2003/12/01(月) 09:25

今日は長男夫婦の結婚8周年の佳節です。

また 今日は愛孫 明日香の学園面接。
「送ろうか」という愚壮に「いや、きょうは電車で」と長男。
家族総出で明日香の小粋なマント姿を見送った。

突き当たりの商店街を左に曲がれば駅まで5分。
何度も振り返り 背伸びして手を振る少女が愛(いと)おしい。

ヤンチャの権化のふたりも「いってらっしゃ〜い」と叫ぶ。

こんなに平和でいいのだろうか。感謝の念は いやまし深まる。

今日1日は月こそ違うが「班長ケンちゃん」の命日。享年50歳。
甥っ子 ちひろの命日。享年16歳。
わたしの目前にて、いきざまを教えてくれた「人間」を忘れてはならぬ。

復活の掲示板。これほど嬉しいことはない。
卓越の人材との対話が続く故に。



2003/12/01(月) 10:22

平成13年9月1日深夜 甥(妻の兄弟に子息)の「ちひろ」が事故死しました。
青春の謳歌は時として悲劇をも伴う。 事故発生からの数日間の極度の悲惨を、
私は至近距離にて つぶさに見る事と成ります。

矢も盾も叶わず襲いかかる悲運。一親族の立場でM紙に投稿しました。 
以下です。


2003/12/01(月) 10:31

「ちひろ」が逝った。16歳の夏と共に・・・
9月1日の深夜 惨事が起きた。
「少年A君」運転の乗用車が、対向してきた乗用車と正面衝突。
「A君」と助手席の「B君」 複雑骨折、重体。
後部座席には「C君」「D君」そして「ちひろ」   「D君」重体。
「C君」と「ちひろ」は搬送先の病院にて死亡。 対向の「F氏」重傷。



2003/12/01(月) 11:01

悲運の事故現場へ向かって走ってしまった運命の遭遇。

「運命」よ! 「宿命」よ! 汝に問う。
多くの若者の涙と、埋め切れぬ心の空洞を残したまま、
汝は・・次の犠牲者を求めて黙って退ち去るのか!

納棺のその時・・・・「ちひろ」は笑顔だった。

      2001.09.05 叔父 愚壮(56)



2003/12/01(月) 15:03

千広は イイ奴でした。心優しき姉 無口でしっかり者の兄、
3人で両親を支えていました。    皆 三世です。

「少年部員会をアイツは絶対さぼらんかった」と父親は今も泣く。
「目の色変えて会合に行きよったんは・・このことかい」と啼く。
母親はショックのあまり、 殆んど喋らない、また、笑わない。

「H検死医」が首を傾げつつ「ちひろ」の即死を告げたご遺体。
掛け布団に足首が収まらぬ長身の彼の その無傷のお体と、語りかけるが口元。

引きも切らぬ同世代の少年少女の群れに 通夜は4時間を越える。
告別式も少女達は出棺を許さない 異例の別れであった。

この秋 3回忌を同志の真心で回向申し上げた。
父と母の悲嘆、あの日のまま不変。    辛すぎる。



2003/12/01(月) 16:02

体験発表です。    時は昨夜  於 自室
60前のジジの体験。勿体ないが今更の驚きゆえ・・


支部のみなさんに隠し通せぬままの「本○氏」の49日忌が13時。痛み駆け足。
儀典導師「Y本部長」 御親族「喪主」の叔父上のみ、14時一旦帰宅(本部長車)

17時会館着任(配車)刻々迫る中、自宅にて唱題「無事故の運転」強く祈念。
16時、お守り御本尊を胸に。効いた験しのない鎮痛剤と錠剤をバッグに。出発。
定刻会館発。向かうは関西聖教本社。18:45ドッキング(T 東洋研員)
18時54分会館着。 教材 大白11月号 愚壮最後列椅子にて受講。
「身延入山の真意、弟子時光の生き様」深く学ぶ。大広間、壮年あふれる。



2003/12/01(月) 16:20

20時半 いよいよ任務の後半。 「膝よ静まれ」と発進す。
高速2路線乗り継ぎ 20:45。無事着。 即、報告「S圏長」

帰宅21:30 「大丈夫やった?」との妻に右手親指を突き出し勝利のサイン。
その夜である。 静寂に来襲する激痛を覚悟し床に入った。
目を閉じ腹を決め、肘で体重を支えつつ横臥する。

「!来ない。?! ?! 出て来ない!うわー  なんと!」
一切無痛。  グッスリ朝を迎えた。  14日間の悶絶 跡形も無し。
女房確信有り 至って冷静。  やっぱり負けてる。



2003/12/01(月) 16:40

じつは・・ここだけ?の話し。
ドッキング予定は18:00でした。  正しく 予定は未定・・

45分もズレ込んで・・超 緊張しました。
ここからが「ここだけの話し」   『何とか19時までに会館着』と。

愛車 3000cc 唸りを上げる。     ワシャまだまだ負けんぜよ。
      (痛みがとれたら 急に生意気な愚壮)



2003/12/02(火) 09:47

隣の支部の「た○ち地区部長」(50歳代乗ったばかり)より電話。
前置き無しで「何かあったん?」
「エ、エッ そのまま返すわ、どないしたん」に
『支部拠点に ”祈 愚壮全快”って貼ってあるで〜』

あの「関西青年世界平和文化祭」共戦の「T大B長(現・副本)」の笑顔迫る。

 励ますつもりが、励まされ。       ・・・・・書かれへん。



2003/12/03(水) 06:53

これは昨夜。
わたしが仕事を終えて食堂定位置に鎮座ましましたのが20時すぎ。
廊下隔てた12畳が地区拠点。妻の高笑いが一段と響く地区機関紙協議会。
「はて」と困った 時間がもたぬ 「例の膝」から晩酌途絶えて早や2週間。

「アホタレント満載」のテレビなんざ はなから見る気も無いし。
365日のビールの喉越しも不思議に忘れた(女房は功徳とのたまう)
そこへ「酒豪の長女」御帰還。 「なにしてんのん」(することないわい)
「ああ しんど」とわしの正面に座りよる (相変わらず 美人や)
完全にやることなき愚壮に「お母さんに言うわ、ごはんの支度、先にしろって」
協議会合流の長女と女房が「あ ごめんごめん」と出てきたのが9時。
「おまえら 8・30 守らんかい」に振り向きもせん。 めし食って寝た。



2003/12/04(木) 05:32

今日は長男の33歳の誕生日です。

阪急 茨木駅近く 大崎産婦人科。 半欠けの顔面の泣かぬ赤子の第一子。
今。最前線で奮闘の彼を たれぞ 予想出来得たか。 凄い法です。

父を書こうと思います。 たった10年間の父子の契りを。



2003/12/04(木) 06:48

昭和57年の「K親方」の突然の死に父は腰を抜かしたが  愚壮は支柱が抜けた。
この時期の愚壮は未だまだ半練り、世間の駆け引きには 所詮 ついては行けぬ。
「名物部長」の薫陶も「組織内限定」にとどまらせる体たらく、依も正も知らぬ。
「K親方在ればこその俺だ」は甚だ美談だが、「困ったら親方に」が伏線だった。
「K、死す」の報は、その壮大な葬儀の裏で、レールの敷き直しも並行する。
ともあれ、事 なかば。中心が強大であるほどに、夭折後の瓦解は早かった。
かくて。将来無限に夢を広げし ”超スーパーゼネコン路線” 消滅。残塵のみ。

