「オヤジ、面倒掛けるけど お願いします」と、長男は出発した。
が。抜けておった。



2004/10/05(火) 05:45

一足飛びの愁雨、季節、秋となる。

今朝は雨、
「雨中の御配達、ご苦労様。無冠の闘いの無事故を祈ります」と書き、聖教の棚に貼る。

二日続きの修羅場の夕餉であった。
長男が久しぶりに晩飯に合流するも、修羅場。収まらず。
「嫁はどうや」に「鬼の霍乱、静かにしておった」

「強靭ママ」の母親(豊中)からも電話があった「気儘な娘が 又、ご迷惑を掛けます」
「いや、 こうして怪我をされると 存在の大事さが分ります」と、又、言う。

「オヤジ、あしたは雨やから、全休や(見事!あたったが)保育園、俺が送る」と長男。
とまれ、 いつもより喧騒の我が夕餉。 妻は廊下を隔てての統監で不在・・との修羅場。

「ヒロ」が熱いうどんを膝にこぼして泣き喚く時、場。最高潮となる。
同室のたれよりも早く、妻、走り来たが、
その前にワシは、熱いだし汁の半ズボンを すかさず持ち上げて肌と高温を分離しておる。

こんな、美味いうどんを やたら、コボスもんではない・・と、夕餉は続いた。

そして、今朝。  雨、降り続いておる。



2004/10/05(火) 07:26

この雨で「あすか」の登校。「スズメバチ」の保育園。「負傷ママ」の通院。
その前の朝めし。  「気になって いかんわい」と、長男に電話を入れた。

1コールでの接続に。「なにか、やることないか」と言う。
「おおきに、だいじょうぶや」と、朝めしから通院までの予定を順次説明、は、長男。

降雨順延の現場の段取りの話題に入ると 話は白熱する。
私は今日。二現場の三箇所の施工指示書を作成後、加工業者に発注する作業。
この段階が最も重要で、 損益・進捗に直結する部分である。

取り柄無き私でも、特技は有るのか、と。その加工指示書は正確無比である。
今のようにPCが全盛でない時代。 神戸で約1000dの現場があった。
店(ゼネコン)のコンピューター積算とワシの手演算積算の誤差。2d。

よく長男は現場から電話で言う「オヤジ。今回も残材ゼロや、参るわ」
机の上の能書きは、いくら並べても ゴタクはごたくである。
一にも二にも、現場である。   現場で泣いた分が後世の勝ちに直結する。

一枚の平面の施工図で 現場の隠れた凹凸をも把握する。何処も見逃さない。
この炯眼は、総て在現場時間の長短がはぐくむ。   まず、現場である。

さて、今日も見慣れた図面に向かう。   見慣れているから緊張ではある。



2004/10/06(水) 07:05

今日の「強靭ママ」の通院は 愚壮がやる。
京阪沿いに「西三荘駅」を過ぎる右側は広大な「松下電器」
そのまだ先の「竜田通り」沿いの斜行路で、幹線に出る。

この交差点まで、昔日の大阪市電は来ていた。  市電の北限であった。
南東角の大きな大衆食堂を、懐かしく思い出す人。今や無し。

『ここを右折すると』 道は国道一号線(旧称)であった。
渋滞で車列の溢れるこんにちとは隔世で、九里北にある「東寺」まで一気に走れた。

さておき、『ここを右折すると』病院がある。   ここまで、送る。 付き添いは妻である。
今日のワシは、この送迎で任務は終る。が。  問題は明日である。

明日の保育園の運動会。
現場の長男と。負傷の「ママ」にとって代わって、 ワシがビデオを回し、妻がダンスである。
ビデオも ダンスも 「孫守」の一環と諦めるか・・・



2004/10/06(水) 07:15

今は懐かしき大阪市電。

南限を出島、  西限 築港。  東限が百済、と、記憶するが。
乞う正解。



2004/10/06(水) 08:20

わたしが12・3歳の頃、祖母、悪戦苦闘の日々である。
不幸中の幸いは 関西間仕立ての広き家。祖父の唯一の有形の援護である。

祖母は二階の三間を賃貸しをしている。(周旋屋さんは、菊屋といった)
この部屋の住人に「中松さん」とのおじさんが居る。

「中松さん」は悪童愚壮を連れては、休日の早朝に釣りに行く。
『芦原橋』で市電を乗り換えて南へ下る。 北加賀屋・三宝車庫と下る。

現存の住之江公園の護国神社を背にした大きな野池に二人は並んだ。
すぐ先の大和川の堤防以外、なにひとつ遮る物なき閑散の風景。

日がな一日の釣行は巨大へらぶなとの戯れとなる。
「中松さん」との、握り飯は 祖母の匂いがする。  生涯の最高の味なり。

やがて、夕刻。  工場一つなき西の野に 夕日沈む。 
沈黙の池の群れの水面の涼風が 「また来いよ」と芦の葉に託す。

風聞にさえも「中松さん」のその後を知る術べぞ無し。
後生存なれば・・79か82・3か。  愚壮の今を知って頂きたい人ではある。

大阪市電は こんな風景を呼び起こすのである。



2004/10/06(水) 08:23

皆さん。ありがとうございます。

妻は『病』騙し騙し 格闘中です。
孫との格闘が、病との格闘を忘れさせる日が続いております。



2004/10/06(水) 09:24

チクと、時間があるので・・・

>> 関西間仕立ての広き家。

この家とて借家であった。(当時、賃、月2700円)
以下は祖母伝う。
この家は昭和19年には空家であった。
家主は隣家の御隠居であるが、この御隠居には大きな悩みがあった。

悩みとは「空家」である。
当時の空き家は 空襲の延焼を防ぐ、と。打ち壊しの対象となっていた。
ご隠居は、この2軒の立派な家屋を それは大事にされたと言う。

命よりも大事な家も「空家」は壊す。
ご隠居は決断され日参する。   
日参の相手が「自治連合会長」の祖父である。
祖父は「この先は どうなるかも知れん このいくさじゃ」「叶うべし」と転居する。

ご隠居は「これで、死ねる」と言った。とは、実話であるが。
その数年後。この家で惹起するのが 悪夢の家系の裂断との遭遇である。
どこで、どうなるのか。  現世は浮世である。

