「庶民列伝」 2008年09月14日 (日) 22時40分 =「大阪の戦い」の裏風景= (ある呑んベェ親分からの報告) 〜大阪の戦い・新世界周辺に住む庶民菩薩達〜 今もこの地域は最下層の人たちがいる街です。 人生に失敗して、放浪の果てにこの街に入り込んだら這い上がるのは凄く大変です・・・。 日雇い労働者の街。 今日、仕事にありつけた人は幸せ者です。 高齢者の無宿人が小動物達と同じく「生存」をかけたその狭間を生きています。 路上に段ボールを敷いて寝る人は1000人前後いるといわれ、 特に新世界の東にある天王寺動物園の玄関には毎晩50人前後の人たちが寝ています。 商店街のアーケードや橋の下など、雨露がしのげる場所々々に彼等・彼女等は居ます。 夏はまだいいのですが、冬は毎晩が生死の分かれ目なのです。 そうして夜が明けて、朝になっても目覚めない人が年間に150人前後いて、 その殆どが身寄りが分からず無縁仏となります。 毎年八月のお盆には労働者仲間によって合同慰霊祭が行われます。 汚い話ですが、道端には人糞か犬の糞か、分けれない地域です。 一方、食べる物では、いまや「とれんでぃ」な食べ物になりましたが、 焼肉屋などで食べる「ホルモン」の語源はこの地域からで「ほる物(捨てる物)」からきています。 人間が口にしないような牛や豚の内臓物を煮込んだり、油で揚げたりして、それを食べて生きてきたのです。 今でもこの地域では飯屋・雑貨屋に入って、特に注文するとカップラーメンに食パンをのせてくれます。 パンがスープを吸って腹持ちがよい一品となりますから・・・。 また、新世界から南に5分ほど歩けば大衆娯楽・演芸の小屋もありますし、 そして、由緒ある飛田新地という遊郭が今でも盛業中です。 今でもこれだけ絶望的な地域・・・しかも今から50年前の出来事が「大阪の戦い」です。 貧乏人と病人の街そのものだったのです。 当時は、新世界から北に自転車で5〜6分いくと「京屋旅館」があり、 同じく南西に5〜6分いくと「花園旅館」がありました。 ここは二代・三代の定宿でした。二階建ての木賃宿です。 現在は京屋旅館はなくなり、駐車場になっていますが、花園旅館の建物は今でもあります。 ここは約10年位前まで営業していましたが、今は営業をしていません。 しかし、花園旅館の中のたたずまいは当時と同じ、そのままです。 床が軋む廊下の角からは、いまでも戸田先生と青年参謀が出てきそうな雰囲気です。 因みに、西成文化会館には当時を偲ばせる資料コーナーが作ってあります。 この二つの旅館には、毎日毎日、大勢の会員が詰めかけたそうです。 それこそ旅館がつぶれそうな位に、大阪中、いや関西中から会員が駆けつけてきたそうです。 池田先生はこの庶民の街を走りに走り、乗り潰した自転車は数台にのぼり、 時にはラビットスクーターの後ろやクロガネオート三輪の荷台に乗って 半年で約8000軒の家庭訪問をされました。 今もそうですが、路地には粗末な長屋が連なり、自分の家と隣の家の区別もつきにくい町並みです。 そこを街灯もない、泥の路地裏を歩き尽くされたのです。 路地裏の会員宅に行くと、屋根はトタン板一枚なので、雨が降れば話が聞こえない。 家にいても傘をさしているし、汚いし、いろんな汚物の臭いが混ざり合った家。 畳がある家はいいほうで、ムシロ、ゴザが当たり前。 そこら中にシラミやノミ、はたまた名前の分からないような虫などと人間が生活を共にしていました。 池田先生はそんな家?(小屋?)に「こんばんは〜」と言って平気で入って行かれたそうです。 そこでは弾ける様な笑い声があり、またあるときは、すすり泣きの声が決意の歌声に変わりだし、それが街中に響き渡っていたそうです。 「参謀、晩飯、食いなはれ」 「辞退しようものなら『ウチの晩飯、食われへんのんか!』と怒鳴られるんだ。 『戴きます』と好意に甘えると、出てきたのは、何も入っていない素うどんなんだ。量が少ないんだ。」 「家族5人のうどんを6人前に分けたんだね。申し訳ない。ありがたい。どんな食堂でも勝てない味だったよ・・・」 と後日、当時を思い返されておっしゃってました。 こんな庶民が先生と共に戦って勝ったんです。 庶民は師匠を裏切らない。 師匠はそんな庶民を誇りに、庶民を思い護りに護ったんです! 池田先生は堺の街にも尼崎にも、そして天満や京橋にも行かれましたが、 やはり、この西成、浪速、天王寺、阿倍野の熱さは格別ですね。 何でそんなに詳しいかって? 我が家の入信は昭和32年2月です。 かいらし、かいらし(可愛らしい?)小学生だったんです。 やはし(やはり)、成長して、この常勝関西原点の地を歩きました。 諸先輩にいろんな話を聞かされました。 それ以来、精神注入の地です。 立ち飲み仲間もぎょうさんいますんねん。 以上、単なる呑んベェ・・・・いや、違った(笑) 名もない庶民、ノンベェ親分さんからの貴重な証言でした。 取材:京都乃鬼新聞社・社会部 文責・京都乃鬼編集長 |
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