昭和57年12月7日 八尾市 河内文化会館落成
昭和57年12月17日 京都市 京都池田講堂(現・伏見平和会館落成)
昭和57年12月19日 西宮市 兵庫池田講堂(西宮平和講堂落成)
                          落差 厳然。



2003/12/04(木) 07:24

昭和57年仕事納め。  晴天の年の瀬、新調のスーツの父を愚壮家族で送る。
行き先 父不忘の故郷・高知県高岡郡土佐。実兄が待つ・・祖母抱きし海が待つ。
父を慕う次女(4歳)が「連れて行って」とグズル。 笑顔が弾ける・・

突き当たりの商店街を左に折れると駅まで5分は今も変わらじ。
父のこの帰郷は、積年の父の叶わぬ望みであった。 否、望めぬ夢であった。
「一生、諦めていたのに」が叶った感涙の土佐路。 後姿が少年となる。
生涯のたった一度の父孝行に、愚壮 感無量。    次女。諦めた。



2003/12/04(木) 07:48

昭和58年元旦。
朝日が満々と射し込む愚壮宅 2階和室の枕元の電話が踊る。
家族5人 マグロよろしく並んで飛び起きた。

電話の向こうに父の嬌声あり。「釣れた釣れたデッカイゾー」
故郷の海の船上か、釣果に歓喜の団欒か、海の香乗せてのふるさと便り。

祖母の(父の義母)墓標が見守る海原に戯れし、今生最後の兄弟の語らい。
無邪気に遊んでほしい、欠き消えた空白を埋めてほしい、御自身を責めずにほしい。
薄幸の偉大な父よ。  我 たれよりも父を想う。



2003/12/04(木) 08:08

父の日々の楽しみは晩酌。 「疲れが すっと取れる」と言う。

膝に次女を乗せての 父上至福の晩飯である。
やや熱燗の辛口の2合徳利。   アテは トロ、はまちも好んだ。
全員で囲む夕餉の いと 騒がし。
妻の目を盗んで次女に酒を舐めさせる父。  トロをせがむ次女。
やがて妻に「○○○さん、いま一本」上機嫌の父の証。
かくて。明日の元気を蓄える(呑み助の屁理屈なり)



2003/12/04(木) 09:37

 >>昭和57年仕事納め。
生涯のたった一度の父孝行に、愚壮 感無量。
たった一度ではありません。  二度目が正しい。
私は 父に入会を決意させている。 昭和56年。

父の信心はその臨終が物語る。   昭和59年。   後述。



2003/12/04(木) 09:47

創価学会が幾多の闘いに勝利し行くとき。
我が家は、自身は、勝っているか。

勝っていなければ 峻厳に省みるべし  願兼於業と 甘くとるべからず。
  これ、自訓自戒



2003/12/04(木) 11:00

父の故郷便り 発地。 土佐、横波。

「先祖の墓前に初めて立った」と言う。
「父、数馬。母、楠。祖父、勝馬。 伯母、菊猪・・」と自身の系図を語る父。
「父、数馬の朝鮮での赤痢罹患の急死が悲運の始まり」と沈む。

「ゆっくり遊んで疾く帰れ」に「泉に会いたい」と次女の名呼ぶ父。
 父の悠々の臨終のドラマに次女「泉」が感動不可欠になるとは・・・

 次女は不思議な子。 父67歳。



2003/12/04(木) 11:47

父の平素の趣味は釣り。 物言わぬ川面に終日をすごす。京阪電車30分。

京都南部に八幡市がある。戦国の要衝、天王山を眼前の隘路に三川合流点。
洛北の遥か彼方、北桑田郡に分水嶺を頂き、北から着きし桂川。
近くは瀬田の古戦場に滔々と圧倒する水量を、北東より押し来る淀川。
遠く伊勢路より。笠置の渓谷を削り下りし、東南東の木津川。

盛夏。麦藁帽に愛竿一本、淀川御幸橋の袂に父の秘密の釣り座あり。

父偲び一句。   三川(さんせん)に、父の影追う、鯉を追う。



2003/12/04(木) 12:17

父の死後 隣接のアパートに遺品を整理する。  昭和59年晩秋。

鋭く整頓されし室内に愛竿(あいかん)有り。 竿尻を両手で包み 偲ぶ。
手塩の釣り道具。 新品の道糸 繊細04から大鯉対応のハリス。
ヘラスレあり 伊勢尼あり 海津あり その全てが裸針(ハリスが付いていない)

老眼鏡を二つ重ねの父を「キャッキャ」と喜ぶ次女を思い出す。
早暁の朝靄に、老眼鏡を二つ重ねて、ハリスと苦闘の姿が浮かぶ。
「眼鏡が合わぬ」と言ってくれよ・・と、竿に語る。  愚壮 39歳。



2003/12/04(木) 12:45

昭和44年の新世帯から同46年の大晦日までは妻の父の会社の職人だった。
この時期 若き妻は飯場の炊事、所謂「飯炊き女」をする。  さらに。
紆余曲折で迎えしこの年、昭和58年も 職人さんの三食を全部担っている。

昭和51年、次女誕生から居る「清ちゃん」も4年遅れの「槌っちゃん」も
茶髪の若い衆達も 妻を「姐さん」と呼ぶ。食事の世話をやめて、もう久しいが。

そんな苦労をかけし妻。その妻が一番大事にしてくれたのが これなん。父であった。
ゆえに  父を語るに 必ず妻が要るのである。



2003/12/04(木) 14:21

父を続けよう。
JR大阪駅の西口の正面に丸ビル(吉本興業ビル)がある。
その四ツ橋筋を挟んだ西向かい「L21ビル」施工 ”Kスーパーゼネコン”

都心の工事は駐車場や騒音対策や歩行者対策etc、各業者気を使う が、話は別。
現場の北隣に大きなパチンコ店 の2階、※屋があった・・「ビリヤード」

昼飯そこそこに父と行く、勿論「カモ」賭け球。ってもゲーム代を賭ける 他愛なし。
大正生まれの父は当然四つ球。     これが。 勝てない。どうしてもダメ。

それも「突き切り」(ワシに番が回ってこないのです)の山。
やっと呉れても「無い球」ばかり。  華を持たさぬ父でした。



2003/12/04(木) 14:37

父が言う「若い頃はラシャの上で朝を迎えた」と。
ビリヤード台のグリーン(ブルーもある)の布がラシャだが・・・勝てぬ道理よ。

父愛用のキューは昭和の初期の品、シンプルこの上なく、ケバケバしとらん逸品。
この思い出のキューを 私は父の棺(ひつぎ)に眼鏡と共に収める。躊躇なし。

話を戻そう。  悔しいほどに上手かったです。
次女が一番好きだった父よ。 愚壮は次女にも勝てません。 ほんと 不思議な次女。
因みに(次女に内緒だが)長男にも勝てない。 クククク・・