あ、電話である。  「病院へ迎えに来い」  ソソクサ ソソクサ。



2004/10/06(水) 11:42

ゆったりとしておる、と。コーヒーが降りてきた。

付きだしのロール・ケーキと どら焼を見て彼を呼ぶ。
「甘党」の(正確には 両刀使い)「老兵は去らず地区部長」

「おーい、コーヒーが入ったで」に3分で来る。
階下の事務所、ゆったりに3人で浸る。

「もう、だいぶん前に出来ていた」と、二種類の地区名簿を持ってきた。
「ひとつは、入会日順で もひとつは 誕生日順や」

諸会合のちょっとした空間に、下記と、使う。
「今日、誰それさんの入会記念日です」「誕生日です」「おめでとう」と、使う。

気配りの省略で記念日を知る時の御本人、 場がなごむ。とは「老兵 去らず」氏。
「地区部長がいてはるだけで、なんか、安心やねん」との地区員さんは、皆言うのである。

型枠施工工務店社長の時は恐ろしいが、地区部長になるや、優しく変身する71歳である。



2004/10/06(水) 17:20

「ジィジ めだか おれへん」と、大騒ぎの「スズメバチ」である。
「藻の下 見てみい」と、ソロリと除けると 「四コしか おれへん・・」

これはいかん、と。 急遽に金魚を買う。  ついでに タナゴも追加する。
この、金魚の買出しには 「あすか」と二人で行ったが、 嬉しかったぞよ。
「なにが 嬉しいてお前、冥利に尽きるんやがな」と女房に説明する。

「せやろ(そうでしょう)孫と歩くん(歩くのは)エエやろ」と同意した。
どうも、この頃は 孫にボケとる。  平和すぎるわい。



2004/10/07(木) 08:14

昭和59年の今日。
鉄人の父 遂に力尽く  享年68。

満20年 21回忌である。
一番可愛がった次女は その時 8歳であった。

愚壮の命の「あすか」は 今、7歳。     「光陰如矢」
今朝の仏前は、 いと、離れ難し。

さて、 9時から「スズメバチ」二匹の運動会である。
ここには、「タバコ屋のぶちゃん地区部長」の孫もいる。
「T部長(男)」の娘ちゃんもいる(この見張り役は『老兵』)。

石を投げたら、学会員に当たる、とは、わが街を言う。



2004/10/08(金) 05:46

保育園運動会
「Y本部長一家全員」「のぶちゃん地区部長一家全員」「T部長の奥方」「老兵」
なにも「愚壮一家」だけではない、 まあ、居るは居るは 皆来ておった。

午前中のみのプログラムは一歳児から年長さん(6歳児)までの、地域のチビが殆んど居る。
地域と支部は 殆んど これも重なっているので まるで支部総会であった。
又、地域の若奥さんの大多数が、ワークと言うことにもなる運動会は大晴天であった。

「オヤジ、脚立 絶対要るで」を守った愚壮は 集団の中の「ヒロ」と「ノブ」を激写した。
「強靭ママ」も たまらず松葉杖で「30分もかかった」と、観戦しておる。

例の「修羅場の夕餉」は チラシ寿司でのビデオ観賞となった。
「うまいこと、撮れとるやん」との世辞を聞きつつビール飲む。 おおいに盛り上がる。

疲れていた私は、8時過ぎには仏間に入って勤行を始めた。
直径一尺の鈴を打ったとき、ドヤドヤと「スズメバチ共」乱入する。

唱題をあげつつ背後の同座の健康を祈る。
「ヒロ」と「ノブ」は言う。「お母さんの怪我が 良くなりますように」

勤行が終る。振り返ると 長男在り。  リビングに走り戻るわが子二人を引き止める長男。
「きょうは、ジィジのお父さんが死んだ日や、あれが大(おお)ジィジや」と遺影指す。

ニヒルに笑う遺影を仰ぐ二人を、大ジィジはどう見るか。 
家庭の 家族の暖かさをば、味わうことは少なかったであろう わがオヤジ。
21回忌は、 千葉の次女夫婦は無理として・・ 全員集まった。 
「な、オヤジよ。 この信心。 間違い無かろうが・・・」と申す。



2004/10/08(金) 06:32

感謝があまりにも巨大で、何度も書くのである。

修復不能の家系の断裂を 間一髪の24歳の入信が裂け目拡大を止める。
しかし、きびしき謗法の深手は、長男の誕生にも断裂の継続に 事、及ぶ。

それが、仮死産であり、強度の斜頚であった。
一旦途切れかけた 生きる術を 長男は瀕死の姿で繋ぎ止めた。

「あすか」は女の子であるが、「ヒロ」と「ノブ」は男児である。
断裂の修復は、今、60年の歳月を経て、ふた筋の支流を持つまでに回復している。

「御本尊を抱きしめて」と、師匠は、そして草創は教示される。 
抱きしめ来て、今が在る。  一瞬もその間。愚壮は立ち止まらなかったか。
もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める。



2004/10/08(金) 10:48

愁雨 降りそぼる。

「地雨じゃ 今日の現場は無理をするな」も、長男は出て行った。
「強靭負傷ママ」の通院送迎は続いているが、雨。その前に保育園へ「ヒロ」「ノブ」送る。

エルグランドは長男の愛車。 これを駆って約束の定刻に「スズメバチ宅」着いた。
「ノブ」は既に、黄色の傘を差して私の到着を待って呉れていた。
相好を崩してのワシに「昨日はお疲れ様」と言いおった。

保育園の表通りは園児を送る若きお母さんで、雨中渋滞であった。
「ハチ達」を先生に申し送った妻が車に戻るまで「ママ」と話す、話題。他愛なし。

妻が乗ると、車は走る。  「何処から出てくるんじゃい」との話題満載で車は走る。
姑と嫁。 確執など無い、とは言わぬが。  確執の片鱗、絶えて無い。

送迎を恐縮する嫁に「アホ言うな。 嫁の存在こそが、わが家系の安泰の中心じゃ」
「短期間でポコポコと3人を生んで、化粧っ気もなく走りまくる」「これ以上の嫁はおらん」

嘘言は、こそばいが。   本音を言うのである「ええ嫁じゃ」



2004/10/09(土) 03:55

どうも眠れぬ、と 階下に下りた。
洗面を済ませて 勤行を深々と致す。

リビングはすっかり整頓されているが、
例えば、ソフアーに無造作の「あすか」のジャケットとかが在る。
折り紙の手裏剣は、「ヒロ」「ノブ」の宝物、も在る。

わたしが眠ってしまった後で「Y本部長」からの連絡があった、と。メモが定位置。
「明日の会合の中止の件です」とは、 接近の台風22号への対処である。

勢力の強いままの22号が気になり、私は戸外へ出る。

体感無風。暗黒の空に星の姿は見えぬ。  雨は降らず 路面のあちこちが乾いている。

夜中に幼子を連れて 若き母親がくわえタバコで闊歩するわが街であるが。
さすが、この時間。 閑散静寂である。  
いつもより早い点灯の車庫から 近所の野良猫が 泡を食って路地に逃げた。

