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【庶民列伝・番外】 2008年08月13日 (水) 13時25分

ワシは若い頃、飯場に居たことがありますねん。
朝になってからその日に行くゲンバを知らされるような荒い飯場でした。

初めてそこの飯場に辿り着いたころ、あるおっちゃんが近づいてきて
「ニィチャン・・・、若いのに、もうこんなところに流れてきたんか?」とか
「若いんやから、もう少しまともになりや〜」とか
「ワシみたいに、ここが棲家になってしもうたら終わりやで」
などと、いろいろと言ってきたんです。

他の人とはあまりしゃべらないおっちゃんやのに、
何故かワシには色々と話をしてくるんです。

おっちゃんの年齢は分かりませんが、
でも、相当な高齢だったことは誰の目にも明らかだったので、
飯場の連中も「おっちゃん」と呼んでいました。

それからは、おっちゃんとは銭湯にも一緒に行ったりしましてん。
おっちゃんの背中のキャンバスには、少しシワにはなっていましたが、
それはそれは見事な昇り龍が描かれていました。

「ニィチャン、ちょっと背中流してくれへんか?」
おっちゃんの銭湯でのお決まりの口癖がコレでした。

ワシはその青黒い背中を何回も何回も流しながら、
きっといろいろな人生を左右してきたんやろうなぁ、と思いました。
そして、その背中のイレズミが、何故この飯場に遣って来たのか気にもなりましたが、
しかし、何を聞いてもムカシを語らない、そんなおっちゃんでした。

ただ「もうワシの年になったらな、ココ以外に雇ってくれるとこがないねん。」と
寂しそうに言っていたことを覚えています。



飯場の朝飯は、おかわり自由の白飯と味噌汁、漬物。
そしておかずは、奇数日は生卵で偶数日は味海苔でした。

今思い出しても、生卵の日は嬉しかったことを覚えています。
白メシの中央をほじくり、そこへ生卵を入れ、醤油をぶっ掛ける。
箸で解すと、だんだんと白い湯気の向こうに黄金メシが現れますねん。

それとネギが少しだけ浮かんでいるだけの味噌汁やけど、
若いワシはドンブリ3杯は食べていたかもしれません。
でも、味海苔の日は寂しかった。
眉間に皺寄せながら漬物を噛み、メシを味噌汁で流し込んでました。

あるとき、おっちゃんは、ワシの食べ方を見て笑みを浮かべて
「ニィチャン、よう食べるなぁ〜」と言ってきました。

しかし、ワシは昨日の晩にサイコロで負けていたからでしょうか、
はたまた、熱帯夜でヘバっていたからでしょうか、
何か、からかわれている様に聞こえて
「食べたらアカンのんか!」と怒鳴ってしまったことがありました。

おっちゃんは寂しそうに箸を置き、食堂を出て行ったのです。

朝飯が終わると、昼飯用にアルマイトの弁当箱に残りのメシを詰めて貰って
トラックに載せられて何人かで行くんやけど、その日は、おっちゃんとは違うゲンバでした。



夏の辛いゲンバシゴトも終わり「今日もキツかった〜。」といつもの愚痴を言って
バラック前の共同水道で水を頭から被っていると、おっちゃんの班のトラックも帰ってきた。
朝の事を謝まろうとしてトラックに近寄ったが、ぞろぞろ降りる人の中におっちゃんはいなかった。

少し気になり、それとなく手配師に尋ねてみると
「おっちゃんか?おっちゃんはな、昼飯も食べんとな、木陰で寝てたんや。
それでな、メシを食べへんかったら昼からもたへんで〜、というたんやけどな、
もう、よう食べられへんかったんやろうな〜。シンドそうな顔をしてたワ」

「それで、おっちゃん、どうなったんや?」
「2時ごろになって、基礎の深いところで倒れてしもうて、救急車で運ばれていきよった」


それからというもの、ワシは銭湯でもひとりぼっちになり、
「ニィチャン、背中流してくれへんか?」という声も、懐かしく思うだけになった。
・・・・おっちゃんは、飯場に戻って来れなくなったのでした・・・。

ワシにはこんな寂しい思い出もある夏ですねん。
愚壮はんも、朝飯も昼飯もな、たらふく食べて出かけてや〜。
でないと、ゲンバのシゴトを引退させまっせ〜。


                  「庶民列伝・番外」了

                                



 

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