2003/12/04(木) 15:31

余談      ところで(性懲りもなく)「ビリヤード」を楽しむために。
 突き手(競技者)以外の人に。
@キュー尻が当たらない位置で静かに待とう。 当たる場合は 即 移動する。
A好プレーには「ナイスショット」と讃えよう。 拍手不要。
B突き手の傍で、あるいは台に手を付いての観戦などは、もってのほかです。
Cキューにもたれて待つ人有り。とんでもない。 倒れない場所にソッと立てよう。
D飲み物は原則、感心しません。レストに影響するでしょうに
  突き手の人に。
@くわえ煙草は絶対厳禁。  飲酒プレーは問題外、資格すら無い。
A近隣台のプレーヤーと接近したときは「どうぞ」と譲りましょう。
B譲られた場合。きちっと会釈を忘れずに。
C会心のショットも「見た!見た!」は御法度、これ最低!
D「無い球」をワザと作るな。人の道に反しますぞ。
   まだあるが   1に礼儀 2に礼儀。 頭も良くなるぞ。ハイ! サーブ。



2003/12/05(金) 15:31

 >>
( 2003/12/01(月) 16:02)
17時会館着任(配車)定刻会館発。向かうは関西聖教本社。
   >18:45ドッキング(T 東洋研員)のT氏よりハガキ着。15:15
全文;前略 先日は「K文化会館」の前後 貴重なお話をお聞かせ戴き
   有難うございました。「学会は貧乏人と病人の集まり」というのは、
   私達の誇りです。困っている人を抱きかかえなくって 何の仏法かと、
   本当に思います。         仕事頑張って下さい。
 今日も炊き出し 行ってきましたが、
 寒くなるにつれてカップ酒で酔ってる人が増えてきました。   T;

 年末を控えた寒空に 仕事にアブレた日雇いの方達を激励の実践の日々。
 言うは易く、行こなう(行動)は難たしである。



2003/12/05(金) 16:05

昨夜  20:30〜21:30 本部「広布部員」無事故唱題会   於 Y本部長宅。
我が支部の地区部長 4名全員揃われる。

呼吸を合わす。 「まず ここからです」と本部長。
公私一切に通じる要点である。    まず 勇んで参加する、ここから始まる。
                      愚壮も挑む  椅子持参。



2003/12/09(火) 15:21

土木工事の超大手「TS建設」等 十数社での「談合」発覚。
業界激震の報道が世間を風靡していた。1982年〜1984年当時。
愚壮の事業も個人ながら常庸従業員、30名を越す規模に成っていた。
煙草を買うような感覚で高級乗用車を手に入れし、「糞天狗愚壮」の臨終目前。

「K親方」と言う支柱を失しない 策を求めて右往左往する司令塔に次弾直撃。
「談合」の甘き約束。連続発注予定の大型工事が不落札。  即死である。

瞬(まばた)き一回の急失速。一発アウトである。   昭和58年春。38歳。
本格もぐら復活 命を削る5年間 、やらずもがなの5年間に突入。
見事に組織の本流を踏み外して行く・・・・底なし沼へと一直線に。
書きたくないが  茲こそ書く。



2003/12/09(火) 15:56

「余韻に酔う、錯覚に迷う」  大潮の日の満ち潮の如くヒタヒタと迫る不信。
臆病から来る深酒の日々に  傍にも寄り付かぬ子供達。 悲鳴の妻。

平然と盾突く従業員を引き止めし なけなしの休業保障金が 死に金と消える。
それでもフッと思い出す栄光の拠点闘争の残像に 仏前に這う時あり。
「苦しい時だけ縋りやがって」と狂乱の本性が やがて 祈りをも拒否する。
「意地でも座るものか」が愚壮の全身に蔓延せし昭和58年初冬。
5年に及ぶ苦悶。「たれも居なくなった」堕獄の5年間を保障する事態を起す。
愚かにも 自らを切り刻む如きの 破壊性がついに剥き出しとなる。 暗転無限。



2003/12/09(火) 16:15

優しき長女。 全てを包み込みし妻。 言葉崩さぬ長男。 健気なるママ。
いまも首っ玉に抱きつく次女。 実父の如く「おとうさん」と言う婿。
いとおしき孫達。 

それよりもなによりも、絶命の危機の愚壮を奥底に支う。
起死回生のその法。    そして不二の師匠。
「大丈夫、俺が居る」 と同苦せし無数の諸先輩。
今現在の愚壮が上記。    闇の蠢いた5年間は回顧し難い。申し訳なき故。
    が  書き進める。      平成15年12月9日  58歳。



2003/12/10(水) 15:37

堕獄の5年間を保障(決定)する事態とは。

「名物部長Kさん」が我が仏間に残し置き下されし部旗と折伏敢闘フラッグが有る。
悩乱の愚壮は あろうことか これを「K部長」に返却する。
この暴挙が 昭和58年暮。 年末に東京から帰省中の「K部長」蒼白。



2003/12/10(水) 20:05

部長は言う「折伏敢闘フラッグは 部の闘いを称えられた認証だ。 
全部員の勝ち戦を認めて戴いた証(あかし)だ。 一体誰が認めたと思っているのか・・
師匠が認めて下さった証(あかし)ではないのか。 それを拠点から剥ぎ取るのか」

氷雨が降りだした・・      蒼白に震い、涙 光らせ 部長は続ける。
「俺は今でこそ、言うが。 栄転の東京の天地の原点を、貴、拠点と捉えている。
 それを貴様は、自ら閉じると言う。 あの「3・22」の感涙は嘘か!」
 雨脚強まりし 戸外の熱き激励が空しく素通りする。

「拠点での勝利継承の日こそ、我も原点」と総県長が吐露されし感動まで。 まだあと19年を要す。

 引き下がらない「名物部長」。  見捨てない「名物部長」。    
昭和59年へ秒読み。
 「仕事さえ有れば、なにもかも解決するんじゃ」と愚壮は迷走する。



2003/12/10(水) 20:14

父。逝く    68歳。 鋼の如き鍛錬の肉体。力尽く。
あれほど呪い続けた父が逝く。  なにも言わずに・・  暗澹に出口なし。



2003/12/10(水) 23:27

あの栄光と流浪を強いられし「折伏敢闘フラッグ」のその後を追う。

つい最近の事であるが・・・  長男に問うた。「折伏敢闘フラッグを見たか?」
「見た」と即答する長男に、20年前の我が拠点の青年が重なる。
「確かに見ました。『KD部長』宅でした」と記憶を手繰る様子もない。再度言う 即答。
「裏面は見たのか」と座り直す愚壮に「裏、見た。20年まえの役職に感じ入った」と言う。