台風は930hpa。最大風速 50m/sとある。非常に強いまま北東に向かっている。
被害、最小でありますように。 又、 早めの対応で警戒されますように。



2004/10/09(土) 04:41

今日の作業は全休とした。
現場の台風養生は各業者毎に飛散防止を施した。

土曜日は学校も保育園も全休である、と。昨夜の夕餉は遅くまで賑わった。と思う。

さて、勤行であるが、わたしの場合の就寝前の この習慣は、あまり感心できん。
会合で勤行を済ませている時に、自宅での勤行が抜けるのも、感心できん。

仕事を終えて帰宅して、 余事なく仏前に座す。  これが、出来ない。
仕事着では、(汚れていて)とても上へは上がれぬとも。である。

諸会合もそれが言える。 入浴と着替え。  これと時間との闘いだ。
何分でふたつを完了し、自宅を飛び出すか。 スリル満点である。
私には 嫌な性分がある。 それが「一番乗り」である。

帰宅即、入浴と着替えと一番乗り。  
妻は言う。  「階段は 一段づつ 降りてえな つぶれるやん」
「この身のこなしが有るうちは、元気な証拠である、喜べぶべし(趣意)」
「来年は、青年部に光が当たる。壮年部が目立つのも あと、僅かである(これも趣意)」

連日の唱題会で怖いもの知らずの我が女房は「わたしは、ずっと、女子部です」と言う。
「女子部が そんな あちこちに膏薬 貼らんわい」と言うのを 辛抱する。
すこしづつ。すこしづつ。 女房殿 復調か。    一番うれしいのである。



2004/10/09(土) 13:56

台風22号。  進路にあたられる地域、心配です。

千葉の次女に電話をしました。
貴重品、最小必需品、まとめて置くように言いました。
又、御巻きして所持するようにも言いました。

それらは、必ずリュックに入れなさい。手提げは駄目です とも言いました。
避難に当たっては 一瞬も迷うなと言いました。

「私ところは、大丈夫」 これが一番危険ですと言いました。

自然現象とはいえ。どうぞ最小の事態で収まりますように祈ります。



2004/10/10(日) 07:24

南関東を通過した台風は、各地に被害の爪あとを残しました。
こころからお見舞いを申し上げます。

台風直撃の恐怖が今も忘れられないのが、「ジェーン台風」でした。
5歳ころと思いますが いつまでも記憶に残る恐怖体験です。



2004/10/10(日) 11:21

気温上昇中の今、「先週は行けなかったので・・」と、長男出発は「くろんど池」
「ジィジ、今日は捕ってくるからな。カエル」と虫採り網や弁当を積み込んでいた。

マイクロバスは運転席に3人座れるが、ここに全員の孫をくくりつけて出発した。
晴天の穏やかな中、バスを妻と見送った。
「一昨日からの降雨で山間部の走行は、要注意である」に「了解」と行った。

3人の子が、まだ小さい頃、 わたしはよく、北摂・京北・丹波と、走った。
雨後の落石や、山間の隘路での転落や、 何度もの危険に直面の経験がある。
舗装完備の都会の山間とて、 不意の事故は潜そむ。  経験上、こう言う。

今日は13:30の同中に妻と行く。

夕刻は自治会で 過日の校区体育祭の反省会&慰労会である。
全役員参加の会合での会食には、必ず会費を徴収する。自治会会費では運営をばしない。
なんでもかんでも予算で賄う。  これが隙を作る、馴れ合いになる、と。会費取る。

我が自治会の歴史は古い。この自治会の予算支出に「天神社支出金」が存在した。
愚壮が副会長になった昭和56年。 役員会にて上記を撤廃した。
「氏子」の寄付は、結構である。  しかし、自治会からの寄付は「政教一致」である。
全役員。異論なし。   これは、どなたにでも言えるが。 「真摯な対話は、正論を導く」

ともあれ、今日も後半、多忙であるし、明日も仕事である。



2004/10/11(月) 06:23

昨日参加の同中。1千名(退館にあたっての創価班注意事項での参加数)

最前列に「中○副圏長」あり、すっ飛んでいく。「奥さん、どや」と言ってくださる。
「一緒に来ています。まだ完璧ではありませんの」
「人混みの中は苦しいので 一番後ろに居ます」

「しっかり、祈ってるか?」と言う氏の視線は 厳しかった。 

報恩と不知恩。 この二者。どちらを足場として生きているのか。自問。
「ナンバーワン」より「オンリーワン」が流れる会館は、沸きあがる。

「おとうさん、連れて行って」と、今回の同中は妻の時間設定に合わせたら最前列の「中○副圏長」に会えた。
最後の幹部挨拶も、あの、先生を求め抜かれ、本陣東京の地での「第一回圏勤行会」を指揮されし人。
渾身の師の御指導と初代圏長と咽頭無き副圏長が同座の会館。 空調さわやかなり。

>>「来年は、青年部に光が当たる。壮年部が目立つのも あと、僅かである」
上記は 速やかに撤回する。



2004/10/11(月) 06:48

旗日の休日の今朝は 曇天で静かである。
その昔。職人さんの町である当地の朝は、土砂降り以外の日は喧騒であった。

不況の風が今も吹き付けるわが町の朝は、とうとう静かになってしまった。

昨夜の自治会役員会で自治会長は言う「見たこともない不況じゃ」
「庶民の生活は持ち直した」とする 馬鹿政治家たちが 多すぎる。
底辺のドブ板を訪れる「血の通った政治家」には、お目に掛かれず。

師は「血の通った政治家」こそ真の議員と呼ぶ(趣意)と同中で一瞬 言われた。

食うか食われるか。 実社会の現実の死闘のつづく「黄金柱」の同志の皆様。
「最後勝ちをば 仏にぞ 祈らむ」 勝つまで闘いましょう。



2004/10/11(月) 07:07

書き込み過多で恐縮なれど・・  以下。再確認を申す。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward.