「折伏敢闘フラッグ」は放浪等していない、と長男は愚壮を慰めた。
愚壮が犯した無知不信の愚挙にも、物言わぬ「折伏敢闘フラッグ」は耐えた。
「K部長」「日本屈指の伝統職人、石○○部長」「愚壮宅真向かいのY部長」
「現足立区在住のF部長」「前出のKD部長」・・
歴代の青年指揮官の手で「旗」は見事 護られていた。  つくづく今も言うのです。
 「無口寡黙。純真愚直の陸続の青年たちに、その篤き踏襲に、深く詫び 謝す。」 と。



2003/12/10(水) 23:40

氷雨の中「K部長」は続けた。
「折伏敢闘フラッグ」は師匠の魂魄が留まるんだ。
「部旗」は師匠を求める弟子の魂魄が留まっている。
この両者が貴宅を去る事は、俺は黙視は出来ない。愚壮君。思い留まれ。

愚壮。聞かず。    昭和59年に時は移る。



2003/12/11(木) 15:21

自らの今までの題目の累計を即答できぬ者の 祈りなど 叶わぬ。
と。昨夜長女と語る。「そうなんや お父さん」と身をのり出した。

旭日ブロックの「WNさん」 地区副婦人部長 超元気 88歳。の笑顔が浮かぶ。
彼女宅に御伺いする度、見せていただく大学ノート。
「きょうでネ、一億五千○百○拾○万・・・」とおっしゃる。

宿業深き一人息子さんと心中まで決意され。
「気違い信心」と蔑まれし過ぎし日。 早逝のご子息の見事なる相に老母一人立つ。

「何の憂いも無し。何の杞憂もなし」と。悠々自適の黄金の余生。
20年来の「三桁」がすべての障魔を駆逐する。
拙宅の階段を駆け上がる足音に「ちかごろの娘さんの悪しきマナーよ」と足音を追う。
88歳。お化粧も清々しい「WNさん」の足音なり。   ついてゆけず。

自画自賛。 くだんの「WNさん」が妻に云うそうな。
「わたし、愚壮○○長。大好き」と。      愚壮、舞い上がる。



2003/12/11(木) 15:25

その「WNさん」。  「これ炊いたのよ」と、度々の「筑前煮」の差し入れ。

たれにも食わさず。 家族中、敵となる。(孫、含む)



愚壮 投稿日: 2003/12/11(木) 15:30

>>WNさん  「きょうでネ、一億五千○百○拾○万・・・」とおっしゃる。

事実ほど強きものは無い。  つくづく思い知らされます。



2003/12/11(木) 16:46

部旗とともに返してしまった王道。
そんな愚壮に厳父の如き鉄拳。  
街明かりが歪む。氷雨のゆえか、涙のゆえか・・

生涯の「忘れ得ぬ風景」を振り切って「部長宅」を駆け離れる。
  奈落が待つ。     昭和59年明ける。



2003/12/11(木) 23:48

氷雨けむる当地です。 50年先への布石の人事に地元市議の息女が。
「K文化会館」同中の大広間に大歓声。 最高にうれしい。

同中終了後、全地区に「地区最優秀賞」戴く。 
我が支部の四名の地区部長全員が最前列中央に陣取っておられた。

人知れず、時間との闘いに勝っての最前列。
ここが違うのです わが地区部長さん達は。



2003/12/12(金) 15:29


「折伏敢闘フラッグ」は師匠の魂魄。「部旗」は師匠を求める弟子の魂魄。

「K部長」捨て身の説得も 魂魄の意味すら知らぬ悲しき付け焼刃。
ポロポロと消え行く従業員に 如何とも為す術無い。
ただただ「仕事にあり付かねば」の一点張りである。

フトおもいだす「M社長」・・昭和47年正月に助けてくれた大恩人。
いや 行けぬ 「あの時 夜逃げしましたが。また使って下さい」是はない。
減ったとはいえ20余人への休業補償。 毎月消える数百万 
死に物狂いの職探しの日々に無情な事件が惹起する。
職人「NM」「S」「MZ」の3人。傷害事件を起す。  相手。本職。
(回顧するに・・不思議なもんである。学会活動遊離のとたんに、基底の修羅界現出)
自宅。包囲される。  相手のヤクザに落ち度がないだけに、打つ手なし。
  即金。150。     とどめに等しい。  抜き差し叶わず。



2003/12/12(金) 15:50

夕食時を狙って談判に来る。
女、子供がいる。 父も68歳。  引くしかないのか。

もう何年も遠ざかっていた 来たくも無かった眼前の現実。
フトまた かすめる暖かき青年達の面影が瞬時に消えた。
今のは誰だろうか・・  「ゴラ 聞いとるんけ!」に現実あり。



2003/12/12(金) 20:07

長男は鮮明に憶えている。
「14歳だった」 
「お父さんはその時 家族全員を2階へ追いやった」

今でも思い出す度に 赤面と同時に 両耳塞ぎ叫びたくなる。

諸事。真摯に 真剣に取り組もうともせぬ性悪よ。 なによりも 愚直さが無い。
生い立ちの愚劣さと 被害者意識からくる 世の中への逆恨みが、異臭を垂れる。

もっと苦しめば良かったに。 こう言わしめる程の閉塞に のたうつ。
蟻の巣の真っ只中に堕ちし毛虫の如し。  かく苦悶39歳から5年間続く。



2003/12/12(金) 20:30

依然と職なし  桜花の季節頃か、あることに気付く。

妻が 子供達が そして父までもが 目を合わせない。
「恐ろしい形相だった」と長男は言う。

怖いもの知らずの20歳の愚壮。  永遠に閉ざした古傷が痛い。
右肘 右拳 右手首 左手首 左手親指 右足甲 の骨折。
右薬指腱烈断(治療せず今に至る)  鼻筋右側縦割り8針創(痕跡消ゆ)
「今度は 終わるぜ」を跳除けし 入会の日から15年目 
胸中。ここまでか と思っていた。   が  引き合いの報せが入った。



2003/12/12(金) 20:52

それは。      京都上鳥羽下水処理場建設工事。

前出 煙草を買う気軽さでセドリックなんぞを手に入れし頃。
職人の補充が追いつかない頃。 何組ものグループを手配せし頃。
そんな あるグループの社長から仕事の引き合いであった。
愚壮の苦境を知ってか 知らずか。 「なんとか力を貸して下さい」との一報。

聞けば。関西一流ゼネコン。  
場所 神戸(ポートアイランド)  着工 9月。  規模 大型。
「まだまだ 捨てたもんじゃない」 悶々に一筋の光が注すのか。  39歳の夏。



2003/12/12(金) 21:22

その「あるグループの社長」と会う  思い出した。
「仕事が突然きれて・・」と愚壮を訪ねてきた人だった。
5・6人のグループ。「仕事が出るまでいつまででも来ていいよ」を思い出す。

炎天下に働く彼等に「ご苦労さん」と見回る愚壮が 今、膝を揃えて懇願する。

「とにかく仕事が要る。仕事の無い男は 生きる価値なし」は俺の身上。と懇願す。
(職人さんの生活は俺が護る。は常に言い聞かせていました。救いはそれひとつ)

図面到着。全館外部R(曲面)仕様。各階セットバック。RC造(一部SRC)
高難度にファイト湧く。  父の興奮 尋常ならず。  衝撃悲惨すぐそこ。



2003/12/12(金) 21:52

苦しむ愚壮(苦悩は当然の帰着だが)に付いて来てくれた職人さんに戻りし笑顔。

「槌ッチャン」「清チャン」「国」「康」「敬一」「寺やん」達。
それよりも なによりも 赤誠の妻。 信じてくれた子等。
そして愚壮の為に 力の限り支えてくれた父。 燃え尽きた父。
過ぎし日の微々たる返礼を、ここ一番 不思議に現れた「あるグループの社長」
苦悶の5年は 杞憂と消えてくれたのか。   

「槌ッチャン」「清チャン」は今も元気ですぞ。 ともに53歳。酒豪。 感謝に耐ぬ。



2003/12/12(金) 22:06

先に言っておくと。  くだんの「あるグループの社長」。
当時 大阪枚方で闘う現役「地区部長」であった。
地区制発足当初と記憶する故 初代任命の方と思う。

現在 交流なし。複雑に絡まる人間関係に愚壮後半の自伝。 熾烈。



2003/12/12(金) 22:10

愚壮が御厨子に首をこじ入れて題目をあげる日は まだ先になる。
(偉そうに言える事か)



2003/12/12(金) 22:47

今日あった嬉しき報告。  本夕刻、「こんばんわ〜」と玄関に女子部さん。

妻応対しばし、 必死にPCに向かう私に 「ちょっと〜」と細君。
女子部さんの御指名にイソイソたるアホ愚壮。
違った。 これはこれは御声の主は「支部福運長」の「I 支部副婦人部長さん」
6月6日からの肝臓癌との一進一退の闘いを制した 勇猛の貴婦人ではないか。

圧倒する迫力にビビる愚壮に  「ちょっと聞いて〜」と、まさしく女子部。
「今日の最終血液検査で癌を示す数値が一切消滅してました〜!」と。
気が付けば 膝突合せ 彼女の手を握る愚壮あり。 3人で感涙感涙。
この人が「支部福運長」  N支部婦人部長はさすが、達観、目が高い。

帰り際「愚壮さん。膝 はよ 治おしや 旨いお酒 飲もな〜」・・・
・・・わしの周り酒豪だらけ     ピカピカ光ってらした。



2003/12/13(土) 06:26

大難4たびとありますが、

(あまり自慢にはなりませんが・・・)
御地 京都にて大事故を起しています。(1979年のたしか・・春先。ご存知かも・・)
場所は四条河原町西入る 土曜日の夕刻で  雨、本降りとなった時それは起きます。

資材置き場のステージが作業員もろとも落下しました。 自社職人さん3人でした。
九階から七階のフロアーまでの吹き抜け部。満載の鋼材と共に堕ち行く作業員達。
目の前での信じられない出来事に「南無妙法蓮華経!」と叫んだのを憶えます。
鉄骨階段をどう走り降りたのか、まったく記憶にありませんが・・・
クレーンを操作していた私は当然 免責なし。 大きく報道の事故でした。
 奇跡的に3人は無傷でした。 すでに厳然と守護されていたのですね。
因に、大手「K工務店」の次期工事は愚壮から離れ行きます。 苦い思い出です



2003/12/13(土) 10:22

とまれ 神戸の新規工事の積算、切歯扼腕 父子益々に気合がこもる。
施主 神戸超一流装飾企業。 施工 関西トップクラスのゼネコン「K組」
施工管理「日建設計」   超一流が携わるに相応しき 美麗建築物が浮き上がる。

ここで アピールを。 使用鋼材量積算。 以下。
「K組」コンピューター  1002d  愚壮手動演算値  1000d

待望の基礎工事に突入 昭和59年9月。場内臨時加工場レイアウト嬉しい作業だ。
作業所長も主任も係員も さすが「K組」品も格も一流であった。
型枠、鳶の職長さんも重機オペ達も「火を噴く如きプロ」ばかり。 良き時代であった。
寸分妥協なき打合せ室で 所長は父を「会長」と呼び称える。父の満面が眩しい。

基礎が入る 膨大な鋼材が 見事に組みあがっていく、複雑図面が目前実像となる。
厳正なる工程に連日の深夜作業。 「ラスト二日間は徹夜になるぞ」愚壮 吼える。
夜露肩を濡らす10月。 基礎工事完了。 鬼の「日建」の検査受ける。全部パス。
 初手合いの「K組」所長。賛辞戴く。   感慨無量 美酒に酔う。



2003/12/13(土) 10:51

基礎コン打設は、我々に一番うれしい光景だ。充実感に堪能する。
大仕事やり遂げし 愛妻弁当の美味さは 凌ぐ物なし。

さあ!次工程だ。 無事故竣工を祈る所長に呼吸を合わす「打合せ会議」

「会長!会長!」打合せテーブルに潜り込む様に崩折れる父の悲劇あり。
「あかん! 会長が倒れはった」 現場全体に衝撃走る。
 
   昭和59年10月5日 その時は突然に来訪す。
「オヤジよ!」に答えぬ父在りき。 事、重篤を知らずもがな。
 仲間総出で車に乗せる。
愚壮に同行を指示する人に「いや。私は現場に残る」旨 伝う。
発車直前の父に「俺もすぐ帰る」と言う。父 かすかに頷き目が合う。
この瞬間が二人の永遠の別れとなる。  父 68歳。 子 39歳。



2003/12/13(土) 11:07

そういえば・・・
次女が父の膝にひつこく纏いつきし 騒々しき晩飯時。
「苦い」と一言 お気に入りのグイ呑を 父は伏せる時があった。
「酒 変えたの?」に 妻は「いいえ おなじよ」と顔を曇らせる。

が それだけで終わっている。普段の風景に何の疑問もわかぬ。

又 ある日、好物の刺身を皿に落として醤油が撥ねる時あり・・気にも留めず。

サイン見落とす。  無念である。



2003/12/13(土) 15:15

10月5日夜、入院先「H」医院に静睡の父を見舞う。
医師は言う「鼓動 呼吸 瞳孔正常」
「年頭からの心痛、無理もない。療養が一番」と虫も知らせぬ。

明けて6日午後。  突然の危篤の報入る「現場事務所」に一瞬の静寂。
実は 実は この辺から愚壮の記憶が 今も乱れる。

駆けつけし夕刻の病室の父のイビキと 微かな死臭に 事。尋常ならぬを直感す。
「頑強な父上の急速な引き潮に打つ手、後手」旨 医師の告知聞く。
次々訪れてくださる御見舞いの今も憶えぬ。 申し訳ないが 憶えていない。
唯ひとつ 鮮明なる御秘符がある。小さな和紙を口元にあてがう時。父の深呼吸。