2004/10/12(火) 05:47

長年の懸案であった「建設業の許可票」は、昭和59年の今日 取得。
請負金額の上限が無くなった。   これが父の死後 5日目であった。悲嘆に浸らず。

平成7年の今日。 拠点新築の念願の契約が完成される 午前10時12分押印と こだわった。
契約手付金1500万であった。  

意義最深のこの日を自身の不忘の日とする。と。わたしは日付を無視はしていない。
「この日があるから、今が在る」を、事在る毎に確認し、問い直すため。そうしてきた。

まばたき一瞬の人生である。 楔は必ず要るのである。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward. である。



2004/10/15(金) 08:22

10月3日の「強靭ママ」の怪我は思ったよりも深く 今日 抜糸。
8時半からの通院はワシの仕事と続いておる。

それでも、子等へのめしは「ママ」がやっておるので 来襲の恐怖がなくホッとしておる。

座談会週間の真っ只中、我が支部の弘教の闘いは熾烈。
『折伏の決着は愚壮』とは、私が男子部時代からの勲章である。
「愚壮さんに会わせろ」と、特に婦人部の皆さんへの信頼は重い。

「男子部Y君」「地区副婦人部長Hさん」  土曜日に決める。

沖浦さん 代々への創価の伝承。 これに勝る福徳はありません。
同じ畿内の地域での同年輩の私たちです。  今後も「重鎮」たる存在で往きましょう。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは更に歩を進める』
Once again, I take my life into account for moving forward. です。



2004/10/15(金) 08:29

私は今、26人目の弘教に走るが、私が語って御本人が納得され入会された人は多い。

「愚壮は、急所を衝く」とは、前述の『中○副圏長』が言う。
これからして「私の勲章だ」と、わたしは決めている。

通院の時間である。



2004/10/15(金) 17:28

善い事ではないが・・わたしは あまり「強靭ママ」と話(対話)をしない。
話す機会が少ない、が 正しい言い方で     他意は決して無い。
世間は どうなのか知らぬが、「舅」と「嫁」の対話など、シラッとしているほうが良い。
ところが今日。通院の車中で 思わぬ対話があった。

近所のマンションで 夜鳴きの強い子が居る 「近所で心配するくらい、泣いているんです」と嫁。
「こっちにも、よう聞こえるねん」と妻は「はやりのセッカンか、心配や」と曇る。
ワシは思わず口を挟んだ「子は 泣かせたら あかん」「・・と、祖父はわしに言ったもんや」
「遠き日 あいつ(長男)は、よう、泣いたんやが、その都度 祖父の言葉を思い出した」

『ええか、 子供はけっして泣かせてはいかんのじゃ。 ゴネさせてはいかん』
『・・と言って 甘やかせるんでは無い 心の通じあう子育ては、赤ん坊にも分かるんじゃ』

「強靭ママ」は、教育大学で学んだ才媛であるのに、3人の子を 上手に育てておる。

「ママよ」と、続ける「俺がこの町へ来たときはあいつ(長男)は2歳じゃった」
「俺に似て 気が小さいのか、よく泣いたもんじゃが・・」苦にした事は無いと言った。
朝の早いワシを起こすまい、と、 妻は戸外に出て 泣く子をあやしていた。
「寒い夜などは、戸外は辛いわい」に、ママは身を乗り出す。
「あいつが泣くと 無意識で両耳に指を突っ込んで眠れる特技を ワシは身に付けていた」

「ママ」は自分の亭主の夜鳴きの話に、自分の奮闘を重ねたのか、感慨込めて聞いていた。

「ママよ、ワシとかあさんが来た様に、苦労は多かろうが あれ(長男)を頼むぜよ」
「ハイ」と素直な「怪我人ママ」に、私と妻は無言で感謝を申す。

「孫3人。 先を争ってワシの仏間に走る」「そう育てれば 間違いない」にも「ハイ」と言う。
教育大学に100年通学しても、けっして学べないのが この仏法である。
「信に立て」とは、嫁への提言じゃ。 よく頑張っておる嫁にとって信心は、鬼に金棒である。



2004/10/15(金) 17:52

今「公文」から 「あすか」が帰ってきた。のは、事務所。

「我が事務所」
筑後8年でも 大事に使っているので まだまだ綺麗である、と。ピン止め厳禁である。
そんな事務所にも、例外が有る。
「あすか」の身長を示す「背いくらべ」の横線である。
「124センチやで、覚えときや」と、これも今の話。
「去年の11月21日より、5センチ 伸びとるがな」と、日々 大きくなりよる。

「あすか」が来ると わたしはメロメロになる。今もそうであった。
「スズメバチ」が来ると わたしは構える。 今もそうじゃ。

奥の風呂場から妻の叫び声。 今、スズメバチ殿が御入浴である。
今夜の夕餉は、又、食った気がせん事であろう、・・が。愚痴ではない。



2004/10/16(土) 06:02

我が支部の弘教の闘いは熾烈。

昨夜20:30。 婦女唱題会、は、於。愚壮宅。 まこと、熾烈である。
完全遮音の仏間の熱気は リビングにも届くか。

「婦女超合金」の呼称の淵源は、何処であるのか 関東か沖縄か関西か。
いぜれにしても、 この反則行為の爆発が学会を 真に支え来た。

「その位の想いで、闘うぞ」と、言うばかりの「壮」の持つ、逃げ道の会則。

N支部婦人部長は言う。 「17日の会館セミナー。必ず勝つからね」
前々日の短時間の唱題会は、 婦女の「一歩も引かへんねん」の気迫の証だ。

前日もギリギリで やっと腰をあげるなど、 作戦としては最低じゃ・・と、学んだ。
我が支部には「虫食い栗」は おらん。



2004/10/17(日) 09:58

「ジャオ○○」が今日 復活する。
支部の「黄金柱」が集い来る。 於。愚壮宅 10:00。
御書の素読に苦戦のこの小会合の歴史は まだ新しいが、意義は深い。

第一日曜日に 延々と続け来た「ヒューマン・アカデミー」と、「ジャオ○○」
この二つの継続の小会合は、 微々たる会合であるが、壮年勝利への橋頭堡でもある。

幾人と支部長は変われども。いつまでも、これは続け申し送る。  時間である。



2004/10/18(月) 07:06

>>2003/12/01(月) 向かうは関西聖教本社。18:45ドッキング (T 東洋研員)
(T 東洋研員)再び当地会館に来らるる。 
19:00の会館は、友人と共に集う同志で溢れていた。

世界の子供たちの それぞれの国に身を運び 全渾の激励の先生を、大画面は映し出す。
「題目三唱」が省略のセミナーに先立ち 見事なる演奏が会場に浸透する。
お二人の女子部のピアノとクラリネットによる白眉は「チャルダッシュ」に尽きる。

現役ピアノ講師の的確運指は置く。 
クラリネット奏者の「ヨーロッパ留学」の彼女の息を呑む演奏に 場内、水を打つ。

会館の演奏では 珍しいほど拍手鳴り止まぬ中、友岡氏の講演が始まった。

一昨日20:30からの婦女唱題会も、
昨日の 支部の「黄金柱」が集い来る「ジャオ○○」も、 この講演に焦点が有った。
近接圏主催のセミナーの講演に、我が支部の折伏の勝利を賭ける・・と、祈り来た。