刻々と更け行く病室の御見舞い 廊下に溢れる 御恩量れず。



2003/12/13(土) 15:55

午後11時すぎ 私達家族5人のみで父を看護る。わたしと妻と3人の子供達。
長男14歳。長女12歳。次女8歳。 5人の唱題は一筋の声に融合しゆく。

医師は告げる「いよいよなり」  ここに来て塞々の感、押さえ得ぬ我。

何時からか 父の手を両手で握る次女が瞬きなく父を見据える。
「臨終の瞬間は次女が知っている」と不思議に思う。
いびきなく静粛の深夜の 永別の時ぞ迫る。 堪らず父の顔(かんばせ)を抱く。
「お父さん 有難う さらば」と声を掛けた瞬間であった。 遂に来た。
「お〜う!」と父の旅立ちのが5人を包んだ。  題目が一段 高まる中。
「ドン!」との勢いでの 心停止。 瞬間に首筋から頭頂に向け黒紫色が走った。
妻の悲鳴があがる中。見る見る顔面の色が変わる。褐色から黄色、そして色消える。
「しゅーしゅー」と呼気が体外に吐き出される中。「御臨終です」を背中に聞く。
「じいちゃん さよなら」と泣きじゃくりし3人の孫達へ父は、僅かに笑みあり。
  昭和59年10月7日零時すぎ。永眠す。 享年68。 悔い甚大。



2003/12/13(土) 16:13

やっと ここまで来ました。
釣りを語っても ビリヤードを語っても 酒を語っても。 
父への惜別は癒し得ぬ、 今も消えない    父への怨念が大きかった分。
謝しても 謝しても 愛惜は増すばかりである。
いつも胸中に父を求め 長男の笑顔にも 父が被(かぶ)さる。
仏間に父の遺影があるが。58の今も 父への 畏敬は消えない。
流浪の贖罪の58歳の父を、わが家族に引き入れた時に。
私は 実は父を殺していたのではないか。    
強く生き抜き 使命をまっとうし・・・・黄泉で父に聞こうと思います。



2003/12/13(土) 19:08

父の終焉の部分で 追記を・・

学会活動を拒否した(してしまったが正しい)直後の転落時。
未だ宗門との鎖は解かれてはいない。

御秘附に関しての記述は 当時の自分の実感で他意はない。
それよりも。父臨終を察知した時点の家族の万感の唱題こそに。
根腐りしていなかった愚壮を見る。  振り返り 天晴れなり。



2003/12/14(日) 12:10

仮通夜。泣き泣き連れ帰りし亡父を仏前に北枕に御安置す。
家族全員で添い寝をした。 「ジイちゃん」と次女離れず。涙枯れず。

いつまでも暖かき御遺体、かすかな笑顔に薄っすらと髭が伸びる。
思えば・・・と、父に語りかける。
生後僅かに3ヶ月より肉親と離別し、養父母の溺愛に過去を知る由もなく。
宿業の合流の如き薄幸女児(愚壮の実母)を実妹と守りし少年時代の前途ぞ険し。

大儀なき二度の戦地の波濤に、弄ばれし青年の父。
復員に厭世非道の選択(魂の近親相姦)を甘受させられし養父母知恩の父よ。
そして終焉直前の僅か10年。 いとおしき孫たちに その尊っとき余力を捧げた父。
あなたが隣接の狭きアパートの一室に 孫達一家の安穏を連夜深々と祈るを知っている。
と、語りかける。   髭、更に伸びる。



2003/12/15(月) 14:10

通夜、告別式の手配のご苦労を どなたがして下さったのか。
とにかく B蓮社が携わってくれた。
後談。 全部、初代支部長の御手配と伺う。同志葬 友人葬の原点を見る。
(今、感謝の想いで支部の友人葬の御手配をする愚壮 ここでも報恩する)

唯一の親族 わが実妹の居ない父の葬送。   通夜。



2003/12/15(月) 21:27

陰気な話で あまり楽しくはないが・・・  この昭和59年は割愛出来ないので・・

自治会長が残して下さった写真があります。 それも一部始終。

出棺の挨拶か 紋付袴姿の喪主愚壮。 傍らより長男、義兄、義兄と並ぶ。
それにしても と、紋付に感慨が深い。 祖父家固有の家紋の正装である。
忘れもせぬ祖母の地獄の臨終の日。  祖母の遺品をひとつ残さず分配した祖父。
祖父が言う「この紋付は、お前に・・生きてる間の形見分けじゃ」

祖父が一番溺愛し、一番疎んだ父の別離に、因縁の紋服で臨む三代目。
頬 こけ。 隈取の眼差し39歳の愚壮。   
在阪一流ゼネコンの献花連なる葬儀。 曇天の弔列に妹の姿なし。
愛椀を砕く乾いた音に、たった10年の父子の歴史が幕となる。
出棺の合図に 哀涙 堰を切る。 滂々と止まらず。  気力、失せる



2003/12/15(月) 22:28

次女は不思議な子。  昭和59年10月11日 晴天の朝 御骨上げ。
斎場にむかう5人の家族に寂(せき)として声もない。
愛嬌の次女の うな垂れし姿に「元気だして」と励ます長男と長女。
たれも未だ気付かず・・刻々と迫り来る感涙の「忘れ得ぬ風景」を・・

職員のいざないに、佇(たたず)む炉前。やがて開かれし黄泉の扉に余熱あり。
静々と目前に進み来る 変わり果てし疎々白々たる御姿よ。 一瞬、廻り来る。
晩酌に歌う父「月光(ひかり)に濡れて白々と・討ち伏す屍・我が戦友(とも)よ・・」

「愈々さいごよ」と作法通りに壷に納める。 静寂の中、竹箸が宙にふるえる。
斎場の職員が次女に言った。「・・お嬢ちゃん お爺ちゃん居なくて寂しいの?」
「ウン」とベソかく少女に「でもね・・」と職員はいう「さみしいけど・・ネ」
突然の職員さんの涙に次女も啼く。    職員さんのつぎの言葉に妻 慟哭した。    
「お嬢ちゃん・・お手々の中のおじいちゃん。 離してあげてね」  
「イヤ!」と見据える幼き少女の握り締めし白骨ひとつ。 
この時私は 次女を片時も離さなかった父の真意を 父の恩愛を 衝撃、受け止める。
帰路の車中 我が妻の膝に抱かれた亡父に「おやじ、女房が抱いてるぜ」と言った



2003/12/15(月) 22:35

この日を境に 私は転落を続ける。
「槌ちゃん」も「清ちゃん」も全員 去っていく。
昭和63年の正月の初仕事の日まで、5年間続く。

糞面白くもないが  ここも略せぬ。



2003/12/16(火) 05:23

満帆の時が転覆の危機がいちばん高いと言いますね。

時化(しけ)に遭遇の人生でも同じでした。
諸天が順風を運ぶには唱題しか有りません。
否応なく知らされた5年間となりました。
面目なくて 書き難いのです。



2003/12/16(火) 18:13
熟語間を強引に繋いでしまいますので 変な文章になります。
読み辛くありませんか。   

今から地区座です。 2会場に伺います。 その後、20:30から支部教宣 愚壮宅。
日程に隙間がありません。    
蘭さん聞いてください。今月(11/21〜12/15)の我が支部の啓蒙数。
Sの6.11倍でした。(S=188 ; 1149p)  御地は如何ですか。

もひとつ有ります。 明日は私の入会記念日です。  34周年。



2003/12/17(水) 06:56

昨夜の座談会。2会場の後半は愚壮所属地区に参加しました。
あの88歳の「累計唱題 一億五千万遍超」のW地区副婦人部長も御参加。
総県(2市 2区)で、今や知らぬ人は居ない地区の宝。
[Zai]連続20年の「三桁」は、誰人も及ばない が、彼女は訂正された。

「去年 今年と四桁でした」  会場。嘆息と歓声と大拍手。担当の「S圏長」唸る。
木枯らし寒風の夜、ここだけが明るく暖かき座談会場の88歳貴婦人 更に輝く。
「提案です!」と愚壮。
「これからはWさんを、○○○の千日尼と呼ぼう!」に又また大歓声。
三代会長同席の本年最後の地区座談会。  初代の写真が微笑んだ。



2003/12/17(水) 07:55

昨夜の座談会A。設営絵画の担当は私(広布の労は厭わず、何でもやる)
2004番の少年ランナーが三色鉢巻なびかせ正面を駆け来るんですが。
周りの群衆が喝采応援しています。  少年には配色しましたが群衆はぬりえ。
ぬりえを完成の「アッチャン」に「綺麗に塗れたね アリガトウ」にVサイン。

無冠の友「H地区婦人部長」の次女「詩ィちゃん」弟の「直くん」多感な長女「ひろ」
みんな元気に参加しました。   少々暖房の効きすぎの会場に頬が真っ赤でした。
愚壮の「Wさんは、○○○の千日尼」にも拍手をしていた未来部コーナーの主役たち。

帰り際の「詩ィちゃん」たち。母親に聞く。
「なあ、なあ、千日尼って誰やのん」  母親、説明 要を得ず。困ってた。



2003/12/17(水) 08:13

無冠の友「H地区婦人部長」は「地区副婦人部長」でした。Hさん ごめんなさい。
「正地区婦人部長」の我が女房殿。 ごめんなさい。    ア〜ァ(ため息)

そのぼくの細君。 「今日はわしの入会記念日や」に
「あら、 ほんまやな〜」   「ほかの言い方 ないんかい」
・・・と、無事?34周年を迎えたのです(グスン)



2003/12/20(土) 06:36

都会でも 凍てついた月冴える時があります。  今朝がそう 吐く息が白い。

早朝 分刻みの段取りの切れ目 フト見上げる狭き冬空の星々がまたたく。
静寂に排気音を抑えて遠のく赤いテールに 合掌 「絶対無事故」と唱題す。

「さて」と事務所に戻る愚壮に視線あり おもわず見上げた藍の空の父子星を見る。
  吐く息しばし止まる。



2003/12/20(土) 07:04

「常勝の空」に師の万感が溢れ 詰っています。
事有る度、この歌を叫んで関西は常勝関西たる王冠を死守しました。

おもわずその場を立ち 歓喜で歌った「常勝の空」
端座 両膝に拳を震わせ 涙で歌った「常勝の空」

「来年は師匠を関西にお迎えしよう」 
首都東京では思い付かない合言葉を 今、関西は叫ぶ。
縁(えにし)は永遠に続くが  師の在世は有限ゆえ。

ところで ピアノ  会館で弾いてしまった。恥ずかしかった。
(遠い日、分県内各支部の支部歌発表の折の私の暴挙です。)
N支部婦人部長は愚壮の「厚田村」を涙で褒めてくださる。



2003/12/20(土) 07:49

>> (分県内各支部の支部歌発表)
平成6年4月当時、現、支部婦人部長とは地区部長、地区婦人部長として闘っていた。
そのNさんが私に言う「何処にも無い地区の歌を作りましょう」
四六時中 ギターを抱く愚壮の感性を見込んでの慈悲の御発想であった。

Amに似たフリージャ旋律(ソ♯)を基に 曲は完成した(中間に明るく変調部あり)
「無冠の勇者を称える地区」との決意がみなぎる素晴らしい歌詞が格調を高める。
作詞 N地区婦人部長(当時)・愚壮。
作曲 愚壮。        。。。。。。
寒い朝 雨の朝 凍てた朝 「懸命の無冠」を称える「地区歌」が生れた。
              平成6年4月2日。とある。



2003/12/20(土) 08:39

 地区歌 『幸の足音』(さちのあしおと)   1997.4.2 by,N&Y
@ 旭日(あさひ)に輝く あなたの笑顔。  地域の友に 希望をはこぶ。
  耳をすませば『ホラ』 今日も聞こえる。 弾むリズムに乗って『幸の足音』
  明日に開いた「夢」 ○○○○の同志(とも)。

A 知恵と勇気が 漲(みなぎ)るパワー。  地域の君に 情熱贈る。
  汗にまみれて『ホラ』 今日も往きます。 友のしあわせ願う『幸の足音』
  熱き友情「愛」 ○○○○の同志(とも)。

B あなたと私が 誓った未来。  雨や風にも 負けない心。
 ※明るく楽しく『ホラ』 虹の彼方へ。  仲良くスクラム組んで『幸の足音』
  世界に駆ける「今」○○○○の同志(とも)。     ※くりかえし

 集う同志が 肩を組んで歌い 闘った伝統の○○○○地区。
 不肖愚壮地区部長自身で、一ヶ月 157部 285pの猛記録を打ち立てた。



2003/12/20(土) 09:05

ここに「中○副圏長」が居る。
当時「圏新聞長」の氏はよくこう言っていた。
「お前はそのへんの地区部長には なるな」「死ぬまで燃えよ!」と。

ブロックの名称変更が認可された時期があった。
「燃えるB長」兼任の愚壮も小生の姓からB名を変えている。「レインボウB」
くだんの「中○副圏長」その横文字を一瞥「フン!」と鼻で笑った。
「しょうもない名前やのう」(大阪弁;くだらんの意)
暫し無言・・「副圏長!レインボウではありません!紅(くれない)です!」に
「ウム。 そうや!」  かくて「紅ブロック」は日の目を見る。     
  その後、死を賭した大病を克服の氏。今も大健在である。



2003/12/20(土) 09:32

その「中○副圏長」がある日、愚壮に言った。
「お前の地区の『地区歌』やけどな、あれは支部で歌い継承しろ」

N地区婦人部長(当時)も地区員さんも、そして愚壮も承諾。
かくて『幸の足音』は支部歌の任命を受く。   
以来、もう9年。支部幹で『幸の足音』は歌い継がれている。
明後日の12月22日 本年の有終の美にも『幸の足音』は歌い継がれる。
担当幹部「Y本部長」     支部歌誕生の背景を終わる。



2003/12/20(土) 11:00

 >>
(2003/12/14(日) 12:10) 宿業の合流の如き薄幸女児・愚壮の実母。

 今日 母が来ます(摂津市在住) いや、勿論 迎えに行きます。
 母75歳。 私58歳。 まだまだ若い母です。
 薄幸の昔日を 埋めていきます。  人生は有限ですので。

 ところで今日は「終い弘法・於 東寺」ですね。
 私の産は土佐です。 家系にも私の肉体の隅々にも真言が息付いています。
 とりあえず 私の代で、完全に払拭するつもりです。