「学会は貧乏人と病人の集まりというのは、私達の誇りです。
困っている人を抱きかかえなくって 何の仏法ぞ。」
  こう、きりだす友岡氏の講演に私は前列にて臨む。
満館聴衆の最前列の、講師の机を円陣に囲む一番脇。「中○副圏長」在り。
わたしの左の前、「Y本部長」在り。 

講師は語る  昔日を語る 過日を語る 今を語る。  場内 子も泣かぬ。 
「母」を「在日朝鮮人の草創の勇者;八田のオッチャン」を語る。
「ヨイトマケを歌いつつ3人の障害児と格闘勝利の草創の母」を語る。



2004/10/18(月) 08:06

「私の話は、いつも、こうして突然に終わる」と、講演は大成功裏に閉幕す。

友岡氏が余韻満杯の会場を去ろうとする一瞬、わたしは脱兎と走る。
今夜の当地の会館セミナーが 本日の五ヶ所目を知る愚壮、氏が帰路を急ぐを知る。

「先日は(2003/11/30)ありがとうございました」の礼もそこそこ、私は言う。
「今日、長女が友人の入会を、と。 講演を拝聴しました」

熱気去らぬ大広間に 捕まってしまった友岡氏は、長女の友人に熱く語る。

やがて・・車座の広間の私たち。
「Y県総合婦人部長」「F新任圏婦人部長」「ジャンヌ・D本部長」「N支部婦人部長」
「Y本部長」「妻」「愚壮」・・  そして「長女の友人;その人」と「長女」

「はじめて学会の会合に参加しました」「講演は素晴らしかった」と率直であったが・・
「しかし、わたしには難しい(同苦と与楽)・・」と逡巡する。
祈るが如き長女の眼差しにも、友人は一歩が踏み出せない。 
座。正に頓挫か。

そのとき、語らいの輪を割る人在り。 「中○副圏長」であった。
「この御本尊の凄さ等、幾日語っても わからへんわい」
「今日 戴いて  ワシの云うとおり 3日間やってみい」
「こいつも(と、私を指し)こいつも(と、妻を見つめ)エエ加減な信心やったけど」
「なんぼ言うても、今は御本尊を 返しよらんのや」
「こいつも(と、今度はY本部長)そうや、み〜んな、最初はそうやったんや」
「心配せんと、みんなに付いて行け」

当夜のセミナーで発心されて、晴れて入会されし勇者 二人在り。
21:30。 圏最高幹部導師の入会勤行会。  中央に長女の御友人の姿在り。
寄り添う長女に 昔日、昭和44年12月17日の私の入会に寄り添う妻を見る。

厳粛である 爽やかである。  勤行がおわり 私は振り返る。
「K旭日圏 全女子部幹部」の姿在り。  
妻を見舞った あの優しき「圏女子部長」はわたしに言った。
「おとうさん。おめでとうございます」「ありがとう。貴女の祈りです」

帰路、二人だけの車内 「おとうさん、良かったね・・・」は、妻。
もう一言 妻は言った「あ〜あ、おなか、空いたワ〜」 就寝の時、日付変わる。



2004/10/18(月) 08:47

「J・ダルク本部長」殿。
昨夜の長女の感動に 同席をいただき 万感の感謝を申し上げます。
車座のわたしの側に来られ  「忘れえぬ風景」の所感を述べられました。

赤裸々であることには、万も承知の投稿ですが。 赤面ではあります。
昨夜の講演の「八田のオッチャン」は 圧巻でした。
わたしは瞬間 北田辺の「よし鶴」のオッチャンを思い起こしました。

草創の勇者には 共通して言えることが在ります。
一片の語らいの いずこにも「御金言」が存することです。
昨夜の友岡氏の講演の日の午前。 図らずも「支部ジャオ」が復活しました。

そこで遠書を繙きつつの、セミナーへ参加。  この壮年部の足跡こそ、「黄金柱」です。
とまれ、 我が「旭日圏」の 更なる大勝利に牽引車であり続けることに、無迷なり。

まずは、御礼と決意を あらためて申し上げます。   敬具。

追伸。 過日、愚妻病臥の折、琴線の御激励のお手紙。誠に有難く 御礼を申します。
妻は泣いておりました。
その、大事なお手紙の全文を、ここに投稿致しました事、お詫び申し上げます。



2004/10/18(月) 10:09

私は今 聖教新聞社に電話を入れた。

コールを待たずに サッと繋がった。
自分を名乗り「恐れ入りますが。友岡氏を・・」に「私です」

「昨夜の青年ですが」と切り出せば 即答「入会されたでしょう」と、氏、炯眼。
「爽やかな 素晴らしい青年です」とも言う。

長女も昨夜は遅くなった。 先ほど リビングで長女に申す。
「おまえは すごい奴や」 
 連日の10時間唱題で、今回の突破口を開いた我が娘。「さすがじゃ」

「中○副圏長」は 単車での瀕死事故での奇跡の蘇生と咽頭癌での失語で第一線を退いて久しい。

どの大幹部よりも先生との距離近き「中○氏」は言う。
「かおり(長女)よ、 おまえの信心は 凄いの〜」
「おまえには、みんな 負けとるワイ   ワシも負けとるわい」


ダイニングの長女は「なんで、副圏長が あそこに居ったんやろか」
友人の逡巡をバッサリ切った氏は、 昨夜の車座に なぜ同席するのか。
まったく別の組織の氏が「なんで居るん?」

時も場所も 「諸天には おかまいなしじゃ」と、説明する、が。
ワシより、長女の信心の方が 上であることには間違いは無い。



2004/10/20(水) 06:10

超大型台風23号。 この時間の当地は 既に外周の強風圏内にある。
暗雲は低く 真東からの雨交じりの風、刻一刻と強くなる。

台風の襲来。各地の悲報を告げるニュースを見るたび 胸が痛む。
山間地方の 特に南東斜面の豪雨には 最大の警戒が要る。  自然界の猛威である。

自然界と言えば今年は特筆がある。 山麓の農家の熊の受難が相次いでいる。
「即。射殺」に映る報道には、これも心が痛む。 
「お仕置きのカラシ・スプレー」の効き目は 門外漢の私には わからぬので言えぬ。

ともあれ、「避難は早めに」が鉄則であります。  無難であられますように・・・。



2004/10/20(水) 07:12

昨夜19時 守口平和講堂にて「圏幹部会」開催さる。 
「本年屈指の圏の会合である」と雨中の結集にイソイソと用意をする時刻 電話入る。

「中○副圏長」からの電話は史上初。  思いもせぬ展開であった。
『副圏長。副圏長のおかげで、娘の折伏 実りました』と申す。
長女の御友人の入会の決意の瞬間を待たずに中座した氏。
当日深夜の 私の「その旨の」報告は留守電であったからである。

「愚壮よ」声鳴き声が受話器に流る。 咽頭にマイクをあてがう氏の姿に 襟 正す。
「入会 おめでとう    よかったの〜」
再度の『副圏長のおかげです』に「何 言うとんじゃ、みな、かおり(長女)の題目じゃ」
「あいつ(長女)は ほんま、えらい奴っちゃ」を繰り返された。
聞けば こうである。
「中○副圏長」宅を 二人の若人が訪れた。 
「若者になど縁は無いのに・・・」との氏は玄関に立って行く。

「愚壮よ お前の娘と新入会の青年が 俺ん所へ来よったんや」
「昨夜 入会しました。 お礼と報告に来ました・・と、言いよったんや」
「俺も長いこと信心やっとるけど、入会のあくる日 挨拶に来たんは 初めてや」
わたしは「長女よ。あっぱれじゃ」と心で叫ぶ、と同時に一抹の不安 霧散する。

長女が友人の青年を指して「おとうさん ○○さんです」と セミナー直前紹介された時 私は揺れた。
次女が「愛婿 亨君」を私に紹介した時の あのほろ苦きショックが蘇えった。
今、この目前の青年が「優しき長女」を盗ってしまうのか・・と。わたしは瞬間 揺れたが。
「俺も長いこと信心やっとるけど、入会のあくる日 挨拶に来たんは 初めてや」に、安堵す。

「忘れえぬ風景」は、又新しく、こうして今。わたしの胸中深く刻印された。

雨の幹部会。於、守口平和講堂に再びの「風景」が展開されるをも知らずに私と妻は家を出た。



2004/10/20(水) 07:29

「J・ダルク本部長」去る。 師弟の絆と感動と歓喜とを遺して 彼女は去った。

100余人の人事。 二人の壮年圏幹部が息を詰まらせての延々の人事発表。
あの優しき「圏女子部長」が差し出す潤いの「水」に、手をも伸ばさずに発表さる。



2004/10/21(木) 15:18

>> 優しき奥方は、副本部長(支部婦人部長)その暖かき人柄と笑顔が地域に満開する。

前圏長の奥方 本部長に任命さる。
「J・ダルク本部長」後任の彼女は、昭和36年の入会である。

関西の師弟の草創の歴史は 昭和31年である。とは、彼女の入会は草創である。
演壇の彼女の その新任の決意を語る原稿が 小刻みに振るう。

かの、塔の原での師匠と歌った「泣くな妹よ 妹よ泣くな」を語る時が白眉。彼女は泣いた。
幼き時代の母上の御決断の想い出から綴る 御自身の広布の歴史を 見事に凝縮して語り往く。

「私の入会は、私が小学生の時でした」と、彼女の母校の名を話される時。興奮 頂点をなす。
昭和27年の桜花爛漫に入学の私の母校「桑津小学校」が、彼女の口から出る。

私よりも 随分年下の彼女も、あの懐かしき校門を仰いでおられたのか・・と、感慨する。
「新任本部長に身命を賭ける」と、彼女が結ぶ頃、 原稿はもう、震えてはいなかった。

幹部会での感動は、数々の名場面を大広間に繰り広げた。
圧巻は 白ゆり長さんの体験であった。わたしは涙を拭わずに聞いていたが、  後述とする。

台風前夜の雨脚は帰路も降り続く、 遅い目の夕食を3人でのリビングに顧客あり。
モニターは 豪雨に傘を差し自転車で駆けつけし人を映す。
わたしは、飛び降りた。 箸も皿も打ち投げて階下へ走る。

「これからは、いろいろとお世話をかけます」と その人は言う。
「この雨の中。勿体無い。 申し訳ない」とわたしは叫んだ。
新任「S婦人部本部長」その人であった。      
「たれにも、指 一本触れさせぬ」と申し上げたが、それでは、まだ足りぬ。  
             その時も雨。  沛然と降り続く。



2004/10/21(木) 15:50

10月19日のこの「旭日圏 幹部会」では抜けてはならない事があった。

「堅塁 中部」 豊橋市 豊川圏の十勇士が合流された。
「堅塁と常勝」 世界最強の交流であったので 報告をする。

沛然と降り続く雨の中の幹部会は「昇龍の兆し」である。
当夜の幹部会は 「歴史の幹部会」となる。  確信である。



2004/10/27(水) 12:41

この度の 新潟中越地震の被害は甚大です。 衷心よりお見舞いを申し上げます。

阪神大震災は一瞬で6千有余名の人命を奪い 未曾有の数の夢と希望を消し去っりました。
あの悪夢から10年。 繰り返してはほしくない大惨事が 平和で豊かな山村を襲いました。

「どうぞ許してください。もうこれ以上 苦しめないで下さい」と画面に叫びます。

地球の鼓動から見る人々の営みは いかにも芥子粒で無力ではある。を。痛感します。
が、しかし。 もう、沢山です。  静まってほしいだけです。
電気と水道の復旧が、孤立の生存者の救出が、大至急の課題で。超法規の優先です。

煽りでも、興味本位でもなく。以下は前日の ある目撃に私を襲った不安です。
前日22日の朝も 私はいつものようにバスを見送りました。
バスが視界に消えて事務所に戻る時、 わたしはいつもの癖で、空を見上げました。

南から東に向かう薄赤紫の帯状の雲の筋が走る! わたしは晴天の光景に息を呑みました。
かの神戸の震災の折、数多くの同じ雲の目撃者を 同時に思い出したからです。

当時の「Tさん」は無冠の友。 
彼女が 未明の紫の雲の筋を語ったのも 平成7年1月17日の当日のことでした。

こう書く今、非常に強い予震の報道が叫んでいます。
小千谷市を震源の今回の群発地震。 一刻も早い終息を祈るのみです。



2004/10/27(水) 13:19

余談。
小千谷市と言えば、吉田松陰の門下として名を馳せた長州人を 思い起こす。
これはたしか、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」で読んだが、胆の座った人である。

この長州の人の終焉の地が  現、小千谷市である。 
戦死の詳細は知らぬが  時、恰も風雲幕末であった。



2004/10/27(水) 19:23

我が支部の折伏の闘いは 今 熾烈である。
「獅子王の心を とりい出す」と、各地区で唱題会が連夜と続く。

「タバコやノブちゃん地区部長」宅の昨夜。
「愚壮よ、疾く来い」とのノブちゃん地区部長の電話を自宅にて待つ。
その心算であったが、ケツがどうしても落ち着かない、と、こっちから出向いて行った。