2003/12/21(日) 08:58

母は元気でした。
「今出た」「今 淀川渡った」と言いつつ、愛車で母宅へ・・
「寒いので外で待つな」と言ったのに 寒風に立つ母でした。
寿司とおでんとビールの変な取り合わせに 話は弾みました。
「一番 可哀想な人は 父」と父を偲びました。

「厚田の父」は鳳雛の旅立ちに「往け」と一言だった と、師は伝う。
その寡黙の厳父に 男親の哀愁を感じてなりません。
逆立ちしても 母の偉大さに迫れぬことを知る父は 多くを言わない。
蛍雪の淡き光芒に織る「アツシ」の膨大な一針一針に 父の想いを託す母。
「アツシ」の中に父。「往け」の中に母を知る甚一 20歳。 吹雪更に強まる。
     と、わたしは「その風景」を  想い描きます。



2003/12/21(日) 09:23

ここに、私達が愛唱の1シーンを簡潔に記述した冊子があります。(史伝)
・・・大正9年3月。戸田は風のように真谷地(夕張の奥地)を去った。
東京に行く前に両親に挨拶をするため、厚田に立ち寄った。
老いた両親と一晩、懐かしい我が家の囲炉裏端で語らった。 
真剣な思索の末、東京で自分の人生をかけてみようと決めた息子に、
父は 「往け!勇気をもってな」と伝家の日本刀を差し出した。
母は夜なべで。一針一針縫い上げた「アツシ」を贈った「行っておいで。元気で・・」
戸田は父からは勇気を、そして母からは愛をもらったと感じた。
その二つの真心を胸に、雪の舞う「厚田」を後にした。

  ;戸田城聖 偉大なる「師弟」の道; より。



2003/12/21(日) 12:59

オ〜イ! 「Y本部長」殿。

支部討議 完成しました。
本部討議 14:00 行くぜよ。
(教宣資料も持参します)



2003/12/22(月) 12:10


殉職の父。 滑落の吾。 1,800日間の剥離せし人生。
不惑 40歳を迎える直前「K部長」来る。
「愚壮君、遂にきたよ  俺は男子部を卒業する」
「俺は 愚壮を信じているよ・・来てくれるよなぁ」

この場面は 消滅の
(>>2004/01/18(日) 11:50)に細描したが・・
腐りきった自分なんかに「K部長」の男子部卒業式列席の資格はない。
「どの面(つら)さげて・・行けたもんか・・」 と、見苦しい。



2003/12/22(月) 12:25

部長去る。昭和59年晩秋。
たった270日間で、  「異臭を放つ愚壮」を
「人前に出せる愚壮」に仕立て上げた部長が去る。

この年、ふたつの支柱が消滅しました。     39歳。



2003/12/22(月) 16:49

余談だが・・
わたしの事務所定位置の右奥に、大阪府知事許可票がある。
ご存知の通り、これが無ければ公共事業への参画は出来ないが、は 話は別。

触れたいのは、その許可年月日にある。
昭和59年10月12日と刻印されし金属製の許可票。
余人には ありふれた「許可票」だが  私はそうはとれない。
10月12日の持つ幾重不滅の意義に添えて、父の初七日の日付。

そこそこの手間を要す申請手続きをクリアーしている。
四面楚歌 完全に浮き足のこの時期である、明日に向かって沈着に申請等出来ぬ筈。
「順風満帆時の頃ならいざしらず・・」と、 じっと見る。 
ともすれば見逃しそうな不思議な日付けの「建設業許可票」である。
万象すべて意味がある。「建設業許可票」は何を意味し 何を語っているのか。
と、その頃、気付く道理なし。



2003/12/23(火) 22:18

つい先程、福西氏が来た。2歳年嵩の昭和56年当時の職人さん。
買い物の女房と偶然会ったとか。 「60歳です」と面影も変化無し。

もともとが造作大工のプロなれど、辛酸の末、わが社に来て頂いた。
ちょうど来ていた「大○○地区部長」と3人、大阪名物の”たこ焼き”アテに乾杯。
「オヤジ 若いな〜」と世辞を言う福西氏。  話 留めどなし。

「あの時のオヤジは」とこう続けた。「オヤジが空見たら、鳥が落ちてきた」と。
「確かに飛ぶ鳥を落としたが・・すぐ後、俺が堕ちたんだ」 と自問する。



2003/12/27(土) 11:52

次女「泉」から久しぶりの電話あり。「膝の具合はどう?」

30分以上 話込む。 
父の骨片をソッと隠し持った幼き少女も27歳。
ヤン婦としても頑張っていると語感で察する。

「景気悪くて仕事も大変であろうが 無理をするな」と言ってくれた。
「いくら大変でも お父さんは頑張りぬく」と言えぬ程 苦しき時もあるが
心優しき次女達の為にも、  勝つ。   獅子王として。

昭和60年〜平成15年の「今」まで、  残りも僅かとなった。



2003/12/29(月) 09:23

師走の静かな当地 穏やかに晴れています。

昨夜は本年2度目の夜警、(30日にもう一回当番あり) 帰宅00:30でした。
各班長さん(24班)数名で都合4回 巡回します。 なぜか御婦人多し
地域もうちも御婦人に完璧に支えられておるのは、目を覆いたくなる事実。が。
愚壮は一味違うぜよ蘭さん。 定刻、自治会長の挨拶。
「今夜もご苦労さん、ご婦人は先発で回ってください  男性、ひとり付きます。
猫の通り道までご存知の愚壮さんです」  
会長のヨイショに乗せられて私は勇躍 出発する。妙齢のご婦人を引き連れて。

父の葬送の記録を残して下さった自治会長。  もう、24年のつきあいです。
因みに 当自治会。  監査2名、会計、民生、防犯各1名。副会長の私。と、
同志が地域貢献に大活躍中です。 
地域で輝くか 組織で輝くか。・・・それとも・?



2003/12/31(水) 18:27

いよいよ秒読みです。    さて、愚壮の眼前だが、積算が3種類残った。
先刻「ジジ よいお年を」と孫達も帰った。  そこで、愚壮も迎春準備とする、が。
その前に 駄文愚文を応援されし皆様に衷心、御礼&報告を申し上げたい。

明けて完勝の1月2日 2地区で新入会の慶事あり。 
新年勤行会に花添える快挙の 元「K部長」と支部新聞長の「T地区部長」言葉なし。
入会の御二人の決断の潔さは 同席の愚壮も息をのむ程。  2青年。参列。

同日同会館15:00.師匠御誕生を壮年有志にて祝う。
この壮年有志の3時間唱題会は会館竣工以来 途切れし事なし。
とまれ・・・2003年は去る。  

1月15日は59歳を重ねるのだが。  「果して何分の貢献が出来るか」と、
小雨降る暗空を見る。     

皆様には息災の新春でありますように。   サンキュー、ソー、マッチ。
(独り言) 3日〜5日で見積もり完了の事。  洗車したら雨じゃ・・


              
忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 2003年12月完

   


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