「ノブちゃん」宅は 角の「たばこ屋」が本宅で、拠点は裏の筋の二階建て。
拠点のすぐ脇には あの「老兵は去らず地区部長」宅である。

「行きまひょか」と覗くと、すでに「老兵は去らず」は 服装、整っていた。
わたしが彼を誘う理由は 彼が「支部折伏責任者」であるので、素通りをしない。
さて拠点。
「S副本」「N支部婦」ほか 支部を実質掌握している そうそうたる婦人部殿が犇めいておった。
「急所の愚壮」の登場!と、力んではみるものの、 迫力が違うわい。
肝心の新来者。 仕事で不在との連絡に 21時に解散した。

この三人、「揃うと碌な事は無い」とは、言い当てて妙。と。早速一献。
がしかし、この一献は「ノブちゃん」の母上の「操ちゃん」82歳。のお誘いであった。

「ワテは年寄りの癖に 目が堅いんじゃ」と 遅い時刻の「鍋物」を御馳走になる。
「ノブちゃん」の嫁の「良ちゃん」と、計5名。  美味しいお酒を楽しんだ。は。本宅。
油揚げで巾着に包んだ餅を最後に 礼を言って「老兵」と戸外へ出る頃。心地よき酔いが 全身を包んだ。

この老母「操ちゃん」 若い頃は さぞかし美人であったろう、と。二人語りつつ家路に付く。
寒気すら感じる 夜道であるが、「やるべき事をやろうじゃないか」と、二人で云いつつ歩く。

壮年部も、かく、元気である。



2004/10/29(金) 05:51

暗雲低く 北東の風 心地悪し。
今朝のような風の日を「坊主風」という。

気圧が降下し、東よりの風が吹く日は魚釣りに行くと、まず、釣れない。
釣果は例外なく「ゼロ」で、俗に「坊主」と言う。

ゆえに「坊主風」と言う。 
水槽の「メダカ」にも、それが言えるか、動きが やや、鈍い。 これ真説。

世の中、「坊主」を冠する時は、まあ大体、ロクな事は無い。
今日はチト、いやな来客があるが。   出来れば後述とする。

「忘れえぬ風景」は今。昭和64年に入ろうとしている。
昭和天皇 すこぶるの御容態となられる。  
実不実。このとき時代は大きな曲がり角を迎える。

「W工業」を辞する直前「愚壮よ、飛び出ろ。但し。10年」と「A総主任」言う。
この予言的中まで 残。8年。   炯眼の人、市井に在り。   我44歳。



2004/10/29(金) 06:41

「・・そして、誰も居なくなった」とは どこかで聞いたセリフ。
このセリフを 図らずも、否、不求自得を身読し苦悶し続ける時。
亡き「親方」と「親父」が 本線の専務を連れてきた。

鋼材串刺しの惨劇を「ミリ単位」で替わした時が「底」に到達した瞬間であるが。
実生活の下降線は 余力で堕ち続けること、半年を要す。
「本線の専務」との邂逅はやがて、見知らぬ土地「横浜」に飛び火する。人智及び難し。

暗中に一家で活を求めて「横浜」を捨てた「よし君」は まったく偶然、愚壮と会う。
前述のこの日から一ヵ月後。 職人さん達、不思議と結集しはじめる。

濃紺の作業服に「金茶色」の個々のネームを刺繍し 全員に支給する時「不求自得」を感ず。

あれほど「のた打ち回って」求めていた仕事と人材が お金を連れて眼前に在る。
経机に「涎」を流して朝を迎えた日々を、 指折り数える。

「散髪」もままならぬ日「晩酌にミニチュアのウイスキー」を飲んだ日 缶コーヒーさえ買えない日。
43歳の後半から44歳の幕開け。「タバコを買うように」高級乗用車 買い求める。

当時の支部北端(今は分割し別支部)の「愚壮グロック長」を拝命してより3年目の事であった。



2004/10/29(金) 07:27

昭和64年1月7日 裕仁昭和天皇 崩御あそばされる。
この日は忘れもせぬ 兵庫県加西市の現場であった。

近畿自動車道、中国自動車道と乗り継いでの目的地直前、カー・ラジオ「崩御」告ぐ。
一旦 現場に到着し朝礼を行う。 このゼネコンの職員たちも「いましがたの崩御」知る。
が、淡々と朝礼にも告知はない、どころか、通常の作業に取り掛かろうとした。

「待った」と、わたしは言う。
「帝の崩御である 服喪が当然である」旨 監督に具申した。
やや小考の後、「そうであるかもしれない」と、作業、急遽 全休とする。

これは、私個人の思いである。と。その日から1週間。拙宅玄関に喪票を掲げた。
故「小渕首相」が テレビの画面に登場し「平成」との、見慣れぬ漢文を掲げた時、氏は幹事長。

ともあれ、「動乱の昭和」幕を閉ず。  
この日 かすかに日本国の福運に「影」差す。を。感じたのも わたし一人でよい。
「大喪の礼」の 大荒れのあの嵐は 「崩御の帝」の波乱万丈の御生涯を語って余りある、も、自説。

余談であるが 長女の誕生日が1月7日。 
世間的にも「正月気分」が消えうせる。 そして「御崩御」である。
長女の誕生日のお祝いは、この年から、わたしの誕生日の15日に繰り下げた。
以後 16年。わたしとの合同誕生パーティーは続いておる。

その娘も32才じゃ。 来年は「厄年 33」 ワシは還暦。 いずれも気が重いわい。



2004/10/29(金) 08:47

皆川貴子さん 真優ちゃん 御逝去。
これほどの悲劇 これほどの悲報があろうか。 

「優太ちゃん」の奇跡の生還は、打ち続く余震にも 怯まずに救出に挑んだ隊員の快挙である。
「地球よりも重たい」人命。 救助隊員の一言一言に「現場の実像」白日となる。

優太ちゃんの命は、尚「優しきママ」「心強き姉 真優ちゃん」の「多幸であったであろう人生」をも含む。

今朝の新聞は「真優ちゃん」の御遺体の救出断念を伝える。  痛恨の極み。言葉がない。
「ご遺体救出断念」を御父上、ご親族は 断腸の決断をされたとか。 お悔やみの言葉が無い。

日本屈指の酒処は 日本屈指の米と水の象徴でもある、が今、日本屈指の悲劇の地となる。
幼き御遺体は 日本屈指の巨河「信濃川」の腕の中を墓標とされるのか。

ああ! と、わたしは啼く。  茫々と泣く。
と、ともに  この震災に、何卒負けずに立ち上がっていただきたい。



2004/10/29(金) 11:56

>>今日はチト、いやな来客があるが。
   出来れば後述とする。

今、来客を玄関に見送ったが。  客は転身 諸天となられた。
妻と長女とは この来訪に題目を上げて迎えていた。

「一身に入れかはり 守護し給う」 家族3人。 顕益歴然に感謝。
いよいよ、声 張り上げて 攻むべし。  腹、一段と座る。

詳細は4〜5年先まで不記。 (体験発表後に必ず 書きます)



2004/10/30(土) 06:02

今日。10:00〜20:00 於、愚壮宅は。 折伏唱題会である。

「12:00〜13:00も連続やで。10時間やるで〜」と、意気盛ん。
私も勿論 導師をやる。  腕が鳴る・・っていうか。ワクワクする。

明日の日曜日も 13:00〜14:30の 壮男の受験者勉強会以外は題目の渦じゃ。
拙宅仏間は、こうして支部全体の中心拠点として その本来の使命を果たす。

このことが実は、私が一番誇りに思うところでも在る。しかし本音は違う。
本音は本部での会合にも対応可能の拠点の建設を狙っておる。
不況の嵐、いまだに収まらぬ 我が業界(関西が、特筆悪い) しかし。実現を狙う。

ドラマの如き人生は 誰もが等しく主役である。 急転直下の感動を演じるのも、可能である。
若輩の我ではあるが、「苦に翻弄されない」との術(すべ)を持つ。

さあ、 創立の月だ。  「自身の年頭の誓願に決着を見る」である。

「忘れえぬ風景」は 平成の時代に辿り着いた。
ドラマは更に眼前に展開される。



2004/10/30(土) 14:25

10時からの2時間の唱題は わたしが仏前に陣取った。

すべての地区部長 地区婦人部長 揃う。
うれしい人が来られていた。
遠き日の「洟垂れ愚壮」を「男子部愚壮」に仕立ててくれた「名物K部長」の奥さん。
30年も昔の「忘れえぬ風景」に登場の「名物K部長」である。
その奥様が 拙宅拠点に参戦。 これは、いかに創価の本筋に誤謬がないか。との裏打ちである。

「老兵は去らず氏」も「支部書記長」も「たばこ屋氏」も揃う。壮年部 意気軒昂である。
「たばこ屋ノブちゃん」は「ワシ。11時から 駅前で募金に立ちます」と中座した。
公明市議ほか数名で最寄の駅頭にて「新潟中越地震」の災害募金をしている。

災害は、新潟だけではない。 由良川や円山川の未曾有の氾濫で、丹後地方は地獄絵図である。
四国も 九州も 北海道も 信越も 琉球も いまやズタズタである。

「10年前に援けていただいた」と、神戸の高校生がボランティアに汗を流す水害被災地豊岡市に。
温情の手助けに感謝する 豪放無骨なる信濃流域の農夫の涙に。   本来の日本人を見る。

733年前の旧暦10月中頃(現在では11月25日前後か) 
現在の「関越自動車道」沿いに徒歩(かち)北上の人の列があった。

中央護衛の御人は僧形である。 出発地 鎌倉。  目的地 寺泊。10月21日(現12月2日)着の予定。 
御僧はこの時点でも わずか半月前の我が御身に現じた 大宇宙の饗宴に恍惚となっておられたろう。
半月前とは文永8年9月12日(現在新暦10月25日)未明を言い。 鎌倉は竜の口をさす。

「発迹顕本」の御僧形を護衛の武士達も又、 厳しくも恍惚の同道北上と察せられるは、自説。
「われわれは護送ではない。仏様の護衛である」と意気込んだ所こそ中越であろう、と。想像する。

風光明媚。伝統の棚田。高貴なる錦鯉。 そして味わいきれぬ美酒と人情の中越地方。
一刻も早くの救援で、復活の日の近かからんを今日も支部全員で祈っています。

 


巨山の隘路に北上する大河。「信濃川」



2004/10/31(日) 07:51

今日13:00〜14:30 教学受験者勉強会は愚壮宅。

今朝は薄雲を通して青空がみえる。 市の広報紙を配り終えた町は 未だ静かである。

 大きなニュースが今、流れている。
一般紙の朝刊は イラクのチクリット郊外で米軍が発見したとされる殺害放置の遺体の件。
「日本人旅行者Kさん」ではない、と伝える。  ご家族の心痛を思うとき 朗報である。

そんな束の間の安心を切り裂く如きニュースは。直後のNHKから流れている。
バグダッドで発見された 新しい遺体である。
詳しい発見状況と具体的な遺体の状態が これはどうも、「Kさん」ではないのか。と。伝える。

一睡もせずに「愛する家族」の無事を祈る母親のを思うときも、バッサリと「行った方が悪い」と言えるのか。
「糠喜び」から「絶望の淵」へ。家族を翻弄する報道は錯綜している。

ともあれ、  無事を祈りたい。と共に。  民族と宗教の憎悪の紛争を 甘く軽視するな。と言いたい。
「抑圧と屈辱」とする民族の歴史は 他国が簡単に国際法で口を挟めない部分が 在るやも知れぬ。
底の見えぬ憎悪。  「目には目」としか解決の道は はたして無いのか。
普遍の法は いずくにか在るのか。   
2・3歩 あとすざりして地球を見てほしい。  いかに小さな有限の星なのかを 分かってほしい。

もうひとつ。朗報。
「自衛隊が大型テントを供出」 罹災の方々の 一時の笑顔が画面にある。
「震災直後にも それは出来たのに」と、苦言は言うまい。

ただひとつ。 縦から縦への煩雑な申請書類。 申請も供出も非常時は「超法規」でよい。
なぜかならば・・「それは。地球より重い生命を守る」最善の行為であるからである。



2004/10/31(日) 08:12

>>公明市議ほか数名で最寄の駅頭にて「新潟中越地震」の災害募金をしている。


上記は誤記があるので 訂正したい。
「K市民の会」主催の募金に 我が公明市議も駅頭に立って市民の善意に訴えた。
参加者は20数名で御願いした。とか。  
買い物の往き帰りの市民の真心の募金に「本当に嬉しかった」とは、伝え聞く声である。

「買い物の後で 募金をしましょう」との人も多いと聞く。
「戻ってきた時には募金終わっていた」と追跡で募金をしてくださった。
庶民の街。職人さんの街。密集と喧騒の街。世界一の学会の町「K市」
       かく、暖かい街である。



  



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